光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

ひどくなってきた雨の中を歩いた。

2008-05-31 18:54:03 | 散策
  何でこうなるのか、という話し。
  雨は午前中は、まだまだ降っていたが、その雨も弱まって、どうにか小降りにそれに、空も明るくなる。しばし、TVを見つつ雨のことやら、「熊が出た」ことなどを話して、それで、ボチボチか、あるいは少し遅くなったが外に出た。

  そのときにすでに、また雨になっていたが、あんなに降るとは思わなかった。一応は傘も差したし、雨をそのまま通すことはない、ナイロン製のブレーカも着たが、それはやはり濡れると、その水分は裏まで染みとおるようだ。それはそれでいいのである。それ以上のものを期待はしていない。雨が降って、そのブレーカが濡れても、その下にはYシャツがある。これも、多少は濡れてもいいが、それがまー最後の防壁とも言えて、特に冷たい、あからさまに、水の存在を肌に感じることさえなければいい。そうゆう風に、今までもやっていたし。
  一応は、今回もその範疇でおさまって、しかし自分の観天望気の程度も地に堕ちたとも思った。まー、もう少し考えると、それでもいいような気もするが、それほど安穏ともしていられないというのも事実だ。結局のところの、きのうに書いた、雨にも弱くがそのまま当てはまって、慌てて雨宿りという感じである。だから、帰って来てさっと体も洗ったが、その後おとなしくしていたから、ジンジンと冷える。これは、かなりな老化の進行を示していないかなー。

  今日は、ミニカメも持っていて、雨に降られつつ、傘で雨に当たらないようにしながら、やっぱり今頃の田んぼの風景を撮っていた。それから、ピラカンサの花が、これは木は大きいが実は小さいというもので、遠くからみるとそこだけが少し白く、しかもボウッと白く見えて、なかなかの光景であったが、何しろ雨も強く、明るさも足りない。そのうち、本格的、要雨宿り状態になって、そのミニもポケットに、それから布にもくるんだ。
  一般的にいって、どの程度の雨まで、電子機器は耐えられるのだろうか。それから、予想外の水との遭遇に耐えられるのだろうか。防塵防滴カメラというものも販売されているし、高価なものはそれがほぼ標準装備されている。ミニカメにも、そういえば、水もヘッチャラというものがあった。でも、私の使っているものはそうではない。特に、雨にこうゆうことをやる必要もなく、雨が降ってくればさっさとしまえばすむことだが、それでもたまには雨の光景もという欲も出る。

  今日はそうゆう欲はほとんどなく、雨になってさっさと帰って来た。それほどガタガタいうほどの雨でもなかった、ということだけど、結局なんだかそのあとに寒いなど感じることが、こっちが問題にされないといけない。この程度、高々10分くらいの雨で、その後体が冷えたとは何事かということである。
  冬でも、春でも、もう少しひどい条件でこれは危ないなと思ったことは何度かある。これが正常なのかも知れない。今回は、これはちょっと危ないなど微塵も考えなかったが、こうゆう場合が、つまり気持ちに緊張感がないそうゆう状態が一番危ないのかも。それにしても、もう6月というのに、多少の雨でガタガタする。あるいは、緊張感が足りないと思うことはなさけないけれど、こうゆう季節になっても、まだこんなことに緊張しないといけない、ということ自体にも、少し納得がゆかないのも事実。

  夕焼けというか、夕空というか、こうゆうのも最近出なくなった。




  天気の変化が激しかった、少し前の夕暮れ。空はまだ明るい。




  それから、よくある夕空の色、夕焼け色に空は染まった。発電所の煙突の点滅ライトとうまく同期してその様子が映った。




  さらに時間がたつと、不思議と雲が切れて青空といってもいいものが出てきたようだが、このときの様子も忘れてしまった。実際に肉眼で見て空がこんなに青かったかどうかは、はっきりしない。

