光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

名残雪か

2006-03-31 19:20:46 | 散策
  明日だったら、誰も、がたがた言わないだろう。ホワイト・デーにさえ雪は降る降るといいつつ降らなかった。私が世話になってる薬局の人に、『今日、雪降らなくてよかったですねー』、といい、『降っていたらほんとの』と言ったところ、薬剤師さんは『ホワイト・デーですね』とごく普通に、挨拶してくれた。まったく、この程度のおつむなので、今日の雪は、ムッとする。
  何も、浮かんで来ない。朝の、一枚。ウメの木に、雪が積もってる。さらに、重そうな、ボタン雪が、浮いているようでもある。重力と、速度に逆らう抗力の問題みたいだ。これ以上のことは、分かるわけがない。
  うそのようで、本当の写真です。地面には、そうですね、5センチくらいの積雪。気象台の発表だと、10センチ。
  名残雪であれ。もし、この先、雪が降ればか、それは、またそのときの感慨と言うものがあるだろう。
  

続々・救急車の乗り方

2006-03-30 19:19:08 | なんでも
  すでに、日付は、日曜日の午前1時ころ。医師からの診断を聞き終えた。つまるところ、あとは薬の処方が出たら、薬剤師さんのおられるところに走って、薬を頂いて、それから、家に帰らないといけない。来るのは、楽というか、流れで来たが、さて、12月真夜中、お帰りくださいといわれて、どうするか。
  病人は、普通のベッドに横たわって、気持ちよさそうに眠っている。検査だけやった。ほかは、必用なし。医師が、当直に戻り、看護師さんも何事もなかったように、自分のポジションに戻る。明るいが、何の音もしない。薬の紙をもらった。簡単に、看護師に場所を聞く。私は、この病院を知っている。しかし、深夜、消灯中、果たしてそこにたよりつけるか心配ではある。時間外の入り口のあたりだ。かすかに明るい。記憶をたどって、しばらく行くと、人がいる。いても、おかしくはない。だが、それは、人ではなく、人のブロンズだった。
  ようやく、玄関らしきところに出る。階段を上った。広い2階に出て、どうにかランプを見つけて、押した。薬剤師さんが出てこられて、私は薬を受け取った。後ろを見る。どこから来たか分からない。3階以上は病棟、入院病棟のはず。土、日は、完全休日、ナース・ステーションにも、2、3人の看護師さんがいるだけ。階段を見つけて、ブロンズに挨拶して、戻ってきた。タクシーを呼ばないと。看護師さんだけが頼り。手帳も、いつも持ってる自分の名前、住所、その他必用なことが書いてある紙だが、持ってきてるわけがない。教えてくれた番号をまわす。時間かかるという。看護師さんが、車椅子を用意してくれる。ただし、父は、薄いパジャマくらいしか着ていない。私は、厚着してきた。これを着せる。
  すぐに、車は来た。看護師さんが、タクシーの中まで押し込んでくれた。このとき、診察カードなどは、戻してもらってる。診療費については、次回、通院のとき、お支払いくださいとある紙をもらう。ようやく、私は、一安心する。ただ、深夜、タクシーの運転手さんにも的確に道を指示しないといけない。家の中に入るのも、一苦労。履物は、ない。ただ、病院で薄いスリッパは頂いた。運転手さんに手伝ってもらって、どうにか病人を玄関の板の間に横たえた。
  たくさんの人に、感謝しなくてはならない。さらに、付け加えるなら、この出来事から、何かを学び取って、それに対処する必用が一番あるのは、この私である。

