久しぶりに辻井さんのショパンやリストのCDを聴いています。上品な美しい音と軽やかさが、朝の風に気持ち良く響きます。
ずっと自分の練習に明け暮れていると、自分の音を聴いているだけになります。そして、耳がだんだんそれに慣れていって、その音の世界の中だけで、良いとか悪いとかを判断していきそうになります。音楽の表現においてもしかりで、それがひどくなると、一人よがりということになってしまいます。
美しい絵を見るのも、心のこもった温かいご飯を食べるのも、感動的な映画を見るのも、楽曲を勉強するのも、すべてその人の体内で消化され血肉となって「その人」をかたちづくっていくのでしょう。そして、そのようなインプットすべてが身体と心の内側に積もり積もって、初めて自分からのアウトプットとして出てくるのだと思います。無から有は生じないので、インプットあってこそのアウトプットだと思います。
音楽をやっている人にとっての、直接的なインとアウトは、乱暴にざっくり言えば、聴くことがインプットで演奏するのがアウトプットというこになります。練習とはその間をつなぐもの。だから、演奏家のコンサートを聴きにいったり、CDを聴いたりするのはとても大切なことです。この中から、学ぶことがたくさんあります。とても真面目で、熱心に練習してくるのに成果があがらないという生徒に、ときどきレッスンの時にうちでいっしょにCDを聴いてもらうことがあります。「CDをじっくり聴いてみてごらん。同じ曲を違う演奏家のCDで聴き比べてみてごらん」とアドバイスするのです。
インプットとアウトプットのバランス、これが大切ですね。
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ずっと自分の練習に明け暮れていると、自分の音を聴いているだけになります。そして、耳がだんだんそれに慣れていって、その音の世界の中だけで、良いとか悪いとかを判断していきそうになります。音楽の表現においてもしかりで、それがひどくなると、一人よがりということになってしまいます。
美しい絵を見るのも、心のこもった温かいご飯を食べるのも、感動的な映画を見るのも、楽曲を勉強するのも、すべてその人の体内で消化され血肉となって「その人」をかたちづくっていくのでしょう。そして、そのようなインプットすべてが身体と心の内側に積もり積もって、初めて自分からのアウトプットとして出てくるのだと思います。無から有は生じないので、インプットあってこそのアウトプットだと思います。
音楽をやっている人にとっての、直接的なインとアウトは、乱暴にざっくり言えば、聴くことがインプットで演奏するのがアウトプットというこになります。練習とはその間をつなぐもの。だから、演奏家のコンサートを聴きにいったり、CDを聴いたりするのはとても大切なことです。この中から、学ぶことがたくさんあります。とても真面目で、熱心に練習してくるのに成果があがらないという生徒に、ときどきレッスンの時にうちでいっしょにCDを聴いてもらうことがあります。「CDをじっくり聴いてみてごらん。同じ曲を違う演奏家のCDで聴き比べてみてごらん」とアドバイスするのです。
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