光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

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あっさり日没

2008-08-31 18:57:58 | 散策
  日が沈みそうで、しかし雲も出て来てどうなるか、これはさほど重要でもないし、どっちでもいい。それから、蚊がいる。これは由々しき問題で、先ほど少し外に出たら、もう蚊にかまれていた。それだから、急いで蚊取り線香を炊くことにする。線香はそこにある。が、火をつける装置がない。マッチがいいが、そんなものは最近は見かけない。マッチだと一回でつかない可能性がある。それだもんで代用品で火をつける。こうゆうときに限って、そのものがない。火打石でもなければ、ほどほどの大きさのものだが、いつもあるが、そこにない。見つからない。

  ライトのスイッチをひねった。電球は付いたが、その火付け装置は見つからない。あちこちを首を長くして捜すがない。ないものはないが、それが消えることはない。長く探した。それは、隙間に落ちていた。たぶん、何かの上に置いておいて、それがすべって落っこちた。それは出てきたが、こんどは、短く折った線香の方をどこにやったかわからなくなって、まったくよぼよぼになっている。先ほどまで、手に線香は持っていて、本格的に火付け装置を探したら、こんどは線香のことを忘れた。うまく出来ている頭である。

  急速に雲が出て来て、空を覆い始める。先ほどまで、秋の雲、羊雲のようなものが出ていた。今は綿のようなそれで、ただ濃い灰色をしたその雲が少しずつ南に向かっている。夕日はあった。しかし8月の最後の夕焼けはないようである。

  お昼に、ブラシのような、小さな花をたくさん付ける、その花が咲いているところへ行ってみた。時間もよくないが、風もかなり強く、それでその場所に着いてみると、もうブラシのような形をした、その花は半分くらい変色していた。あまりに元気がなくそこにチョウもいなくて、その他のところにはいたが、なんだか完全に調子が狂った。きのうの朝の雨に濡れて清楚と思われてた花の多くは、このいいお天気で霧のようであったらしく、弱弱しいもう花の最後の姿を見せているようであった。もう少し先の、アサガオの咲いている場所、アサガオのような花が咲いている場所のほうが正確だが、その花もみな閉じていて、きのうの朝の様子がうそのようだ。何事にも、そのときというものがある。それを逸すると、あとには何もない。

  今朝は、太陽が出た。8月の最後の朝、太陽は出てかなり明るい。その後はゆうまでもなくジリジリ地表を照らす時間が続いて、しかしそれももう終わりのようだ。今出始めた雲は何なのかよくはわからない。明日も、晴れの予報が出ていると思っているが。
  その朝の様子。




  大きめの緑の草に、きのうの雨がまだ残っているようである。一つ手前の葉っぱの雨滴を並べたくて、ずいぶんと縦に長くなった。




  これもカヤツリグサかも知れない。この葉っぱというか、イネでいう穂のようなものは、あまりに繊細でよくわからない。違う植物の葉っぱに細かい水滴がある。




  太陽光が直接当たるところ。これはツツジの葉っぱ。この辺りがボウッと少し黄金色に輝いている。もう少し穏やかな様子だが、少し明暗が出るようにしてみた。

  朝の植物の様子はなかなかいいが、晴れないと暗い。秋晴れであればいいが、これが残暑になるとどうもやりずらい。
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黄色と赤と

2008-08-31 16:10:53 | 植物・花(夏)
  夏回帰。
  ジリジリ、照り付けられて、気温も上昇。
  このところ、雲の下で、モヤシのようなといえる生活をしていたから
  この明るさが目にこたえるし、暑さもなんだか気持ちよくない。
  ただ、北からの風は強い。

  このところ、晴天の日中に歩くと、まぶし過ぎる感じがする。
  それから、この明るさで目が痛いような気もして
  なんだかありがたくない。
  まぶしいのは、目の瞳孔の開き方の調節がうまくいかなくなって
  いるからだろうか。でも、夜は、暗闇に割とうまくつきあえて、
  星を見ていると特におかしいと思うことはない。
  問題はまぶしい方で、特に地球のお昼が明るくなったわけでもないだろう。
  いやーな感じ。
 
  
  きのうの続き。大きな黄色い花。



 
  こうゆうのってなんていうのか、ダリアだったり、菊だったり。
  植物の本体が非常に大きく、花の数も多い。そのうちの一つ。





  ケイトウをもう一度。大きく出せるものを探した。
  実際は縮小しているけど。これくらいしか出てこない。
  何度か足を運ばないといけない。 
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夏晴れか、秋晴れか

