光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

雨は降り続ける

2007-09-30 19:05:10 | 散策
  今日も簡単に雨は止んでしまうだろう。もう少し雨が欲しい。冷たくなくてもいいから。雨は欲しい。それで、雨は降り続ける。にわか雨の程度の強さだが、雨は降り続いている。そうゆう風にずっと思っていて、今もまだ雨は降っている。まだ、雨は降り続けて欲しいと願っている。ここで、雨が止むことなく、少なくとも明日の早朝までは降って欲しい。
  それで、朝に思ったより涼しく感じて、それでも雨は止んでしまうと思ったが、それがまだ降り続けていて、これは体を暖めるために、ゆっくりと垂直に落下する雨の天気の中を歩かないとと思って、予定時間より早めに外に出た。もはや、防水機能をなくしたブレーカを着て傘を差した。雨は垂直に落下しても、少し早めに歩くと、衣服は濡れる。雨はいつも垂直に落下するとは限らず、へそ曲がりは必ずいる。その雨が掌にポツポツ当たるが、これはそんなに悪い気はしない。体は、気温は20℃以下だからやはり少し固くなっているのがわかる。
  水たまりが出来ているが、これは一つは轍のせいであり、他には舗装した後に、さらに工事をした結果であって、最初から水たまりを作る道路の舗装工事はあり得ない、と一応思う。でも、ありとあらゆる舗装された道路に水はたまり、これがなかなかスリリングな体験をさせてくれる。そのうち、雪の降る地方としては珍しく、水が下からわきあがる、あるいは降ってくる現象にも遭遇するが、これも一興と言えるようになってくるから不思議だ。
  そのうち、雨は止むだろう。そう思える降りかたで、ときに道路に面するところに出された、鉢の、プランタの植物を眺めるが、これもこうゆう季節のせいか、いっときより、その数は少なくなっているのがわかる。早くも、冬支度をしている、そうゆう気にもなってくる。達人はやはりやることが違う。
  今ころ咲くコスモスの群生がところどころで見られて、この雨は、雨不足のたしにはなるが、少し徒長しているコスモスにとっては、余りいい雨ではない。実に、もったいない話しである。でも、まーそんなにひどい雨ではないから、これはやはり慈雨と考えるべきだろう。
  クレマチス、バラなどは、いったい何度咲かなければならないのだろうか。もういいだろうと思っているバラが、また花を付けているので見にゆく。さすがに、この夏中いた、しかも2匹が一緒、マメコガネはいなかった。特筆すべきものではないかも知れないが、ムクゲの花が、また”キレイ”な状態で咲いている。去年は、7月の後半かに早々と咲いて、この花ももうしばらくすれば終わりなど書いて、その後、ぜんぜん終わらないので、困ったことを思い出す。天気も妙としか言いようがないが、何度も何度も咲く花も妙というか気の毒で、ずっと咲きっぱなしというムクゲに対して何と言っていいのか、言葉が出てこない。
  こうして、ひさしぶりに雨の中を歩いて、案の定濡れるものは濡れたが、どうも体は温まったとはいえないようである。私のお腹の周りには、立派な襟巻きが、あるいはベルト、しかもそれは断熱作用を持っている、があって、どうもお腹だけは冷えなかったようではあるが。

  秋であって、すでに晩秋をあるいは初冬のことまでも視野に入れて考えなくてはいけない、そうゆう気にさせてくれる天気だが、このことは、日が沈む、日が昇るときの空の様子にもその気配はあった。



