山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

「あれから」を読んだ

2023-11-18 23:00:43 | 読書

昨日、矢口敦子という人の「あれから」という小説を読みました。

これは、図書館に本を返しに行って、超速で代わりに借りて来た物です。
現代小説の棚の中に「あれから」という題名を見つけたのですが、それはまさしく夏目漱石の「それから」を連想したからでした。

「あれから」っていったいどういう内容なんだろう?と興味を持ったのです。

全くの予備知識なし。
昨夜、遅くになって読み返してみると、物語の展開がどうなっていくのだろうと、もう興味津々でどんどん読み進んでしまいました。

夏目漱石の「それから」とは何の関係もありませんでしたが・・・。
ああ、読書というのは、娯楽なんだ、楽しい物なんだ。
小説というものの本質はこうでなくちゃいけない。これが本来の姿であって、努力して読み進むものではないのですね。

しかし、そのまま読んでいると朝になってしまうので、仕方なく中断し、そして寝て起きて、朝また2時間くらい読んで、それから車の運転をしないといけないので出かけて、帰宅してから夕飯の前までにまた読んで、ついに読み終えました。

出来事の真相がわかったし、過去の出来事による連鎖や、1つの出来事によって変わってしまう人生など色々感じることも多かったです。

証券会社が倒産するような時代があり、少なからず影響されて行く人々。痴漢の事件などもあり、じっさいに世間で話題になっている色々なことが出てきました。

確かに世相が表れていて、その中で生きていく人々の姿が描かれていました。

最初に読み始めたときは恋愛物かと思いましたが、ミステリーなのか推理小説なのかということが判明。とても読みやすく、ぐいぐいと惹きこまれてしまいました。

この人の他の作品も読んでみたくなりました。

 

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「変容」を読み終えた

2023-10-18 00:06:53 | 読書

長らく読みかけになっていた伊藤整の小説「変容」を今夜やっと読み終えた。

これは、だいたい月に1度、帰省するときに電車の中で読んでいたので、もう何か月も経ってしまった。

今回は、帰省するときに本を持って行かなかった。

近々、広島方面に旅行に行こうと思って、「変容」ではなく、旅行のガイドブックを持って行ったからだ。
「変容」は結構分厚いので家に置いていった。

残りは、あとわずかだった。それを今夜家で読んだ。

前山咲子が亡くなったところまでは読んであった。
今日読んだところは、その葬式からである。

その後の展開には驚いた。歌子までが亡くなったからだ。

この小説、どのように終わるのだろうかと思っていたら、かなりの大きな動きであった。

そうして、歌子の娘を女中と一緒に引き取るという選択。

そして、最後の場面は、またこれまでに縁のあった女性のところに往訪。。。

男と女の性や情というものが、年月を経て描かれている。

それらの人々の人生や仕事なども当然のことながら付随している。自分の保身もある。

そんな人間の姿がよく描かれていると思う。

作者の「あとがき」によれば、この小説は連載だったので、人物も事件も即興的に作り出されて最初は苦労がなかったが、不安定なものがつきまとい、あとで何度も加筆訂正が必要だったそうだ。

行き当たりばったり的な部分もあったのかな?
しかし、明らかに後半の方が動きがあって面白いように感じる。

60歳近い年齢の男の画家が主人公であるが、私もアラカンのオバサンなので、この年齢の人生をはかり知ることのできる者であり、これは私が読むにはちょうど良い内容だったようだ。

ただ、ざっと読んだだけなので、もう一度じっくり読んでみても良いなと思っている。

何を書いているんだか、意味不明だと思いますが、あしからず。

機会があったら、内容について、詳しく書こうと思います。

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ねむ~い

2023-09-06 23:22:58 | 読書

今夜も夜11時にして眠くなってきた。実は9時ごろから眠いのだ。

今朝は暑くて6時に起きてしまった。今はそれほど暑くなく、エアコンを送風にしている。

相変わらず、何も実行に移せずに時間だけが過ぎていく毎日だ。

まだ8月の出費のまとめもしていないし、銀行口座の引き落とし総額も調べていない。

色々やるべきことはあるのに、何もしていない。

トイレの床に髪の毛がいっぱい落ちていたなあ~

換気扇のフィルターも油で真っ黒になっているから、取り換えて掃除をしなくては・・・

要らない本を捨てる。

写真を整理して、昔のネガをデジタル画像にしないといけない。

何も進んでいかない。。。

・・・

今朝は早く目覚めてしまったので、伊藤整の「変容」のつづきを少し読んだ。
そう、まだ読み終えていないのだ。半分ちょっと超えたくらい。

今年はこの分だと3冊がよいところだな。(今2冊目)

読書ってのは、それなりの時間を買い取らないと、進みようのないものである。

絵を描くっていうのもそうだろう。

「変容」の主人公の職業は画家である。国文科を出て画家になれるのかな?
日本画家みたいだが。。。

日本の近代の西洋画家は、やはり結構芸大出の人が多い。それだけやはり描写の技術が必要だったのだろう。そんなことを思ったりした。

ちょっと浮世の画家を思い出した。イシグロカズオだっけ、あれは途中まで読んでどこかにやっちゃった。

画家の絵っていうのは、何もかもが芸術なわけじゃない。

私は竹久夢二はあまり興味がなかったんだけど、モディリアニと共通点があるとは知らなかった。モディリアニは好きなほうだった。

・・・

伊藤整は女をよく描いている。女が年老いていくその変化。容姿の変化のみならず、その社会的地位や人間像なども良く分析している。そう、私がこの作家の好きなところはそういうところだ。

伊藤整は「新心理主義」だと自ら言っていたらしいが、新心理主義とは何なのかよくわからない。

若い詩人の肖像の最後は、
「自分の心の内側の働きはまだオレに分かっていない。そこには闇の中に閉じこめられた複雑な機械のようなものがある。そしてそれがオレにはまだ分かっていない。そこをのぞいてみるのは怖ろしいことで、今のオレには出来そうもない、と私は思った。」
で終わっている。

彼はその後、それを追求したに違いない。

そうして晩年に書いたのが「変容」なんだから。

でも、それを読むアラカンのオバサン、私にはまだ何も分かっていない。

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伊藤整に関する関心

2023-08-20 00:29:30 | 読書

私は、自分が10代の頃に好きな作家だと思った伊藤整のことを、自分が生きているうちにもっとちゃんと知っておきたいと、この頃思うようになった。

それで、今年は伊藤整の小説を順に読んで行こうと思ったのだが、老眼がひどくて文庫本の小さい文字を読むことができなくなってしまっており、そうなるとこのあいだ買った小学館の P+D BOOKS しか読めないことがわかった。