雨の中のカエデ

2008-05-31 16:22:13 | 植物・花(夏)
  梅雨のような雨。小雨が降り続いて、いっとき強い。

  寒くなってきた、嘘のような話しだが、本当。
  一枚、何か着るものがないか探した。

  カエデの葉っぱに雨が降って、少し重そうである。




  まだ少し暗いとき、時間的には、そんなに早くはないが。




  雨滴がはっきりしてきた。




  赤く見えるのは、これはカエデのタネですね。今頃、
  プロペラが出来ていました。

  すべて、オリジナルファイルの縮小のみ。トリミングはなしです。
  画像の調子は、いつもどおり少し変更しています。

買い物の効用

2008-05-31 07:11:11 | 散策
  朝のお天気、小雨。風があって、北風。少し冷たい。梅雨そのもの。アメダスの6時の気温、18.0℃。室温、21℃。きのうの余熱。気圧は、1006.0hPa。
  PCの電源を入れる。小物のものも。モデムは別の場所。有線。そのアダプタをコンセントに差し込むのを忘れて、時間の同期が出来ない。この辺り、モデムの電源が入っていません、など、電子声で、この波長はむつかしそうだが、いって欲しい。すると、寝ぼけ半分の頭も少しはびっくりするだろう。

  金のなる木があればなー。金のなる草があれば、これはコバンソウというものがあるようで、しかし、オオバンがやっぱりいいな。
  お金持ちになれる本というのもありそうだが、その本を読んでお金持ちになったという話しはあまり聞かない。本を買って、なんか損したと思うことも多いが。お金持ちになる本を読んで、お金持ちになったとしたら、多分そのことは誰にも言わないと思う。これは、宝くじが当たった、1億円、いや3億円、というのと同じで、誰にも話してはいけない。これは、嬉しさ半分怖さ半分で、まーそうゆうことには絶対に、宝くじは買わないから、なることはないが。

  買い物はする。最近は、財布の中身が減ること。まったく、お腹もあまり減らないならいいが、その反対でやけにガツガツしているようにも思う。
  それから、これはよさそうと思って、やっぱりものを購入する。通販が多い。これって、なんだかいろいろ詳しく説明もあって、もう完璧にこのものはいい、と思って買っても、やっぱりものが届くとこれって、何、と言うことになる。私の目は節穴か。古いなー、表現が。まったく、昔のもののほうがよかったということにもなってしまう。進取の気持ちというのも、これっぽっちもない。
  バッグも買った。これが、結構ふにゃふにゃで、しかしどうにかして、使えるものにしないといけない。いろいろ考える。多少は世慣れして、こうしたらいいというものはある。どこかから、袋を持ってきて、さらに段ボール紙を芯にする。これをフニャのバッグに押し込むと、これで、まずはシャキッとする。何とか、右左に、分けて使えることにもなって、便利だ。他にも、小物を放り込む。
  問題は、肩掛け用のベルトの長さ、これが長すぎる。無論短く出来るがそれでもまだ長い。ここは一日、あるいはもう少し時間がいったが、自分としては画期的といえる方法が見つかって、かなり短くすることが出来た。見掛けもそう悪くはない。それにしても、やっぱりものは実際に見て買わないといけない。するとしかし多分これがいいというものは見つからず、くたびれ損になる可能性がある。
  今どきのものは、まー半分はいいところがあればそれを求め、後の半分は自分で直して、多少は悪知恵も付いたから、これを利用して何とかする、というパターンが必須のようだ。

  雨が降っている。戸を開けると、あるいは開けて開けっぱなしになると、そこから藪蚊が、まだ藪蚊は早いか、まー吸血性の蚊が入ってくる。これにきのうは首筋をかまれて痒いし、うまいところを喰われ悔しい思いをした。これに対処する方というのがせいぜい線香をたくくらいで、もう少し何とかならんか、この雨の時間に考えてみる。どうも、これ以上のいい考えは出て来そうにないが。

雨にも、風にも弱い

2008-05-30 18:44:04 | 散策
  梅雨のような空で、これはもう梅雨だ、と心の中で思う。
  そう思っても、いつもと変わらないのはこれまた普通のことで、ただ大雨が心配。そうゆうことが頭の中の片隅にピカピカしている。こうゆうことも、おつむの刺激になるのだろうか。
  
  去年だったか、いっときに激しい雨になって、でもそれもわかっているのだったら止めとけばよかったのだが、半分は大丈夫という考えがあって、ものの見事に土砂降りの中にいた。幸いというか、人家もあるし、お寺もあるしで、車の屋根付きの駐車場のようなところで、雨宿りした。それでも、なかなか止む気配はない。多少は濡れるのはわかっている、でももうさんざん濡れてこれ以上は濡れたくはない。そこが問題で、いずれにしろ自然には人は勝てないと思う。でも、幸いその後は、雨にも濡れたが、風邪引くこともなかったし、ブルブル震えることもなかった。まったく運がよかった。下手に、こうゆうときに田んぼなどに出ている方がいらしたら、それこそ大変であるが、そうゆう話しも聞くこともないというとは、皆さんちゃんと雨判断をしているということだろう。まー、いまどきは車でというパターンが多いようであるが。 

