光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

目の前を巨大なイノシシが走った山

2006-09-25 19:15:10 | 想い出
  もう秋、秋本番なのかも知れない。こちらでは、山には近いが、住宅地でクマが出て、今日は怪我をされた方も出た。私は、イノシシが目の前を走った山を思い出した。
  20世紀の話である。東武東上線池袋駅に立っている、時間は朝の6時台である。寄居方面に行く電車はすいていたはずだ。寄居まで行く電車は限られていたかも。始発ではないが、それに近い電車に乗る。小川町まで乗り、そこから笠山さらに堂平山を目指す。
  笠山のことは知らないが、堂平山には、東京天文台・堂平観測所があることは知っていた。まー観測所にいったら、中を見せてくれるだろう、そんなことは思わない。ほどほどの距離にあり、低山ではあるが二つの山を登ることが出来る、これが魅力だ。しかし、小川町の駅から登山口までかなり距離があり、バスに乗ることも考えないといけない。
  笠山・堂平山には2回いった。最初は、小川町の駅から歩いた。舗装された道路を歩いた。地図を見て、山道に入る。なんとなく、人に会ったような気がする。笠山の最後の急登はきつい。頂上に人がいて少し話をしたが、堂平山まで行くつもりだったので、すぐにまた下る。しかし、このときは、天気が怪しくなり、堂平山への登りで、降りてくるグループもあったので、元に戻り白石のバス停に急いだ。
  2回目は、たぶん”学校入口”まで、バスに乗った。降りたのは、私一人だけだった。笠山の急登で相変わらず息をきらし、しかし堂平山を目指した。峠を越えて上りにかかる。しばらくして、黒い物体が目の前を横切った気がした。かなり大きい。大きかったようだ。さすがに、ドキッとしたが、もうその姿はない。ふと山道の脇を見ると、何故か、ササか、小さいタケ(竹)が、斜めに切られていた。その先は尖っていて、まるで鋭利なナイフのようである。これには、もっと驚いた。
  堂平山の頂上に着くと、そこには、たくさんの人がおられて、なんとなく公園のようである。気が抜けた。しばらくして、黒い物体はイノシシであり、タケが先を尖らせて切られていたのは、イノシシなどが山道に入り込まないようにするためだろう、と思われた。
  話は、長くなりそうだが、肝心なところは、終わった。当時の池袋駅の東武鉄道の案内所には、ここを捜すのがひと苦労だった、沢山の山歩きのパンフレットが置いてあり、貧乏性な私は、東上線に乗った帰りは、ここによってすでに持ってるものも、またもち帰ったりした。さらに、比企丘陵あるいは外秩父全体の大きな地図も用意されていて、50kmくらいのコースが表示されている、これも、参考に頂いた。

  山の話は終わって、おまけのヒマワリ。また、ヒマワリか、といわれそうだ。そのとうりなんです。種のできる部分が、透過光がうまく入って、ちょっとよくわかる、そうゆう感じがしたもので。これが、また大きい。
  


  お疲れ様でした。  

お猿さんに囲まれた山

2006-07-18 19:24:48 | 想い出
  いつもの昔話である。毎日雨の話、ではどうしようもない。
  ぐるぐるとタイムトンネルをくぐる。奥多摩に行く場合、御茶ノ水駅でちょうど朝の7時くらいの電車に乗る。たぶん赤い、当時。それで立川で、青梅線に乗り換える。青梅線に乗ると、山歩きのスタイルの人が増えたと思う。軍畑、御嶽、降りてゆく人を見送る。今日は終着まで乗る。
  奥多摩駅まで電車に乗るというのもナカナカないことである。なんとなく切符を有効利用した感じ。当時、奥多摩フリー切符というのがあった。しばらくして、おしっこも済ませて、人が少なくなってから、奥多摩駅の写真など撮る。それがどっかにある、そう思う。多くの人はここより先、バスに乗ってさらに奥深く入って行く。私は、地図を開いて、目的の道を探す。
  奥多摩駅のちょうど真北にある山、本仁田(ほんにた、ほにた)山が目指す山、たぶん千メートル以上あったと思う。高さは、問題ではないが、この数字にこだわるのがおかしい。当時でも、すでに舗装された道を最初は歩いたと思う。ただ、どこから、山道になるのかを見つけるのが少し難しかった。それらしきを見つけて、あとはただ登るしかない。ある程度行くと、はっきり登山道であることは分かる。ただ、人の姿はない。上に向かってるから大丈夫だろう、そんな感じだ。
  私は、この本仁田山に、二度登った。奥多摩駅まで電車に乗れて、駅からすぐに登ることが出来る、これがよかった。そのうち、一回、”お猿さん”に出くわしたのである。1時間以上登って、しばらくすると、なにやら、忍者の気配がした、そう思った。目を凝らすと、お猿さんである。へー、ニホンザルか、2、3匹見つけてそう思う。さらに、もっといることに気付いた。ずらずら、10匹か。その周りに、さらにずらずら。はてさて、どうしたもんか、実際のところはむろん忘れているが、お猿さんは、どう思ったか知らないが、何事もなくそこを通過することが出来た。
  その後に、もっと大変な急登が待っていてどうにか頂上に着いたとき、私はたぶん、お猿さんの事を忘れている。
  不思議と、頂上には人がいた。2回登って、2回ともすでに登っておられた方がいた。
  帰りは、川乗山の方へ下る。あとは、鳩ノ巣駅に向かって下るばかりである。途中、道が怪しくなって変な坂を下ったこともあったが、最後は同じところに出た。青梅線の線路が見えたときは、さすがにほっとした。