続・救急車の乗り方

2006-03-28 19:51:10 | なんでも
  すでに、救急車に乗って、スタートしてしまった。と言うことは、もう書くことがない、と、今頃になって気づく。タイトルどうりだとそうなる。でもやはり続きはある。私は、病院についてどうゆうふうな処置をしていただいたか、それを詳しく書くのは難しいと思っていた。勘違いをしていた。いま、難しいこと、治療がどうのこうのは抜きにして、それ以外の出来事を書けばいい、こっちが大切、ようやく先が見えた。
  私が、知ってる病院である。救急車が止まる。外は真っ暗である。でも、ちゃんと扉が開くと、すぐにそこが救急処置をする場所であることが分かる。救急隊の人が、担架をワゴンに載せ、病室へ運ぶ。看護師さん3名。そのときすでに、お医者さんがいたかどうか。最初は、救急隊の人、こちらも3名、病院のベッドに病人を運んで。何がなんだか、私には分からないが。次第に落ち着くと、最後に救急隊のひとから、名前、住所などの確認、私の名も聞かれる。このとき、診察カード、保険証など、どうしたかは、覚えていない。
  私は、立っている。と言うより、何かに凭れている。医師から、いろいろ聞かれる。できる限りのことを答える。内科のお医者さんのようだ。お若い。てきぱき、ノートパソコンに話の内容をうちこんでいる。看護師さんは、病人にいろいろ話したり、あるいはこれができるかなど、を聞いている。しかし、相手は老人だし、言葉がすべて通じるわけではない。時間とともに父の状態はよくなっている。暖かい。25℃はある。こっちの頭が痛くなる温度だ。普通、このあたりで、12月、どのくらいの温度の部屋に眠ってるか、むろん電気毛布、敷布など使うがまず、二桁あればいい方である。暖かくなり、気分がよくなった病人は心地よく眠っているようでもある。熱がある、これは事実。あとは、高齢だから、検査ということになる。が、状況は、緊迫感はない。
  私は、家に電話しようとする。むろん心配であろう。電話の場所を看護師に聞く。そこで、財布を見ると100円玉しかない。お金持ってきてないの、なんて聞かれたような気がするが、それは忘れて。100円玉入れて、検査やるが、多分大丈夫だろうと伝える。そんなに、長い時間待たされたわけではないが、もう12時をまわっていて、さすがにのどが渇いてきた。よーく見ると、自動販売機がある。暖かいお茶を購入。10円玉のおつりが出てきた。最初に、お茶を買うのだった。
  1時に近い、医師が、X線写真を見せてくれて、熱はあるが、インフルエンザ、その他、肺炎など起こしてる状態ではないという。つまり、なぜか熱はあるが、それ以外は特に問題ないと言うわけだ。解熱剤、これは熱が38度以上のときのみと釘を刺される。ほかに、ニューキノロン系の抗生剤。帰宅の準備だ。

救急車の乗り方

2006-03-27 19:46:10 | なんでも
  ぱっとしない出来事ですけど。何かのお役に立てばと思って。
  去年の12月、まだ大雪になると分からなかったとき、父の具合が悪くなって。どんな病気かは具体的にかけませんけど、塩酸ドネペジルを飲んでいるといえば、だいたいお察しがつくと思います。土曜の夜のもう10時ころでした。どうも、今までにない感じは私は夕食時から分かっていましたが。ここは、病気のことには関係なく、素人ですから、出来事を中心に。
  立てないんですね。さて、どうするか、いずれ連絡しなければいけないことですけど、ただ119番をまわすかどうか躊躇、姉にまず連絡。答えは決まっていて早く電話しろ。それで、寝巻きスタイルで、119、火事ですか救急ですかといわれるので、救急。特にあわてることはありませんでした。住所、名前を言って。
  私は、出かける用意をしないといけないと思いました。もう、ピーポーピーポーのサイレンが聞こえます。パジャマの上に、いろいろ着込んで。後、やはり、お金がいると思い、財布は入れました。しかし。金種までは気がつかなかった。これは、後になってことですが、連絡には、小銭、十円玉か、あるいはカードがあったほうがいい。携帯の時代だけど、みな持ってるわけでないし。
  もう、救急隊の人が来ています。病人は、パジャマかそれ以外に何を着ていたか、覚えていませんが、ただ、隊員の人は、早く病院に搬送する事を考えておられるので、毛布等をかけて、すぐに担架に載せます。当然です。
  休日なので、しかも夜、ほとんどそうだと思いますが、本来は、当番の大病院に行くことになります。が、通院してる、救急受付をやる大病院です、診察カードを救急隊の人に見せました。これは、救急隊の人が先に言ってくれたのかもしれません。このほか、むろん健康保険証etcなども、持ちます。母が、震えていますが、ちゃんと出してくれました。
  不思議なことに、そとに見物人がいた気がします。私が、付き添いで乗ります。救急車のなかは暖かい。すぐに、酸素マスク、血圧、温度計などが病人に施されて、ピーピーと言う心電図のようなモニタが出ます。さきに、当番医でなく、かかってる病院の方に連絡を入れてくれたようです。この間も、救急隊の人は、いろいろ病人に話しかけ、励ましてくれています。私は、一応こうゆう症状ですということを話すくらいで、それ以上できることはありません。中が、暖かいので、父は、少しずつ元気になってるようです。車は、まだ動いていません。中は、暖かくかつ明るいので、安心ですが、自分がどこにいるのかは、まったく分かりません。幸い、かかってる病院で受け入れてくれることになりました。知ってる病院ですし、遠くはないので、助かりました。
  ようやく、サイレンがなり車が動き出しました。知ってる道を走っているはずですが、外は真っ暗のはずで加えて中からは何も見えません。ただ、がたがたは揺れます。さて、長くなりそうなので、この続きはまた。こうゆう事をかけるということは、まだ父は元気だということです。ただ、病気が病気だけに。
  

