日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

舞った、翔けた! 可愛い東女旧体育館

2007-03-25 23:53:03 | 建築・風景

`ちゃっぱ`という小ぶりなシンバルに似た鉦(かね)と、それを支えるような太鼓の音に旧体育館が震えている。「鳥舞」が始まっているのだ。

鶏の姿を模した被り物を頭に抱き、白い扇子を手にして二組の二神が舞う。日本の土地を生んだ神々、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)が仲良く舞っているのだ。繰り返されるリズムを刻むだけの鉦の音が単調さを超えて豊かに響き渡る。踊りを呆然と観ながらその鉦の響きに浸りきり、これは神にささげる音なのではないかと思った。

何時の間にか踊りは「三番叟」(サンバソウ)に変わった。
仮面をつけた踊り手が、跳びはね激しく踊る。案内書に「揺れる千早の美しさ」と記されているが、足拍子のリズム感が、舞いの美しい形となって観ている僕たちに迫ってくる。凄い体力だ。
三番叟のこの舞手は、東女の体育授業「日本の踊り」を指導する師匠で、還暦を迎えるのだという。そげた頬、精悍な風貌を持つこの舞手あっての鳥舞と三番叟。この二つの踊りは東北地方に伝承されてきた古能`山伏神楽`だという。

善福寺にある可愛い東京女子大学旧体育館で、東女の学生が中心となって行われる踊りの会に誘われて出かけたのは、3月3日、雛祭りの日だった。
僕の好きな体育館での踊りの会。好奇心を刺激されたのだが、神にささげる神楽を踊るのだとは思いもよらなかった。だがまさに思いもよらず惹きこまれた。

笛が加わり華やかな音が醸し出されると、「ゆらい」と呼ばれる赤い被り物をまとい、だらりに結んだ帯を締め、華麗な着物をまとった8名の美女群による踊りが始まった。古歌舞伎「小原木踊り」だ。着物の柄も色も様々だが扇の手振りも華やかで陶然とする。夢を見ているようだ。
この踊りが体育授業の受講者による先輩と現役の学生によって構成され、ICU(国際基督教大学)で教えていた指導者と共に公演されたということも、東女の懐の深いところだと感銘を受ける。

この「日本の踊り」は場を得たと思った。
ホールでは趣が違ってくるだろうし、大きな体育館ではこの風情を味わうことはできない。神に奉納する場合は、内とも外ともいえない神殿や神楽舞台で舞うのだろう。この東女の旧体育館は体育館だがそれを迎い入れることができるのだ。この後行われた東女フォークダンスクラブと慶応義塾の学生による「フォークダンス」では、この旧体育館は広々とした平原になった。

アントニン・レーモンドの設計によるこの建築は、レーモンドの故郷チェコキュビズムと、帝国ホテルの設計のために一緒に来日した師匠フランク・ロイド・ライトの影響がまだ残っていて、あの大きなライトの好んだ鉢を持っていたりしてとても魅力的だ。周囲の校舎との調和を保つために高さを抑えたこの体育館は、レーモンド建築の軌跡を考えるときに欠かせない建築でもある。

この体育館は「社交館」とも呼ばれていて、2層になっている体育館の両サイドの2階には暖炉がある.
そこでは教師と学生が暖炉に手をかざしながら、様々な対話をしてきたことだろう。この体育館では嘗て芝居が行われたり、今でも社交ダンスクラブでは東大、フォークダンスクラブは慶応義塾、日本の踊りはICUとの交流が行われているが、稽古や発表会の後この部屋を使って和やかな交歓が行われていることだろう。ロマンスが生まれたこともあるに違いない。

踊りの後の懇親会では、暖炉の前での東女OGの作家近藤富枝さんの軽妙な話術に笑いが絶えなかったが、それも豊かな東女の伝統だ。この体育館はここに学ぶ学生の生活にとって欠かすことの出来ない建築なのだ。

東京女子大では「東寮」とともに、この建築を壊してしまうのだという。
信じられますか?

<この華やかな「小原木踊り」の写真を見ていただきたいのだが、地方に伝わるこれらの日本の踊りは秘伝になっていて残念ながら公開できない。公演の後見学者と共に行われた稽古の模様の写真を見て頂くことにした>