光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

名残の2月の、花

2010-02-28 18:54:08 | 植物・花(冬)
  真冬に戻ってしまった。
  地震による、大津波というものを想像するに、ちょっと何かが足らないようだが、その
津波というと、たしか秋田県沖での、地震の後の津波があって、それで、堤防の上を走って逃げ
る、そうゆう映像がよみがえって来て、さらに、小さな子供さんがお亡くなりにもなった、という
ことも思い出し、その方の冥福を祈らざるを得ない、気持ちも湧いて、これではいけない、と
か意味不明のことも、いろいろ思うことがあった。複雑というのは、まさにこのことで、どうに
もならない、自分でも説明のつかない、感情が付きまとう。

  今日は、寒単にいうと寒く、今も寒く、雪こそ降っていないけれど、気持ちも実感も真冬
だと思った。だから、コタツの中で、地震、津波情報を見て、それから、NHKの教育TVで、将
棋というのも少しだけ見て、さらに他の局のTVも見ていて、途中津波情報に変わったので、教育
TVへと、チャンネルを変えたのだが、それゆえ、またもとのチャンネルに戻すと、VTRは先へと
進んで、あまりいい感じはしなかった。これはTV観賞での、出来事であって、またよく冬季五
輪と重ならなかったものだとも、思ったりもした。この程度の複雑さであって、午後も津波情
報が続きそうで、ラジオでも同じであった。

  津波がいよいよやって来るのか。しかし、観察というより、大きな被害が出ないように
祈るしかないような気になる。それより、そのアナウンスは、より津波情報を必要としてい
る方に出されているようで、またそれゆえの遮断されてしまった、交通網の復活がいつになる
か、そうゆう方
  にもこの情報は有用だと思えた。それ以外だと、小心者でびくびくしながら、津波が来るという
のを待っているのもあまりに有効ではないような気があって、外に出た。出てすぐに、あれ電気ヒ
ータのスイッチを切ったかどうか、それがはっきりせずうちに戻った。こうゆうことを最近よく
やる。記憶がない。一つは習慣になっている。そうゆうことがある。すると一々確認をや
らない。指先で点呼しない。これがだめなところだ。

  寒そうな空気があって、それから神経に障る状況があった。雨が降っているのか降っていな
いのか、はっきりとしないのである。傘は持っているが、差すとそれが風で揺れるくらいだ。
どうなっているのかこのお天気で、雨がときにぱらついた。まったくついていない時間でも
あった。
  いくところとて、同じ、毎度のところ。梅の花、その他早春の花を見つけるくらいで、今
だと梅はどの程度咲いているか見るくらいだが、他にも少しずつ植物は生長をしている。それ
もある。あるが、なんだか最近特に目が疲れるがそれゆえ何が見えているか、と自分でも不思
議に思うので、あるものが見えず、ないものが見えていたと思ったりである。それでも何か
が動いたような、感じはあった。鳥だろうか。
  これと関係があるかどうか、道を曲がる、その角で安全を確認して、少し歩いているとそ
の先に、茶トラの小型のネコが、かなり遠いが動いているのが見えた。なんだか、神経質なネコ
だな。そう思う。そのネコはさっさと、道から消えた。しばし、梅を見たりするが、変化は多少
はあって、今日は曇り空で雨が降っているかもと思う。神経質なところは似ていた。

  しばらくして、道を歩くと、そのネコも歩いていて、こちらを振り返った。別に逃げるネコ
を追いかけることはない。そうゆう気持ちである。広い道に出て、雨は降っていないから、ちょっ
と遠回りをした。そっちの方が最近は歩いている。で、その道で、やっぱりクロッカスは閉じ
ているのを見て、結局先ほどの道、ネコのいた道に戻るのだが、今度は、もう少し近い距離で同
じ茶トラがいた。私より、車が早かった。一度あることは二度ある。では三度も四度も、となる
か。それで道を歩いて、近いところで茶トラのネコの顔を見たが、よくはわからないものであ
る。追いかけない。それでおしまいである。

  どんどんと歩く。寒いし、花はもうない。それで、また少しゆくと、今度は広い空き地
で、同じようなネコがいる。ほら、二度あることは三度ある、といいたいところだが、同じネ
コではなかった、と思う。そのネコもどんどん逃げるが、しかし目的があるらしく、目の前を横
切っていった。このネコの足は、先ほど見ていたその足と同じようなのである。つまり、素
早いのである。そこは同じだが、それから細身というのも同じだが、顔は違うと思う。第一、
早々、ゆく先々でそのネコがいるわけがない。第二に、二度目の接近のときと、その広い場所
は距離が離れ過ぎている。それにしても、ネコに追いつき、またネコが盛んに走るのを見た、
そうゆう日だった。
  ネコの写真とか、ネコの姿とかときに見る。すると自分の顔がネコに似て来たと思うこと
がある。その昔だと、私はネズミに似ている、とも思った。この辺りが、人の不思議なところ
でもある。


