山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

ロマンスカーにて2

2008-03-31 23:23:26 | 未分類過去
帰りのロマンスカーは、小田原から何回も止まる電車だった。新松田・本厚木・町田・向ヶ丘遊園と、停車駅はかなり多い。
30分待てば新宿まで止まらない電車があったが、先に出るほうが、いくらかでも早く新宿につく。それに、全席指定だから、他の席で乗り降りがあろうと、こっちの知ったことではない。
電車に乗ったときは、そこそこ席が埋まっていたが、途中で降りる人も多く、空席の割合が多くなっていった。

本厚木か町田で、乗り込んできた客の中に、1人の中年女性がいた。
その女性は、私の前の席に来ると、おもむろにさらにその前の座席を後ろ向きに回転させて、向い合わせの4席ボックス型を作り、前通路側の座席に荷物をのせ、進行方向を向いているほうの座席を微妙な角度に窓側向きに回転させ、その窓側の席に陣取った。
ずいぶんと手馴れた手順に見えた。
女性は、シャケットとスカートというふうなビジネスにも通用するような服装であり、よくは見えないが、旅行ではないような大き目の荷物を持っていたようだった。また、スカーフやバッグなどの小物もあり、お弁当や飲み物もあり、それらの何点かの荷物を4席の座席とテーブルを使って、自分の思うような位置に配置し、靴を脱いで足を前方のシートの上に伸ばしたようである。

これは、前の座席の背もたれの向こう側で行われていることなので、私に見えたわけではないが、おそらくそんな雰囲気であった。

その女性の後ろの席に私の娘、私はその隣の通路側に座っていたのだが、その女性は、いきなり私の前のシートをリクライニングさせた。私たちの前のシートは微妙に窓向きに回転しており、リクライニングされ、妙に落ち着かない位置に停止した状態となった。

それから女性は、テーブルの上のお弁当と飲み物を食し始めたようだった。
この人はかなり忙しく、一仕事終えて帰るところのようでもあり、疲れているようで、電車の中で一段落というふうである。

それにしても、全席指定の電車のシートを4席自分のものにするという使い方はなかなかできるものではない。よほど、ロマンスカーを使い慣れていると思える。
確かに、向ヶ丘遊園などから新宿まで特急ロマンスカーに乗るような人はいないだろう。箱根から来たこの電車がいくつかの駅で止まるのは、大部分は降りる人のためのようだ。
電車が発車したあと、程なくして、乗務員がやってきて、この女性に話しかけ、特急料金を徴収していた。女性はなんら動じるふうもなく、当然のように手馴れた態度で切符を買っていた。
本来、あらかじめ特急指定席の切符を買わなければ乗れないロマンスカーではあるが、空席がある場合は乗ってから切符を買うことも可能なのだった。

そして、女性は食べ物を食べ始めたばかりだったが、携帯電話に着信が入り、電話を持ってデッキに出て行き「お疲れ様です」と応答している。それから、5分以上も話し続けている。雑談ではなく、仕事の打ち合わせのような表情である。

その間に、車内販売員の女の子が通路を通りかかると、おやっと私のところで反応し、「前の席が曲がっているので直しますね」と私に断って、前の座席の斜めに回転しているのを直して行った。
ああ、やっぱり変な位置になっていたんだ、と納得。もしかしたら、窓方向ななめ向きとか進行方向に真っ直ぐ向きとか、いろんな形に自由にシートが動くのかと思っていたのだが、やはりそうではなく、回転させる途中の中途半端な位置になっていたようだった。
新型のVSEなどは、すべての座席がもともと微妙に窓側を向いているようだが、この車両はそういう設定はないわけである。

女性は、自分が動かした座席が元に戻っているのに気がついたか気がつかないかわからないが、電話を終えて戻ってくると、弁当の続きを食べ、終わると今度は自分の座席をリクライニングさせてリラックスしているようだった。

いろんな人がいるものである。

通路を挟んで反対側には、二人連れの親父が、酒のつまみを広げながら、お互いにつまみを交換して楽しげに飲み食いしていた。

新宿着、20時49分のロマンスカーだった。

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落ち込みの休日

2008-03-30 21:28:07 | 未分類過去
桜が満開だというのに、花見にも行かず、家にこもっていました。

うっ、今、「桜が満開」って出すのに、すごく苦労してしまいました。
「桜がまん会」になっちゃうので、再び変換したら「桜我慢会」だって。
本当に言うことを聞かないパソコンだよ!

話がずれちゃったじゃないか。

桜を見に行くのも面倒くさいです。
桜は、そう遠くに行かなくても、そこらへんに結構咲いているんです。
にもかかわらず、でかけられない。
そのあたりが、精神的にアブナイ状況だと感じる。

桜って、どうしてあんなに淡いピンクなんだろう。
白に近いですよね。
あれが、もっと濃かったらどうなのかな~
なんて思いました。

花見に行くならカメラを持っていって、撮影したいと思うんだけど。
あの、淡さってのは、何かその微妙な美しさがそのまま映らないような気がして・・・
なんだろう、この気の重さは。
テスト受けるのに78点くらいはとれるけど、100点満点は取れないってことがわかっていると、
もうテストを受けるのもいやになるっていうふうな感じ。
100点取れないなら落第しちまえみたいな感じで、何か自暴自棄な精神状態。

格差の本なんか読んでたら、ますます落ち込んでしまった。

何を目標に生きて行ったらいいか、わかんないよ。


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下には下、上には上

2008-03-29 15:51:50 | 未分類過去
私が住んでいる地域には一戸建ての家が多いのですが、マンションもあり、社宅やアパート、都営住宅、区営住宅もあります。アパートはだいたい一人暮らし用で、世帯向けというのは少ないです。一戸建ての人は裕福な場合が多く、マンションもそうであり、銀行や一流企業の社宅はそれなりの広さと設備があります。そのほかに、公務員住宅(警察・自衛隊・消防など)があり、安い家賃でまずまずの暮らしをしているようです。公営住宅に運良く入れた人も、裕福ではないものの、それほど苦労はしないで暮らせます。

