光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

ススキ、9月30日

2006-09-30 18:46:52 | 植物・花(秋)
  気温が上がってきた。長い道を歩くのはちと面倒な気がする。できるだけ短い距離で、さっさと帰ってこよう。
  田んぼの風景を撮りたいと思ってそっちに向かったが、途中で農作業車の整備をしてるようで、そこを通れないことはないが、なんか違うなというものを感じて、方向を180度転換する。こっちにも、イネ刈を済ませた田んぼがあるかもしれない。歩くと、直射光がもろに当たる。暑い。そうゆうことは予想できたので、日傘を差す。
  特別な道ではなく、たまには歩く道だが、そこの田んぼは皆ダイズが植えられていた。しょうがないな、なるべく遠くに行かずに、まあるく歩いて車のよく通る道に戻る。少し、にんまりしたのは、その道路沿いに立派なススキが生えていたこと。ここに、立派な”ススキが原”がありました。車道の横に歩道みたいのも少しあるが、カーブしてるので急ぎ足でススキの生息地に行く。10mくらいである。道路から離れて、立派なススキを見て少し感動する。色々探してみると、まだまだ何かがあるなー。
  ここで、私は、画像ファイルをまだ送ってないことに気付く。下書きで投稿することにする。しばらくなかったが、これが、また増え始めた。弱ったもんである。



  ススキだと思うけど、こんなに見事なススキを見るのも久しぶりである。昔のことは、忘れているが、絵に書いたような光景である。



  もう少し移動すると、尾花がさらに成長したと思われる、ふわふわの花穂を見つけた。もしかしたら、別の植物かも知れない。ススキの仲間は多いだろうし。でも、ここでは、やはりススキという事にしておきます。この向こうに、コスモスも咲いていて、かすかにその色がうかがえるが、そんなことはどうでもいい事だった。短いコースで、いろいろな物を撮ってみたが、ほとんどがすでにここで紹介してるもので、でも、また、再登場という事もあるかも知れない。

  昨日、”水星”のことを書いていて、水星が太陽面を通過する現象についても触れた。今朝、いつものとうり”国立天文台”のページをたずねて、”暦計算室”に立ち寄ると、なんと今年”2006年11月8日”に、その水星の太陽面通過が起こることが記されていた。たぶん、もう少しすると、はでにアナウンスされると思うが。
  国立天文台のトップページにいって、暦計算室のページに飛びます。暦要項という箇所があります。そこの一番下の所に、”日食および月食、水星・金星の日面経過”という小項目があります。ここの説明文をたどると、”2006年の水星の日面経過”の詳しい説明にジャンプすることが出来ます。

  追記:国立天文台の暦要項に記載されている、2006年11月の水星の日面経過の時刻は、世界時で表示されています。日本時間に直すと、+9時間となるので、日本で日面経過の起こる日付けは”11月9日”になります。(10月1日)

シジュウカラ(四十雀)

2006-09-30 07:32:35 | 散策
  朝の天気、晴れ。薄い靄がかかっている。風はない。室温20℃。
  朝、よくとおる、しかし表現するのは難しい鳥の鳴き声を聞く。モズでもないし、ヤマバトでもない。窓を開けて辺りを見回すが、それらしきものは、見つからない。電線に、一羽、小鳥がとまっている。双眼鏡で見ると、それはシジュウカラ(四十雀)であった。電線にシジュウカラは珍しい。
  昨日、このシジュウカラを見た。シジュウカラはやって来るが、その季節は、初冬のイメージが強い。いつも、落ち着きなく、ピコピコ動き回っている。いつもはどこにいるのかね。一羽いるとその回りに必ず3、4羽いるものだが、今のところは、何羽いるのかわからない。
  奥多摩の入門の山といえば、高水三山が挙げられるが、この山にはよくいった、お正月にこの山で、山のお寺で聞いたシジュウカラの鳴き声は特によかった。何しろ、氷がはっていた。人はいたが、騒音はない、空気も澄んでいる。まさに、シジュウカラのためにある空間であった。このシジュウカラの鳴き声で、はっていた氷が割れそうな感じがした。
  シジュウカラを見ることが出来たのは、その鳴き声を聞くことが出来たのはよかったが、相変わらず、蚊に悩まされる。この部屋に、必ずいるようだ。終わり方が、難しい。

