光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

雲の形でいうと、蒸気機関車の煙、空の色は浅い青。

2016-05-31 14:15:34 | 散策
  5月29日の午前の空。そんな濃い青い色はなく、白い雲はあって、これは魚のウロコのようでもある。

  ほかになにかないか、SLの煙突から出る煙の様子。


  機関車というと、話題になるときもあるが、まれ。蒸気機関車というとなおさらで、

  そういえば、「SL」の煙突から出る煙の色は真っ黒。ただ蒸気を捨てないといけない、ここから出てくる

  熱々の水蒸気の色は白い。蒸気機関車の色は、黒い。一部、そうでない色はある。黒、これがいいかどうか。


  客車列車、こんな言葉はあるかな。機関車が、客車車輌を引っ張る。この列島の国でもむかしは通勤でもあった。

  いまでも東アジアでは、東南アジアでは、そうゆう車輌は走っている。お客さんは、乗れる、つかまることが

  出来る何かがあれば、それを頼りにする。


  たまに、蒸気機関車が、走ることがある。動体保存された機関車、字が違っていた、動態保存。

  蒸気機関車はある。蒸気は魅力がある。ディーゼルはどうか。ディーゼル機関車はなかなかないかな。

  電気機関車はまだ現役だが、これも昔の懐かしいものは、みななくなってゆく。ディーゼルエンジンで動く

  気動車は、これはちょっとTVで見たか。


  幹線が、ローカルになって、走る列車、走る電車もなくなってゆく。一日に、一本。ここまで来ると、TVに

  やはり出る。駅がなくなる。道の駅は出来る。で、高速鉄道ではなく、ゆっくりと、あるいは「のろのろ」と

  走るもの。

  これに価値が出る。お金は持っている人は持っている。トイレに行く暇もない、そんなものより、のんびり号が

  いい。もっとも、広いはずの列島の国で、そうゆう列車少ない。少ないから出来る。

  お金持ち、の人も少ない。


  政党の幹部が、政党の支部に要請されて、パーティーを開く。企業の偉いっさん、あるいは担当の人がその

  パーティーに出る。土産を持たないといけない。こうしてお金は、動いてゆく。見返り、いくら。


  どうも話が、陰気になってゆく。

  空の雲を見て、ということである。雲の形、雲の色、空の色の青さ。


  数字は量を表わすときがある。時給いくら。あるいは値段でいくら。時給千円、そうゆうときが働いていたとき

  あったかというと、なかったかも知れず、しかし、給与以外で、いくらか出るものは出たので、

  平均で、時給は千円あったか。一日、8時間労働だが、昼休みも、労働時間だ。月に、20日か、あるいは

  もう少し働く。どうだろうか。

  所得税とか、年金、失業保険代は引かれる。天引き。


  それでも「0」はさほど。1万円札がある。私の時代は、現金で貰った。貰う、この言葉、おかしいが、どんだけ

  貰った、となる。こんだけ。でも、最初いくら入っていたか、もう忘れた。


  給料というのは、どこまでも上がるものか。雲の数と同じように、いくらでも増えるのだろうか。

  雲の数。あるいは雲を構成している、水の分子。この数。

  地球に住む人間の数。生きている植物の数、動物の数。微生物の数。ウイルスの数。


  ついに、私にも番号が来た。12桁、忘れていた。もっとも、もっと重要な番号はある。電話に、パス

  ワードに。ただ、これは番号。


  昭和の20年は、1945年。東京オリンピック、昭和39年で、1964年。

  この前、といっても一ヶ月くらい前だが、いつも元気な高齢の方と顔を合わせて、東京オリンピックのときの

  話がなぜか出たが、昭和でいうと、40年でしたか、といったら、39年、とそく返事が返って来た。

  TV、これはなかった。私の場合。

  この列島の国の人口はどのくらいなのか、はっきりとしない。1億人はいる。世界だと、地球全体だと

  70億人。小さい値かどうか。


  地球に棲むことの出来る、生き物の数は、いくらでも増えることが出来るか。なかなかむつかしい問題で

  人の寿命もそれほど長くはない。人の死は「極限」の概念と一致する。そのときを考えていない。

  そのときはすでに、人ではない。


  調和級数というのがある。名前がなかなかいい。簡単な無限級数だが、また美しい数字が並ぶが、

  この和、数字の総和は、忘れていたが、いくらでも大きくなる。つまり、収束はしない。ただ、無限に

  この足し算を続けないといけないが。


  頭洗って、ちょろっと、書き表わしにくい、このことを記している、本、最初の方だが、を見ていた。

  雲と関係ない話のようだが、そうゆうときもあるかな。


  5月29日の空。最初は南向き。




  その一。空の青い色がちょっと。こうゆう空だったのだろうか。




  その二、雲が並んでいる。




  その三。




  その四。これを見ていると、失敗したかな、と思うこと請け合い。




  その五。

 


