山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

今日中に更新!

2006-08-31 23:54:36 | 未分類過去
いやあ、なんか疲れちゃって夕飯を食べてビデオを見ていたら寝てしまい起きたら11時でした。
でも、暑くないのは嬉しいですね。
なんとか今日中にブログを書かなければ・・・。

今日はなぜか消防車のサイレンの音が激しいです。今も近くの幹線道路を何台かが通り過ぎる音を聞いたのですが、確か昼間も別の方向の幹線道路でサイレンが鳴っていました。
秋は火事が多いと聞きますが、もう秋の始まりなのでしょうか?
ちょっと気が緩んだりするんでしょうか?
今日は東京湾を震源とする震度3の地震もあったし、防災の日を前にして物騒な感じです。
災害が起きないように祈ります。そして、地震などに備えて非常持ち出し袋などもぼちぼち点検しようかと思います。

ウサギは小康状態を保っています。相変らず便(糞というべきか)は健康なときの大きさに比べてとても小さく、量も少ないです。今日は小松菜はよく食べましたが、相変らずペレットは全然たべません。
自宅で強制給餌をするのが難しいので、通院して先生にやってもらいました。
しばらく、それを続ける予定です。

昨日は団地の配水管清掃の日でした。一年に一度のことで、全部の家をいっせいにやらなければならないので、留守にできません。しかし、よりによって家族全員が家にいない日であり、私の仕事も代わりの人がいない日なので休めない状況でした。それで、隣の家に鍵を預けるなどいろいろ考えたのですが、ウチが最高階でもあるために、業者の人に一番最初にやってもらうように無理をお願いしたところ、午後1時の最初に済ませてくださり助かりました。
会社のほうは昼休みを1時間延長してもらって、外出という形をとり、昼休みから2時までの間に自宅まで往復するようにしました。
考えてみれば、今まで清掃日に立ち会うのが難しい状況になったことがないのが不思議なくらいです。
ちょうどうまい具合に夫か私の勤務日と重ならなかったということですね。

配水管清掃に立ち会う方法とか、ウサギの看病とかで、今週はいろいろと神経と体力を使っているので、いつもより疲れた感じです。
昨日会社から帰ってくるとハイビスカスの葉が元気なく垂れていて、あわてて水を補給したりしました。朝コップ一杯の水をやって行ったのですが足りなかったようです。けっこう水を吸うようです。
今日は、先日植え替えばかりの庭の日々草がしおれていて、あわてて水をやりました。

いろんなことに気が散ると、おろそかになることも増えてくるので、気をつけたいと思います。

ハイビスカスその後

2006-08-27 18:54:28 | 植物・花・木
ハイビスカスの花っていうのは、ひとつの花が1日しかもたないのですね。
買った日に咲いていた花は夜になるとしぼみ、翌朝になると別のが2個咲いていましたが、それも夜になるとしぼみました。
暗くなるとだんだん閉じていって、真ん中のおしべめしべのついた花柱の先のほうは、しぼんだ花びらの先から出っ張った状態になっています。そのしぼんだ花もそれなりにきれいではあります。その花は翌日、陽が高く昇ってきた午前中に落下してしまいます。
最初、ハイビスカスっていうのは咲いた花が何日かそのまま咲いているのだと思っていました。夜になってだんだん閉じていくのを見ているときも、明日また日光が当たると開くのかな?などとも思いました。しかし今日、昨日咲いたばかりの花が落ちたので、完全な一日花であることがわかりました。

そうか、お店の人が「高いものです」というのはもしかしたらそういう意味かもしれません。
うちのは今つぼみが10個くらいありますが、今日は新しいのは咲かず、葉っぱだけになっています。(写真は昨日のものです。)
せっかく咲いたあんなきれいな花がたった一日の命とは、勿体ないですね。
残った10個のつぼみが毎日ひとつずつ咲いたとしても合計10日しか楽しめないということです。
花が次々に咲いて加算されていくということはありえないので、沖縄の庭に生えているような大きな木でない限り、たくさんの花を一気に咲かせる状態はありえないことだとわかりました。
しかし、ひとつだけでも十分存在感のある華やかな花です。

明日は咲くかな~



二重整形(アクセスランキングより)

2006-08-26 13:17:11 | 未分類過去
1年位前にブログのアクセスランキング1000位に入るには、だいたい100ip以上くらいあれば入れたのですが、今日見てみたら250以上は必要でした。
ブログの総数も私が始めたころは2万くらいだったのですが、今では6万を超えているんですね。すごいもんです。よくパンクしないもんだなと思います。

ところで、今日、900何位かを見ていた時に、男の人が二重まぶたに整形した体験を書いているブログがありました。「男38歳。二重美容整形に挑戦す!」とかいうものです。そのブログは毎回整形後の目の写真が術後○○日という形で乗っていて、くっきりとした二重まぶたの正面画像、斜め画像、閉じたときの様子、などが載っているのです。内容も結構おもしろいです。
一重だったときの体験、二重になってからの変化についての感想など、よくわかる気がするものもあります。