  それにしても雨で立ち往生した経験もあまりない。台風とかはかなりあるが、建物の中にいて、大丈夫だった気がする。うちに帰れなかった、という経験もすぐには思い出せない。電車が、止まってしまって、それゆえ電車の中で一晩泊まったということはある。この電車の中での一泊というのもかなり疲れるもので、それこそ知り合いがいれば安心できるから、その通路で横になるのが一番のような気がするが、それ以外だと、2人座れるシートで、横になるくらいしかないようだが、その電車で一泊のときは、他のお客さんもいたから、勝手なことも出来なかった。

  風はどうか、この風というものもあまり好きではない。夏こそ、特にフェーン現象で気温が上がったときは、必然的に風も強くなるが、この風はほどほどに歓迎される。また去年と同じように今年の夏も暑いと予報されているようだが、まーそれはそのときになってみないとわからないのではないか。
  そうでなくても、また台風でもなくても、多分ではあるが、風速が毎秒20mを超えると人が歩くのはむつかしいのではないか。風も、平均値で示されるから、予報が10mであっても、ときにその2倍ぐらいの風速になるのは十分にあり得る。これが田んぼの中であると、まわりに風を遮るものはなく、強風にさらされるとそれこそにっちもさっちもいかなくなる。かろうじて、その風の強いところを通り過ぎて、一息ついて自分も弱くなったものだと感心したが、風というものも決して安易に考えていいものではない、と思う。それでも、その雨に、風に負けないで、外に出ていかないと、ということもありそうだが、それにしても困ったものだ。
  こんなこととは、まったく関係のない、少しムッと来る、気温の高い日中である。


  少し前の、散歩道の風景。晴れ間も出た。



  梅の実が一段と大きくなっている。そのうちに、この実も収穫される。




  まだ、キカラスウリの実は、上の、梅の木にぶら下がっている。これは珍しいといっていいようだ。多分蔓はまだ切れていない。しかし、梅の収穫時にこの実もなくなりそうな気がする。




  ムラサキツユクサは、雨の後の晴れ間が一番よく似合う。




  今日も、田んぼの様子を見ながら歩いていた。それで、アメンボはすぐに見つかった。さらに小さなオタマジャクシが一匹だけ、すすっと動いているのがわかった。この大きな田んぼに何匹ぐらいいるのだろう。よく見ると、動いてイネの下辺りに移動して、そこに隠れるように止まっていた。

似たもの同士

2008-05-30 16:32:09 | 植物・花(夏)
  梅雨空のようなお天気に。

  きのうは、ムシトリナデシコ。
  同じ、ナデシコの仲間と思うけど、
  はっきりはしない花で、しかしよくある花。
  もしかしたら、ナデシコと縁がない?
  ナデシコ科の花ではないのかな。




  前にも登場しました。




  似て非なる感じ。




  オリジナルファイルの縮小。トリミングはなし。あとはお化粧。


  これは、もう一つ残っていた、ここのヒゲの花。



  これは、ヒゲナデ。ヒゲナデシコ。

蜘蛛嫌い

2008-05-30 07:03:51 | 散策
  朝のお天気、曇りがちな晴れ。お日様も四苦八苦。風は少し、爽やかなようで、少し涼しい。アメダスの6時の気温17.4℃。これは、思いの外高め。室温20℃。

  頭の中は、からっぽ。それでも渦巻くものがある。どこかから、話のタネを拾って、やっぱりラジオ。
  これも聴いているのやら、いないのやら。それで、ときに興味があるのは蜘蛛がどうのこうの。これじゃ、ラジオのアナウンサもちょっとがっくり来るかな。その方が虫がだめで、というのは、聴いている方、メール屋さん、流しながらのラジオ好きさんは、ご存知の方が多いはずだが、まだ人口に膾炙していると言うところまではいかないか。
  なんでか知らないが、急にでもないけれど、蜘蛛の話しがラジオで出た。これは、やはりフリがあってその反応があったらしく、先ほどのどうのこうのとは関係ないようですが、まるペケさんは、蜘蛛がだめなようで、それにしてもここの蜘蛛の多さにはびっくりしました、というメールを頂きました。ハハーン、蜘蛛が嫌いな方は多いなー。

