Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

500周年記念の一望

2023-10-10 | 文化一般
先日紹介したCDボックスを鳴らした。思っていたよりも素晴らしい録音だった。先ずはシェーンベルクの「ヤコブスの梯子」も上手に録られている。総体してこの録音の1996年頃はこの指揮者の絶頂期だと分かる。よって、今世紀に入ってから「千人の交響曲」を生で体験した時よりも制御が効いた指揮であり、同じ楽団が上手に演奏している。なんといってもその音響は見事である。

日曜日のミュンヘンでの初日の批評はまで出ていない。しかし幾つかの呟きを総合すると音響的に難しかったというのは窺い知れる。写真やヴィデオを見ると、独伝統的楽器配置で第一ヴァイオリンの反対側に第二ヴァイオリンが座っている。

この配置はブレゲンツでの演奏会時のアメリカン配置からすれば、当然あるべき姿と思った。アンサムブルが合わせ難いとかの技術的な問題もあるのだが、初演時の形を踏襲するのは当然で、ソリスツや合唱とのバランスもそこから演繹的に追及される。

それでもどうしても楽器も異なり、会場も劇場でとなると、その歌の明瞭さの為には出来る限り正面で聴きたく、また大編成となるとある程度の見通しと、その後半に広がった音源を集約して聴けるような距離感も欲しい。指揮台での音というのも一つであるが、余程楽曲を知り尽くして楽師や歌手に逐一指示できるほどでないと纏まった印象を得るのも難しい。

プレス席も平土間の後半とかで、バルコンのサイドとかには関係者席があったようで、そもそも主催がアカデミーという1818年からの組織である。だから劇場の直接の主催ではない。同日独仏文化波で楽団創立500周年記念に因んだ番組がTV放送された。そこで、その組織の発端として交響楽団運動を行う許可の書類も示された。

最初の起点として1523年の作曲家ゼンフルの手紙が現コントラバス奏者のアーカイヴ担当者から示され、その日付とされていた。それも楽師長とは異なって作曲家として任命されていた。それ以前にインスブルックのユダヤ人イザークが既に楽師長の任にあったようなのだが、資料がないのだろうか。

1777年には、ハイデルベルク城などで有名なクーアプァルツの支配者カールテオドール候がヴィッテルスバッハ―家の世継ぎの為にミュンヘンに嫌々移動したことから、シュヴェツィンゲンの夏の宮殿にモーツァルトらが学びに来た所謂マンハイム楽派の楽団の33人がその慰めに同行することになった。そこで教会音楽の反動的なラッソーらが育んだ楽師らと合弁することになり、当時の最先端であった楽派のクレッシェンドなどの奏法がそこで奏でられたことになる。楽長として同行したカナビヒなど楽師の給料目録が示される。

久しぶりに入浴した。八月の涼しかった時に浸かったかどうかの記憶はない。兎に角、長く入浴していなかった。シャワーではあまり綺麗にならない例えば足の裏とか、胸元とかも石鹸で擦るだけでも全然違う。冷たくも熱くもないお湯となったのでぐったりすることも逆上せることもなかったが、就寝は深く一気にとなった。中々普段はそう行くことはあまりないのはやはり神経が立っているのだろう。



参照:
黄金晴れのロココ日和 2007-10-01 | 暦
3D的感覚の認識 2023-10-05 | 文化一般
コメント
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