光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

古いものと、新しいもの

2009-03-31 19:03:29 | 散策
  3月の、夕日。一番新しいもの。古いというと、私のそばにあるものだと、それは私ということになるのではないか。その半径は、というと2、3mということ。ここにある古いものは、皆ある程度新しいもので、昔の時代のものが混じっている可能性はあるが、それもものすごく古いわけではない。だから一番古いものは自分自身で、この体も、日一日と一定でないという。が、脳細胞だけは新しくはならないらしい。
  脳の細胞が新しく作られないで、血球などは結構に頻繁に、壊されては再生されるという。それに、人は呼吸をしているし、またいつもものを食べてもいるから、物質の交代はこれもかなり盛んで、こうなると、脳細胞だけが化石のように古くさく、また過去の歴史を知っているらしい。それ以外の細胞はいつも作られているものがあって、また壊されるものがある。こうなると、私というのはいったいに何なのか、という気もするが、見た目は老化している。ぜんぜん若くはない。だから、細胞の合成もさほど行なわれていない。古いままではなかろうか。
  中には、新しく出来たものもあるだろうが、結局のところ見分けは付かない。不老不死はあり得ないが、新陳代謝の真実を見抜くこともむつかしい。

  この2、3日、日没を見ることが出来て、だから天気は悪くはない。また日の沈むことも見ることが出来ないというところにいるわけでもないが、どのくらいの間、こうして太陽が安定してエネルギを放出してくれるのか、など思うこともたまにはある。そうゆう時間がないと、生き物も出ては来ないだろうが、これは先が続かない。

  時間がずいぶんとたったという感じがする。それより、残りの時間の少なさというものも、ひしひし感じられるものがある。これは、何をどの程度やることが出来るのか、ということにも等しいと思えるが、そのことが最も気になることの一つだろう。しかし、こんなことも書くことが出来るわけがない。出来れば、こうゆうことを考えもしない。

  ものも古さでいうと、机がある。これがやたら古い。後生大事に使っている。壊れそうである。かなり前だが、この机を足台にしてその上につまり乗っかったわけだが、多分何か高いところに電球でも付けるか、これはしかしおかしい、まーそうゆうことがあったのは事実で、少しぐらぐらする。で、その後によく調べてみると、足が、あるいは脚が、しっかりと机の本体に納まってなくて、つまりは斜めに入っていたのである。こうゆうことを覚えているが、この時代がずいぶんと昔、古い。だから、ときに何でも乗せている、机を見ると大丈夫か、と思う。これは真実で、だから右足がいつも机のある部分に当たるので、それをなるべく避けようと今もしている。
  その他、箪笥というものにこれまたもう着ないものが山ほど入っていて、この箪笥よりその中身は古い。
  ナゼ、古いものと新しいもの、など思ったかというと、
  これは、今はもう沈んでいるはずの太陽、日没寸前の太陽を眺めていて、そうゆう風な何かが思い付いたのだが、それがいったい何か、今思うと忘れている。

  これ以外に、建物の問題もある。最近富に思うのは、あるところはやけにへっこんでいる、というもので、もう少し詳しくいうと畳が湾曲していて気色が悪い。いくら安普請のいえとはいえ、畳が中央がタルンデというのはあり得ない。あり得ないことはないが、あってはおかしい。
  その他、立て付けがよろしくない、というのは昔からあって、戸が閉まりにくいだの、斜めになっているだの、もう二度と開かないのでは、というところもある。これが、建ててさほどはたっていない。100年とかだとどうしようもない気がするが、その半分の、半分もたっていないらしい。その割には、畳はへこむし、戸はゆがむし、そのうち2階にいる私のところの床が抜けないか、そうゆう心配もしないといけない。
  
  夕日を見て、古いものと新しいものがあることを思い、その後に、使っている机は古くて、これはしかし今は壊れそうにはない。が、建物の方が、新しいはずで、しかし「箍」、たがが外れたようなことになっている、というところに落ち着いた。なんだかトンチンカンだが、的は外れていないような、あるいはやはりおかしいか。いろいろ、体にガタが来ると、あらゆるものがガタガタであるとも思えるのである。





