Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

現生に存在しない畏敬と平安

2023-10-13 | 文化一般
当夜のプログラムにいつものクラスティング氏が書いている。ペトレンコがアカデミーコンサートで最も取り上げた作曲家はマーラーであったと。音楽監督就任早々の特別演奏会と一般向け二回、そしてベルリンでの演奏会で交響曲三番を取り上げたのが2014年1月12日からで、2014年9月にリュッケルトリーダー5曲と第六交響曲、2016年3月にザイフェルトとゲルハーハーの「大地の歌」とスコッチ、2017年6月に極東旅行の為の交響曲五番とパガニーニラプソディ、2017年10月に日本から戻っての「魔法の角笛」、2018年5月に交響曲七番、2020年に交響曲八番の予定だったが、2020年6月にカウフマンの「若人の歌」が中継された。交響曲九番もその続きで予定されていた。

今回の演奏で改めて気が付いたことは少なくない。この曲で一番難しいのは交響曲とオラトリオの合作とされるような例えば四度動機の扱い方や三和音の展開形などの和声音楽の中での小さな単位の扱い方が分かり難く、結局今回も十分な時間も取れなかった。しかし同時にマーラー自身が書いている。

「ある変化が必要な箇所の必要ならざる得ない論理によって、それが自分自身の突然の驚きとして戻ってくる。自分自身をその芳醇の中に見出し、そこは楽天の花園と成り、もしかするとあなたが言うように、そこにタルタトースの夜の叫びを見出すかもしれません。…私自身、創作しているのではなく創作されているのだと感じています。」と女性に書いている。

このように可也の早書きで膨大な音符を扱って、指揮者メンゲルベルクに1906年8月18日に書いているように、この曲においてはその「独自の内容と形式」で「世界が鳴り、そして響き始める」と、「その声楽は最早人の声ではなく、惑星と太陽がそこに廻っているのです。」としている。

まさしくフィナーレの合唱もメシアン作曲「アシジの聖フランシスコ」と同様に実感として鳴り響く宇宙である。そこに不協和の響きとしての悪魔が存在しているというのは指揮者クーベリックである。シェーンベルクの初演や歴史に残る録音を残している指揮者であるが、美しいメロディーやハーモニーのみを聴いて、美しい建築美に耽る者はマーラーにそれを見いだせず、その様な者は人を語ることも一生叶わないだろうと発言している。

「大地の歌」を挟むその間の健康的な問題があったとしても、この作曲家にとっては語るべきことはここに語り尽くされていて、その逐一について十二分に示される演奏を実践するのも難しい。如何に響き亘る音を鳴らすことが容易ではないか、逆にそうして考え尽くされて選ばれた音というほどに容易でもない。熟練の指揮者であり、書き込める作曲家の筆があってこその作品である。

生涯最大の成功をおさめた交響曲で、マーラー自身が驚いていたのは上のような作曲の流れがあり、第二部のゲーテの「ファウストの場」と合わせて、規模だけでない大きさと内容がありそれだけに理解が難しい曲でもあったということだ。その場面における救済をして、この世には存在し得ない畏敬と平安があると、この大曲としている。(続く



参照:
宇宙の力の葛藤 2019-05-20 | 音
アムステルダムへと一週間 2023-06-16 | 文化一般
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