光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

思いの外、外は寒かった。

2008-01-31 19:05:05 | 散策
  一月の終わりになって、今年の出来事、今年に書かれたものが載る、雑誌が来る。でも、まだ去年のモードのものも多いような気がするが、最初にPCの雑誌が来た。
  昔は、色々なものを、詰め込んで、ときに入れ替えて、そうゆうことをPCでやった。まだやろうという気があったし、でも、それも、もうやることもないような気がしている。次は、かなり先か、あるいはすぐにかも知れないが、その必要性は今はないようで?、その雑誌を見ることも、パラパラ程度。
  目がゆうことをきかなくなった。文字も細かいものは極端に見にくいし、小さなものも、ネジ一つつかむのも苦労する。針の穴に糸が通らない。針を持つのも苦労する。眼鏡もそれこそ、10cm単位くらいで変えないといけない。ちょっとある焦点で固定していると、例えばモニタを見ていると、今度は、手元にあるものが何がどこにあるのか、すぐにはわからない。こんな早くこんな状態になるとは思ってもいない。細かいものをつかめない。手からすべてゆく。当たり前のことになる。こうなると、セマッ苦しい代表のような、PCの箱の中の作業はもう出来ない。
  ハードの世界では、一応、普通の人が使う範囲ではすでに完成形に近いものがあって、問題はソフトで、そちらこそ、何とかならないか。PCウイルスに辟易しているが、ソフトを作るという、システムを作るという意味では同じだろうから、これは、半永久的に新作の登場が続く気がする。シロウトにはさっぱりわからないが、予想は付く。

  雑誌を定期購読するのは、特に本屋さんのないところでは、大いにやりたいという気もするが、しかしこれらの本もかなり溜まる。たまりに溜まる可能性があって、躊躇する。で、他には、PR誌2冊のみである。この一冊がやって来て、本の世界も新年になったと思う。まだまだ、少し見た程度であるが、面倒であっても、わからない文字は辞書で引く。すると、やはり読みも、意味も間違っていて、これはやっぱりアカンかった、と思うが、これも半永久的に続く作業だ。一旦おさめられたところの扉が開かない時もあるだろうし、忘れられる、住所が見たいなもの、こともあるだろう。これは、何かが働くと、ときに思い出される。
  最後に、紙に書かれた文字に飽きるときは、ネットで検索というのもやる。知らないことだらけである。ほぼ、読み物に書かれていることそのものが、ネットで探索したページに出ることもあるが、この辺は、少し面白い。それから、一番いけないのは、あまりに高度で、ついていけないもので、こうゆうのは、無論「本」の世界にもある。これ以外に、ネットの情報の信憑性の問題があるが、これなども、気をつけないといけないことの一つだと思う。

  お天気は、外を見ていると、気象台の観測、アメダスのそれと少し違って、晴れの時間帯は長めだ。が、外に出てみたら、思ったより寒く、冷蔵庫の中の世界と変わらなかった。きのうよりぐっと寒く思えた。ここは、しかし、晴れであるから少しでも、写真、ファイルを溜め込む気持ちを高める。なんとなく、この行為にも限界がみえてきて、しかし、今はただ、これまでと同じように、なにかを眺めて、それを撮るしかない。そんな悩むことの問題でもないのだが、心の内ではそれに対する反発が自身になぜかある。
  それから、ここの地面のあるところに、草も生えないところが出来てしまって、幻滅している。赤土がそのまま出ていて、枯れたコケがひっくり返っている。泥が流れている。だが、このことに気がついているのは、たぶん私だけで、不機嫌を通り超えたものがある。




  寒いと思いながら、いつもと少し違ったところへゆく。大きなイチョウが生えている一画であるが、またこの木の辺りも何度となく見ているが、木が枯れている。少し前は、これには気が付かなかった。どうしたのだろうか。




  場所が限られてしまって、スイセン、と思うけど、の、花が咲きそうなところにゆくが、やはり蕾のまま。2週間くらいこんな感じで、この蕾はいつ咲くのか。




  シャクヤクの咲くところ、何度も登場するが、ここの畝を見ていると、この小さな芽が見つかった。接近して、チューリップだと思う。2、3cm出てきたところで、保護色のようで、なかなか判りにくい。手前は、スイセン?。

  チューリップはここにもあるけど、これの芽が出て来ていいはずだが、コケが裏返っている辺りにあるから薬を撒かれている。もしかしたら、もう出て来ないか。

小さく、寄せ集めて

2008-01-31 07:17:54 | 散策
  朝のお天気、小雨。雲の動きは、北から南だが、地上の風はよくわからない。アメダスの最新気温、1.2℃、積雪0cm、湿度94%。室温、6.5℃。なぜか布団の中も暖かく、
  目が覚めなかった。ちょうど、もう目覚ましがなるころに、目があいて、これが鳴り始めるといやだから、スイッチを切った。うまくいったか、どうかわからない。最近は、TV、ラジオの影響が大きいのか、有名人が夢に出てくる。

