日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

一年経った僕のブログ CAMUSで乾杯

2006-07-30 11:14:20 | Weblog

ふと思いついてブログにトライしてから一年を迎えた。
書き始めて思いがけない発見があったりした。何より自分自身が何に惹かれ、様々な事象にどう対処しようとするのかというささやかな己の確認作業でもあった。後で述べるが、「文体」という厄介なものにも対峙することになった。しかし終生の友となりそうな予感する若き人との出会いがあったりした一年でもあった。
出会いとは好奇心と野次馬根性の賜物だ。とにかく機会があればどこへでも出かけること、出かけることによって新しい発見もある。この年になってそんなことを言うなんて!

何言ってるの、暑いのはしんどいなんていって街歩きに最近出てこないじゃない、といわれそうだが。でもそれはちょっとね、言い難いこともあるのだ。僕にも。
まあね、言い訳の予防線を張っておくのだ。年の功です。

書いたのは僕の生活のほんの一部分なのだが、それでもいろいろなことが起きるものだと思う。えらいね!と僕をよく知っている友人たちは言う。
そうかなあ、何かをやれば何かを失う。一日24時間という時間は誰だって同じで変わらない。ブログを書く時間でできることができなくなったかも知れない。でも同じことを感じている友人は周知のアナログ人間の僕が、ブログにトライしていること自体が不思議だという。また僕が高校時代に文学部だったことを思い出したという後輩もいたりする。僕の文章でもそれなりに読んでくれるのだと思うと嬉しいものだ。

語彙が乏しく、特につい何度も使ってしまう感嘆詞や、ハードボイルドぞっこん見え見えの文体に、時にはカッコいいと自画自賛したり、時にはいやみだと自己嫌悪、それなりに一喜一憂する。そんなこと言うとアホではないかと思われそうだ。
それとて他人のブログを読んで、個性豊かな言い回しであるほど感心しながらもいつも同じ発想、言葉の使いまわしだとどうも情けなくなるので、時折読み返してみて僕も気をつけようなどと考えたりする。

文体には感じるところがある。少し鼻についているスペンサー。一歩引いてみると彼らはおかしな会話をしている。
スペンサーの恋人スーザンは問う。
「彼がホークになるのに、なにが必要だったか」
「ホークであり続けるのに。彼は、維持するのが容易なホークを選ばなかった」
女性のいう言葉か!
実際にあんな言い回しでは生きていけないとは思うが、それがロバート・B・パーカー独特の文体。いや翻訳の菊池光の創り出したものか。でもプロはプロだ。鼻につこうがつくまいが。

書きたいと思うのは何故なのだろう。
ほぼ一月に5編のエッセイ。まあこれからも今までと同じこれくらいのペースになるだろうか。情けないことにテンプレートを変える勇気がない。
ともあれ2年目を迎える。

これまたふと思いついて一人で乾杯をすることにした。
ついにCAMUSのXOをあけた。COGNACが飲みたくなったのだ。
いつ手に入れたものか、何かの折にと思っていたブランディだ。甘い。でも風味が!
小さくかけているキースのピアノソロも心に響く。ケルンでのライヴだ。明日は設計している「二人の家」の図面をまとめたい。だがジ・オープンで谷原ががんばっている。眠れないではないか。蒸し暑い夏の深夜のひとり言。(7/23記)