  夕刻、雲が移動して隠れていた太陽が顔をだす。人工の構造物を入れてみたりもしている。



  こちらはきのうの朝の様子で、その後涼しい風が吹いた。朝焼けもあるけど、この時は、さすがに日中の気温が20℃そこそこしか上がらない、ということまではわからない。

水面をたたく水滴の音

2007-09-30 07:25:56 | 散策
  朝の天気、小雨か曇り。風はないようで、穏やか。室温20℃。この値は、久しぶりで、月末の日付だと、5月30日が20℃、31日が19.5℃である。
  目が覚める時間、まだ眠い感じがあってこれは正常。それで、何となくだが雨が降っているように思えた。耳を済ませる。書きようのない、書き表すことができない音がやはりしていて、それでも、かなりな短波長のエンジン音もしているし、今日は日曜だからなー、はっきりはしない。耳鳴りの音のほうが認識された。普段は意識されない。
  起きてみて、カーテンを開けると雨で、こんな天気予報は出ていたかぐるり頭の中を見回すが、そんなものは残っていない。ここでのんびりしている時間はないが、室温などをメモする。冷えてくる。小雨だったからか、5分たつと止んだようで、鉢の植物を見ることにする。
  きのうもあまり日光は当たらなかった。ほぼ、見た感じはきのうの朝と同じ。小雨はそんなに植物の葉っぱに水滴として残ってはいない。来年か、笑ってしまうが、この植物の花を見るのは来年になりそうで、さらに早くて春だ。多くの方が、鉢、ポット、同じだ、プランタで花を育てているけど、冬はどうしているのかそこまでは注意して見ていなかった。かなりな数が、私の目にも飛び込んでいて、それで、雪は間違いなく降る。そのため、わざわざ鉢やらプランタを室内に移動させるようなことは可能か、これはマジシャンに聞いてみないといけない。
  ぽたぽた大きな水滴がある所から落ちるようになっていて、その下にあまり意味はないが、小さなバケツを置いてある。ときにそれは移動されるが、また元に戻る。水は大概のときは入っていて、この水を飲みに来る小鳥は、しかし見たことはない。これは水滴が何かの理由で落ちてくるときに、楽しむものである。
  バケツは円形で、持ち手は取れている。ここの中央にある所の水滴は落ちる。王冠が出来ているはずだけど。かすかに水がジャンプするのがわかって、それがまたもどって同心円を描きつつ波は移動する。水滴が落ちる間隔が長いと、反射波ができて、やがて波は減衰してゆく。ぽたぽたと落ちるくらいだと、波はいつもたっていて一部のものはバケツからこぼれる。
  似たようなものが、建物の中にあり、水がぽたぽた落ちていて、これは少し甲高い音をたてる。小さなプールと書きたいが、浴槽である。ここの水道から、ポツポツ水が落ちるようになっていて、その波面を眺めるのも大好きであるが、あまりこれに熱中すると、目が回る気もして少し危ない。一日ぽたぽたやっても、まー10cmかもう少し水面が上がるくらいなので、そのままほったらかしである。でも、これも微調整が必要だが、このポツポツ落ちる水滴が、浴槽の水面をたたく音が、特に夜によく聞こえることがあって、これが適度な回数だと、その何ともいえない音色に聞き惚れることが出来る。ただし、適度な回数でないといけない。この音がなんで発生し、なんで聞こえるか、そうゆうことも考えるが、これが返って安眠効果をもたらし、またすぐに眠りの世界に戻ることが出来る。

