アントニン&ノエミ・レーモンド展が、9月15日から鎌倉の神奈川県立近代美術館で始まった。この展覧会は、アメリカに在住する各地の美術館の5人の学芸員が集まって企画した。発端は、レーモンドのアメリカでの拠点ニューハンプシャーに住む遺族が、所蔵していたレーモンドの資料を、ペンシルバニア大学のアーカイブス(ルイス・カーンアーカイブス)に寄贈したことによる。仲のいい5人が集まって、レーモンドの軌跡を世界各地を廻って調査し、アメリカでの開催の後、鎌倉近美へ巡回されたのである。
アメリカの底力を感じるのは、日本で活躍した建築家の調査に、ゲティ美術館(財団)などが資金協力をしたことだ。其の成果の一つが、日本ではほとんど紹介されたことのない、ノエミ夫人のテキスタイルや、絵画の展示だ。そしてそれがとても素敵なのだ。
鎌倉展では、DOCOMOMO Japanメンバーが協力した。日本のレーモンド建築の現状や、レーモンドの元で建築家としてのスタートを切り、日本の建築界をリードしていった、前川國男、吉村順三、増沢洵、ジョージ・ナカシマの活動も併せて紹介した。
カタログやポスターチラシなどは、DOCOMOMOでお馴染みの武蔵野美術大学教授の寺山祐策さんが担当し、建築写真家・清水襄さんの撮影したレーモンドの建築写真や、模型などを追加して展示した。新しくつくった模型は、東海大学渡邊研司研究室のつくった「夏の家」と、京都工業繊維大学松隈洋研究室の大学院生の作った、ジョージ・ナカシマの設計した「桂教会」だ。今も都市の中に活きづいているレーモンド像が浮かび上がった。
鎌倉近美でのこの展覧会の開催は、DOCOMOMOの活動が、ここでの20選展が出発だったこともあって感慨深いものがある。8年前のことだ。
また僕は、坂倉準三の代表作、この鎌倉近美の存続を願って、多数の建築家や歴史研究者、それに市民や学生とともに「近美100年の会」を組織して事務局長を担い活動してきた。しかし20選展の展示を行った池の中に建つ新館が、鉄骨の錆などの問題によって、この展覧会から使えなくなったこともあり、改めて建築のあり方を考えさせられることにもなった。
展覧会に併せて9月16日(日)にシンポジウムが開催された。
会場は、早稲田で教鞭を取った建築家、武基雄の代表作`鎌倉商工会議所`だ。この会場も思いでが深い。
高階秀爾、藤森照信、木下直之、松隈洋などそうそうたるメンバーによって、近美の存続を願う「近美100年の会」のシンポジウムを行い、これがこの会の発足になったからだ。それからも、もう6年にもなる。人と人との価値観の共有による信頼が、どこかで繋がっている様な気がする。
シンポジウムは、前半が日本のパネリストによる「日本のレーモンド」、後半は近美のキュレーター・普及課長の太田泰人さんの司会によって、アメリカのキュレーター5人が壇上に登った。テーマは「世界のレーモンド」である。
後半は、企画の中心的な役割を担った、カリフォルニア大学のカートさんの趣旨文を、中原マリさんが明快に日本語で伝えることから始まった。ケン・タダシ・オオシマさんは、「レーモンドとコンクリート」と題して興味深い発表をした。確かにレーモンドの、打ち放しコンクリートの東京女子大チャペルや自邸によって、日本のコンクリート建築歴史の一端が築かれていったのだ。
当日の会場設置には倉方俊輔夫妻や早稲田の学生渡邊真理さんや、模型を作った学生に僕の娘も手伝った。
建築の専門家ではない僕の娘の感想がわが子ながら面白い。パネリストの話が弾んで1時間も伸びたのに、それに結構難しい建築論であったにもかかわらず、「とても楽しかった」というのだ。
僕は前半の「日本のレーモンド」でコーディネーター、つまり司会をやったのだが、予定の時間が過ぎても、なかなか終わらないのでハラハラした北沢興一さん(元レーモンド事務所所員)の話が、一番面白かったのだそうだ。恐いレーモンドと、優しいノエミ夫人、それを尽きることのないレーモンドご夫妻への想いによって語る北沢さんから、建築や人の面白さが浮かび上がったからだろう。
時折日本語があやしくなるケンさんに、心の中で頑張れ頑張れと云い続けたと言う。ケンさんの朴訥な人柄のなせる業だ。それに何より中原まりさんって素敵だね!僕も同感だ。
彼らが日本へ調査に来たとき、僕は東京女子大のレーモンド建築を案内したし、DOCOMOMO20選展を高崎に巡回したシンポジウムでも、僕は司会をやり、ケンさんにパネリストとして話してもらった。ケンさんや、中原マリさんとは僕も仲良しなのだ。
連休の合間で「人が来るかなあ」と心配した会場は、当日訪れた人もいて補助席をぎっしりと並べたが、それでも入りきれない人で一杯になった。申し込んだ人を数十名も断ったそうだ。
パネリストの大川三雄さん(日大准教授)は、スライドで自分で撮った見事な写真を写した。そのプロジェクターの台は、みかんが入っていたダンボールの箱。挨拶をした山梨近美館長が、其のダンボ-ルを差しながら、この展覧会は「手作りで・・」と述べたら、会場から笑い声が起きた。何だか暖かい雰囲気に包まれる。この雰囲気は武先生の会場あってのことだとも思う。でもこのシンポジウムは、この和やかだけはなかった。
松隈洋京都工業繊維大准教授は、第二次世界大戦を控えてアメリカに帰ったレーモンドが、ユタ州の米軍施設で日本家屋街並を作り、焼夷弾効果の実験に協力したことに触れた。僕たちには周知のこととはいえ、それをどう考えるのか、常に心のどこかに留まっている問題だ。
時折笑いに包まれながらも、歯に衣を着せない様々な論考に、いいシンポになったとホッとする。
僕は前半の最後で、東京女子大「東寮」の解体に触れた。瓦礫の写真をPPで写すと、会場から慨嘆ともつかないざわめきが起こった。
「寝食を共にしつつ 学生らが考え 学び 笑い 悩んだ 熱い青春の日々がここにあった」と東寮の銘版に書いた,ここで学生生活を過したジャーナリスト藤原房子さんの言葉を伝えた。会場にいた藤原さんの眼が潤んで赤かった。
<写真提供 東京女子大学レーモンド建築東寮・体育館を活かす会>