光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

花ホトトギス

2009-09-30 18:40:46 | 植物・花(秋)
  秋らしい雨が降り、秋らしい最高気温があって、秋の感じは部屋の温度にもあって、
朝の室温より、今の室温の方が下がっているようなので、嬉しいような気もする。
暑いというときもあった。きのうか一昨日、そうゆうときは結構ムッと来るときに、
そのままムッとするが、今日くらいの気温だと、ムッと来るのも、少し我慢出来る。
我慢に入らない、さっとは流れないが、それ以上に停滞するものはなく、人の考えと
いうのも冬に近付くと、さらさら流れるのかも知れず、しかし寒すぎると水も凍る。
瞬間湯沸しはなくなって、さらさらモードで、冬は凍る。
  この秋の感じは、9月の最初もさほど残暑なく、今頃少し前、残暑らしきものがあって、
小さいながら変動がある。全体的に減衰すると思うが、大きな波が来るとなると、
それは減衰では済まず、大寒波になるかも知れず、調和的なというか、さほど中心から
ずれることなく、寒くなってもらえば、大雪の心配はないようで。この今頃から残暑が
復活となると、その反動は大きい。それはない、言い切れないところが苦しい。何が
起こっているか、つかめないし、それだけ、異常だけを見るのも何かおかしな気もある
から、むつかしいとしかいえない。炭酸ガスだけの問題か、ともなる。

  ホトトギスというと、ここでは鳥があって、この鳥の鳴き声というのを聞いたと
いうのは、最近で昔ではない。大体そうゆう鳥がいるかいないか、特に問題になること
なく生きてきて、今頃にその鳴き声から、あーホトトギスがいる、と思う。それも、
ことしはなかった。カッコウはなんども鳴いていて、その姿も呆れるほど見た。
  花のホトトギスも、知ったのはつい最近といって間違いなく、この花も見かける
ことはなかった。なぜかは不明だが、逆にホトトギスの花があるというのが不思議と
いえば不思議である。そこの場所は、あるご家庭で、花壇のようなところで、そこに
土はあって周りはアスファルトだから余計にそこにある、花が目立つ。目立つのは、
そうゆう環境だからというより、いろいろな花も出るからで、そこに出来るだけたくさん
のものが出るように、と考えられたのだろう。

  そうゆう中に、ホトトギスの花を見つけた。最初に花があって、そのときはまずは
花で、その花は秋の茶色い色に照らされているようにファイルでは見えた。実際の、
その場の様子はというと、秋の茶色い色の光というのはなく、ただの午後の透明な光が
あった。しかし、ホトトギスの花は幾分紫があって、で、全体の雰囲気は秋の茶色い光に
包まれているようで、これが不思議といえば不思議である。
  その後、ホトトギスの水色と緑色の空気の中に、淡い赤紫のホトトギスの写真も見て、
ホトトギスだから茶色いわけはなく、ちゃんとした物理的が原因があると、推定された
が、そうゆうものが目の前に現われることはなく、これもしかしないものだから、
しょうがない。

  いくつか道を歩いて、またいくつかの花の咲く場所見て、ことしは早くから、これは
ホトトギスの花、というか花の咲く前のものだというのはすぐにわかった。夏というより
初夏ごろから特有の葉っぱが、出そろっていて、そのものは大きそうでだから余計によく
わかった。しかし花はこれからまだまだだと思って、今はコスモスなどが所狭しという感じで、
席巻している。すると、もうホトトギスのことも忘れるというか、隠れて見ない感じである。

  きのうが雨でというのがゆっくりその辺りの花を眺める機会を作ってくれて、もうと
いうか、今頃忘れていた、ホトトギスの花が目に入った。幸運というもので、もしも
晴れていたら、それも目に入らなかったかも知れない。


  


  咲き初めで、雨の中で、暗めといえば暗い。花の色が淡く、もしかしたら
  見逃すところ。




  ホトトギスの花がもう満開というのが多くて、これだけ蕾が多い状態は
  初めて。見ている限り、この蕾も黒いからか、淡い色にうまく浮き出るようで
  花よりも蕾の空間配置が見事に思える。