「若い詩人の肖像」があるのだから、伊藤整の他の作品もそろっているのだろうと思い込んでいたら、そうではなく「変容」だけしかないことがわかった。

それで、しかたなく「変容」を購入して今読んでいる最中だ。

この作品は、伊藤整の晩年の作品らしく、おそらく60歳を超えてから書いたものらしい。それで、内容も熟年の主人公になっており、思えば私もアラカンなのだから、読者としてはちょうど良い年齢なのかもしれないなあと思う。

・・・

この「変容」の主人公は画家である。それで、絵についての感性を書いてある部分もあり、伊藤整は絵画に対しても関心のある人だったのだなと感じたりして嬉しい。
私は若いころには美術には特に関心はなく、上京してから友人に誘われて美術館に行ったりしたことで、絵画に関心を持つようになったが、頻繁に絵を見るようになったのはここ15年くらいのことなのだった。

それから、このあいだ読んだ「若い詩人の肖像」では、英語のできる主人公「私」が小樽で外国人夫婦の家に日本語を教えに行く場面があることを発見した。夫に日本語を教えるのために通っているのだが、夫人は日本語を覚える気は全くなく、ものすごい速さの英語でべらべらしゃべり、色々なことを訴えてくる。日本の生活にストレスを感じているようだった。「私」は毎回、夫人の主張を聞くことに徹するのだが、その中には日本人のお手伝いさんが英語を理解しないので意思が通じず困るとのこと。それで、今度は女学校を出た英語のできる女子を探してやり、お手伝いさんにするのだが、そうしたところ、むしろ英語の分からなかった女中のほうがましだったと夫人が嘆いたという場面があった。この体験は笑ってしまう場面でもあった。

ああ、そして、これは私が20年くらい前に、日本語ボランティアをやっていた頃にも通じるものがあった。言葉が通じず異文化の中で暮らす外国人にとっては、言葉を覚えることよりも、自分の思いを理解してくれる人がまず必要なのだ。そして、女中は言語が通じるからといって役にたつわけではない。

この本質を、伊藤整は「若い詩人の肖像」の中に既に書いてあったのだが、私が最初にそれを読んだときには、私はまだ日本語教師や日本語ボランティアなどに関しては全く関係のない人間だったので、何も記憶にとどめなかった。私は知らずに40代になってから数年間、日本語を教える人となった。今になって、伊藤整が日本語を教えていたことに驚き、その内容に共鳴する。

色々な共通点を発見するのは嬉しいものだが、ふと、伊藤整って車の運転はしなかったのかな?と思った。もししていたら、これもまた同様の感覚を書き記してくれていたかもしれない。

でも、思うに、昔の人って車の運転なんかしない人が多いだろう。

そういえば、だいたいどのくらいの年代の作家ならば車の免許を持っているのだろうか。
クルマの運転をする作家が書いた小説の中には、そういう場面があるはずである。

そうなると、石原慎太郎くらいの年代の人なら、本人が運転をしていたということであろう。

現代人ならば、村上春樹とか車の場面がいっぱい出てくるし、荻原浩も車はよく出てくる。
現代人は当然として、一番古い作家ではどのあたりから運転場面が小説の中に出てくるのかな~とちょっと興味が出て来た。

そういうのって、かたっぱしから作品を読まないとわからないだろうから、自分にはできないので、すでに研究しているものはないのかな~。

 

 

 

 

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小平霊園・伊藤整の墓

2023-06-24 21:13:16 | 読書

そういえば、本日は自分にとっては重要な出来事がありました。
小平あじさい公園を見たあと、小平駅の反対側のすぐ近くに、小平霊園があったことを思い出したのです。そこには、伊藤整の墓があるとのことで、急遽思い立って見に行ってきました。

伊藤整のお墓が小平霊園にあることは、以前からネットで調べて知っていました。
そして、新青梅街道を車で走るときは、いつも小平霊園のところを通るので、そこにあるんだなあとは思っていました。

しかし、なかなか霊園の中に入るというのは、自分の個人的関係者の墓参りでもなければちょっと気が引けます。

しかしながら「霊園」というのは、一種の公園ということです。(これは放送大学で公園のことを勉強したときに知ったのですが、霊園というのもちゃんと法律で公園の部類の1つというものになっているので、誰が入っても良い場所なのだそうです。)

霊園の入口には園内の墓地の区画番号を記載した地図が掲示されています。
ネットで調べると、有名人のお墓の番号が記載されていて写真も載っているサイトがあるので、それを参考に場所を確認して入っていきました。

伊藤整の墓は、区画4というところにあり、私は正門から入って行ったのですが、右方向の南門を更に越えたエリアにありました。そこまでは、かなりの距離で、小平霊園って本当に広いなあと思いました。

確かに、霊園北側の新青梅街道を車で走っていても、結構な直線距離があります。

正門から入ってすぐは、結構大きな囲いを持った墓石が並んでいました。私は右へと墓地の端っこのほうを歩いて行ったのですが、合同葬の場所があったり、児童施設などで亡くなった子供たちの合同のお墓があったりしました。身寄りのない子供たちの合同慰霊碑には、鯉のぼりなどが飾ってありました。
親もいない上に、子供のうちに亡くなってしまうなんて気の毒ですね。

墓地は広くて、たまにお墓参りの人が居ますが、それでも人けのないところが多く、怖くはないものの、こんなところを1人で歩いていてもいいものなのか、いいんだよね、と確かめる気分でもありました。

しばらく歩くと墓の手入れをしている業者さんのような人の姿をみつけ、ちょっとほっとしました。

・・・

しばらく歩くと南門のところに着きました。南門は通り抜け通路になっているようで、地元の人たちが自転車でびゅんびゅん通過していきました。
その通路を渡ると、まもなく目的の区画4というのがありました。伊藤整氏のお墓は4-9ー36でしたが、10と言う表示をみつけました。どのように番号がならんでいるのかわからないのですが、隣の列だろうと思って墓石を眺めていくと「伊藤家」というのが見つかりました。

上の写真の右から6個目になります。この辺りのお墓は、各家の境界線などはなく、道などもなく、芝生の上に列になって同じような形状の墓石がならんでいました。
私はこのような霊園を見たのは初めてで驚きました。

お寺のお墓の場合は、各家の区画や通路がはっきりしているのですが、霊園となるとこういうものなのですね。

「伊藤家」とは書いてあるものの、万が一別の伊藤家だったらと思い、お墓の側面を確認すると「昭和三十八年 伊藤整建之」と書いてあったので、確かに間違いがないことがわかりました。