  その六。




  その七。





  その八。こちらは東側。




  その九。トビが小さい




  その十。


  
  風はあるが気温は上がっていて、いまは27℃。



雲の隙間からお日様、朝は日が出ないと。穏やか。

2016-05-31 07:07:09 | 散策
  きのうの目の前にある温度計、最高でも22℃くらい。ほぼ一定、といっていい。

  読書にもいいかも知れないが、転寝、ウタタネにもよかったようだ。短い時間だったから

  よかったが。


  きのうの朝、20.5℃。今朝も20.5℃。


  気温はほぼ一定だが、きのうは晴れたという感じはない。午後遅く、サンダルでその辺を歩いていたが

  皆さん、外に出ているが、なぜか静かに、仕事されているようで、こちらも格別話すこともないので

  またいえの中に戻ったが、このときも、細かい雨が降ってきたような感じである。


  でも中学生くらいだと、もっと時間も遅くなるが、多少の雨では降ってないのと同じで、

  賑やかに「大きな声でなにやら話を」しながら、帰宅。雨もはじいてしまう、若さ。遠いむかしの話だが

  そうゆうときはあったかな。思い出せない。

  
  きのうは、鶴瓶さんのNHKの番組で、ゲストが市原悦子さんだったので、少し見ていた。

  どちらもそのままのひとだな、という感想である。

  TVを意識していないようで、鶴瓶さんの番組ではないような。

  市原さんの番組に、鶴瓶さんが出たような。

 
  番組のきのうの内容で、最初のあたりはまずは普段出て来ない話であるから、それだけ

  インパクトもあった。

  むかしの日常、いまの時代の、非日常。あれ、いまはいつなのだろう。

  しかし、このTVを見ていて、私は自分が夕食時に何を作ったか、忘れることはなかったが。


  夢はしかし忘れた。


  すいすいすいのスイカズラだが、いまは生長を止めているような。













  
  今日の予報は曇りのち雨だが、午前中晴れてもおかしくはない。

  まぶしい太陽が出ている。



新緑の魅力、ムラサキツユクサの淡い紫、サンショウの葉

2016-05-30 14:15:11 | 植物・花(春)
  雨は止んで、時間はたっているが、まだ強い太陽の光はない。晴れそうで晴れない。

  気温も適温である。


  自分の書いている文章を見ていて、文字の誤りとか、勘違いは、気が付けば直せるが、それでもそのままの場合が

  多いかな。その日の体調が文章にも出ていて、また気分的なものも反映されている。そうゆうものでいいという

  考えだが、それにしてもなんでこんな書き方になるのだろう、と自分でも不思議に思うことがある。

  きのうの、少し暑いような、そうでもないような日曜日、またまた出て来た、竹の芽を切っている。


  どのくらい出れば気が済むのが、竹に聞いてみたいが、たった一日で、またまたニョキっと出ている新しい芽。

  これを見ると、やれることはやるが、最後には、そう「むき」になることもないか。笑って済ませる時間も必要と

  思うようになる。


  どうゆう種類の竹かはわからないが、小さいものがまずは出るが、これは結構硬い。中身が詰まっている。

  竹は一日で、元気なときは、30cmくらい伸びるようで、ホルモンが関係しているという。オーキシンが思い出

  されるが、ジベレリンもある。ジベレリン、すぐにこの言葉が出なかった。

  それにしても、背丈が大きくなる。短い時間で。これってどうなっているの。

  この疑問、ふだんはそんなこと考えないが、いまも考えていなかったが、その作用はともかく、竹は

  風船だな、ということを再び思い出した。もっとも、背の伸び始める、若い芽、若い竹にいえることで

  まっすぐに伸びてはいるが、中はスカスカ。どうゆうことか。


  芽が出てくるときは、すでに風船が何十にも出来ている。これはタケノコを思い出してもらうとわかりやすい。

  で、まだ風船になっていなかった何重もの風船の小さいものは、空気を溜め込むかのように、膨らんでゆく。

  高さが1mくらい、あるいはもっとあるものでも、横から力を加えると、簡単に折れてしまう。