  タネから育てたヒゲの植物、ヒゲナデの最後の一本からは、また少し違う花模様、花弁の色が出て、これはよかった。しかし、他にも色は、また模様はありそうで、そこのところ残念である。それで、この花に蜘蛛がいる。蜘蛛がいつもいるわけではないが、ここにも目にすぐには見えない糸を張っていて、これがニョキリ出ている茎と茎とを結んでいる。さらに、蜘蛛の糸は、動きようのないようなものにも結ばれているから、少しくらいの風では、この糸が茎を半ば固定する役割を果してくれている。徒長気味の茎は、これで少しの風では倒れないようだ。もっとも、一番風の影響のないところに置いてあって、またこのヒゲナデは倒れたというくらいでは、どうってことのない、そうゆう生命力を持っている。倒れたら、そこからまた起き上がればいい、そうゆう感じの花、植物でこれまた育てやすい。

  蜘蛛の話しで、この植物の周りはかなりに蜘蛛の巣が糸があって、これに私も引っかかる。蜘蛛はあわてて上の方へ逃げてゆく。しかし、問題は、蜘蛛の巣に獲物がかかっていないこと。ハナアブは、上手にこの花に接近して、蜘蛛もお手上げ。あとは蚊ぐらいしか引っかからないようだ。今年は、虫が少ないと思う。これで、一安心されている方も多いだろう。そうゆうときに、けばけばしい色のケムシをツユクサの上で見る。これには、ドッキリ。

  ハルジオンは、そろそろ花が落ちてという状態にあるようだが、似ているものが大きくなってきた。これが、多分、ヒメジョオンであると思う。道端に、このヒメジョオンが出てきた。すると、ここにもそのヒメジョオンらしきものが、ハルジオンに混じって大きくなる。このタネもここにもあったのか、と思う。

田んぼで尻餅

2008-05-29 19:00:25 | 散策
  今どきの田んぼは、まー一言でいえば、美しい。水面に緑色の藻のようなものがあるところもあるが、ほとんどはほぼ水に濁りはなく、透明で下の土が見える。時々に、アメンボが、その水面を移動する、それ以外に、見かけるものは少ない。あるいはわからない。あるいはもうないかも。
  ただ夜になると、かわずの鳴き声がする。これがときに大きく聞こえて、涼しげな感じもするが、その「かわず」の姿も日中は見かけない。まー、カエルも日中は暑いとかいって、どこか日の当たらないところで休んでいるのかも知れないし、どこかの、あるところだけにいるのかも知れない。田んぼにもいるが、移動することもあるし、その場所もないことはなさそう。いかなるカエルがいるか、その鳴き声からは、かなり大きなものを想像するが、如何せん実物を見ていなくて、声だけである。
  アマガエルというかわいいといっていいカエルもいる。しかしこれはもう少ししないと出て来ないはずで、この数も年々減っている。少し前といっても、幅があるが、昔はそのカエルが、6月ころに現われて、まったく人を無視するがごとく平然と窓の外の桟の辺りにじっとしていた。少し冷たいところが好きで、金属のものがあると、そこの上にちょこんといる。部屋の中にもいる、ちょうど、お茶碗に乗っかっている、そうゆうことも瞬間にはあった。危ないのは気が付かず火を使うときである。

  子供さんが、小学生の低学年か4年生くらいまで、幼稚園だと危ないこともあるから多分ないと思うが、体験学習とかで、田んぼで田植えをする。子供さんも特に嫌がることはなく、またこれは成績には関係がないから?、気楽な感じもするが、その子供の田植えというものがTVで、放送される。
  皆さんは何を期待されるでしょうか。これを見ていて、3回くらいあった気がするが、その中で必ず足を泥にとられて尻餅をつくシーンが放送されて、その結果がどうか、これは子供さんだから許されるような気がするが、まーどこもかも泥だらけ。今の自分は、少し気の毒な、とも思う。でも、泥パックとかの美容方もあるらしいから、その判断はむつかしいが、まずは尻餅をつくと、泥だらけというのは、間違いはなく、その他、顔やら頭やら、それこそ泥んこだらけになる。
 こうゆうのは、慣れの問題もあるのかな。TVで、どこかの海で、それはタレントさんであったが、やはり泥だらけになるというのを見たことがあるし、これからもあるだろう。タレントさんだと、わかっていてこれをやっている。さらに、途中から、TV局のアナウンサ、女性の方の場合が多いが、この方も最後は、どろどろ。これも仕事だから、やる前からわかっているし。人気に繋がれば、OK、というところだろうか。

