テレビがデジタルになって時間帯が変わったので、録画して繰り返し愉しんでいる番組がある。NHK BSプレミアムの「週間ブックレビュー」である。土曜日の早朝6時半からになったのだ。
毎週メンバーの変わる3人が興味を持った3冊の本を紹介し、そのうちの一冊を合評するスタイルで、そのあと話題になっている本の著者を招いてインタビューする。そのどれもが興味深く面白い。司会者二人で掛け合う呼吸が絶妙で、紹介された全ての本を読んでみたくなるのだ。そして作家とは何者だ!と思うことになる。
僕の3冊とはなにか。最近読んだ本を考えてみた。
あさのあつこの「木練柿」(こねりがき)と、沢木耕太郎の「旅する力-深夜特急ノート-」には心が揺さぶられた。そして「旅する力」に触発されて再読した沢木が43歳のときの「チェーン・スモーキング」。
「木練柿」は別の機会に書くことにして、沢木の二つのエッセイに触れてみたい。
ふと感じたのは、26歳のときにユーラシアへの旅を思い立ってスタートした紀行文「深夜特急」は、多くの若者をゆさぶったが、沢木の人生を決定付けただけではなく、若者たちの生きかたをも動かした。
副題に`深夜特急ノート`とあるように、このエッセイは、`深夜特急`に触れながら、沢木自身の人生の変遷を記述している。第五章は「旅の記憶」。旅には適齢期というものがあるのかもしれない、とある。それが26歳だという。
「26歳になったので会社を辞めて日本を出ることにした」という人が現れるようになったと書く。
26歳。棟方志功から(正確にはちや夫人から)インドに旅するので一緒に行かないか(しかもお金を出してあげるからとまで!)と誘われたのが26歳だった。同行していたら、と考えることもあるのだが・・
一緒に仕事をした事のあるT君は、ウラジオストックから列車でイタリアへ向かった。思い出すと僕の周囲にそういう旅にトライした建築家の卵が何人もいた。沢木も触れているが彼は「バス」にこだわった。とは言え、僕たちを惹きつける深夜特急という出色のタイトルを思いついた沢木は、数は少ないが深夜を走る夜行バスに乗ったことを後悔していると述べる。通過した街のさまが解らないからだ。
僕は一度だけだが沢木の話を聞いたことがある。十数年前になるのか!JIAトークだった。
若き羽生善治にヒヤリングしてきたと述べたことも記憶に新しいが、深夜特急を題材にして「旅」を語った沢木に、質問しようとしてためらったことを鮮明に憶えている。そのころの僕は、写真家藤原新也の「旅」を生々しく、また耽溺的に撮ったといいたい写真とともに構成した「全東洋街道」に魅せられていて、忽然と登場した棋士羽生のことと、藤原新也の「旅」をどう思うかと聞いてみたかったのだ。ためらったのは、どこかに藤原新也と比べて物足りない思いを吐露しそうで不躾付けになることを恐れたのだった。ところが年を経て読み返してみると、若き沢木の瑞々しさがなんともいいではないか。
もう一遍の「チェーン・スモーキング」は、多少の気負いがなんとも楽しく、壮年という年代の熟成の自信が読み取れる。沢木の一面に思いを致すのである。
「旅する力」のあとがきの後に、深夜特急をドキュメントしたTV番組で沢木耕太郎役をやった大沢たかおとの対談が掲載されている。
年配者としての沢木の言葉使いにオヤッと思った。そして旅をするときに、ある年齢を感じると述べる。僕より7歳若い沢木耕太郎にそういわれるとねえ、と思ったりもする。
9月の末に、建築家たちと鎌倉を歩いて見た彼岸花(曼殊沙華)の写真を記載する。「彼岸」、僕が初めて海外に行ったのは26歳から15年を経た41歳、戦死した父終焉の地フィリピン、ルソン島を訪ねる旅だった。