2008-08-31 06:56:31 | 散策
  朝のお天気、見た感じで快晴。まったくの晴れの朝、風は、遠くの煙を見ていても、ほぼ垂直に昇って、それで、その先には青空。アメダスの6時の気温21.0℃、気圧は1010.1hPa。室温23.5℃。外の気温は大体21℃台。

  日付が変わって、しかしまだ朝には早い時間、薄っすら雲の向こうに星が見えている。そういえば、きのうの夜も見えていたようだ。しかしごっちゃになっている可能性がある。静かな夜で、静かな朝。

  非常に厳しい状態です、そう医師に言われていよいよかと思って、大体一ヶ月がたった。約1週間後にも、まだまだ厳しい状態です。いついかれてもおかしくはありません。それから、しばらくたって、今は小康状態ですね、に変わる。懸命の治療を続けてくれたお医者さんに感謝しないといけない。しかし、なぜそうゆう状態になったのか、この辺りの説明はなかった。特に、求めることもしなかった。救急で入って、そのときに、半々ですねといわれて少しぽかんとしたが、たしかにこれまでの救急車のなかでの様子とははっきり違っていたので、もしかしたら、ダメかも知れない、そうなのかも知れない。同じようなことを反復した。

  お盆がすぎた。少しの間、次の病院の問題については、表面に出て来なかった。お医者さんも、えーこの時期はお盆休みということで、それには触れませんでしたが、これから先は、どこに移ってもらうか、それが一番の課題になりますといわれる。それで父の様子を見ると、相変わらず点滴はそのまま、これはもうはずせない。酸素吸入も付けたまま、残念ながら、こちらから声をかけても反応はない。ただ目は開いている。ときどき忘れたように息を吸う。
  いっとき付いていた、心電図、心拍数、血圧、酸素状態を示す機器ももうはずされている。これが付いていると、何となくだが状態はわかるのだが。

  この先、ここの病院に変わってもらうことに、という、その病院にゆかなければならなくなる。ちょっと、というかかなり遠い。中心静脈点滴をしているから、これを管理できるところというと限られてしまう。

  姉の口から、来週の水曜日に転院する、という言葉が出た。まったく同じことが、姉の家族にも起こっている。なかなか休まるときは来ない。忘れず、ナシを渡すが、3つだけでいい、そういう。おかしな感じがする。
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小雨のケイトウ(鶏頭)

2008-08-30 18:48:09 | 植物・花(夏)
  小雨が降り続いている。

  いつくらいまでこの雨のお天気は続くのだろうか。梅雨どきの末期の大雨、というものがあるようだが、今の状況だと、これは秋雨前線があってそこに湿った空気が流れ込んでいる感じ。北側には、大陸の高気圧があるから、これは涼しいというか、冷たい空気で成り立っている。だから、今日も歩くと汗が出る。汗が出るような格好をしているからそのようであるが、しかしその汗も引いてゆくし、時間がたてば、一枚上に羽織りたくなる気温に感じられる。風が北からに変わって、窓からゆっくりだが冷たい風が入ってきている。

  お昼ころも、雨が降りそうで、どうにかもっていたが、そのうちポツポツ降り始める。幸いなことに、大雨にはならず、姉に聞いてみるとこのところかなりの雨が降っているという。近いようで、かなり遠いところであるが、雨の降り方は違うようだ。朝の8時台だったか、海岸に近い、測候所のあるとなりの町で、また20mmを越す雨があった。その雨は、しかしこちらには来なかった。降るところには降ってまた、そのところに降る。さらに、また降って、そうゆうことが続いているようだ。
 
  あまりいい感じはしない。が、少し前に今日くらいは、ちょっとまわりを歩いてみようと思っていて、小雨でまとまった雨の降る可能性も低そうで、そっち方面に行くことした。雨がもう降っている。結局のところ止まなかった。ただ大降りにもならかった。もうそこが入り口、というところで、少しだけ雨は強くなった。
  ケイトウ(鶏頭)の咲いているところはあちこちにある。あるけれど、なかなかそこまでいけないようなところも多い。出来るなら道に、そのそばに咲いていて欲しい。この道はケイトウの咲く道というのがあって、もう少し昔だと、大きなヒマワリがその向こうの用水を隠すくらいに、密に長く咲き誇っていた。今は、その場所に土はない。それで、まだ土やらが残っているところに、ケイトウは咲いていて、また細い道の十字路の辺りというのも、かなりおおらかに空き地と呼ばれるようなところがあって、そこにもケイトウは咲いている。その他、畑、それから、ご家庭の庭、垣、いろいろに、この道の周りにはケイトウがある。

