日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

生きている建築 なくしていいのか都城市民会館(4)

2007-09-13 13:48:02 | 建築・風景

副市長にDOCOMOMO選定建築物に選定した記念として、選定プレートを送呈したが、その後の記者の質問に、副市長は、ありがたく受け取るが、だからといって解体の方針は変えないと答えた。議会決定をしているのでそう簡単に翻意できないのはわかるが、そのコメントで「新しい施設をつくったので、この市民会館の役割が終えた」という言い方には納得できない。

役割を終えたのではなく、都城市が永い間積み立ててきた資金に、県からの助成金受け、更に多額の借り入れを起こして、新しい箱物をつくってしまっただけではないかといいたいのだ。その裏に政治家や業界の様々な思惑があるのではないかと疑いたくなる。

前市長の時代、この建築の存続について市民にアンケートを取ったところ、既に新しい施設ができたにもかかわらず、残すべきだという回答が、取り壊すべきだという声よりもわずかだが上回った。しかし市長が変わった今年になって、多額のメンテナンス費用を掲載し、「役割を終えた市民会館」とタイトルを打って、取り壊す事について市民に問いかけたアンケートでは、約80対20で解体容認が上回った。市の情報操作の恣意が見え隠れする。それでも20パーセントの存続支持があることは大切な事実だ。
この建築の存在を、もう一度市民の方々にも考えてもらいたいと思う。

見学した新施設は、120億円という膨大な事業費によってつくられた、今の時代のデザインスタンスを表現した贅沢だがいい建築だ。しかし菊竹さんのつくった時代を切り開いていこうという意気込みは感じ取れない。建築が総てそうあるべきだとは思わないが、菊竹さんの市民会館の存在が、そのために浮かび上がってくるような気がした。
40年前、市民の誇りとして創られ、様々な想い出の宿っているこの建築を、本当になくしていいのか。その記憶を消し去っていいのだろうか。市民の建築だが、この市民会館は僕たち建築家のものでもあり、日本の世界に誇る文化資産なのだから。

閉館している市民会館を見学させてもらった。
そして仮設の投光機の中に浮かび上った、オーディトリアムの有様に息を呑んだ。幸い、というと言う僕も辛くなるが、日南市文化会館のような改修がされていないのがありがたい。この異形といわれる形が、機能を素直に表現し、それを世界に伝えるために厳しく、情熱を持ってデザインされたことが、オーディトリアムの側面からも、天井からも、ひしひしと僕たちに訴えかけてくるのだ。菊竹清訓さんが若干38歳の時だ。
人間って素晴らしい。人の持つ可能性に僕は奮い立たされる。この建築は生々しく生きていて、使われることを今か今かと待っている。