光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

秋は二度来る。

2008-10-31 18:36:51 | 植物・花(秋)
  秋が一回来たような気がする。それで、例えばススキがその花穂を夕日にキラキラ輝かせる。これは想像で、私は日中のそれしか知らない。ヒガンバナも今年は少しだけ早く咲いて、10月の頭にはもう最後の花が咲いていた。しかしその後、しばらくして、遅く出てきたヒガンバナもあって、花にも色々あるものだと思う。
  
  今年の秋は、一回来て、一旦お休みしたようだ。かなり気温の高い日が続いて、暑かった。その点、暖房などの心配はなかった。また服だって、夏の延長で済ませていた。こんな暑い秋も、残暑とは少し違うもので、珍しいと思う。これが、地球の温暖化と関係があるのか、とも考えたくなるが、どうもそう簡単なものではないような気がする。こうゆう気象とは別に、地球の温暖化の顕著な例というものは、あるようだ。これまた否定出来ない。
  ドタバタしている感じがあって、もう疲れたので、それで普通に歩く時間が出来た。もちろん、お天気さえよかったなら、きのうのように、いくらでもその機会は作れる。気乗りしなくてもやっぱり歩いたほうがいい。お腹は、ポッカリ膨らんだままである。これをへこませる手段は今は見つからない。
  それで、少し書いたけど、時計まわりと反対方向に歩いて来た。フェーン現象で気温もある。汗をかかない程度の歩き方をしないと、下手にこれ以上鼻ムズやら、喉のイガイガを悪化させてしまう。ときに、首の辺りに手を突っ込んで風をとおす。ちょうどいい感じである。

  何度も書いているし、写真も出しているけど、サザンカの花がよく目立つ。秋の花だった、ムクゲはこれはもうない。そのとなりにサザンカがある。これが色々な色を出すので、楽しい。また光線の角度によって、明るさによって、その花が引き立ち、また色あせる。今年は、なぜかナンテンのいい色のものがない。大体、まあるい球状の実そのものをあまり見かけない。
  セイタカアワダチソウは字のとおり背も高く、見上げるものという感じがあるが、このセイタカさん、ずいぶんと小さいものがある。昔からあるが、逆にいうと、見上げるセイタカアワダチソウがやけに少ないのである。ちょうど自分の背よりちょい低いというものが多く、またその黄色い花も、もういくらかは変色しているから、背の高さもこれ以上は大きくはならないだろう。小型のセイタカアワダチソウは、かわいいといってよく、その小型のものも、花が枯草色になっている。

  ススキが今また、空き地に出て来ているようで、セイタカアワダチソウと一緒にその花穂を開いている。これが、ちょうど太陽光に当たると、ススキの穂は揺れるから、またその花穂も複雑な構造をしていて、透過光は謎めいたものになる。セイタカアワダチソウと、ススキの花穂とが一緒になって、光り輝き、その透過光の怪しさを見ると、また今秋が来ているという印象が強い。もしかしたら、青空に柿の絵より、秋らしいかも知れない。ススキにも今頃、その花穂を開花させるものがあって、これが9月に、あるいは10月の頭に咲いていたものと同じかどうか、よくはわからないが、ススキにも、いろいろなものがあって当然かも知れない。

  なんだか無理やり、秋を強調したかも知れない。秋の光は、黄色いイメージがあって、これがもう少し、例えば水色の成分を、あるいは黄緑色のものを含んでいたら、これこそもう一つの秋が来た感じがする。


  ホトトギスの花。この花も、そういえばあそこにあった、と思うのがもう一箇所あったはずだが、今気が付くのは、こちらのお宅のものだけ。色々な花が出て来て、面白い花壇である。




