日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

講談中興の祖二代目松林伯圓 第33回「伯圓忌」

2007-03-13 11:32:45 | 日々・音楽・BOOK

日暮里の南泉寺で毎年2月8日に行われる「伯圓忌」。
今年は白梅が花を持ち、紅梅も蕾がちらほら枝についた暖かい日差しに満ちた好天気になった。二代目伯圓の墓の前で宝井琴調さんと、雪が降ったこともあったヨねえ、うーん、これも温暖化ですかねえなどと言葉を交わしながら空を見やる。

ひところ講談家の写真を撮ることが僕のライフワークだと通いつめた定席にも、8年撮った高座の写真展をやった途端モチベーションが減退して通わなくなってしまった。しかしこの伯圓忌は余程のことがないかぎり欠かしたことがない。
仲の良い講談家にもあえるが、長いお付き合いの評論家、写真家や講談友達にも会える。いやそれだけではなくこの会を主催する六代目宝井馬琴師(講談の世界では先生というのだが、会って話しをするときは一門のお弟子さんと同じく師匠とよび、ウチでは親しく馬琴さん)とのご縁もあるからだ。

馬琴師は母校明大の先輩というだけでなく、何だか気心があい、時折酒を酌み交わす(と言ってもいつもご馳走になるのだが)こともあり、芸の最高峰にいる人から聞く芸談は刺激に満ちている。好奇心を満足させてくれるだけでなく、生き方をも考えさせられるからだ。
僕も講談をかなり聞きこんでいるし、講談史や評論,芸談の類は読み漁ったことがありそれなりの薀蓄を傾けることができる。何より馬琴師の修羅場の読み口にぞっこんなのだ。時折詠み込まれる緩急自在なリズムに酔いしれる。伝統話芸・講談美学だ。酒を飲みながら修羅場論を取り交わすなんてなんて贅沢な。学校の後輩という役得をしているような気がしてくる。

そしてこのところ途絶えてしまったが、僕が裏方で仕切っている本牧亭で行っていた馬琴師が修羅場(軍談)を読む「馬琴と修羅場を楽しむ会」は6年続いたし、年2回の助っ人に落語家を招き明大OBが楽しみにしている通称 `鰻やの会` は、昨年の12月に22回目を行った。この会が縁で落語家とも親しくなる。20回記念には落語協会会長の鈴々舎馬風師匠、馬琴師の講談協会会長就任記念になった第21回には林家木久蔵師匠を招いた。

本堂で管主による読経と参列者一同による「般若心経」を唱えたあと焼香をし、墓に向かう。管主がお経を読み、馬琴師がお参りした後は近くにいる人から適当にお参りする。写真家の森さんと横井さんが良いポジションを得ようと工夫しているが、僕も一頃そうだったなあと思いながら、今は一参列者として楽しむ。和やかで穏やかな風景だ。

それでも田辺から桃川になった鶴女さん、鶴英さん、つる路さんたちから「撮って」と言われ、年増の三人官女だねえと馬鹿を言いながらシャッターを押した。
「つる路さん、秋には真打だって?よかったねえ」とお祝いを言う。何しろはじめて上がった見習い高座の写真を撮ってあげたこともあったのだ。

二代目松林伯圓(しょうりんはくえん)は、天保5年(1834年)6月2日下館生まれ、明治38年(1905年)没。講談の中興の祖と言われるのは、創作力に秀で「鼠小僧」「安政三組盃」歌舞伎でも人気の「天保六花撰」など数々の講談本を創作し、講談を引っさげて芸能の世界に大きな力を発揮したからだ。得意の芸域にちなんで「泥棒伯円」の異名をとり、当時の芸人番付では、一方が八代目団十郎、片方が伯圓と位置づけられるほど人気者だった。落語の円朝人気をしのいでいたのかもしれない。この「伯圓忌」は馬琴師が33年前に組織したのだ。

墓参りからお寺に戻りお酒も振舞われる会食(毎年お寿司)を楽しむ。例年だと講談研究者による勉強会の後会食になるのだが、今年は伯圓の名作「お富与三郎」の名場面、切られ与三が啖呵を切る『玄治店』(げんやだな)の場を神田翠月先生が読むと言う。
度胸があるねえというのは僕の隣に座ったベテランの講談家。何しろこの会は講談家だけでなく評論家や講談にうるさいセミプロっぽい愛好家の集まりなのだ。いやいやそんなの意にも介さずさすがに翠月先生は聞かせる。拍手喝采だ。

さて今年の勉強会・講義は、武蔵野美術大学助教授の今岡健太郎さんだ。タイトルは「伯圓と乾坤坊斎 種について」。
「乾坤坊斎」なんて始めて聞く名だ。聞いてもすぐに忘れてしまうのでここに詳細を記せないが、伯圓の面白さが浮かび上がる。まあそれより何より今岡先生の喋り口が、落語家ともいいたくなるような名調子。さすがに検証が素晴らしく説得力はあるがなんともおかしかった。大学での講義は学生の人気を独り占めにしているのではないだろうか。

のんびりした初春の一齣です。