  今はヒマワリは咲かなくなったその辺りを迂回する道もある。ここでイネの様子、それから畑のナスビやカボチャの花、その他よくわからない花、雑草などもまずは見てみる。それにしても細かい雨が降り続いて、それも北風があるようで、傘を差していても、北側を向くことが出来ないのが残念だ。多少は雨に濡れても大丈夫だろう。昔のフィルムカメラだと雨など気にすることはまずはなかった。雨のときは、持たなかったか、雨が当たってもせいぜいレンズに水滴が付く、そのようなことを心配すればよかった。しかし時代は変わった。デジタルで、何もかもが電子制御である。水は、大敵。そのはず。雨に打たれても大丈夫なものではない。
  色々考えながら、そのケイトウの咲いているだろう場所に、遠回りしながら着いたら、なるほどやっぱりケイトウは咲いていた。




  花はきれいだ。しかし暗いし。ぶつぶつ言う。ケイトウの花っていったいなんだろうか。わからんことも考える。
  大きすぎる感じがして、半分に切ることにした。




  細かい筆の先のような、ビロード地の毛。これが集まっていそうで、いつもどの辺りが、合焦位置なのかよくわからない。これでいいのだろうか、そうゆう不安が付きまとう。




  いくつかパターンを変えてみるが、もともとこうゆう感じというのもない。あやふやな気分で、あやふやのようなケイトウを見ている。
  そういえば、眼鏡をはずして、じっくり近寄ってこの花を見ていない。こんどは、それから始めないといけないなと思う。
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夕日、8月も最後の?

2008-08-30 16:24:40 | 散策
  朝とお昼があるとすると、朝に近い時間に雨に降られながら
  近くの医院へ、母の薬。
  ここにゆくのに、2、3の道順があるが、一番花とか草がありそうな
  道をゆく。雨に濡れたアスファルトは歩きにくい。

  白い、小さな花がブラシのように集まっている、か弱そうな
  花がある。これは以前にも見た。試験管を洗うブラシくらいの大きさ。
  野草、あるいは雑草のようである。
  この花も魅力的だが、そこにモンキチョウが飛んでいて、しかも 
  ちゃんと止まる。ウーン、唸る感じになる。

  帰り、草置き場がある。往きはまあるく歩いた。帰りは、四角く歩いて
  もう何度も見ているこの草置き場の、咲いているアサガオを見た。
  このアサガオは、草の全面を覆うように広がって、大きく咲いている。
  いつもはしおれて、もう花を閉じている場合が多い。
  雨に濡れて、その水滴が花に小さくのったままのオサガオ。
  今年一番きれいなアサガオだ、そう思った。完璧、そうも思う。
  まったくねー、短い距離だが、大汗をかく。

  
  最近は夕焼けも夕日もなかったと思う。雨が続いたし、雲ってばかり。
  きのうは、夕日が雲の切れ間から顔を出した。
  8月の最後の夕日かも。




  雨雲もありそうな空。まだ、夕方ではない。




  その後、もう夕方という時間に雲の隙間から太陽が出た。
  うそみたいなコントラスト。最新機種だとこうはならないだろうな。




  しばらくして、もう一層の雲に日は隠れようとする。すると、まわりは
  ファイル上ではほんのり明るさを取り戻す。
  この後の夕焼けもまことにきれいだった。 
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ナシの味

2008-08-30 06:52:42 | 散策
  朝のお天気、曇り。霧雨がときにありそう。風は弱く、雲は北から南へ流れている。かなりはやい。低い雲のようで、いつ降ってもおかしくはない。アメダスの6時の気温22.9℃、気圧は1011.0hPa。室温24℃。

