光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

冷たい雨に変わる。ビニルハウスの中にある植物たち、ほか。

2015-12-16 14:05:58 | 植物・花(冬)
  少し気温が下がってきている。雨である。


  いまは振動はなくなっているようだが、午前9時過ぎからまたガタガタしだしたので、どうしようかと悩んだが。


  ちょうどきのう、このガタガタ振動ゆえ、昼ご飯どきに書いたハガキを出しに行こうと思って、帰って来たとき

  どの道を選ぶか考えて、遠回りの道にしたが、それゆえ最後の1分ほどは弱い雨を体験したが、まー空気のような

  ものだと思う。で角を曲がるときに、

  ちょうど車も来たので、ヒヤッとしたが、向うの方も安全運転で、なおかつ会釈のようなことをされたので、

  あれあのかたは、ちょうどここのいえの真東にある、いえに住んでおられて、・・・。まったく何の関係も

  ないことはない方だったかなと思って。でもそれが本当かどうか、これこそ一瞬なのでわからなかったが、

  ただ軽トラックの後ろにハボタンのようなものを大量に積まれていて、あれこれ見たことあるなと。


  ここのいえの近くで、ビニルハウスはあるが、その中を見ることは、道からも見えるので、特にしかられるとかと

  いった問題はないと思うが。さらに中にあるのはもちろん植物で、随分とたくさんあるなと思っていたものの一つが

  ハボタンで、季節だなと思う。

  でも結構高さがある。背の高いハボタンで、でもまさかキャベツでもない。

  この中を見たついでに、問題はないだろうと、そこに栽培されているハボタンと他の花を撮ったのだが、

  今朝は、特に考えることもなく、いくらかの画像を作っていて、このハボタンの様子も中に入れたが、

  やはりきのうの、軽トラックの荷の記憶があったのかも。その荷台のハボタンが、私が撮ったビニルハウスの

  中のハボタンかどうかはわからないけれど、可能性はあるな。ただ、珍しいものではなく

  ビニルハウスで育てられている植物に、ハボタンがあるというくらいの意味だが。


  他の花のほうがきれいでもあって、でもそれが何かはなかなかわからない。それだけ離れているし

  また大きく写せるものでもないので。


  で、今日もまたほとんどの方が興味のないと思うことを書いてみると、私は1954年生まれで、1945年からは

  9年たっている。この1954年は、午年である。干支に関しては、わからないというか興味もないが、午年だ

  というのは、昔から親に聞かされていて、そうゆうものかのままである。

  もちろん、動物の馬と関係があろうがなかろうが、午年で、いまは、ね、うし、とら、う、たつ、み、うま、ひつじ、

  さる・・・、と頭の中ではいえるが、ときにわからなくなる。


  それで、またまた古臭いことを思い出して、11月の30日だったと思うが、父の妹、二人いた叔母の一人に電話を

  してみた。この叔母だけがいまは生きている。

  固定電話で通じるので、特にお金のことなど思うことはないが、私のほうから連絡するのは、両親の死以外では

  珍しいことで、12月になると雪でも降って大変なことになるから、今のうちにと思ってのことだった。


  でも雪は降らないのに、いまはやはり結構大変である。叔母はまだまだ元気で、でも電話での話しぶりは

  やはりむかしよりは、パワーがなくなったような感じはあった。ただ、息子さんは親孝行な方で、叔母はもう一回

  自分の生まれたこの場所に行きたいという希望を持っているようで、このことを何度か話しているうちに

  繰り返した。人間とは、わからないものだなと思うのは私で。叔母にとっては当然なのだろう。

  この叔母が実は午年だ。昭和5年生まれ。きのう気が付いた。


  これにはもう一つ、要因があって、たしか一昨日姪が来た日の午後、電話がなった。この日は結構朝からきつ

  かったのだが、いろいろな手段を使って、気晴らしをしてどうにか正常、いや耐えられる状態に戻ったような

  気がしたが、もう暗くなるころに、午後の3時過ぎは部屋の中は暗い。蛍光灯がちらついているのに気がついて

  結果としては、その「ちらつき」をなくすことが出来たのだが、面倒なことでもあった。

  この作業中に、電話があって、ようやくどうにかなったというときがあったので、何度かけたのかあとから

  聞いたが、かけてくれたのが母の妹に当たる叔母で、小松にいるので年に一回は来てくれるひと。

  出たことは出たが、何しろ午前中も身体の痛みに耐えていて、午後もこの蛍光灯問題があったので、短い時間で

  切った。話せば長くなるが。


  まだ完全に直りきっていないときだったか、蛍光灯。で、この叔母についてももう年齢もわかっていて、あれ同じ

  午年だねと話したことを思い出したが、二回り違う叔母がいた、ということだけだが。

 
  多すぎる画像。



  その一。年末だ。




  その二。こんなところにも、ここはでもよそ様のカエデ。




  その三。初めに書いた、ビニルハウスの中。こちらは花。




  その四。これがハボタンだと思う。軽トラの荷と同じかどうかはわからないが。こうして生産されて
  いるのですね。




  その五。これは先週の土曜日である。





  その六。




  その七。




  その八。冬野菜は緑。




  その九。




  その十。青い空はいいねー。


  ここがいつ真っ白になるか。


  雨はしとしと。



暖かい雨、ネコの表情、イチョウ。

2015-12-16 07:09:23 | 散策
  近いという距離ではないと思うが、なかなか立派ないえの解体工事をやっているのを

  見た。何年か前までは、住んでいた人がいた。


  それゆえ、ここのいえも同じ地盤というか岩盤の上にあるのだろう。揺れる。一階だとあまり感じない。

  波に重ね合わせありで、さらによそからのものが反射して揺れが大きくなる。

  それとは違うような。


  でも、何しろ揺れがわかると、地震、雷、船酔いを思い出して、どうにならないので、

  これはお昼の時間だが、これは普通に年賀ハガキのつもりで、ハガキ2枚書いたが、これを

  郵便ポストに入れにゆくことにした。ちょうど午後の2時過ぎである。暖かかったかも知れない。

  雨雲は近付いていた。


  ポストに入れた。入った、2回くらいたしかめた。3回やろうとして、空を見るだけで止めた。

  その帰りに、解体現場を見た。


  いえを出るとき、ネコがしょぼんと南東のいえの角にいる。暖かい位置である。

  小さくなって座っているので、毛がモコモコでもあるので、ネコでなくてクマの子にも見える。

  目は開いているが、眠いらしい。

  30分たって帰って来たら、まだ同じ位置にいる。


  一旦いえの中に入り、着替えて、「コチャ」どうしたと聞いてみる。

  コチャは、私が考えたネコの名だが、時間はかかったが、食べるものは食べた。

  残したけど。

  ニャーというと、もちろん鳴いてくれる。今回は、クマは止めた。

  で、コチャというとやはり鳴く。2m離れて。

  右の耳の後ろに血痕が付いていて、また負けたのかと思ったが、気の優しいネコだから

  しょうがないかな。

  ネコは眠いとなかなか動けない、というのは事実のようだ。


  きのうの朝はこのイチョウの木がいいと思って。












  もう葉はないはずである。


  まだまだ、たくさんナンテンの赤い実があるのをきのう歩いていて知った。

  雪囲いが、気の毒にも見える。