  今頃なぜオリンピックと思うが、今年2008年はオリンピックの年だそうだ。昔は参加することに意義がある、だったが、なぜか、参加も出来ない種目もあって、オリンピックも変わったと思う。国別対抗だから、当然自国を応援する。それ、ガンバと大きな声はあまり体によくないから、小さな声で応援する。
  会場が問題になる。会場を誘致するのに、ここから競争が始まる。オリンピックも、様々な顔を持っている。Tokyoのときはどうだったか、新幹線が走った。ちょうどそのときに、東海道新幹線が営業を始めた気がする。しかも国鉄だった。その当時私はどこにいたか、それは置いておいて、しかしその『こだま』やら、『ひかり』に乗ることは、夢考えられなかった。それよりも、近くを走る電車の方に興味があって、その線路のそばに遊びにいった。当時は、のんびりしたもので、その辺りのことを今でも思い出すことが出来る。
  北京大会の会場がどうなっているのか、他の都市でもやるのか、なかなかはっきりしないが、それで中国の空も、昔の日本のように太陽が見えない日があるとも聴くこともあるが、それも定かなものではない。今の中国がどうなっているか、というのと、「オリンピック」というものは、完全に分離されて考えられているのだろう。

  話しは、寒い、より寒いところへ飛んで、お隣の県、近くて遠い長野県の、諏訪湖が一体いつ全面凍結するか気になっていた。理由はわからないが、人工衛星で見た諏訪湖の写真が記憶に新しいからかも知れない。それで、全面凍結に加えて、「御神渡(おみわた)り」というものがいつ起こるか、それも気になっていたが、そのニュースがきのうのお昼に流れて、ようやくか、あるいは久しぶりかで、この映像を見ることが出来た。ちょっと物足りないような気もするが、この辺りは、氷のご機嫌と関係があって、お祈りしても、特に壮大になることもないのであろう。
  流氷というものも、これまたスケールの大きい、荘厳で、心底震えるのに十分なものであるが、このニュースは、流氷がオホーツクの海をどの程度まで流れて来ているのか、いつにその氷の塊が北海道沿岸に到着すのか、これも興味がある。ただ、あまり深入りすることはないが。

  今年の冬、この辺りは雪は、平野部では少なめであるが、寒い感じはいつもより強く感じる。景気の問題やら、借金の問題、新幹線の何割かは、県税で作られている、その額もさらに膨らむらしい。貧困、格差、環境、エゴ、色々な問題が交錯して、いったい何がどうなっているのか、どう理解したらいいのか、わからないまま、ただ時間は過ぎ去ってゆく。

なぜか、少し走った。

2008-01-30 19:09:50 | 散策
  夕刻から風が強くなって、ちょっとした嵐の前触れの感じがある。雨も落ちてきている。

  「お前なんか、はしのしたから拾ってきた子供や」、こうゆう言葉を子供のときに何度となく聞かされた。住んでいる少し先に大きな橋があって、かなり説得力があった。
  人は演技をしながら生きていると思う。何かがあると急に声が小さくなったりする。役者の方も、これも演技のプロだが、現実の生活での演技を表に出すことはなかなか出来ないのではないか、そう思う。
  花粉症は、まだまだっと思って、しかし鼻ムズの、クシャミの連発はあった。今日は、少し気温も上がって、日中午後3時ころまでか、穏やかで、日が出ていた。朝からだが、少し鼻がムズ、それから顔がやけに腫れぼったかった。のどが、イガイガして、口が渇く感じもある。声も枯れるようで、大きな声も出ない。頭痛、これはいつものことで、あとは、ムカ付いてもいた。どれが花粉症の症状であるか、はっきりしない。しかし、やはり花粉症で、それもあまり嬉しくない症状のよう。

