山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

花のない藤棚シリーズ

2013-05-30 21:25:22 | 日記
万人向けの話題なんてない
日ごろ、自分はどうも、好みや関心事が普通の人と違っているのではないかと思う。でも、ふと思ったけど、それは誰しも同じなのかもしれない。世の中に、一般的な人が、絶対多数いるわけ...


gooブログから1年前の自分の記事が送られてくるので、それを使って記事でも書いてみようかなと思います。

昨年の今日載せた写真は、神代植物公園のバラ園です。実は、今年も行ったのですが、ちょっと遅かったです。
バラフェスタが終わった翌々日くらいでした。
ちょっとくらい遅くてもバラが急に消えるわけじゃなし・・・と思ったのですが、それが結構大きな違いで・・・。

おそらく、バラフェスタ中は、バラの花をできるかぎりたくさん維持しているわけですが、それが終わったとたんに剪定が始まるみたいなんです。だから、遅咲きのバラはいくらか残っていましたが、花がほとんどなくなっている一群も結構ありました。そして、現に、花をチョキチョキ切っているオジサンたちがいるのですが、まだみごとに咲いている枝もバッサリと切られて大きなゴミバケツの中にポイポイ捨てられていました。
もったいな~い。

でも、こういうところは、次の花を一気に咲かせたり、株の大きさや形を整えておくために、思いきった剪定が必要なのでしょうね。

バラフェスタ中は人が多くていやだなと思うけど、やっぱり人が多い時こそが「行き時」なのですね。



さて、今年のバラ園付近の写真です。白いバラも写っていますが、これ“藤棚”ですね。
ここの藤は5月の初めころみごとに咲いていたらしいです。

なんか、糸みたいなものがいっぱい下がってますが、あれが咲いた後なのかな?
そうだ、来年こそ、ここに見に行こう、と思いました。

5月初旬に藤を見て、それからまた中旬にバラを見に行こう!!!

(昨年の写真の右のほうの緑が藤棚です。)



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小平市道路計画住民投票

2013-05-30 01:49:23 | 車・運転・道路2013
26日に小平市で道路計画に対する住民投票が行われた。もう4日も経ってしまったので、古い話題になってしまったが、意外に自分にも関係していたので興味を持った。

この道路計画はもう30年以上も前にできたものらしいが、今になってその計画が実行されそうなため、そこに住む住民が反対して住民投票という結果になったそうだ。

その場所は、200世帯くらいの家があって、道路のために立ち退かなければならないし、玉川上水の緑地や小平公園の自然環境が破壊されるという懸念もある。近隣に住んでいる人々にとっては深刻な問題で、当然反対であろう。

ところで、そんな場所はどのへんなんだろうか?と他人ごとのように思っていたのが、それが何回か車で走ったことのある府中街道だということがわかった。
しかも、私にとっては、難所の1つで、これまでにその場でパニクって、あらぬ方向に進んでしまった記憶ははっきりしている。



それは、新青梅街道から野口橋で府中街道に曲がり南に向かって行った先なのだ。左にブリジストンの会社があり、そのあたりは広々とした片側2車線の道路が続いている。
そこで、いい気になってすいすいと走っていくと・・・。
急にT字路にぶち当たる。交差しているのは青梅街道だ。小川町という交差点。府中街道の車線は右折か左折かどっちかに行かなくちゃならない。
わあ、どっちに進めばいいかな~???

最初に走ったときには、咄嗟に右折を選んだため、あらぬ方向に進んで行ってしまい、わけのわからない道を延々と迷走してしまった。あれは本当に恐ろしかった。

次に通った時は、左折しすぐに右折した。
そうだ、府中街道は南へと続いているのだ。ただ、ここで左にずれているので、一旦左折したら、同時に右折車線に入り、すぐに次の信号に従って右折する。
この右折車線に何台車が入れるかな?3台くらいかな?あんまり入れない。

本当にここは要注意だ。
で、その住民投票の道路が、まさしくこの場所であり、この府中街道を、この交差点でまっすぐに南に通じさせるというものらしいのだ。

それは、運転する人間にとっては願ったりかなったりである。かなり走りやすくなるだろう。

でも、そこに住んでいる人々にとっては、道路がスイスイ走れればいいってものではない。
そこからたくさんの住宅があって、さらにまっすぐ南に進むと、小平公園があり玉川上水があるってことらしい。
私は当然その近辺のことは知らず、小平中央公園には行ったこともなければ見たこともないのだ。