この人が書いていることに、一重だったときは目の表情変化があまりなく、伏し目がちにしていると、眠そうか疲れているように見えたりするばかりだったそうです。
納得ですよ。
私は子どもの頃一重まぶたで、小さい頃は母親からも目が小さい目が小さいといわれ続けてきました。それで、中学のときの社会科の先生にいじめのような状況にあったんですが、その理由が授業中に眠そうにしていると言うことだったんです。その先生は時々授業中に話を中断すると、私に向って「寝てるな、なんだその目は!」みたいなことを言うのです。
まじめに授業を聞いているのにですよ。本当に一重まぶたって損ですね。

それで、このブログのひとは二重にしたら、当然のことながら目のインパクトが強くなったわけですが、二重にするだけで目の開きがよくなり、まつげも上がって目が大きく見えるそうです。
私はまぶたを押さえると一時的にすごくくっきりした二重になるのですが、このときは、やはり目の開きがすごくよくなって、目の中に光と外気がいっぱい入ってくるような感じがします。そして、まつげが長く見えますね。
一重まぶたってまつげが長くても目立たないんですよね。
しかし、二重の状態が続いたら、目がスースーして困るんじゃないか?なんか落ち着かないな、などと思ったりしました。

私は中年になってから、目の脂肪が減ってきたので、自然に二重になってきたんですが、くっきりしたものではありません。また、目がむくんでいるときなどは、年齢と共にまぶたが下がってきているので、一重で細くなってしまう日もあります。

さて、整形した当人に対する他の人の反応ですが、目が変わったと指摘する人が一部分いる以外は、あまり目のことに触れない人が多いとのことです。そうかもしれませんね。私も指摘したことはありません。

私の友人のお子さんに目を二重に整形した人がいるんですが、このあいだ会ったら、小さいときの面影がぜんぜんありませんでした。どこかですれ違ってもわからないですし、昔の顔と一致させようと思っても、現実の顔と昔の顔が一致しないんです。
これはなかなか困ったものです。毎日会っていれば覚えるでしょうが、過去の顔を記憶していて、そっちのほうの記憶が強いと、現実が受け入れられない部分があります。

中学・高校のときの同級生で、目が細くて三日月みたいな感じが特徴だった人がいたんですが、その人に同窓会であった時に、以前はかなり親しかったにもかかわらず当人が誰かわからなかったんです。そして、そのときに誰かを確認して頭に再入力したはずなんですが、数年後に会ったときにもやっぱり誰かわかりませんでした。そのひとはくっきりした二重の大きな目になっていたわけではなく、整形したかどうかも確かめていませんが、どうも目が違うような気がします。目の特徴で覚えていた人というのは目が変わってしまうとそういうこともあるかもしれません。

一重まぶたの人間にとっては、パッチリした二重まぶたはやはり憧れですね。
私もきれいな二重まぶたにはあこがれます。

しかし、このあいだ、実家に帰ったときも、母が「○○は小さいときから、目がパッチリしてかわいいってみんなから言われた」と姉のことを言っていました。
母親にとっては、人からかわいいと言われる娘は自慢でしょうね。
中には、一重まぶたの娘を毛嫌いする母親もいて、母親がなんとしても娘を二重まぶたに整形させる人もいるようです。二重じゃなきゃ美しくなることはできない、女失格、みたいなふうに思い込んでいる人がいるようです。
そういう母親に育てられた娘って、自分の顔のみならず自分自身に自信が持てず、とてもかわいそうだと思います。
私の母も二重で、自分に似た姉の容姿を良いものとする意識が強かったようですが、それほど極端ではなかったので、そのことで私を人間として低く評価することはありませんでした。

姉の娘は一重まぶたなんですが、そのせいか、なぜか自分のことをブスだと思い込んでいるようです。もうひとりいる息子は姉に似てぱっちりした二重で、確かに小さいときからかわいかったし、今もハンサムのようですね。でも、兄弟と比べて自分がブスだと思い込んでしまった娘は自分なりの美しさに気づくことができず不幸ですし、そのように自分の価値観や好みで子供を洗脳してしまう母親は問題です。

うちの家族はといえば、全員一重です。私は人から二重だと言われていますが、長年一重まぶたで生きてきたので、今になっても自分の事を一重だと思っています。くっきりもしていませんしね。
娘は黒豆みたいな目とか、小さいときは柴犬みたいと言われました。黒目勝ちなんですね。まあ、これはこれでいいんじゃないでしょうか。
上の子なんかアイプチで二重にしてみたら、不二家のペコちゃんみたいになってしまっておかしいったらありません。二重にしても似合わないようです。

結論としては、この人も書いているんですが、一重には一重のよさがあり、二重には二重のよさがあるので、自分でよく考えて判断して、二重になりたい人は二重にするのもいいだろうということです。

ちなみに、一重が二重になる自由はあるけど、二重が一重になる自由は無いようですヨー。

メガマウスVSジャコウウシ?

2006-08-26 09:46:15 | トラックバック練習・ご意見板
いったい何のことやら?変なお題ですね。
これは、「ナマコと蜂の子どっちが欲しい?」と聞いているようなもんです。
どっちも要らないし、どっちも見たくないよ!