  それ以外に、あとはかなり気楽な感じで書けるものだが、なかなか応答の鈍い感じのものがあって、こちらから出かけて行くのが相応かも知れないと思う。一応、当事者に聞くが、もうやりたくはないらしく、「お前の言ってることは何のことだかわからない」、を連発するので、ついに自分が出ていった。
  よく考えると、こちらのミスもあるようで、すいませんが、外に出て待っててくれませんか、という。何しろ、大きなうちで、どこから入っていいのかわからない経験があった。私は、小走りになった。まだ、風はなく、日も出ていたが、スリッパで違ったサンダルで、パタパタ言わしながら、かけた。すぐ裏なのだが、ものすごく遠回りになる。50mはある。これは、オーバか。すると、角を曲がると、そこに人の姿が見えて、さらに走った。疲れるな。寒いし、それで、ぺこぺこして、でもなかなか話しも通じないと言っていいもので、その方と一体何年顔を合わしてないか、考えてみたが、わからなかった。
  それから、いつもの用事だが、外に出て、少し遅れている。あれ、もしかしたら、これでは、金額が足りないかも、なにを買ったか見てないし、それで、また小走りになって戻った。もう少し、持つものを持って、それから、もしかしたら、あのスイッチを入れ忘れている、必要なスイッチは切って、しかしあるものは付けておかないといけない。この勘が見事に当たった。お金は、そのままでは足りなかったし、またスイッチも必要なスイッチは入ってなかった。まったく、こんなことになるなんて、結局何が悪いのだろう。自分が悪いところもある。しかし、そこに気が付いたことにホッとして、またもと来た道を歩く。早歩き。
  不思議と、ミニカメラは持っていた。しかし、これが活躍することはないと言ってよく、この高いが記録の遅い道具に少しムッとする。
  いつもより遅れて、まずは用事を済ませて、それから、小さい声で、なにを買って、これは買ってないです、などということを、お店の人に聞いた。まったく、なんちゅう家の子やと思われるだろう。

  それからも、小走りである。再び、四角く、くるりと回るコースを歩いて、ワンちゃんの顔を見て、今日は少しのんびりしていると思った。犬の花粉症というのはないのだろうか。何だか、少し目が痒い。そういえば、朝も、様々な症状に加えて、目が痒いとも思ったことを、今思い出した。
  帰りついて、結構心拍が上がっていることに気が付く。小走りなどしなくてもいいのだが、やってしまった。しかし、この小走りも役に立つことがあるだろう。聞こえないくらいの感じに思えるラジオから、朝から鼻水たらたら、と嬉しいような便りが読まれる。このときは、花粉症の大家のアナウンサは、ちゃんとそのような、鼻が詰まったような声を出す。しかし悪性のウイルスによる、風邪というのも、しばし沈黙していたが、それが復活の気配を見せ始めたという。これがあっという間に広がるから、インフルエンザなのだけど、花粉症とインフルエンザを同じレベルでは見ることは無論出来ない。花粉症は、大体、人にはうつらない。
  ウイルスの不思議は、依然そのままのように思える。

  苦しいとか、言い訳をしつつ、それでも。




  今朝の、南天に見えている月。今日の午後に、ちょうど下弦となった。手持ちで、露光時間は、0.5秒。




  地上に戻って、少し前の、もう実もすべて落ちた、ナンテン。




  西の方角。よく見ると、雪の消えた田んぼに緑があるではありませんか。田んぼに、こんなところに早春の景色があるなんて、小走りでも、ゆっくり歩いていても、気が付かなかったなー。

もうこんな時間!

2008-01-30 07:13:15 | 散策
  朝のお天気、雲の多い、しかし、晴れ間もある晴れ。風は南からのもので、少し冷たい。アメダスの最新気温、2.4℃、積雪0cm、湿度は94%。室温、おまけの6℃、しかし6℃は、3℃よりは数段にいい。
  夢、もう起きる時間が近い、時計を見ては眠って、それで、最後が、地下鉄に新幹線が走っていた。それも、超満員。しかし、それには乗らなかった。

  月が、下弦を少し過ぎているような月が、南のちょうどいい角度に見えていて、しばらくすると、細い月と、金星が接近することが納得される。曇りか雨か雪の予報だが、気温が少し上がれば晴れる。
  きのうのこと、外に出るときに鍵をかけることがあるが、後からわかったが、その出て行った場所のドアの鍵をかけてなかった。入るときは別のところから錠を鍵で開けて入ったから、何とも思わなかった。しばらくして、そこにゆくと、1cmくらい、そのドアは、出て行ったときのドアは、開いたままであった。なんとまー、ボケたことをしている。
  雨は静かな降りかただった。帰って来てしかし、かなりあちこち濡れているところがあった。途中、植物を見るが、その植物に雨が当たって、そこにたまって、水が落ちそうで落ちないで、しずくを作っている。これはいつ見てもいい眺めである。ここは、水が入っても大丈夫なカメラが役に立つなと思うが、そこまでやらなくてもいいだろう。海中、水中専門の方は、それを大いに使うべきであろうけど。一番早く花が開くだろうと思われるスイセンを見たが、まだ、咲かない。この状態で、ずっといる。しかし、他のスイセンは、今ようやく芽が出たところ。

