光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

お天気はよかったのだけど

2009-04-30 18:41:56 | 散策
  いい一日、こうゆう日がある。そうゆう日を証明しているかのようないいお天気である。
  だが、私はというと、どうゆうことか中途半端なところで、ちゅうぶらりんの状態というか、どっちつかずで、どうしたものか。4月病、5月病も本格化したような気もする、一日である。誰だってそうゆう日がある。もっとひどいときもあるが、こうゆう日もある。なんともどうしようもない気分で、あまり、はしゃがないほうがいいようである。

  朝も時間を決めて、どうするか前もってわかっていると、それだけ考えればいいが、それ以外のものが入ってくると、どうゆう風にするのがいいか、選択肢が増えるととたんに気も重くなる。そうゆうことに慣れていない。ある段取りがあって、それに則ってというと、どうにかスムーズにゆくようで、これもあまりに考えないでというのが一番だが、
  きょうは朝も起きたときから、調子はぱっとしなかった。寒かったり、暖かかったり、それに半分暖かく、それも表面だけというときもある。お腹が冷える、そうゆう感じ。最近長く夢を見るように感じてあまり感心できない。でも実際の夢見る時間は短いようで、これは現実の夢と似ている。そんなものはすぐに消えてしまう。なんどもそう思った。夢も、その人にとっていいという考えもあり、何も冷や汗とか、うなされる夢が決して悪いとはいえないような気がする。でも、どうせ見るなら、やはりいい夢がよく、だがその回数は少ない。惜しい夢もあって現実的な夢ももはやないと眠りの夢に期待したい気もある。
  現実の夢は永久に夢であって、それが現実となるとまた夢みたいなことを考える。最も夢だと思っていたことが、現実となると夢でなくなることも多く、やはり夢は夢。そうおもうと、眠って見る夢も貴重に思える。

  きょうは、連休の前でもあって、ある方の、自分ではない、その薬をお医者さんにもらいにゆく日でもあって、きょうにするか明日にするかどっちでもいいがきょうにした。でも、なぜか出かけるくらいの時間、ちょっと本調子でなく、でも外の景色を見て悪くはなかった。その景色というのも、タンポポが真っ白になって、そのあたり一面、真っ白けというもので、なかなかいいものを見たと思った。これが雪だったらと思うと、ぞっとする。それに加えて、 

  家庭菜園には、春の野菜も出ていて、「絹さや」、サヤエンドウの別名か、の花がきれいだった。ほかに何があるか、葱があってそれくらいかも知れない。まだまだ、本格化はしていない家庭菜園だが、この後はナスだのトマトだの、それにキュウリも出てくるだろう。それくらいしか思い付かないが、家庭菜園といっても、いまどきの苗一つといってもそう安いものではない。これをいうと、というか言い出すと、つまりお金のこと、夢も何もなくなってしまう。自分の作物に対する愛情だとかも大切だが、コストもかなりかかる家庭菜園で、今思うにかなり心の広いというか、生き物に英気をもらっている、それに比べるとこのお金は安いものだよ、などいうくらいの、器の大きい人でないと、なかなかやれなくも思う。