そんな中で、数少ない民間アパートに住む人ですが、古いわりには家賃が高く、子供を保育園に入れて共稼ぎしている人などがいるようです。夫は一流企業などではなく、高収入は望めないようです。
借家の場合、社宅か公営住宅に住む人が多くて、民間の家賃を払うならもっと遠くの郊外に住んだほうが絶対に安いと思うのですが、なぜかこの辺に住んでいます。

そういう人と、子供が赤ん坊の頃、話をしたことがあったのですが、梅雨時だったか「雨が降ると子どもをお風呂屋さんに連れて行くのが大変ですよね」というようなことを言われたことがありました。
「えっ?・・あ、ああ、そうですね。」
と答え、何か返す言葉もなく、この人の家は自宅にお風呂がないのか・・・と思いました。
この人は、自分やその近所にもそういう人が多いので、同じ年恰好の人を見ると同じような生活をしていると思って何も考えずにそう話したんだと思います。
たぶん同じような生活をしている人なら、
「そうですよね、あんまり雨がひどいとお風呂に行くのは中止にしたりするけど、子どもは汗をかくし、連れて行かないわけにはいかないから、毎日雨ばかりだと困りますよね」
というふうな反応が自然に返るはずです。
いくら自分の家に風呂があり、正直な人間だからと言って、「あっ、お宅、家にお風呂がないんですか?うちは家に風呂があるから、まあ、そういうことでは困りませんが・・・」なんて返事はできるわけがありません。
そのように、言葉を詰まらせたことが自分にもあり、その様子から相手が「ああ、この人の家にはお風呂があったんだ。変なことを言ってしまったな」と思ったに違いないことが察せられました。

それと同じように、私のような古い公営住宅の人間が、「冬はお風呂が沸くのに時間がかかって大変ですよね」なんていうと、「えっ、今時お風呂を沸かすの?」などと内心思われながら、「え?ええ・・・そ、そうですね」などという受け答えをされることがおき、あっ、今時、温水が出ない風呂の家は少なかったんだ、この人の家では温水がでるわけだな、などと思うのでした。

格差社会では、会話をするのも結構気を遣って大変なんですよね。
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精神的に苦しい理由

2008-03-29 13:33:34 | 未分類過去
「新しい階級社会 新しい階級闘争」の最初のほうに、東京都23区内の生活水準を比較した記述があります。
それによると、都心に位置する区(港区・千代田区・渋谷区)などは所得平均が高く、北のほうにある区(足立区・葛飾区・荒川区)などは低いのだそうです。それで、私が住んでいる地域(新宿・中野・杉並・世田谷など)は、山の手線の西側で、その辺の生活水準は23区全体の平均より高い地域であることがわかりました。

これを見て、我が家は水準の高いところに住んでいるんだ、と喜ぶわけにはいきません。逆です。つまり、周りに高級な人が多いので、「それに合わせるのが苦しい」わけです。

一番水準が低い足立区は、都営住宅が多く、小さな工場も多くて、生活保護や就学援助を受けている世帯が多いのだそうです。そういうところに住んでいれば、うちと同じような生活水準の人ばかりなので、無理をすることもないと思います。

私は自宅近隣で日本語ボランティアを5年以上続けてきましたが、2~3年くらい前から、やっていて苦痛になってきて、ついにやめました。
というのは、ボランティア仲間の生活水準が高すぎるのです。年に何回も海外旅行に行ったり、数ヶ月は外国で暮らす人などがいて、どうも感覚が合いません。
そういう人たちは、本人も高学歴ですが、エリートの夫とともに外国生活をしてきた人などが多いです。
日本語教室の仲間で外国料理を食べに行くと結構高いです。おまけに、留学生にはご馳走してあげたりもするのですが、我が子には食べさせたこともないような高級料理の店に行くこともありました。
日本語ボランティアは、外国人を自宅に招いて日本語を教えるということも普通です。しかし、公営住宅の我が家にはとても呼べません。また、日本人ボランティアだけではなく、外国人の生活水準まで高い人が多く、活動的でお金のある人が多いため、日本人よりも日本国内の観光地をよく知っていたりしました。日本文化についても詳しく、例えば合気道や空手を習っている人がいたり、能や歌舞伎、相撲などをよく見る人もいます。全く、日本人の立場がありません。
もちろん、生活の苦しい外国人もいるわけですが、地域の日本語ボランティア教室の中にも、日本人と外国人という区分けよりも、裕福な人とそうではない人という区分けが歴然としてきていました。高学歴高収入のエリート外国人の日本語学習者のグループの中に、難民のような貧しい外国人が混じるとそのひとは居心地が悪く来なくなってしまう。エリートは頭もよく日本語をよく覚える。金持ちの日本語ボランティアと旅行の話や外国の話に花を咲かせる。趣味感覚で日本語を覚え、日本人と交流を深めていく。
貧乏な外国人は仕事で忙しく、日常は単純作業で日本語もほとんど使わないため言葉を覚えるのも遅い。毎日働いているだけなので日本文化に接することもない。
そもそも話の材料が豊富にないわけです。どこへ行きました。何を食べました。そういう単純な会話練習の中にも格差が歴然としてしまう。

いごこちの悪い貧乏な日本人と貧乏な外国人はいなくなっていく。
そういうことなのかな~と思います。

職場にしても、子供を小さいときからお受験させて、質の良い小中学校に通わせている人が多く、仕事は暇つぶしと小遣い稼ぎという感覚の主婦が多いです。
ファミレスやファストフードなどは、食事としては認められない。
富士そば、吉野家、松屋、なんか問題外でしょう。
サイゼリアも主婦が行く店としては問題外らしいですが、高校生の食べ盛りの子どもなどが、小遣い内で行く店としては認めているようです。
そういう人たちの中で「風呂を沸かす」「洗濯物が乾かない」「テレビの音がうるさくて寝られない」なんていう言葉は禁句です。今時風呂を沸かす家があるのか?、乾燥機で乾かせばいいでしょ?、寝室のテレビじゃなくてご主人に居間に行ってもらうか、あなたが別の部屋で寝ればすむことじゃない?というちぐはぐなことになります。