  明るめにした。すると、ちゃんと明るく写っている。時期がもう遅いかも知れない。フェーンの風が休むことなく吹いていて、やりにくい。




  反対側から。




  少し下がって、全体の様子。こちらから接近すると、影に入ってしまう。  

青空に柿、柿、柿。

2008-10-31 16:18:14 | 植物・花(秋)
  朝はこのまま雨になりそうだった。実際に少しポツポツ来た。

  しかしお天気というのはわからないもので、
  なんと晴れて来た。さらに、フェーン現象のようで
  少しだけ暖かくもある。

  体の中に、カビが生えそうでもあって、いつもの時間に歩いて来た。
  咲いている、サザンカ、大きめの菊。ユズの実も黄色くなる。
  またまた、反対方向から歩いていて、少しだけ変則的だが、
  ふとあるところから東の方向を見ると、まわりは開けていて
  柿の木に、実がびっしり。
  この辺りにこんな柿の木がまだあった。不思議。
  
  青空に柿。



  よくこれだけの実が残っていると思う。もしかしたら、渋柿かな。
  



  中央辺り、拡大する。赤といっていい柿が一つあるから、
  それがマーカになる。




  さらに拡大。フェーンの空で、今一つ空の青さが足らない。
  でも、この柿を見つけて満足でした。  

目覚まし音

2008-10-31 06:58:24 | 散策
  朝のお天気、曇り。窓から外を見る。雨は降っていない。窓を開けると、かなりの勢いで、風が入ってくる。乱風気味で、南風。これが冷たい。アメダスの6時の気温、11.4℃、気圧は1019.2hPa。室温13℃、ヒータがいる。

  朝に近い時間、目が半分開きかけて、しかしその後二度寝状態になって、目覚まし音がなった。二度寝だろうが、その時間まで眠っていた、半分意識はなかったわけで、これはよかった。あっさりと目が開いて、その後布団の中でグダグダしているのは気持ちのいいものではない。ただ、もう寒い。もともと早起きでもないし、やっぱりこれからは布団から離れられない、そうゆう状態が強くなる。

  ドタドタする。新聞を引き抜いてきょうは金曜だった、と思う。TVやら、ラジオやらの、1週間分の特集が入っている。これをさっさと本体から引き抜いて、手元においておこうと思う。玄関まで来たからついでに外に出たが、書いたとおりの南の風が強く、乱不気味で涼しいを通り越している。少し明るい。
  カエデの葉の色が赤く変わっているなー。いよいよここのカエデもその葉を赤くするときが来た。それと、パラパラ落ちているカエデの葉もある。箒ではかないと、うずたかく積もるかというと、そうでもない。道路面に枯れ葉もあれば、田んぼの土もある。後者は、田起こしに行ったトラクタの落し物で、これは重く長く路面に残る。枯れ葉はというと風に吹かれて、どこかへ飛んでゆく。また土の落し物もやがて消えてゆく。雨が降れば、この土も流れていって、跡形もなくなる。

  カエデのきれいな紅葉というものも、ここの古木ではなかなか出来ない。小型のカエデが垣にあるが、他の原因で変色し、枯れている。蜘蛛の巣に引っかかって揺れる、灰色で、褐色のカエデの姿は、それはそれでなかなか美しい。咲かなかったサザンカが、突如咲き出す。ここにもサザンカはあった。

  きょうは、曇りのち雨の予報、朝焼けは少しあって、今空を見るとまだ雨雲はなく、青い空が見える。

  やっぱり、TVとラジオの1週間分の特集を持ってくるのを忘れた。

ちょっとミステリアスな話し

2008-10-30 18:48:04 | 散策
  こうゆうことは、ちょっとないなという話し。ちょっと。

  いい天気で、これだけは恵まれている、きのうでなかってよかった、と思った。でもいいのは天気だけで、それ以外は期待はずれで、まだ幾つかやらないといけないことがわかった。面倒なことは一回でというのは無理なことはないが、もともと一回で済まないことだった。がっくりだが、外だけはいい天気だし、しかし電話がない。公衆電話がない。ケータイは携帯しておらず、つまり使っていない。不便だと思う。車、タクシを捕まえたいが、流しはないし、