秋の復習

2007-09-29 19:00:45 | 植物・花(秋)
  涼しさと涼しさの狭間にいる感じで、どっちに揺れても涼しい。
  朝に、少し小さくなった、小さくなったように見えた鉢の植物を見て、それではと、私も少しは運動というものをやらないといけないと思ったのは、これはしょうがなくて、それでもやはりそう思ったのは、多少なりともこの植物の影響がある。
  どうも涼しい。繰り返しになるが、これが不思議であったか、ラジエータともいえるところにいると、なかなかその冷ややかさは伝わらないものだ。熱は溜まるが、放熱の機能はないからなー。たぶん、これで大丈夫と思って外に出る。この夏とか、今はもう秋だけど、少し涼しいと思ったことはあったが、それがだんだんとかなり涼しいに変わってゆくのが不思議である。相変わらず、なんとなくだが、歩いていても足が意識される。棒ではなく、割り箸かも知れず、まさか爪楊枝でもあるまい。でも、さすがに傘は持たなかったが、でも曇り空で、こんなことになるとは微塵も思わない、ポツポツ来そうな、そうゆう感じもあった。
  それで、用をすませて、どうするかってもうそれは決めていて、いつもと逆のコースをテクテク歩く。多少の汗は出るが、それより北風である。これで、汗は引くものの、そのため余分に熱は吸い取られる。このとき、お腹の出具合は頭になく、秋の花々の新装開店みたいな気分があった。一通り、秋の七草も出てしまった。キキョウや、ハギやナデシコは出てこないが、これは少し困ったが、キキョウは、もうあらかた花はなくなってしまった。ハギは何度も見ていて、これも満足している。残るは、ナデシコだけど、川原はというと神通川まで行かないとないし、しかもそれはちょっと大事である。そのための、鉢の植物があるが、これは何だか自分でもはっきりしない。
  それで、足が棒になる感じを味わいつつ、これが普通なのだと思って、テクテク歩く。確か、9月の初めにすでにケイトウの花を見ていて、これは早すぎると思ったが、その場所へと速歩になる。稲刈りがほぼ終わりになっていて、秋も本番である。田んぼはだだっ広く風がきつくなる。速歩でも汗はもう出ない。熱が奪われていくのがわかる。
  約一月前に、ケイトウの咲いているところに行った時に、小さな子供とおじいさんがこの辺りの言葉で話していて、当たり前だが子供が一人前に、ここの言葉をしゃべることが出来ることにいつもながら感心した。今日は、その子供さんがなぜかやって来て、何してるの、など聞いてくる。なかなか、優秀な子供である。一月前のことを覚えているのではないか。ここは僕んちの畑、みたいなことを言ったので、ありがとうとお礼を言った。
  ケイトウ、ススキ、それに千日紅と書きたいが、最後のものはどうも見つからなかった。そこから、風は本格的になり、一所懸命歩いて戻って来た。お天気の悪口を散散書いているから、こうゆうことになるのであろう。でも、お天気の悪口は、これからも書く。

  ポッと黄色い色の花が咲いていて、これが第一印象でよかった。



  これは、長めのもので撮っているけど、ここは接写もあれば、どっちがいいかわからない。もう一枚、



  大きくしてみました。

  復習となると、また、例えばもう最後みたいな感じで書いたものが、また出る可能性がある。それがヒガンバナだったりもする。ススキだったりも、コスモスだったりも。ちょっとため息。

ツバメは故郷に帰る

2007-09-29 07:19:10 | 散策
  朝の天気、曇りか晴れ。雨は上がった。風は南から、穏やか。室温20.5℃、さっきより下がったかも。
  夜も、もう少し雨が降るかと思った。しかし、静かな夜で朝になってしまう。でも、眠る時はもう秋のものを使う。
  朝で、いつものように、鉢にタネから植えた植物の様子を見る。風と強めの雨が心配だった。しかし、このくらいの雨風ではもはやこの植物はびくともしない。でも、きのうはあまりご飯を食べていないので少し小さくなった気がする。つまり、彼か、彼女はやせたのである。
  一日何も食べないと、ちょっと痩身になる。なんていうことだろう。たった一日、断食しただけで彼女は簡単にやせることに成功した。しかも、瑞々しさはそのままで、さらに水玉のリングもしている。特に、苦しんだ様子もない。
  私も、こんな風にして、一日でダイエットできたら、かなり着ることの出来るものが増える。さらに、血中の中性脂質もぐっと減るはずだ。コレステロールは、これが高いのは遺伝で、さらに、詳しくいうと、これはそのものの分解に役立つといわれるものの量が多い。
  それに、最近の流行である、アンチ・エージングについても、植物は悩むことはない。この小さな植物も、やがてその一生を終える時が来るであろうが、その時も、この植物は美しさを忘れていない。ハラハラっと、葉が落ちてゆく。静かに、何ごともなかったように、小さな種子を残して、自らは大地に戻ってゆく。すでに次の生命が、ある時間を、芽吹く時間を待っているのだ。
  これが、落葉樹なら、紅葉が人を楽しませてくれる。これが、エージングであって、これに逆らう必要はない。人は美しさに酔い、浮かれる。植物はその最後の衣装を土に戻し、痩身のまま春を待つ。エコ。
  ツバメの話しであった。まだ、ツバメが飛んでいる、そう思った。1週間か2週間か前の事で、今年は9月も暑いからかと思った。そのツバメを見かけたのが、今のところ最後のようで、それからは見ていない。彼らは、もう故郷への旅に出発したのだろうか。どれだけの時間をかけて、どれだけの危機にさらされるのか、それでも彼らは故郷へ帰って行く。
  故郷ねー、どっちがどっちかわからなくなる。生まれたところが故郷か、越冬するところがそうなのか。
  それで、冬の使者はいつやって来るか。これは当分先かなー。