  突然、モンシロチョウが迷い込んできて、あたふたしたが、それがないと、大体この白いツバキが、出ていた。ツバキでなさそうで、ツバキというもの。これはその後、他の2箇所でも見ているので、格別に珍しくはない。




  まさしく、ハクモクレンだが、これも春の光が明るすぎるときだから、と思う。たしかに純白に近い、肉眼でもそう思えるが、白すぎる。




  日は照るが、比較的低温で推移していると、このユキヤナギも長持ちしている。




  雪だって、こんなに白くは見えないし、もう少し透明である。
  もっと大きいユキヤナギを見ていたが、小さい花がいったいいくつ咲いているのか。感嘆。




  このスイセンの色からもわかるように、明るすぎて、結果はこれ以上どうすることも出来ない。

  これも、一世代前の撮像素子だからと思ったりもするが、関係ないですね。

モンシロチョウが、スイセンに

2009-03-31 16:22:34 | 虫、その他
  晴れのお天気、風が出て来て、北風。
  風の通り道は当然寒く、風がさほどないところでも、
  暖かいとはいえない。
  ただし、歩いていると、それも早足だと
  これはいつも思うが、少しだけ暖かみを
  感じる。体がようやく温まる。これはまだまだ
  冬のまま。

  晴れだが、風があるとなんでも揺れる。
  それでも何かあるかもと、その辺りを短く回る。
  変わりはなかった。
  毎日見ている、スイセン。色々あって、今ごろ
  見ごろもある。
  花に、チョウがいると気が付かないのは人間で、人が近付くと
  チョウは普通は逃げる。
  しかし、気が付かず、チョウも動かない。

  止めたと思ったとき。目の前のスイセンにモンシロチョウが止まっていた。
  風と花と同じように揺れて、保護色のようでわからなかった。





  特に変わったところはない、スイセン。




  このスイセンに、こうゆう感じで、モンシロチョウが止まる。動かない。
  恐らく気が付かない場合もあると思う。花より、チョウのほうが小さい。
  それにしても、いったいどうしたのか、
  寒くて、動かないのか、羽化したてなのか。空腹なのか。


 


  翅の色。黄色いようにも思えるが、モンシロチョウだと思う。




  頭の方を、拡大。目が、なかなかわかりにくい。




  さらに大きく。花と一緒に揺れている。近付いても逃げない。




  スイセンがそんなに背が高くなく、あまりあちこちからは、撮れないが、
  なんだか久しぶりに緊張した瞬間を過ごした。
  こんなことは、滅多にないだろう。

毎日、朝日は出るが、

2009-03-31 06:52:37 | 散策
  朝のお天気、ほぼ快晴。寒いのをのぞくと穏やかといっていいので、特に文句もないのだけど、寒いのが一番こたえる。風は肌で感じるものは、これも穏やか。工場の煙突から出る白い煙は、斜め45度。アメダスの6時の気温、1.8℃、これはたぶん放射冷却が大きい。気圧は1025.3hPa。湿度86%。室温、9℃。

  朝の起きた時間の部屋の温度を室温として書いているが、1、2月の寒さはさすがにない。だが、3月になると、2桁の気温も結構多く、だから7とか8とか9とかいう、一桁の温度は、過ごしにくい。特にかどうかわからないが、去年頃、秋からやたら寒さに関しては敏感になって、なかなか地球温暖化の候、と結びつかない。寒がりの血はある。しかしそうゆう状態になるのは早すぎる。

  気象台は、桜の開花を発表した。これはたしかTVとラジオの両方で、聴いたり見たりした。標準木に花が、5、6輪出ている状態をいうらしい。で、今週末が見ごろにもというから、この辺りは私の寒さ感覚からいっても、乖離感がある。桜が正常で、こちらがおかしいのはよくはわかる。桜からいうと、地球温暖化の候となるらしい。
  桜のきれいなところというと、管理のされた街の中の大きな公園か、それ以外だと、より鄙びた、人のあまり訪れないところ、となる。この辺りだと、どこがそれに該当するかよくは知らない。桜より、梅と、どこどこの名家跡、というのは結びつく。あまり、花見にということも聞かない。もっともそうゆうことが耳に入ること自体がないが。
  花というと、少し方向を変えて歩くと、こんなにたくさんの花を、木の花がよくわかるが、植えられて、あるいは育てられているのか、そうゆうことを感じさせてくれるところがあって、その彩りは鮮やかとしかいえない。どうもこことは大違い。そうゆうところの門番にはよく吠えるイヌがいる。偶然だろうが。