  「ふわふわ」なのである。この状態だと、ただ鍬などは振り回さないといけないので、その力はいる。

  しかし、竹そのものは硬くなく、簡単に折れる。で。ふんわりと、自分のほうに倒れてくる場合もあって

  これがときとして頭に当たる。

  
  帽子はかぶっているが、ときとしてこの失敗はある。中に空気しか入っていない竹だが、けっこう重い感じ。

  直径も、7、8cmになるかな。風船のような竹の中は空気が入っているが、風船を造る組織に水分は多い。

  これがなかなか重いから、身体に当たると、衝撃はある。鈍いもので、ただ顔など撫ぜられると、いい気分は

  しない。


  鍬は、木と金属の「刃」で出来ていて、むかしからあるものを使っているが、この土を耕す刃の部分は

  ある大きさの竹を切り倒すときは、必要ないような気もする。棒の部分だけで、この衝撃でも竹は折れる

  のではないか。

  同じことを繰り返し書いているが、背の伸びている、程ほどの高さの竹は、中はスカスカで、簡単に切ることは

  出来る、あるいは倒すことは出来る。それでも水分はあるので、これが自分の身体に当たると、あまり

  いい気分はしない。

  平手で、ひっぱたかれた記憶はあまりないが、そんな感じを思い出す。


  こうゆうことをやる時間は、もちろん、実質は20分くらいだが、普段やらないので、終わったとなると

  畳の上で、ごろりとなって、最低15分は休む。休まないといけない。

  そのときはそれで済むようだが、翌日、腹筋のない私などは、結構な痛みを、特に座っているいまなどは

  感じていて。きのうの午後はそれほどでもないが、今日はかなりひどく、またまた妙な感じの文になっている。

  一日か二日たって、それを見直すと、恐らくそうゆう感想を持つ。


  腹筋か。腰は、あるいは背筋は、痛み止めでごまかせるが、お腹の脂肪に効果はないだろう。それゆえ、塗ることも

  ない。


  さわやかなと思えるものもある、緑の続き。D300で。

  ムラサキツユクサもあまり見かけなくなった。サンショウは、ぴりりと辛い実がなる。だが、それを見ることは

  たぶんない。




  その一。普通のアジサイ。芽はいまは数は増えている。




  その二。これは水玉も出来ている。透明なのは空気だけど。




  その三。ムラサキツユクサ。花はどうかな。




  その四。これがなにか。




  その五。





  その六。サンショウ。かなり大きくなっているはずだが、背丈は小さい。




  その七。




  その八。こうゆう木も大きくなると、適度に小さくされる。




  その九。ノリウツギもそうで、今年は小さい。葉の位置がちょっと悪かった。




  その十。これは幹と葉の色の美しさで。


  晴れそうだが、晴れない。

  温度計は23℃。適温。

  田んぼか、この木々の草の緑か、あるいは空の雲か。


  世間は選挙、選挙、選挙。どうなのだろうね、ここ富山は。

  街中では、講演はあるが、まーここは鄙だから、それはない。空気は変わらないか。



弱い雨が降っている。いい感じの雨。緑はさらに濃く。

2016-05-30 06:59:20 | 散策
  いまは雨、今日は一日中雨か。


  今日初めて、いまカッコウの鳴き声を聞く。

  ツバメは飛んでいない。そういえばカラスも。ヒヨドリは、よく鳴いているが、

  いまは見えない。キジバトも電線にいるときが多いが。

  モズの姿も見えない。

 
  晴れて風があると、トビがやたら高くまで上昇して、点にしか見えないように思えるときがある。

  どのくらいの高さまで昇るのかな。さぞかしいい眺めがある。


  きのうの宵の時間、雨はまだで、雲っていたはずだが、夕食食べてゴロン、となった。

  ただ眠気はないので、久しぶりに、TVを見ている。

  ピーマンの話が一つ、となると、これは「トキオ」さんの番組。

  うーん、ピーマンだらけ。

  たくさんは食べられないけど、色もいいし、でもいまは結構高い。

  いつの撮影かな。沖縄のはずで。


  近くの菜園での野菜の様子とは大違いだが。

  この雨で、また日がでれば本格的に生長しないと。


  きのうの夜中だが、夕飯に何を作ったか、一瞬思い出せなかった。食べたこと、これは覚えている。