ああ、疲れる。



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ものを買う基準

2008-03-29 00:57:11 | 未分類過去
このごろ、ものを買うときに基準とするのは、自分の時給だ。
1200円の本を買うなら、1時間ちょっと働いた分だな、と思う。
とすると、ちょっと残業したその分で本が買えると思うと、なんだか抵抗がなくなるのだ。

昼は最近はお弁当をほとんど作らない。なんだかもう月曜日から疲れていて、そのまま姿勢を立て直す暇もなく一週間が過ぎていく。
昼ごはんをどうするか考えると、コンビニでおにぎり程度を買えば300円以内で済む。
週に1回くらいはパートの仲間と一緒には食べずに、1人で外に出かけていく。最近気にいっているのは「日本そば」である。もともと蕎麦が好きなのだが、そばを食べると、午後の仕事中眠くならないということを発見した。実に快適に冴えた頭で働けるという気がする。それでいて、夕方になってもそれほど空腹感もない。消化に負担がかからないが、腹持ちも悪くはないように思う。
この「そば」、まともな蕎麦屋に行くと、1000円近くしている。一番安いのが、きつねそばってところで、750円くらいである。
それでも、1時間の時給より安ければ、まあいいかと思う。
勤務時間を1時間延ばして、その代わりに外食をしてお金を使っていたのでは意味がないとも言えるが、そばをたべることも人生の楽しみだ。プラスマイナスゼロになったところで、最初からないよりはいいだろう。
しかし、蕎麦屋に行くとやはり年輩の人ばかりだな~と思う。私も年ってことだな。
本当は、よく駅の構内にあるような激安の蕎麦屋で充分だと思う。そういうそばは300円台で食べられる。つゆもおいしい。でも、牛丼屋などと同じで「おやじ」が入るところという感じで気が引ける。同じ会社の人の目も気になるところだ。同僚はすぐにフランス料理だの手作りパンの店だのに行くので、蕎麦屋やラーメン屋というガラではないようだ。
昼休みは外食でそばを食べ、ついでに本屋をぶらぶらするなどというのが性に合っているようだ。

洋服を買うときも、数千円となると、何時間分だとか考える。6000円くらいなら、1日働けば買えるぞと思って、そのくらい奮発してしまえと思って買ったりする。

そうやって、1時間分だ2時間分だ、軽い軽い、などと思ってよけいな物を買っているわけだが、
塵も積もれば山となる。
恐ろしいことです。
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格差社会

2008-03-29 00:24:50 | 未分類過去
今、「新しい階級社会 新しい階級闘争 格差ですまされない現実」(橋本健二著)という本を読んでいる。
この本は、彼岸で実家に帰る時に、電車の中で読むのにちょうどいいと思って持っていった。

実家では、母がたまたま「ホームレス中学生」のことをテレビで見たと言い、私もその本を読んだことがあるので、その内容のことで話がかなり弾んだ。
貧乏つながりで私がこの本を取り出し、今これを読んでいるんだと見せると、母はとたんに引き始めた。
「なんだね、あんたそんな本を読むのかね。バカに難しいものを読んでるじゃ」などと言う。
「べつに難しくはないよ」と答える。

そういえば、確かに固い題名かも知れないが、文章は平易で具体的なので、非常にわかりやすい。もし、母に読む気があるなら、私が読んだ後 母にあげてもいい。だが、母は「私はそんな本を読むのはまっぴらごめんだ」という態度を示した。
母は中学生でホームレス生活をしたという一個人の体験は面白がって興味を持つものの、それ以外には関心がないようだ。「ホームレス作家」の話もしたのだが、ほとんど乗ってこなかった。

そして、「新しい階級社会~」なんていうこの本は確かに楽しそうな題名でないかもしれない。結局のところ、格差を感じて問題意識を持っている人間だけが関心を持ち、読みたくなる本なのかもしれない。
私が本を見せたときの母の反応は、この本を読むということに対して批判的な、どちらかというと、そんなもの読むなというふうな雰囲気でもあった。

この本は嫌いなようなので、母に「ホームレス中学生」を読むといいと薦めたが、買ってまで読みたいとは思わないと言っていた。本は高いのだという。
そういう母は、私よりはずっと裕福である。あのくらいの年代の人というのは、若い頃は戦争などあって苦労したようだが、その後は年功序列・終身雇用・高度経済成長の時代であって、給料も順調に増えていき、退職金を貯金すればそこそこの利子がついたし、今は年金生活となっているものの、貯金と年金で何不自由のない暮らしをしているのである。

そういう人間に、負け組みになってしまった人間の心情などわかるはずもなかった。夫がリストラに会い、今現在契約社員になってしまっていることについても、夫がダメ人間であり、そこに原因があるからだというふうに思っている。まともな夫を持っていれば、妻は働かないに越したことはないという考えである。
母に言わせれば、私たちが持ち家をもてないのも、単行本を買ったり外食をしたりして浪費しているからであり、そのようなことにお金を使わず節約すれば家も建てられただろうと考えている。

しかし、単行本代と外食代で家が建つわけはない。別にまとまったお金が確保できた上に、プラスアルファとして節約というものが意味を成す。
家を買うお金もためないで贅沢をするなというなら、何も楽しむことのできない人生となる。おんぼろの極小住宅に住んでいるからこそ、数年に1度くらいは一流ホテルに泊まったりして優雅な気分も味わいたい。しかし、母はホテルに泊まったりして浪費しているから家も建てられないのだと言い、原因と結果が逆となって捕らえられる。

まじめに働いていれば誰もが安定した正社員でいられるという時代は終わった。正社員でない父親、パートタイマーの母親、お金がなくて進学できず定職もみつからない子ども。そんなすさんだ家庭がどれだけあるだろうか。うちなんかはまだいいほうである。

それをわかってもらうには、こういう本を読んでもらいたいが、それは無理なようである。
貧乏な私はこの本を1200円出しても読みたいが、裕福な母は単行本なんかに金をかけるのはいやだという。