  道の反対側に、コンビニエンスストアがあった。そこで、すいません、タクシを呼びたいのですが、ここをもう少しゆっくり書くと、ある店員さんの手がそのお店の電話機にゆきそうになって、その後、公衆電話は近くにないでしょうか、と言って失敗したと思った。電話機にのびた手は、もとに戻って、あそこにありますに変わった。言われた店員さんは別の人だが、そうですかとお礼を言って、そこをめざす。しかし、どこだかわからない。
  公園のようである。広い、トイレはあるが、電話はない。歩いている人に、すいませんと同じことを尋ねる。こちらですよ、しばらく歩いた。今日はいい天気でよかった。あそこですよ、ほらあそこ、自動販売機のあるところだったと思うが。はっきりしない。しかし、そこで別れる。 

  奇妙な風景である。自動販売機の姿は少し遠いが、なぜか近くにタクシが止まっている。あれあれ、どうゆうこと。わからないまま、タクシの横を通って自動販売機の辺りに行くが、電話はない。弱ったな、でもいい天気だし、あせることもないが、でも気になるのは、いつも利用しているその会社のタクシ。勇気とかではなく、ごく自然にその方向に逆戻り。
  それで、運転手さんに聞いてみた。どうも、次を待っているような感じで、完全にフリーな状態ではない。しかし、乗ってもらっていいか、聞いてみますといわれて、すぐにOKになった。これなら、まーありそうな話だが、しばらく世間話しをしていて、最近はみなケータイを持っているしねー、公衆電話もないでしょ。しかし、自動販売機の、反対側に例の公衆電話はあって、コンビニエンスストアの店員さんの言っていることに間違いはない。

  そのうち、おかしなことを運転手さんは言われる。ナントカ南病院がどうのこうのであって、その名前はもちろん私は知っている、またそこにも行った。もう少しその話しが続いて、そのナントカ南病院に運転手さんは行ったことがあるが、そのときに自分の車に乗ったのは、お客さんではないですか、と言うのである。つまり、私が、その少し前だったか、9月の頭だったが、その病院から帰るときに乗った車の運転手さんは今、目の前におられるその人、ではないですかと言うのだが、そのとおりであって、すぐに思い出した。いやーびっくりこいた。

  話しをたしかにするため、それから運転の邪魔にならない程度で話しをしたが、まったくのその方のようで、これはもう間違いはなかった。あれれ、という感じで、きょうが晴れではなく、またコンビニエンスストアの人が電話をかけてくれてもだめであって、さらに公園を歩いている人が、電話の場所をはっきり教えてくれたら、この巡り合わせはなかった。こうゆうことがあって、いいのだろうか。まったく、信じられない気がするが、
  運転手さんはたまにありますよと言われる。で、無事帰って来て、降りるときにまた、お会いするかも知れませんねと私は言った。運転手さんの話しによると、どうもそうゆうことが起こりそうである。またあってもおかしくはない。しかし確率的にはずいぶんと低いだろう。なんだか妙な気分であって、今日はこうゆう経験をしたことで、そうは悪くはない一日だった、と思える。

  もっとも、ある時間まではそう思っていたが、予期せぬことは色々あって、少し慌てた。部分的にそのときのことだけを考えないとだめなようだ。

  
  それで、いつものファイルの中から、忘れているようなもの。




  明るさの順でゆくと、これは時間順でもあって、塀に絡まる植物がまず登場。ありそうでない。



 
  影になる、淡いサザンカの花。




  細い道を歩いて、こけないようにして到着。桃色のサザンカ。




  秋の田んぼ。イネは、また新しく芽を出して、田植えのときと同じようになっている。

10月の空

2008-10-30 16:22:43 | 散策
  10月も終わりかー、と思ったら、もう一日あった。
  この「日にち」というのも、わたくし、いい加減なことを
  言っているようで、さっきはきょうは、10月29日と断言した。
  無論あっさりと、10月30日ですねと訂正されて、そうだった
  と思いなおした。まったく、なにを言っているのか、
  自分でも恥ずかしくなる。