  ザラザラっときのうの復習というか、総ざらいというか、2月の名残。




  先に、お店に出ていた、梅だが二度目の登場で、同じ梅だが赤と白、
  紅白の両方の花が一つの木で咲いていた。接木か、手の込んだと思え
  るものだ。




  ドウダンツツジも、って、これがそうだと思うけど、ずいぶんと葉が
  大きくなっている。




  お寺の本堂への、入り口の雪囲い。雪が離れた。




  寒くてピタリと閉じた、クロッカス。今日も閉じていた。




  スイセン、その一。久々のスイセン。




  うつむき加減で、ここは真正面から。揺れる花が止まる回数は少ない。
  きのうは何しろ風が強かった。




  別のもの。これはちょうどよかった。白く透き通る、雪で覆われた後の
  スイセン、はまた格別。




  オオイヌノフグリも、ピタリと花弁を閉じる。寒く、日が出なかった。




  きのう一つ見つかった、ここのいえの、フキノトウ。これこそ
  どのくらいに雪の下にあったのか。多分、雪の中でも生長していた
  のだろう。



ユキヤナギの、緑色

2010-02-28 16:18:40 | 植物・花(冬)
  地震による津波というのは、恐ろしいものである。
  来そうな感じがあって、実際にやって来る。
  警報が出ると、あまり影響はないと思える、ところでも
  不安感が漂う。大きな被害が出ないことを祈るだけだが。

  それでお天気も、雨で、雨は上がったが、寒いままで
  これは2月だからしょうがないが、真冬並みの寒さで
  コタツで震えて、津波情報を見ていた。他のTVも見ていたが。


  それはそれで、さてなにか頭の中に残っているか。
  ユキヤナギの、細い茎と、小さな葉っぱの色が緑になった、
  というのがよさそうである。
  小さい花も少し咲いている。
 



  三日か、それ以上は前の状態で、茎と葉は、少し赤味を出した。
  これも暖かくなってからのことである。




  きのうの、少し明るくなった時間。ユキヤナギは一気に緑色を呈する
  ように。ヒヨドリは、まだ枯れ木に止まっていたことになる。



  
  上の、写真は少し暗かった。これが、明るさもあって、ちょうどの
  状態だと思う。明るい黄緑の春らしさ。




  花は小さく、なかなかファインダで見ても、うまく合焦しているか
  わかりずらい。




  オートフォーカスでもよおく見ると、ピタリというところがあるようで、
  何度もやり直す意味はあるようだ。




  その花のところを拡大。この蕾がすべて咲いたら、大変賑やかなこと
  になるのは請け合いである。
  



  危うくツバキを忘れるところ。これも一気に、花が開いて、賑やかに
  なった。



雨と風と、フキノトウ

2010-02-28 06:43:39 | 散策


  フキノトウが見つかった。ないだろうと思うと、あったりもする。
  欲張らないのがいいとか、思う。しかし欲張ったら、見つかった。
  フキノトウも、出て来て、春はそこまで来ているが、またブレーキが
  かかった。

  

  朝のお天気は、雨風で、雨はいいとして北からの風が冷たく、またその雨が窓を洗う。あー、北風の雨で、顔を洗っているような感じがあって、風だけでも止まないか。予報はこの後、曇りだが。グズグズのお天気に、様変わりして気が塞ぐ。

  アメダスの6時の気温、5.2℃。気圧は1016.8hPa、湿度は89%。北東の風が、5mとあり、降水量は、3.0mm。結構な降りよう。室温は、10℃。

  眠って、起きて、ネコが夜も鳴いているのを知る。その鳴き声で、返って目が覚めて、いったいにどこで、どうゆうネコが鳴いているか、考えるが、またそのうちに眠った。きのうは、そうは暖かくはなく、寒さの中で、鳴くネコのことを思うが、考えるにどうしようもなかった。きっと、年齢が重なって、それゆえの鳴き声か、という気もした。すると、鳴くではなく「泣く」という方が正しいかも知れない。

  さて、朝になって、なにがあったか。チリでの大地震で、どのくらいの津波がどのくらいの時間で、地球を半周してやってくるか、紹介されていた。あちこちで、地震は起こっているが、これまたどうしようもなく、こうゆうものは起こらないように祈るしかない。

