日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

KING SEIKOが動かなくなった

2007-09-09 15:36:16 | 日々・音楽・BOOK

時計がとうとう動かなくなった。38年前に手に入れて愛用していた腕時計、金色のフレーム(真鍮だろうか)の「KING SEIKO」。
オフホワイトのダイヤル面に、切り抜いたSEIKOのエンブレムが誇らしげに貼り付けてある。針の軸の下部に、KING SEIKOの細い文字と、その下にはほとんど読めないくらい小さい文字でDIASHOCK 25 JEWELSとすっきり書かれている。裏面に刻印されているNOは、7201626だ。

手巻きで機械式のこの時計を買ったのは、大阪梅田の隣の駅、福島の商店街にある小さな時計屋だった。僕はまだ20代、福島に建っている病院の院長室、手術室や食堂・厨房の改修設計と、その工事の監理の為に、10ヶ月間出張したときのことだった。

ショーウインドウに飾ってあったKING SEIKOを見るために、何度も何度も足を運んでは溜息をつき、そして我慢しきれなくなって店に入ったのだと思う。おまけしてと恐る恐る店のオヤジさんに頼んだら、いやこれはね、まけられないのだと苦笑しながら、それでも端数を引いてくれたことを微かに覚えている。グランドセイコーには到底手が出なかったが、僕はこの時計で十分だった。

グランドセイコー(GS)は今でもSEIKOのブランドとして存続し、これを持つのは男のステータスだ。しかし今でも僕には高嶺の花、やっと手の届いた「KING SEIKO」はいつの間にかその名が消えてしまったが、当時はこの二つのブランドは、セイコーの双璧だった。

腕時計にはいろいろな想い出がある。
シチズンから、初めて防水時計が出たので喜び勇んで手に入れたのは、箱根のホテルの現場だった。現場の風呂で時計を腕にはめたまま入って大丈夫かと先輩に心配されたが、防水だからと自慢したものの、すぐに動かなくなった。苦い想い出だが、コマーシャルにすぐ乗ってしまうのは今に始まったことではないと、苦笑いしたくなる。
飛行機の中で,ANA時計も買った。次にANAに乗ったときに、スチュワーデス(今は客室乗務員と言わなくてはいけないのだろうか)に、うちの時計だと喜ばれた。
スターリングシルバーフレームに釣られて買った手巻きの時計は、うっかりすると止まってしまうし、フレームが黒ずんで困惑した。

無くした時計もある。黄土色のダイヤル面にグリーン縁の、格好いいので気に入っていた時計は、テニスの試合で汗になるのではずしたところ、どこかに消えてしまった。DOCOMOMO100選展のときに、ポスターやカタログデザインをしてもらった寺山祐策さんがデザインしたDOCOMOMO時計も、電車の中ではずしてポケットに入れたら、いつの間にかなくなってしまった。

数年前引き出しを開けたら、ダンヒルなど幾つかの時計の中に「キングセイコー」を見つけた。昔が蘇る。オーソドックスなスタイルが、むしろ新鮮だ。腕にはめたらなかなか格好いい。愛用品が蘇った。よく無くさなかったものだ。

動かなくなった時計の修繕を頼んだら、3週間たって「部品もないので修繕不可能」とセイコーから戻ってきてしまった。愛妻とは、部品も手作業でつくる、街の時計屋さんを探さなくてはいけないね、と溜息をついた。
代わりに手に入れたのは、渡辺力さんのデザインした安価な「リキ」時計だ。厚ぼったい機械式で土、日使わないと止まってしまうが、モダニズムフアンの僕にはピッたし。いいデザインだ。でも何だか他人のはめている時計が気になる。