  いつものように、チョウのほうも入れて。この日は長めのレンズで、これだと
  チョウもほどほどの距離からでも大丈夫で、しかし数は少なかった。




  花と蕾と、うまく調和がとれてと思えるところ。晴れの天気で、はたして
  水色と青い空間に、この薄紫の濃い赤紫の模様のあるものが現われる
  だろうか。 

雨の小バラなど

2009-09-30 16:12:59 | 植物・花(秋)
  本格的な雨で、また気温も上がらず、秋そのもの。
  最高気温、20.9℃である。

  朝はこのまま曇りかと思うが、そうでもなく、
  出かけたときの帰りが、そのときがもっとも雨が強かった
  ようで、ついてないな、と内心ぼやく。そうゆうことも
  あっていいし、雨に濡れるのも、それもまたいい。

  雨に濡れるのは、ちょっとならいいが、たくさんだとこれは
  御免こうむりたい。この程度の雨でよかった。
  雨に濡れないように、荷物も傘の近くに持つ。多少
  腕の運動にもなる。靴は底の方は、グショグショになった。
  かなりの、雨。


  それに比べてきのうの雨は、雨らしいときは少ない。
  ただ地面はもう黒く、きょうと同じように靴の裏に泥が付いた。

  小雨のバラなど。





  棘もあるし、しかしバラらしい花の感じはない。蕾は、バラ。
  何度も出ている。




  これはいかにも、バラだという花。上のものも小さいが、これも小さい。
  葉っぱの雨粒が見えるか見えないか、の雨。




  朝と同じ、ベニシジミ。チョウそのものだけを、切り取りで出すのが多い。
  これは縮小のみで、このようなところにチョウはよく止まる、ようである。




  小さな花だというのが第一印象で、それに近寄って見ると、どこかで
  見た。それが、花のライブラリだとすぐにわかって。
  調べてみると、ランタナというのがあって、これにそっくりで、この花は
  まだ咲き始めというのもよくわかった。これからのほうが、楽しみな花。


眼鏡のレンズの疵

2009-09-30 06:43:52 | 散策





  朝のお天気は、曇り。雨は降っていない。風は北風、この風は結構強く、隣の街の工場の煙突の煙も、L型に折れ曲がっている。きのう夜に天気情報を見て、あまりいい天気にならないことを知る。秋も長雨のシーズン。暗い。アメダスの6時の気温、19.3℃、気圧は1021.8hPa、湿度は94%。風速は1mとあるが、それ以上のものを感じる。室温は、22℃。

  気温も上がらず、暑くはない。それで、夜も最初から、毛布に掛け布団で眠ることにするが、暑い。寒く感じるのは、最高気温が24℃しかない、あるいは明日の気温は低めとかいうものを判断の材料にしているようで、これもおかしなものだ。結局、掛け布団を横にどけた。いまどきは昼か夕方というときに無性に眠く、それが過ぎると、夜だというのに眠気も来ない。睡眠の何かが変。

  変というと、最近は昔に比べて、PCを見る時間は減ったはずで、しかしやたらモニタを見るのが辛い。モニタの輝度をさらに下げて、色も薄くしている。それでも目が疲れる。画像をカメさんに溜めていてそれのコピーというのをまとめてやるのが、よくはなかった。それ以外にも、モニタの見過ぎがある、と思う。

  眼鏡は、脂性で何度も拭いたり、中性洗剤で洗う。それを続けてきたが、レンズを見ると明らかに白っぽくなって来た。もともとコーティングのない、プラスチックの、安いものだが、これをしみじみよく見ると、細かい疵のようなものが無数に近くある、というのがようやくわかった。疵だらけなのである。
  まだ、このプラレンズの前に使っていた、度の強いものも残っているが、これも長く使ったが、こんなことはなかった。コーティングははげたが、レンズの疵はさほど目立たない。
  プラスチックのレンズというと軽いし、割れないしと思うが、疵はつける気がなくて、しかしつくようで、困ったものだ。見え方にはさほど違いはないと思うが。