  それでフキノトウである。淡い緑色のフキノトウが見つかって、その後北風の散歩から帰ってみると、ここのうちの、フキノトウも見つかった。きのう一昨日まで、雪の中にあったような、位置で日当たりもよくはないが、フキノトウは一個だけ出ていた。一個あればもう少しあるだろう。今日は、まー雨で、ゆっくりするか。ゆっくりしすぎるのも、考えものだが。

寒風の中で、咲いていた梅の花

2010-02-27 18:42:42 | 植物・花(冬)
  あー、春だなと思っていると、大間違い。しっぺ返しのような肌寒いお天気となった。
予想がはずれて、それが当たったというべきか。朝は小雨がまだ降っていた。小雨もやっぱり
雨で、上がったと思うと、また降りだして、しかし考えるに、冬型だと寒気さえなければ、
大体晴れとなる。なるはずで、ならなかった。きょうは、肌寒さがあって、でもこれが雪の日
の温度だったら、と思うと、かなり暖かいはず。しかしあくまでも仮定である。例えば今日は
4月上旬の暖かさといっても、季節はまだ2月の後半であってこれに変化はない。だから、
  暖かすぎる、その状態で、体の違和感みたいのが、ある。結局と思うと、やはり2月は
寒くていいのであった。何月並みの、暖かさというのは、そのときはありがたく思うが、書いた
ような不都合もあるし、どうしても標準からずれるありがたくない面は残されるようだ。きょう
は、それゆえ肌寒さを感じて、これに慣れるために、また少し寒い思いをする。

  雨が上がった。風が少し弱くなった。予報は、曇りのち晴れであって、そうなると、これ
は嬉しい。寒さも、日が出れば感じるものは違う。そうゆうときが来たような気がした。それゆ
え、まずは目の前を見るわけだが、向こうにある、これは、性格には「はすむかい」に当た
る方向だが、そこにあるツバキの花が、やけに赤い。赤く見えて、これは気温の上昇もある
が、きのう一昨日の雨もあると思った。それまでのツバキではなく、しっとりとして花も大きく
開いて、そこにたくさんの赤い花があった。これは見事で、それにしばし、レンズを向けた
のだが、そのちょうど後ろ側に、あるいはこれもはすむかいということになるのか、その木の枝
に、この前に出した、ヒヨドリは止まっていた。

  時間というのは、どうゆう風にたつのか、よくはわからない。熟睡すると、それこそ4、5
時間続けて眠った、もう朝だと思うようなときもあるが、まだ2時間くらいしかたってない
ときがある。何もかもが、予想に反したもので登場する。でも、もう梅の花だけは咲いてい
る。これは間違いなく、ここのうちの梅の花も、その咲く花の数はかなり増えた。雨と暖かさの
せいだ。
  それで少し歩く目的もあって、梅の花が咲く、方向へと向かった。それ以外に、支払いも
あるので、それを済ませてと思うのだが、実は最初にもう梅のいくつかを見ていて、ミニカメ
さんでその様子を撮ったのである。途中から、雨も降りそうになって来て、さらに風も強く、
梅はよく揺れるからここは先に忘れずに用事を済まそう、というところ。それを終えて、忘れる
よりはましである。先にクロッカスの様子というのを探ることにした。もしかして、白い花
もあるのではないか。考えたくもなる。

  クロッカスは、蕾の数は増えて、それから咲いていた、クロッカスも花弁を閉じていた。
クロッカスは、梅の花よりもずいぶんと敏感で、またたくさんの蕾を出していたが、一つとして
咲いていない。オオイヌノフグリも同じく、この寒さではみな花を閉じていた。久しぶりに
スイセンの花を見た。もう雪はない、そうゆう辺りが多く、長い時間を経てまたスイセンは咲い
ていた。
  それから元に戻る感じで、また梅の花のある、お寺へと向かった。あー寒いという感じ
がある。時間もどんどんとたっていって、からだは冷えてくる。カイロは入れていない。再
び、白い梅を見る。数でゆうと両方の手が必要なと思えるくらいに、花の数は増えていて、
でも梅も本当は、花を閉じたかったのではないか。いくつか、撮れそうなものを探す。ミニカメの
大きさも問題で、いくら寄れても、カメさんが大きめだと枝の中へは入れられない。まった
く、問題の多いカメさんだ。で、一番小型のもので、それが入る空間は多少はあって、それは
寄れるが、実際にうまく写っているかは、もうわからない。