  重症だな。


  5月29日、きのうの朝。






  この空は悪くはないのだけど、夜も雲があるとすると、星はだめだ。







  下側が普通に撮った状態。



  いまの雨は細かい雨。

  キジバトがようやく鳴く。



5月28日、火星、アンタレス、そして土星、薄い雲があったようだ。

2016-05-29 13:40:23 | 星空・天体・宇宙
  今日も晴れ。非常にきれいな、白い雲が出ていて、これを見ていると気持ちも和むし、いうことなしで

  少し暑いが、風も入ってくる。


  5月29日。


  きのう5月28日、天気がどうなるか。それも夜だが天気がどうなるか、まったくわからない感じはあった。


  一昨日、5月27日、雨が上がって、宵の時間、その後の時間、大丈夫だろうと思っていると、

  その通り。で、この27日、宵の時間すでに天頂近く、少し高度は下がって南の空にある木星が西の空に

  動き始めている。この様子を、そういえば撮っていたが、注目している、その後に現われる、火星と土星は

  雲の向うにあったようで、残念だが安堵した。そういえば、木星を撮っていた、ファイルをPCにコピーして

  その結果を見て、思い出した。27、28、29の三日分で、29日は、朝の日の出の後の空の様子。


  28日、宵の時間、星は見えなかったと思う。場所によって違うが、しかし、見えないとなると、宵の時間だが

  夜中だと見える可能性もある。早々と、撮影装置は、南の窓において、その時を待ったが、夜中はなかった。

  28日は、きのうだが、午後の11時00分という記録がある。カメラの時計は電波時計より10秒進んでいたが、この

  11時00分は午後11時ころと考えて問題はなく、このとき、接近している、お隣の惑星、火星は見えた。

  ただ空は明るく、土星もわかるが、アンタレスとなると、少し寂しい明るさである。


  靄とか雲とか、考えられるが、少し気温も下がっていたので、いい空を望むには無理があった。

  午後11時で、ほぼ火星の位置は、真南のように思える。これより時間がたつと、地上の風景に隠れてしまう

  可能性もある。


  今回は、5月27日に撮った、これは午後の8時ごろだが、木星がしし座にある様子を追加した。

  5月の木星。

  それと、28日、きのう、午後11時台の、火星、さそり座のアンタレス、へびつかい座にある土星の様子。

  この三つの星で三角形を作るが、形は壊れてゆく。


  前々から、望遠側で、火星なら火星のあるところ、というのを考えていた。

  きのうは、もっとも望遠側ではないが、カメラは、G1 Xだが、三つの星、一つ一つと思って

  そうゆうものも撮っている。

  ただもっとも望遠側ではなかった。


  アンタレスを中心にと思ったもので、三つの注目する星が、一枚におさまった。これに、朝気が付いて

  ファイルのイメージを追加した。

  ほとんど、ただ撮ったという感じなので、細かい説明も必要はないと思う。惑星の見かけの移動が注目されるが

  画像そのものは明るく、星の色も出ていない。RAW画像を暗くしている。


  久々の木星、これも望遠側、火星、アンタレス、土星の望遠側での画像、トリミングしているが、

  調整してみた。



  5月27日、午後8時台、うまくポラリエの局軸が、天の北極付近にあるか、それをたしかめる画像で、

  しし座にある木星。



  その一。




  その二。黄道に近い位置にある。



  5月28日、午後11時台。火星、アンタレス、土星。



  その三。これが11時00分で、広角側で撮っている。肉眼では、火星などはすぐわかるが、他ははっきりと
  しない。右側に、火星。左方向少し下がって、アンタレス。この星から左上になるが、土星がある。

  ずいぶんと三角形の形は変わった。さそり座もぼんやりである。(右と左、よく間違える。がっくり)。




  その四。これも、同じく広角側で、トリミングして、三つの星を。




  その五。真ん中にあるアンタレスを中心にと思って、望遠側で撮ったもので、これはファイルの
  イメージ。縮小のみ。その三も同じで縮小のみだが、こちらの方がわかりやすいと思う。