  再び、子供さんの田植えの泥んこの風景に戻ると、さて子供も足元をすくわれる。で、カメラは田んぼの外か、それではリアルな子供の笑顔を撮れないから、カメラ関係の方もその田んぼに入る。2人くらいは入りそうだ。ここで、カメラが天をとらえたらどうだろうか、カメラごと足をすくわれて引っくり返った。こうゆうものはあったとしても、まずは放送されない。それから、当然ながらその話しも漏れつたわることはないだろう。
  ただ、子供さんの泥の中への尻餅を撮り、また顔も頭も泥だらけという表情を撮る、そうゆうカメラの方も一度くらいは尻餅をつき、子供の気分を味わうのもいいのではないか、そうゆうことをそのTVを見つつ、何度も思うことしきり。


  ハルジオンもいよいよその花がタネを付けて、それからその後のものが残る季節になる。




  ちょっとかわいそうかな、と思うが、このタネが飛んでまた次がある。




  悪くはない風景がここにはありそう。




  それにしてもよくこれだけ、たくさん出て来たものだ。自分だけ大きくなる、他のものが大きくならないような、そうゆうこともやらない。




  花自体もそれほど大きくはないが、そこにこの甲虫と思われる小さな虫がいる。いったいなんという虫か、これが疑問である。  

ムシトリナデシコ

2008-05-29 16:36:37 | 植物・花(夏)
  朝の雨も、午前も終わりころに上がった。

  風は、その後も結構吹いていて、ゆらゆら揺れる。

  ムシトリナデシコのことを朝なんとか思い出して、
  そのことについて少し書いたので、
  ここはムシトリナデシコ。
  



  日が陰ると、このような色が一番近いように思える。




  葉っぱの出てくる辺りに、粘性のある物質を分泌し、
  そこに虫がくっ付くらしい。




  もう少し明るいと、赤く、ヒガンバナのようにも見えるのかも知れない。




  花の上に、ハチがいる。この花には、特に問題はなく、
  虫も安心して、食事が出来る。

雨風の朝

2008-05-29 07:13:56 | 散策
  朝のお天気、雨風。雨の量は、今は少なめ。風が強い。台風のような感じもする。アメダスの6時の気温、16.7℃。気圧は、1003.9hPa。室温19.5℃。

  夜は、かなりの雨が降っていて、いよいよ梅雨入りも間近かと思う。今年は、梅雨入りは早そうな気がする。雨もほどほどに降ってくれるといいが、それ以上は要らない。

  きのうのTVの映像で、川の土手辺りに、真っ赤とも思える花が群生していて、その大きさもなかなか立派で、まるで秋のヒガンバナかと思わせるものがあったが、それは無論ヒガンバナではなく、TVの声を静かにして待っていると、ムシトリナデシコだという。それが、ヒガンバナのように真っ赤に見えたのは、どうしようもないけれど、ムシトリナデシコというのもなかなか言われてみないとわからないものである。
  少しずつカメラがよると、あるいはズームして物体が拡大されると、たしかにそれは、この辺りにもあるムシトリナデシコであった。この花のどこに虫が止まって、どのように虫は捕らわれるのか、その辺りははっきりしない。茎の節目に虫が付く、とかいう説明があった。まー、虫がくっ付くこうが、その植物が食虫植物であるかどうかは、どっちでもいいが。

  そのムシトリナデシコをきのうじっくり見ていたが、どうも虫の一匹もそばにおらず、また茎の辺りを探しても同様で、虫が本能的にこの花を忌避しているのかどうか、その辺りははっきりわからないまま。多分、虫は花に止まってもそれでそこから飛び立つことも出来ない、ということはなさそうだ。

  本物の食虫植物の広告が、何でも売っていてそうなお店の広告にある。この花を見て、それで虫がその花弁にそっと止まると、もう二度と空中に舞い上がれない、と考えると少し怖い気もするが実際のところはどうなのか。多分、虫は花の出す物質で、まずは動きを封じられて、その後は、溶けてゆくのだろう。花が閉じるようなことも考えられる。この辺りは、何かで読んだような気がする。溶かすというのも、結局のところ目的のものを分解する酵素が出てくるのだろう。こうゆうものを持っていると、便利なようであるが、自分も分解されないか、この辺りは少し微妙。