続・7つの天体

2006-09-29 19:25:45 | 星空・天体・宇宙
  7つの天体とは、太陽、月、水星、金星、火星、木星、土星のことである。”7つの天体”というタイトルの続きです。しばらく、放置していました。
  古代の宇宙像というと、ギリシアの哲学者、天文学者が考えていたものが挙げられる。彼らの宇宙像は、地球を中心に、月、水星、金星、太陽、火星、木星、土星の順番に、それぞれが球面、あるいは球殻に存在し、くっ付いているといった方がわかりやすい、その球面が回転するというものであった。いくつかの『本』を見ましたが、この順番は同じです。
  私が、不思議に思う、思ったのは、何故、月の次に太陽が来ないのか、並び方の順番が、何故、月の次が水星なのか、その次が金星なのか、という事で、それ以外に特にありません。どうも、大きく出すぎました。
  お月さんや太陽のことについては、前にちょっと書きました。動きからいうと、月ははっきりしている。大きさからいうと、月と太陽は同じくらいで、地球から見ると、天体の位置の順番からいうと、次は太陽がきてもいいはずなんだが。
  水星かー。私は、水星を発見しましたという人は、いない。本を見ていても、水星の発見者は書いてない。昔から、知られていたということでしょう。うーん、どのくらい昔からか、興味がありますね。さらに、私は水星を見ました、と言う人も少ない。見ていても話さない、そうゆう人が多いのかも。
  水星は、内惑星である。つまり地球より内側を公転していて、その軌道半径は、地球の40%くらい。正確に書くと軌道は円より”楕円”に近い。大きく離れて、40%という事。これだと、地球から見ると、太陽からあまり離れない。昼間は見えないから、日没後か日の出前のわずかな時間しか見えないことになる。
  ずいぶん昔に、水星を見ようという雑誌の記事を見て、夜明け前に探したことがある。月と同じで満ち欠けがあり、その光度も変わるが、運がいいとマイナス2等級になる。このときは、見えた気がした。しかし、その話はしていない。最近では、今年の6月に、夕空で、東方最大離角(太陽から一番離れて見える)になって、探したが、見えなかった。
  水星を一番わかりやすく見る方法は、水星が太陽面を通過する現象を観察することかもしれない。むろん色々な装置もいるし、これは専門家がやってくれることを拝見するしかない。
  水星を見ることが如何に大変か、個人的な体験から書いてみた。この事を判断の基準にはむろん出来ないが、それにしても昔の人はどのようにして水星を発見していたのか、また見ていたのか。あるいは、宇宙像として、何故、月の次に水星を配置し、さらに金星を配置したのか。この辺りの不思議さと洞察力のすごさには、ただただ脱帽するしかない。
  
  何だ、これは、というものを載せます。9月25日の月齢3の写真です。



  この話に、蜘蛛の写真はさすがにあわないので、少し前に書いた手持ちで撮った月齢3の写真です。当日は雲もあり、ご覧のとうり、右上にある”月”も細く、淡く、少し赤みがかっています。これを見て”三日月”のイメージはわかないなー。ずいぶんと、ソフトをいじくりまわして、どうにかそれらしきものが見えるようにしました。35mm判のカメラで82mmくらいの焦点距離です。ただし、ここに納まるようサイズを小さくしてあります。