  21世紀の今に戻る。植物の葉に小さい虫がいると、それを必ず撮っておくようにしている。実物は小さいが、PCのモニタで見ると、結構面白いとゆうか、カメラでしか分からないものがある。
  甲虫、1cmあるかないかの大きさ、触角を見て少し感激した。除雪のブルドーザを想いださせる。


ひざが痛くなって懲りた山

2006-06-26 19:19:03 | 想い出
  青梅線の始発駅は、立川である。物すごく昔の時刻表を見つつ書く。御茶ノ水駅から立川へ、そこで青梅線に乗り換えて、御嶽駅で降りる。さらに、バスに乗り、降りて、ケーブルカーの駅までエッチラ少し走った。そんな人はナカナカいない。
  奥多摩の、低い方での代表的な山といえば、大岳山だと思う。御嶽山は、何回も行ったし、そこから鳩ノ巣側、あるいは日の出山を経由して、武蔵五日市駅まで歩いた事もあった。しかし、大岳山はどう考えても、楽には行けそうにない。それで、バスもケーブルも使って、ただ頂上へは登りたい、後は、馬頭刈尾根を下る、そうゆう作戦で行く事にした。
  大岳山荘が見えて、そこから急登の続く深く削られた径を歩いた。不思議とピッチは落ちない。それで、頂上に着いた。見晴らしは、よくなかったと思う。すでに沢山の人がおられた。で、山歩きの楽しみというか苦しみというか、後々思い出すことは、どちらかといえば苦しかったことなんだね。それが待っていた。
  歩くには、自分のペースもあるが、よく似た感じで歩いている、他のひとも、いい指標、ペースメーカになる。そうゆう人を、私は、頂上に行く前から決めていた、が。岩登りの練習場みたいなところもあった。この辺りもにぎやかで、ここから下るグループもいた。私は、地図を見、計画どうり、馬頭刈尾根を下る。逆に登るようなところもある。この辺りから、そのペースメーカさんとも会わなくなってしまった。
  時間の余裕はあるようでない。軍道へ下る分岐に出た。それで、そのころから、すでにひざが痛くなっていた。腱鞘炎というのがあるが、それがひざで起こったのである。O脚なんですね。今もそうだけど。
  小学校の校庭みたいなところに出て、さらに、武蔵五日市に行くバス停も見えていた。径は舗装されている。しかし、痛くて、なかなかバス停に着かない。
  まー無事に、バスに乗って、五日市駅に着き、帰ってきたけど、その後しばらく痛くて痛くてかなわなかったです。それで、大岳山に登った想い出というより、痛かった、その代表的な出来事として、私の脳裏の片隅に今もしまわれてるわけです。

  現実に戻って、21世紀の話です。ガ(蛾)だろうけど。



  毎度のアジサイの葉に、蛾、だろう、が止まった。普通に何気なく撮って後で見ると、小さい(2cm足らず)が、その背中を見ると、何かがいますね。まー、よくあることかもしれません。

東大付属日光植物園

2006-06-14 07:44:21 | 想い出
  昔話、19XX年 XX月 XX日、私は、東武日光線北千住駅で、日光行きの快速を待っていた。
  千代田線北千住駅からそのまま歩くと、東武のプラットホームに出た。他の人の多くは浅草方面へ、私はその反対の方へ行く、何となくくすぐったい気分。
  時刻表どうり、電車はやってくる。むろん座れた。車掌さんが来て、私は、わざわざ定期など見せ、北千住からなど言って日光までの切符を求めた。しかし、当時、浅草からでも北千住からでも、日光駅までの料金は同じなのであった。
  日光駅に着く。そこから、旅のガイドブックなど見つつ、東大日光植物園(当時)まで歩いた。他にそうゆう人はいなかったと思う。面白くない道を歩いた。有名なところへ行く分岐を通り過ぎてどうにか植物園を見つける事が出来た。
  まーなんて古風ないり口と建物。おじさんがいて、入場料を払って中に入った。どうも私以外、誰もいないようだ。なんか、説明見たいなものがあったかもしれない。恐る恐る歩いた。暗い。よーく探さないと、花らしきものはない感じ。何しろ、いるのは私一人だ、おそらく普段もそうなのだろう。昔のまま、それを残しておくだけで十分かもしれない。
  それでも、私は、初めてエクタクローム100などを使ったような気がする。暗い中、小さい花や暗いところを所を好む植物を撮ってみた。後で出来上がりを見たが、ピントが合ってない、ぶれているそうゆうものが多かった。そのフィルムはまだ残っているはずだが、おそらく見る事はないだろう。
  一人かと思って一回りしたころ、なぜか女性の団体にお会いした。さらに、私がカメラをぶら下げていたからか、ある人が、カメラとフィルムを持って近づいて来た。フィルムの入れ方がわからない、と言うのである。そのカメラ、今までに見た事ない、その後も見た事ないという代物で、さすがに私もその時どうしたか忘れた。ただ、見た事のないカメラを見た、だから、こんな事を記憶しているのだろう。
  帰る時刻だ。日光駅の料金表を見て、北千住まででも浅草まででも、値段は同じという事を知ったようだ。その後も何回かこの駅に降りた。しかし、日光植物園に行ったのは、この一回だけである。