日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

沖縄文化紀行 3 沖縄そば・揺らぐ原風景

2005-11-26 22:17:50 | 沖縄考

さて僕たちの研究課題の一つは「沖縄そば」だ。
「アジア遊学」53号(勉誠出版・特集企画渡邊欣雄)の沖縄文化創造特集に、沖縄民族研究家西村秀三氏による興味深い記述がある。タイトルは「揺らぐ原風景・沖縄そばの場合」。

沖縄そばにも歴史がある。西村氏の著述を参照しながら振り返っておきたい。文献では、明治23年の沖縄県統計書に、那覇に3軒の「蕎麦屋」があったと初めて記録されたという。しかしこの蕎麦屋は、そば粉を使った蕎麦か、中華風の今の沖縄そばのように小麦粉を使ったそばかの確認はできないそうだ。

沖縄そばは、ガジュマルなどの木灰のアクを取って小麦粉に練りこんで手作業で麺を打っていた。しかし次第に薪を使う家庭が減って木灰がなくなり、昭和の30年代の半ば(1960年頃)より、かん水が使われるようになって機械製麺化されて製麺所が増加し、だしも化学調味料の出現で蕎麦屋の開業が簡単にできるようになった。

沖縄復帰決定が1969年、1972年に琉球政府がなくなって本土復帰、わずか3年後には海洋博が開催されている。その一連の状況に「沖縄そば」は無縁ではない。
西村氏は、米軍の基地建設事業、日本復帰後の本土並み政策や沖縄海洋博特需によって、沖縄は公共事業にシャブ漬けにされた、と慨嘆されているが、沖縄そばの最大の顧客は、この建設作業員だったと明記している。

今日のブームのきっかけは、昭和62年(1987年)に刊行された「波打つ心の沖縄そば」(まぶい組編・沖縄出版)で、以来「沖縄そば食べあるき」本が次々と出版されていったが、当初は生粋の沖縄人による論考だ。当時はまだ観光が視野になかったことを考えておきたいし、それから18年しか経っていない。
僕が初めて沖縄を訪れたのがその2年後1989年だった。店にもよるのだろうが実は不味かった。女房や娘は沖縄そばは食べたくないと今でも言う。しかし・・・3年前に食べたときはなんとも美味かったのだ。十数年を経てそばも変わったのか。

そして此処からが僕たちの関心ごとなのだが、西村氏は「明治以前には庶民が沖縄そばを頻繁に食べたとは考えにくく、伝統料理とは言いにくい。`これが沖縄だ` という基準を知らずに生まれ育った世代が、本物の沖縄を探し求めようとするどこか屈折した故郷感を感じる」とし、「例えば木灰を使った手打ち麺或いは化学調味料を使わないだしに正しい沖縄そばをイメージし、その価値を理解することで沖縄人の自分を確認(アイデンティティと言って良いか!)しようとする。
だが悲しいかな、このときの沖縄そばは本物なのではなく、本物を学習する媒体である」更に「理想化されたそばは(公共事業などの政治性、木灰や天然だししかなかった貧しかった食糧事情)」の記憶を排除してしまう」と危惧する。

シーサーに埋め尽くされたお土産店が連なる国際通りや平和通を歩き、牧志公設市場を覗いて、沖縄は観光で生きることを宣言し、極めて精力的に実行していると実感した。
3年前と品揃えがかわった。

2001年9月11日、いわゆる911事件のニューヨーク同時多発テロの影響も大きい。基地のある沖縄でのテロを心配して観光客が減り、危機感を持った県では「沖縄観光コンベンションセンター」を設置、市民から接遇指導員を募って観光に本腰を入れ始めた。
実は僕の友人Yさんが応募し、活躍を始めていてその経緯を教えてもらい、戦後沖縄の原風景とも言える若者に人気のあるというアメリカ住宅や、改装した店舗などに案内してもらった。3年前のことだ。

この観光施策に沖縄そばも無縁ではないような気がする。そしてこの旅で何度かそばを食べ、沖縄そばも変わりつつあると思った。
3年前に来たときは、沖縄そばとソ-キそばのほとんど二つの品揃えだったのが、ソーキでなくテビチ(テビチもソーキか?)が多くなったし、具を変えてそれを売り物にする店もある。
読谷にNHK大河ドラマ「琉球の風」オープンセットを整備し、シーサー,黒糖、琉球玩具つくりなど様々な体験のできる「むら咲きむら」が誕生した。ロケの中心となった琉球式武家屋敷謝名亭で食べた沖縄そばに、紅芋を練りこんだ紅イモ麺が登場した。この紫色麺はこの観光施設のネーミングにぴったりで、定着しそうだ。
名護にはイルカを意味する「ヒートウーそば」という自然保護団体の神経を逆なでするようなそば屋ができ、観光客に人気があるという。
一方では木灰と天然だしを使い、民家を改修したような店構えをしつらえ、懐かしい沖縄として人を呼ぶ。

郷土料理として紹介される沖縄そばは、今や沖縄文化の原風景と言っていいのだろうか?


西村氏は、無意識の忘却と創造行為があり、沖縄の原風景が揺いでいるという。
文化とは何か。
僕たちが思う沖縄文化は、実は意識的にも、また無意識であっても人の思惑によって創られたもので、僕たちは2005年11月、その文化創造の原風景とその揺らぎを確認する旅をしているのだ。美味いものを食いながら楽しんで。 <写真 謝名亭>