  朝はすぐに来る。これは嬉しい。しかし、元気というとなかなか出ない。起きることは可能だが、今はもう明るくその点は大いに楽だが、何となくだが気は重い。
  カーテンを閉めているところ。この向こうから、朝日がもう当たっている。このカーテンはもちろん、外からわからないようにという意味が大きいが、その他熱が外に逃げないように、という意味もある。これをしかし閉めていると、いらぬ蛍光灯つけないと暗い。
  それでは、とカーテンを開けてみた。オレンジ色の光が入ってくる。これで、明るさの悩みはなくなった。どうしてこんな簡単なことに気が付かないか。

  きょうも日が昇って、朝日は満面の笑みで迎えてくれる。

日没の色

2009-03-30 18:55:45 | 散策
  まだ日が沈まない、そうゆう時間があって、その後はかなり暗くなるはずだが、真っ暗というのはあまりない。目をつぶって、ものなり自分の手で目を覆うと、かなりの暗さが感じられる。心底真っ暗というのは、これは眠るときの条件だが、その暗さにおびえることなく、どちらかというと歓迎されるものでそのうち色も明るさも忘れてしまう。

  眠れないときは、一つは心拍が上がっているとき。何か思い当たることもあるが、その何かが思い浮かばない、そうゆうときもある。面食らうものがあった、こうゆうものだとわかりやすいが、そうゆう記憶もないまま心拍が上がるのは、ありがたくはない。ただ水分を補給するとその後に睡眠に有効であるようだし、それから布団が熱すぎる、というときも似たような状態になる。でも、もともと、その布団は暖かめだが、空気はさほどではない。冬の話で、たまたま暖かいというだけ。
  逆に、布団に入ってすぐに眠ってしまうということもある。こうして、ほどほどに朝を迎えると調子はいいはずだが、そうでもない。どうゆうこと、様々な、としかいえない毎日があって、眠れないときもあれば、眠いときもあれば、寝すぎだというときもあって、しかし毎日が大体なんだか、不安げである。こうゆう心配は、もうしないことにしたが、気弱な面もあって、その反対というのも、好ましくはない。どっちにも揺れない、そうゆう平常心というものを求める。また祈願もし、修行の時代だとも思うが、その「まじない」もなかなか効を発しない。簡単に瓦礫のように崩れる。もう少し昔は安穏としていた。そうゆうときがあった。
  ところが、今はいつ何時何があるか、そうゆう不安、自分にも他者にもあって、しかし同じいえの中である。
  2000年が始まったときは、なんとも思わなかった。これは年代の問題であって、新しい時代は、2001年からとも思ったりもした。2000年は、何世紀か。解釈の問題も出てこうゆうものは笑えるが、その時間、自分には他の何かが憑いていてこれには、本当に弱ったものだが、この時間からほぼ10年がたった今、詳しく思い出すことはないし、出来ない状態にある。これはある意味ではラッキーである。よくそれから、離れることが出来た。だから、あまり悩むこと、今が結構苦しくても、何とかなるのではないか、そうゆうことを思い出して、今があるが、この先でもそのものが同じように通用するか、この辺りはなかなかわからない。