  虫は花の蜜やら、花粉を食べて、しかし花はそれで受粉する。うまい具合に出来ていて、両方とも自らの増殖・繁栄を可能にしている。どちらかだけがうまいことやっているわけではなさそう。おそらく、こうゆうのは、他の世界でも当たり前であって、自分だけがうまいことやった、と一人ほくそえんでいると、その内アイタタということになるのではないか、半分ひがみ目でそう思っている。

歩いてみると

2008-05-28 18:53:33 | 散策
  まだ、雨にはなっていない。
  きのうは爽快さがあった晴れ。これは記憶だから、かなり曖昧な感じがある。でも、着るものは2枚では涼しそうで、3枚でちょうどよかった。
  今日は、これは少し暑いかもと思うときもあったが、そうでもなく、これも細かく気温の変動がある、やっぱり3枚でよかった。

  歩き出すときの、不安感はあまりないが、失敗というのはかなりある。お財布忘れた。致命的。でも、これは、またいつかあるはず。
  マイバッグ。これは、ポケットの中に押し込むものだが、それが入る場所がなくなってゆく。それで、今日は二つ入れたが、何かの拍子に一つがどこかに消えた。これは帰って来るまで気が付かなかったが、一つは使っていて、もう一つはどこへいった、それを探したが、床、その辺に白いものが落ちている。こうゆうことは、その原因があるからで、きっと財布をごそごそ中身を確かめたときにでも、落ちたのだろう。こんないたずらは、神様もやらない。

  最近は、少しずつやることも変わって来て、それゆえ歩くコースも短くなったり、それはそのコースを変えることでもあるけれど、どうも短くなっていることに変わりはない。これはあまり感心できない。しかし、それ以外の何かをしなければならないこともあるわけで、歩く距離の短さで減ることのなくなったエネルギを他で使っていて、これでほぼ変化前、変化後でも、消費しているエネルギは同じであると自分では思っている。それが、本当かどうか、自分では知りたいが、大体はそうゆう具合になるはず。なんだか、歯切れの悪いこと、ウジウジしたことを書いているが、この辺が難しい。

  今日は、最初の方向こそ少し変えたが、その後は、これは気温がさほど高くなく、また曇り空で暑くもなくしばらくすると、もう少し歩きたいようにも思えて、あるところからはいつものコースに戻った。
  いつもの田んぼの様子を見ることが出来る。イネも少しずつ大きくなって、もう水面に沈むこともないようである。風は、北風。それゆえ歩いていて、汗ばむこともない。田んぼのイネこそ少し大きくなっていたが、それ以外はあまり変化はなく、そのうち歩いていて調子が出てきた。これは珍しいことである。いつも、途中くらいから、いやな感じでもないけれど、いつもと違うなというものも現われて。これは困ったと思うことも多かったが、それも5月病の一種かも。もう、5月もおしまいで、この病のようなものも、飛んでいってしまう。
  一番いいのは手ぶらに近いこと。財布と、マイバッグは持った。それ以外は、持たない。これが、散歩の基本で、たしかにそれ以外に持つものも必要ない。まー雨が確実に降りそうなら、傘も考えるが、その必要性はなかった。

  無事、買い物も済ませて、またいつもの道を歩き続ける。大仰なことを書いている。どうも、手ぶらだと、右手に軽いパンとかは持っているが、手ぶらに近いといっていいから、気持ちも軽くなる。背中も伸ばす。ときどき、柿の花のようなものが木から落ちて来る。まだ、汗もかかない。再び水田に近付く。今日の風は北風でしかもあまり強くはなく、電線は、妙なあまり心地のよくない音を出さない。西の方に、広がる平らなところ。きのうは、南西からの風が強かった。今日は、その風に押し戻されることもなく、普通に背筋を伸ばして歩くことが出来る。

  ほぼ手ぶらであること。回りを、あまり気にしないこと。回りに、気にすることがないこと。そうすると、かなりに心地よく歩くことが出来ることがわかる。これは、前から実はわかっていた。それ以外に、心地のいいお天気であったことが一番だが、これもきのう今日の二日くらいか。
  雨もまたいいはずだが、これにもいろいろある。心地よく歩くことの出来たことが、結構嬉しい。単純であるが、こうゆうものが一番のようである。


  ずいぶんと昔に撮って、そのままというもの。あるものを持たないで歩くと、かなり快適。




  ちょっとした木々のあるところ。その端から、この木のこの花のようなものが見える。




  接近してみる。いろいろな花があるものである。




  さらに近付いて。これは少しクリーム色が入っている。そういえば、一つ手前の花だったかも知れない。メシベの先の緑の色が、なかなかいいと思う。