残された時間

2007-09-28 19:12:15 | 散策
  雨になって、さほどひどくないが、涼しいといっていい状態。お昼前に30℃を越したようで、TVで、9月の真夏日の多さの記録を更新したという。これをにこやかにいわれるで、こちらもにこやかに、そうですか、と内心つぶやく。
  ときどき雑誌を購入する。でも、パラパラと見て終わってしまうことが多い。なぜ、こんなものを買ったのかふと思う時もあるが、買う時はそこまでは考えない。他には、PR誌を2冊購入していて、これは文字が主体であるからぱらぱらと見て終わりというわけにはゆかない。お付き合いで定期購読している雑誌もあって、これはもう見ないといってよい。あまりに、違う方向へ行ってしまっている。それで、今年はどうするか考えたが、お付き合いもあって、購読を続けることにした。来年はわからないが、それは私にもいえることで、このことはここで終わり。
  それで、PR誌は、ただ漠然と総合誌のように何でもかんでも載せるわけにはいかないし、それとなく関連のある読み物が半分くらいまとまって出ているという感じはする。そのテーマにしても、いつもそれを見ていて、何でこうゆう風になるのかわからない、そう思うことが多くなる。このことを知らないより知っていたほうがいいに決まっているが、なかなか心底それに夢中になれるわけでもなく、他に何かありそうな気もして、それでもやはり一応は読む。最低2回読むことにしていて、これを1年続けると、ほどほどの読書量になるのではと、自分では思っている。ただ、こうゆうものを30分で読んでしまう。あるいは5分で速読するという方もおられるのではないか。
  新書は、2時間くらいで読めるからいい、という言葉をずっと昔に聞いて、これは棲んでいる世界が違うと思った。2時間で、1冊か。一日、例えばその日が休みなら、その人は、5、6冊の新書あるいは類似のものを読めるわけである。
  ここで、立場を変えて、新書を書く側の人、作家の人、評論家の人、学者の方、その他大勢のライタの方が、この話しを聞いてどう思うか、ふと今そんな感想を抱いた。まー、書く側の人だと、一日5、6冊の本を読むのは当たり前かも知れないが、だがやはり一冊の本を書くのには、時間がかかると推察される。これを、さらっと2時間で読んでもらって、どう思うか、これはわかりません。
  そうか、並行して何冊も書く人もおられるわけだから、2時間で読んでもらってもいいし、なんならやはり一日に3、4冊読んでもらわないと、など考えておられるのかも知れない。
  今のところ、PR誌を2冊、月に2回何とか読んで、あからさまに漢字の読みかたがわからない、この字はなんて読むんだったか辞書を引き、さらに書き順をその横に練習書きなどして、また辞書にある、一字違う他の言葉も書き写し、それでひーひー言っている自分は、はたしてまともなのか時に不安を覚えるが、これもそのうち出来なくなるのではないか、と思ったりもする。
  さらに、一度読んだ記憶があって、これは2度読む必要はないなど思うことがあるが、こんなことが許されるのか、それはだめだろうなっと思ってやはり2度読む。さらに、一度読んだと思ったのが、実は読んでなかったりする。壊れている。それで、また問題はもとに戻って、今回の薄っすらみえるテーマは、ちょっと専門的過ぎるのではないか、そうゆう疑問が再び湧き、さらにもう一冊のものは、どうも昔は何とかついていけたが、最近はごく普通の読者のことを考えていないのではないか、そうゆう不謹慎なことまで考えたりする。

