日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

沖縄文化紀行 2 タコライス… 沖縄そば前哨

2005-11-22 16:06:34 | 沖縄考

東村(ヒガシソン)に行く途中、元祖タコライスを食べるために、金武(キン)町に立ち寄った。この旅を率いてくれる首都大学渡邊欣雄教授の提案だ。文化人類学では食い物の検証も大切なのだという。とてもいい旅だ。
沖縄で人気のある元々はスパニッシュ、メキシコ料理で知られているタコスは知っているが、タコライスと聞いたときは一瞬 `蛸` の姿を思い起こしてしまった。若い人に笑われそうだ。

ところで金武は、いま基地問題で揺れているキャンプハンセンの門前町といってもいいかもしれない。車を留めキャンプ入り口の真正面にある歓楽街に踏み込むと、アメリカが現れた。基地の町は概してそうだが若い外国人がたむろしているし、日本人もどうぞ!などと店の看板にも書いてある。
元祖タコライス発祥の店千里(キングタコス)には、since1984と書いてある。ほぼ20年前にできたのか。

タコライスの原形といえる、コーンの皮でひき肉やチーズを巻いたタコス、ゴザ(現沖縄市)のチャーリー多幸寿が1956年のオープン。米軍兵の評判になってゴザ名物になった。タコライスに先立つこと28年、と考えるより、戦後11年目に沖縄のタコスが生まれたことを考えたい。ここはキャンプ嘉手納の門前町!さすがにタコスを沖縄の民族料理とは言わないようだが、基地の存在抜きには考えられない。
ステーキもそうだ。僕たちはちょっと妖しげな一角にあるステーキハウス88ででっかい奴を食べたが、此処のインテリアもアメリカだった。

さて食べた(喰ったと言いたくなる)タコライスチーズ野菜は美味かった。600円・6ドルだ。安いが円高だ。
でもご飯の上にタコスの中身のひき肉やチーズ野菜を山盛りにのせたタコライスが出てきたときは驚いた。
喰いきれるか!
同行の二人の女性は一つを半分づつ食べることにしたが、食べきれない。僕はオリオンビールで腹の中に押し込んだ。それでも美味い。食べ物を残したくないのだが喰いくたびれてしまった。だから日本は負けたなどと最近は言わなくなったものの、これがアメリカパワーか!と書いてきて、チキンばらばら(5ドル)のことを思い出した。単なる唐揚げなのだけど一つ一つが大きくて唖然とする。誰も手が出ずテイクアウトしたはずだが僕は食べていない。どうしたのかな。
ところで店で微かに流れるBGMは島唄だった。最近の東京では中華料理屋でもモダンJazzが多いのに。

この旅で僕たちは夕食を2回、牧志公設市場(マチグワー)の2階の食堂でたべた。いろいろな店があって、といっても間仕切りがあるわけでもなく、なんとなく椅子やテーブルがおいてあって、店の人がニコニコしながら大声で呼び込みをやっている。此処は香港やシンガポールだ。いやいやこれが沖縄なのか。
僕たちはまあ一通り、スクガラス豆腐、ゴーヤチャンプルー(この二つは硬い沖縄の豆腐なしにはありえない)そして豆腐よう、ミミンガー、ラフティー、島らっきょうなど手当たりしだい、何を食べても美味いし安い。食うのも研究の一環と言う大義名分があるのが嬉しい。
でも「沖縄そば」はここでは食べない。美味いものがありすぎるから。
はて!ここにタコライスがあるのかどうか見落とした。