  写真:ベニシジミ。

中くらいの秋の花

2009-09-29 18:24:07 | 植物・花(秋)
  秋も小さいのやら、大きいのやら、年をとったのやらある?。あるかどうか、小さな秋は、歌のほうで子供のときから聞いていていかにも受け入れやすい感じがする。小さな秋は、ポケットから1円玉が出て来た感もある。また1円を失った感じもあって、まことに機敏なもので、だから歌にもなるが。秋も中くらいはどうか。きょうは、フェーン現象もおさまって、しかし強い雨は、朝で終り。その後は、普通の曇りの天気で、これに何を付けるとぴったりの秋の感じがするか、中くらいがいいようで、
  中くらいの秋なのである。秋も、9月も終りで、残り2ヶ月。12月は冬。冬の花は少なく、夏と秋が多いようで、ここでの分類も、途中からやっているから、その数はさほど多くない。冬の花、冬の植物というと、なんだろうかと思うが、出てこなくて、せいぜい早春の、フキノトウくらいしか思い付かない。後は早咲きのスイセンくらいか。

  秋の小雨の天気の中、いつものように歩いていたかというと、止まっていたような時間が多かった。あちこちを眺めるが、ゆっくりと時間を使うというのは、お店に行って好きなものを買う。好みのものを、垂涎のものを買うときの時間に似ている。あれがいいこれがいい。これだと、歩くことにならず、実際そうだった。小雨。いいような悪いような、何ともいえない天気で結局ずっと小雨は降りっぱなし。止むことはなかった。こうゆうとき、
  風もなく、また雨に濡れるコスモスはいいものだが、もうほんの少しだけ撮ることにして、他は見るだけにする。道を内心選んでいるが、一番いいコスモスの時間だと思った。雨は少し、そわそわと揺れる程度のコスモスのよさ。

  コスモスだらけで、自分もおかしくなりそうで、実際にもうコスモスはいいという気になる。ところがどうだろうか。こうゆうときにこそ、コスモスはもっとも美しい何かを見せてくれたかも知れない。それを断ち切るように、他の何かを眺めて帰って来た。これだからだめだなーと思う。この壁はかなり高い。
  それから、ファイルを探して、秋の中程度という感じのものを探した。どこに何があるか、その記憶も漠然として、あれがないなど、思うのも多いが、やっていることがおかしいのだろう。

  中くらいの秋の花、植物というのを今度はファイルから探す。これは繰り返しになるが、何がどこにという状態で、全く神経をすり減らす作業で、目も疲れた。





  フジバカマ。他に、赤いちいさな花もあって、それがなんだかわからない。
  ことしは全体的に、フジバカマは小ぶり。




  イチョウ。まだ葉は、黄色くなく、日もよく当たるからかあるいは、
  まだ冷え込みが足らない。
  途中に一部だけ茶色いものが、これは折れた枝?で、ずいぶんと前から
  あった。




  竹は少し前、一昨日に出て、それの日が当たる方向から。葉はゆっくりした
  サイクルだが、1年の間で黄色くなったり、また緑になる。葉が落ちてと
  いうところは見ていない。




  この濃い緑は、セイタカアワダチソウだと思う。黄色い花が出ているのは
  見たのは事実だが、ファイルにはなかった。




  まだ真っ赤な柿の実は見ていない。これは、ほどほどに赤いものがあって、
  空は青い。




  ときどき、あるところ、ご家庭の庭か、それも外向きに咲いている、
  全体としては細い、枝の多いまあるい、それにちいさな花をたくさん
  咲かせる、植物。小さな菊の花に似る。
  花の小ささというのは、遠くからだと全体がぼんやり白く見えるのでは
  とさえ思えるほどで、蕾の数も多く、結構お気に入りかも知れない。

9月の淡い空の記憶

2009-09-29 16:17:59 | 散策
  お天気は、雨が降ったり、曇ったり、
  強い雨は朝だけ、その後はポツポツ程度。
  で、これだと傘など差さない人もいるかも。