  時間のたつのが早く感じられた。鍵をかけるのを忘れたからでもないと思う。結局何かやっているのだが、そのことを忘れている。あれ、今まだ2時だと思っていたら、もう2時半を回っている。何をやっていたんだろう。さっき起きて、すぐに着替えて、それで、あちこちのスイッチを押して、鼻うがいをして、なにかを食べて、もうこんな時間か、どうも、時間のたつのが早すぎる。
  楽しいときは時間がたつのが早いという。まるで私の感想と反対の表現がある。楽しい時間ねー、このところちょっとない。どうも、日々平凡な生活の時間こそ、いかに大切であったか、何かの時に思うことはあるけど、そのこともすぐに忘れてしまう。どうも、やらないといけないことをやって、それはいいとして、それ以外に、これは少し面白そうだというものがなくなってしまった。忘れているものがあるのだろう。見えて来るものの視界が狭くなる。新しいことにも、古臭いことにも、なかなかそれに挑戦しようという気も無く、まったく生活に対しては保守的もいいところだ。
  寂しい話しになりがちだが、これもまた、後から考えると、これはこれでよかったと思えるときが来るかも知れない。

よみがえるもの

2008-01-29 19:02:14 | 散策
  ほぼ終日雨で、今もほどほどの雨が降り続いている。気温は4℃台が最高のようである。

  夢を見ている。眠って早々見ることもあって、大して疲れてはいない証拠かもと思う。これって、どうなのか、正確には判断が出来ない。もう朝という時間はほとんど夢を見ていて、しかし半分はもう目覚めていて、なにがなにやらわからない内容で混乱する。
  季節が冬だから、辺りは暗いが新聞が配達される時間は同じだ。その跡が、轍が残っているときもある。雪が降っていると、よくわかる。その数が多いと、これはどうゆうことと思うが。夢は、ほとんど過去のものが登場する。昔のままの自分が出てくるが、そう夢の中では思っている、周りの風景は、そこに登場する人物は、ずいぶんと異なったものになっているはずだが、それが誰かはわかる。でも、その感覚もゆるい、鈍いものである。未来の夢を見ることが出来たらと思う。

  本を読んでいて、よみがえる記憶がある。何度も読んでいる本をまた読んだりすると、するともうこの先はわかっている。途中で、止めようかと思ったりもする。もともと、本を読むたちではない。それで、もう何度も読んでいる本を、かなりいい加減に読んでいると、なぜか思い出さなくていいことが思い出される。何かが、脳の固く閉ざされたある扉を開けるようで、あまり面白くない。

  物置小屋のようなものがあって、ここに本当の昔のものがまだ置いてある。物持ちがいいのかどうか、何しろゴミがどうだとかいう時代より前のものであるから、それこそ、ゴミそのものも大切であった。今でこそ、大木の木々の葉っぱは、濡れ落ち葉、死語かも知れない、として嫌がられるが、その時代は、ちゃんとした肥料になった。その後だって、杉の葉っぱはちゃんと燃料にもなった。スンバと言って、それでお風呂を沸かした。今は、特にこの寒い冬に、五右衛門風呂など入ることも想像できないし、したくもないが、そうゆう時期もあったのだろう。
  昔の高校のテキストが、まだ置かれている。幼少の時に、姉が読んでいた、世界子供文学全集などもあるようだが、今はどうなっているか、それより、さらに古い時代のものあって、しかし、今はどうなっているか、知らない。何しろ、お化けも入らない、逃げてゆく、そうゆう場所である。なぜか太いロープも、梁からつるしてあって、これはおっかないから、わからないようにしてある。

  その物置の中に、私のものも少しか、あるいはかなりのものが入っていて、ときにそれらを覗いてみたいと思うこともあるが、やっぱり怖くてねー。
  昔、それより、一昔、二昔前までは、ものはずいぶんと大切にされてきて、それが今も眠っているが、それにしても、もう誰もそこに入ろうとしない。こうゆう歴史のあることを知らない人は、さっさと、何事もないように振舞うのだろうけど。
  ここにあるものが、もしかして、怪しげな霊気のようなものを発しているの可能性がある。一体、今度、いつその扉が開くときが来るのだろうか。


  きのうの、朝は快晴、という様子。日の出の前、




  東の空で、人が感じる以上に、空が青く写る。それから、見てのとおりジェット機の描く水蒸気の跡が、下に見える雲と同じく、紅く染まってくれた。この時と同じという写真が、先ほど見た地元の「今日の朝刊」に載っていた。遅れてしまった、でも、用意したから、そのままのせます。この後があって、




  もう日が出たのかどうかわからない時間であるが。よく見ると、このファイルに白い筋状のものがあって、これは、先ほどのジェット機のものが移動したのだろうと思う。偶然、太陽の位置にまで流れて、太陽が出す一筋の光条のようである。