そうか、これは伊藤整自身が生きているうちに建てたお墓なのですね。
伊藤整が亡くなったのは昭和44年11月(64歳)なので、このお墓を建てたのはその6年前の58歳の時ということになります。ということは、伊藤整は自分の入るお墓を知っていたし、ここへも来たことがあるのでしょう。

これは伊藤家のお墓なので、伊藤整1人が入っているわけではなく、ご家族も埋葬されているのかもしれません。

今はお墓参りの時期でもなく、命日でもないので、花などはなく、枯れたお花が1本ずつくらい挿さっていました。

一応手を合わせてきましたが、私のような無関係の人間が生花をあげるのも変ですよね。

そういえば、霊園に入る前に驚いたのですが、墓石・花屋さんがずらずら並んでいて、2束の生花が水を張った墓参りの桶に入って店頭にならんでいるのでした。その桶にはお店の名前が書いてあり、おそらくそこでお花を買うとそれを持ってお墓に行って、帰りに返せばよいようです。お店の中にテーブルと椅子など休憩する所が用意されている店もありました。花は1600~1800円くらいだったかな?田舎に比べるとちょっと高いように思いましたが、手ぶらで墓参りができるので便利ですね。桶には苗字が書いてあるものが店にならんでいたりして、それは固定客(墓石などをその店に注文して建てたのか?)のものをお店が預かっていて、墓参りの度に利用するのだと思います。

お墓産業というのか、霊園産業というのか、こういうのも田舎の人間には見たこともないものでした。

でも、霊園の場合は、無宗教なので法事などをしなくてもよく、管理費だけ払えばよいので経済的ですね。

都営霊園当選者のための何とか、と書いてある石材屋さんもあったので、やはり抽選で当選しないと墓地が買えないようです。

・・・

私はなぜこの作家のお墓に来たのか?

伊藤整というのは、なぜか私にとって特別な作家なのです。

それは、「若い詩人の肖像」を高校生の時に読んで惹きこまれたからでした。

今年になってもう一度読んでみて思ったことは、
若いころ伊藤整は詩人になろうとしていて、自分の詩の才能について意識したり分析したりしていた。

詩人として作品を出したり活動したりするうちに、周囲の詩人の才能や特質などについて誰よりも鋭く認識し、その中での自分の詩人としての才能や特質や位置づけも認識していた。

それから、伊藤整は自分の詩の限界を自覚しはじめ、むしろ小説の要素に向いていることに気づくのだ。

それから、結局伊藤整は何が優れていたかといえば、やはり人の作品を分析できるということだったのだろう。

小説家でもあったが、文芸評論や翻訳などで能力を発揮した人ではなかったのだろうか。

私はあまり伊藤整の手掛けたものを読んではいないので、わかったようなことは言えないのだけど、そのように思う。

若い詩人の肖像を読み直してみて、詩人として世に出たけど、違う方向に進んで行く気配が描かれていることがわかった。

人は自分が願った方向には進まないけれど、自然に自分に適した方向(自分の才能のある方向)に進んで行くものですよね。

(老眼で小さい文字が読めなくなったので大きな文字の本を買った。)

最後に、霊園の端にも咲いていた紫陽花。

 

 

 

 

 

 

 

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伊藤整のこと

2023-03-25 23:06:16 | 読書

1か月ほど前に、伊藤整の「若い詩人の肖像」をアマゾンで注文し、ぼちぼち読んでいる。
この作品は、私が高校の頃に読んだもので、かなり影響を受けたものだ。
それをもう一度読み直す気になったのは、以前にも書いたのだが、昨年10月に小樽に旅行に行って、伊藤整の故郷であることを思い出したからだった。

読み始めてみると、高校時代に全く知らなかった小樽という土地の情景が、より具体的に連想されるのだった。余市も出てくるし、余市と小樽の間にある蘭島という駅のことも思い出した。

登場人物で、印象に残っていたのは、小林多喜二・川崎昇・重田根見子だったが、蘭島は主人公が重田根見子と歩いたりしている場面があり、ああ、あの駅のところかと思い出すことができた。

この作品は、伊藤整の私小説であり、ほぼ自伝のようなものらしい。小林多喜二などは実名であり、重田根見子も、ネットでちょっと検索してみたところ、実在人物の名前も解明されているようである。
主人公が一番信頼を置き親しくしていた川崎昇に関しては、私も高校時代に実在の人物名を探そうとしたことがあったが、みつからなかった。

主人公は、インテリであり、英語の成績が優秀で、詩の才能があると自負しており、容姿も悪くはないと自覚していて、自分が客観的に人や若い女性等からみたらどんな感じだろうと意識し、結構プライドも高いわけなのだが、小心なところもあって、そういう人間像を自分自身で分析しているあたり嫌味には感じないのである。

重田根見子が橙色の湿った肌をしているという表現は、高校時代に読んだときから印象にあり、いったいどんな肌なんだ?とイメージがつきにくかった。今回も同様だが、元々主人公は根見子のようなタイプの女性が好きだったわけではなく、色白で目の細いどちらかといえば和風な感じの女性が好きだったのに、成り行きによって根見子と付き合うようになり根見子を恋人としたということが再確認できた。

根見子は目が大きく、顔のパーツがはっきりしていてどちらかというと洋風な感じなのかなと思うのである。そういうタイプを主人公が元々好きだったわけではないものの、それはそれで美しいと思っていたようだ。それが、恋人関係が悪くなってくると途端に、足が短いとか肩が角ばっているとか欠点が見えてくるというのもよくあることかもしれない。若い男性は、1人の女を恋人にしていると、他の女性との関係は発展する可能性がなくなる、というつまらなさも感じてしまう。

現実はそんなものだろう。そうして破局がくるのだ。

当時の小樽は都会なんだなと思う。銀行があり高等な学校があり、私が育った静岡県の田舎とは比べ物にならないくらい経済や文化が発達していたのだ。
小樽は、昨年秋に行ったときには、昔の偉大なものは皆観光の材料に変化しており、ぼったくり観光地となっていたのだ。

でも、過去に栄えていた小樽というのは、腐っても鯛というか、やっぱり人を引き付けるもののある土地だなと感じる。あの運河や古い立派な建物等、そんぞそこらにある物じゃない。

昔の風景は今とは全然違うだろうけど、地形や大通りなどがすっかり変わるわけもなく、昔の面影が残っていたに違いないのだ。伊藤整たちは、あの小樽駅に電車で降りて道を歩いて学校に通っていたのだと思う。

そうして、そういえば、伊藤整って東京ではどこで暮らしていたんだ?と思いついた。小平霊園にお墓があるんだけど、家はどこだったのか?