  お金の勘定はしかし大切で、これに関してはきっちりしないといけないというのが、自分の考えだけど、これと家庭菜園は、協調的かどうか。


  いくつかの、花とか。



  梅の木。ようやく、葉っぱが出てきた。




  梅の木の、葉っぱの拡大。お茶の葉みたいでもある。




  ハルジオン。




  日が強くて、少ししおれている、ハルジオン。




  白が透明に近くなる、白ツツジの時間。




  無理して白くなっているわけではない、ドウダンツツジはまだ咲いている。

春の花、カエデのタネ

2009-04-30 16:11:40 | 植物・花(春)
  朝から少しバタついて、バタバタしていて
  疲れた。

  どうってことないことだけど、あまり積極的にやれることでなく
  なかなかうまくゆかない。
  すると不思議と疲れる。
  あまり体調もよくないのかも知れない。

  春の雑草。それと
  カエデは、タネも出てきた。




  まぶしい明かるさのなか、カラスノエンドウ。




  ヒメジョオンと書きたくなるようで、しかしハルジオンのほうが正しい
  気がする。反対によく書いている。




  今の花というと、雑草ではないけど、この白ツツジが一番。




  カエデにもうタネが出来ている。




  花の数はほどほど、それでタネが出来るのは限られている?。




  まだまだ花もあり、そのうちのいくつかは、タネになるという
  ことだろう。
 
  花だらけのカエデもあるから、これにすべてタネが付くと、
  かなり賑やかになるが、そうゆうものは見たことはない。

木星と金星が

2009-04-30 06:47:24 | 散策
  朝のお天気、快晴。風もほとんどなく、穏やかなお天気。一晩中よく晴れていて、しかし朝はどうしても霞がかかる。かかるようで、北アルプスも、冬のときのようにくっきりとしない。田んぼに水の影響も多いのか。アメダスの6時の気温、9.3℃、まだ一桁、気圧は1025.8hPa、湿度は70%。室温は14℃で、まだまだヒンヤリしている。

  きのうの月も、頭の上というか、屋根の上にあって外に出る気もないので、結局は見なかった。足元も見えないが、天辺も見えないもので、
  西の空にかすかに冬の大三角が見え、東の空に、うしかい座のアルクトゥルス、おとめ座のスピカなど見えていて透明度もそう悪くはなかった。この時間、この二つの星が見えているのはなんとなく不思議で、これは2月に近付いたルーリン彗星に関係がある。今頃はどこにいるのか、ルーリン彗星で、もうわからない。

  夜中に目が覚めて、いつものことだが、ようやく夏の星座を確認した。先に、はくちょう座辺り、それからわし座のアルタイル、南の空に低めの、さそり座のアンタレスなど。これを見ていると、まだまだ夏も来ていないことがわかる。当たり前で、夏というと、6月にならないとその星は起きている時間空には現われない。

  つい先日長く太陽のある方角にいた木星を見て少々感動したが、その後すぐそばに金星もいることがわかり、つまり天文関係の雑誌を眺めたのだけれど、もしかしたら木星ではなく、金星かもという不安がよぎった。木星にしては明る過ぎる感じもあって、さらに色が赤味がかってこの辺りも怪しいなと思ったが、
  しかし、雑誌ではなく、国立天文台の暦のページを見て、その日の惑星の位置を調べるとやはりその辺りにあるのは、木星で、金星と、それと火星とは、もう少し東にあって、高度もそうは高くなく、これで一安心した。
 
  きょうの空も、朝の早い空だが、木星が段々と位置を東に変えつつ、という思いが強い、例えば木星がさそり座辺りにいたときは、もっと南に見えていた、その明るい、惑星の王者としての風格を備えつつ輝くのが見えて、またもや安心をした。
  その後金星も見る気でいたが、どうしたわけか、もう明るい。あー、太陽が下から地球を照らしていて、というか山の向こうにはあったようで、もう空も明るく、一番明るい星である、明けの明星はわからなかった。この金星もわからないくらいの明るさが、すでにあってこれでは星を見るためにはもっと早起きをしないといけなく、それはなかなか運にまかせるしかないなーと溜め息。

春の戻り、初夏のような

2009-04-29 18:43:16 | 散策
  IE8を、IE7に戻した状態にしています。
  「IE8のアンインストール」で、ネット検索、するとマイクロソフト社の、IE8に関する情報が出てきたので、それを参照して、IE7に戻しました。