  空が二つ続いて、苦しいところ、地上の、タンポポの様子。冠毛が、美しく見事だが、これは密と疎なところがあって、何かを象徴しているようでもある。自分の頭の後ろの方を見ている気がする。

地図にある想像の街

2008-01-29 07:20:47 | 散策
  朝のお天気、雨。ゆっくりとやわらかい雨が降っている。風は弱く、穏やか。アメダスの最新気温、1.7℃、積雪0cm、湿度95%。室温6℃。気温は、下がってきていて、もしかしたら雪になるかも知れない。
  この雨は待っていたもので、12月のあたまに、去年のだが、やたら雨が降ったが、その時の感触が、しばらくたってずいぶんとよかったと思われた。雨は嫌がられるが、あとあと、あの雨はよかったと思うこともなかなかない。これも、たぶん暖かかったからだが。
  なるべくなら、どうにもならない現実から逃避して、もう一つの現実に集中するほうがいいと思う。紙に印字された数字の足し算も、さほど悪いものではないけれど、そこに至るまでが大変。誘惑としては、計算、現実としては、ものの『本』を読んでいるほうがよさそうで、一番は眠ってしまうことだが、それにも限度がある。
  書き物を見ていて、地図を取り出す。高野山が出てきたのも、そのせいで、今度は、Naritaに近い、「さくら」という街を探した。佐倉である。昔はずいぶんと遠い街に思えたが、今はそうでもないようで、ここの書き込みに、ときどき風車の景色が出て来たりする。今は、お手ごろな観光地でもあり、住宅地なのであろう。
  ここに、学校の上級生が住んでおられて、長く賀状のやり取りをしたが、プツリと途絶えた。ふと、今最初に思い浮かんだのは、房総の、館山辺りであったことに気が付いた。菜の花畑であるが、今は黄色い花が満開なのだろう。
  佐倉の街を飛び越えて、境界の街、佐原が地図にあって、利根川が流れ、そこに、伊能忠敬の旧宅が、三つの点々で表示されている。佐倉か、佐原で、大いに違うが、佐原の町などはまったく自分の記憶の中にない町である。伊能忠敬のことは知っていても、佐原がどこかは気にならない。この水郷の田園地帯の、何が彼に日本一周をさせたのか、しかしそれは彼が江戸に出て、それから、そうゆうことに執着した、とり付かれたようで、人の可能性はどこにでも隠されているのだろう。

  きのう、妙に軽いジェットエンジン音を辺り振り撒く、小型の双発のジェット気が、かなりの時間上空低く飛んでいて、なにか問題があって飛んでいるのかと思ったが、そうではなくて、次にここに飛ぶ飛行機のパイロットの方々が下見のようなことをやっているようであった。これまでは、双発のプロペラ機が飛んでいた。お天気は、雲も多く、しかし視界は悪くはなかった。低空で、計器飛行を強いられる場合が多い。冬は特にそうである。でも、最後は、パイロットの方の、肉眼での判断で、着陸するか決めるようで、ここの空港も、難易度の高い空港である。ちょうどいいときの訓練かも知れない。
  ジェット機で、羽田まで行った人によると、佐原辺りを飛び、房総を大きく旋回して、たぶん館山の上空も飛んで、Tokyo国際空港の滑走路に下りるようである。その間、たった1時間。しかし、飛行機恐怖症の人にとって、この時間は途轍もなく長いものである、など、想像の想像をしたりもする。

よく減る灯油

2008-01-28 19:06:35 | 散策
  全国的に寒いようで、でも、ここも寒いが、それは例年より寒いと思う。また、去年の朝の気温などを、5年日記だかで、ときに見ることがあるが、それを今チラッと見てみたけど、2℃とか3℃という値は、見当たらなかった。寒すぎる。それに、灯油もよく減る。なるべく使わないようにしていることがわかる。ずいぶんと寒いのに頑張っている感じもする。
  朝の温度が、4℃以下だと、あー冷蔵庫の中の温度だと思うが、さほど緊迫した感じがないのは、開放されている、多少なりとも窓もあって光が入るし、それに、外の風景も見えるからであろう。ときに、鳥の鳴き声もするが、この機会も減っている。こうゆうこともあって、寒いながらも何とか生きていける気がするが、4℃の密室というものを考えると、いくら外に出る扉があっても、ただ、人口の光があるだけで、またTVなどがあっても、これは、とてもじゃないがやってられない。密室、閉所、窓のないところでは、息も出来ない感じがする。こうゆう映画が、ありそうな気がする。そこで、これは、ちょっとしたシミュレーションでしたということが明かされて、観客の皆さんは大いに溜息を付く。
  スースー、冷たい風が入ると、どうもカンシャク球が爆発しそうになるが、これは実際は逆で、この空気が少しでも入って来るからいいのであって、でも、やっぱり寒い、早く閉めて、と大きな声が聞こえる。ある程度明るく、窓もあって、しかし、カンシャクが起こらないという時期、それは、やはり春も遅い5月の声を聞かないといけないだろう。