こんなこと聞いてどうするんでしょうね。
というか、もともとは答えを聞きたいというより、
「えっ、それ何なんですか?教えて!」
という反応を期待しての質問だったのでしょうね。

ま、それはともかく普通に選択するとして、
メガマウスっていうのは、実在するサメのようですが、
ジャコウウシというのは実在するんでしょうか?
どっちもグロテスクな感じで、あんまり興味ないけど、
とりあえず「ジャコウウシ」にしておきましょう。
たぶん哺乳類だろうからサメよりは良さそうです。

あなたが見たい生き物は?
ということでしたら、
「コロボックル」かな?
蕗の下にいるという小人のことですね。なんかかわいいだろうなあ。
ほんの1分くらいでいいです。
そして、何もしなくていいです。
ただ、一瞬でも見るだけでいいんですよ。

昔、十和田湖の近くの宿に泊まったことがあるんですが、
そこの庭にものすごく大きな蕗がいっぱい生えていました。
生まれて初めてみましたね。
あれは、トトロなんかに出てくる傘になりそうです。
そして、なんかおとぎの国みたいでした。
トトロでもコロボックルでもなんでもいいですが、
蕗の葉っぱの下にいるかわいい未知の生物に遭遇してみたいのです!

余談ですが、
さっきから「メガマウス」と記入するのに苦労してます。
どうしても「目がマウス」になってしまうんですよ。
目がねずみみたいな動物なら、かわいいかもしれませんね。

それから「蕗」が「付記」になってしまう。
「トトロ」が「と吐露」になってしまう。夢もへったくれもありませんね。
こんな言葉がでてくると、すぐに仕事のことを思い出してしまうんですが、
昨日は、「用意」が「容易」に、
「純水1リットル」が「純粋1リットル」に、
「反射防止層」が「販社防思想」になってました!
「1リットルの純粋」ってのもどんなもんだか見てみたいですが、
単なる物体が「思想」になってしまうのも不思議ですね。

ところで、「ゴルゾラス」ってご存知ですか?
ゴルゾラスってのは、怪獣でしょうか?
なぜか、私は「コリドラス」のことを「ゴルゾラス」って間違って覚えていて、
あやうく「がんばれゴルゾラス」って題にしてしまいそうでした。
なんで、こんな名前が浮かんできたんでしょうね。
確かに似ているんですけど、やはり「コリドラス」のほうがかわいいですね。
もし「ゴルゾラス」ってものがいるなら、
見てみたいです。

(このごろ、トラックバック練習板を始めたら、アクセスが100を越すようになったので、
変なお題でも頑張って書いてます。)



ハイビスカス買っちゃった!

2006-08-25 18:36:48 | 植物・花・木
道端のハイビスカスを撮影してからそのまま道を進んで行くと、花屋さんがありました。
なんと、ハイビスカスの鉢植えが並んでいます。しかも、その値段が安いです。
金額のことを書くとなんかつまらない話題になってしまいそうですが、一鉢480円でした。
台の上に10個くらい並んでいる鉢を一つ一つ眺めながら、一番良さそうなのに目をつけて、それからスーパーに夕飯を買いに行きました。
途中に別の花屋さんがあったので、見てみるとやはり同じようなのが420円でした。
「あれっ、ハイビスカスって結構安いんだな」と驚きました。
でも、最初の店で見たのが一番枝ぶりや健康状態が良さそうでした。
戻ってきて目を付けていたのを買ってきました。
赤いのもあったのですが、枝ぶりと活きの良いオレンジっぽいのを選びました。
花はひとつ咲いていて、あともうすぐ咲きそうな大きなつぼみが2つ、そのほかに小さいつぼみがいっぱいついています。
そして何よりも葉っぱがすごく生き生きしてて、木全体が元気いっぱいという感じです。

店の人に「ハイビスカスって安いんですね、もっと高いものだと思っていました」というと、
店の人は「ハイビスカスは高いものですよ」と言います。
(??????480円は高いとは言えないだろ???・・・あれっ、これ本物のハイビスカスじゃないのか????・・・いや、確かにハイビスカスって書いてあったよね)
「これは特別なんですか?」と聞くと、
「そうですね」と言ってました。
(?????)
なんか、わけのわからない会話ですが、ま、いいや。

帰り道、また花屋さんがあったので、横目で見ながら通り過ぎると、やはり同じくらいのもう少ししょぼいハイビスカスが400円で売っていました。
な~んだ、やっぱりハイビスカスはどこでも安いもんじゃないの。
1000円以上すると思ってたよ。

ネットで通信販売を見てみると、このくらいのは、一鉢800円以上はしていたようです。

うちのは写真に写すと葉っぱばかりに見えますが、「今に見ておれ」ですよ!

ハイビスカス

2006-08-25 18:06:57 | 植物・花・木
仕事の帰り道、赤いハイビスカスの花が目に止まりました。
夏はやはりハイビスカスって感じですね。
奥まったところに医院があり、
そこで飾っている花のようなので撮影させていただきました。

南国の島っぽい雰囲気は好きです。
日差しは強いけど、けっして蒸し暑くはなく、
海のほうからさわやかな風が吹いてきて、
ゆったりと時間が流れている感じがします。
そこに、ハイビスカスの花が咲いているのです。

やはり老後は南国の海の近くで暮らしたいものです。

などと空想しながら、
東京の街中でもとっても素敵なハイビスカスを思わず撮影しました!

