ここへの書き込みは、2006年から始まって、その前に公開されない同じようなもの
紹介されて、ブログのようなは始まったから、ブログはまったくの初めてでない、といえ
る。そこは止めた。今でも紹介してくれた人に申し訳ないと思う。それから、いくらか
時間がたって、結構大きな事件、自分にとって、が起こった。父の救急車での搬送という
もので、生まれて初めて救急車に乗ったことになる。それがその後ブログを書くという
一因になったと思う。相当大きいものがあると思う。思った。
で、しかし、問題はというと、
私には、父はそう簡単に病気で動けなくなる、意識が混沌となる、という感じはなかっ
た。すでに認知症は進んでいたが、生命の別条というのは、当分ないと信じていて、結果は
そのときもそうだった。彼は、ゾンビのようによみがえるものであって、最初と、2回目
は連続していて、2回目は、2006年のお正月で、しかし彼はやはりゾンビのようで、また
「うち」に帰って来た。昔から、彼は丈夫というか健康で、まずは他の人に負けない、体
力というものがあったようだ。力自慢ではなく、しかし持久力があって、寝なくても大丈
夫でもある、寝ながら食事をして、それでずいぶんと長く勤めというのもやっていて、まっ
たくしかし人に強く当たるということもなく、ほとんど滅私奉公で、
それゆえ、彼が意識が混沌となることに驚くのである。しかしそれはしばらくして、
なくなったようだが、その「先」は結果だがさほどは長くなかった。このことも今も信じら
れないような気持ちである。
2008年に三度目の救急があって、そのときはたしかに容態は昔と違った。彼は救急車
の中で意識を回復することはなく、でも、朝早く病院に着いて、そばにはいなかったが、
「痛い」、というもっとも父らしい声を聞いたのが一番元気そうで、しかしその後に彼は
その声の調子を戻さなかった、と思う。彼の声か、というのも疑問が残るが、それが父の
声だ、というのは子供の私がいうから、半分は当たっていると思う。その後、結局彼は
医師のいう通り亡くなった。しかし、亡くなるまで4ヶ月くらいがんばってくれて、最初は
ゾンビだと思ったが、その時間は短かった。いくつかの儀式というものがあると思う。
死に至るまでの儀式。通過儀礼ともいえるかも知れない。そのことに触れたことはない、
と思う。
最初になんだか暗い話しを書いたが、原始の風景であり、またブログを始めるという
のも、彼の容態の悪化というものがより強い動機にもなったようなので、少しだけ触れた。
これを書かないとなんとなくだがなぜ今があるかがわからない、と思う。
やっぱりものごとを説明的に書くというのはむつかしい。もっと短く自分の頭の中
で考えられていて、それを現わすと長くなる。
原始の風景というのはいい大人になって思い出されるもので、それはというと、まっ
たく自分と重なるものがあるが、ある場所を歩いているお母さんとヨチヨチかあるいは
しっかりと歩くことの出来る、子供さんが主人公で、それでどうしたというと、お母さん
は少しぷりぷりして、何か荷物を持っている。で、歩くことの出来る子供はなぜか泣い
ている。泣きじゃくっているようで、お母さんは冷たい。なぜか、それは持ち物からわ
かったようなで、どうもオムツ、というものらしい。なかなかオムツがはずせない、という
のは小さな子供さんを持つお母さんにとって、かなりのストレスであり心配事のようだ。
それをなぜ気にして、その光景を見て複雑な思いをするかというのは、私がそうゆ立場に
いたからで、早い話しがオネショを長くしていた。それゆえ母は結構心配したらしい。もっ
とも、今は母はこのことを忘れていて他のことで私のことをいろいろいう。
母の立場と、子供の立場というのも理解できて、どっちだというと親に甘えたい子
供が気の毒か、と思う。泣きじゃくりながら歩く姿が滑稽だが、しかし昔の自分という
のをはっきりとさせてくれて、ときどきこの光景を思い出す。オネショがどうゆう風に
して直ったかというのは、私もよくはわからないが、どうにか小学校にゆくまでに直った、
ということだろう。でも、それ以外でというと概してここに書き表わせることはないか
ら、秘密裏というものは多い。
ダラッとした話題で、今日は現代で今の今日は、外が暖かかった。つまり「いえ」