難しい問題だな~と思う。

この住民投票は、結局5万人くらいが投票したらしいけど、小平市民の35%程度だったそうだ。投票率が50%を超えないと、投票の効力がないのだそうで、投票した人すべてが道路建設に反対だったとしても、道路計画は中止にはならないそうだ。
だから、開票する意味がないということで、投票は行われたが開票はされない。

しかし、せっかく投票を行ったのだから、参考程度でも開票したらどうだったんだろうと思った。そのあたりが、やはりこの投票のすっきりしない結末らしい。

思うところ、道路を整備してほしいと思う人間もいるはずなので、投票した100%の人が道路に反対ということはないのではないかと思う。

(最近、この場所をクルマで走ったときの記事を載せておきます。)
今年2月の記事「道路の変化」
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梅雨入り

2013-05-29 23:53:04 | 日記
今日、関東地方は梅雨入りしたらしい。例年では6月になってからで、今年は10日くらい早いそうだ。それで、今週はずっと雨が多いようだ。
そういえば、もう5月もあと2日しかない。本当に毎日がどんどん過ぎて行く。

月末と言えば、最後の土曜日はFMサガミでかぜ耕士の「人生を変えないラジオ」を聴くことにしていたのに、すっかり忘れていた。最後の土曜日は先週25日だったのだ。
それから、かぜさんがブログで紹介している「孤独の報酬」という大昔の映画が28日にWOWWOWで放送されるので、見たいと思っていたのに、これもすっかり忘れていた。

私は洋画をほとんど見ない人間なので、いきなりこんな映画を見ようとするのも変である。録画しようとするのも変だな(夫が変だと思うだろう)と思っているうちに、録画予約もしないまま、時が過ぎてしまった。

「人生を変えないラジオ」は、かぜさんのブログで聴くことができるので、今日聴いた。燕の話とか面白かった。

軽快なしゃべりは、とても若く聴こえる。声質も若い。ブログに載っている写真のおじいさんが話していらっしゃるとは、とても思えない。

それで、「人生を変えないラジオ」はもう10年以上も放送されていると聞き驚いた。以前は週に1回だったそうだ。それが途中で月1回に変更になっていたが、6月からまた週1になるそうだ。ゲストの人なんかが来るようだ。
それで、月に1回の「人生を変えないラジオ」は、今回の放送で、おしまい なのだそうだ。

ということは、早くも6月1日(土)から、新しいのが始まるのかな?
なかなか放送時刻には聴けないので、ブログから聴けたら聴くことにしよう。


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「ガソリン生活」読み終える

2013-05-29 01:39:03 | 読書
近頃は、暇があれば伊坂幸太郎の「ガソリン生活」を開いて読んでいたが、やっと今日読み終えた。
面白かった。内容や物語の展開についていろいろ書くと、これから読む人にとって未知の楽しみがなくなってしまうので、書くのはやめておく。

それにしても、車と別れるときは悲しいだろうなと思わずにはいられない。新車を買う時には、それを売ったり廃車にしたりするときのことなんか考えていない。10年もすれば、そんなときは必ず来るとはわかっているけれど、最初はとても考えられない。

ペットなんかもそうだけど、ペットショップで買ってきたときには、そのペットが年老いてこの世を去るときのことなんか考えられない。
何事にも終わりが来ることはわかっているけれど、まだまだ先だと思えば、そういうことは深刻に考えないで暮らしていく。あたりまえのことだ。

「あの緑の車はどこにいったんだろう」と思うように、私も実家で父が乗っていたキャロルやカローラやカリーナのことを思い出す。姉の乗っていたスプリンターは事故を起こしてそのまま廃車になってしまったらしい。みんな中古車だったから、その前の持ち主も居たわけだけど、父の車は、うちのあとで誰かの手に渡ったとしてもその後はスクラップになったに違いない。鉄の部分は、また車や何か別の物体になっているのだろうか。

車と人との出会いも、そんなに何回もあるもんじゃない。だから縁あって自分のものとなった車をもっと大切にしなくちゃと思う。飾っておくのが大切にすることでないことも当然であり、クルマは使わなくては意味がない。きちんと手入れをして、良く活用すること、役に立たせることだ。

これは、この物語の筋とは直接には関係ないけど、そんなことを思った。
車の世界、人間の世界、その接点とかかわりについても、いろいろ感じ考えさせられた。

全体を通して、温かい気持ちになる物語だった。

これもテレビドラマか何かになったら面白いだろう。
スポンサーは、マツダとトヨタなどクルマの会社と、ヤマト運輸・ファミレスあたりかな?