村上朝日堂 はいほー!

2006-08-24 13:17:15 | 読書
半月ほど前に図書館から借りてきた村上春樹の文庫本「村上朝日堂 はいほー!」を、やっと読み終えました。この借りてきた本は薄くてそして汚いです。かなりたくさんの人が借りて読んだんでしょうか?もうよれよれになっていて汚れてもいるし、人前で読むのは恥ずかしいくらいでした。438円のこの本は、ずいぶん人の役に立ったのかもしれませんね。

今日読んだのは、「ビーフ・ステーキ、ビーフステーキ」から最後の「貧乏はどこに行ったのか?」までのエッセイ7編です。この本、どれも軽いのりで楽しく読めました。

ビーフステーキ・・・村上氏曰く、東京のステーキより神戸のほうがおいしいし、適当な店がたくさんあるとのことです。
私は神戸には行ったことがないんですが、たぶんその通りだろうなと思います。確かに東京って、気軽に食べられてしかもおいしいステーキの店って、あんまり無いような気がします。高いお金を出せばあるんでしょうけどね。安い店はそれなりの味ですし・・・。
村上氏曰く、アメリカのステーキがおいしかった。量もとても多い。外国は値段も安い。
今の時代状況では、アメリカ牛といえば、すぐにBSEの心配をしてしまうのですが、これが書かれた当時はそんな問題もなかったですね。
それに、BSEが発生した今でもアメリカ国内で食べられているまともな肉はそんな危険性がないようにも感じられます。

「日本に輸出するものだから危険なんじゃなかろうか?」などと思うのは偏見かな?戦後に脱脂粉乳を飲まされたり、頭からDDTをかけられたりしたことを思うと、信用できなかったりするんですよ。脱脂粉乳はアメリカでは人間が飲むものじゃなかったというし、DDTなんていう有毒なものも、よく生きた人間の頭にかけたもんだと言われています。それで、信用できないって夫が言うので、私もその影響を受けています。でも、脱脂粉乳で飢え死にをまぬがれたならそれはそれでいいかもしれないし、DDTで頭ジラミを退治できたことも事実なんでしょうね。
30年位前、夫がホテルで客室係をしていた時に、真っ裸の白人女性が平気でドアを開けてホテルマンに応対したりするんだそうです。「要するに、日本人のこと人間だと思っていないんだ、猿だと思っているから、裸を見られても平気なんだよ」と夫は言います。確かにね、動物に裸を見られても何てことないよね。
そんなこと言う夫ですが、アメリカ人をはじめ、欧米人は大好きですので誤解なく。新婚旅行でハワイに行ったとき、向こうの知人がステーキをご馳走してくれたんですが、前菜だけでお腹いっぱいになっちゃいました。お肉の厚さも驚くほどで、当然食べ切れませんでしたが、そのときのステーキは確かにおいしかったですね。

この本に載っているエッセイは、1983年から約5年間に渡ってかかれたものなので、すでに20年前ですから、時代状況も変わっていますね。

あっ、思わず1編だけでこんなに長くなってしまったので、他の作品については機会があったら書くことにします。
どれもおもしろかったです。

これから村上氏の作品はどんんどん読んでいくつもりで、だんだん20年の歳月を埋めて行きたいと思います。

氏の作品は、肩が凝らず読みやすいのがいいですね。
平衡して「国境の南、太陽の西」を読んでいるところです。

動物看護と環境

2006-08-24 01:21:12 | 未分類過去
先日、オープンキャンパスに行った大学の動物看護学科で、動物の肉体の「元素分析」とかいうものについて説明を受けてきたというような事を書きましたが、そのことについて、じわじわと重要性がわかってきたので、ちょっと書こうと思います。

先生の説明がちゃんと理解できていないかもしれませんが、話のあらましはこうです。

たとえば、イタイイタイ病や水俣病など人間にとって恐ろしい公害病が発生したことがありますが、その前触れとして、その何年か前に動物の体に異常が起きたり、どんどん死んだりというような現象が起きていたのだそうです。体内に毒物などが入った場合、ねずみ、小鳥、猫などの小動物に先に症状が現れ、その後で、人間に現れるというのが普通のようです。
だから、動物の肉体にどれだけの有害物質が含まれているかを科学的に分析することが、動物のみならず、人間を守るための重要な鍵となってくるのでしょう。
野鳥や魚の大量死なんか、ちゃんと死因を調べるべきですね。

そして、鳥インフルエンザやBSEなどの疫病も、動物から人間に感染するものですから、同様に注意を払う必要があるわけで、人間の「公衆衛生」を守るために、動物を観察分析し、対策を立てる必要がある。治療できなければ処分するということも仕方がないこととなり、鶏などが大量焼却処分などされることになります。