  夜も更けてきて、冷たい雨が降り続いていて、少し涼しい。秋は、どうも考えがふらふら揺れる。それで、外の景色は晴れているときでも、全体が真っ暗に写る場合もあって、どうにかこのアンバランスな感触が、今日の一枚につながる気がしてきた。



  曇りで、空が白い雲で覆われていると、なぜか全体が黒くなる、そうゆうことを何度か経験しているが、これもなかなか風情がある気もする。どうゆうタイミングで出すかが難しい。



  モノクロームな感じがするが、これをそのように変換するともっと明るい軽い感じになる。これは、いつものカラーで、青空は、青空だけは、なぜかちゃんと写っている。この何か、不可思議なものが写真の魅力で、ときに幻滅もする。

  午前は暑く、午後の後半は、冷たい雨、そうゆうものを出そうとしたが、無論失敗しました。

水の流れがなくなった

2007-09-28 07:27:47 | 散策
  朝の天気、晴れか曇り。少し雲が黄色い。風は南から、乾いた風がまだ吹いている。室温24.5℃、動くと汗ばむ。
  日の出はまだ5時台であって、でも日没も午後の5時台である。分の単位の値までだいたい同じで、それで、太陽の南中時刻は、午前11時42分である。国立天文台の暦のページを参照している。
  南中とは、天体の中心が子午線を(東から西に)通過する時刻と、同じ暦のページに説明があるが、これはちょうど太陽が真南にある時刻と考えていいと思う。真南にあるのなら、その時刻がちょうど12時でないといけない気もするが、これを不思議と思い、何故かその理由を知ろうとすると、これはちょっと大変なことになる。
  太陽暦でも、太陽の南中時刻は12時ではなくいや12時とは限らず、陰暦でも、15日は、満月とは限らなかった。いつの時代にも、なんか妙な感じは付きまとうが、これを納得できるよう考えるのは難しく、妙なものだなという感想を持って終わりにするのがいい、と私は考えている。
  なんか暑くなってきた。今日は雨が降るはずだが、すでに暑い。26℃になっている。
  ラジオのアナウンサさんが鼻声になっているのを聴き逃さなかった。でも、はずれているかも。アナウンサのおられるところは、防音室で、恒温室で、湿度も温度も厳密に管理されている、と想像する。人間も大変であるが、機械の方もそう簡単に壊れてしまっては困る。そのために、管理は厳重で、アナウンサの方の苦労も耐えない。外の気温は激しく変化する。そして、スタジオの中は、いつも環境は一定。この差が、体に影響する。
  それと、アナウンサの方は忙しすぎるんではないか。中にいればいいわけでなく、あっちに行ったりこっちに出たりと、また土、日にも仕事があって、さらに月に2度は東京を往復している。話しを、ときどきだが、聴くとそうゆう風になる。
  あー、ハチャメチャな事を書いている。
  用水なり下水なり、小さな水路なりから、水が消えつつある。これは、もう田んぼに水を送る必要がなくなったからで、そうなると、水が流れているところを見るなり、撮ることが出来なくなる。近くに小川くらいあるはずだが、それがない。一級河川はあるが、どうも私が考えているものは、そこには現われない。
  ゆっくりと、あるいはかなり急に流れている、さほど変化のない水の流れを見ているのは、なかなか楽しいものだ。さらに、この水面に太陽光が当たって、それが反射すると、これをカメラでファイルにするとちょっと想像が付かないものが、写っている。これは、なかなか面白いと思った。現象の解析は無理だが、観察は可能だ。これを、続けてみようと思ったが、残念ながら程々の水の流れはなくなってしまった。こうなると、残るはやはり水玉と木漏れ日だが、これも遅かれ早かれなくなってしまう気がする。もったいない。
  ハチャメチャ続きで終了します。すいませんです。