  明るいと思っていたが、急に暗くもなる。
  お天気としては、悪くはないが、なんだか、今ひとつなのは
  当然か。

  このところなかった、空の様子。
  空を撮るのは簡単で、たくさん溜まって
  これを見るのが大変になって、今頃あわてる。

  いくつかの、9月の印象的な、空。色は淡いものを選ぶ。
 




  18日、朝。朝焼け。




  同じ日、日の出のころ。




  20日。透明な朝。




  26日、夕方。この空もほとんどなにもない。




  同じ日、たぶん日没のころ。空に白い雲が出てそれが赤く染まった。



 
  28日、フェーン現象の、始まるころの空。



 
  同じ日。フェーンの空、その二。最近このような空というか
  雲の状態を見ていない。ずいぶんと見ないような気がした。


中程度の、雨の朝

2009-09-29 06:53:42 | 散策





  朝のお天気は、雨。ちょうどいい雨の降り方で、これ以上だと大変、これ以下でも、空気の浄化作用はなさそうで、ちょうどこれくらいがいい雨。ようやく、フェーン現象も終わったのがきのうの、夜で、本格的な雨は、今日になってから、時計を見ると12時だった。風はほとんどない。暗い。アメダスの、6時の気温19.1℃、10℃以上下がった。気圧は1018.8hPa、湿度は98%、降水は、1から6mmまでいろいろ。結構な降りっぷりである。室温は、23.5℃。

  毛布で眠っていたが、汗をかいているのがわかった。それくらいに、きのうは暑くフェーン現象の実力を見せてもらった。生暖かいから暑い風にゆっくり変わって、雨の落ちた後のきれいな空気は、ときに月も真っ白にさせる。夜の異常に白い月は、真冬のそれに似ている。
 
  これはびっくり、きのうの地元の新聞に、著者の名前も書名も知っているという、本の広告が一面に出た。出ていた。この本は、他の会社のPR誌だが、ここでも、新書ではないが、文庫の宣伝をしていて、そこの会社の出版物ではないが、結構ヒットしたと、著者自身が紹介したものが出ていて、結構売れるように苦労してという感じであった。売れる本を書かないといけない、専門家の方の苦しみみたいのがあって、そうだろうなー。
  専門書は3000部なんか出ないだろう。出たとしても、ほんの一部で、それでも正確な値というのは企業秘密だから、いくら大学の先生でも、本屋さんの実情というのはつかめない。広告では、どのくらい出るか、出ているかというのは、全然違う値が使われるのが一般的だろうし、専門書はまずは一回広告が出ればいいし、実際に売れた本の数など、その会社の営業の方でも口には出さないはずである。数というのは、それが本当かどうか、確かめることは出来ないものらしい。聞いた話しである。
  一方で、本屋さんは、当然印刷所、用紙会社、製本所、写植関係に、製版関係にデザイナの方、その他諸々に、支払いの期限は決められているから、おおわらわというのはまずは、間違いない。こうゆうことを、一人の人がやるような感じもあって、よっぽどの方でないと、そうゆうことは出来ない、と考えている。その広告の本を買うかというと、もう、書いた人の考えも分かったような気がするから買わない。もっと重要なものは原点の文庫にある。その文庫も買うかいうと、買わない。置く場所もないし。それだから、PR誌を買う。申し訳ないと思うが、それで精一杯。

  雨が降る。これでひとまず、籾を燃やすその煙のあの耐えられない、焦げ臭さから開放される、と思う。きのうはうちの中のほうが、この悪臭が濃く、参った。新米はおいしそうだが、籾を焼くあのこげた臭いは、なぜかたまらなく、嫌。 


  写真:白いコスモス、後ろにフジバカマがあるとわからないときの
  そのものだけ。白いコスモスのみ。  

空に溶け込みそうな、コスモス

2009-09-28 18:49:19 | 植物・花(秋)
  花は、コスモス。これで決まって、他はというと、フジバカマ、これはゆっくり
目で咲き始めていて、あとは鶏頭、秋の鶏頭も、あちこち咲いているが、ここには
ない。秋のバラ。見かけなくないこともないが、今はぱっと見。地面の乾きが目
だって、乾燥に弱い花は、元気がない。キバナコスモスも、お気に入りかも知れない
シュウメイギクも、咲かないようなところもある。
  それに比べて、コスモスは、夏のある時期までは、先が思い遣られる感があったが、
今は全盛でこの世の秋、という感じで、ただコスモスも雨に打たれる、あるいは暗めの
コスモスというのもいいので、それがいつになるか、しかしそれも偶然を待たないと
いけない。