  横長画像は、見辛いのですが、左右1024ピクセルあります。



  以下は、火星、アンタレス、土星。望遠側で、トリミングしたもの。



  その六。火星は、さそり座の、頭部の三つの星よりも、右側にあって、てんびん座にあるのか
  ギリギリのところ。星図をずいぶんと睨んでいたが。




  その七。すでにその五で出ているものの、中央部。アンタレスも、いまひとつ。




  その八。明るいのが土星。へびつかい座にある。前回のものと比べて、わずかに移動。


  外は変わらず、白い雲が多い。



白い雲、白い空、露がかなり降りている。

2016-05-29 07:05:47 | 散策
  天気は晴れ。予報は晴れのち雨。

  
  午前4時でも、うっすら明るい。

  いつものようにではなく、時計を5分ごとに見ていたが、ちょうど起きるというとき、軽く眠っていて

  意識はなかった。それゆえ、目覚ましが鳴ったが、すぐに止めて、起きた。

  
  カッコウは、鳥のカッコウだが、このところ、遠くで鳴いていた。

  これが今日は、もう朝は早い時間から外は明るいからか、やけにそばまで飛んできて、悩ましい声で

  鳴いてくれた。この鳴き方を聞いていたが、眠気は増さず、早く起きろ、といっているように感じる。

  カッコウの「カッ」のところが、カタカナではかけないようで、カッコウの「コウ」は、思い込みもあるので

  コウに聞こえる。

  何も知らないと、どうゆう表記になるか。考えることではないかね。

 
  例年鳴いているが、ときに来ない年がある。どこにいるのか、カッコウは。

  ホトトギスも、来た年はあるが、カッコウもむかし、20年以上前に比べて、その数は減っている

  ようだ。

  興味もだんだんと薄れてくる。


  スズメの鳴き声はどうか。



  27日、金曜日。空の色と、水田の色と。













  平坦であるように見えて、左側が高い。



  夜もあまりいい天気ではなかった。

  忘れずに新聞の束を出した。


雨が上がった後の、木々の緑、ナンテン、カエデ。スイカズラは咲き始め。

2016-05-28 13:55:35 | 植物・花(春)
  5月28日だから、まだ季節は春で、でももう初夏、夏といっていいようなお天気が続くが、今日は

  まだはっきりと日が出ている。そうゆう空は現われていない。


  温度計は、24℃。朝は起きたときだが、21℃だった。ときどき、朝書いたものと値が違っているかも

  知れないが、今日は朝は、22℃はなかった。いまは記録を見て書いている。

  風もなく、雨も降っていない。外に出てみたが、ごくごく普通で、暑くもなく涼しさもない。

  何も感じないことはない。わからないということかな、違いが、温度差が。


  きのう、朝まで雨、それよりも前日の気温が上がりすぎて、そっちのことだけが頭に残っている。