そんなもんなんだね。
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廃れた喫茶店

2008-03-28 18:49:34 | 未分類過去
4時に会社を出ると、外はかなり明るいです。まだまだ昼間です。
そんな中で、ふと会社のすぐ近くに喫茶店があることを発見しました。
その喫茶店、3年間も通っていたのにそこにあったことにも気がついていなかったんです。
営業してるんだかしてないんだか?という感じですが、やっていないわけでもなさそうであり、しかし、お客さんがいるとも思えない雰囲気でした。
喫茶店ならば軽食もやっているんだから、お昼を食べようと思えば食べられないこともないはずですが、どうしたって誰もそこに入ろうとはしないだろうと思えます。
会社員のみならず、通りすがりの人がコーヒーでも飲んでいこうか、とも思わないような雰囲気でした。普通の一戸建ての建物で、1階が喫茶店、2階は普通の住まいのようになっていました。その通りは、不動産屋や八百屋や、他の食べ物屋や中小企業の事務所などがありますが、どれもぱっとしない店ではあります。その喫茶店も、昔ながらの近所の常連のような人だけが利用しているのかもしれません。べつに売り上げなんかなくてもいいのかもしれません。

その喫茶店を見て思い出しだのですが、昔OLをしていたころ、会社帰りに社交ダンス数回限りの基礎コースを習いに行ったことがあり、それに行く前に夕飯を食べようとしたことがありました。
しかし、その会場のそばは廃れた雰囲気で、夕飯が食べられそうな店がなかなかみつからないのです。
1人で食べ物屋に入るという経験もほとんどなかったので、心細かったのですが、外にグラタンやスパゲッティーのメニューが出ている喫茶店のような小さな店をみつけ、思い切ってそこに入りました。間口が狭く縦長で、でも3~4組くらい4人がけのテーブルとソファーがあったと思います。お客さんは誰もいませんでした。
そこで、グラタンを注文したら、ないとの返事でした。それでスパゲッティーを注文しましたがそれもないとのことでした。ピラフを注文してもありませんでした。それなら何があるのかと聞くとサンドイッチならあるとのことで、しかたなく食べたくもないサンドイッチを食べました。そのサンドイッチさえ、何か仕方なく作ったという感じでした。
そのお店、今になって考えると、スナックっていうものなんでしょうか。本当はもっと遅い時間にやっていて、軽いつまみや飲み物やお酒なんかが出るのかな、と思います。
でも、カウンターがあるわけでもないし、カラオケ装置があるわけでもないので、なんだかやっぱりわけのわかんない店でした。外にメニューを出しておいて、それがないっていうのはどういうことなんだろう。
営業しているのに、お客さんには来てもらいたくない。一応店は開けてるけどこんな時間には客は来ないはずだって思ってる。気心の知れた近所の常連さんだけが決まった時間に来て、今日は何があるの?というふうな感じなんでしょうか。最初はちゃんとやってたけど、お客さんが来ないから、そのうち食材も用意しなくなっちゃったのかな。

その当時は、そういうものを嗅ぎわけることができなかったんですね。いや、ちょっと変だな~とは感じたんだけど、招かざる客っていうか、KY客だったんだな~。
結局、その店は、私が食べて出るまで、他のお客さんも誰も来なかったですね。

今の私がもしその店に入ったとしたら、「こちらは、食べものを出す店じゃなかったの?外にメニューがあったんで食べられると思って入ったんですが・・そうなんですか、それじゃあいいです。」と言って出てくるだろうと思います。

なんか、間が悪いな~と思いつつ、食べてお金払って出てきたな~
居心地悪い店だったな~

ま、今日発見した店もその部類って感じ。
間違いない。



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ロマンスカーにて

2008-03-27 22:43:19 | 未分類過去
休日の昼のロマンスカーはもう残り座席が少なくなり、新宿駅の切符販売所では、空席がわずかであることを示す△印が表示されていた。それでも予定通り、小田原までノンストップの新型車両に乗ることができた。
発車10分前に乗り込むと、周りはまだ空席があったが、しだいに乗客が乗り込んで来てシートが埋まっていく。
私の席は通路側で、窓際には誰も座っていない。
通路を挟んで反対側には窓際に女性が一人座っていたが、トイレにでも行ったのか一旦席をはずした。そこに家族連れがやってきた。家族連れとは言っても子供づれではなく、大人の家族である。主婦と思しき主体となる女性と、おやじを含む男野郎が数人。
その人たちは、該当の席をみつけながらも、なぜかダンゴのように固まって通路にはみ出ている。そこに大きな荷物を持った客が通りかかり、力任せに突進して通り過ぎて行った。
「何なの、今の。信じられない。」主体となる女性は無謀な通行人に非難の視線を浴びせたが、通行人はそ知らぬ顔ですでにかなたを歩いている。
主婦は気を取り直し我が席に座ろうと振り返ったが、そこには男野郎が2人ぼさっと立っている。
「なんで、ここに立ってるの。あなたたちは後ろでしょ!意味わかんない。」
男野郎どもは女に叱られ、二人揃って急いで後の席に座った。おそらく、どこが自分の席なのかわかっていなかったのだろう。車両は漸く落ち着いた。

座席はほぼ埋まっているが、私の隣はまだ空いていた。
これは、故郷のほうに向かう電車である。だから、もしかしたら故郷の知り合いが乗ってくるかもしれない。もし顔見知りだったら、何か話をすることになるのかなあ。
そう思うと、ちょっと面倒くさい気もするが、ちょっとワクワクもしてきた。

そして、そこにやってきたのは、なんと、高校時代の同級生のM彦だった。
M彦は缶コーヒーと小さなボストンバッグを持っていた。年を経て確かに中年になっていたが、その雰囲気は昔と変わっていない。
あ・・・飛鳥さん?・・ですよね。あっ、僕の席ここです。
今から田舎に帰るんですか? 僕も帰るところなんです・・・じゃ、着くまで一緒ですね。