  きょうは午前はまことにいいお天気で、救われた。よかった。
  お天気だけでもいいと、救われる。その他、相変わらず勘違いは多いが
  こうゆうことも初めてやるものだから仕方がない。
  今は急速に曇ってきている。
  明日のことは誰にもわからないが、・・・。


  それで、10月の空を見ていた。これしかない。




  10月3日。穏やかな夕暮れ。




  10月9日。晴れの青い空。こうゆう空がなくなる季節。




  10月12日の朝、穏やかできれいな朝焼け。重複しているかも知れない。




  同じ日の、夕方。変化の激しい夕空があった。こうゆう夕空も
  たしか何度かあった。  

寒い朝

2008-10-30 06:54:40 | 散策
  朝のお天気。ほぼ快晴。明るいきれいな空がある。風は西の方角に見える、工場の煙突の白い煙を見ると、南から北へ流れている。南風である。アメダスの6時の気温、7.8℃、ごく普通の値だが、これは寒い。気圧は1019.4hPa。室温、13℃。

  夜中に、窓ガラスが曇っているのがわかった。これは予報どおり冷えているなと思う。街の外灯がにじむ。たぶん少し星も見えていたようだ。この星も少し歪んでいた気がする。布団の中は暖かく、またそれなりの格好をしている。
  朝に近くなる。だが、日が山々の稜線から出て来る時間は、もう6時半以降でよって、少し前まではもう明るかった時間もまだ真っ暗。東の空を見る。このときは、窓を開けた。春の星座が見えているようで、南の空には、おおいぬ座のシリウスが、子午線よりも西にあって、これはやっぱり冬だ。まだ、10月だが、星空の朝は、冬から春に向かっている。

  ゴミ捨て。近い距離だが、もう一枚着る。先にTVで、金沢で最低気温が8℃になったと報じていたので、ここも同じくらいだろうと思う。ただまだ息は白くならない。雨が残っている。アスファルトの路面は濡れている。雨の水、露の水、両方ある。まだ、春と秋に咲く花の緑の細い葉っぱがある。ここも雨の水、と露の両方が混ざって、白いお化粧となった。
  ギリギリというすこしいやな音がしそうな、そうゆう扉を開けて、ゴミ袋を入れる。複雑な気分である。やっぱり袋は、ビニルか何かで出来ている。朝も早くから歩いているかたがいて、挨拶をする。お元気そうで、なによりである。自分はというと、少し忙しいと思う時もあって、また冷えると腰がピリピリ痛む。なんだかなー、きょうもぼやきで終わりそう。見直しをしていたら、キーの押しかたが悪かったかやっぱり文字がかなり消えた。書き直すが、もとのほうがいい。

  ここに、日の出は6時半を過ぎないとと書いたころ、ちょうど稜線から太陽が浮んだ。まさにまぶしすぎて目を向けられない。しばし、日向ぼっこ。

昼飯は食べたか

2008-10-29 18:47:23 | 散策
  物忘れも、いいものがあって、考えないでいられると安眠できる。

  寝ても覚めても、考えるという方もおられるようだが、なるべくならそうはありたくない。実際、そうゆうものに程遠く、それでも、要らんことを考えるようで、この繰り返しがある。この辺りは、ロボットとか、PCだと要求された仕事をやり続けるのだろうけど、人の場合は色々であって、なるべくなら夢も愉快なもの、そうでなくてもいいが、どこどこの駅に着かない、どこどこ行きの電車が来ない、などの夢を見ていると、これは鉄と関係がまったくないが、いい加減にしてくれと自分の脳に思うのである。それで、朝から暗い気分というのは、まったくもって情けない。あっさりと、忘れることもあるが。

