日々・from an architect

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俳人・金子兜太氏を偲びながら

2018-06-03 14:27:15 | 文化考

 朝日新聞の俳壇(歌壇・俳壇欄の・・・)に選者として登場され、心を打つ講評をされていた金子兜太氏が亡くなってから三ヶ月を経てしまった。この公募による俳壇欄の選者は、金子氏のほか(この後文中敬称略とさせていただく)、長谷川櫂、大串章、稲畑汀子の三氏である。

 僕は、高校時代は文学部の部長として様々な活動をし、文化祭の実行委員長を担ったりしたものだが、トンと我が作品らしきものが残っていない。わずかに`日が昇り日が沈んでいく`様を書いた詩らしきものを起稿したりした部誌に、夜間部(母校・千葉県立東葛飾高校の、2部・夜間部はなくなった)の教師をしていた作家川上宗薫との連名で部活の報告を記した事などの、ささやかな記憶しか残っていない。

 其れでさえも数十年前のことになり、卒業してから時を経て同級生たちと4年毎に行ってきた学年の同窓会の開催を提案して初回の代表を担ったが、一昨年の6月に行った第7回の同窓会では2度目の発起人代表を担った。本会も来年には傘寿の会をやることになっているものの、楽しみな会合ではあるとは言え、昨今親しく付き合ってきた朋友が亡くなるなど辛いことも起きてきて、金子兜太氏の訃報と重なってくる。

 手元にある`角川文化振興財団`の発行による「俳句」5月号は、`追悼 金子兜太` と題した特集号となり、その付録「金子兜太読本」は僕の愛読書となった。僕が読み砕いている朝日新聞の朝日俳壇は、兜太氏が体調を崩されてから上記3氏だけとなり、併設している4人の`歌壇`紙面構成が組み合わせの短歌(歌壇)との整合性が気になっていたものの、それだけ金子兜太氏の存在が身に浸みてきてしまう。その本年(2018年)2月22日の項、「革新の俳句 反戦貫く。反骨心と優しさと」。そして2月26日の項・俳句時評のタイトルは「土の人 金子兜太」(俳人・黒田侑布子)である。その記述、取り上げた金子兜太の一句は〝よく眠る夢の枯野が青無まで″である。

 さて敢えて記す僕の心に残る一句は、『水尾の果て炎天の墓碑を置きて去る』。

 招集されたトラック島引き揚げのときの句だとのことだが、こんな一言を記している。「珊瑚礁をでて、午後の水平線に向かって失踪する駆逐艦上に寝て、この句を作った」。

この句を愛でながら、僕はフィリピンで戦死した僕の父の無念の想いを汲み取って、兜太が天寿を全うしたことにホッとしていることを、敢て書き・記しておく。



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