  でも雨は朝まで。朝方の方がひどかったのかな。


  しばらくして、もう雨は降らない。そうゆう状況になる。草を刈った後、また小さい草は出て来ている。

  刈られずに残っていた、ドクダミは背が伸びて白い花を咲かせているが、毎回思うのは、なかなかきれいな

  花がない。こんなこと言うのはしかしおかしい。ドクダミに花はある。その花は美しい。八重の花が出ると

  いうが見つからない。

  サツキの花、これは雨でよくなった感じだ。


  たまに、一眼でと思う。重いし、大きいし、ファインダ見ても、中は暗いし。それでも買ったときは、これはいい、

  そう思ったはずだ。D300。ED55-200をつけっぱなしである。普段は、小さいので、なおかつ広角側で、あまり考える

  こともなく、パチパチやっていて。それで久しぶりに、D300を触ると、緊張もする。大体使い方を忘れている。


  よくは見えないメガネ。一応視野がくっきりと見えるように調整はするが、中に表示される情報は

  ほとんど見えないか、見えなくても気にしない。ただ、空があれば空はわかる。木があって葉があれば

  もちろんそれもわかる。全体の絵柄、どうゆう画像になるか。広角側で55mm。それでも狭いなと思う。

  よっぽど欲しいものがないと、どのくらいの画角がいいか迷う。フィルムカメラだと、標準で、50mm前後で

  これよりも、デジタルは、D300だとさらに狭くなる。2、3ヶ月空くと、感覚がつかめない。


  アジサイがあって、花芽が少し。ナンテンは、生長のいいものは、花芽の数はやたら多くなり、しかしそのものは

  小さい。ネズミモチ、これも同じだ。アジサイの花は、そこに何かあるという感じでしか捉えられない。

  このレンズ、近くに寄れない。かなり離れないといけない。そうゆうように出来ている。細かいものを撮るのは

  標準を使うしかないが、さらに寄るとすると、やはり小さいカメラがいい。


  雨の後の、木々の葉の様子は、ちょうどいい対象である。でもやりにくいな、正直な感想。


  ナンテンの入る風景、それと、サンゴジュの小さい花。アジサイも一緒。

  カエデの様子を撮ったが、画像を見て、なんだこれはと思うぐらい、見た感じがこれまでと違う。

  全体と葉と。スイカズラ、これはまだ早いようだが、一枚だけ。




  その一。境界線、下は用水。お隣のナンテン。




  その二。硬い感じがするので、コントラストは下げている。




  その三。この木がどうゆう方向から撮っているかよくわからず、いまもわからない。




  その四。細かい白いものが、サンゴジュの花芽。




  その五。境界線で、暗い感じと、ナンテン。意味はないけど。





  その六。少し離れていて、いえの入り口にある、カエデ。離れて撮ると、印象は違う。


 