  夕日を見ていると、ある時間だけが脳裏によみがえって、これは感傷にふける時期でもないし、もうもとには戻らないものを嘆いてみてもしょうがないものだが。こうゆうことを繰り返し思うことも、だんだんと増えてきて、それでまた忘れてゆくのだろう。
  時期が、彼岸を過ぎたがその割りに寒いこともよくはない。早く暑くなるといい、と思う。そうなると、感傷ではすまない状態になる。汗が出る。大体今頃だと早歩きをすると汗ばむものだが、そんなことがないのである。この1週間かどうか、もっとだろう、汗はかかない。冷や汗も特にない。
  そのうち、地球温暖化の候で、きっと汗ばむときがきて、それなりにいやな思いをするはず。そっちの方が楽そうだ。暖かいというものを通り過ぎてしまうと、今度はただ暑いとなる。灼熱か、これも困りものだが、もう少しだらっと出来るのではないか。今はあまりにピリピリし過ぎている。この嵐が早く過ぎ去らないか。

  3月も明日だけを残す。こうして書かないと、今は何月の何日か、忘れてしまう。あちこち、ぶらぶら歩いて、それで残ったものがある。足跡ではなく、カメさんのファイルで、考えてみるとありがたいものである。こうゆう時代に生きてよかったと思えるものの一つである。懐かしい、そうゆうものもきっと多い。
  でも、いずれは、このファイルも消える運命にある。最近、どうゆうように、ファイルを処分するか考えているが、新しいものから消すのが一番いいように思えてきた。時代は古いものがいいような感じもする。
  少しだけだったが、古いファイルというのを見ると、うまい下手は別にしてなぜかそれがいいように思える。なんでかよくはわからない。きっと今でもヨチヨチだが、そうゆう感じが新鮮なのかも知れない。もう一つ、これはかなりはっきりしていて、自分はそれだけ若かったということにもなる。そうゆうものが今はだんだんと失われる。そこが気にかかっている。そうゆうことだと思う。




  下にカメラを置く感じで。そうすると空の方向が写る。この木のことが気にかかって、さっと撮ったが、さてなんの木か。それより右側にはあり得ないような人工のものがあるが、なにか。ありそうにないのだが。




  梅干しのように赤い、梅の花の散りあと。




  コンクリートは、最近は特に悪くはないと思う。こうして、梅とコンクリートは、一つの絵におさまる。




  元気なタンポポも忘れられない。




  アネモネ三兄弟。




  ハナニラも。これは四兄弟。

  ハナニラの苗か、種かどっかから飛んで来ないか。

草色模様

2009-03-30 16:24:49 | 植物・花(春)
  お天気は晴れだが、風は気温は、冬。
  これだから色々困ることも多い。
  体がなかなか、いうことをきかない。
  年齢の問題もあるが、
  考えること、やることも単調。
  余裕なし。

  それゆえ、ここにも疲労感が漂う。
  どこ見ても、精彩感はない。
  箱に、同じものを詰めているだけ。
  それに変わることは思い付かず、
  変化はない。

  草色。草にもいろいろな色が、模様が、気分があるのだろう。
  たぶん人と同じではないか。



  草そのもの。朝の時間で、日が斜めから当たる。




  ツツジ。あまり咲かない。でも、大きくはなっている。




  明るい、草色。




  今年も出て来てはいるチューリップ。咲くか咲かないか。




  去年よりはシャッキリしているようだ。
  花が咲くといいが。




  今頃出てくる、これはスイセンだと思うけど。もしかしたら、
  このままかも知れない。いい色には違いないが。 

春の青空

2009-03-30 06:48:03 | 散策
  朝のお天気、暖かみのある、青空でほぼ快晴。煙突の先の雲が歪まずに真っ直ぐに上昇して、途中で消えている。風はほとんどないな、この様子だと。それで、外の感じは、というと、最初はもう晴れていて、暖かそうだが、5mくらいゆくと、寒気がする。まだまだ、暖かくはない。
  アメダスの6時の気温、2.1℃。寒いはず。気圧は1027.3hPa、湿度は93%。室温は、8.3℃くらいで、今は10℃に近い。でも、寒い。お山にいかなくてもこの寒さ。

  朝が来た。びっくりのいつもの目覚まし。それで、温度計を見る。8℃くらいか。窓の向こうが、橙色に染まっている。これは朝焼けかも。この橙色の明るさと暖かみが問題といえば問題で、しかし外は真冬。美しく、寒い。
  慌てるといいことはない。わかっているが、寒いから、慌てる。これの繰り返し。鼻をすする、朝から惨めな思いもしないわけではない。