  時間をみて、どうも進んでやる気はないが、細かい紙に印字された数字を見る。探すと言っていい。どこに、その必要な文字があるのか、すぐにはわからない。怪しまれることのないものであるのに、どうして必要なものがこうして小さな文字で印字されるのか、よくわからない。眼鏡をはずさないと文字が判読出来ない。年月日が違った、これは2008年のものだ。散乱する、さっきここに置いていたものが、どこかにいった。寒気がする。これはやはり花粉症のせいだろう。確かに、電気ヒータは弱だが、それにしても寒い。細かい文字を書き写す。視野がずいぶんと狭くなる。視野狭窄になる病気があるらしいが、特に小さな文字を見なければいけないとき、今度は全体が見えなくなって、あれはどこにいった、と言うことになるようだ。疲れる作業である。
  一休みして、何でもかんでも放り込んである箱の、中身をすべて外に出してという、徹底捜査をやることにする。それで、そこにあるものは、何の必要も無いものが大部分であるが、一つだけ必要なものが見つかった。正規のもの。で、もう、底が見えている。何年前のものだかわからないものがそこに、綿ぼこりと一緒にあって、この空気を吸うと病気になりそうな気がして、徹底は止めた。端折った。

  朝は、快晴に近いお天気だったが、雲が紅く染まっていたからか、割と早めに雲が、全天を覆い始める。それで、多少気温は上がった。瞬間では、最高は7℃近くまでいったようだ。ただ、曇り空で、ゆるいが、冷蔵庫の温度に近い風が吹いている。ここは、早歩きになる。雪はようやく、ほとんど溶けたようだ。
  寒々とした道を歩いている。いつものように、2匹のワンちゃんの様子をうかがう。さほど寒く感じていないのか、どちらの犬ものんびりした様子。やっぱり少し気温が高いのかも知れない。これは、好ましいことである。人の場合は、置かれている状況で、感じるものが違う。もう少し元気な人なら、今日くらいの気温は、結構暖かいと感じているのかも知れない。一体どの程度の方々が、そう感じているのか。底辺が天辺にある人口ピラミッドの不安定さはしかし、より不安定に、その形をよりシャープにする方向へ、変化しているはずなのだが。


  みちみち、なるべくあちこちを眺めるようにしている。しかし、どうも決まったものしか見えて来ない。まずは、門だけの建物。



  地域遺産だと個人的に思っている。



 
  ケヤキ。今気が付いたが、ずいぶんと枝が細かく分かれていることがわかる。鳥の巣、カラスかも知れない、も見える。これも、遺産。




  ついにというか、固いままの蕾を持つ、梅。この木は、ドングリの落ちていた木の影になっていて、陽光はあまり当たらない。それで花が少し遅れるようだ。しかし、今年は、何しろ寒くて、たぶんまだまだ、ほころぶこともない。
  焦点を手動で固定して撮る。合焦したものがキリっと写るはずだけど、その数も少ない。  

快晴の朝

2008-01-28 07:13:55 | 散策
  朝のお天気、快晴に近い晴れ。一部に薄い雲があって、これが朝日に照らされて、なぜか少し紅い。南からの風が吹いている。寒い。アメダスの最新気温、マイナス2.5℃、積雪は0cm、湿度68%。室温2.5℃、今は4℃。2℃台の数字は、ことし初めて。
  やけに寒いと思ったら、2℃台で、より寒いところは、ヒータのモニタは、1℃だった。1℃より低いとどうなるかは、わからない。布団から出る時も、眼鏡が曇った。それで、外を見ると、

  金星が明るく光っていた。これは、もしかしたら、お天気は晴れ、そのとおりで、しかし気温がマイナス2.5度だと、さほどひどい放射冷却でもない。ひどいとマイナス5℃まではゆく。金星が、明るく輝くのを見ていると、冷え冷えとしてくるが、さらに、星ぼしを探す。あそこにも、あっちにもあって。さらによく見ると、金星の下側に、かなり明るいと言っていい、星があってしばらくはわからなかった。