ネットで検索するとすぐにわかった。杉並区久我山だそうだ。なんだ、結構近いじゃないか。
そっちのほうが、遠い小樽を連想するよりもずっと簡単だし、やる気になれば、散歩もできそうである。もっと別の作品を読んでみたら、都内の地名も出てくるかもしれない。

それから、色々検索していたら、伊藤整ノーベル文学賞なんていう言葉も出てきて何のこと?と思った。そうしたら、伊藤整がノーベル文学賞の候補と期待されたこともあったようなのだ。

そして、文学者には生前注目されるが死後には注目されない人と、生前は注目されないが死後に注目される人がおり、伊藤整の場合は前者であって、残念ながら、死後は注目されなくなったようである。そういえば、生前は「チェタレイ夫人の恋人」裁判で話題になっており、むしろ本人の作品よりも、こちらの翻訳で話題になっていたのだろう。

伊藤整の誕生日は、1月16日で私の誕生日と近いのだ。だから波長が合うのかと思ったら、村上春樹の誕生日が1月12日で、こちらも近かったのに全然波長が合わないのだ。どちらも山羊座なんだけど。しかも伊藤整は英語が得意なのに、私は英語学習障害者で全然正反対だった。伊藤整を見倣って高校時代に英語を頑張ることが出来ればよかったのに・・・。元々才能のないものはダメなのだろう。

伊藤整は64歳のとき(11月15日)に胃がんで亡くなったそうだ。その年齢では、私もあと1年半くらいしかない。私はまだまだもっと長く生きるつもりなんだけど、読書をするなら今のうちにしとかないと、何もしないうちに人生が終わってしまうかもしれない。せめて人が書いた小説を読むくらいのことはできるだろう。

 

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「あの日に帰りたい 駐在日記」(小路幸也)を読んだ

2022-05-09 23:34:50 | 読書

ゴールデンウィーク中に小路幸也と言う人の「あの日に帰りたい 駐在日記」という小説を読みました。

これは、図書館の閉館間際にあわてて借りてきたもので、目の前にある本を適当に選んできたものです。

題名に興味を持ったからこれになったのでしょう。

神奈川県の小さな村のようなところに赴任した駐在さん夫婦とその土地の人々との出来事が、駐在さんの妻の日記に綴られているという形です。

一言で印象を言えば、素人が書いたような物語だなと思いました。

駐在さんの妻は、外科医にしては、あまりにも素直で平易な心を持った人で、簡単な日常会話のような言葉で記されています。

内容も、滝に身を投げて自殺したとされる指名手配の人が、目撃情報だけでその当人と断定されるような筋書き。

そんなことで、本人が特定できるわけがなかろうと、現実との乖離を感じてしまうのでした。

猟銃を持った人の脅しをやめさせるために、元刑事で射撃の上手な駐在が、銃をかすめて打って解決するなど、それもあり得ない。そして、発砲したのはどこかで何かを熊と間違えたことにして報告するなど、そんなことが罷り通るわけないです。

数々の非現実的な詰めの甘い設定に、なんとなく興ざめしてしまい、いやいや、これは子ども騙しみたいな小説だからそれでいいんだろうと思うわけでした。

その他にも、突っ込みどころ満載な伏線の設定や物語の展開ですが、まあ、娯楽小説というところで、テキトーな連続テレビ番組にでもしたら面白いかもしれません。

この主人公は、元外科医だったけど、どうして右手を怪我して動かなくなってしまったのだろうか?

駐在さんは、高卒でよく刑事になれたものですが、その後、僻地の交番のお巡りさんになったのは何故なのでしょうか?

指名手配で滝に自殺したとされた人は、本当はどこかにいるのか?

猟銃騒ぎを起こし、村を出た登場人物と劇団をやってるホステスは、その後どこへ行ったのだろうか?

他の様々な登場人物たちも、その後はどうなるのだろうか?

この物語は、今後も色々な不明点を展開させて続編が作られていけそうです。

そういうことも計画済みなのかもしれません。

2019年9月発行。書下ろし。

裏表紙を見ると、既に「駐在日記」というのが発行されていたみたいなので、この物語の前の出来事やいきさつが載っているのかもしれません。

・・・

例えば、絵には画風というものがあり、緻密な絵もあればパステル画のような絵もあります。

文にも様々な文体や構成があるのでしょう。

この小説は、絵に喩えればパステル画のようなものかもしれません。

そして、全体的に平和な世界ですが、時にヒヤヒヤドキドキすることもあり、面白いと言えば面白いかもしれません。

私が最後まで読み終えたということは、面白かったということでしょう。

 

 

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高校時代の記憶

2022-04-08 00:41:02 | 読書

この頃、年を取ったせいか、昔のことを思い出す。

最近は、たまたま図書館で「巴里に死す」を見つけて読み始めたのだが、もしかしたらそれがきっかけかもしれない。

東京に越してきてから住んでいた家のそばに、天理教のお寺があった。(あれはお寺というのかな?)
芹沢光治良の「人間の運命」では、天理教のことが書いてあるという記憶があったので、なんとなく意識してその前を通っていたが、今思うと、一度もそこに出入りする人々を見たことはなく、そして、私の人生の中で天理教の人には会ったことも話したこともない。
全く存在感がない宗教だった。ただ、そこに建物があり、門に「天理教」と書いてあったことだけを覚えている。

あれは、私が20代の頃で、高校を卒業してからはまだ数年しか経っていなかったのだ。だから記憶も新しかったのだろうけど、それ以来、天理教に関する物事に遭遇したことは一度もない。

天理教はともかく、「巴里に死す」を読んでいると、主人公の伸子が結核でスイスのサナトリウムで療養している。あの時代は、結核をそうやって治すしかなかった。特に治療法もなく、寒いところでなぜか窓を開けっぱなしにしている。冷たいきれいな空気を吸っていると良いということだったのか。そして、治る人もいたし治らない人もいた。が、治らない人も多く、不治の病と言えた。

結核は人に感染するが、感染した人が急に亡くなるわけではないし、感染しない人もいたようだ。感染しても慢性的に病状が進んで行き、重症にならなければ快復するが、数年のうちに次第に悪化していくとほぼ助からない。恐ろしい病気ではあるが、今の新型コロナほど厳重に隔離などはしていなかったようである。