  鳴き声、セミはかなり少なくなった。でも、まだまだ鳴いている。けたたましいものは、雉が代表だけど、それ以外だと、
  まずはモズ(百舌鳥)。このモズは早朝にも鳴く。起きた時間に台所の辺りから何か妙な音がする。幻聴でもない。時計は、4時だ。しかし真っ暗で、誰かが起きてそこで例えば油をなめている、そうゆう気配はない。朝になっても、何事もなく、その後あの音はモズの鳴き声だと思った。そうしておく。
  他には、オナガ。これが今年は多い。ムクドリに変わって、このオナガがセミを食べるが、捕獲は上手ではない。オナガの見た感じはきれいの一言。もう少し小さければ人気が出る。でも、その声はちょっと。オナガには悪いが。
  モズとオナガがけんかをする。しているようだ。追っかけあいはしないようだが、どちらかが相手のいる枝に止まると、それから、ごたごたやっている。
  
  秋なく虫は、コオロギ。これの大きいのが、一晩タオルにくるまっていたようだ。夕方、一枚だけ大きなタオルを干していて、それを取り込んだ。ぽいと、その辺りに丸めて。で、翌日そのタオルを広げると、白いが、そこから真っ黒のコオロギが出て来た。マジシャンではないので、取り入れたときにくっ付いていて、そのまま気の毒に、タオルに丸まって、朝に開放された。それから、まだコオロギは見ていない。
  
  ナシを買って、それを食べた。初ナシ。まずは4つに切った。それから、皮も厚めにむいた。少しデコボコがある。それから芯も切り取って、さらに細かく切ってようやく口に入った。食べるまでに時間がかかる。ほどほどに甘かった。まーこんなものだ。それから、残りの3つも同じ作業をして、どうにか口に入り、歯もぬけることなく、胃の中におさまった。トマトだと、洗って切って、すぐに口に掘り込める。ナシはそうはいかない。なんだか、ピントはずれなことを書いている。数が多いから、姉におみやげとして渡すことにする。しばらくナシ漬け。
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夕焼けが美しい

2008-08-29 18:55:54 | 散策
  夕焼け、電気が付いているのかと思ったが、夕日の灯りでその場所が明るく、その色は電球と同じ。セミが今頃鳴き始めて、それから子供の遊び声も聞こえる。雨が降らなくてよかった。まだ明日もあさってもあるが、宿題は大丈夫かな。昔の自分の記憶は、はるか彼方に追いやられている。

  絵を書かないといけない。そうゆうものもある。このときはあまりどうのこうの考えたことはない。後に田んぼがあって、それは今の場所ではないが、そのある程度向こうに、少しだけ急な勾配がある、小高いところがあって妙な感じがした。そこまでは、平らな田んぼで、その先にまあるい山のような、丘のような、突き出たものがある。遠くのようで近い。その小さな高いところに行く階段もあった。そうゆうものを眺めていて、田んぼとそれから小高い山を書いて、描いて、それ以外は適当に色を混ぜて、塗りつぶした。
  生まれたところのかすかな記憶はあるが、そんなものはもうどこにも残っていないだろう。それから、今書いた小高い丘のようなものは、たしかある時間までは残っていて、しかしもういつの時代かは忘れたがその丘もなくなったような気がする。かなり長い時間、歴史の時代、その小高い丘はあった。しかし今にはるかに遠いが、あるときにそれはなくなった。そうゆうことが出来る時代になって、久しい。

  そんなに多くないところを移動して、その後昔に住んでいたところを見にというか、用があって出向いたり、遊びでいったりもした。ほとんどが、その当時のものをなくしている。まったく、変わってしまってどこにその面影があるのかわからないという、そうゆう印象が強い。学校もそうで、学校の建物そのものは変わらない。が、そのまわりの変化に昔を思い出すことはないといっていいほど、変わるものは変わっていた。しかも、その時間の差というのは高々5、6年である。これでは、もう愛着も何もない。ただただ自分の頭の中で、その当時の思い出はよみがえるだけだ。

  その意味でいうと、この辺りは、まだ変化は少ないといえそうである。昔の電車の走っていたところは、一時は自転車道みたいなものになり、その後知らぬ間に普通の自動車が走る道に変わってしまって、あっけにとられた。ポカンとするだけ、それでも、まだここは昔の駅だということは特定できそうだ。
  その電車の駅を下りると、ほどほどの道が続き一旦左に曲がった。その道は片方は田んぼがあったような気がする。お寺はその当時からあった。しかし興味はなかった。その細い道を次に右に曲がる。幅はずっと1mもない。その先に、少し広めの道があって、またその先は車も通ることのない、細い道が続いた。しかし、昔はこの道も大して長い、遠いという思いはしなかったが、今のほうが、その道を歩いているとやけに長く思える。なんでか知らない。
  いずれにしろ、多少の昔の面影はある。しかし、そのうちまったくなくなってしまうかも知れないと思う。どのくらい先かわからないが、何しろここに電車が走っていたことを知っている人も限られる時代である。茅の屋根のある家、さらには小川が流れて笹舟を流したことなど、みなもう誰も覚えていない。