真夏に逆戻り

2007-09-27 18:54:34 | 植物・花(秋)
  朝の最低気温はきのうより下回ったし、起きて温度計を見て、21℃に足らないので、ホントに暑くなるのか不思議だったが、その通りになった。世の中、わからないものである。
  介護施設にお世話になっている父だが、どうもこのごろ私が誰だかわからないようで、このあたりが少し残念である。しかし、ここの建物にいる時間はないといってよく、介護を必要とされる方、介護をされる方と一緒の時間が長いわけで、これはしょうがないともいえる。
  アルツハイマーと診断されて、かなりの時間がたつが、もはやアセチルコリンの分解を抑える薬も飲んでいない。それにしては、私的な意見だけれども、特にその言動に変化は無く、まったく話しが出来ないわけでもなく、また話しがいつも通じるかというと、これも、いいえで、まーほとんど通じないが、ある程度のところで止まっていると、それが脳細胞の変化の現状だともいえる、いう気がする。特に、積極的に話しかけることもないが、しばらく自分で動こうとする時があって、その時は、ここで毎日寝ていたとか、ここに仏壇があるでしょなど、その場でそうゆう話しをすると、うんうんとうなづく。
  もう少し、運動が出来れば、体の不安定さがなくなるのにと常々思うが、これは思うだけにとどまる。これから先、集団生活では、風邪が一番怖い。こんな丈夫な人は知らないと思っていたが、簡単に熱があると、立てなくなり、動くこともままならない。
  それで、自分の方はどうかというと、それはわざわざ書く事でもなかった。毎日書いている。この暑さが、本物で、気温はゆっくりとだが、予報どうり30℃を超えたという。人事のようだが、やはりここも30℃よりは高そうで、ムッと頭にも体にもくる。なんでこうなるのと言いたい。
  でも、この暑さもこれが最後と思って、あるいはどうぞ好きなだけ暑くなってくれという気もあって、結局何が何やらわからないうちに時間は過ぎた。もの思うこともない。単純に買い物と、支払いと、それと運動をかねていつもの道を歩こうと思ったが、予想以上に暑く、ここは最小距離に切り替えた。熱風の中を歩いている。なんか、やっぱり朝のほうがいろいろなことが頭に浮んでいたが、今はそれがあっさりと消えてしまった。朝に、満月を見たことを今思い出した。それから、一部、もう読まないだろう雑誌も、外に出した。小さく書く。出しただけだから。

  コスモスの花、かなり枚数を撮っていても、そんなにたくさんは出せないし、でも、ここは揺れているコスモスでいってみよう。




  花がそっくり返っている、あるいは追い風でつぼまっている。どっちがどっちかわからない、そうゆうものがここにあって、風の、それと映像の不思議を感じる。



  同じようなもの。コスモスも揺れる季節。
  
  月をある程度、倍率をかけて望遠鏡で見てみると、クレータがへこんでではなく、内側が膨らんで、中が山のように見えることがある。昔の話しだが、それをこの絵を見て思い出した。

ちょい鉄ちゃんのちょっと写、その2

2007-09-27 16:43:39 | 鉄道
  非常に久しぶりに、富山地方鉄道の電鉄富山駅に行って来ました。特に、どこかに行く予定もないので、ちょっとだけ撮らせてもらいました。
  