な~んてことになる可能性があるかも・・と思ったのだが、そんなドラマのようなことが起こるわけはない。
発車間際に、もしゃもしゃ頭のロングヘアーの女性がやってきて座った。
この女性、「家庭」という匂いのしない人間である。匂いと言えば、この女性が座ってからというもの、化粧と酒の混じったような、そう、確かに両方の匂いがしていた。
女性はそう若くはない。40前後だろう。なにやらしきりに髪の毛を払うように整えている。前座席の背に備え付けられたテーブルを開き、そこにルイヴィトンのバッグを載せ、コンパクトを開き、鏡をのそき込んで化粧を直し、そしてやたらにため息をつき、やたらにあくびをしていた。落ち着かないヤツだ。
しかし、そのうちテーブルの上に突っ伏して寝ている。板のテーブルには耐重量10キロと書いてある。人の頭と腕で10キロ超えるのではないかと心配だ。

電車が走り出すと、周囲ではコーヒーを頼んだり、弁当を食べたりし始めた。通路の反対側の先ほどの主婦もまぐろの寿司をほおばっている。電車の中には様々な食べ物の匂いが立ちこめ、私は左から食べ物、右から酒と化粧の匂いに包まれてしまった。

そのうち、隣の女は身を起こし、車内販売の係員が近くの席に注文の品を届けていると、手を上げて呼びとめた。
「すみません、コーラはありますか?」
その話し方がちょっと日本人ではないような気がした。ロマンスカーには外国人も多い。
特に最近は箱根に人気があるそうだ。温泉と富士山があるからだ。そして、見たところ見分けのつかない台湾や中国、韓国の人などが乗っていることも多い。
以前、外国人に日本語を教えていた私は、外国人だと思うと、とたんに親しみを持ち、どちらから来たんですか?などと聞きたくなってしまう。しかし、この人は外国人ではないかもしれないし、もし外国人だとしてもそんなことで急に親しく話しかけるのはよそうと思った。
外国人か?と思ったのは、コーラを頼んだということもある。日本人の中年女性はコーヒーを頼む人が多い。一方、私が今まで付き合ったことのある中国人はコーラを飲む人が多かったのだ。
車内販売員がコーラを持ってきて、280円と告げると、「えっ?」と言ったが、300円を出し、20円のおつりを受け取っていた。
そうだよ。グラスいっぱいのコーラが280円ってのは高いよね。私はぺっトボトルのウーロン茶を飲みながら思った。確かに、きれいなグラスに氷まで入っているけどね。

女は、テーブルの上に置かれたコーラのグラスを手に取ると、ちょっと振って、それからストローで一気に飲み干した。本当に一気である。よほどノドが乾いていたのだろう。まだ足りないと見えて、氷だけのグラスの底を更に吸ったが、ないことがわかり終了した。
つまり、この女性は明け方まで酒を飲んでいて、のどが渇いているとともに、けっこう疲れているらしい。コーラを一気飲みすると人心地ついたようだった。
それから、ほっとしたように席によりかかって眠っていた。
この女性は少なくとも外国から日本に来た旅行者ではなく、日本で暮らしている者だった。

電車は小田原に着き、私は降りる。電車は箱根行きであり、隣の女性も通路の反対側の家族連れも箱根まで行くようだった。







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付箋

2008-03-26 22:10:02 | 未分類過去
ブログのテンプレートを青に変えました。ちょっと前は桜のピンクのテンプレートでした。
ピンクはけっこう好きな色ですが、青は青でちょっとクールな感じでいいかな~と思います。
私は比較的頻繁にテンプレートを変えるほうですね。

ところで、そんなことで思い出したんだけど、仕事でよく付箋を使います。
書類の中に訂正する部分があったときに印としてつけるものです。
この付箋、いろんな色があるんですが、私が好きなのは本当は黄色か黄緑なんですね。
黄色は明るくてさわやかな感じがします。黄緑も明るく自然な感じですね。
だから、事務用品の引き出しの中に黄色か黄緑の付箋があったらだいたいそれを持ってきて使っています。
それがないときは、ピンクかな。
ピンクは華やかでいいのですが、ちょっと甘ったるい感じがします。
それで、一番敬遠しているのが青の付箋なんですよ。青の付箋は地味で沈んだ感じがするんですね。
こんなものは男の社員が使えばいいだろうと思って、いつもは持って来ないんです。

ところが、このあいだ備品の引き出しを開けると、青の付箋ばっかりごろごろしてるじゃないですか。
ありゃ、青が嫌いなのは私だけじゃなかったのかと思いました。
男性の社員が断然多いのに青が残っているということは、男も黄色やピンクが好きなのかもしれませんね~
他の色もあるにはあったけど、封を開けた付箋の青ばかりが取り残されていたので、
よし、それじゃあ私が使ってやろうじゃないの、と思って、3束くらい持ってきました。
この残り物の青の付箋、この忙しさでたくさん使いました。
でも、使ってみたら、これも意外にいいじゃないかと思ったんです。
浮ついてない感じでサ。
真面目にクールに仕事してるって雰囲気だな~、なんてね。
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わかんないな~

2008-03-25 21:45:49 | 未分類過去
いつも読んでいたブログがあるんですが、その人が新しいブログに引っ越すってことで、古いほうはもう更新しないので、新しいほうを読んでくださいと書いてありました。
その古いほうのブログ、自分の紹介に「男性」って書いてあるんです。
でも、いつも読んでいたら、なんか女っぽい人だな~と思うことが多々あったんです。たとえば、アンアンを読んでいるってのは女性誌だから、あれ~男性でもアンアンを読むのかな~と意外に思ってました。
でも、女性の写真やイラストなどが載っているし、化学系の仕事を専門にしていて、専門的なことを書いているときには男性って感じなんですよね。
う~ん、でも女性の写真やイラストを載せるあたりの行動はやっぱり女っぽいかな~
男性にしては、女にあこがれたり、思いつめるタイプかな~などと思ってました。