  どうも、まったく何も思い浮かばないと、思い出話しか、あるいは脳の片隅でかすかに残っている、そうゆうものを引っぱり出すしかないようだ。それで、大きな蚊がいて、喰われていればまったく世話がない。


  田んぼの一部に水が溜まっている。




  浮き草がそこに出て来た。こうゆうこともあったかも知れない。田んぼには浮き草は付きものだし。




  少し角度を変えると、こうゆうところになる。この先かなり広いが、全体だとやはり草が生えている、休耕田という感じだ。




  再び、浮き草。もう少し寄ることが出来る。しかし、それをやると段差のあるこの田んぼに転げ落ちる危険性があって、止めた。何事も慎重にやらないと。  
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木々も、うつろ

2008-08-29 16:18:23 | 植物・花(夏)
  少し涼しいのはありがたいが、このお天気は困りもの。

  あまり力なく、田んぼの辺り、空き地の草、
  小さな花壇、それらを眺めてみる。
  シオカラとムギワラがくっ付いている。シオと
  ムギから、なんだか焼酎のことが思い出される。
  
  野菜が高くなった。一時、売れないから値が下がったといわれた。
  それも、もとに戻ってどころではなく、かなりな上がり方。
  その代わりというと、ナシが少し安い。出る時が重なるから、
  安いのはありがたいが、でもたくさんは食べられないし、
  やっぱしお腹も気になるし。
  しょんぼりのまま。

  
  それで、雨、雨、雨。




  この辺りはさほどひどくはない。ある葉には大きな水滴。




  こちらの下の方に、水滴は多かった。向こうは空。虫に齧られた
  ような空がある。大きすぎたかなー。




  ちょっと色付いた、なんだか知らない、しかしたくさんある木の葉っぱ。
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ムクゲの花

2008-08-29 06:47:52 | 散策
  朝のお天気、曇り。深夜早朝は雨、これがほどほどで助かる。風があって少し涼しい。アメダスの6時の気温、22.3℃、気圧は1010.4hPa。室温24℃、暗い。

  雨はきのうの夜から。日付が変わって、強くなる。いい気持ちはしない。またあの大雨が降るのかという疑惑。でも、今日の雨は、ほどほど。そのうちに止んでいる。アメダスの降雨量は、気象台の値で2mmにいっていない。
  朝は静か、窓から外を見ると、雲に模様があってこれは雨雲と違うようだ。薄っすらだが、北アルプスの稜線も見えている。西の空には、台風の目のようなものがあって、そこからは青い色も見えている。ひどい雨はなかった。
  
  外に出たが、暗い。雨ではなく木の葉から大粒の雨水。これはポツっと落ちて頭に当たった。すぐに建物の中に戻る。TVニュース。大雨のニュースで、かなりひどい。しばらくの間、このニュースを見る。ここの何十倍、それこそ100倍の量の雨が降った。恐ろしいことが少し前にもあったが、今もあったということ。お祈りをする。この先も、こんな雨の降り方があるのだろう。冷えた牛乳を飲んでほどほどの感じであったが、各地の災害映像を見ていると、心底寒くなる。

  ガラッと変えて、ムクゲの花。早いものは6月から咲いていた。なかなかこの花を見る機会も減って、それでも近くにあるものは何度も見た。きのうは少し、歩く道を変えて、これは散歩道の後半に当たるところもあって、久しぶりに寝転んでいるワンちゃんを見る。しかし体は、反対を向いていた。ハクモクレンの大きな木と葉っぱを見て、街の街路樹はシデコブシだったことを思い出した。それから、かなりの数の、きれいさっぱりしたムクゲの花を見て少し和んだ。ただ、見るだけ。それゆえか、何倍もきれいに見えるような気がした、おかしなものだ。

  夏の立ち上がりが早かった分、花の咲き方もおかしいなというものがある。今このムクゲの清楚な花をいくつかのところで見て、そうでもないものがあることもわかる。もう秋はそこまで来ているようだが、それにしてもこの異常気象が気になるところ。逃げるところなどない。
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コスモスの咲くころ