  最後に、紅梅に近寄る。一見して、咲いている花はあった。一つか二つでそれが三つと
なる。それくらいで、いずれもうまく撮れそうにないか、花そのものが傷んでいて、可愛そう
なくらいだった。一つだけ、背伸びして、北風に揺れる、それも激しくねー、ものをマクロで
撮る。これも撮れているかわからないが。薄々、というと何かというと、
  フキである。フキの芽、フキノトウが例年ならもう出ていていい。これをここのいえの
雪の消えた、そうゆうところを午前の晴れた時間、わずかの時間探したが、なかった。で、ここ
のお寺にもフキはある。そのフキのありそうなところを探すと、大きなもの、フキの「薹」は
立っていないが、ちゃんとフキのその芽はあった。


  梅の花。ミニカメで。




  白梅の、梅の花。一昨日のものよりも、しっかりと咲いている。
  ファイルのイメージ。寄れるカメラの強さがある。




  その二。切り取ったもの。




  その三。




  その四。水滴も残っていて、これは多分雨の雫。




  その五。




  その六。この梅の写りが一番いいように思えた。思えたが、よく見ると
  傷み、というか茶色く変色している部分がある。


  紅梅。



  ファイルのイメージ。北風が強く、北を向いて咲いていて、揺れること。
  状態は、よろしくはないようで。




  紅梅もこれからたくさん花を咲かせるだろう。



振り向けば、ヒヨドリがいた

2010-02-27 16:22:25 | 散策
  朝から冷たい北風が強く、お天気は、晴れそうで、
  晴れた時間は少々である。その後、また本曇りになって
  ちっとも青空らしいものは出ない。
  北風が強く、また風速も、8mから10mはあって、これで
  気温が10℃いかないと、きのうまでが暖かったから
  その寒さ、肌寒さは結構厳しいものがあった。
 
  恰好は、真冬でないと、寒すぎた。
  それでも、ついつい梅の花を探して、歩いて来て、
  汗の一つもかかなかった。冷えたままである。


  午前も終わりというとき、本の少々だけ晴れ間はあったようだ。
  これもかすかで、しかし少しは明るかった。
  今日は、これは曇りのまま、下手すると雨も降ると思えた。
  目の前にツバキの花が咲いてそれを撮っておこうと思う。
  それで、振り返ると、すぐそばの枯れ木に、ヒヨドリがいる。
  目の前で、逃げない。お腹が一杯だったからか。





  ファイルのイメージである。縮小だけした。これだけ大きく写った
  ヒヨドリは今まであっただろうか。

  以下は切り出している。




  じっとしている。すぐそばにいる。何だかドキドキもした。




  目もはっきり。




  くちばしとその後ろの辺りが黄色く、多分、恐らく、ツバキの花を
  突付いていて、それゆえその花粉が付いたのではないか。




  きりりとしている。




  さてもういいか、と思って、少し違うところへといって、しかし
  寒いからまた戻ると、ヒヨドリは止まったまま。
  少し明るくなった。




  穏やかな様子である。それにしても、こうして近付いて来ても逃げない
  のはおかしいなー。




  しばらくして、ホントにもういいだろう、と思うころに、ヒヨドリ
  も何かに気が付いたのか、いつもの「キーッ」という鋭い声を出して、
  飛んでいった。あー、よかった。



北風と、雨と

2010-02-27 06:46:44 | 散策


  青空に枝垂れ梅。こうゆう風な、爽快な気分でいたい。
  春の天気はしかし気ままで、晴れも続かなかった。
  今日の天気は、どうなるか。




  朝のお天気は、雨風で、風の向きが、北からである。北風が吹いていて、それでその風はかなり冷たい。雨は弱いようで、瓦は濡れていて、光っている。雨がこのまま降るかどうか。北風もいつにおさまるか。オホーツクの高気圧の張り出しで、再び冬型のお天気か。

  アメダスの6時の気温、8.0℃。気圧は1013.7hPa、湿度は95%。北北東の風が9mとあって、これは強い。積雪深は、0cmのまま。まー雪はない。暖かな日が続いた分、寒さを感じる。

  嫌な、というか、これはあまりよくないなーと思えることがあると、少し内容を変えてそれを書くことがあるが、大体それを忘れたいというか、少しでも外に出して、すっきりしたいという気持ちがあるのは事実で、それゆえ返ってこれを見ていただいているかたを、それこそ嫌ーな気分にさせているのではないか。危惧しているが、これもあるがまますべてを書いていないところもあるので、ぎりぎりの選択というと大仰だが、そうゆう感じで文字を選んでいる。それがうまくいったのかどうか、はっきりしないが、すぐに眠れたようだ。夢は夢で、あまりいいものではなかった。でも、それも忘れてしまった。