  晴れのお天気で、それにしてもなんだか調子がおかしいのは、いったいになんでだろうか。考えてみるも、何も思い浮かばない。それでいいのだろうけれど。今一つ、調子が出ないのは、なんでかなーと思う。
  朝には、もう日が出ている。この日の色がオレンジだった。しかししばらくしてその色も消えて、透明な空がある。どちらかというと、もう白い方が強い青空。これだけいいお天気なのに、どうしたものやら、何とか病、というと、4月があって、5月もある。5月は、4月もそうだが、連休ということになっている。これも何でこうなるのか、よくはわからない。これも、そうゆうものと割り切らないといけない。なるほどね、なかなか出来ないものだが。

  ゴミというと、失礼だが、先回の新聞回収に新聞を出す用意が出来ていなくて、申し訳ない感じで、「すいませんねー」と誤る感じで、お腹の中ではどうしようもないと思っていたが、その後気を改めて、もう新聞は出せる状態にある。進歩というより、自分が何が出来るかという問題でもあって、ついには痛いなと思いつつ、新聞を回収袋に入れて、しばった。ゴミが空中に舞い上がり、その空気を吸わないように息を止めた。
  で、ありがたいことに、5月に新聞回収のビラが入っていた。このときを忘れないようにしないといけない。
  回収というとお腹が痛むようで、しかしこれが一番だなと思うのは、これ以上のお金の負担は出来ないからで、それに協力するのがお腹は痛まない一番の方法。多少のお腹の出っ張りもこれで解消されると思う。ゴミというと、毎週2日か3日、ゴミを出す日があって、回収というか、再使用できる、カタカナでリサイクルとか、そうゆう制度もある。これも面倒だけどこれに協力するのが最後の最後に自分に負担にならないものとして返ってくる。なんだか自己中心的な、自分のために最後にはなる、そうゆう考えだが、その通りで、それに越したことはない。
  これにも難関があって、昔はこれをやれたが今はだめという人もいる。もうそのこともわからなくなってくる。仕方ないことで、しかし燃やせるものと、再使用可のものを混同も出来て、そのままでもいいか、とひよったりもしたが、ついに別のところに回収用の袋を置いて、いちいちそこまで、リサイクル可能なものを持ってゆくことにした。罪滅ぼしの感じがある。プラの包装紙などいくらでも詰め込めそうで、恐らく一ヶ月は持つだろう。でも、
  もう生ゴミと一緒になったものを、もとに戻す気はない。この辺りは、かなりいい加減で、ちょうどバランスが取れている。だから罪滅ぼしなのである。

  それにしてもぱっとしない。
  暑くなるような、気もして外に出た。落ち着かない気分でいる。なぜIE8は、あんな妙なことになるのだろう。こうゆうことが頭に残っている。これを忘れることは出来ない。案外に執念深い。ツバメの宿となった、あるお方のそのところから黒と白のツバメが飛び出してきた。ツバメの数はそんなに多くはないが、もう巣作りを始めている。これを見て一安心だがツバメはかなり用心深くいい気はしていないだろう。
  お寺の中に入ってゆく。きのうもそうしたように、梅の木の緑の様子を見る。きのうはそれはなかった、今そう思い返す。梅の葉は緑濃いが梅の実は少ない。百日紅の木の新芽も今頃出てきて、こうゆうものはしっかりと覚えている。

  買い物というと、必ずといっていいほど、何かがなくなるときがある。それは味噌だったり、調味料だったり、トイレットペーパだったり。で、幸いかな、調味料はきのうに買って、きょうはその心配はなかった。でも、偶然か、そういえばもう「お米」もないかもと思ったのは、自分でもよく出来たものだと思う。それで、きょうはお米もないという、状態にあることはなかった。つまり、まだ米びつにお米はあった。このお米、いったいいつになくなるか、わかったものではない。古古米があって、「外米」しかないとかいうときがあったことも思い出される。わけのわからない、ことで世の中振り回されている、と思う。大体いいことはない。
  この辺りは昔も今も変わっていない。この先もたぶん変わることはないのではないか。