  でも、久しぶりに、本物の電車の前に立つとやはり感激と興奮があります。
  
  この駅は、やはり夏に、あるいは冬に、剱岳、劔岳、剱岳に向かう山男の方、あるいは山女の方がたが、ピッケルなんぞをさしたでっかいザックを背負ってぞろぞろ歩いてゆく、そうゆう光景が一番似合う気がします。

  それで、幸いというか、1番線から4番線まで、すべてのレールに、電車が止まっていて、これまた感激。
  
  さらに、発車するシーンも撮れて、そのあとに残る長いレールの輝きが印象的でした。




  右から左へ1番線、2番線と続きます。




  3番線、4番線です。黄色と緑の車両もあって、賑やかです。




  2番線の普通”立山”行きが発車しました。これはラッキーの一言。




  電車を見送って、そのあとに残るレールの輝きが、これが好きなんですね。この辺りは、もう少し大きいCCDを積んだカメラで撮りたいところですが、これはまたいつか。

  なお、車両番号などについての詳しい説明は、富山地方鉄道の車両案内のページに紹介されています。

  それでは、またの機会に。

カマキリの居場所、最終章

2007-09-27 07:27:28 | 散策
  朝の天気、晴れ。雲も多いが、晴れ。風はあるが、弱い、穏やか。室温は21℃に近いが、少し足りない。これで、30℃を越す天気になるのかな。
  なぜか長い夜に思えて、月も見たが、この話しは止めておいて、今日も朝はぼんやり何があったか、考えていたが何も思い出せない。
  PCの中のG、という言葉が出ていて何のことかわからなかったが、そこのページに飛んでみるとなるほどあのGのことか、それはすぐにわかった。Gはここの建物の中にもいる、必ず。そして目の前を堂々と歩いたりもする。しかし、これは詳説しない。
  サルスベリ(百日紅)についても、それはどのようなものか、なぜか耳に目に入って来て、なるほどと思った。何が、サルスベリだ、という感想を持った。でも、これが高木なら、確かにサルも滑るかも知れない。しかし、私は、きのう歩いていた大きな道でも、あー、これはサルスベリだ、さらに花は日当たりがいいから満開だなとも思った。しかし、その高さは1mあるかないかで、さらにそれは道のきわきわに植えてあってその横はレールだから、これに気付く人は少ないだろうとも思った。高木のサルスベリを見つけないと。サルノコシカケ、これは、ここにも転がっている。しかし、お猿さんはこんなものに見向きもしない。
  垂涎の的、でもやっぱり”すいえん”って読んでしまって、これは一本負けであった。まずは、そんな言葉は使わないし、よって辞書を引くこともない。パソコンの入力は、まず日本語をローマ字に分解することから始まる。紙に書く文字は、ひらがなで始まる。少し、調子が出てきたが、最近”つ”という文字を必ずtusと打って、これがなおらない。
  高級なコスモスをきのうも見ていた。忙しい。やはり高級で、太陽の方向を向いていた。それから、背の高いコスモスが群生しているところへゆくと、花が少し持ち直して、中級くらいになっている。そこに、タテハチョウ、アカタテハかそれに似たチョウがいて、蜜に夢中になっている。その横に、少し胴のまあるい、背丈の短い、大人のカマキリはいた。これを見た時は、さすがにドキッとしたが、別の同じ種類のチョウが来て、その蜜に夢中になっていたチョウはそのチョウを追いかけ始めた。カマキリは残念そうな顔をして、それで、こちらを睨みつける。このカマキリであるが、なぜかここのモルタルにも張り付いていたが、そのお腹は大きかった。
  鉢に植えてある、ある植物に日が当たらなくなり、仕方なく別ところへ移動させた。そこは、雑草が当たり前のように生えていて、これをむしった。さらに片手では引っこ抜けないものもあり、両手でようやく、なんとかなった。高々、よく出るね、この言葉、10本くらいの雑草をちぎったり引っこ抜いたりしただけだが、どうも両手とも感触がいつもと違う。でも、今朝に見た、その鉢の植物は何だか一遍に大きくなったようである。