目の前を巨大なイノシシが走った山

2006-09-25 19:15:10 | 想い出
  もう秋、秋本番なのかも知れない。こちらでは、山には近いが、住宅地でクマが出て、今日は怪我をされた方も出た。私は、イノシシが目の前を走った山を思い出した。
  20世紀の話である。東武東上線池袋駅に立っている、時間は朝の6時台である。寄居方面に行く電車はすいていたはずだ。寄居まで行く電車は限られていたかも。始発ではないが、それに近い電車に乗る。小川町まで乗り、そこから笠山さらに堂平山を目指す。
  笠山のことは知らないが、堂平山には、東京天文台・堂平観測所があることは知っていた。まー観測所にいったら、中を見せてくれるだろう、そんなことは思わない。ほどほどの距離にあり、低山ではあるが二つの山を登ることが出来る、これが魅力だ。しかし、小川町の駅から登山口までかなり距離があり、バスに乗ることも考えないといけない。
  笠山・堂平山には2回いった。最初は、小川町の駅から歩いた。舗装された道路を歩いた。地図を見て、山道に入る。なんとなく、人に会ったような気がする。笠山の最後の急登はきつい。頂上に人がいて少し話をしたが、堂平山まで行くつもりだったので、すぐにまた下る。しかし、このときは、天気が怪しくなり、堂平山への登りで、降りてくるグループもあったので、元に戻り白石のバス停に急いだ。
  2回目は、たぶん”学校入口”まで、バスに乗った。降りたのは、私一人だけだった。笠山の急登で相変わらず息をきらし、しかし堂平山を目指した。峠を越えて上りにかかる。しばらくして、黒い物体が目の前を横切った気がした。かなり大きい。大きかったようだ。さすがに、ドキッとしたが、もうその姿はない。ふと山道の脇を見ると、何故か、ササか、小さいタケ(竹)が、斜めに切られていた。その先は尖っていて、まるで鋭利なナイフのようである。これには、もっと驚いた。
  堂平山の頂上に着くと、そこには、たくさんの人がおられて、なんとなく公園のようである。気が抜けた。しばらくして、黒い物体はイノシシであり、タケが先を尖らせて切られていたのは、イノシシなどが山道に入り込まないようにするためだろう、と思われた。
  話は、長くなりそうだが、肝心なところは、終わった。当時の池袋駅の東武鉄道の案内所には、ここを捜すのがひと苦労だった、沢山の山歩きのパンフレットが置いてあり、貧乏性な私は、東上線に乗った帰りは、ここによってすでに持ってるものも、またもち帰ったりした。さらに、比企丘陵あるいは外秩父全体の大きな地図も用意されていて、50kmくらいのコースが表示されている、これも、参考に頂いた。

  山の話は終わって、おまけのヒマワリ。また、ヒマワリか、といわれそうだ。そのとうりなんです。種のできる部分が、透過光がうまく入って、ちょっとよくわかる、そうゆう感じがしたもので。これが、また大きい。
  


  お疲れ様でした。  

本格的なウォーカー

2006-09-25 07:30:55 | 散策
  朝の天気、晴れ。ほぼ無風。高層の雲、オーロラのようだ、見方によっては。室温19.5度、外気温アメダスでは14℃台である。
  窓から、少し離れた、農道に黒い衣装の人の姿を見る。チラッと見ただけで私は、顔を洗いにゆく。
  しばらくして、パンを齧りつつ、先ほどのチラッと見た、黒い衣装の人について考える。農道か、昔は、2台の車がすれ違うときは、スピードを緩めて互いに譲りあってどうにかなった。知らないうちに2車線になり、農道とは名前だけで、今は普通の車が、通勤に使ってるし、ダンプだって通れる。これは、余談だった。
  農道を歩く黒い衣装の人。歩行者、これだと通じるものが違うから、ウォーカー、珍しく最後に棒を付ける。ウォはwhoと打つのか。知らなかった。ウォーカーは沢山いる。この方は、本格的ウォーカーである、と遠くから思った。交差点を過ぎていて、この方が手前から右に曲がったか、あるいは農道をまっすぐ来られたのか、それはわからないが、それにしてもかなりの距離を歩くように思われる。
  気温は、15℃台だから、少し多く着ていないと寒いだろう。水も持っていないと。農道に出るまでの道の距離、農道のどこまで歩くのだろうか。考えても出てこない。勘でゆこう。この人は、1時間は歩く気でおられる。もしかしたら、海まで歩くのか。それにしても、通勤の車も動き出す時間だ。危ない時間帯である。
  人より車の数が多いところである。しかし、本格派の方は、こうゆう時間にすたすたと歩いておられるのか。世間で通っている話と、現実は違う。あらためて思う。