の中が寒かったのである。それゆえ結構に寒々しい感じで、やらないと始まらないもの
の手をつけ始めたが、いかにもスローモである。もう一年の半分くらい終わったという
感じのする、1月の終りである。
もう少し付け加えると、さて今日は暖かいからか、これは外の方がいえの中より
暖かく、また外自体も結構暖かく、珍しくはないが、ネコが小走りになるのを見かけた。
何も持たないで、ただ傘だけは持って歩いていたが、こうなると返って気分は楽で何もし
ないでいい気楽さがものをよく見せたりするようで、普段見えないものも見えたりとい
うのがあるのではないか。目的があるとそれは見えない。そのネコは、
少し前に見た、これはカメさんに写ったが同じ縞々のトラで、でも大きさが一回り
小さく、またかなり神経質な感じもあったから、この前のトラとは違う。その小さな
トラのほうも少し前にやっぱり走っていた。この点が似ている。走るネコ、それも野良
のは、なんだかかわいそうだが、もっともネコらしいという思いもある。ネコは走る、
というのも原始の風景で本能なのだろう。
いくつかの風景の追加。
ハクモクレンと思える、蕾。中央測光で蕾の色も出ている。
キカラスウリの実が、雪で落ちた。その後、その実を見ていると、あま
り見よいものでもないと思えたが、また気を取り直して、それを撮った。
タネがあるのが新鮮かな。
キカラスウリがぶら下がっていた、ナンテンで今はその実も少ないが
葉っぱの赤い色がいいかも。
同じところに、フキ(蕗)も出てくる。フキノトウはさすがになかった。
竹の色。これも中央重点測光だと色の違いまではっきりと出て、
ものの色の場合は、中央測光がいいようである。
ここはお寺でもあって、よく出るが、なぜかこのイチョウを撮っていると
曇りか雨というときに、わずかに太陽の日が漏れた。だから輝いた。
雪が降らない時間が約二週間あって、雪を知らないサザンカの色は
鮮やか。
画像の一枚が重複していて、もう一枚あるはずだが、他のPCにあって
後から追加します。
間違いの訂正です。二重に送信しているだけで、全部で7枚で、正しか
ったです。申しわけありません。
紹介されて、ブログのようなは始まったから、ブログはまったくの初めてでない、といえ
る。そこは止めた。今でも紹介してくれた人に申し訳ないと思う。それから、いくらか
時間がたって、結構大きな事件、自分にとって、が起こった。父の救急車での搬送という
もので、生まれて初めて救急車に乗ったことになる。それがその後ブログを書くという
一因になったと思う。相当大きいものがあると思う。思った。
で、しかし、問題はというと、
私には、父はそう簡単に病気で動けなくなる、意識が混沌となる、という感じはなかっ
た。すでに認知症は進んでいたが、生命の別条というのは、当分ないと信じていて、結果は
そのときもそうだった。彼は、ゾンビのようによみがえるものであって、最初と、2回目
は連続していて、2回目は、2006年のお正月で、しかし彼はやはりゾンビのようで、また
「うち」に帰って来た。昔から、彼は丈夫というか健康で、まずは他の人に負けない、体
力というものがあったようだ。力自慢ではなく、しかし持久力があって、寝なくても大丈
夫でもある、寝ながら食事をして、それでずいぶんと長く勤めというのもやっていて、まっ
たくしかし人に強く当たるということもなく、ほとんど滅私奉公で、
それゆえ、彼が意識が混沌となることに驚くのである。しかしそれはしばらくして、
なくなったようだが、その「先」は結果だがさほどは長くなかった。このことも今も信じら
れないような気持ちである。
2008年に三度目の救急があって、そのときはたしかに容態は昔と違った。彼は救急車
の中で意識を回復することはなく、でも、朝早く病院に着いて、そばにはいなかったが、
「痛い」、というもっとも父らしい声を聞いたのが一番元気そうで、しかしその後に彼は
その声の調子を戻さなかった、と思う。彼の声か、というのも疑問が残るが、それが父の
声だ、というのは子供の私がいうから、半分は当たっていると思う。その後、結局彼は
医師のいう通り亡くなった。しかし、亡くなるまで4ヶ月くらいがんばってくれて、最初は
