日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

ハゲタカとビル・エバンスの出会い

2006-04-28 10:11:18 | 日々・音楽・BOOK

「出会い」という言い方がある。人や事象と遭遇する、或いは日常の中でふと思いもかけない発見があったりして人生が左右されたりすることがある。でもそんなに大げさなことではなくてもつい「出会い」といいたくなる出会い!があったりする。

真山仁という作家の「ハゲタカ」という小説を読んだ。図書館で何故か手に取ったのだ。何故かが『出会い』ということなのだ、きっと。

ゴールデンイーグルの異名を持つ鷲津政彦と、名門日光ミカドホテルを引き継ぐはめになった松平貴子が主人公になる企業再建を題材をテーマとした、シビアな経済小説である。
ノウハウものが全盛の今、そのノウハウ物の嫌いな僕の、まあいわば経済指南の唖然とするほど臨場感溢れる物語。
僕はこういう本で経済を学んだりするのだが、そこにJAZZピアニスト「ビル・エバンス」が登場する。といっても亡くなったエバンスが出てくるのではなく、エバンスのソロアルバム「アローン」が出てくるのだ。これが物語の重要な役割をなす。

『「ア・タイム・フォー・ラブ」ビル・エバンスの`アローン`の中にあるジョニー・マンデルの曲ですね」鷲津はその声のほうを見上げた。バーの入り口に一人の女性が立っていた』
伏線はあるのだがこれが二人の出会いだ。

ハゲタカとして恐れられる鷲津は20代の頃ニューヨークでピアニストとして一旗揚げようと思っていたが、『ビル・エバンスはマイルス・デイビスとの傑作「カインド・オブ・ブルー」での彼のピアニストとしての異才ぶりは知っていたものの、さほど重要なアーティストではなかった』

「カインド・オブ・ブルー」が出てきて、更にJAZZピアニストをアーティストだと書いている。こういうのに僕はドキッとする。

『長いブランクを経てピアノに向かうときに彼の指が選ぶのは、何故か常に静かな世界観を持つ作品ばかりだった。エバンスの世界を彷徨し、やがて現世に戻ってきた。そばにいた貴子は、涙を浮かべていた。鷲津は再び「アローン」の一曲を弾き始めた。「ネヴァー・レット・ミー・ゴー」偽らざる自分の気持ちでもあった』

さて、これを読んでぐっと来ないエバンスフアンがいるだろうか。
僕はこの一節で真山仁に出会い、更に政治と経済界の裏世界をも垣間見た。小説とはいえ!
というわけでこの日曜日は、布団の中でアローン(一人で聴くためにね)を聴き、エチオピアの豆を挽き、味の濃いモーニング・コーヒーを飲みながらカインド・ブルー「フラメンコ・スケッチ」のエバンスの天から響くソロパートに朝からしびれたのだ。

真山はこのシーンを書きたいという思いだけのために、鷲津をまっとうできなかったJAZZピアニストと設定し、しかもエバンスを心に留めていなかったが結局エバンスに戻ったと描く。そして狂気の廟の日光を舞台にし、タウトを曳き出しながら真山自身の思いを物語に託すのだ。

モダニズム全盛期に建築を志した僕は、学生時代、意匠論の講座で日光を否定し桂離宮賛美の建築教育を受けた。今にして思えば正しくタウトの世界、そういう時代だったのだ。でも親しい建築家Y・Sさんと日光を見たとき、彼はここは正しく廟だといった。意識してもしなくても人は其れが人の心に入り込み、どこかに震撼とした想いをとどめる。そうなのだ。それがこの物語の真髄でもある。

とあえて言うのはこの物語の舞台は結局日光だからだ。

鷲津はこういう言い方をする。「かつて世界中に日本ブームを与えたドイツの著名な建築家ブルーノ・タウトが、ここを見て「建築の堕落だ、しかもその極地である」と吐き捨てたそうだが、君もその口か?」
その答えを鷲津の私的なパートナーでもあるリンにこう言わせる。
「私は彼の『華麗だが退屈だ』を支持するわ。しかしヘル・タウトは大きな間違いをしている。この陽明門は美を追求した建築物じゃない。狂信的権威者が己を神化させるために創り上げた魔宮。だが家康は完成の瞬間からの崩壊を恐れ、未完成な彫刻や間違った逆柱をあえて組み込んだ」
なかなかな解釈ではないか。 さらに・・・

一方の鷲津は「いやそれだけではない。都を興した賢帝の霊廟を都の真北に安置するとその都の鎮守となり都を護り、末永く繁栄する」と己の志を示唆しながら述べるのだ。そしてアメリカの女リンは日本に与した真山から離れる。
無論物語を組み立てるために彼はこの見事な風水論考を組み込んでいるのだが、エバンスにしろ風水思想にしろ作者真山がJAZZと日光を物語に託して一言薀蓄を傾けたかったのに違いない。その出来がよければ読者はニヤリとし、作者はしてやったりとにんまりするのだ。

タウトの旧日向邸が重文になる。
この建築に関わっている僕は,真山のタウトを引っ張り出した適切な解釈・論考にニヤリとして彼の想いに乗ってやる。それも真山とエバンスとの出会いへの僕のささやかな返礼なのだ。こういう楽しみ方があってもいいし、だから僕は真山に出会ったといいたくなるのだ。

真山仁は2004年にダイヤモンド社から発行されたこの「ハゲタカ」がソロデビュー。読売新聞記者を経た1962年生まれのまだ40代。息つく間もないほどのストーリー性に富み、登場人物は立場は違っても自身にプライドを持つまさにプロの世界、経済小説とはいえ良質の冒険小説を読むようだ。分厚い上下巻を一気に読んでしまったが、ほのかな余韻が心に留まる。楽しみな作家が現れた。




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3 コメント

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コラージュ (penkou)
2006-05-01 15:57:30
追伸

嘗て撮った写真と、鉛筆で描いたイラストをくっつけてスキャニングしてみたのです。コラージュって言うほどのことでもないのですが、こういうことをやってみると、いろいろなことを試してみたくなります。MOROさんも一度トライしてみてはいかがですか。
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桂離宮とモダニズム (penkou)
2006-05-01 12:36:09
MOROさんの時代は特段桂賛美、日光否定教育ではなかったのですか?まあ考えてみると僕自身がそういう教育の影響をすごく受けていますね。(コメント頂き、文面に少し加筆しました)

でも桂離宮の存在は今でもそれなりに大きく、修復されたことについてのレプリカ問題にDOCOMOMOのシンポジウムで磯崎さんは触れましたし、木造モダニズム論考に関わってきます。

日光は其れ(桂)と対比するのではなく、取り上げた小説の中で述べられているような考え方は結構説得力があります。

タウトが日本の文化を考えた時の桂論考(そう単純ではないものの)も影響は結構大きく、ちょっと引きずられているところがあると思います。建築って面白いですね。
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時代によって教育も変わるのですね。 (xwing)
2006-04-30 19:31:49
 日光東照宮が否定されるような時代があったのですね。建築に限らず、教育というのは、その指針をよく変えますね。

 私は学生時代3度も訪れ、単純に感動しておりました。広い敷地では行く度に新鮮さを感じておりました。陽明門は特に!又、訪れてみたい場所です。

 ところで、写真とイラストを同時にコラージュ出来るのですね。
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