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仕事を得るための仕事

2013-05-26 00:00:07 | 日記

前記事で労働の欲求として「認められたい。役立ちたい。褒められたい。」という言葉があったが、
この順番として、今の自分は「まず役だって、認められ、そして褒められる」ではないのか?と思った。しかし、「認められたい」が先になっているのはどうしてか。

思うに、「役立つ」ためには、もしかしたらその前に「認められる」ことが必要なのではないか?
たとえば、どこかの会社で働くにしても、この人を社員にしようと、その人材としての価値を「認められ」て「採用」されなければ、そこで「役立つ」こともできない。
ある会社や商店が仕事を請け負うにも、それを任せることができると認められたからこそ、仕事に取りかかれるものである。

時と場合によっては、全く能力や存在を認められてもいない人や組織が、冷酷な環境のもとに一生懸命に尽したりして、先に役立つことによって、ようやく認められることもあるけど、そういうのはやっぱり精神的に苦しい状況だ。
まず「認められている」事が望ましい。それでこそ役立つための意欲がわく。

ところで、最近読んだ文書の中に「次の仕事のための今の仕事」というようなことが書いてあった。
「人は何のために仕事をするのか?」あるいは、企業や店が仕事をするのは、普通は「利益を得るため」と考えられているが、実は「引き続き仕事を得るため」というのも大きな要素であるとのことだ。

何か仕事を請け負ったときに、相手の期待に応えられるような良い仕事をすれば、次も頼もうと思われるわけだ。逆に、ちゃんとした仕事ができなければ、その後の仕事は無くなる。

「次の仕事のための仕事」とは、「次の注文を取りつけるための仕事」という解釈ができるが、別の意味でも、「次のステップのための仕事」という解釈もできる。
仕事をすることによって、能力が上がるので、次はもっとレベルを上げて行くことができる。

これは、組織単位でも言えることだし、個人単位でも言えることだろう。

認められる → 仕事が与えられる→ 仕事をする 役立つ 報酬をもらう → もっと認められる → 仕事が与えられる → 仕事をする もっと役立つ 報酬をもらう → と続いていく。
もちろん、その間に褒められたら嬉しくて、もっとやる気を出してしまう。

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認められたい・役立ちたい・褒められたい

2013-05-25 12:52:02 | 読書


今日、5月25日は、伊坂幸太郎さんの誕生日のようだ。だからって何てこともないだろうけど、人間ってのはなぜか誕生日を特別なものと意識する。自分の誕生日はあんまり意識したくない気分だけど、なぜか、人の誕生日に注目してしまうのは不思議だ。
(伊坂さん、誕生日おめでとうございます。)

そこで、やっぱり今読んでいる「ガソリン生活」の話題にしようと思った。

グーグル検索で「伊坂幸太郎」と入力すると予測語句の中に「伊坂幸太郎 名言」というのがある。この人の作品には、どうやら「名言」というものがいろいろあるらしい。

私は、最近読み始めた「ガソリン生活」しか知らないので、他の作品のそれらについては知る由もないが、名言が多い人のようだという印象を受けた。

それで、「ガソリン生活」の途中において、繰り返し記述されている言葉で印象にあるのは、
「人間の労働についての3大欲求」の話だが、「認められたい。役立ちたい。褒められたい。」
ということだそうだ。そして「それはもしかすると僕たち車にもあるかもしれない。」と緑デミオによって語られている。そして、それを裏付けるものとして「常に街中を走る宅配の黒ニコには誇らしさが滲んでいる」と書かれている。

そうだよな、と思う。やっぱり、しがないパートタイマーの私でも「認められたい。役立ちたい。褒められたい。」と思っているよ。

この作品は、車が擬人化されているわけだけど、自家用車というのは、やはり持ち主との信頼関係を築いており、車を運転してもらえる(自分が役立つ)と嬉しいようだ。
宅配便の車は、自家用車に比べると毎日働いているので、労働に対する誇りが強そうだ。

持ち主が病気になってしまって車を運転することがなくなってしまった自家用車は寂しい思いをしている。
(そういえば、30年も前、うちのトヨタカリーナも私の父が不治の病にかかり、結局そのことで処分してしまったっけ・・・と悲しい運命を思いだした。)