  その七。小さいカメラだとなかなかこうゆう画像は撮れない。




  その八。ここでようやく、雨粒がわかる。




  その九。ネズミモチの蕾。真っ白いときは短いか。




  その十。たくさんのネズミモチの蕾。




  その十一。スイカズラ。全体の感じだが、白くなる前の花の色。



  一眼で、望遠レンズだと、画像のピントは甘い部分は多くなるが、ときどきこれはいいというものがある。
  
  迫力のあるもの。一枚一枚見ていると、疲れる。でもシャッタを押すときは、カシャカシャと2、3回

  押している。これはあの音がいいからだろうか。

  たしか創っている音で、無音にも出来るはずだが。


  今日もちょっと辛い。



晴れるのかな、朝は曇りで、しゃきっとしない。

2016-05-28 07:04:41 | 散策
  曇りである。

  温度計は20℃。快適な気温、そういえば夜も安眠できた。


  きのう午後から天気回復したので、夜も晴れるか、と思ったが、雲っていたようである。

  期待したのだが。

  そのまま朝になっているようだ。

  
  そのきのうの午後だが、このところ歩いていないので、短い距離だが、田んぼの方へと

  向かった。北風なので、汗ばむこともなく、放熱効果も抜群で、そっちの心配はない。でも

  人もいないし、田んぼを眺めていると、用水に落ちるということもあるので、ぼんやりも

  出来ない。たまに、カラスと挨拶するという感じになる。イネの苗は生長して、緑濃いところも。

  総じて、面白みはない。

  散歩にそれを期待するのは、無理かな。


  どの辺りを歩くのが面白いか。

  知っているところでも、やはり住宅もあれば商店もあるというところかな。

  ここがいいというところは、なかなかない。

  長い時間歩くことは出来ないし、・・・。


  足は、朝はやはり痛いし重い。


  これも残り物で、












  花の勢いがあり過ぎた。光の当たりかたも問題はあったようだ。


  いまはどこを見ても、地面では大体緑が、目に入る。

  今日はお日様が出るかな。

  まだ出そうにないが。



灰色で少し青みのある、きのうの午後遅くの空、と同じ色かな。

2016-05-27 14:09:33 | 散策
  少しいい天気になってきた。頭の写真、脳の写真は撮ったことはない。


  きのうのフェーンの空は、色としては普通だが、わずかに青みのある空間はあって、救われた気はする。

  この雲の上は、どうゆう色をしているか、そうゆうものを見ることが出来ればと思うが、これは想像する

  しかない。どんな荒天でも、ある高度よりも上の地球の空は晴れているか。気温はどうか、風は、気圧は。


  ときにEテレをつけている。NHKのEテレである。音は消している場合は多いが、これは本当に高校生向きの

  教育内容なのだろうか、という高度のものがある。これが高校生向きだと、中学生向けはどうなるか。


  4月以降、気が付いたことを書くと、化学、候補がたくさん出るが、『化学』だと、それまで出ていた方が

  変わった。これは私的には、少し残念で、これまでの方がよかった。化学は、科学となるときが表記上は

  あって、私も失敗したことがある。地球科学、これは地学である。でも地球化学は、高校生向けでは

  少し混乱する。化学はいいと思うが、これは私もそうゆう名で授業を聞いていたからであって、

  しかし、試験となると、ろくな点数はなかった。わかっていない。これは、もう少しいいうと、中学生の

  ときでもそうで、すでに理解出来なくなっている。発想に、それだけの「革新性」、が日常になかった。


  目で見えているものに、それと同じものがなかった、ということである。このレベルで、こうゆう

  状態だから、さらに、それよりも高度な、あるいは大学で学ぶ、という内容について、どの程度の


  既存の発想からの乖離が求められるか。様々な書物があるはずで、一部持っているものもあるが、書物になる

  ものはやたらむつかしいものも多い。むつかしいというより、天才的であって、簡単に理解出来ず、

  滑稽な論争に、物理学の化学の泰斗が、エネルギーを費やした。


  化学と科学、この違いがわからなくなる。避けたいものだが、本質的に、その時代にない発想が必要で

  これを理解する人が出て来るまで、長い時間が必要になる。一部の人の特権というべきか。


  同じように、物理学があって、地球科学はある。数学もあるが、算術の方が興味深いかも知れない。

  この算術に、遠く離れてしまったことが残念だが、ギリシアの時代以前から、高等数学はすでにあったことを