  今頃にも、きょうではない、きのう、露の降りるお天気で、金色に輝く、瓦から露が湧き出てくる。寒いというか、冷えた朝。




  いろいろなものが出るときと、出ないときがあって、このタンポポもそうゆうものの、一つではないか。白のタンポポ、も不思議ではない。




  なんども出る大木で、ケヤキのようで、違う。葉っぱが緑濃くなると、ケヤキには見えない。




  ちっちゃいカエデなど相手にしない、これも大木に近い、カエデ。
  この緑の濃いこと。これと同じくらいの根っこが地下にありそうで、これは上のものでも同じである。




  日が2日ほど経過して、その緑もかなり濃くなって、炭酸ガスの濃度も少し足りないのではないかと思われる。

カエデの緑

2009-04-29 16:01:11 | 植物・花(春)
  ネットのブラウザを「IE8」にしたら、文字サイズを「大」にしても、
  ここの「「編集画面の文字」」とかは、小さくなって、ますます文字が
  見にくくなる。何とかならないか、触ってみたが今のところ
  いい方法は見つからない。
  小さな文字を見るのも、書くのも嫌だなー。

  カエデのその後。カエデだけたくさんあって、そのカエデも
  ほどほどに元気で、それを見ていると元気になりそうで
  しかし、半分飽きた。

  あー小さい。IE7でよかった。
  もう戻れないか、後悔。




  同じところ。一番見やすいが、明るくはない。




  珍しく少し、位置を変えてみた。


 

  拡大。フワフワ感があって、空飛ぶ座布団の感もある。




  ウーン少し暗い感じが一番、しっとりと来るかも。




  カエデのことしは、まずまずは順調な生育で、でも
  これはきっと冬になると、枝が大変なことになるかも。
  雪で。




  シランをくっ付けるのを忘れました。慌てて、追加。


  IE8は、もう少し何とかならないか。
  文字を大にしても、大して大きくならない。
  でも、ブログの画面だと、見た目は、「「大」」に設定すると
  変わらないようで、
  だとすると、編集画面だけ小さくなっている。
  直してもらえないものかねー。  

朝はオレンジ色の太陽

2009-04-29 06:44:05 | 散策
  朝のお天気、晴れで、ほぼ快晴。風もなく、穏やかだが、暖かさはない。まだまだ、3月の後半のような陽気で、寒さが残っている。木々を見ると初夏で、田んぼに水も入り始める。アメダスの6時の気温、7.9℃、気圧は1022.9hPa、湿度は69%。室温は13℃で、今朝の太陽光はオレンジ色。

  きのうは朝こそ快晴で、その後早くも雲も散見出来て、しかし外を歩くと汗ばむ天気もあった。その後夕方は薄いが全天雲がかかっているようで、これももしかして、田んぼに水が入り始めたからか、などとも思う。
  あまり気にしてなかったが、気が付くと小さなコンクリートの用水から小さな田んぼに水が入っていて、その先に行水の好きなカラスがいて、これは寒そうだった。でも、そのカラス生まれつき行水が好きなのであろう。寒そうだが、この田んぼのあまりにきれいとは思えない水の中にいる。まだカエルの鳴き声もしない。おたまじゃくしも滅多に見ず、いるのはアメンボ。

  夕方の空に、まぶしく太陽光が散乱していてまた濃淡のある厚めのしかし愛くるしいとも思える雲もあって、その後の空は暗く、星も見えないようで、春か初夏かの青空も続かないものである。そう思って、ときが移るが、西の空にぼんやりと焦点の合わない眼鏡で月が確認できて、そうは悪くはないお天気だとわかる。月も、ぼんやりと見えるそれでもいいようで、それっきりである。音のない時間が続く。