事故に遭えば車は重傷を負うし、廃車になれば車の死を意味する。
(買ってすぐに横っ面を電柱にぶつけて傷跡をつけてしまってゴメンよ。とんだ家に買われたものだと思っただろうけど、それ以後は大切にしているよね。でも、あんまりでかけないから、駐車場に止まっていることが多い生活だね。)

レンタカーには持ち主がいないから、ドライバーとの信頼関係が自家用車ほどない。
車は車の意志でスピードをコントロールしたりは出来ず、運転する人間の操作に従わなければならない。
車は、持ち主の思想や趣味に似てくることが多いけど、そうでないこともある。

ふ~むなるほど。

うちの車も、最近はゴーヤの苗やプランターや土を運んで大いに役立ってくれてます。
明日は映画館に連れてってくれるかな。

人間も車も、認められて、役立って、褒められたいものですね。

伊坂幸太郎さんの作品は、健全だな~と思いました。
だから、人気があるんでしょうね。(他の作品は知りませんど。)
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カラスのフンガイ

2013-05-24 00:39:35 | 車・運転・道路2013

伊坂幸太郎の「ガソリン生活」、読み始めています。
伊坂幸太郎という人は、1971年5月25日生まれ。明後日(明日)が誕生日で42歳。若いんですね。Wikiで調べたら、すごくたくさん作品があるようで驚きました。

この物語は、クルマが語っているのですが、最初のページに
「朝方、落下してくる鳥の糞に落胆し、・・・・」という文がありました。

そうそう、我が家でもそうなんです。うちのクルマも先日は、かなりショックを受けたんだろうな、と思い出しました。

その日は、朝、家を出た娘から「車が大変なことになってる。白いものがいっぱいかかってるよ」という電話がありました。駐車場を通りかかった時に、我が家の車を見て驚いたようなのです。そのただならぬ報告に、急いで見に行くと、な、なんと、白いペンキみたいなものが、車の屋根とフロントガラスと運転席の窓に、それはもうバケツのペンキをひっくり返したように、どば~~~っと、かかっているではありませんか。
誰か我が家に恨みでも持っている人間の仕業なのかと思うほどでした。
しかし、それはペンキではなく、水をかけるとすぐに流れ落ちる物体で、鳥の糞にほかなりませんでした。

水を流し、ぬれ雑巾で拭いて、なんとか洗い流しました。屋根の上は高いので、脚立を使わないと届かないのですが、ぬれタオルを伸ばして何とかとどかせました。

ようやく、糞を流し終って自宅に戻ってきました。外廊下を歩き、玄関を開けて中に入ったとたん、外の廊下付近で「かあ~~~、かあ~~~~、かあ~~~、かあ~~~」と、聞えよがしにすごい大きな声が聴こえてきました。

あ、あいつだ、あいつの仕業だ。

それは、数日前、外廊下の手すりに大きなカラスが止まっているのに遭遇しました。そこに止まったまま糞をするので、下に糞が積もって汚くなっています。そこで、「あっちいけ」と言って追い払いました。その時は飛び立っていったのですが、数日後にまた出くわしました。
また、あっちに行けと言ったのですが、今度はまるで動こうとしません。目が合うと怖いので、そのまま階段を下りて、家にいる夫に携帯で電話し、手すりに止まっているカラスを追い払っておいてくれと伝えました。下から見ていると夫が玄関から出てきました。すると、カラスは追い払われる前に飛び立ちましたが、私がいるほうに近付いてきて外灯の上に一旦止まったあと、今度は私のほうに低空飛行してきました。私が無視して歩きだすと、どこかに飛び去っていきました。

あいつです。あいつに違いありません。

あやつは、どの車がうちの車なのか知っているのですね。
他の車は、何も被害を受けていませでした。

そして、あのバカにしたようなわざとらしい鳴き声です。
こっちが、必死で洗っていたのも、どこかで見ていたようです。

それにしても、あんなにたくさんの糞は、腸の中に意図的に溜めてあったのでしょうか。
1羽であんなに出るなんて本当に信じられません。
地面にも少しは落ちていましたが、95%車の真上に命中です。
車の上に止まってやったのではなく、飛行中に空中から命中させたようなのです。

カラスの野郎、侮れません。

今後、我が家の車に被害が及ばぬよう、下手な動きは出来ないなと思いました。
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乱視じゃなかったのか