7つの天体

2006-09-24 07:33:59 | 散策
  朝の天気、曇り。ほぼ、無風。室温20℃、冷たい牛乳を飲む。
  ずいぶんと昔から、動く星と動かない星があることが分かっていた。動かない星の間を動きまわっている7つの星とは、おなじみの太陽と、月と、それから何があるか。
  まず太陽から、考えないと。太陽を直接見ることは出来ないし、また見てはいけないものだが、それでは、さてどのようにして、昔の人は、太陽が、星の間を移動することを見つけたのだろうか。これって、少し前に書いたよね、これだからいやだ、ちょっと昔のころを忘れている。
  一日が、大体同じ時間であるということが分かっていると、太陽が出ていない時間、つまり夜、そのときの星の、星ぼしの、空間の配置、あるいは星座を見ていれば、半年も経つとその配置ががらりと入れ替わっていることが分かる。これから、太陽が、これらの星ぼしの間を少しずつ移動し、1年間でほぼ、星ぼしの存在する平面を、あるいは球面を1回転する、そうゆう予測は出来そうな気がする。
  それにしても、ずいぶんと気の長い観察が必要になる。私の場合、もし、学校で、そうゆう事実を当然のこととして習わなかったら、恐らく今も、そんなことは分からないだろうし、知りたいとも思わないだろう。
  次、月については、どうか。うまい具合いに、月は肉眼で見るのにちょうどいい明るさをしている。満ち欠けの、不可解さが残るが、星ぼしの間を移動する事を見つけるのは、比較的簡単である。この移動が、移動の仕方が、相変わらず人を惑わす。
  三つ目、水星。私は、この星を見た、と自信を持ってゆえない。

マンジュシャゲ(曼珠沙華)その二

2006-09-23 19:20:14 | 植物・花(秋)
  お天気はいい。風が結構強く、気温もさほど上がっていないので、早めに窓を閉めておく。海風が強いのか、大陸から張り出している高気圧のせいか、ぼんやり考える。去年と似ている。今年も、秋は短く、初雪は早いかも知れない。
  カキ(柿)の木にムクドリが止まっていて、バタバタと逃げてゆく。知らぬうちに一つのカキの実が突付かれていて、さらに地面に落ちていた。もう一つ、ほぼ熟した実があった。光線の当たり具合にもよるのだろうが、まだ、大部分は青いか少し黄色みを帯びた程度である。
  セミの声も、そういえば聞かれなくなった。今でも、時々、雲がとれて太陽が出てくると鳴き出す感じがする。このセミが、クモの巣によくかかった。チョウがクモの巣にかかることは少ないが、大きなアゲハの翅がジンチョウゲの中にあったりする。
  そのクモ(蜘蛛)だが、かなり大きなものをここにも出したが、昨日を最後に姿を消した。その少し前に、このクモを撮っていた。
  それで、しみじみする必要もないが、マンジュシャゲ(曼珠沙華)の様子である。





  9月21日。1枚目は、一昨日の写真の光が当たっているもののその後である。2枚目の写真は、1枚目のもの下の部分。何故、これを選んだか、いまふと分からなくなる。






  9月22日。1枚目の写真は、6つの袋状になった花の元、ちゃんとした名前があるはずだが、その元である一つが、開いたところ。これが、6つ全部開くと、それは、賑やかになる。2枚目は、9月21日の1枚目の写真と同じ花である。枯葉がでんとあるが、こうゆうのもいい。そうしか言えない。






  9月23日、今日ですね。1枚目は、22日の1枚目の続きのはずだが。6つある袋状の花の元が、一気に開いた。かどうかは、あやしいが。たくさん写真を並べるのはほんとに疲れる作業ですね。ようやく、これまで、拝見させて頂いた方のご苦労が分かりました。最後のものは、ごちゃ混ぜ。
  以上で、本日は終了です。
  

モチノキ、鳥をくっ付ける

2006-09-23 07:35:49 | 散策
  朝の天気、快晴だが、煙っている。モミガラを燃やしているのである。室温19.5℃より高いが、20℃未満。冷える感じ。
  モチノキがある。ここにもあれば、その辺りにもあるし、大まかにいうと、どこにでもある。この”もち”という文字の漢字が難しい。出てこない。モチノキとはどんな木か。私も知らなかったが、トンボなどを捕るために、はるか昔使った覚えがある、”トリモチ”の原料となる木、というと分かりやすいだろう。私も、それくらいしか、知らない。いくつか種類があるが、この辺りのあるのは、トリモチのために植えられているわけではなさそうである。他の種類に、よりよく取れるものがある。
  トリモチを漢字で書くと、例によって『大辞林』を見ているわけだが、トリは鳥、モチは、難しい漢字のモチである。トリモチで、鳥を取った、捕ったことはないし、そんな話、聞いたこともない。しかし、もう少し時代を遡ると、そうゆうことが行われていても、不思議ではない。
  モチノキは、一年中、葉っぱの色は緑である。常緑樹の中でも、飛びぬけて、はっきりしている。雪が降ろうが、凍ろうが、緑。ただ、実は赤くなる。南側にあるモチノキの実が、真赤である。これを、ヒヨドリが好んで食べる。だが、別にくっ付くわけではない。赤い実が出てきたが、なぜか、ヒヨドリは見かけない。どうなってるのか、不思議なことである。