  物忘れというより、つまらんことを考えないようにしないといけないと思う。小心ゆえか、要らぬことを考えていて、内容はまったく同じ。解決策というと、それは有限の回数で終了するというもので、ボチボチやればいい。もう答えは出ているが、そうゆうことを考える。考えても仕方ないが、やっぱり朝になると、同じことを考えている。つまらないことである。

  こうゆうことを忘れるといいのだけど、自分は思う。しかし、これは損得勘定があるものなので、手を抜くわけにゆかない。なんだか健康のために、毎日トレーニングに励んでいるようで、十分に健康なのに、雨でも走ったり、アラレでも走ったり、これは雨アラレの霰、で、目的が健康でいることから、その先にいってしまっているのに似ている?。毎日走らないと落ち着かないとか、調子が悪いとか、どんなときでも走れる体でありたいとか、目的とは大いにかけ離れたりして、風邪を引いたり、膝を痛めたりする。
  何とか依存症というのは多い。でも、続けるのが、力になるとか今でもいう。本当か、ときに休んで、あるいは怠けて、そうゆうこともありだろう。大いにダラダラする。今日は、一日不貞寝する。こうゆうメニュはないのだろうか。この辺りまで含めると、依存ということから離れられるかも。

  ときに、まー知っている方だとしても、なにかがあって、ちょっとお邪魔させてもらいます、ということはある。もう少しゆうと、茶のみ友達とか、その他、人が訪れることはままあるが、それが私にも関係があると、仕方なしに対応しないといけなく、内心さっさと済ませて欲しいという気がある。それが礼儀的なものにしろ、あるいはたまの雑談にしろ、人には人の生活のリズムがあって、これは壊したくない。なんだか生活のリズムも、依存症のような気がしてきたが、急用にせよ、その他の突然のことにしろ、やっぱり内心早く終わらないか、そう思うことが多い。
  それでお昼ころである。だれでも、もうお腹がすいている。さっさと食べて、というわけでもないが、リズムは狂わせられない。もう焼き付いていて、イライラしたりもする。しかしである。もう子供でもなくなった。いい加減くたびれて来ている年齢であって、だから一応は我慢する。それが顔に出ないようにしないといけない。これをさっさと打ち切る方がおられると、嬉しくなる。こうゆう方が、親戚筋に一人おられて、この方と話しをしていると、まったく自分のやっている事が恥ずかしく思える。勤勉なのである。だが、「こんなものはクダラン」、などさらりと言う人でもあって、そうゆう意見を聞くと、爽快感を覚える。
  きょうはいい天気でよかったです、そう最後に挨拶をする。すると、年配のその方は、「天気がいいからきょうにした」、とさらりと言われて、まったく一本負け。勝てません。

  それで、今日はもう昼なのにというときに、少し長引く話しというものがあって、急いでその後昼ごはんを胃の中に放り込んだ。もう少しいうと、はたして昼飯を食べたのだろうか、という気もしてくる。どうも、お腹の減り具合からいうと、やっぱり食べたようだ。そうゆう感じがする。このくらいの鈍感さが、その他にも適応されればいい、自分でもそう思う。しかし、どうだろうか。せせこましい世の中。しょうもないことに、色々な鍵をかける。こんどは開けるときに一苦労。まったく、時代は変化はしているが、あるものはよくなっている。これは間違っていない。ただ、それゆえにその反対のものが生じる。便利のための不便がある。作用があれば、必ず反作用があるようだ。足したり引いたりすると、結局は無になる。無のありようが変化して、これもこの先も続くのだろうか。

  
  雨であって、まだ雨が止んでいたときがあった、その続き。




  雨の赤。




  これは、なんだろうかと思うが、雨の中の小さな葉っぱ。




  雨のツツジで、これは雪に埋もれる。




  雨のサザンカの蕾。

時雨模様

2008-10-29 16:24:22 | 散策
  ガシャっと何かがつぶれるような音がする。
  何かが光ったような感じもあって、よくはわからない。
  たぶん雷鳴ではないか。
  恐ろしい。