2013-05-23 19:05:00 | 日記
最近、老眼鏡をかけていると、本屋や図書館で目がクラクラすることがあったので、眼科でメガネの相談をしてみたら、現在使っているメガネに乱視が入っていることを驚かれた。私の目は乱視ではないので、乱視の矯正は要らないのだそうだ。
なんで乱視の矯正を入れたかというと、二重に見えるからだったのだが、それは乱視ではないと、今通っている眼科では以前から言われていた。

今使っているメガネは、すでに2年くらい使っているかと思うが、作った時に左目の矯正視力が上がらないので眼科で見てもらった方がいいと言われ、以前通っていた眼科に行って相談し、そのときにメガネ屋のレンズのデータも見せたのだが、それが不適切だとは言っていなかった。
その眼科は、私を緑内障だと言って、キサラタンという目薬を処方していたが、その後、緑内障の専門医(現在の眼科)で精密検査を定期的に行っていると、緑内障ではなかったので、以前の眼科はかなりヤブだったのかなと今になって思う。

もう、眼科もメガネ屋も信用できない。

それで、新しいメガネを作ることにしたが、同じメガネ屋に行くとまた変なことになるので、眼科で作ることにした。
眼科では、レンズだけ取り替えればいいと言っていたが、そのためには、今使っているメガネを預けてしまわないといけない。預けてしまうと仕事ができないので、フレームごと買い替えることにした。

またまた、結構な出費になるが仕方がない。ああ、また金欠だ。
パートタイマーのわずかなボーナスを充てるか~。実は、既に別のことに1万円のカード払いがあるし、全然たりないから困ったことだ。

それにしても、メガネフレームってのは、またまたわけがわからなくて、自分の顔が変だからか、何をかけてもかっこ悪い。世の中の人は、それぞれに似合ったすてきなフレームのメガネをかけているけれど、私の場合は、どれもこれもみんな変で、不細工なおばさん以外の何者にも変身できないのだ。それで、もうどうでもいいや~となって、適当に選んでしまった。もう、印刷物の文字さえ見えりゃあいいや~。

眼科のメガネフレーム選びっても、なんか適当なもんだな~。
どうも、商品を選ぶことが苦手だし、じっくり選ぶことも苦手なので、いつもテキトーになってしまう。ま、時間もないし、わざわざメガネ屋に行くの面倒くさいので、テキトーなもんでいいか。
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新刊本を買った

2013-05-21 23:38:43 | 読書
それはもう数日前のことになるのだが、本屋でどうしても欲しくなって1冊の単行本を買った。
その本は、伊坂幸太郎の「ガソリン生活」という本だ。
題名に惹かれて本屋でめくってみたところ、なんでも主人公は緑色のマツダデミオらしい。車がしゃべったりする物語らしいのだ。表紙もとてもきれいなのだ。
だから、この本に一目ぼれしてしまったのだ。

値段は1600円もするから、貧乏な私は滅多に新刊の単行本を買うことはないのだが、これはよっぽどのことだ。やっぱり車が好きだからね。うちの車も、目に入るたびに「かわいいね」と声をかけてしまう。ペットと同じだ。

そんなに気に入って買った本なのだが、実はまだ読み始めてもいない。

というのは、何週間も前に図書館で借りた瀬戸内寂聴さんの「さよなら世紀末」を読み終えていないからだ。これを早く読み終えない限りは、次に移ってはいけないと思っている。

ところが、それが、なかなかはかどらないわけだ。
別にすごくつまらないというわけではないのだけど、すごく面白いというわけでもない。途中は、有名人の話題などが続いていて、しかも私の知らない文壇の人や文化人についての話題なので、あんまりピンとこなかった。(これは自分が無教養だからいけないのだろう。)
今は、最後のほうを読んでいて、仏教に関連する内容になってきたので、こっちのほうが自分にとってはいいかと思う。いずれにしても、どれも短いエッセイのようなもので、この本は、以前に何かの雑誌や新聞などに載せられた記事を寄せ集めたものであった。

有名人の事に関する記事については、自分にとって、あんまり引力のないもので、こういう部分もとりあえず読むっていうのは、どういうもんかと思った。それって時間の無駄ではないか?
でも、この本を1冊読んだという事実を作りたいがために、途中でやめたりとばしたりはせずに最後まで読もうと思っている。

今日中に「さよなら世紀末」を読み終えよう。
そして、いよいよ「ガソリン生活」を読み始めよう。
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変な走り方のタクシー

2013-05-20 22:50:05 | 車・運転・道路2013
最近、不思議な走り方をするタクシーを見かける。
それは、第二車線を走っているのだが、なぜか20センチくらい第一車線のほうにはみ出して走っているのである。
1台ではなく、別の日に前を走っていたのも同様だった。同じタクシーというわけではない。