  さて、朝の話題としてふさわしいか、さほどの問題でもないようだが。
  トイレである。気にすることは特になかった。しかし、ふと何気なく、トイレットペーパの厚さが、つまり残りが気になった。このままだと、かなり早くなくなる。気が付いてよかった。普通はここで忘れる。後2、3回して、本当に危ないときに慌てるので、最近は面倒でも、気が付いたときに、取りにゆく。まだ、あったはずだし。

  そういえば、毎週トイレットペーパを買っていたような、正確には買ってきてもらったような気がして、さすがに、「もういいです」、たくさんありますからと、頭の上がらない人に言った。それがつい最近のようで、
  しかし、きのうであった、トイレットペーパがもうないと気付いて、置いてある場所にゆく。すると、探さないとないのである。少し前は、山のようにあった。それが、今は残り少ない。
  あー、トイレットペーパもないわい。当たり前だが、それだけ使っているからで、紙は自然と消えない。お粗末。

  天気情報を聴く。なんだか寒いのも今だけ、という感じだが、その今が長く続いている。鳥だって寒そうだし、イヌだって呆然としてる。4月に入っても、寒そうだ。そう決めておく。いざ4月に入ると、どうか。楽しみだね。

バタバタと日曜も終わってしまう

2009-03-29 19:02:28 | 植物・花(春)
  先週は、東京マラソンがあって、タモリさんのお昼のTVの、週間総集編はなかった。今週は、1週分でなく、したがって2週分となる。どうなることか、期待した。なかなかあっさりとしていた。この辺はやっぱりTVを作っている側と見る側は違って、ばっさりと削るところは削ってというのが印象的で、TVの編集のあり方の勉強になるが、しかし、それでも見たようなところは、横に何かを置いてもいるから、
  要するに「ながらTV」なので、そちらを見ていると、面白いところを見逃すことにもなって、ここは要注意というものを、TVの方からマークでも、ラベルでも付けてもらえるとありがたい、など思った。が、やっぱりTVに集中した方が、いい。どっちも身にも頭にも残らない。こうゆうことをやるのも集中力のなさがある。それと、なんだろうか。老化。今の若い人は何を考える。その反対もあってしかるべきで、期待を裏切ることも出来ない。

  こうして、十分リラックスすると、寒いこともあってしんどくなるが、それでも歩くことはやらないといけない。走るのはやらない。昔から、せいぜい歩く程度。
  寒いので、真冬の格好は変わらない。それで、その辺りを歩くと、まずはたまに会う人と、出会うことに。世間話しでもないが、どうにもこうにもならんことを話して、その方は、反対方向へ、私は逆に向き、いつものコースに戻る。その先にも別れ道がある。どっちにしろ、もとに戻るのは同じだが、今日は右か左か、真ん中は人のいえ。右に行く。
  こうして何事もなく、もとに戻ってくると、これで話しはおしまいだが、しかしそうもなかなかいかないものである。しかし、これは省略してもいいことだが、花壇のあるところに、これは最近行くようになったところ、だから今年が初めてというところ。で、そこでまた春の花がいくつか出ているから、ここでしばし、それを眺める。特に、出ている花やら草やら雑草やらを眺めても、文句の一つも出ない。なるべくゆっくり、堂々と、細い道を歩く。
  その先に人がいる。そうゆうことは当然ある。だから、思うことはなにもない。大体日曜の午後。お天気は寒いが、日が出始めて、人もそれに誘われる。
  当然、歩いていくと、向こうからも歩かれてくるので、鉢合わせになるが、先にこんにちは、と一言。花壇を見ながら、いろいろ出てくるものがあって楽しいですね、と続ける。相手の人もそう思われたらしく、ほんの少しだけ、話しをした。
  ツクシとか、ヒメオドリコソウに興味を持たれているらしく、「いらん」ことをいったと後から、思う。思うというのは、多分それ以上に知ったかぶりをしたからで、毎度のことである。ツクシと、スギナについて。これも、本当のようで、今思うと短い時間だから、はっきりしない。