もう一つの駅があった

2007-09-26 19:18:43 | 鉄道
  道路の歩道を歩いていて、今、何度くらいあるのか気になった。ちょうどお日様の方向に歩いていて、どうも街路樹もうまく影になってくれない。
  暑いのだろうか、あるいは、ほどほどの温度なのか。天気はいいから、日がかげることはない。風がもう少しあればなー。右を見て、左を見て、それで風を判断し、最後には、信号の変わり目にも注意する。こんなことは久しぶり。信号に向かって、軽く早歩き。うまく間に合った。
  南側の歩道を歩いているが、ときに日が真正面からさして来る。ビルもあるが、空き地もあり、また、少し下がったところにごく普通の建物がある。ここには、立派な歩道はあるが人は歩いていない。私が500mほど歩いた間に、人とすれ違うことはない。少し雑草は生えていたようだ。
  気温が気にかかり、なんとなく目がかすむ。目がかすむのである。それほど暑いわけはない。朝に外に出て、寒くはないが、日が出てなかったら、どうだったろうか。あまり頼りにならない足で、とぼとぼと歩く。それで、ようやく駅の方向にゆく交差点に着いた。ここにも、少しだけ木があるが、あとは何か人工の、例えば柱、の影に入ってあるものを待つ。これが、もし来月ならどう感じるだろうか。暑いか、涼しいか、雨か、そして、もう一月先はどうか。元気な人は、そんなものは探さない。パラパラと人波がある。
  予想より遅く、ライトレール、0600形はこちらに向かって来た。逆光である。大きなビルがある。そのビルのさらに高いところに太陽はあって、これをバックに、ちょっと瀟洒で、思ったより加速性能のある、2両で1編成の電車、昔流でいうなら、ちんちん電車はやって来て、それでちょうど私の前で止まった。
  逆光だからはっきりしないが、どうも車両番号はこれまでに見たものとは違うようだ。ちょうど信号が変わって、瀟洒でかっこいい電車は、90度のカーブを加速しつつ進行してあっという間に目の前を通り過ぎた。この速度に圧倒される。
  北陸本線の下側にある地下道をいつものように歩いた。先回は、大して歩かなかったのに足が棒になった気がしたが、今回は多少歩いたからかそうゆう感じはなかった。初めて、地下道の先を見つめつつ歩いた。長いようで、すぐに南口に出たが、やはりエスカレータを使った。何たること。それで、 
  ふと、いつもは北陸本線のほうに向かうのだが、なぜか少し方向がずれた。呼び寄せられるものはなかった。お店が並んでいて、それからしばらくして、もう一つここに駅があることを思い出した。なぜ、今まで気が付かなかったのか。どうも、幼稚園の園児と先生が、どこかに出かけるようでその辺に座って、先生がしゃべっている。その先に、もう少し先に、忘れていた駅がちゃんとあった。
  富山地方鉄道の駅がそこにあって、何年ぶりかで私はその駅の中に入った。

  毎度の、ライトレールの様子である。書いたように、ちょうど右折する信号のところで待ち構えていたが、なかなか、ミニカメラで撮るのは大変である。焦点を固定し、そうゆうモードを使って、曲がってゆく電車を撮り続ける。



  0605が、交差点の手前で止まる。うまくその色が出ないが、青みがかった緑色である。ここからすぐに右に曲がるが、その加速性能がすごく、



  ただただ、ボタンを押すが、もうこんなところに来てしまった。蛇腹が曲がっていることがわかってもらえるか。



  もう2両目の最後のほうである。早い。これは、ガラスに写っている景色を見ていただく方が面白いかも知れない。
  電車の車両を撮るのもどうも難しく、なかなか思うようなものは出来ない。これは、ちょい鉄ちゃん、だからしょうがないかな。