運転のプロなのになんであんな変な位置を走るのだろうか?と不思議だ。

それで、思いあたったのは、すぐに第一車線に移動できるように走っているのだろうということだ。

お客を乗せていたかいないかはわからないのだが、客を乗せている場合、客がいきなりその先で止めてくれなどという可能性がある。左折しろとか右折しろなんて言うかもしれない。

また、空車の場合、道端でタクシーに乗りたそうな人をみつけた場合、すぐに左に寄っていくことができる。
なぜ完全に第一車線を走らないかというと、やはり駐車車両などがあってスムーズに走れない。途中で客を乗せないならば、さっさと駅のタクシー乗り場に戻って客待ちをしたいから、第二車線を左によって走るのかな?と思った。

この推測は、あたっているのか間違っているのかわかりません。
タクシーの運転士さんに聞きたいところ。
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交差点を斜めに渡る歩行者

2013-05-20 22:37:56 | 車・運転・道路2013
たまに見かけるのだが、スクランブル交差点でもないのに、交差点を斜めに渡る歩行者がいて、はらはらする。

その場合、だいたい広い道路と狭い道路が交差している信号で、歩行者は広い道路の歩行者用信号が青であるのを見て横断歩道を渡るのだが、なぜかそのまま斜めにそれていって、交差する狭い道路を跨いだ反対側まで進んで行く。通常ならば、広い道路の横断歩道信号に従って渡ってから、今度は直角に方向を変えて、狭い道路の横断歩道の信号に従って渡らなければならないのだ。

こういう歩行者はこの時、広い道路の車の流れが止まったことに安心して、何も考えないで進んで行くようだ。ところが、そのときこそ、狭い道路から車が進んでくるわけだから、危険極まりない。狭い道路から出てきた車にとっては、信号に従って進んだところ、横断歩道を超えた車道の真ん中に人間が歩いているので、驚いてしまう。

この間見たのは、私が広い道路の赤信号先頭で停まっていたところ、若い女の子が右方向から渡ってきたが、そのまま横断歩道上を渡らず、進む先をどんどん斜め右方向にそれて交差点のど真ん中に入って行った。そのとき、右の路地から車が出てきて右折したが、クルマの前を女の子が堂々と歩いている状況だった。全く驚く光景だ。車は進むに進めないので、女性の尻を追いかけているような感じなのだが、当人は道路を斜めに渡りきるまで、背後の車の存在にまるで気がつかないようであった。

別の交差点で見たのは、もっと怖かった。私が広い道路の赤信号先頭に停まっていたところ、左側から若い父親と3歳くらいの男の子が横断歩道を渡って行ったが、2人は進む先をどんどん左にそれて、交差している路地まで渡ってしまおうとしていた。しかし、その路地から車が出てきたので、車道の上でその2人と鉢合わせになり、父親は早く渡ってしまえと左によけ、男の子は右によけるように動いたため、2人の間が1m以上離れてしまった。父親があわててこっちだよと呼んでも男の子はすぐには反応しなかったため、父親が男の子をおいかけるようにして一旦男の子のほうに近付き、それからまた自分の行こうとしていた方に男の子と共に渡って行った。
この間、そのクルマは停止して待っていたのだ。全く危ないし、迷惑なことだ。
この父親は、幼児と手もつながないで道路を渡るのにも驚くが、おそらくクルマの運転をしないから、交差点の全体状況が把握できないのであろう。休日に、こんな父親に幼児の世話をさせるのは恐ろしい。

さらに、別の交差点で以前見た光景は、私が徒歩で幹線道路の横断歩道を渡ろうとしていたところ、おばあさんが幼稚園児くらいの女の子を連れて、私とは交差点で対角線上の位置(私の斜め右前方向)から、私のいるほうに道路を斜めに渡ってこようとした。おそらく、クルマの流れの激しい幹線道路の車が停まっているこの時をのがさずに渡ってしまえという感覚である。
この道路は、おばあさんたちがいるほうの交差道路は狭いのであるが、反対側の私が居るほうの交差道路は広い道路で、きちんとした十字路ではなく、ちょっと変わった形状をしている。
本来なら、この人たちは、まず狭い交差道路の横断歩道の信号に従って渡ったのちに、幹線道路の横断歩道の信号に従って渡るという2段階の方法をとらなくてはならないのに、幹線道路の横断歩道の信号が青になったのを見て、この時を逃すなとばかり、狭い道路を渡る行程を省いて、幹線道路を斜め渡りしてきたのだった。(斜め渡りと言っても、角度的にはあまり斜めという感じがしないのが盲点だ。)
しかし、交差道路は当然に車の信号が青になっており、幹線道路に車が出てきたから、車道上のおばあさんと幼児に遭遇してしまった。この時は、車がすごいクラクションを鳴らしていた。どう見ても無謀な横断であった。