梅見酒はない(その2)

2006-03-26 16:20:23 | 植物・花(春)
  朝、5時ころ強風で目があいた。もしかして、すぐに雨になるかと思った。再びまどろむが、何とかの掃除というのに出ないといけないらしい。しかたなく、起きた。かったるい。自分のうちの掃除はいやではないが。
  驚いたのは、6時過ぎに、もう日が出ていたこと。北アルプスの高峰も、わずかな時間しか太陽を隠していないようである。強風と塵・芥で、霞んでいるが、春そのものだ、まぶしい。
  ほんの少しだけ体を動かして帰って来る。それで、このことは忘れて。ウメの花だ。一気に、開いた。



  昨日と比べると、比較にならない。なぜか、太陽と反対の向きに開くものが多い。



  何枚か撮って、クローズアップの一番よさそうなものをまず一枚。花びらが白いので、その裏にある、何かが、結構キレイに見える。ただの、ガクか。



  こっちも載っけてくれーと訴えているようなので、もう一枚。でも、もう多くの方は見飽きてるか。
  この先、どうするか、レンギョウ(連翹)の花も、まだ。ジンチョウゲは、なんて言ったらいいか分からんが、集合体のうち、一つか二つ、ちっぽけな花弁を開いていて、いい香り、が少しする。そうか、日食があるのだった。これを、忘れないようにしよう。

梅見酒はない。

2006-03-25 15:01:36 | 植物・花(春)
  単純にウメの写真。かなり位置が高い。腕を伸ばして何とか届くくらい。開いたウメを撮りたい、小型の、接写のできるのを使う。



  何枚か撮ってみる。かなり接近。ウメの花の大きさは、大きくて直径3センチくらい。これは、まだ開ききってない。自動で焦点を合わせるが、合ったあとシャッターを切るまで時間が空くと、手持ちだからカメラは動いてしまって、いくら高速で撮ってもだめである。機械か腕かどっちが決め手か。



  これは、花は、もう開いてるが、ピントが合ったあと、大体、光が液晶にあたってほとんど情報が見えてないこともあるが、カメラが動いた失敗作。こうゆうのが、多い。



  うーん、何とかうまくいった。いくつになっても、この程度の写真しか撮れない。これからも、しばらく撮るつもりだが、果たして、満開はいつになるか。
  そういえば、久しぶりに、黄色い花を咲かせる、サンシユ、いや間違いサンシュユと思われる植物を見た。この漢字は辞書見ればすぐ分かるが、ここでは省略。昔、裏高尾を歩いていて、ごく普通の公園で、満開の紅梅とサンシュユを見た。これはまことに見事というしかなかった。黄色い花も好きだが、このあたりではまだこの花しか見ていない。 

The End

2006-03-22 19:12:14 | 植物・花(春)
  妙なことは起こる。おかしいを通り越している。来るはずのないところから、よくないめいる、キガメイルが来る。これは、マダましだってか。世間知らず。そう言えば、酸っぱいのが増えますよ、と言う助言をいただいて、それを経験して、新たにこれをやってる。
  写真を、というより、デジタルカメラを始めると、データをどう保存すると言う問題が必ず起きる。磁気DISKに保存するのが一番だ。そのつぎは、DVDくらいしか思い浮かばない。これも、装置の数が増えると、互換がドウのと来る。ソフトが、取締りをきつくする方向に向かう一方である。これまで、書き込めたのに、同じメーカのもので、これはだめ、なんて出るから。一番、肝心なのは、ディスクそのものだが、このメーカは大丈夫とあるものを選んでも失敗する。みな、分かってるのか、世間知らずは、うめく。
  フキノトウは、ある年齢に達すると、それを発見することに狂喜する。さらに、一枚うまくカメラにおさめて満足する。世故たけてる人は、これをさくっと頂く。残るのは、根っこ。私は、もう少し観察したかったが、カメラにおさめるだけで十分だったが、より年長の人によって、それは、台所のざるに移動した。