  長い夢の続きがあったりして、でも朝が来るとまずは太陽がオレンジ色で、きのうとは明らかに違う。オレンジ色の太陽光が、北東の方角から頭の先の辺りを赤く染めるときあまりいい感じはしない。真っ白な透明な光が朝はいい。夕刻にオレンジだと、これはこれでいいものだが。
  このオレンジ色の太陽は、また北の方角に移動して、そろそろ山ではなく、木々の向こうから出そうで、しかしその時間に起きていることはなさそうである。
  空は、いつのまにか曇りというか、薄曇りから、普通の快晴に戻ってしかし太陽の色は赤味がかっていた。水蒸気の量も多いのではないか。当然のようだが、霜も降りているが、きのうよりは少な目。4月もおしまいに近い。

春か初夏か、きわどいところ

2009-04-28 18:52:49 | 植物・花(春)
  今日のお天気にも一瞬の不安定さがあって、さてどうした高気圧という感じがある。気圧は等圧線というもので、表示されるもので、それを見て、風かどう吹くか、判断する。等圧線というと、これも地表からの高度が関係する。地表辺りの、気圧の同じところを結んでゆくと、結局は同じところに戻ってこないといけないことになる。途中で、等圧線は切れることはない。
  この辺りは、直感的でしかし本当にそうかというと、自分でもわからない。等しい圧力があり続けることへの不安がある。地図に等高線がある。その他、電気の世界だと、等電位面というのがあって、これも同じようなものであろう。等しい電位の存在する面というか、線があって、それだからどうしたという感じである。電気のことはさらにむつかしく、直感的だと、等高線があるが、これはそもそも高さを表わすときに使われる。同じ高さの等圧線とかいうものと、なんか違う気もする。それで、等高線はやはり、あるところからスタートしてあるとことに戻ってきて、連続した曲線を描くかというと、これはかなりの精度で、描くと思われる。そんなことをきのう眠るときに考えていたようだが、だからといって頭がどうかなったというわけではない。

  等圧線が引っかかる。ある一定の高さがあって、その高さにおける同じ気圧であるところをプロットすると、等圧線が出来る。
  ここで、等圧線の幅というか、どのくらいの幅で、圧の幅というか、間隔でその等圧線を描くかによって、それこそ、1hPaの単位で、ある一定の高さの広大な面積での等圧線というと、これはとんでもないものが出来るようで、同じ一つの高圧帯の中に、また気圧の低いところがあり、さらに高いところが出てくる。一つの円のような、そうゆう曲線の中に、高低はあるが、渦のようなものが一杯出来る。さらに、気圧の幅を、1hPaから、0.1hPaにすると、渦の中に、さらに渦が出来て、と繰り返しの連続があって、そこまで考えてというか、妄想してこれ以上はやらない方がいいような気もした。眠気も襲って来て、そのまま眠れてよかった。

  荒れたお天気が続いていて、雷注意報も出た。いろいろ出るもので、その後新聞を見ていると、北海道でもこの時季の積雪は珍しい、無論平地でのことだろうけど、そうゆうこともあったという。これも、やっぱり地球温暖化の異常気象の一つなのではないか、とも思われた。ずっと小さな出来事だが、ここの屋根のアンテナも倒れた。これも倒れたままで仕方ない。誰も上には上がれないので、このままである。
  だいぶ前から、外を歩いていて各家庭の屋根のアンテナを眺めていたことがあって、これはチデジとかいっていた時代ではない。もう少し古い時代で、液晶のTVも出始めていて、しかし規格は古かったから、あるいはハイビジョンなど手も出なかったころの話し。TVに、普通のアンテナで受信できない、衛星放送とか、その他の諸々の規格のものはもう出ていて、全然無関心で、それで大丈夫だった。あまりに、TVに固執するものもなく、かつ映画とかも興味もない。ビデオはあって、これも傑作な話しだが、これを買いたいといったのは、私ではなかった。で、どうゆうものを録画したかというと、なんとなくだがアニメ作品のようで、これを見たのはずいぶんと小さな、まだまだ小学校に上がるかどうかというときの人だった。幸いかな、ビデオ時代の世代。
  