ところでですよ、その新しい引越し先のブログの自己紹介には「女性」って書いてあるじゃないですか。名前も女性みたいだし・・・。

あっ、やっぱり女性だったのか~と思ったんですけどね。

でも、男性って書いてあったのは間違いなのかな~
男か女か選択するときに間違えるってことはあると思うけど、そんな間違いにずっと気がつかないで放置しているはずもないですよね。
女性が男性のふりをしていたのかな~と思ったりしましたが、それとも女性の心の男性なのかもしれません。
まあ、男性でも女性でもどっちでもかまわないんですけど、どっちか前提とする意識で、同じことが書いてあってもかなり受ける印象が違うもんだなと思います。

そして、ブログってのは事実とは違うことが書いてあることもあるんだろうな~と思ったりします。



だれも私が本当は男だと言うことは知らないだろうし、実は大金持ちで豪邸に住んでいるんだし、実は独身だし、・・・・な~んて、

それはウソだよ~ん。

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放大卒業式

2008-03-25 21:05:07 | 放送大学
今夜は家に家族がいないので、いいかげんな夕飯を食べて転寝をしたあと、ふとテレビをつけたら、放送大学の卒業式(学位記授与式)の様子が15分ほど放送された。
そうか、もうあれから1年経ったんだな~と思った。
自分が卒業したときは大して感動もしなかったが、インタビューに答える喜びの声など聞いていると、いいもんだな~と思えてきた。
たくさんの大学で卒業式が行われたはずだが、今年はテレビで卒業式の様子が放送されたのを一度も見ていない。娘の卒業式もいったいどんなものであったのか、その空気に触れることはなかった。でも、放送大学はもともと放送の大学だから、放送され公開される点では特権である。
そして、普通の大学は、入学して4年経てば卒業するのが当然だが、放送大学の場合は仕事をしながらの社会人が多いので、一応それなりの意志を持って取り組まなければ卒業にこぎつけない。だから、卒業もひときわ喜びが強いような印象を受けた。
式は毎年NHKホールで行われる。学習センターは東京の場合、筑波大・学芸大・一橋大と国立大学と併設されているところが多い。放送大学とは「国立」のような感じがするが、特別な大学で、一応私立大学なのだそうだ。
今日の卒業式の放送では、6つのコース全てを卒業したという人たちが数人並んで紹介されていた。どの人も年配の男性だった。やはり教養がありそうな雰囲気の人が多かった。
1人の人は14年かかったと言っていた。6つのコースを14年で出てしまうというのは、考えてみればすごい速さである。私も6つやってみたいものだと思ったが、何年かかるかな~。1つに6年かかっていたら、あと30年くらいかかるけど、そうすると80歳近くになってしまう。5年で25年、4年で20年、なんとか60代のうちにできるかな?
何か特別に研究したいことがみつかったら大学院もいいなあ~、などと空想だけが広がっていった。
とにかく、気を引き締めて今やるべきことをやらなくちゃいけない。

振り返ると19年度は悲惨だった。1学期に「物理の考え方」と「博物館経営・情報論」の4単位を取り、2学期は「実験基礎有機化学」の面接授業の1単位を取っただけである。
そのほかに履修したものの挫折したものがいっぱいあって書くのも恥ずかしい。
2月には「光の化学」の面接授業を申し込んであったのだが、娘のアパートの引越しとぶつかり、結局受講できなかった。それでも、たった1単位でも0よりはマシだ。そのほかに単位には結びつかなかったけど少しは知識となって残っているものがある。
自然科学系の専門科目はまだひとつも単位が取れておらず、あと36単位とらなければならない。
今年こそは、地道にしっかり勉強し、単位を取ろうと思う。

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墓参りにて

2008-03-25 01:44:55 | 未分類過去
今日は、いつものごとく仕事をし、特に何もなかったので、彼岸の墓参りのことを書こうと思います。

墓参りの仕方というのは、まず、本堂にお参りして、それから位牌堂にお参りし、最後に自分の家の墓を参るのが正しい順番だそうです。
でも、うちの場合、家からお寺に向っていくと、まず墓があり、その先に寺があり、それが傾斜地なので、上ったり下りたりするのが大変なため、自分の家の墓参りだけをして帰ってしまうのが手っ取り早いのです。
だから、お寺に行くのを省いてしまうことも多々あります。
あるとき、まず本堂をお参りするべきですよと和尚さんに教えられました。本堂に行かないのはウチだけではないようです。そして、正しいお参りの仕方を教わったあとも、相変らずお墓だけで帰ってしまうこともけっこうあります。それは、膝の調子の悪い母が、階段などを上り下りするのが大変ということもありました。

先日も、自分の家のお墓だけで帰ろうとしていたのですが、母がいつも放置されている墓があるからちょっと見てみようか、などと言い出して、その墓を見に行きました。そのお墓は近所の家のお墓で家族も普通に住んでいるそうですが、仏様が2人くらい入っているのに、まだ石塔も立てず彼岸にもお参りに来ていないらしいとのことでした。「仏が2人入っていても石塔が建ててないのはウチ(義母と義兄の墓)も同じだよ」と言うと、うちは実家の母が草取りや掃除などこまめにしているし、私たちもちゃんと墓参りしているのでわけが違うと母が言いました。
行ってみるとやはり墓参りされた形跡もなく放置されているようでした。
こういうお墓にお参りすると仏様がさびしがってついてきてしまうので、お参りするものじゃないんだって、と母が言い、母の知り合いにその仏様と面識のある人がいるそうですが、そういう理由でお参りはしないのだ、とのことです。
それでは、さらに誰もお参りしなくなってしまい、さらに仏は寂しくてしかたないのではないかと思ったしだいでした。
そして、母のように「どうなっているか見てみる」なんていう人が、見るだけ見て通りすぎて行くのでしょう。その墓について話す近所の人たちは、その墓を放置している家族に非難を向け、とんでもない家族だと噂をしたりしているようです。
ことさらそういうものに注目し、他人のことをとやかく非難するのは、あんまり気持ちのいいものではないです。何か事情があるんじゃないの?忙しいとか、具合が悪いとか、宗教が違うとか?などとは言ってみたものの、やはり近所に住みながら同居していた親のお墓参りもしないというのは違和感がありますね。