マンジュシャゲ(曼珠沙華)その一

2006-09-21 19:12:57 | 植物・花(秋)
  いいお天気、汗もかくし、涼しくもあった。
  シシトウは、赤くはならない。少し前、赤いものは、で、シシトウと書いた。『大辞林』を見る。まずトウガラシがある。これは、ちゃんと赤くなる、さらに辛い、とんでもなく辛いものもある。ここから、ピーマンとシシトウ(シシトウガラシ)が派生(変種と記されている)してくる。間違ってました。ただ、赤いあるいは黄いろいピーマンもある。さらに、青いが飛び上がるほど辛いトウガラシがある。世の中、簡単ではない。
  ミニトマトは大好きである。畑に栽培されているのをずっと見ていた。今も、実が付いたままのものがある。さらに、真っ赤なおいしそうな実がころがっている。
  スーパにいって買い物をする。レジで、こまかいお金2円を出す。何故か、レジの方が不思議な顔をされる。1円を下さい。私は、100円玉と1円玉を間違えて出したのである。
  ワンちゃんのいるところに来る。体を南に向けて眠ってるが、日が当たるので顔だけ右に向けている。もう一匹のワンちゃんは、昨日は暑かったのだろう、朦朧としていた。久しぶりに、悲しげな鳴き声を聞く。今日は、眠っていた。

  ようやく、マンジュシャゲ(曼珠沙華)のところにたどり着く。垣根の中。



  9月17日。たぶん、マンジュシャゲの芽を見つけた翌日。植物は、赤い花の部分をすでに出している。輪切りのようなと少し前に書いた。



  9月19日。すでに、花が花らしくなっている。雨が降っていないので、少し萎れている感じがする。水分が欲しい、そういっているようだ。



  9月20日。昨日の写真。ちょっと離れたところに、奥まったところ、すでに咲いているのを見つける。隙間から光が当たっていて、変化があった。この花の妖しげな雰囲気はなくなってしまうが、悪くはない。

オミナエシ

2006-09-20 19:14:40 | 散策
  快晴の一日、風が弱く、外に出て歩けば暑くて、という日である。
  日傘を差して、いつものように歩く。濡れた、水を浸したタオルも持つ。オミナエシなんて、およそ考えたことがない。見たこともない。そうゆう植物だった。しかし、ここで、少しずつ見たことのない植物の写真などを出すことになると、少しは調べないといけない。その結果、いいことか悪いことか判断が難しいが、ある黄色い花をつけた植物を見て、即これはオミナエシであると断定した。ちょっと、恐ろしい。さらに、この植物の名を辞書で見ると、なんとなく妖しい漢字が書かれているし、それ以外に高等な遊びのことが記されている。いつもの通り写真も撮ったが、いずれもある基準に達していない。NGなのである。そのうち、この植物は、なぜか他の草と一緒に刈り取られてしまった。オミナエシにふさわしかったかどうか、は別にして、この花については来年を待つしかない。
  ススキが原の、ススキらしき植物がようやく”ふわふわ”したものを出し始める。セイタカアワダチソウも負けすに、ぐんぐん成長している。後者はやけに嫌われる感じがするが、この帰化植物の花の形態は、なかなか面白く、それゆえ、少しずつ写真に撮っておけば、十分楽しめそうである。ただ、やたら大きくなる。そうゆう場合はどうするか。何でもそうだが、簡単にはいかないものである。ススキにも色々あって、すぐ近くに、かなりススキらしくなった、群生してるのか、年月がたってそうゆう形になったのかわからないが、ススキの大群がある。まあるく存在している。
  もう一つ、キキョウ(桔梗)について。これは、かなり昔に見て、すでにこの辺りに花をつけてるものは、ないと思われる。
  秋の七草のうち、見つけたものを挙げてみた。

  家庭菜園、あるいは普通の畑といっていいところに来る。季節が、変われば、衣替えということで、刈り取られた植物は、渾然一体となって畑の端辺りに放置される。しかし、まだまだ植物は元気である。子孫を残すため最後までがんばる。そこに生育してる植物は、これは、わかりやすい。といっても、



  何があるか。シソとアサガオ?と他には、やはりわからないか。庶民の植物かな、訳がわからなくなって来たので、この辺で終了します。