  TVの話しではなかった。気圧のことを考えていて、それもTVアンテナが倒れたこともあるが、それにしてもあまりにいいお天気とはいえない。いえないながら、時間は前に進んでいる。それで、梅の実が大きくなった。さらに草も、春のそれである、ヒメジョオンなどが咲いてきて、これも雑草といわず眺めると美しいもので、可憐でもある。ただ、やたら出てきてそれで歩くのに邪魔というところ、繁殖力の旺盛さがよくはなかった。風でいうと嵐か台風かで、そよ風ではなかった。でも、この花も先に今はカラスノエンドウに地面を占領されて、どうしたものか悩んでいるようだ。
  早春から、時間を追って地面に咲く花、雑草を眺めると、幾種かの大体決まっているそうゆうものが順に出てくる。これも、不思議であって、当然のようであって、最後に咲き誇るのはなんだろうか。
  そこまでいかないうちに、草刈が行なわれる。もっともなことでもある。さすがに虫に刺されるのはかなわないし、よくはわからないが、蛇との遭遇もおっかない。

  いろいろなことが起こる春で、これも生き物のせめぎ合いがあるようで、毎度のことだが、グダグダする感じがある。なかなかいい気分ではいることは出来ない。




  濃い緑。これが初夏の感じで、セミの鳴き声も聞こえそう。




  白ツツジ。日が当たると、さらに白くなり、これだと寒い感じも出てくる。




  雪を頂く山はまだまだ白く、きのう一昨日は雪だったとか。もっともな話しで、このツツジはその白さを増すから、まだまだ春も浅いなという感じが漂う。




  なんだかわからない木は、どんどん生長。向こう側が透けて見えない。
  白い花が小さく開いている。




  八重の、ヤマブキの色はというと、夏みかんで、もうハッサクでもない。
  これは、夏の色。




  よくこの濃い目のオレンジ色が出るなー。これはどう見ても、最低初夏の色で、いかにも酸っぱそうである。

ことし、初めてのアゲハチョウ

2009-04-28 16:25:26 | 虫、その他
  快晴のお天気、その後雲も出ているが、
  穏やかなお天気で、風も弱め。
  いいこと尽くめのようで、それでいてまだ春の初めのような感じがある。

  道を歩く。新緑が濃い。これしかないようだが、
  弱弱しい、ケヤキの緑も濃くなり始めている。
  いったいいつごろ、フワフワあるいはフサフサの
  ケヤキの木が出来上がるか。
  きょうもカラスの巣を見ながら、ちゃんと黒い尻尾が見えている、
  カラスは寒そうな感じがして、日に当たる自分はというと
  しばらくしたら、かなり汗ばんできた。
  そうゆうお天気。
  安定感はない。
 
  で、少し先にアゲハがいる。チョウのアゲハ、こんなものがいる
  ので、一々そこに行ってみるとゆうのもおかしなものだが、
  やっぱり急いで、持つものを持って。
  すると幸い、アゲハはまだ止まっていて、
  しかしすぐに何か怪しい気配を感じたらしく
  逃げた。 




  ナミアゲハのようで、後翅の先が傷んでいるような。




  右側のオレンジ色の斑点もないようで、でもことし羽化したチョウだと思う。




  すぐに、移動してまた次のヒメオドリコソウに止まる。
  止まれと祈るが止まらない。




  花からずり落ちそうで、パタパタやっている。




  かなり移動して、また止まる。それから、こちらの花に戻ってくる。
  でも、花には止まらず、また向こうにゆく。もう一度
  こちらに戻ってきて、じっとしていたら、そのままどこかに
  消えてしまった。