子どもを連れている大人がこれだから、困ってしまう。
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「あり得ない動き」ではなかった

2013-05-19 23:40:36 | 車・運転・道路2013
5月6日に「あり得ない動き」という記事を書いた。
それは、道路を車で走っていて、こちらの信号が青の時に、その交差点の左から車が出てきて右折し、こっちに走ってきて通り過ぎて行ったというものだ。

今日、同じ道路を走っていたところ、ちょうどその信号が赤になり、先頭車として停まった。
すると、そこは左側に路地が接続しているT字路であり、信号は「歩行者・自転車」が渡るために、車道が赤になる信号であることがわかった。押しボタン式ではないのだが、交差道路のほうには車用の信号は全くないのである。それで、そこから出てくる車は、信号とは無関係に安全を確認して進んでくるのであり、前回出てきた車が、信号を無視していたわけではないことがわかった。

そういえば、自分が普段走っている道では、十字路だが、一方通行の路地から出る時に、押しボタン式の信号が路地出口の右側にあり、その横断歩道の信号が青で歩行者が渡っているとき、広い道路の車が赤で停まっているのを利用して、出て行くことがある。また、押しボタンが押されていない場合は、単に安全を確認して出て行くが、その場合は当然、広い道路の信号は青のままである。

な~んだ、そういうことか、あの車を不法な車だと思って悪かったなと思った。

押しボタンだったらそういうこともあるし、「押しボタン式信号」という表示もついているけれど、自動的に色が変わる信号にもかかわらず、車用の信号がないというのはどうしてなのか?通る車の交通量によって決まるのか。
たぶんT字路や一方通行などで交通量の少ないほうに信号がないのだろう。また、渡る人間は多いということのようだ。

また、逆に、車の信号はあるが、その交差点の横断歩道に人間の信号がないところもあり、不思議だ。この場合は、車用の信号と歩行者用の信号が兼用になっているらしい。こっちは渡る人間が少ないからなのだろうか。

何か基準があるのだろうけど、走っているだけでは、交差点の形状やその信号のしくみには、なかなか気がつかないものだ。
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狭い道路だらけ

2013-05-18 22:23:41 | 車・運転・道路2013
今日は、眼科に定期検診に行って来たのだけど、これまで走った事のない道路を自転車で走っていった。今の家は引っ越してから3年半くらいたつが、まだ周辺によく知らない道路が多い。
住宅街の中の道路は狭くて、一方通行が多いが、何よりも恐ろしいのが行き止まりや、どんどん狭くなって迂回、という状況。
自転車でさえ、曲がって進んだら、50m先が突きあたって人のうちのガレージだったり、その先、運よく曲がって進める道があった場合も、幅員が1間半(270センチ)あればいいほうで、どうみても1間(180センチ)あるかないかだろうと思えるものも多い。
「この先行き止まり」「普通車通過できません」などと言う表示が多発。(180センチもないということ。)直進矢印や曲がった形の矢印の先に×マークのついた標識もいっぱいある。

そんなわけで、恐ろしいから車では知らない道に入りこまないようにしているのだが、自転車で走っていても、一方通行道路で車とすれ違うのに、目いっぱい塀に寄って、なんてことが多く、ヒヤヒヤした。

また、そんな狭い道路でハマってしまっている車にも遭遇。なんとか狭い道から脱出して幹線道路の方向に出ようとしているらしいが、曲がろうとしているのが、もっと狭い道なので、あきらめてバックして戻ったりしているのがあった。

実は、そこはちょうど私が自転車で幹線道路に出ようと、当たりをつけて入って行った路地が塀にぶち当たり、それから迂回してそのまま道なりに進むと、元の道に戻ってしまったところだった。