  最近の失態というか、失敗は病院での気色の悪さで、それの前兆見たいのは、
過去を振り返るとあったような気がする。シルバーウイークというのも、これは曲者で、
いい感じはなかった。ダラッとしていいようでそうでもないし、正月というのもどう
過ごしていいか最近はわからないが、それに似て、いい加減休みを続けるのも勘弁
してほしい。

  病院に行くときというと、これもおかしいと考えるのは普通だが、例えばそうゆう
ときに限って天気が悪いというのがある。これは、その反対が多かった。だから、
冬のという場合、大雪が降るときもあって、その日も大雪で、というときもあったが、
それに比べてその前後のほうが悪いというときもある。結果としては、雪が降ろうが、
多少は渋滞しようが、その前、その後はもっと悪かった。
  それが最近、行く日となると、雨だったり、大雨だったり。こうなると、何か
この先もそうなるのではと考えることもある。高が病院だが、されど病院で、
それだけで済まないしなー。それが二度、三度続く。調子というか、呪い、あるいは
占いみたいなものを自分でやってしまう。結果はいいはずがない。
  最近の失態、郵便局で、これは間違えそうだ、というのがあって、前もって練習も
し、結果やっぱり間違えた。番号を右寄せというのもすでにわかっているが、いざそこで、
書くとなると、二つでなく一つだが、桁の位置を間違えた。この感触は「おねしょ」をした
ような気色の悪さがある。これも間違えそうだ、と思って結局間違えた。こうゆうものは
続くようで、今日もあれだけ、忘れず郵便物を投函すると言い聞かせたというのに、
忘れた。何とも、気分の悪さが付きまとう。

  自分も年齢が、いい歳になる。物忘れは人並み以上で、記憶力もない。父が亡く
なっていろいろ事務手続きをしないといけなかったが、それも間違えつつどうにか
終わった。かのようで、そうでもないかも知れない。まだ、そのときは幸運というのが
あった。すでに母も認知症であったから、結局いくつかの、と言っても二十面相で
はない、顔を持たないといけなくなり、それらがごっちゃにならないように、それこそ
なんども練習とか、コピを使って間違わないようにした。それをやらなくなって、
かなりになるが、「その後」というのは、そう簡単には終わらない。
  人の記憶というのは、どんどんと減る。怪しくなる、作る。うらやましくも思え
るときもある。何も覚えてなくて、といえる人はうらやましい。しかし、そうゆう風に
ゆかない、時代で、すべてに認証がいるし、それを悪用する事件、というか犯罪は必ず
増える。ややこしい時代で、小さな間違いで済んでいるが、これがいつ大問題に
なるか、考えると不安。これ、不安にも時代は非常に!敏感に反応する。

  あまり、細かいことは書けない。書かない方がいい。どうなるか、結局最後は、
誰にもわからない気がするが。


  それで、相変わらずのコスモス。

  大きさを間違えた。ここは、もう少し小さくするところ、出すとしたら、一つ前で、
それも間違えた。




  空中に向かう、コスモス。自分の位置を下げて。




  紅白の、空中コスモス。




  向こう側の緑があって、うまく白い空、実際は青空だったはず、に白と赤の
  コスモスがうまく映えた。




  色が強いが、印象的。



 
  印象派。




  風が、向こうに青い空の、穴を創った。



ウラナミシジミの、一人かくれんぼ

2009-09-28 16:11:23 | 虫、その他
  朝から何度となく、まずは郵便物をポストに入れて
  それから買い物する、と言い聞かせた。自分が自分に。

  それでそのときも来るが、まずは郵便物をバッグ中にもう一度
  見直した。
  それで、呪文のように、郵便物・・・、はなかった。
  そこにまずはお店が見える。ポストは少し小さく
  一台の車が、前を横切った。それゆえか、
  なぜか郵便物のことを忘れた。
  お店で、もう一度郵便物があったことを思い出だした。
  危ない危ない、それで支払いする、するといつもの癖で
  お店を出ていつもの方へ。郵便物のことを完全に忘れた。