  真っ黒な雨雲がもうそこに来ていて、しばらくして激しい雨。
  バケツは引っくり返らなかったようだ、雨の神様も、
  それだけは止めてくれたようだ。
  でも、雨雨雨で、これは歌を歌う気分ではない。
  ときに、白いものも見えるように思うから、これは本物の時雨。
  この暗さが来ると、いかにも北陸の冬が来たという感じ。
  大仰に書いてみた。




  昨日のもので、東に見えるかなり高い山の中腹まで、雪。新雪だと思う。




  朝空。ちょうど雲の裂け目辺りから、日が出ようとする。
  雨は上がった。




  稜線か雲の上か、ちょうど朝日が出そうで、まだ出ていない。
  荘厳な感じがする。これは肉眼で見ているほうがずっとよかった。

ムクドリの群

2008-10-29 06:59:15 | 散策
  朝のお天気。晴れ間もあるが、まるで天球の裂け目のようだが、その他は雲で覆われて、驟雨。さっと雨が来る。天気は、やっぱり弱い冬型。これはやっかいである。アメダスの6時の気温、12.1℃、気圧は1011.4hPa。室温15.5℃。パジャマだと寒い。

  着替えに時間がかかる。もたもたしていると、冷えてくる。手帳に必要なことを書いて。今日は15℃、いや15.5℃か、あとはお天気、これは曇りにしておいて、きのうの欄が白いままのところがあるから、これも適当に埋める。こんなことをしているから時間はたつ。
  特に忙しくなく、またやらなければいけないことはあるが、概して一人で頑張ってどうにかなることは少なく、郵便物などを待つと、2、3日は間が空く。何でもネットで、秒単位、小数点の世界でものごとは動いているようで、そうでもないことは多い。ここの書き込みにもずいぶんと時間がかかるし、間違い探しをやってもなかなか見つからず、これは宵の時間、12時間くらいたってようやく気が付いたりする。これはこの後も続いて、きりがない。

  暇なときも多く、双眼鏡で遠くの山を見る。視界さえあれば、ダイナミックなアルプスの山肌まではっきり見えて、この双眼鏡は小さいがよく出来ている。ときに、鳥が視野を横切るが、早過ぎてなんだかわからず、やはり肉眼で、眼鏡越しに見るのがいい。ヒヨドリやら、カラスも多いが、ムクドリも多い。ムクと、ヒヨを間違えて書きやすい。ムクドリは、どっちかというと、ムクッとしている。ふっくらして、体長もヒヨドリ小さい。同じように、柿の実を食べたりするが、ただヒヨドリはモチノキの赤い実を食べるが、ムクドリは食べないようだ。またムクドリはセミを捕まえたりする。しかし、ヒヨドリでは見かけない。

  一時、ムクドリが消えたと思ったら、そうゆう日に限って、ある電線に大群となって止まっていたりする。今は、夜は、豪華な街のほうのベッドに行き、昼は鄙の方に遊びに来るようで、これもかなりの密度で群れ飛ぶ。この塊を見ることがあるが、さほどの個体がいるわけではなく、多くても100羽くらいのようで、都会で見られる、ものすごい真っ黒な雲のような塊、群はまだ見ていない。
  この鳥の動きもずいぶんと激しいようで、水族館で見る、魚群の激しい動きに優るとも劣らない。きのうも目の前に何か黒いものが、ひょいと現われて急回転して電線に止まった。ただのムクドリだが、群れ飛ぶと迫力がある。で、ぱらぱらっと一羽二羽飛び出すと、あっという間に全体に等しいものが一斉に空に舞う。
  この鳥の落し物は、カラス同様恐ろしい。常に電線やら、電信柱の上に、この鳥がいないことを確かめないといけない。
  もっとも身近にいる鳥であって、またさほど話題にもならないところがまたいい。