  PR誌を購入していて、段々とむつかしいもの、気に喰わないものは読まなくなって、これだとお金を払っている意味もないので、忘れたころにそれを取り出してみる。集中してその文章を読む。PRそのものは別として、書かれているものを読んで、気持ちがいいかどうか。それよりも嫌な感じがする、そうゆうものは結構ある。それがまー文章で、読み物で、作品でもあって、何も感じないものは魅力もないといえる。
  ネコの老化、というのがあった。これを見ていると、ネコちゃんも、なかなか歳をとると大変である。ネコに「ちゃん」を付けるのはネコに失礼なようで、まったく気高い表情も見せてくれるが、気象条件などもネコの気に障るらしい。しかも、それが私が感じているものと同じようなことが書かれていて、これでいうと、私の年齢は相当高齢ということにもなってしまい、これは少し落ち込んだ。

予期せぬ、困った問題

2010-02-26 19:00:50 | 植物・花(冬)
  いろいろと困った問題というのは、起きる。ある程度覚悟というのができていて、そうで
もない。死というと、これはいかなる理由であれ、避けられないもので、その本人にも気の毒
に思うが、しかし、残念なことに不老長寿の薬はなく、いずれの人も、寿命がくれば、お亡く
なりになる。それは私も同じで、その時期のことを思うと、心配でもあってたまに寝付け
なくなる。

  何度か書いているが、父が亡くなった、というときがある。病院からお亡くなりになり
ました、という電話があった。すぐに、葬儀社に電話をいれ、それから姉に、母を観てもらう
ために電話を入れた。もう午後も遅く、しかしすぐに車を呼んで、病院へと一人向かった。それで、
無事葬儀の人が来られて、私の方が早かったので、担当の医師は、早かったですねということを
述べた。

  一定の儀式を経て、死亡証明書が出来るまで、数分間か、病院関係者の方と、私と、それと葬儀
社の人と、しばらくの間沈黙の時間が続いた。ちょうど月が出ていた。私は、ナースステー
ションを通るとき、「長い間お世話になりました」、一言挨拶をした。多くの関係者は、その
一言で、起立をしたようでよくは覚えていない。それで、死亡証明書が出来た、というとき
が何分かして、来た。それを受け取って、いっときの緊張が途切れたが、そのときに、担当の医師
と、それは複数だった、同じく看護師の方がたに、もう一度ありがとうございました、といった
かどうか、記憶がなくて、そのことを何度か思い出そうとして、でもどうだったか、忘れた。
緊張の糸が途切れて言わなかったかも知れず、しかし、また明日、整理に来ないといけなく、
どうにもはっきりしない。

  そのような光景はよくあるかどうか、わからないが、多分夜遅く、帰って来てその日は、
父の直接の血のつながりのある妹、私の叔母に当たるわけだが、その方に死を知らせたか、ど
うかこれもはっきりと覚えていないが、多分その日ではなく、翌日朝早く、というものだった
と思う。もうだめだ、というのは知らせていて、時間の問題だというのはわかっていたはず
だが、これを伝えるのはさすがに気が進まなかった。でも、その叔母もすでにどちらも、すでに
配偶者を亡くしていて、特に混乱のない対応をしてくれた。上の叔母は天命だといい、それか
ら、下の叔母は、人はいつでも死ねるのよ、という言葉を吐いて、それで、兄の死を、実感し、
また幼い甥っ子に対応してくれた。どちらも、もう死をどうのということに、感心はないよう
だった。

  この辺りが、人生経験のあるなしの問題かも知れない。それに比して、ずいぶんと程度は落
ちるが、毎度春になればなったで、なんだか知らないが、不快な思いをする。暖かさ、という
ものが来ると気が抜ける感じで、一気にそれまで溜まっていたような疲労感を感じる。これ
で、本当に暖かくなるのかどうか、という心配もあるが、人と同じような構造を、あるいは脳に
よるコントロールをされている、と思える自分だけど、なんだか春は嬉しいが、しんどい思い
をするようで、体の重さを感じたり、人にいえない、よくわからない、不快感というのが出て
くる。これをムカムカ、とかイライラとか、称して、それについて触れて、その不快感から
逃れようとした。なかなか、そうはいかないようだ。これも、若いときはそうはない。一定の
時間がたってそうゆうものは現われて、それがときにやけに苦しい時間だったという思いを
強くする。それでも、まだどうにか、ある種の薬は飲んでいるが、耐えられるようである。
それで、今日は雨が降ったから、花粉の少しその飛ぶ量は減ったようだ。だから、さほど花粉
のせいという不快はなく、落ち着く状況もあるのだが。少し気温が下がってそれでか、血が沸騰する
ような不快感もなくなって、少しホッとした感じもある。それでも、いろいろと問題は起こる
もので、