  効率の面からいうと、非常によかったと思える、ナミアゲハ。

晴れで、真っ青で、白い

2009-04-28 06:52:42 | 散策
  朝のお天気、快晴。満点の快晴。風もほとんどなく、木々の枝葉の揺れもない。ときどき、木が揺れるのは小鳥が中でコソコソ動いているから。よく晴れて、よく冷えて、それで田んぼの辺りはわかりやすい霜が降りている。アメダスの6時の気温、5.6℃、気圧は、1016.0hPa、湿度76%。ちなみに風は2m。室温11℃で、たぶん、きのうの最高より10℃は下がった。涼しくて、朝から太陽光が入っている。

  よく晴れた、夕方きのうの空は、まずは明るい月が見えて、この月もやけに細く、でも明るさは十分だった。月はときに消えてしまう。どこかにもいってしまって、探してもわからない。なんだかこれに似たものはある。この細い月を見て空が晴れていることを知る。冬の大三角が、西に大きく傾いてそれでもはっきりとわかった。春の空は霞んでいて、明るい星さえ見えない。これは冬と比べるとかなり違う。明るい星さえも見えない空。これが長く続いて、こうゆうものも他にもありそう。
  その空の汚れもきれいにこの2、3日の荒天が洗い流して、どこかに持っていってくれて、一部の花々はこれで散ったが、空のゴミも散って、その後もポツポツ春の星が見えていた。珍しく、夜の窓から、春の星を眺めて、時間がかなりたったことを知る。

  その後も、夜中も窓越しに空を見て、まだ星が見えていた。朝に近い時間が来る。もう朝が来た。何となくだが、早すぎてまだまだ眠い。30分が1分くらいに思える。アッという間にまた眠って時計の針は、30分も進み、それからもう一度目を閉じて開けると、起きる時間だった。
  薄明を過ぎた時間、南東の空、去年より高度は高く、そこに明るい星があって、これはしばらく考えた結果木星だろうと思う。夕方の空から、明け方の空へと木星も移動して来た。太陽のほうが動きが早いから、木星は置いてきぼりにされる。結果、太陽の東にあった星は、こんどは西に見えてくる。暗くないと見えず、それゆえ薄明頃の時間、惑星の王者は輝く。少し赤味が強く、しかし木星以外に考えられない。きょうの空は、透き通っていて何でもよく見える。

  外に出ると、ブルブルくる寒さというか冷たさがある。木の芽、花の芽が落ちているが、白いものは霜で、地表辺りは結構冷えた。今どきに霜が降りるのはまだ普通だろうけど、それでもういいと思い、さっさといえの中のもどる。明るいが、冷えている時間である。

お寺の梅の木

2009-04-27 18:48:00 | 散策
  お寺というと、昔は学校の修学旅行で、違った遠足で行くところという感じがあって、何となく観光地というイメージが今もある。お寺にもいろいろあって、ということがわかるのは、容易ではない。近くのお寺には人が棲んでいて、というものもあって、どっちだというと、お寺には人が棲んでいる、で、神社というと誰もいないようで、よくはわからない。

  そのお寺が、これはかなり昔からあるようで、ここのご先祖様を見送るということもあったようだが、これはかなり昔の話しで、今には記憶も薄れている。そのお寺は散歩道に近くて、しかし違うというか、そこにゆかない。買い物にゆく道にあってときにただ花というか、咲いているもの、木々のもの、植物、それからときに「コケ」とかいうものもあって、もう少し昔だと、フサフサした毛並みの犬がいた。このワンちゃんは、まったく吼えもせず、静かに髪を風になびかせていて、超越した感じもあったが、いつの間にか消えてしまった。よって、きょうなどは、竹の子の出具合とかおも見たい気があって、その中に入った。