  水星は、今は太陽の東側にある。夕方しか見えない。それで、しばらくその少し明るく輝く星を見ていてさらに体が冷えてきたが、土星にしても明るすぎて、最後に、それはたぶん木星、木星しかないと確信した。木星が、太陽の西側に移動してきた。太陽は、1年で天球を一周する。木星は、約12年の公転周期をもつから、その移動角は、太陽より小さく、それまで、太陽の東にいた木星は、宵の空からやがて見えなくなった。それは去年の秋も遅いころ、やがて、太陽に追い越されて、太陽の西側に行き、今度は、明け方の東の空に見えてくる。こうして、ひさしぶりに、木星の姿を見るが、金星が全天では、太陽と月に、続いて3番目に明るいから、惑星の王者である木星も、ちょっとショボク見えるのは仕方がない。しかし、金星はどんどん太陽に接近して、やがて、太陽の東側に移動する。そのときこそ、明けの空に、王者の風格を備えた木星を見ることができるが、それにしても、寒くてやってられない。

  もうすぐ、太陽が東に見える山々の稜線から顔を出すようで、かなり明るくなってきた。すでに、ジェット旅客機が飛行機雲を長く残していって、それも、紅く輝いて、今は白に近い黄金色に輝いている。

  寒さに凍りついた感じがあって、もう何も出て来ない。明るいが、実に変化のある景色は人を魅了するが、寒すぎるのであって、最後はやっぱりこの寒さに降参するようである。

寒さの中の光り

2008-01-27 19:17:46 | 散策
  寒い、サムーイ、一日で、しかし陽光が降りそそぐ時間があって、羽化する時期を間違えたチョウのように、少し、明るい光の中を歩いて来た。チョウの中には、大人のチョウのまま、冬を越すものもかなりあって、そうゆうものはなかなか見ることもないが、しかしこれは本当のこととしか言いようがない。
  冬こそ、星を眺めるに適した時季といえる気もするが、幸か不幸か、この辺りは冬に曇りの日や、あるいは雪の日が続いて、星の見える時間も少なく、ほとんどないと言ってよく、これを別な角度から捉えると、お日様が出ている時間帯というのも少ないようで、これからの、あるいは、あからさまに、最も安全で有効といわれる、今も含めた次世代エネルギである、一番期待される太陽光発電が、有効に働かないという、ある意味での欠点を持つが、
  さらに、しかしながら、雪が山に積もれば、これはポテンシャルとしてのエネルギが期待できて、実際に水力発電として、ずいぶんと昔から、現実のものとなって使われている。寒さに耐えて生きる、この言葉は、ここよりももっと厳しい、雪と低温の世界に住んでおられる方にこそ該当すると思われるが、その寒さに耐える代償として、水とエネルギが蓄えられるとも言えるのではないか。
  なかなか、二つのエネルギを両方溜め込むことはむつかしい。そうは、うまくはいかない。

  星の世界の話しであった。冬に晴れると、寒いこともあるが、雪の降らない地方では、星もきれいに見える。ただ、空気中の水蒸気の量も減るから、このことも忘れてはいけなかった、地表がせっかくお日様で暖かくなったのに、夜になればエネルギは、夜空向かって、より冷たい、寒いほうへ放射される。どんどん地表のエネルギは、空高く逃げていって、冷える。空気中の水蒸気こそ、この地表のエネルギの放出を防いでくれるものであって、よく晴れた翌日は、湿気がないから、放射冷却で一気に気温が下がり、パリパリ氷が張る。

  星の話しであった。色々なところで、色々な難儀なことがあっても、星の好きな人は、寒いと言いながら星を眺める、凍えながらも星を見る。さらに、観察では済まずに、観測ということにもつながってゆく。なんとなく、宇宙飛行士の方々にも似ている。かなり覚悟がないと、この寒い夜に、星を見たいがために、あるいは、星の明るさの変化を観測したいがために、寒いところで、じっと寒さに耐えつつ、星の観測をするのは、しんどいしくたびれる。ぐったりもするだろう。これが高じると、さらには、より高い、より空気の澄んだところへと旅立つ。

  星の世界に注目する。まずは、月や惑星などを眺めてみたいと思う。それらをさらに細かく眺めて、個体の惑星、ガスで出来ている惑星、その周りをまわる衛星に注目し、さらには、惑星に環があることもわかって、それを観測したりする。それから、これらの動きがどうであるか、どのように空間を動くか。それも興味の対象になる。摂動といわれるものがあることがわかって、力学の問題に突き当たるが、こうゆう方はすでに、2体問題の解についてはマスタしていて、3体問題についても、その一般解は存在しないことも知っておられる。

  どうも問題がむつかしい方へ、傾いてゆく。星空を眺める楽しみは、まずは、その美しさで、次には、太陽系が存在する銀河系と同じような天体が、この宇宙にたくさん存在することを知ることであって、太陽の大きさとか、太陽までの距離は、さほど大きなものではないことも知る。さらに人口に膾炙している、アンドロメダの大星雲も、太陽系の存在する銀河系の、兄弟みたいな、近い距離にあることを知って、しばらく驚く。が、そのうち高々、200万光年か250万光年かと言い、その距離も大した事でもないな、など思うことになる。さらに、銀河系と、アンドロメダの大星雲は、互いに重力を感じあっていて、かなり先のことであるが、これらの兄弟のような星雲は、銀河は、やがて一緒になってしまうかも知れない、と言うことも、それをポロリと、口から出してしまうことにもなって、ちょっと回りの人から、煙たがられることにもなってしまう。