つまりは、動物の個々の治療が不可能、間に合わない、そのままにしていると人間にまで及んでくる、と言うときに、動物を殺してしまうことも回避できなくなるわけです。

最近中国で狂犬病が出たと言って、犬を次々に撲殺したりしているらしいです。それについては科学的根拠がないような気もしますが、もし強烈な疫病などが流行った場合には、愛犬たりともそのような状況にならざるを得ないという可能性があるのだと思いました。

なんか、残酷で恐ろしいというか、ねずみの体をスライスして組織をすべて調べるなどということを聞くと、ぞっとしてしまったのですが、結局、他の個体を守るためには研究素材が必要であり、全体を守るためには、サンプルが必要ということですね。

「看護」というのが、一匹の動物の病気を治すとかいう個々のレベルではなく、全体としての視野をもって「病気予防」について考えたり、動物の体に影響を及ぼす「環境汚染」について調べたりすることも含まれるのだということを、その大学は参加者に教えてくれようとしたんだと思います。

やはり、大学は偉大なんだな~

専門学校で、トリマーやドッグトレーナーの真似事をして、満足して帰ってきたんですが、もっと奥深いものがあったのね、という感想です。

汗みどろになって大学の廊下で待っているとき、もう帰ろうかと何度も思ったのですが、参加してよかったです。





がんばれコリドラス!

2006-08-23 21:46:48 | ブログタイトルについて
最近、妙に気になっている生物が「コリドラス」です。
これは、熱帯魚で、なまずの一種だそうですが、水槽のお掃除屋さんなんだそうです。
友人が昔熱帯魚を飼っていて、エンゼルフィッシュなど全部絶滅したあと、コリドラスだけ生き残ったんだそうですよ。
でも、この友人、コリドラスはいらないって、排水に流しちゃったそうです。
けっこうかわいい魚だったのになあ!と、今でも記憶に残っているんです。

この話は以前もブログに書いたんですが、今の私は水槽の中にたくさん泳ぐ魚の世界の中で、コリドラスみたいな存在かな?って思うんですよね。
けっして主役にはなれませんが、でも、コリドラスには立派な役割があるんですよね。
そして、ただ水槽の隅で藻やカスを食べるようにと飼われているのかと思ったら、意外に熱帯魚を飼う人の中にはコリドラスのファンもいるんだそうです。
そうですよね、きれいとはいえないけど、私も友人の家の熱帯魚の水槽を見せてもらった時に、エンゼルフィッシュより、コリドラスに目が行って、「この魚は何?」と聞いたくらいですから。
けっこうユニークなやつですね。
それに、最後まで生き残ったんだから丈夫なやつなんだろうな。

値段は450円くらいから1000円を超えるものもいるようです。
この間、ペットショップで見たら、そこにいた種類は950円で、「結構高いじゃない」と驚きました。悪友が排水に流したのなら、150円くらいかなと思っていたんです。

それで、私は、私を応援します。
それから、世の中にいるコリドラスのような人々を応援します。
世の中のために役立つようにがんばれ!
排水に流されないように頑張れ!
なによりも、自分のためにがんばれ!と。

飛鳥は山に飛ぶ鳥ですが、実は水中の魚でもあるんです。

このごろ、環境のことをよく考えます。
今するべきことは、地球の環境破壊を食い止めることですよ。
そんなことも、これから考えていきたいと思って、エコロジーという言葉を連想させるお掃除屋のコリドラスをブログの名前にすることにしました。

あっ、それと、掃除嫌いな私がコリドラスを見習って、これからは家の掃除にも精を出したいと思います。

タイトル変更???

2006-08-23 19:29:16 | 未分類過去
ブログのタイトルを変えようかなあと思っているんです。
「日々の奮闘」って、何にも奮闘してないのに、こんな題名もどうですかねえ。
この「奮闘」ってのは、何をするにも要領の悪い私が、他の人にとって簡単にできてしまうことでも、何かと奮闘してしまう、という意味からつけたものなんですが、
それでも、そんな状況で奮闘して頑張れば何か得られるんじゃないか?みたいな気持ちでつけました。
でも、実際、毎日奮闘するほどがんばっているわけじゃないし、また、意味もない奮闘を繰り返して要領悪く生きるのも、もう卒業したほうがいい。
そういう人生から脱却するには、まず、題名を楽に運が向くようなものに変えるのがいいのではないか?
な~んて、思っているんです。
題名を見ただけで疲れちゃいますしね。

それで、「日々、適当」・・・これじゃ、あんまりいい加減かな?
「日々楽々」「日々悠々」・・・いや、こんなに余裕はないな。
「日々の歩み」・・・歩んでない
「日々堂々巡り」・・・それじゃあんまり
「日々前進」・・・これも疲れるぞ
「日々いねむり」・・・ここまで化石化してないだろ
「日々の生活」・・・単純そのまま、インパクトなし
「日々爛々」・・・なんか変 どういう意味?
「日々マラソン」・・・苦しい 走ってないぞ
「日々持久走」・・・やめて!
「日々勉強」「日々努力」・・・もっと、やめて!!
「日々問題解決」・・・できない
「日々保留」・・・そのとおり
「日々あとまわし」・・・そうそう
「日々ぐうたらママ」・・・確かに
「日々愚妻」・・・う~ん
「日々の意見書」「日々の補正書」「日々の拒絶理由」なんじゃこりゃ?
「日々の明細」・・・納豆88円なり
「日々校正」・・・仕事終わってまでやだな
「日々更正」・・・別に悪いことしてないけど?
「日々、火の車」
「日々、自転車操業」
「日々、なんかろくな言葉がうかばないぞ」