結核患者が妊娠したら、堕胎したほうが良いと考えられたのは、患者の体力が消耗してしまうからで、子どもが感染するからということではないようである。生まれたあとも、母親が育てることはできず、人に育ててもらうのは、子供への感染を避ける意味もあるものの、母親が自分の結核を治すことに専念しないといけないからだろう。

それで、「巴里に死す」を読んでいたら、スイスのサナトリウムの場面で、私はトーマス・マンの「魔の山」を思い出していた。あの本は文庫本でものすごく厚い本だった。それを夏休みかなんかにかなり読み進んだものの、結局最後までは読まなかったと記憶している。

しかし、あの「魔の山」は何で読み始めたんだろうか?と思う。

それで、今回「巴里に死す」の後ろについている大江健三郎の芹沢光治良についての文を読んでいたら「魔の山」のことが書いてあった。やっぱり連想するのが当たり前なのだろう。

それから、「巴里に死す」の中で伸子が、ジイドの「狭き門」のことを書いているが、その前から、私は「伸子」の精神が、ジイドの「狭き門」の主人公女性と共通していると強く感じていた。

私はジイドの「狭き門」も読んだことがあるが、なぜそれを読んだのかも不明である。これは実家に世界文学全集があったのだが、読まなかったものも多々あるなかでどうしてもこれを選んだのだろう。

当時私は芋蔓式読書法をしていて、読んだものの中に出て来た小説を読み、またそれに関連した小説を読むと言うのをしていたのだった。

私は「巴里に死す」を読んだ記憶は全くないが、ここから芋蔓に「魔の山」や「狭き門」が出てくるのだ。まさか「巴里に死す」を読んでいたわけではないとはおもうのだが・・・。

あ、そうだ。今回はそのことを書くつもりではなかったのだ。

私は当時、2階の自室の窓際の屋根の上にクロッカスの球根を1つ育てていた。そのクロッカスには「シルビエ」と言う名前を付けていた。クロッカスは紫で白い線のある花を咲かせた。ふっくらとした花びらを開き、中には黄色いめしべとおしべがあった。その姿は神秘的だった。

私は当時、ハンサムな同級生にあこがれていた。その人は色白で彫りが深く小柄で、西洋人の少年のような容姿だった。私は心の中で彼を「美」と呼んでいた。

そして、なぜかそのクロッカスをその少年として見ていた。そのクロッカスになぜ「シルビエ」と言う名前を付けたのか記憶がないのだが、なぜかクロッカスの記憶とともに「魔の山」を連想するのである。

しかし、魔の山の主人公は「ハンス」というらしいし、その人に私があこがれるわけでもない。シルビエというのは一般に女性の名前らしいが、私はなぜか少年の名前として、それを花につけたのであった。テレビにでも出て来た少年から名前を取ったのかな?

「シルビエ」でウェブ検索すると、人の名では「シルヴィ」というのが出てくるが「シルビエ」はあまりない。「シルビア」というのは女性のなまえでよく聴くが、私は「シルビエ」と記憶している。

クロッカスが咲くのは春休みなので「魔の山」を読んだのは冬休みか春休みだったのかもしれない。

これらのことは、実家の天袋にある昔の日記を見ればわかりそうだが、もはや太った老婆には、天袋に登ることは不可能かもしれない。

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高校時代の思い出

2022-03-23 23:52:10 | 読書

私の人生のうち、一番楽しかった学校生活は高校だった。
高校では、演劇部にいた。演劇部で親友もできた。演劇があったから高校が楽しかったのだろう。

演劇は総合芸術である。高校生のころ文学にも目覚めた。その当時は読書もよくした。

演劇部の顧問は、大学を卒業したばかりの新任の女性の先生だった。私たちと7~8歳くらいしか違わないのだ。
その先生は現国の先生だったかな?古文の先生だったかな?授業でも教わったように記憶している。

演劇をしている人間である私たちは、一種の「あくどさ」や「野蛮さ」があると感じていた。
しかし、この先生にはそういうものがいっさいなく、「灰汁」が足りないのだった。
演劇をするタイプの人間ではないね、と思っていた。

それは悪い意味ではなく、何の嫌味もない先生で、顧問として私たちをよくサポートしてくれた。
先生は、ものすごい偏差値の高い国立大学を出ていた。その受験科目の多さにびっくりして、相当優秀なんだなと思ったけど、先生は和やかでやさしく謙虚であり、プライドの高さなどはみじんも感じさせなかった。容姿もそこそこきれいだった。

卒業式の日は、参列して一連の内容が進んで行ったが、特に悲しくはなかった。

そうして退場するときに、この先生の姿が目に入った。なぜか急に涙があふれてきた。
私たち卒業生は、胸にピンクの造花をつけていた。

今でも記憶に残る一瞬。
胸にピンクの造花を付けた自分が、演劇部の顧問の若い女性教師に見送られて、胸が熱くなった。
それは演劇部の仲間もみんな同じ思いだし、先生にとっても初めての教え子だったんだということを実感した。

普段は何も感じなかったのに、そこで初めて、先生と自分たちの絆を感じたのだった。

・・・

今、私は「巴里に死す」という小説を読んでいる。
この作者は芹沢光治良である。「巴里に死す」という題名は、なぜかあまりにも有名だと思っているが、その内容については知らなかった。この題名を知ったのは高校時代に違いない。

そして、演劇部の顧問のその先生は、当時「人間の運命」を読んでいた。
これは10巻くらいあったような気がする。おそらく先生は全部読んだのだろう。
私も真似して読み始めたが、たぶん2~3冊くらいで挫折したような気がする。

これを今から読んでみるかな?

「巴里に死す」についてみていたら舞台は1920年代のパリの話だそうだ。
なんと、今から100年も前のことだ。書かれたのは1943年だそうだ。

手記には主人公の心理が書かれていて、ああそういえば、高校の頃は、こういう心理描写みたいな文が好きだったなと思い出した。

恋愛は精神を高めるものでなくてはならず、人は常に向上心を持たなくてはならない、と若いころは想っていた。

しかし、今は、向上心などみじんもなく、何かおいしいものを食べたいとか、楽しいことはないかとか、そんなことばかり考えて生きている。

病気をしないで長生きしたいとか、安全に暮らしたいとか、そういうことを求め、精神の向上などはどこかに忘れ去ってしまっていたのだ。

日常にまみれ、ただ生きてるだけのオバサン(ばばあ)になってしまった。

先生はどうしているかな?もう70歳に近いかな?
先生は、私たちの卒業後まもなく教師を辞めて結婚されたそうである。お子さんもいる。
ご主人の転勤で海外で暮らしたりもしたそうだ。