ゾンビだと思ったが、その時間は短かった。いくつかの儀式というものがあると思う。
死に至るまでの儀式。通過儀礼ともいえるかも知れない。そのことに触れたことはない、
と思う。
最初になんだか暗い話しを書いたが、原始の風景であり、またブログを始めるという
のも、彼の容態の悪化というものがより強い動機にもなったようなので、少しだけ触れた。
これを書かないとなんとなくだがなぜ今があるかがわからない、と思う。
やっぱりものごとを説明的に書くというのはむつかしい。もっと短く自分の頭の中
で考えられていて、それを現わすと長くなる。
原始の風景というのはいい大人になって思い出されるもので、それはというと、まっ
たく自分と重なるものがあるが、ある場所を歩いているお母さんとヨチヨチかあるいは
しっかりと歩くことの出来る、子供さんが主人公で、それでどうしたというと、お母さん
は少しぷりぷりして、何か荷物を持っている。で、歩くことの出来る子供はなぜか泣い
ている。泣きじゃくっているようで、お母さんは冷たい。なぜか、それは持ち物からわ
かったようなで、どうもオムツ、というものらしい。なかなかオムツがはずせない、という
のは小さな子供さんを持つお母さんにとって、かなりのストレスであり心配事のようだ。
それをなぜ気にして、その光景を見て複雑な思いをするかというのは、私がそうゆ立場に
いたからで、早い話しがオネショを長くしていた。それゆえ母は結構心配したらしい。もっ
とも、今は母はこのことを忘れていて他のことで私のことをいろいろいう。
母の立場と、子供の立場というのも理解できて、どっちだというと親に甘えたい子
供が気の毒か、と思う。泣きじゃくりながら歩く姿が滑稽だが、しかし昔の自分という
のをはっきりとさせてくれて、ときどきこの光景を思い出す。オネショがどうゆう風に
して直ったかというのは、私もよくはわからないが、どうにか小学校にゆくまでに直った、
ということだろう。でも、それ以外でというと概してここに書き表わせることはないか
ら、秘密裏というものは多い。
ダラッとした話題で、今日は現代で今の今日は、外が暖かかった。つまり「いえ」
の中が寒かったのである。それゆえ結構に寒々しい感じで、やらないと始まらないもの
の手をつけ始めたが、いかにもスローモである。もう一年の半分くらい終わったという
感じのする、1月の終りである。
もう少し付け加えると、さて今日は暖かいからか、これは外の方がいえの中より
暖かく、また外自体も結構暖かく、珍しくはないが、ネコが小走りになるのを見かけた。
何も持たないで、ただ傘だけは持って歩いていたが、こうなると返って気分は楽で何もし
ないでいい気楽さがものをよく見せたりするようで、普段見えないものも見えたりとい
うのがあるのではないか。目的があるとそれは見えない。そのネコは、
少し前に見た、これはカメさんに写ったが同じ縞々のトラで、でも大きさが一回り
小さく、またかなり神経質な感じもあったから、この前のトラとは違う。その小さな
トラのほうも少し前にやっぱり走っていた。この点が似ている。走るネコ、それも野良
のは、なんだかかわいそうだが、もっともネコらしいという思いもある。ネコは走る、
というのも原始の風景で本能なのだろう。
いくつかの風景の追加。
ハクモクレンと思える、蕾。中央測光で蕾の色も出ている。
キカラスウリの実が、雪で落ちた。その後、その実を見ていると、あま
り見よいものでもないと思えたが、また気を取り直して、それを撮った。
タネがあるのが新鮮かな。
キカラスウリがぶら下がっていた、ナンテンで今はその実も少ないが
葉っぱの赤い色がいいかも。
同じところに、フキ(蕗)も出てくる。フキノトウはさすがになかった。
竹の色。これも中央重点測光だと色の違いまではっきりと出て、
ものの色の場合は、中央測光がいいようである。
ここはお寺でもあって、よく出るが、なぜかこのイチョウを撮っていると
曇りか雨というときに、わずかに太陽の日が漏れた。だから輝いた。
雪が降らない時間が約二週間あって、雪を知らないサザンカの色は
鮮やか。
画像の一枚が重複していて、もう一枚あるはずだが、他のPCにあって
後から追加します。
間違いの訂正です。二重に送信しているだけで、全部で7枚で、正しか
ったです。申しわけありません。