  ようやく、ふっくらしてきた。


  
  なかの方の、神秘ともいえる、構造が見えてきた。
  しかし、もう書いたように、この植物は、個体は、ここにはない。次なるものを探し出す必要がある。

2006-03-19 18:54:29 | 散策
  水が入った。うまくない。やはり、ある程度、時間と距離をおかないといけない。これが、ある言葉の意味だが、そうゆう事が出来ない。
  天気予報で、雪が降る、など言ってた。さらに、私は、悪夢を連続して見ていた。年だから、自然現象が近くなるのは当然だが、そのたびに、何でこんな夢を見るのか、と思った。それなら、まだ、単位が足りなくて卒業できないなんていう単純な夢のほうが、救われる。実際、そのとうりで、二回講義を受けて、かろうじて“可”を頂いて、ぎりぎりで卒業できた。もっと言うと、どれだけの数値が必要かなんてことを考えてなかったのだ。
  いかにも寒そうだが、外に出てみる。体はもう春だと思ってる。しかし、外の様子から、南西の風だった、これは真冬のカッコをしないと寒くてたまらないだろうということは分かった。実際に歩き始めて、寒さが身にしみた。後で、アメダスを見ると、6℃近くある。ただ、風が強かった。3時を過ぎて、白いものが舞う。サクラでもウメの吹雪でもない。ここは、気分を変えないといけない。
  すがすがしいもの。それで、竹。なんというタケかは知らない。近くの、お寺にある。小さい、タケかササか分からないものはうちにもあって、七夕のときは、昔は、わけてくださいという方がおられた。それにしても高くないか。

回想

2006-03-16 19:04:31 | 鉄道
  昔話、過去、経験、老い。いろいろ、かっこで括ると歴史。そんな上品な言葉で書けるわけないジャンね。
  それで、過去に思いを馳せる。ずいぶんと昔の話になる。上野に行く列車は、『白山』か『白鷹』しかなかった。特急『白山』は信越本線を走り、同じく特急『白鷹』は、長岡から上越線に入った。当時、いずれの電車も12両編成、堂々たるものである。
  そんな感慨にもひたっておれない。夏だった。台風がきていた。白山2号は、どうにかEF64いや間違ったEF63の重連にガイドされて碓氷峠を下りきり、横川についた。高崎駅も出た。がその次の、倉賀野で止まった。河川の増水で鉄橋が流される危険があったからである。一晩、初めて、列車の中で過ごした。
  朝が来た。電車の運転手さんと話をした。確か高崎機関区に所属してる方で、この人は、高崎・上野間のみを運転する。列車は、一人の運転手さんが始発から終点まで運転しないことを始めて知った。たぶん、その方の許可を得て、私は線路に降りて、まず撮ることは出来ない、駅に止まる特急『白山』の、線路上からの真正面の写真を撮った。
  この写真は、当時の写真を、今使ってるデジタルカメラのマクロ(接写)機能を有効にして撮ったものです。つまり、写真の写真です。

使者

2006-03-15 19:17:48 | 植物・花(春)
  窓をあけて外を見る。自然と屋根瓦に目が行く。薄い黄色をした粒子が、水の流れた跡を残していた。黄砂かと瞬間思った。私は、この砂、あるいは粒子は、ゴビ砂漠か、もう少し遠いタクラマカン砂漠からやってきたと漠然と思っていたのだが、字のとうり黄河の源流あたりから巻き上げられた、細かい粒子というのが妥当である。



  ウメの木である。すでに一度ここで紹介した。13、14日と二日続けて雪をかぶった。しかし、確実に蕾は膨らみつつある。そうなのであるが、残念ながらごらんのとうり、花びらが開く様子はない。まさか、もう春ではない、と思って咲かないのではないと思うが。ホルモンの知識があればもう少し詳しく書けるのだが、もうしばらくの我慢か。花はまだだが、蕾の数はこれまでになく多い。



  こちらも一度絵を紹介した蕗、フキノトウである。これ一つしか出てこない。少しふっくらしてきた。例年は、一つあれば、その周りに、すぐに三つ四つ見つかるが、ない。フキノトウは、ある程度齢を重ねると、おいしいという食べ物に変わる。すると、みなネコソギといっていい、ちょん切られて、胃の腑に収まる。これがいけないか、3割くらいは残しておくべくだったか。しかし、フキは結構出る。この茎が好きという方も多い。いずれにしろ、いかにも身勝手ということを証明する作文となった。