日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

夏が終わり 豊かな村野藤吾の箱根プリンスで

2012-09-09 18:07:04 | 建築・風景

お盆には仏様がうちに帰ってくるんだっけ、と妻君が言う。富士霊園に向かう車の中だ。
8月15日は終戦の日だがお盆でもある。そういえば旧盆だったか新盆だったかは思い出せないが、妻君の母親が迎え火と送り火を焚いていたと聞いたことがある。でもお彼岸に行けなかったたんだからだと仏様は分かってくれるわよ!と妻君。 まあねと僕。

妻君と僕の気質は娘のどこかに引き継がれていると時折り感じることがあるが、この迎え火送り火伝統行為は途絶えた。でもご先祖様への思いは引き継いでいるからいいんじゃないの!というのが我が家である。
お墓まいりのあと箱根に行くことにして家を出た。箱根の何処とはきめないのも、僕の言い出したことには口出しをしない(してくれない?)のが我が家なのである。さてと思いながら車に乗って地図を開いた。ふと行ってみようかと思ったのは、芦ノ湖湖岸に`九頭竜神社`の名を見つけたからだ。

場所がよくわからないが、まず箱根神社辺りに行ってみようかと妻君と話す。たわいのないこんなことは本編の主題ではないのでさっと書き流してしまおうと思うがさて!
箱根大神を御祭神とする箱根神社は関東における山岳信仰の一大霊場となり、明治期の神仏分離によって、関東総鎮守箱根権現から箱根神社になったと社務所でもらった案内書にある。そしてこの境内に九頭竜神社があるのに気が付いた。
安芸の宮島のように鳥居が水中(芦ノ湖の)に立つのがこの箱根神社だが、この鳥居が九頭竜と何がしかの縁があるのではないかと考えたりする。でもその由来は何処にも書かれていない。

社務所に箱根神社とともに御朱印があるので頂くことにした。昔来た時にここで御朱印帖を買ったよ、と妻君に言われた。そして帰宅して調べたら表紙に箱根神社の紋が織り込まれている御朱印帳があった。よく憶えているものだ。奉拝平成八年九月一日とある。御朱印はその時の箱根神社のひとつだけ、そして16年前とまったく同じの文面の案内書が挟み込まれていたのである。

―箱根プリンス―
時間が後先になるが、お昼を何処で食べようかとなって、箱根プリンスが頭に浮かんだ。
村野藤吾が1978年に設計したこのホテルのロビーラウンジに魅せられて何度か訪れたことがあるが、まだメインダイニングで食事をしたことがない。
娘は四国巡回のサマーバケーション中、晴れたと思ったら暴風豪雨の一週間を我が家に閉じこもって、来春より写真と文による建築誌に連載するための試作(思索)をすることで終わることもないだろうと、お墓参りに出かけてきた僕たちのバーケーションに華を添えるようなものだ。

インド砂岩を使ったこのロビーラウンジ(通路的な空間)は、何度来ても心が騒ぐ。
コトバで言い表すのは難しく、写真を見てもらいたいと逃げたくもなる。砂岩と埋め込む目地の色合いや質感と、柱から持ち送った壁体にしつらえた彫刻置き場とその台座や天井の組方の空間構成とその寸法感覚に、これは村野藤吾一人のものだとしか言い表せない。

メインダイニング、ル・トリニアンでの昼食は、僕は普通のビーフにしたが妻君は、お店の人かから、カレーには白いものなどいろいろとあるが、このピンクカレーはおいしいですよと言われて、面白いからそれにしたらと!と勧めたものだ。ピンクと言うよりやや紫かかったこのカレーを一口試食したがさすがに箱根プリンス、深い味わいがあってとてもおいしい。

でもこのカレーは一編のエピソード。
レストランの高い天井を見上げながら、曲線を使ったデザインとともに、妖しげなオーラが漂う吊るされている照明器具に魅了された。
FRPでつくられた三対の女の顔をダチョウの羽で包み込むという村野の発想の不思議さに呆然とさせられる。このイメージはこの建築のスケッチを積み重ねる中で湧いてきたものなのだろうか。あるいは村野の中のどこかにいつの頃からか漂っていたものなのだろうか。そしてやわらかい線でスケッチをし、試作をして裏面に照明を置いてみたときにかもし出された女面の綾に、あの厳格な村野の顔が、ふっとゆるんだのではないかと夢想する。

モダニズム建築と同世代・モダニストであろう僕であっても心が揺さぶられる、村野藤吾と茨城キリスト教大学セント・キアラ館の白井晟一という二人の建築家の存在は、日本の建築界の持つ豊かな可能性をいまだに僕たちに伝え続けているのだ。この二つの建築を味わったこの夏は、一際感慨深い。

<写真はロビーラウンジ>


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2 コメント

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よいっすね ()
2012-09-11 21:48:47
この感じ。
京都都ホテル、今回は前を歩いただけでした(笑)
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もういちど! (penkou)
2012-09-13 10:29:19
mさん
やはり村野藤吾という建築家を、もう一度考えなくてはいけないでしょうね。沢山見ることと、長谷川堯さんの力作(著作)を紐解くことからスタートでしょうか!
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