ここは入れませんよ、入っても動けなくなるだけです。何とか通れたとしても、付きあたってぐるっと回って元に戻るだけですよ~。

ああ、恐ろしかった。

やっぱり、狭い道路の地域では「軽自動車」に限りますね。

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左折ウィンカーの対向車が直進

2013-05-18 21:37:07 | 車・運転・道路2013
先日運転して、一歩間違うと危ないなと思ったのは、センターラインのある片側1車線の道路(制限速度30)で、私が青信号の交差点を右折しようとしていたときのことだ。

前方から1台の対向車がこちらに向かって走ってきていたが、その車は左折のウィンカーを出していた。ちょうど、その交差点の20mくらい先(その車から見ると信号のある交差点の手前)に信号のない路地があり、そこを曲がろうとしているようだった。そこで、こちらは、青信号で右折を開始しようとしたところ、なんと対向車がそこで曲がるのをやめて左ウィンカーを出したまま進んできたので、曲がるところを間違えたか、次の信号で曲がることにしたのだろうと思ったら、交差点直前でウィンカーを止めて直進してきたのだ。

この場所では、左ウィンカーを出している対向車が前方に見えたときは、それが路地に曲がるのを確認してから、自分が右折を開始するようにしている。
そこで、対向車が曲がろうとして曲がるのをやめたので、こちらは一瞬右折をとどまったが、ウィンカーを続けていたので、信号の交差点で曲がるようにみえた。

その車に、そんな紛らわしいことをした自覚があるのであれば、こちらが勘違いして右折を開始してくる可能性が高いことが予知できるはずで、それならば、減速して様子を見ながら進んで来るのが当たり前かと思うが、ウィンカーを消すのが遅い上に、普通の早さに加速して直進してきたのには驚いた。

手前で曲がるのをやめたとしても、信号で左折するならば、速度はあげないはずだから、既に交差点に入って待機していたこちらが、先に右折してしまえるタイミングであったものの、相手がいきなり直進に変更して加速してくるとなれば、距離に余裕がない。右直事故の誘発である。

この交差点、以前ぶつかって大破しているクルマを見たことがあるのだが、交通量も多くないし、ちゃんと信号があるのにどうしてなのか不思議だった。

その道路の構造にも要因があるようだが、ウィンカーと車の動きが一致しないことは、かなり危険を誘発することだと思った。
ウィンカーだけを見て判断せず、車自体の動きにも注意を払わなくてはいけないと思った。
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『オフィシャルエアライン』???

2013-05-18 15:29:50 | 日記
前記事で「ソラマチ」と空港は何の関係もない、と思ったのだけど、JALでもらった印刷物に「JALは東京スカイツリーのオフィシャルエアラインです」なんて書いてある。

えっ? 「空港」と「ソラマチ」は関係ないにしても、「JAL」と「ソラマチ」には深い関係があるらしい。
しかし、「オフィシャルエアライン」って何なのだろう???

明日の空へ。
オフィシャルエアライン、JALで行く、東京スカイツリー。
――――――日本の翼、JAL。


「オフィシャル」の意味を調べると、
公式のものであるさま。公認であるさま。となっているけど、
JALは東京スカイツリーの公式なエアラインです。
             公認のエアラインです。  ???
日本語に置き換えても意味不明だ。

これ以外に使われているものを探してみると、例えば、
東京ディズニーリゾートには6つのオフィシャルホテルがある。(ホテル名は省略)
ここに泊まると宿泊とセットのディズニーランド入園チケットが買えたり、満員でも入場できたり、情報が得られたり、送迎バスがあったりなど、ディズニーランドに関連した特典があるらしい。

その他の例では
ANAがAKBのオフィシャルエアラインになった
これは、全日空の飛行機の中でAKBのスペシャル番組を見られたり、空港でAKBの新曲CDを売ったりするらしい。

ということは、簡単に言えば「提携」みたいなものかな?

JALのホームページ、2011年12月20日のプレリリースには、

『  JALは、2012年5月22日の開業に向け注目を集めている「東京スカイツリー®」のオフィシャルパートナーとして協賛することを決定しました。

「東京スカイツリー®」は、日本が誇る先端技術と伝統的日本建築の粋を集めた、高さ634メートルの世界一高いタワー(自立式電波塔)で、“新しい東京、新しい日本を世界に向けて発信していく拠点”として注目を浴びています。東京スカイツリーに込められた理念が、JALブランドの核となる「伝統」「革新」「日本のこころ」に通じることから、この趣旨に賛同し、オフィシャルパートナーとして協賛することとしました。   』

と記載されている。

つまり「協賛」ということかな?

いろいろと私にとっては意味不明な言葉で、理解するのに大変な毎日です。



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