  ここでようやく、最初のところに戻るわけだけど、父の認知症の状態が段々と悪くなる、
というそうゆう時期、ついに母の様子も明らかにおかしい、と思えるようになって、ついに
は、それは最初は私しか気が付かなかったが、姉も母の様子を見て、その兆候は認知症であると
認めざるを得なくなった。人の運命というものがあるが、まさかの認知症で、せいぜいアリセ
プトを飲むことくらいしか、今はやっていない。介護施設で、少しでも楽しい時間が過ごせるはず。
父も長くそこに通ったので、そうゆう方法でうまくゆかないか、と思うが、頑として拒むので、
まだその方での進展はない。
  人それぞれで、また子供ゆえなるべく母の希望通りと思うが、いろいろ厄介なことも起こ
ってくる。何度か衝突に近い、そうゆうことが起こると、ここにその様子を書いたりもしてい
る。きょうも、そうゆうことがあった。同じ人間でわかりあえることがあると思うのだが、そう
でもないらしい。困ったことは、一過性で過ぎていけばいいがと思うが、日常これをやられる
と、こちらの神経が参ってしまう。

  出来るだけ冷静に今日の思いを書いてみたが、この先の冷静さというのが、どこまで続く
か、春の特有の不快もあって、これが増幅しないように祈るしかない。


  最初は、梅の花とクロッカスは、書いたので、タイトルは「梅の花と大きなツバキの花」に
しようと思っていた。まー、こうゆうことがなくても、似たようなことを書いていたと思うが。




  きのうの出来事を時系列で並べてみる。白い梅の花は撮った。
  これは、それで一安心して再び、紅梅の様子を撮ったものか。




  竹の、空間から太陽光が漏れてくる、そうゆうものだが、まだもしかして
  梅の花の咲いているものをはっきりと見ていないかも知れない。




  ここからは、はっきりとして、梅の花の咲いているものは、ファイルに
  なったという安心感はある。アネモネの、まだ花芽も出ない状態。


  大きなツバキ、同じ花で、剪定されて枝も少なくなった、ものから
  大きな花、一輪咲いているのが。他は蕾。




  大きい。これは大きいものを望遠レンズで撮っているから、余計に
  大きくなって、さらに花だけのところを切り取った。




  ファイルのイメージ。縮小のみ。上のものは、もう少し大きく写っている。




  これも同じく、ファイルのイメージ。縮小のみ。もう少し、花があれば
  と思うのだが、うまくいかないものだ。




  第三の梅の花。この梅の木もときどき見るが、花はないように思えた。
  でも、粘って探すと、何と一輪咲いている。結果として、一番きれいに
  撮れていたようだ。



梅の次は、クロッカス

2010-02-26 16:25:14 | 植物・花(冬)
  雨は結構強い降り方であって、そのせいか
  残っている、もう雪ともいえない、氷ともいえない
  石の塊のような残雪がかなり小さくなっている。
  もしかしたらほとんどの、塊の雪の凍り付いたものも、
  消えてしまうかと思える。
  これは予想より早い感じがする。

  雨も大いに降っているが、それゆえ結構に濡れたが、
  気温も高目である。最高気温は午前0時から、午後3時までだと、
  恐らく午前の早い時間に出ているのだろうけれど、17.8℃である。
  午後3時の気温は、13.4℃。


  きのうどうにか、いくつかの咲いている、梅の花を見つけた。
  他にクロッカスの花も一つだけ、咲いているのを見た。
  油断すると見逃すところ。無事見つかった。
  レンズが長めなので、寄れないので、あまりいい感じはしない。
  もっとも腕の問題もあるが。



  きのうと別の場所で、同じように一輪、咲いているような、咲いてい
  ないような梅の花を見た。この梅は、もう少し小さい状態で、蕾では
  ないと思えた、きのうより前にすでにあった。




  咲いている、といってもいいかも知れない。でも、元気はない。




  最初に見ていた紅梅。この蕾は小さい。きのう探したが、花はなかった。
  今日の暖かさと雨で、どうなっているか。




  拡大すると、蕾の小ささが余計、強調されるようだ。




  竹とか、ケヤキの様子。




  スイセンの緑に、隠れるように、クロッカスは咲いていた。
  これ一輪で、寄れなくて、惜しい。




  真上から。色の具合を少し変えてみた。クロッカスのような大きさも
  ある、それから立体感もある花は、ミニカメで、寄って撮るのが一番
  きれいに写る、と思う。
  これから、このクロッカスの花もいろいろ出てくるはずで、楽しみも
  増える。