この小説が書かれたのは今から80年も前だが、私が高校生の頃はまだ33年くらいしか経っていなかった。

「人間の運命」だって、当時はそんなに古い長編小説ではなかったはずだ。書かれてから10年も経ってなかったようだ。

今、あのころ読みそびれた本を読み始めるなら、半世紀も元に戻って、高校時代からやり直すって感じである。

 

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漱石山房記念館

2021-10-03 23:14:37 | 読書

本日は、早稲田にある「漱石山房記念館」に行ってきました。

この記念館の存在を知ったのは、なんと、昨日だったのです。

東村山ふるさと歴史館の中で、偶然パンフレットを見つけたのでした。

そこに、この記念館で「夏目家の人びと、漱石の家族」というテーマ展示を10月3日までやっていることが書いてあり、なんとそれは今日までではないかということで、出かけて行ったのでした。

(ああ、このタイミングは本当に不思議だ・・・)

ここは、夏目漱石が実際に住んでいた家があった場所だそうです。

そして、漱石の人生・作品・活動・漱石を取り巻く人たちのことなどが、わかりやすく展示されていて、とても良い場所でした。

パネルの説明をいちいち読むのは大変なものですが、こちらでは無料で音声ガイドを貸してもらうことができ、大変便利でした。

・・・

私は学生時代、夏目漱石のゼミに入っていて、漱石のことを一通り研究したつもりでしたが、今では大部分忘れているし、そもそも20歳程度の若者が漱石の人生や作品の中に著していることについて、どれだけ理解していたんだろうかと思います。

漱石の家族には、奥さんのことくらいしか目を向けなかったように思います。
また、住んでいた場所が東京なのに、ゆかりのある地域を歩いてみるようなこともしませんでした。

文学散歩をすればよかったなと思いますが、当時はそんなことも思い浮かびませんでした。

今日の展示をみて、漱石が末っ子で小さい時に養子に出され、それからまた実の親のところに戻ってきたりして複雑な境遇だったことや、自分の娘を幼くして亡くしたことなど、今まで気にも留めていなかったことに気が付きました。

新聞社に入社したのは、連載小説を書く仕事のためであり、社員になって小説を書くって、今ではそんなことはないだろうと思います。

漱石が小説を書いた期間は、11年間だったかな?人生のごく一部の時期であり、たったそれだけの期間に、あんなにたくさんの作品を書いたのはすごいと思いました。

また、漱石は、絵にも興味があり、本人が描いた絵もあり、かなり上手でした。

それから、猫のみならず犬や文鳥なども飼っていて、動物好きだったようです。

そして、植物も好きで、庭には色々な樹木が植えられていたそうです。

記念館の外観。現代風の建物ですが、元の家の雰囲気を思わせるような部分もありました。

ここに住んでいたんだな~と思います。

建物のわきに、漱石公園があり、銅像がありました。

裏には猫の墓が。13回忌だかに建てたそうです。

これは、途中の道で撮ったもの。

この記念館は、数年前にできたそうです。建物も新しいです。

もし私の学生時代にここがあったら絶対に来ていたはずです。
地下に漱石関係の書物がたくさんあり、閲覧できるようになっていました。
昔にはなかった書物もあり漱石研究はさらに進んでいるんだなと思いました。

また、復刻版や漫画・絵本などもあり見るだけでも楽しいです。

40年以上も前には、同じゼミの友人と一緒に駒場の近代文学館に通って漱石関係の本を調べていた記憶があります。
今日の展示では、横浜の近代文学館に漱石関係の資料がたくさんあることがわかりました。
(駒場は無くなったんだっけ?)

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漱石は49歳でなくなり、今考えれば、40代なんて、まだ若者じゃないかと思います。

漱石よりも10年以上も長く生きている私です。

人生の中の2年間くらい、漱石の作品を読みまくっていた時期がありましたが、何も覚えていないんだから、もう一回読み直して復習したほうが良いなと思いました。

今読まないと、もう一生読まないかもしれませんものね。

きっと若い時には気づかなかったことに気づくことがあると思います。

 

 

 

 

 

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藤原正彦

2021-09-17 09:56:48 | 読書

何週間も前から藤原正彦氏の「知れば知るほど」というエッセイ集を読んでいる。

読めばそれなりに面白いのだが、個々のエッセイを読んでは止まっているため、なかなか最後まで読み終えない。図書館の返却期限が過ぎているので、早く読まねば。

全部読んだら、読書記録として読後感を書こうと思っている。

ところで、今日読んだところは「ベートーベンのコーヒー」というエッセイだ。
コーヒーの内容はともかくとして、ここに「父が直木賞をもらい・・・」という文言があった。

えっ?父って誰?

藤原正彦という人は、以前から数学者だとは知っていたし、新聞や雑誌などで、この名前を目にしていたこともあり、なじみがあった。しかし、直木賞を取った人の子どもだったとは。

調べてみると、父親はなんと「新田次郎」ではないか。

これって常識? 知らなかったのは、私だけかな?

そして、母親は「藤原てい」。この人の名前も知っている。

両親が作家なんだから、文才があるのは血筋かもしれない。

新田次郎の本名は藤原寛人というそうだ。

藤原正彦は、数学者がたまたま文を書くのが得意でエッセイを書いたり、人生相談の答えを書いたりしているのかと思ったら、この人、文を書くプロってことでいいんじゃないか?

とまあ、今回ここに書きたかったことは、

藤原正彦は、両親が有名な作家の息子だったってことを、私が初めて知って驚いたということです。

 

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96才の大学生(歌川豊國)

2021-08-28 11:15:19 | 読書

「96歳の大学生」という本を読みました。

著者の歌川豊國という人は、明治36(1903)年2月3日生まれで、尋常小学校しか出ていなかったですが、93歳のときに高校に入り、卒業して、96歳で近畿大学に入学したということです。

この本は、大学生になったときに書かれたものでした。

代々続く浮世絵師の一門に生まれ、子供のころから浮世絵の技術を身に着け、その後戦争や時代の変化につれて様々な仕事をしてきたということです。

明治生まれなので、明治天皇崩御・乃木将軍夫妻の殉死、米騒動、関東大震災などの実際の体験や記憶があり、江戸時代のことさえも年上の人から聞いていたりして、歴史の先生よりもよくわかっていたりします。明治から平成に至るまで、世の中を全部見て体験しているということになります。

そして、90代になってからは、妻の介護や自分の勉強や浮世絵の仕事などを精力的にこなしており、本当にパワーのあるおじいさんです。

人は何歳になっても意欲と好奇心を失わず、健康に留意しつつ、目的達成に向かって生きていくべきだということが書かれていました。

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私は60代の大学生で、もう老域に達していると思っていたのですが、90代になってからもこんなに意欲を持って前進できることを知り、私なんてまだまだ若いなと思ったのでした。