毎週メンバーの変わる3人が興味を持った3冊の本を紹介し、そのうちの一冊を合評するスタイルで、そのあと話題になっている本の著者を招いてインタビューする。そのどれもが興味深く面白い。司会者二人で掛け合う呼吸が絶妙で、紹介された全ての本を読んでみたくなるのだ。そして作家とは何者だ!と思うことになる。
僕の3冊とはなにか。最近読んだ本を考えてみた。
あさのあつこの「木練柿」(こねりがき)と、沢木耕太郎の「旅する力-深夜特急ノート-」には心が揺さぶられた。そして「旅する力」に触発されて再読した沢木が43歳のときの「チェーン・スモーキング」。
「木練柿」は別の機会に書くことにして、沢木の二つのエッセイに触れてみたい。
ふと感じたのは、26歳のときにユーラシアへの旅を思い立ってスタートした紀行文「深夜特急」は、多くの若者をゆさぶったが、沢木の人生を決定付けただけではなく、若者たちの生きかたをも動かした。
副題に`深夜特急ノート`とあるように、このエッセイは、`深夜特急`に触れながら、沢木自身の人生の変遷を記述している。第五章は「旅の記憶」。旅には適齢期というものがあるのかもしれない、とある。それが26歳だという。
「26歳になったので会社を辞めて日本を出ることにした」という人が現れるようになったと書く。
26歳。棟方志功から(正確にはちや夫人から)インドに旅するので一緒に行かないか(しかもお金を出してあげるからとまで!)と誘われたのが26歳だった。同行していたら、と考えることもあるのだが・・
一緒に仕事をした事のあるT君は、ウラジオストックから列車でイタリアへ向かった。思い出すと僕の周囲にそういう旅にトライした建築家の卵が何人もいた。沢木も触れているが彼は「バス」にこだわった。とは言え、僕たちを惹きつける深夜特急という出色のタイトルを思いついた沢木は、数は少ないが深夜を走る夜行バスに乗ったことを後悔していると述べる。通過した街のさまが解らないからだ。
僕は一度だけだが沢木の話を聞いたことがある。十数年前になるのか!JIAトークだった。
若き羽生善治にヒヤリングしてきたと述べたことも記憶に新しいが、深夜特急を題材にして「旅」を語った沢木に、質問しようとしてためらったことを鮮明に憶えている。そのころの僕は、写真家藤原新也の「旅」を生々しく、また耽溺的に撮ったといいたい写真とともに構成した「全東洋街道」に魅せられていて、忽然と登場した棋士羽生のことと、藤原新也の「旅」をどう思うかと聞いてみたかったのだ。ためらったのは、どこかに藤原新也と比べて物足りない思いを吐露しそうで不躾付けになることを恐れたのだった。ところが年を経て読み返してみると、若き沢木の瑞々しさがなんともいいではないか。
もう一遍の「チェーン・スモーキング」は、多少の気負いがなんとも楽しく、壮年という年代の熟成の自信が読み取れる。沢木の一面に思いを致すのである。
「旅する力」のあとがきの後に、深夜特急をドキュメントしたTV番組で沢木耕太郎役をやった大沢たかおとの対談が掲載されている。
年配者としての沢木の言葉使いにオヤッと思った。そして旅をするときに、ある年齢を感じると述べる。僕より7歳若い沢木耕太郎にそういわれるとねえ、と思ったりもする。
9月の末に、建築家たちと鎌倉を歩いて見た彼岸花(曼殊沙華)の写真を記載する。「彼岸」、僕が初めて海外に行ったのは26歳から15年を経た41歳、戦死した父終焉の地フィリピン、ルソン島を訪ねる旅だった。
「一瞬の夏」は確かにバイブル。心打たれますね!ボクシングフアンとは必ずしも言えない僕であっても。
そういう意味では、取り上げた「深夜特急ノート・・・旅する力…は必読だと思います。忙中忙の中でどうぞ!