    

風、風、風

2010-02-26 06:40:11 | 散策


  快晴の空に、雪囲い。もういらないと思うが、
  いずれ、これも取り外されるだろう。
  それにしても、きれいな雪囲いで、きれいな青空。



  朝の天気は、強風で、今はパラパラと雨が降っている。小雨までいかない、雨の降り方で、ほとんど音もない。風が強く、この風はきのうの夜ころからさらに強まって、今があるようだ。曇り空ゆえ、まだ明るさはない。ないな、と思って窓を閉めたら、今はその窓越しに薄っすら北アルプスの麓の冬景色が見える。

  アメダスの6時の気温、16.9℃。気圧は1010.9hPa、湿度は62%。南の風が9mで、積雪深は、0cmのまま。室温は、16.5℃、目を疑うが、正しいようだ。外の気温のほうが高い。

  風の吹き出しが、遅かったようで、春の嵐の始まりは、きのうの夜が本番で、今朝まで続いていて、その風は雨の降り出しとともに、弱くなっている。今雨の窓をたたく音がようやく聞こえる。雨がもう少し強くなれば、風も穏やかになる。
  きのうの最高気温は、22℃台で、風は日中はさほど感じない状態で、でも姿恰好は、まだ冬だとどう感じたか。暖かさが、やがて暑さに変わったようだが、それよりも体の重さ、というのが気にもなった。なんでこんなに体が重いのか。まだ歩き初めなのに、それにしても体の重さが気になる。暑くなりすぎて、それで汗もかいて、運動としてはよかったような気もするが、最初から体の重さを感じるとは、どうしたことか。いやになって来る。

  夜に外に出たら、もう月は雲に隠れていたかも知れない。風はまださほど強くなかった。夜中は何度も風の音を聞いたが、ほどほどに暖かく、眠れた方だと思う。そうして、今日の朝が来た。

  妙な舌の味がする。それから突如暖かくなった、ということで、血が沸騰しているような感じがあるが、これは例年そう感じる。要は慣れの問題だろうが、いずれにしろお腹の出っ張りを何とかしないと。食事はきちっととっているが、あまり空腹感はない。ポッと浮かんでそれが消えてゆく、そうゆう状態で、曖昧模糊としたままである。
  花粉だ。

たしかな春の兆し

2010-02-25 19:02:35 | 植物・花(冬)
  春の、かすかな兆しは、先に梅の花が出たが、それ以外の花というと、大きなツバキの
花というのもあった。これに説明がいるが剪定されたそのツバキは、いってみると、あらすじ
しかない、ほとんど枝葉のない状態で、大きな花があった。これは、地面に座る感じでその
姿を見た。
  サザンカのきれいな赤い色もまた復活していて、それはよしとして、他にいうと、クロ
ッカスの黄色い花がこれまた一つ、他の植物の陰に隠れるように咲いていて、危うく見逃す
ところ。この辺りは、花粉の海だという、そうゆう空気を感じて、あーたしかに冬にこの目
の違和感はなかったと思う。思うがしょうがなく、かなりの気温の高いそうゆう状態での、花粉
の海の、深度は1mくらいかと思うが、その海の中で、クロッカスの黄色い花が見つかったの
は、幸いで、ガタガタの状態にあるスイセンを見ていての出来事である。小さな、クロッカス
の緑がようやく、花壇の地面から出ていて、これは
  ここのうちにもある、かなり深いところにあるスイセンもようやく出て来た、先っぽの緑
だが、と同じようで、少し感動する。梅について、何とも歯痒い書き方をしたが、一つ花が
見つかると、それ以外の梅の木を見ていて、もしかしたら、というのが本当になるというの
を体験したが、でもたった一輪で、しかも咲き始めたか、というもので、でもこれに心を
動かされるのは、なぜか。