2008-08-28 18:48:56 | 散策
  お昼のニュースといっても、天気予報の画面で河川敷の広大なところに揺れるコスモスの花があって、秋のコスモスもそろそろ咲き始めるころかと思う。

  コスモスの花というと、どうしても秋であるけど、これがそうではないことが、この書き込みをやるようになって、ようやく気が付く。このことは他のことにも当てはまっていて、ブログ効果はいい意味で、いろいろ勉強になる。逆にゆうと、それまでいったい何に興味があって生きていたのか、不思議に思うことも当然である。トンボのこと、チョウのこと、花のこと、何でもそのようであって、さてはて実際に写真など撮って、それで知らないものは、最初は知らないで済ませたが、あとから、検索ということが出来るということに気が付く。
  これは、楽しいようで、しかし面倒くさいことでもある。そのまま、気楽に絵と文字を書くことも出来そうだが、信憑性の問題やら、少しはもう少し知りたいという気が起きてくるのも、不思議といえば不思議さが、これはかなり事実に近い。それで、そうゆうことがだんだん高度というか、より深くというか、知識の集積につながるかというと、そうでもないようで、相変わらずあるところで止まっている。研鑽とかいうこととは、無関係である。わからないことはわからないままという場合が多い。
  こうゆうところが、書き込みの限界であるのかとも思うが、これももともとその人の持つ性格とか、知識とか、こうありたいという願望みたいなものに、よるのだろう。あるところまでゆくと、これはやっぱり本に頼らないとという場合が多いが、そうゆうことは過去に経験済みで、今がある。どうも、進歩するようなことは、私としてはないような気がしている。これはものすごくはっきりしていると思う。進歩のようなものはないにしても、いろいろ興味のある分野は広がるということはあると思う。そのレベルで、これから先も続けていければいいが、なんだかどうなるか、先の見通しも暗くなる。

  コスモスに戻ると、この花が、例えば去年だと5月ころに、花芽を見つけて、それがしばらくして咲いた。でも数はさほど多くはなかった。コスモスの本体の方もこれもその年によっていろいろなものが見られる。やたら、徒長したものなどが多かった。すると、花の位置が自分の背よりも高く、その花は天高く空を見つめるように咲く。おかしなものだ。こうなると、コスモスも小さくしないといけない。それに似ているものに、キバナコスモスがあるようだが、この名前を知ったのは去年くらいで、最初にこの花を意識したときは、菊か何かだと思った。
  コスモスには、まずは背の高さの問題、うまく密度をたもって育ってくれる問題、花の付き具合、花の色の出方、色々あるようで、あとは、もう冬だという時期に咲くコスモスもある。これを見ると、コスモスは春の花でもあって、初冬の花でもあって、盛夏の花でもあり、秋には少しだけ咲く花、ということもいえそうである。

  コスモスの最大の不思議は、あるところでしか咲かないということで、この辺りに、ここにも、コスモスの花はない。コスモスのコの字も咲かない。しばらくゆくと、それでも、20m以上は離れているが、毎年かってに咲くところがあって、うらやましい。それはみなタネを播いているからといわれそうだ。もう少し昔を思い出してみるが、コスモスの記憶というのは、それこそTVの映像、今日ような、あるお知らせのバックグラウンドとして流れているのを見るくらいで、それ以上にこの原物を見ようという気にもならなかった。今日と同じある河の河川敷に何度もいったことがあるが、そのときに、コスモスの花を見たという記憶はない。この場所の問題というものもある。

  もう少し遡ってというと、秋ごろに山歩き、里歩きに出かけて、コスモスの花を見た。それは秋だったと思う。その辺りは今はどうなのか知ることは出来ないが、コスモスの花が年がら年中見ることが出来るのがいいのかどうか、ふと考えるとやっぱり秋だけの方がいいかも知れない。


  朝の弱い光の中。




  逆光で、カエデの葉っぱは真っ黒に近かった。かなり無理をして、色が出るようにしてみた。




  普通のアジサイの今の姿で、これは光が足りないままの状態。きっとこのまま冬までこの花はありそう。




  ほどほどのもの。夏の光が強くて、一部葉が枯れた木の新葉だが、どうも生長がおかしいままである。この夏の異常さを表わしているような。
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