  思うと、それが途中で、消えていったということも想像できるし、まったく無視された。結果は、いまの時代

  思うことは、あるものは正しく、あるものは間違っている。


  科学というレベルで言うと、それははっきりとしているが、表現の間違いではなくて、本質は同じで

  より一般的にいうと、そのことは、あるレベルでは正しく、そうでない状況では、成り立たない。

  この繰り返しがあって、でもその先があるかどうか。

  記憶に残る書物のレベルで言うと、やけにすっきりとしないが、物事の本質というものは、なかなか理解

  されにくく、またある分野では、予想はされるが、証明に至らない。

  
  Eテレの、高校講座、物理だと、今年4月から登場する方は同じで、最初から、頭が混乱する内容、

  こんがらがる話から始まる。20分で、力学の最初がわかるか、というとこれはわからない。

  わかっていない、という人間、あるいは学びたい人を登場させる。これは数学ではあるようで

  なるほどなー、60を越えた頭で思う。20分だと、話がうまくゆかないと番組にならない。

  むかしの高校だと、むかしって、私の場合は、昭和の44年くらいからだが、わかっているのか

  あるいはわかっていないのか、そんなことはどうでもいい。そうゆう授業が、ずっと続いた。


  わかる人は退屈で、わからない人も同じで、その真ん中、という人はいたかいないか。分かれ目。

  なるほど、歴史は繰り返すかどうか。


  無限級数というのは、わかれば楽しい。せめて書いてあることがわかれば。

  数列があって、級数がある。ここで、剰余も同じように、数列を作る。この和が同じように

  無限級数を作る。和という場合、収束する必要はあるが。

  多少はこうゆうことに興味があっていいはずだが、むかしはなかった。


  裁縫でなく、細胞。そうゆうレベルになると、話は違ってくる。分子か、細胞か、ということだが

  それにしても、簡単に脳細胞など、言葉を使いすぎているような気もする。


  今日も紫外線を気にしないといけないが、紫外線は何をしてくれるのか。波動と粒子と。


  最近、アカウントがどうので、新しくしてくれとか、やたら多い。なにいっているか。企業のご都合だが

  これに対応出来ない。ばかばかしい時間をつぶしたが、それに対応出来ないようでは。


  きのうの午後の雲、でも眺めるしかない。




  その一。




  その二。一度30℃近くになって、また上がってきた午後の4時。




  その三。




  その四。青い色がある。




  その五。





  その六。



  その七。




  その八。




  その九。




  その十。雲のようにか。


  この世の動きについていけない、ボヤキでした。



雨らしい雨、いい雨が降っている。

2016-05-27 07:09:30 | 散策
  きのうは部屋の中は夜まで暑かった。夜中も暑かった。

  でも、部屋の中の気温もだんだんと下がっていったので、眠ることは出来た。

  苦しい時間を過ごした。


  午前中、洗濯をした。洗濯ものは夕方までにみなほぼ乾いた。

  あれだけ熱いと水を飲みたくなる。甘いものはいらない。ついでにガソリンも飲むが

  あまり意味はないか。

  夕食は、簡単に、もう作ってあるものと、既製品、調理してあるもので、済ます。納豆は3個食べた。

  
  片付けは水で洗えるものだけで、油ものは残した。

  それで、ごろり。布団はもう引いてある。

  すぐに頭が痛くなる。

  
  しばらくして、どうゆう格好で眠るか考える。

  パンツ一枚はちょっと不安だし、いつも夏はどうしていたか。

  タオルケットは、まだ早い。薄い毛布。

  気温は段々下がってゆく、それよりも体温が下がってゆくはず。

  基礎代謝は落ちている。クシャミは出ないが、ある時間、厚めの毛布に変え、もう朝だという時間、4時だった

  かな毛布2枚にした。


  雨はひどくはなく、しかしかなり降っている。

  朝の温度計を見る。22℃。28℃くらいまでいったはずで、よくここまで下がったなと思う。

  窓開けると、ヒンヤリとした北風が強い。

  新聞配達も遅れた。

  何か適当な衣類一枚を、押入れから探す。これに10分かかった。それは出て来た。


  富山地方気象台のアメダス、朝6時の気温、17.2℃。上昇に転じている。

  今日は曇り、ちょうどいいか。


  残り物で。












  5月半ば、この日の画像はまだあるが。


  朝からため息。