  これは買い物の帰りだったか。いきは、カラスがお寺の木の自分の巣に帰るときであって、眺めた。このケヤキの若葉は、スキッパなのである。だから風がまともにカラスの巣に当たる。外から丸見えなので、きょねんとは大違いだ。ここの巣にカラスは、まずは他の枝に止まって辺りを見回し、それからゆっくりとその巣の中に入っていったが、その中に卵があるのか、それはわからない。きのう一昨日の雨風で、巣もかなり濡れた。そうゆう感じがあって、七つの子を育てるのも大変だと思う。
  帰りは、梅の木の様子を少し見た。梅も、花は散って久しい。そろそろ緑濃い梅の木もあっていい。で、そこにいってみると、小さな竹の子、当たり前か、も出て来て、これはすぐに大きくなる。だから、大きい竹の子もある。でも、これ食べられそうにない。で、親の竹はというと、最近は枯れているよな感じがあって、色も退色、青竹が枯れ竹みたいになっている。竹の子というと、きょうはスーパにたくさん出ていた。

  それで梅の木の前に行くと、木の緑は前と比べてずっと濃く、花が咲いていたのと同じように、その木は緑一色になった。空間的な広がりを平面でとらえると、そう見える。これはいいことで、半分は折れていて、幹の太いところには穴があく、そうゆう梅で緑も満開になると見ていて気持ちもいいものである。
  これではまだまだ梅干しのもとは大きくはならない。で、水分の補給は終わって、今日もたくさんの太陽光を浴びて緑も濃くなっている。梅の実も、多くなるとき、そうでないときがある。断定的な感じだが、たぶん花がたくさん咲かないと、実の量も少ないと思う。今年は、花は多かった。その割りに実の数は少なさそうだが、これは受粉がうまくゆかなかったということと関係がありそうで、でどうだろうか。
  ある年に、この木の梅の実を眺めて、ちょうど刈り取りにいい時間だと思った。しかし、ある時間を経て、もう一度そこにいくとまだ梅の実は木になったまま。これって、誰も取らないのか、なんという蛾か、わからないがその蛾の幼虫を見つけて、これは針に毒を持つかもと思ったものがその梅の木にいて、これで、実もそのままかと思ったが、現実はそうではなく、あっさりとある日に実の方は完全になくなっていた。ことしはというと、これで2回目の梅の実の観察だが、実の数も少なめ、大きさも小ぶり。これは少し、生長は遅いと感じた。

  お寺に木はほどほどにあって、ここに、まずはカラスのいる、ケヤキがある。それから、木でいうとカエデもあってその色はなかなか美しい。それに大きめのイチョウもあるが、これは実はならない。この辺りで実のなるイチョウを見ていない。このイチョウの緑はきょうはずいぶんと濃く、また多くなって、これを見ると初夏だと思う。そんな感じがイチョウの大木にはあった。
  
  梅の木が庭にあるご家庭は多いようで、いくつかはまじまじ見ることも出来るけど、いちいち実のなり方も見ているわけにゆかず、それに比べてお寺の梅の木は、眺めていて特に問題もないだろう。この実を採るわけでもない。それこそ、毒蛾に刺されそうで、あまり接近しない方がいい。
  実のなる木というと、この梅が一番で、それに柿の木がある。それと冬だと、柚子がある。柚子も出来るとき、出来ないときがある。知っているのはこれくらいで、これ以上は出てこなかった。そういえばお寺には、柿の木はなかった。これはなぜか、ちと不思議。




  大木が一つ。この木はよく見える。それで、鳥なども止まっている。
  どんな鳥もこの木に止まる感じはある。




  上から見るカエデ。このカエデもよく見えてここにある。右と左があって、これは右。




  左側のカエデ。このときは日に照らされて、カエデの表面が光った。




  さらに光ったときがすでにあった。回りに少し高い木があるから、太陽の高度が上がらないとこの光景はない。



  
  初夏を思い出させる、光の強さがあって、どうしても並べたくなった。




  再び、大木に出てもらう。ちょっと緑が濃い。その上を、サギのような大きな鳥が飛んでゆく。サギは平均して、いない日が多い。




  なんでもないような、空。ここに右側にツバメが3羽いる。これがキリキリ飛び回る。そのときに、ちょうどキジバトがやって来た。ツバメは小さく、キジバトは大きい。なかなか撮れない。