  もう少し、この辺りでも、星が冬に見えたらいいと思う、そうゆう話しが、かなりな方向へ発散してしまった。現実の話しとして、この辺りが夜に晴れると、星こそきれいであるが、翌日は放射冷却でパリパリ凍ってしまい、とてもじゃないがやっていけない。特に寒がりの人は、困ってしまうし、危なくていけない。よって、寒いと言いつつ、ほどほどに雲が出て雪も降り、たまには、ある時間晴れて、それでは外に出て、少し日光浴をしたいと思う、その程度で世の流れが推移していることに、ありがたく思わなければならないだろう。

  もう何度も見たものが再登場する。




  南風!が吹いて、この山茶花も揺れた。しかし後から気温を見ると、せいぜい4℃である。背伸びして、カメラだけこの花に向けた。




  南側に、建物があって、ここは日向になって、この花が温かそうな、毛布に包まれているかのように見える。しかし、この花も、ちょっと大きくなったと思うも、また、かじかんでいる。小さいまま、消えてゆくのかも。




  左がイチョウの木で、右側はスギである。スギを今日よく見てみたが、少し茶色がかった黄色いものがたくさん付いているようであった。屋根があって、その雪が溶けていないことも注目に値する。低温で、溶けないまま、光り輝いているのである。

  明るい光り、暖かくはないが、早春の証拠といえるような気がしてきた。

カミガミの命

2008-01-27 07:17:38 | 散策
  朝のお天気、曇りベースで、晴れ間がある。東北の空が紅く染まった。本の2、3分で今はそれもない。風は弱く、穏やか。アメダスの最新気温、マイナス1.2度、積雪0cm、湿度は91%。室温3.5度、今は4.5度に上がった。

  土曜日に、お宝を鑑定するTV番組をこちらではやっていて、少し時間も遅れる。悲喜こもごもがあって、なかなか楽しい。お宝が出ても、特にくやしいとも思わず、これもまた大変なことになった、とも考える。ちょっと怖い番組。なんとなく、真贋がわかりそうで、しかし複雑なものも多い。その中で、骨董と、紙のもの、軸のものは、変わらず、マニアの方がいてそれを見ることになる。ここに、軸物の、その他の紙のものの命がある。
  何十年なら、話しはわかるが、何百年も前のものが、密かに北陸の凍りそうな蔵の中で眠っていることを想像する。蔵は、宝庫でもあって、しかし、ゴミためと貸したところもあって、しかし現代のゴミも、未来はお宝に化けるかも知れない。紙の命は、長い。

  お札、お札の顔となっている人が気の毒なくらい、お札は無造作に扱われる。新札はパリパリして、手が切れそうだし、しかしよれよれで、折り目に切れ目が裂け目が入っていると、これは先に使わないといけないと思う。お札の寿命はどのくらいなのか、考える。ぐるぐる回って、何十人、何百人の人の財布にしまわれ、最後は古紙として、日銀に戻るのだろう。ただ、のゴミとなって。
  硬貨は、裏に製造年が刻印されている、しかし、紙幣のそれはないようで、また記号番号から、その印刷日を知る術もわからない。紙幣から、特殊な細菌が、紙幣にのみ繁殖する、細菌というものもありそうで、これが病気に効く生理活性物質を持っているかも知れないとも思う。

  広告の数、新聞に入るもの、も減ったようである。市の広報やらも入ることは入るが、もう見ないし、どこかに行ってしまってわからないときも多い。広告は、まったく見ることがなくなった。強いて言えば、裏が白で、それも裏写りの少ないものは、メモ用に残すことが、ときにある。その他、美しい、美辞麗句であふれる、建物の広告など、これはなかなか見ることはない。広告に、広告大賞があるように、広告は、一つの芸術としての価値は大いにあって、しかし、それは、広告で、商品の実際のすべてを表わしていない。が、広告の美しさを競うものとして、後世に残り、お宝になる可能性がある。

  紙のもので大切なものは、やっぱり『本』であろう。そのうち、紙の、否兌換紙幣は、価値が無くなって、何かのものと、例えばお米と、一昔前はあった、交換するシステムというものが復活するかも知れない、なぞ想像する。こうしてみると、下手だなぞ思わず、何か紙に文字を書いたり、絵を書いたりするのも悪くないようである。