出生数増加

2006-08-23 00:25:58 | 未分類過去
テレビで言っていたんですが、今年になって出生数が増加したんだそうです。
出生数というのは出生率とは違うので、一概に喜べるとは言えないらしいんですが、まあ子供の少ない昨今においては、いいことだと言えるでしょう。

そういえば、このごろお腹の大きい人をよく見かけるな、と思っていました。
よく、夕方仕事の帰り道、妊婦さんとすれ違ったりするんですが、このあいだなんか20代と思しき女性が3人並んで歩いていて、その3人がみんな臨月に近いおなかをしていたんです。産婦人科か保健所の母親学級ででも知り合ったんでしょうか?
でも、なんか直感的にこの3人はもともと友達同士で、示し合わせて同時期に子供をつくったな、という感じがしました。とても仲がよさそうでした。子どもが生まれてからも一緒に遊んだりできれば楽しいでしょうね。たったひとりで子育てに奮闘するのは大変ですからね。
ただ、この人たちは上の子を連れていなかったので、おそらく初産です。二人目を生むかどうかが問題なんだなあ~

そのほかにも、西瓜みたいなおなかの人をよく見かけるんですが、ナンデスカ、最近は昔のようにマタニティードレスというものを着なくなったような気がしますね。
昔は夏の妊婦さんはゆったりとした木綿のワンピースかジャンパースカートの形で、一目で妊婦というのがわかるデザインのものを着ていたんですが、このごろはジャージやニットみたいな素材で、延び縮みはするんでしょうけど、比較的ぴったりしていて、お腹の形がくっきりわかる感じです。下にスパッツやGパンみたいなのをはいている人もいます。アメリカの女優なんかもそんな感じですね。
まあ、格好はどうでも好きなようにしてくれとは思いますが・・・。

それでもって、またテレビのコメントなんですけど、
「出産や育児のために、自治体がいろいろな手当てなどをつけて努力した効果が出てきたのではないか」とか「育児休暇などをとれるように企業も努力を始めているので、将来性が見えてきて産む決意が出た人が増えたんじゃないか」、そしてまた「景気が上向きになったからではないか」などと言っていました。
これはどうかなあ?
そんな一時金をもらったからすぐ生みましょうとか、景気が上向いたから将来はもう大丈夫だとかそんなことで、ぽんぽん産むんでしょうか?

私が思うには、「周りの条件が整ったから産むことにした」んじゃなくて、「このままじゃ日本人の人口が減っちゃうから産む必要がある」という義務感というか任務感のような意識が若者に芽生えたんじゃないかと思うんです。
「赤ん坊を産むと不便な生活になるけど、今や赤ん坊は貴重な存在。テレビでも人口が減ると言って大騒ぎしている。赤ん坊を産める年代の女性としては、ここで産んどくべきじゃないか」と思う人が増えても不思議じゃないんじゃないでしょうか?
だいたい、いくら生活が苦しいとは言っても、子供を産んだら飢え死にしちゃうなんていうひとはいないんですから、そんな理由で産めないことはないわけです。
仕事に生きようと思っていた人が、やっぱり子供を産むことも将来のために大切だなと、考えを変えることもありうるでしょう。

こんなことを思ったのは、高校生の娘が言っていたことからなんですが、
「いったい、今の20代や30代の女は何を考えているんだろうね。子供を産まないと年金制度もなりたたなくなっちゃうんだから!その人たちが産まないのが悪いんだよ」・・だそうです。
子供が少ないと年金制度がどうのこうのというのは、高校の先生の授業で入知恵されたらしいのです。
「へえ~、今の人たちに産めって言うなら、そんじゃあ、あんたも大人になったら子供をいっぱい産むんでしょうね」
と言ったのですが、うちの子、自分が数年後にそういう年齢に達することまで考えていないみたいでした。

でも、「そんなに日本に子供がほしいなら、ちょっと苦労して産んで育ててやってもいいよ」と思う若者が現れて、出生数が増えても不思議はないような気もします。

そんなちょっとした心持の違いで出生数が増えるという単純なこともあろうかと思うのです。


ブログ1周年

2006-08-22 21:13:01 | 未分類過去
このブログを始めて、今日で1年たちました。
早いものです。

この1年を振り返ると、今はずいぶんと落ち着いてきたなあと感じます。
1年前は、まだ前職の挫折の思い出が生々しく残っていたのですが、今やはるか昔のことに思えるようになりました。
でも、ブログ開設のときの気持ちは根本的には変わっていません。
同じ人間なんだから当然とは言えますけどね。