  何たること。戻って、まだバッグに入っている、郵便物を見て
  呆れた。自分に、ここまでおばかになったのか。
  もう一回行って、帰って来て大反省はない。

  人の悪口ばかり書いて、この結果。
  気温は3時までで、29.9℃まで上がった。これも原因かなー。
  しかし忘れそうだ、と何度も思うのは、当たった。
  分解しそうである。


  朝のウラナミシジミとは違う、もう少し新しい時間
  またウラナミシジミを探して、どうにか見つかるが、
  花の中に沈没しているようで、面白くないと思うが
  見てみると、出たり入ったりで、これはかくれんぼみたい。

  それで、順番に、見て下さい。




  その一。落ち着いた感じで、蜜を吸っている。ここまでに
  すでに何度かボタンは押した。




  その二。




  その三。ちょっと出た。




  その四。




  その五。再び、花に沈没する。この花の匂いというのを初めて感じたが
  これがすごく甘く、いったいこの甘さのもとは何だか、興味もある。




  その六。また出て来た。  




  その七。




  その八。




  その九。隠れそうで、隠れない。




  その十。また最初の、花に戻って、沈没。

  お疲れ様でした。
  こちらも疲れたけれど。  

生暖かい、朝、小雨。

2009-09-28 06:43:33 | 散策



  朝のお天気は、曇りで、先ほどから雨。弱い雨でこれではスズメの涙程度だから、観測値は、0となるだろう。雨の降る音が聞こえるくらい、降って欲しい今。湿っているが、空気は濁っているように思う。薄っすら、北アルプスも見えているが、一雨ザッと欲しい。風は南風のようで、あちこちから入ってくる。弱め。アメダスの、6時の気温、23.2℃、高い、気圧は1017.0hPa、湿度は62%。室温は、21.5℃。

  朝一番にゴミを出してきたが、そのときの感じは、寒くもなく暑くもなくて、湿気は感じず、しかし空を見るとこの後は雨だと思った。

  母に、朝一回、アリセプトを渡している。それ以外に、お腹の薬、整腸作用のあるもの、ラグビーというスポーツに似た名の薬もときどき渡す。外に出かけないといけないというとき、何度もトイレにいきたいようなので、最近お医者さんがこれを出してくれた。父を見舞いにゆくときも、そして病院でも、よくトイレにいきたいと言っていた。で、この整腸剤は何となくだが、効きそうになさそうで、それでもこれも渡していると、そのうち、ある日、突然なくなったようである。
  驚いたのは自分、私で、もともと二週間分しか出ていない。足りなくなるのは当たり前だが、最後のもうないなという、記憶がない。落っことした可能性もある。なくしたかも、という嫌な感覚。

  それと反対に、見つかったというのが、電波目覚ましの使用説明書。このぺらの紙をいつも、他のファイルの一番最初のところ、あるところだが、に置いていて、いつの日かなくなった。あれーないな、また時計の調子がおかしく、その説明書を探すが、ない。諦めて、他にも同じものを買ったからそっちの箱から説明書を取り出した。

  そのことをまたきのう、思い出してやはり、ないというのはおかしいと思い、寝る前に探し始める。まだ眠るのに早かったからでもある。それが出てきた。なんと、腕時計の説明書と一緒になっていた。こちらの説明書はすぐにわかるが、そこの中に明らかに自分の意思で、電波目覚ましの説明書を入れたのだ。同じ時計だから、わかりやすい、そう思った。しかし、その記憶はすぐに消えた。
  こんなことやっていると、気も変になりそうで、しかしやはりあるものはある。溜息。