  春の兆しで、動物などの動き回る生き物は、それは人もそうだけど、その本能に忠実に、行
動を開始しているようで、それゆえか、あまりそのものの姿を見かけない。キジバトも、そわそわ
して、その辺りを飛び回るが、やがてどこにいったのか、わからなくなってしまう。でも、そ
ばにあるモチノキの中で、キジバトの鳴き声がして、ここにいる、多分長くいるキジバトと同じ
ように、木の中に隠れてそろそろ巣作りでもやっているのか、という気持ちにもなってしまう。
それから、忘れたように思い出した、ウグイスの鳴き声をきのうの、朝かに聞いた。
  ウグイスは昔からいるので、特別に珍しくなく、でも段々と木を切って、ウグイスもいづ
らくなったのか、この2、3年は、その鳴き声は聞くが、チョコマカと小さな鳥の特有の動きを
探すことも減った。鳴き声さえもあまりに聞かなくなった。ウグイスはここでいうと、まー平凡
な鳥で、もともとスズメよりもずいぶんと小さく、ただ松の木などで、特に動きが早いから、
小さくてもすぐにそこにウグイスがいると、わかったものである。でも、その声に反して地味な
色をしているから、これはウグイスの絵を見ながら、鳴き声は本物がいい、と思ったものだ。
きのう鳴いた、ウグイスの鳴き声も、まだまだ本物というか、よく言われるその言葉の列と
は違って、決してホーホケキョとは鳴かず、それゆえこれはウグイスの鳴き声だと思ったもの
だ。ウグイスは昔からいて、しかし、最近はめっきり数は少なくなったようだ。
  小鳥だと、メジロも多いものだ。この鳥は群れて来るから、それでそのメジロが来たと
いうのがわかる、ウグイスよりもちょっと丸く、でもチョコマカ動くのに変わりはない。遠い
昔だからか、竹の籠の中に、メジロがいた。あまり興味はなかった。これと同じように、ジュウシ
マツという小鳥も思い出すが、今はあまり聞かない。

  気温が、急にあがって、そうなるとどうなるか、大体頭が痛いとかいう、症状が出てく
る。飛び抜けて痛いという感じはなく、耐えられるもので、きっとこれも暖かさのせいだろ
う。そう思わないとやってられない。毎度思うことだが、急に気温が上がるというのは、あ
まりありがたくはないのである。順々に上がるのが正しい。あるいは過ごしやすい感じがあ
る。あまりに急激な気温の変化は、体調によろしくはない。この逆もあって、急に寒くなった、
という場合があるが、同じようによろしくないようで、でも感じでゆくと、寒さの方が身体的
な、あるいは気持ちでも、身が引き締る意味もあるのか、その方が楽な感じがある。これは人
によってまた違う。

  汗をかいて、着替えて、それで、まだ暖かさが残る。ぼんやりもして、それで、ムカムカす
るものがどうしても出てくる。暖かさゆえの、ムカムカ、あるいはムカツキ、あるいは、どう
だろうか。何とも耐えられない不安感みたいのが出てくる。この落ち着きのなさというのは、
どうだろうか。どうしても、動作がのろくなる。のろくなる、その原因というのが、今ようや
く思い出して、まだ結構ムカツクものがあるが、デジTVの感度低下である。私はほとんどTV
を見ていないし、また個人的に見ているTVでは、これは室内アンテナの高さもあって、問題ないが、
母が見ているそのTVのアンテナレベルの悪さ、それもただの一局で、それがNHKだが、このチャンネル
で、極端にアンテナレベルが不安定になる。それゆえ、声が聞こえなくなったり、ブロックノイ
ズが出たり、大きな音が出たり消えたりで、決していいことではないのである。
  室内アンテナで、例えば雨とか雪とかで、こうゆう現象は起こりそうだが、今日のような
お天気で、そうゆうことが起こる、しかも他のチャンネルは、ほぼ適正と思われる状態にある。
どうなっているの、ともいいたくもなる。いろいろ、春らしいことが出て来たが、結局朝の出来
事をもう一度復習した感じになった。

  訂正とお詫び:今気が付いたこと。送信ミスがないよう、ときどき途中
  まで書いて送信していますが、それで公開となる場合があって、今日は
  なぜか「二重投稿」となってしまいました。先に出たものは、削除しま
  した。ボタンの押し間違いに気が付かなかったようです。




  脈絡なく、3、4日前まであった、雪のある風景で、目の前に枯れ木が
  あって、その先に、緑がというもの。




  その木を違う角度から見ると、そこにヘクソカズラが絡まって、という
  ものがあって、これを見ていると、銀河系レベルの宇宙があって、そこに
  同じような宇宙が衝突しつつある、というものを、想像してしまう。
  それは遠い未来の、銀河系と、アンドロメダ銀河のそれでもあるようだ。




  春らしさのある、緑色の、これも細かい、木々。




  ナンテン。南向きのナンテンは回復力が大きい。




  かなり溶けた、雪のはずで、この雪も今は溶けた。雪の残るしかし、
  緑もある、そうゆう淡さ。




  緑色。




  ちょっと残念だが、借景で、園芸店での梅。きれいな梅の花で、まったく
  こうゆう状態に一体いつなるか。梅の花は多分咲いてない、っと思い、
  ついつい借りて来たのである。
  それにしても、美しい。




  もう一つ、申しわけありません。