いろいろな方のブログを読んでいると、人それぞれ悩みとか夢中になっていることが違って、夢中になっている趣味などは「よほど好きなんだなあ」と感心するものの、悩んでいることなどは、「どうしてこの人はいつも堂々巡りしているのかしら」と思うこともあります。別の人にとっては何の問題にもならないことでも、その人にとってはすごい障害だったり、頭痛の種だったり、気になることだったりするわけで、それはもうどうにもならないですね。
一人の人間が抱えている問題というのは、そういろいろ変化するものでもないのでしょう。
だから「堂々巡り」ということになります。

私もその一人で、この一年間、「金が無い、どうして私は貧乏なの!」「自分の能力を発揮してみたい!」というような思いにとらわれ続けていたように思います。
そして、これからもそれは続くのかもしれません。

でも、その中で、新しく蒔いたタネは新しい地に根を張り芽を出しているという実感はあります。具体的に言うと、日本語教師をやめて、知財関係の会社の仕事をしているということです。だいぶ知識も加わってきたように思います。この芽がこれからどこまで伸びていけるかわかりませんが、養分を吸いつつがんばって行きたいと思います。

そして、やはり家族を大切にしたいと思います。一番身近なかけがえのない運命共同体ですから。お互いに思いやりをもって、きもちよく暮らしたいです。(まずは反省しなくては・・・)

それから、最後になりましたが、この1年間で、このブログにいつも訪問してくださる方が数人できました。最初のうちは、誰が読むかもわからずに一方的に書いていましたが、最近は読んでコメントなどくださる方々のことを思い浮かべながら書くことも多くなってきたように思います。そんなつながりができたことがとても嬉しいです。
本当にありがとうございます。



ワーキングプア

2006-08-21 23:06:05 | 未分類過去
「格差社会」でブログを検索したら、「ワーキングプア」という言葉を取り上げているひとがいました。
これは、ちゃんと働いているにもかかわらず生活保護を受けるような収入しかない人のことのようです。
まさしくうちのことだなと思いました。
夫はもうすぐ55歳になりますが、53歳でリストラにあってからは、シルバー人材みたいな1年契約の仕事についていて、ボーナスもなく、苦しい生活が始まりました。
義務教育をとうに終え、大学や専門学校で莫大な学費が必要な子供2人を、夫の給料と私のパート収入で養っていくのは大変です。子供たちもアルバイトをしていますから、親が子供を養っているなどと偉そうには言えない状況でもあります。
このような苦しい家庭はうちだけのことではなく、先日見学に行った専門学校でも、経済的な事情で退学する人が多いようでした。

先日テレビで、最近、仕事についた人間の数が仕事をやめた人間より多くなっており、仕事についた人間の全体数も増えているので、このことからも景気が回復したといえるなどと言っていました。ただ、正社員は少なく、パートや契約社員が多いそうです。
その統計では、仕事についた男性の数よりも、仕事についた女性の数が断然増えていて、そのことから、女性の雇用が上向きであり、女性にとって職場が開放されてきた、というような分析コメントが付けられました。

何言ってんだろうね。
女性の雇用体制が恵まれてきたんじゃなくて、夫が働けないから代わりに奥さんが外に出て働かなきゃならなくなっただけのことだよ。
それでも女がパートで働いて得られる給料の値段なんか微々たるもんだ。
2人ぶん足したって、普通の男の給料には達しないんだ。
雇用の人数だけ増えたってあんまり意味はないでしょう。

どういう分析の仕方をしてるんだか!
所詮は他人ごとだからそんな考えに到達するんだろうさ。

格差社会

2006-08-21 22:20:12 | 未分類過去
何年か前に、「金持ち父さん貧乏父さん」とかいう単行本を買って読んだことがある。内容はよく覚えていないが、金持ちになるには必死に働くのではなく、頭を働かせることだというようなことだったと思う。それで、この著者はこのような本の出版によってさらに収益を上げているようであるが、それを思うとバカらしくなって同じようなシリーズの本を買う気はなくなった。
金をもうけるノウハウを垣間見たわけではあるが、だからと言って自分がそのような生き方をしようとは思えないし、できるわけでもなかった。
つい最近、電車の中かどこかでこの本を読んでいる人を見かけて思い出したのであるが、このアメリカ人の書いた本の内容はまさしく「格差社会」を生み出す要因の社会の中で生まれた題材であって、それが今や日本でも顕著になってきたということだろう。
当時読んだときには、アメリカの話だと思っていた部分があったが、今では日本の金持ち父さんと貧乏父さんと考えてもなんら違和感がない。
大昔と違って、まじめな働き者がお金持ちになるのではなく、頭を使ってうまく運用する人がお金持ちになるという論理である。

このあいだ、実家に帰ったときには、めずらしく子供や夫抜きで、実の姉と私と日程を合わせていき、実家の母と3人で1泊2日をすごすことになった。
この3人ではっきりしていることは、姉が「金持ち」で私が「貧乏」であること。正確に言えば、姉が「金持ち夫」を持ち、私が「貧乏夫」を持っているということである。
母もどちらかと言えば金持ちである。バブルのずっと前に父の退職金を貯金していた。金利が7%などという期間に長期の国債などを買い、もとの貯金が倍増したのだった。
今ではその一部を証券会社の勧めによって運用しているために、元金は保証されないとは言っても、配当金のようなものが月に何万も入ってくるようだ。それと年金で充分に暮らせるといえる。母はぜんぜん贅沢はせず、質素な生活をしているが、自宅のトイレや風呂などは最新式のものに改装し、旅行にもでかけ、まあ中流の生活をしている。
姉といえば、夫が数種類の株を買ってあるので、その配当というか商品券などが何万円分などというように還元されてくるらしい。姉は働く必要もないので、暇をもてあましてテレビのショップチャンネルをみたり、ネットオークションをみたりして、それで何十万円という金額のものをたびたび購入しているとのことである。