寒気団

2008-10-28 18:44:52 | 散策
  シトシトの雨になって、この後もシトシトかとも思ったが、予想外に晴れて、しかし今はまた雲が多く、先ほどすこし木星と金星が見えていた。その二つの明るい惑星の離れた方、あるいは接近の仕方、これは角度でしか表わせず、少しずつ二つの星のなす角度は小さくなっている。まだまだ金星が、太陽から離れていなくて、また日没も早くなると、あれよという間に金星は地平に近付く。

  時刻もあまり変わりはないときだが、東の方角に見える高峰のその山肌は、雪化粧をしているようで、また新雪のようである。
  きょうはもう少し強い冬型になると思ったが、これがはずれた。寒気が、まだやって来なかったようだ。よく輪島上空の気温がこの寒気のバロメータになって、3000mで、マイナス何十度かで、雨が雪になり、また雪の降り方も、この輪島の上空辺りの、寒気の値でかなりのことが決まってしまうようだ。上空といっても、1500mのときもあれば、3000mのときもあって、5000mのときもあるようだが、これはうろ覚えである。この値が、そのうち天気予報、お天気情報に必ず登場する。
  寒気団というと、これも地上に近いとさほど寒くはない。すっぽり寒気に包まれるという言い方をするが、この辺りだと、平地の地上では大体が、低くて、マイナスの5℃。普段はマイナスの2℃くらいではなかろうか。水蒸気が温室効果ガスだから、水分の多い空気があると、そんなに激しく、朝も冷えない。冷えるとすると、放射冷却であって、これなどはモロに、水蒸気がないからという理由による。

  寒いとなると、これまた暖房の装置やら、暖かな衣服も必要だが、この装置のほうも面倒だが、ちゃんとあるし、あとは油を入れるくらいだが、はてさて、衣服というとこれが困った。晩秋から冬のときに何を着ていたか、まったく忘れている。まーその変をかきまわせば、なにかが出て来そうだが、いったいにどうゆう服装でいたか、冬が近付くとわからなくなる。すべてを丸め込んである。だからすべてを引っぱり出せばいいが、それってあまりやろうという気にもならないものである。でも、半年前は、まだ冬に近いものを着ていたに違いない。それを洗って、と言うことも書いたようだが、それがなんだったか、わかるのにしばらく時間がかかりそうだ。
  首筋がすこし寒い感じがする、喉のいがいがも依然としてある。緊張するときもあれば、ダラダラしすぎるときもあって、バランスは取れていると思うが、この喉のイガイガはなくならない。ちょっと油断すると喉に痛みを感じる。なるべく話さないようにする。あとは気が付いたら、鼻うがい。栄養に睡眠に、あとは首筋にタオルを巻いている。これは調子がいいが、そのうち腹巻みたいにならないか心配である。ただ、お腹に巻くものは必要ないようだ。

  天気の寒気団に戻ると、いよいよこの2、3日中に、まずはもう少し本物に近い寒気がやって来るようだ、最高気温が15℃とある。これはかなり寒い。寒いというと、いろいろあげられるが、今はまずはこの気温が一番の問題である。他にもあるが、これはもう少しやり方を変えると何とかなりそうだが、しかし知恵もない。他の問題が痕を引くようであって、憂鬱になる。これもしかし仕方がない。この冬は、まー寒いことが続くことに決まっている。なんだか、暗い感じで終わって申しわけないと思う。

  秋の花、シュウメイギク。




  花弁がやけに白い。この花弁というのも、参考にさせてもらっているものを読むと、いろいろあるようだ。他だと、アネモネに似ているということもわかる。




  その花弁の様子が今一つよくないので、下から出て来ているものを見ると、こちらも同じような感じだ、惜しい。この白さはなかなかない。

  その他の花。



  空飛ぶ、「赤花」というのがぴったり。




  これは普通の菊ということになるのか。この菊が咲くのも、時間がかかった。