  植物園などで、かなり昔の話しになるが、カメさんぶら下げていると、すいませんが写真撮ってもらえませんか、ということはときどき、というか少ない回数あった。これも考えてみると不思議だ。日光植物園では、このカメラの使い方を教えてください、みたいなことも、団体で来られている方の一人から、言われた。が、見たことも触ったこともないカメさんで、そのときどうしたか、忘れた。このときは、他に人はいなかった?。日光植物園は、そのときは、最初は私一人しかいなかったようだ。日光といえども、その鄙びたところへ行かれる人は少なかったようだ。
  
  寒い感じである。で、時計を見る。この先はやはり止めた。さほど元気もないから、まーこれくらいで帰ってくるのがいい。そうして、もうすぐにおしまい、というところ。
  そこの休耕田か、放置田にたくさんのタネツケバナが咲いていて、この花は、しかし他のものと間違いやすい。小さな花で、風がちょうど来ないところでもあって、もしかしたらフラフラしていた。そうゆうわけではないが、ふと後ろ見ると車がいる。なかなか上品にゆっくり走っていると一瞬思った。が、このままスピードを出すと危ないと思われた、その車の持ち主は、私がそれに気づいて、立ち止まると、少し速度を増して、通り過ぎていった。知らない人だな、と思う。

  短い時間だが、よく考えると珍しい時間を過ごせたと思う。
  こうして、1時間弱の短い散歩は終わった。傘だけ持っていた。




  きのうの続きというか。復習、というか。時間的には逆転した画像。
  咲いていた、赤紫のアネモネ。きのうのものより、時間はさかのぼる。




  同じく、白のアネモネ。このときは晴れで、しかし風が強かった。




  日当たりのいいところ、赤いボケ。ボケの木は意外と小ぶりだが、もっと大きいのを見ている。




  もういらないと思うけど、フキノトウ。取られないで残ったものが多かったようだ。




  太陽は一段とまぶしい。




  ものすごく、まぶしく思える。

  こうゆう日というか、時間があるのは間違いないが、それにしても寒すぎる。

日没と、青味がかった空

2009-03-29 16:28:29 | 散策
  朝は、穏やかなお天気で推移すると書いたが、
  すぐに外れて、雪も早々チラチラと舞った。
  嫌な感じがしたが、その後午後からは、少しお天気は
  持ち直した。
  今は大体晴れで、まぶしい日が射している。
  相変わらずの何でもありのお天気。
  気温は低く、寒いまま。

  日没というと、正確ではないが、それに近いものがあったと
  思って、忘れていた。それを探したが、ようやく見つかって
  あまり期待は出来ない。しかし、これに似た太陽像というのも
  その後にはない。
 
  その他、空が薄青く見えるときもあって、
  これも印象的で、日没を探していると、その場所もわかった。

  日没まぢか。




  この一枚だけ、ファイルは違うが、すでに出た。これはその後
  レンズを換えて、段々と望遠側に移動させている。




  上とこの2枚のほうが、見栄えはいいような気がする。で、最後は
  結構大きい太陽。




  雲に隠れそうで、また出て来た。すでに、この下にある小高い山に
  太陽の下側は、隠れているかも知れず、よくはわからない。
  ここまで来ると、あっという間に沈んでしまうようである。


  青味がかる空もなかなかない。



  これが、夕方なのである。夕時にこのような色が出たから、ちょっと驚いた。




  雲も、空も青い、水色に近い青。雲の位置は低いから、雪雲かも知れない。



  
  これだけのことだけど。なかなか出ない色ではないか。
  水色の明るい空というのは、本当に滅多に見ることはない。

早朝の、溜め息

2009-03-29 06:58:14 | 散策
  朝のお天気、今はほぼ快晴。こうゆう書き方しか出来ない、天候の変化の激しさ。輝く朝日があって、しかし東の北アルプスは、厚い雲に隠れている。まったく、光を通さない。西の空の低いところ、北西の方角にかけても雲。風はあまり感じないが、煙突からの白い煙は、南から北へ、直角に折れ曲がる。
  起きるともう明るく、星空はまったくない。えへへと笑う。アメダスの6時の気温、、2.2℃、これで溜め息が出る。ずっとこの感じだ。気圧は1023.1hPa、湿度、90%。室温は少し高く、8℃あった。すでに10℃になっている。まぶしい朝で、地面は濡れている。