この人たちの話を聞いていると、バカらしくなってくる。
私はいったいなんでこんなにひいこら働いて、月に数万円ばかりの収入を得ているのだろうか!
我が家にはウォシュレットもないし、風呂は温水をためるのではなく水をためてから沸かさなくてはならないのだ。お話にならないよ。
なんでも資本があれば投資はでき、それからは楽に収入が湧いてくるものだ。その資本を作れない人間はいつまでたっても浮かばれないわけだ。

このような格差社会の中で、貧乏人が金持ちのおこぼれにあずかって多少裕福気分を味わうという方法がある。私の友人は貧乏人であるが、夫がいつも社長のお供をしてゴルフなどに行くそうで、そのときのゴルフ代や食事代、宿泊代などすべて社長が出してくれるそうである。そのかわり車の運転などをするのかもしれない。
そうすると、貧乏人でありながら、金持ちと同じ高級な体験ができるということになる。
この友人は、別荘までも自由自在に使わせてもらっているので、あたかも自分の家の別荘をもっているかのごときである。

何か商売をするにもお金持ちをターゲットにした商売をすれば、お金持ちがばんばん惜しげもなくお金を出してくれるから儲けを得ることができる。

たとえばの話、高級住宅地の住人をターゲットにしてその人たちが飼っている血統書つきの犬などをトリミングすれば高収入が得られたりするであろう。
これが、貧乏人社会の中にいれば、トリミングなどお金を出してする飼い主はいないし、怪我をした野良猫を助けてくれなどと動物病院に駆け込んできて、治療に当たった動物看護師はその猫にひっかかれて傷だらけになるのが落ちである。

しかし、金持ちにあやかって収入を得たりするのはいやなものだなと思う。
人間より高い美容院にくるようなお犬様のお手入れをするより、野生のすずめ一羽の命を救えたほうが納得できるかもしれない。
そもそも貧乏性に生まれていると思える。

それにしても、なんか儲かる方法はないかなあ?

プレスブログってのはどうかな?とふと思った。指定された商品やイベントの中から自分が選んで文を書き、ブログの中で紹介すると広告料がもらえるというものらしい。
そのほかに、直接ブログに広告を貼り付けるというのもある。
このような方法で毎月数千円から数万円を稼いでいる人が増えているそうだ。
こんなのやってみようかな?と思ったが、それをやっている見本のブログを見てやめた。
やはり、広告のため、収入のために書くのはいやだ。
自分のブログが広告に囲まれたり、内容も安っぽいものになるのはいやだ。
いい商品は金をもらわなくともいいと勧めたい。悪いものは悪いと書きたい。

このぶんだと、一生貧乏を貫き通すことになりそうである。


今日も猛暑の中

2006-08-21 00:57:26 | 未分類過去
今日も猛暑の中、専門学校の体験授業に行ってきました。
それが、あまりにも充実していて、気味が悪いくらいです。
申し込み制で、参加には親の同意書が必要であり、午前から午後に渡り動物看護・グルーミング・ドッグトレーニングの体験授業をしました。親はそれを見学しました。
日程と内容は綿密に準備されていました。設備は新しくきれいで、完備されていました。
昼ごはんは学校でお弁当をだしてくれ、デザートまでつき、ペットボトルや缶のお茶が3回も支給されました。最後には交通費として1000円分のショッピングカードまでいただきました。
なんでもきちんとしているし、サービス精神100%という感じです。

構内には教師の紹介や勉強の内容を判りやすくまとめた掲示物が展示され、その工夫とわかりやすさは華々しいもので、この意欲とサービス精神のつめの垢でも昨日の大学経営者に飲ませたいくらいです。

だが、しかしです。あまりにも完璧すぎるこのことをすんなりと受け入れがたいわけです。どうして?という疑問がわいてきます。
この学校、どうしてこんなにお金があるのかな??????
分厚い案内書やキーホルダーなんかも送ってきたりします。

やっぱ、結局はすべて学費からでるということなんでしょうか?
マンモス校ならたくさんの学生が学費を払うから、高額な設備を整えやすいのかもしれません。う~ん、そのへんのからくりがよくわかりませんが、立派過ぎて落ち着かないというのが正直なところです。

まったくすばらしいのですが、そこが難点。
もうすこし質素なこじんまりした学校のほうがいいかな?と思ったりします。

一般の女の子には人気がありそうですが、うちの子はプレゼントなどでごまかされるのが嫌いなタイプなので、内容がよくても校風がちょっと肌に合わないように感じたようです。

今日も帰宅するとそのままぶったおれて、冷房の中で2時間ほどの昼寝となりました。