キースがピアノに指を下ろした瞬間、胸がジーンとなった。半年も前になる5月8日の上野の東京文化会館大ホール。キース・ジャレットトリオの演奏が始まったのだ。
音がいい。キースの音がクリアだ。僕のいる席は2階の奥で必ずしも条件のいい場所ではないが、音が見事に響くのだ。これがキースの音だと思った。そしてアコースティックベースを電気で増幅するゲイリー・ピーコックの音とのバランスも良い。言うまでも無く、ジャック・ディジョネットの、ピアノとベースを生かすような抑えかたもいい。キースのいつものうなり声も、いい具合に聞こえてきて、微笑ましく納得する。
演奏が素晴らしいから音もいいのだが、やはりこの音は、前川國男の設計したこのホールの音なのだと思った。
僕は、後半のスタート「ベイジン・ストリート・ブルース」を堪能しながら、様々なことを考えていた。時折中腰になってのめりこむキースの姿にグッときながら。
ライブとはいえ2000人を超す大ホールでの演奏と、ヴィレッジ・バンガードのようなライブハウスでのプレイとのスタイルの違い、それとこの文化会館の、改めて感じた魅力である。
休憩時間に人で埋め尽くされた広いロビーの、華やかな様子を見て感銘を受けたからだ。NHKホールは論外だとしても、国際コンペによってつくられた東京国際フォーラムでさえ、ゆったりしたロビーがないのだ。ホールは演奏を聴くためだけにあるのではない。音楽という文化を、演奏を通して感じとり、共感を持って語り合う場が必要なのだ。
ライブの魅力は臨場感だ。確かにそうだが、ライブハウスで録音された演奏にも、人のざわめきや食器の触れ合うささやかな音とともに、人の吐く吐息のような感動が塗りこまれている。繰り返し聴いていてもその趣はいつも新鮮だ。
この日の舞台は、黒い布でフロアを覆い、スポットライトを当てて非常用の案内標識も消灯して演奏された。舞台効果を挙げるためだと事前に場内放送が流れた。演奏を聴きながらその完成度に驚く。ゲイリー・ピーコックの髪がすっかり白髪になった。トリオを組んで時を経たのだ。
しかし60年代後半に、銀座のジャやンクに入り浸って聴いた、プレイヤー同士の、生きるか死ぬかのようなあの緊迫感は無い。
ジャズの臨場感はインプロビゼーション(即興)におうところが多いのだが、それはプレイヤー同士の戦いでもあり、聴衆に対する挑戦ではなかったのか。
でもまず僕が耳を奪われたのは、整った美しさだった。言い方を替えれば演出の美だ。アンコールの心のこもった演奏も心地よかったが、規定の数曲(多分そうだと思う)が終わると場内の照明がパッとついて、聴衆はためらわずに立ち上がる。あっけにとられた。
何かが違う。僕の求めているのはナンだったのかと、自問してしまった。