日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

此の春の一時に:終わりと始まり!…を

2018-05-03 21:14:44 | 自然

微かに薄日の漏れる此の春の連休、自宅から丹沢につながる山並みを見遣りながら此の一文を起稿する。

既に2週間ほど前になるが、盟友連と新宿で酒を酌み交わしたものの、転んで胸を打った。その時は然したる事はなかったが、翌朝痛くなって病院に行き、レントゲンを撮った後.医師が特殊な包帯で縛った右胸の状態・体調を気遣いながらも今朝は、コルトレーンの「バラード」を架けて`日ハムと楽天`の戦いをTVで観戦しながら此の一文を起稿している。さてっ!とモタモタしていたら9回の裏、日ハムの逆転勝利。北海道の友人の喜ぶ顔が幾つも浮かび上がり思わずニコリとする。

 ところで見入っているのは、朝日新聞の「文芸・批評」欄の池澤夏樹書の「終わりと始まり」欄。タイトルは`主体的な思想なき政府`。サブタイトルは、■米国への「異様なる隷属」というかなり過激な文言、そして本題は上記『主体的な思想なき政府』である。

 僕がこの一文に見入るのは、池澤の歯に衣を着せぬ文言が、そのどれにも共感・共鳴するからである。

例えば、2004年の沖縄国際大学通りの日本機墜落事件の折、消防・警察さえ現場に入れなかったとの一文は、その直後の訪沖の折り、現地へ案内してもらって状況を確認した。その折、沖縄と本土(奇態な言い方だと気になっているのだが!)での情報公開の差が気になったことを想い起こすし、次の欄の一言,「歴史は過去をなぞり、われわれは1940年代と同じ誤りを犯している、との文言の後の一言゛『冷戦後、衰退するアメリカにまだ日本がしがみついているのは、国を担う思想基盤がないからだ』との想いを池澤は敢えて書き連ねてるからだ。(この一言は我が文体`に置き換えている)。そして、池澤の存在が僕の中に留まることになると共に、日本の行く末が気になってくる。<文中敬称略>



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