ところで、この本は平成11年(1999年)に書かれており、今は2021年なので、当時96歳だった著者の方が、今現在、存命であるわけはありません。

96歳で大学に入学された著者は、近畿大学法学部を卒業されたのだろうか、と調べてみました。

すると、2000年11月11日に亡くなられていることがわかり、残念ながら翌年(大学2年の途中)で終わっているということがわかりました。

しかし、97歳まで生きられたということでもすごいことではあります。ご本人の願いは、大学・大学院を卒業し130歳まで生きたいということでした。

歌川豊國という浮世絵師のことをネットで検索すると、1代目から7代目など、同じ名前の人がいてわけがわかりません。これは歌舞伎役者のようなもので、その流派の人が同じ名前を代々継いでいくのでしょう。この人の本名は、本の中の記述によれば豊春というようです。
代々同じ名前では区別がつかないので、個人の名前のほうがわかりやすいなとは思いました。

著者の方は6代目豊國で、その息子さんが7代目になっているようです。

浮世絵は、版画の摺り方の技術は伝統を継承するために、文化庁が補助金などを出しているそうですが、肝心な原画を描く浮世絵師の育成には何もされていないのが問題だとのこと。
確かに、原画を描く人が続くことが大切だと思いました。

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人生は目標を持ってそれに向かって活動していかなくては、何も達成されない。
この人は、大学卒業という目的は達成できなかったけれど、こうやって著書を残してくれたので、多くの人が人生観を学ぶことができます。

感謝したいと思います。

 

 

 

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「心臓突然死からの生還」(高松健)

2021-08-22 00:43:23 | 読書

「心臓突然死からの生還~アメリカで受けた手術体験~」(高松健)という本を読みました。

実は、昼間から、この本について書こうと奮闘しているのですが、詳細を書いていると非常に大変で、これはもううまくまとまらないからかやめておこうという結論に至りました。

本当に大雑把に言えば、この方は、アメリカに仕事で赴任中に起こった心臓病を、アメリカの高度な心臓外科手術や的確な処置によって乗り越え、次々に起こる危機を数年にわたって克服し、無事日本に帰国したということです。

その間の出来事や治療方法、手術内容などが詳しく記されており、心臓病治療がどういうものであるのか、またアメリカの医療制度の日本との違いなどが、よく分かりました。

特に、医療保険が無いという点で、アメリカでは驚くべき金額の医療費が請求され、それを適宜支払うことによって医療行為が行われる、逆に言えば支払いができなければ医療行為は受けられないということで、その状況を知ることができました。

治療を受ければ、各医師やスタッフからそれぞれに請求書が渡されて払うことになるし、病院は1日も早く退院して、点滴や注射は自宅で患者が自分でするなども、やはり医療保険制度がないことで、日本とは違う状況となっています。

この人は、医療を受けるにあたり、英語力や経済力もあったことから、医師の説明を受けコミュニケーションをしっかりとり、また職場や近所の知人や妻などの協力のもと、良い治療体制が整えられて、困難な心臓病を乗り越えて来ることができたようです。

このような体験記は貴重なものであり、この本の巻末には知人医師の解説や感想なども書かれていました。また、奥さんの手記もところどころに入っており、ご本人のみならず周囲に関わる人の視点での記録も読むことができました。

難しいバイパス手術や、ICD(植え込み式除細動器)の役割り、ICDに起きる誤作動や、植え込みに伴う感染問題と対策など、心臓病治療が一筋縄ではいかないことがよくわかりました。

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幸い、私にも私の周囲にも心臓の悪い人はいないのですが、冠動脈などが詰まらないように、食べ物や生活習慣にも気を付けたいものです。

なぜ、この本を読もうと思ったかといえば、以前、放送大学で「循環器の健康科学」というオンライン授業を受講したことがあり、少し関心があったからでもあります。

オンライン授業は教科書がないので、今となってはどんなことを勉強したのかよく覚えていないのですが、心臓は心房・心室などの血液の動きの仕組みは、なかなか難しくて理解できにくいものでした。

今回読んだ本で、心房細動は危険ではないが、心室細動は血液を送り出すポンプの役割を失うことで、即、命が危険な状況だと知りました。

放送大学では、運動が大切であり、心臓病になった人が治療後に運動を続けるか続けないかで、予後に大きな違いあるとのこと。運動を続ける人は健康を保てるということを習った記憶があります。1人で運動を継続することは大変なので、そういうプログラムのある場に継続的に参加することが有効だと言っていたと思います。

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人は有益な情報収集をするとともに、周囲の人々と連携して歩んで行くことが重要ですね。

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今回読んだこの本の著者である高松健氏は、著者略歴によれば、三洋化成工業の米国法人社長だった人です。

1999年に最初の心筋梗塞から闘病が始まり、2002年に退社。2006年にこの本が発行されています。
1937年生まれなので、御健在であれば84才ですね。
心臓バイパス手術(2001年)の時に、バイパスに使われた血管2本のうちの1本は動脈ですが、もう1本は静脈を使っており、静脈は動脈より長持ちしないとのことでしたので、それから20年経過した現在は、どうなられているか心配です。

この人の著書には、「少年期~レクイエムと初恋と~」というのがあるようなので、こちらも読んでみたいと思います。

 

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「獄中で聴いたイエスタディ」(瀧島祐介)

2021-08-11 23:23:59 | 読書

昨日この本の読書感想文を途中まで書いたのだけど、挫折しました。

色々書こうとすると、細部を再確認しなくちゃいけなくなり、難しいことに気づいたのです。

例えば、この瀧島祐介という著者は、犯罪を犯して警視庁に留置されていたときに、大麻所持で逮捕されたポール・マッカートニーといっしょになり、そこで、イエスタディを歌ってもらうという体験をしたのですが、それがどういう状況でそうなったのか・・・というのをこのブログを読んでくださる皆さんに説明しようとすると、なんかすごく長くなってしまうのです。

ですから、そういうことは全部省かないと書けないということがわかりました。

簡潔明瞭に書くと言うのは難しいことですね~

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瀧島祐介という人は、元ヤクザで、ポール・マッカートニーよりも3歳くらい年上になります。拳銃の密輸のことで仲間の裏切りにあい、その人を銃殺してしまい、懲役15年になりました。