  写真:晴れの日の、きれいな花と、ウラナミシジミ。このシジミチョウが、
  今は一番、撮りやすいかも。

今頃の、ヒガンバナ

2009-09-27 18:45:11 | 植物・花(秋)
  一番に、コスモス見学も一段落して、次に目に入るものというか、気になるというのがヒガンバナだったりするのは、歩いているところにその花が今も咲いているから。それがない、と、ここのものもそうだが、もう咲いていないし、花も散った感じがあって、目にも入らない。もっとどうでもいいような、雑草の方が色濃かったりするし、またそういえばこうゆうものも、というのはセイタカアワダチソウ。そうゆうものも、黄色い色を出して来る。
  今はというと、記録のため日々の小道具のため、どうしてもファイルがいる。これが必要なかったころは長く、まだブログも3年とちょっとだが、その前の云十年はカメナシとはいかないが、フィルムカメラも使わなくなって、少なくても20年くらい、四捨五入すると、たっているような気もする。
  フィルムカメラは、せいぜい、年に何回か、どこかへ行ったというときに使った。もう少し時間を遡ると、月に一、二度使って、一回に使う量はせいぜい36枚撮りで、3本がいいところ。ポジを使ったが、ピンはぼやけてそれを印画紙に焼くのは、そうとう少ないもので、いくつか今も残る程度。
  それが今はどうか。呆れる。

  カメさんと歩くのは、ウサギと同じで大体くっ付いてまわる。歩かないと、そうゆう場面に出くわさない。わざわざ、新宿のカメラ屋さんに、フィルムを買いに行く。これのための、交通費は余りかからなかった、と思う。せいぜいもう一本買えた程度、いやもっと少ないか。それから、どこかへ歩きにといった帰り、同じような大型の店で、ポジは買えた。やっぱり安いから量販店に行った。でも今は、その春の時期に咲く花の名に似ている、お店もあまり聞かない。
  歩くのは得意ではない。これはすぐにわかった。せいぜい出かけて、これはまー郊外に出かける、私鉄沿線に乗って出かけて、そこから歩いた。もう名前もはっきりしないが、森林公園というのも、東武東上線の近くに出来たときがあったが、その最寄の駅から、森林公園までは歩いた。その中も歩いた。帰りも、歩いて駅まで戻った。その程度の歩く能力で、一日に歩けるのは、平地でせいぜい15km、そんな歩いていたか、今でも疑わしい。これは大きな数字で、せいぜい10kmくらいではなかったか。

  偏平足だといわれた。そのようなことは別にこたえないが、O脚というのも、恐らくその反対も、これは困り者で、もっと前から、これは奥多摩の大岳山に登ったときの途中から、膝の外側が痛くて歩くことが大変辛くなって、泣きそうになったこともあるから、情けないものの一つ。もう少しでバスに乗り遅れるところ。こうゆうことがあると、山も低山から、丘陵となり、それが平地になって段々と歩く距離も少なくなるのは事実のようだ。その後は
  もっぱら平地歩きが主になったが、これも当然で、でもこれもそれなりに、低い山歩き以外の楽しみもあるから、捨てたものではない。結構これをやった。

  なかなかやりづらい。もう少し今のことを書けばと思う。が、書ければと思うが、書いたところで、どうにもならない。せいぜい2、3行で、今日は、近くのお寺まで歩いて、それから散歩道に戻りました、で終わるのを、少しだけ、膨らませているのである。そのような必要もないようだが、せいぜい、歩かなくなった変わりに、昔のことを忘れないように書いている。だから、大体同じようなことが年に繰り返され、またそれがより頻繁に起こるようで、また同じことを!といわれそうだが、だから、やりにくいなーと一人勝手に思っている。

  今頃、お寺にヒガンバナ。  




  もう10月だ、10月に近い。というのに、ヒガンバナは咲いていて、
  これを見て、記憶から消えない。




  それだから、ここをスタート地点にと思う。ナンテンの下にあり、フキも
  あれば、キカラスウリも咲くという、ところ。だからここは春も出るし、
  夏のキカラスウリもここが一つだし、ナンテンでも出る。




  ナンテンの緑の葉も濃く、これとヒガンバナの組み合わせも悪くはない。




  ヒガンバナの花の最後で、これからしばらくして、消えてしまうようだが、
  来年の春ころ、初春から緑濃い細い葉が出る。




  大きな竹。




  春はタケノコだったが、今はどれがどれかわからない。大きな竹で
  しかし年にときどき枯れそうになる。また緑が濃くなる。切られて
  最後は、何かになるのか、それが積んで置いてある。