そのお墓を見るために足をのばしたら、知り合いの人のお墓もあったので、そこにはお線香を上げてきました。そしたら、本堂が近くに見えたので、本堂に寄ることにし、位牌堂にも行ってきました。
本堂には線香が常備されていて、それをあげればいいのですが、本来はお香は自分で持っていくものなのだそうです。これも、以前和尚さんから聞きました。だからと言って、自分でもってこいという意味ではないけれど、そういうものだという意識が必要なのでしょう。お賽銭箱もあるので、少しのお賽銭を入れました。それを即、お線香代と考えるのはちょっと合理的すぎるような気がしますが、母は線香代だと言っていました。神社などではお賽銭を、願いをかなえてもらうための、お礼の気持ちを表わすお金のように思ってしまいがちですが、本当はそれも変かもしれません。
その本堂には、「お墓参りにお線香を使う方は、ここからは持っていかないで、別に売っているので、買って下さい」といふうなことが書いてありました。
ということは、自分の家の墓のお参りをするのに、お線香を持参せず、この本堂に置いてある線香を拝借して使ってしまう人がいるということのようです。そんな非常識な人もいるのかと驚きます。うちも仏事のやり方などはよくわかりませんが、いくらなんでもそんなことはしません。お寺も大変ですね。

その後、位牌堂に行こうとすると、母が「そんなところまで行くのか」と省略したがりました。せっかく東京から墓参りに行って、本堂まで行っておきながら、位牌堂に行かないということもなかろうと思い、どうせならするべきことを一通りやるんだと言って行ってきました。位牌堂にも線香は用意してあるのですが、そこには「一本ずつ」という注意がきみたいなものが書いてありました。
確かに、一人一人が何本もあげるとお寺のほうも線香の消費が大変なんでしょうね。
本堂や位牌堂に足も運ばない人ばかりというのも困り者ですが、寺の線香を使い放題というのも困ったことのようです。

彼岸は墓参りの人が多く、墓も花できれいになっていますが、彼岸が終わって花が枯れても片付けない人が多いと聞きます。そうするとお墓はとても汚くなります。食べ物を備えたりすると腐ったりカラスが荒らしたりもするでしょう。それも、お寺の側としては悩みの種のようです。彼岸だけ盛大に墓参りすればいいと言うものではないのですね。

お寺の注意書きなどから、本来あるべき仏教の信仰心が欠如している人が多い様子が垣間見られるものでした。


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墓参り

2008-03-23 23:40:58 | 未分類過去
彼岸なので、昨日から実家のほうに墓参りに行っていました。
金曜日に1日休みを取れば、春分の日の木曜から4日間の休みになったのですが、仕事がたくさんたまっていて休めるような状況ではありません。でも、春分の日の休みに洗濯などの家事をしておけば、土日に出かけるのに都合がいいです。
しかし、木曜日は雨でひどい天気だったので、結局洗濯などはほとんどできませんでした。
金曜の夜は疲れてしまい何もせず、結局土曜の午前中に掃除や洗濯をしてから出かけ、実家についたのは土曜の夕方で、結局日曜の今日墓参りに行き、それが済んだらすぐに戻ってくるという忙しい日程となってしまいました。

でも、目的が墓参りだから、墓参りができればそれでよしとしましょう。
何か、墓参りにこだわっているようですが、少なくとも彼岸と盆正月は、田舎に行こうと思っているのです。それは、墓のためというより実家で一人暮らしをしている母のところに行く機会をつくるということでもあります。
そのほかにゴールデンウィークにも行きますが、母も元気とはいえ年をとってきたので、1か月おきくらいは足を運びたいと思っています。
行ったときは、何か手伝いでもしてやろうと思うのですが、結局は母にご飯の支度や片付けなどをしてもらってしまう状況です。まあ、顔を見るだけでも行かないよりはいいだろうし、母が元気なうちは、こっちが世話になるくらいでもいいかと思っています。

今日はもう彼岸も最後の日ですが、さすがに彼岸だけあって、どの墓にも花が飾られ、にぎやかになっていました。死んだ人はお墓になんかいないといわれていますが、だからといって放置されている墓よりもやはり、きれいに整備され花や線香があげられている墓のほうがいいでしょう。そして、それを機に家族が集まって故人を偲んだり、団欒の場を持ったりするのはいいことだと思います。

今回は、日程の都合上、長女と私だけで行きました。長女は就職したら忙しくてなかなか行けなくなるということもあり、3月のうちに行っておこうということでした。
次女はバイト、夫も仕事で行けなかったのですが、次女はゴールデンウィークや夏休みなどもまだまだ休みはとれそうなので、次の機会にすることにしました。

とにかく、時間に余裕がないとか、誰かが行けないとかいって、ちゃんと時間の取れるときや全員の予定のつくときなどを選んでいたのでは、なかなか行く機会がありません。
だから、彼岸中に行ってくるということを決行したしだいです。

明日は、また日常にもどり、いつもの仕事です。がんばろう!



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ライブW 卒業のうた (つづき)

2008-03-22 01:33:38 | 未分類過去
「卒業」って、なんか胸がきゅーんと痛くなるような気分がします。
この「卒業の歌」のライブで、誰もが通ったような学校の教室の写真や生徒の姿などがスクリーンに映し出されたときも、そうでした。
そうです、卒業式が懐かしいのではなくて、卒業をする以前にあった世界、その今はもう過ぎ去った世界を思うから、胸がキューンとなるんでしょう。

でも、考えてみると、学校というところは、人生のほんの短いいっときの時間しかなかったんですよね。友人やクラスメートと過ごした時間も、人生の中ではほんの一瞬のようなものです。にもかかわらず本当に貴重なひとときだったんだなと思います。

ライブで暗闇の中でギターの音合わせをする音が、文化祭のステージを思いおこしたりするんですね。歌の好きな男子なんかが、下手ながらも一生懸命歌を歌ったりしてました。教室に暗幕張ったりしてね。文化祭ってのも学校を思い出す大きな要素だったな。
そして、体育祭とかも、体育が好きでもないし、そのクラスが特別まとまっていたわけでも大好きなクラスだったわけでもないのに、今となってはすごく懐かしい気がします。