それ以前にも驚くような極道な行いを繰り返してきた人でした。

その人が、留置所でポール・マッカートニー(37歳)と言葉を交わし、歌を聴かせてもらい、また、サインももらったことで、それを心の支えとして長い懲役刑を終えてシャバに出た後、更生することができたということです。

ポール・マッカートニーは、日本で留置されていたときの体験談として、刺青を入れたヤクザと交流があったことを話しており、著者のことを記憶していることがわかりました。

それで、ヤクザから足を洗った著者は、ポールに合いにデンマークまで行こうとしますが、公演が中止になったりし、やっと日本の公演を聴きに行けたのがポールが71歳、瀧島が74歳の時でした。

公演のあとも一言お礼が言いたいとポールとの接触を試みますが、会うことはできず、著者がポールの車に向かって横断幕を見せ、ポールがそれを見てくれたかもしれなかった、ということです。

著者は、日雇いの仕事や農業などをして暮らしています。

ここで、この瀧島という人が自分の人生とポールの人生を並行して、よく考えたりしています。

それぞれに、様々な人生の岐路や出来事がありました。(これもとても重要な内容ですが、書くときりがないので割愛します。)

著者が更生するのには、ポール・マッカートニーとの出会いも重要でしたが、著者を逮捕したときの警察の人の助けや助言、また妻や友人の助けもあったおかげだということです。

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この本が出版されたのは2015年で著者は76歳だそうで、今現在は2021年なので82歳。御健在であってほしいですね。

ポール・マッカートニーについては、私は、ビートルズの一員ということしか知らなかったのですが、イエスタディを作ったのは彼であり、これは失恋の歌ではなく、母親が突然亡くなってしまったことを歌っているのだと聞いたことがあります。

ビートルズの中ではポール・マッカートニーとジョンレノンの2人が甲乙つけがたく音楽の才能が有ったと言われていますが、ジョン・レノンは早くに亡くなってしまい、晩年まで音楽活動やその他の活動を続けてきたことでは、ポールが一番活躍してきたと言えるでしょう。

ビートルズのことは、あまり知らないので、これから色々知っていきたいと思います。

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この本を読もうと思った理由は、瀧島祐介氏という人が、最近私がyou tubeでよく見ている動画の懲役太郎=懲役猫太郎と似ていると思ったからです。どちらも獄中経験のある元ヤクザで更生した人だからです。

また、放送大学で「ビートルスde英文法」という科目を履修してビートルズにも興味を持っていたため、2つの興味をミックスして満たしてくれる本でした。特に、ポール・マッカートニーについては、色々と知ることができて良かったです。

 

 

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「辞めたいと思っているあなたへ」(木村盛世)

2021-08-01 18:29:33 | 読書

木村盛世さんというのは、テレビに時々出てくる感染症の専門家です。元厚生省の人で空港の検疫官などもしてきました。

この人は、初めて見たときに、「ずばっと意見を言っていて、態度がでかい人だな」と思ったことがあるのですが、夫が言うには「意外に正しいことを言っていて、いい人なのだ」とのことで、「へえそうなのか?」と思ったことがあります。

この人がyou tubeで新型コロナのワクチンについて話しているのをたまたま見たところ、長期的副反応等わからないことはわからない、とはっきり言っていたので、嘘のない人だなと感じました。

you tubeでの他の動画では、日常的には明るく楽しいイケイケおばさんみたいな感じであり、イケメンの若い医師といっしょにワクチン接種の仕事をしてきたなどという動画もありました。

それで、この人の著書でも読んでみたいと思いました。

著書は何冊かあり、最近は新型コロナについての新刊も出しているようです。また、以前のものでは、「厚生労働省崩壊」や「厚労省と新型インフルエンザ」という著書もあるようでした。厚労省に関するものでは、以前のものであっても現在の厚労省の体質の問題点も見えてきそうです。それで、どれでもいいから読んでみようと思って図書館で探してみました。

すると、そこにあったのは「辞めたいと思っているあなたへ」という2011年に発行された本だけでした。

この本を読む人は、おそらく仕事を辞めたいと思って悩んでいる人ばかりでしょう。あまり多くの人が読んだ形跡もなさそうでした。

私は仕事を辞めたいとは思っていないので、普通ならこのようなタイトルの本を今選ぶはずもないのですが、とにかくこれしかなかったので、この人の著書を読んでみようと思って、これを借りて読んだのです。

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この本が書かれたときは、木村さんはまだ厚生省に勤めていた時で、元々厚生省の体質とは肌が合わなかったようです。組織内の意見とは違うことを言うと阻害されたり、本を出せば嫌がらせをされたり、厚労省から空港へ左遷されたりと、色々悩むことが多く、ついには精神科にかかるような状態になってしまいました。

ただ、厚労省がこの人を必要としていないわけではないし、辞めたからと言ってすべてがバラ色の状況になるわけではない。組織を内部から変えるのは大変なことだが、だからといって異質な人が出ていけば良いというものでもない。

組織になじめず悩みを抱えている人は、仕事以外に打ち込めることを見つけたり、自分の味方をみつけたり、心の持ち方や生活習慣など、様々な対処方により、抑うつ状態から抜け出す方法がある。
また、人生の問題は職場だけではなく、家庭や様々なことがあり、人はみなそういう中で生きている。

実体験をもとに、対処法などが書かれていました。医師としての肉体や精神に及ぼす科学的説明も織り交ぜてわかりやすいものでした。

それは、大変参考になりました。

なによりも、読み始めたときから感じたことは、文体が簡潔でわかりやすく、読みやすいものでした。

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これを読んで、私自身も自分が組織の歯車であることを感じ、それが組織の中での存在理由であることを感じました。以前は意見を言って摩擦を起こしたこともあり、現在は妥協して適当にうまく働いていると感じます。摩擦が発生したときは、組織にも問題があり、自分にも未熟さや自分本位な部分があったと思います。会社では、最近私が文句を言わなくなったと思っているかもしれません。

こんなアラカンはもうやめてくれてもいいのだけどと思われているかと思いますが、それでも利用価値があるので、居ても問題はないとして雇用を続けていてくれるのでしょう。

完璧な組織というのはないし、それに対して馴染めない人を内包することによって、その組織は、少しずつ変化することもあるのだと思います。

確かに自分の職場を見ていても、新しいことを提言する人などが居て、その人の意見を取り入れたり却下したりしつつ変化したり進化したりしていると感じます。

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もし、仕事での居心地が悪すぎる人は、趣味などを見つけて居心地のよい場所を他に見つけるのが良いと思うし、とにかく物事を一面的に見ないで、多様性をもって対処したほうが良いということかなと思いました。

 

 

 

 

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