たまたま同じ年に生まれてたまたま同じ学校に入り、一緒に学び、大人へと歩んでいった仲間は、やっぱり人生の中の貴重な出会いだったんだと思う。
だから、特別仲良くしていたわけでもなくても、その一群を構成していたひとたちってのはすごいつながりだと思います。

森山直太朗さんが「諸君」という歌を歌う時に言っていたようなことだけど、長い宇宙の歴史から見たら今ここにいる人たちのこの時代もほんの一瞬にしかならない。だから、今いる老人も赤ちゃんも同じ時代の人だといえる。ここにめぐり合って同じ時代に生きるものとして力をあわせ愛を持って生きていきたいものです。
この時代に生きている人たちは、学校にたとえれば同級生かもしれません。
そして、同じ時に同じ場でいっしょにライブを見ているということも、偶然のめぐり合わせですが、共に同じことを感じたり感動できるのはすばらしいことですね。

出演者の誰かが言っていたようですが、卒業っていうのは、学校に限ったことではなく、何かを終えることであり、そしてそれは何かを始めることでもある。人生を終えることは人生の卒業ということになるのでしょう。
だから、人生の中のさまざまな卒業を大切にしたいと思います。

今、やっていることもいつかは卒業するときが来るのでしょう。終わってしまったときにそのすばらしさを感じたり、もっとああすればよかったこうすればよかったと振り返ることもあると思います。だから、今現役でやっていることを悔いのないようにしっかりやりたいと思いました。

たとえば、今勤めている会社の人たちも、学校で言えばクラスメートや先輩や後輩や先生と同じことです。同じ場所でいっしょに物事に取り組む仲間として貴重な出会いといえるでしょう。

放送大学。これはおもしろいです。何回も卒業できます。
人間の探究コースのときは、ずいぶん手抜きだったけど、今度はもっとしっかりやろう。
何回も入学でき卒業もできるとはいえ、そのときそのときは一度きりしかない。
今の自然の理解コースも1年目は脱落寸前ってところでしたが、後で後悔しないようにちゃんと頑張らなくちゃいけないと思いました。
今度の卒業式は美容師になった娘に袴でもはかせてもらおうかな~
そんなことより、まず勉強だな。

家族。子どもも上は大学を卒業し就職も間近、下の子も来年は専門学校を卒業し就職です。もうすぐ親卒業かもしれません。親らしいことぜんぜんしてないから、少しはちゃんとしなくちゃな~

コンサートを聞きながらも、いろんなことを考えてしまいました。

あっ、また肝心な歌については何にも書かなかった・・・。
また、あらためて。

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ライブW 卒業のうた ~songs for tomorrow~

2008-03-22 00:50:59 | 未分類過去
春分の日の昨日、上記のライブを見に行ってきました。
出演は、今井美樹、川江美奈子、秦基博、一青窈、平原綾香、森山直太朗、LOVE。
歌唱力のあるこの人たちの歌と楽しいトーク、卒業をテーマにしたスライド画像(ナレーション石田ゆり子)の挿入、の構成で、とてもすばらしいひと時をすごすことができました。このライブは来週の土曜日にWOWWOWで放送されるそうです。テレビも見ようと思います。

チケットは夫がWOWWOWの懸賞に応募して当たったものでした。夫は当たり運のない人なのですが、めすらしく当選しました。よくやったぞ!

場所は、有楽町駅前の東京フォーラム。東京の西側に住む私はあまりこっちの方面には足を運びません。でも、ここ1か月のうちに、有楽町には3回も行きました。(映画・美術館・そしてこのライブ。)しかも、どれも無料のチケットをゲットしてのことでした。ラッキーです。
何か、有楽町に縁があるのかな~

さて、ライブというものについて書こう。
私の場合、こういう有名人の歌をナマで鑑賞するっていうのは、滅多にありません。
さすがにプロだな~と聴きほれました。やはりナマは違いますね。
同時に舞台の照明とか効果とか、放送のためのビデオ撮影の様子など、あらゆるプロの技に対して感動しました。

ナマの舞台に遭遇するのは本当に久しぶりでした。
出演者はもちろんだけど、裏方やスタッフの人の緊張感っていうか、その人たちが持分の仕事を全うしている様子がなんともいえなく好きなのです。
私は以前演劇や吹奏楽をやっていたことがあるんですが、あの幕が開く前の緊張感、暗い舞台での音合わせの雰囲気などを思い出し、それと同じ雰囲気を感じることがたまらなくなつかしいというか、好きなんです。
それから、本番を照らすライトやそれぞれのカメラ撮影、また、そのカメラとカメラマンをレールの上で右へ左へ移動させるスタッフの仕事など、時間の進行とともにしっかり実行されていく様子が好きなんですね。

そして、そういうのを見ると、結局昔自分が演劇部でやっていたときの効果音とか照明とかの作業も思い出すし、また演技者として舞台袖で待っているときの気分や、演奏者として舞台の照明が明るく照らされる瞬間などを思い出すのでした。

演奏が始まる前の暗いステージの上で準備をするスタッフ人たちの様子を見ながら開演を待っていたんですが、その時にいろいろと思い出しました。

昔はプロの演劇をよく見たものでした。短大・OLのころは1ヶ月に1舞台は見ていたと思います。それが、いつしか見なくなってしまったのは、なぜかな~。
もともと、生の舞台を見るのは、自分が演劇を作るものとして、その参考という気分で見ていたんだと思います。それが、観客で始まり観客で終わる観客の立場としての趣味の鑑賞だったら私は舞台なんか見ないんだ、という意識があったように思います。
それで、結婚したり子どもが生まれたりしたこともあって、ぷっつり舞台を見なくなったんだけど、今はもう観客以上でも以下でもなく、観客そのものとして演劇でも音楽でも楽しみたいものだな、と思いました。


やっぱり、ほんものはいいなあ~

あっ、このライブについてはまだ、全然書いてないんですが、長くなるので、ひとまずここで終了します。
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