  きょうは比較的穏やかなお天気で終始するのではないか。

  白い鳥が、電信柱に止まるのがわかる。サギの類と思う。電信柱は今はコンクリートのものだが、最近歩いていて、「木のもの」がまだある。本物の電信柱を見つけて、これは貴重だとか思う。他に形容は、というと、なんか大丈夫かなでもある。小さいし、が、倒れる感じはない。これとの一致でもないが、コンクリートの電信柱の交換作業というものもある。これを見ている時間はないが、新しいのがトラックの上にあり、まだそこに古いというか、地中に埋められたコンクリート製のものが立っていたから、交換の作業が行なわれた、というのは間違いないと思う。コンクリートとて、寿命はあるのか、あるいはぶら下げるケーブルの量が多すぎての交換か。

  鳥は、見晴らしのいいところに止まる。あちこちを見ている。小型の鳥というと、ヒヨドリに、ムクドリ。それにときに、シジュウカラ、メジロに、ウグイス。スズメはなかなか見つからない。中型だと、キジバトに、雉に、オナガに、それに、この白いサギなども、ときどきだが見ることがある。生命力からいうと、ヒヨドリとか、ムクドリは、またモズなども強そうで、真っ白なサギは、ちょっと心配でもある。
  
  朝の溜め息は、まだ寒いという溜め息でもあるけれど、この先どうなるのかという不安もある。この心配は、実はやってもしょうがない。それはわかるが、なかなかそれを無視できず、朝から布団中で溜め息が出て、また夢の中に戻りたくなる。朝が来ているが、出るのはせいぜい溜め息で、これも今はしょうがないかと思う。もう少し、暖かくなれば何か希望も持てものが出てくるのでは、と期待は少しあるが。今日は日曜だから、まーせいぜい、これ以上かという声も聞こえるが、のんびり過ごすことにしよう。

  今も風も弱く、朝日がまぶしいまま。さっき止まった、ムクドリも消えた。

花の気温

2009-03-28 18:46:17 | 植物・花(春)
  今は、空は大体晴れ。きょうは比較的晴れ間の多い日で、先ほどは雪雲が見えたような西の空だが、その雲も消えてしまっている。晴れだが、問題は寒気でこれがどこにどうゆう状態でいるかで、また雪雲が登場する。いいお天気とはいえない。まったく、苦労されられるお天気。

  いつもなら、さっさと洗濯物を取り込んだりもするが、きょうはそれはなかった。先ほど、アメダスの値を見ていて、ちょうどお昼を過ぎるころから気温は、10℃に近づき始めていて、しかし、二桁の値になったのは、もう少し後だ。アー、やっぱり体の対応は、仕様は、春だが現実は冬、せいぜい早春で、これでは春よ来い、と心中歌うことをやらないといけない。もっとも、いくら、春よ来いと祈っても春の暖かさは、来ない。せいぜい、厚着をしてそれから、ヒータも多用する。もはややせ我慢をするときではなく、せいぜい暖かくして過ごすしかない。

  それでも、一応昼にお腹が膨れると少しは元気が出る。閉じこもるのは昔のこと。昔は閉じこもっていた。今は多少のことでは、外に寒さを求めて歩くと書きたいが、せいぜい体を動かすことが第一であって、これもときには止める。止めるのに特に躊躇しない。そうゆうときはあっさりと止める。その後の時間というのが、実に妙に思える。せいぜい30分歩いている。それにプラスいくらか、その時間をじっとうちの中で過ごすと、実に惨めな思いがあるが、これも特別のものだろう。
  こんなことは滅多にないからで、どこかの公共交通機関がストライキをやって、ということを思い出すが、そうゆうものであって何かいいことはというとない。ストライキはもうないが、電車は結構止まるようだ。そちらのほうが問題だろう。
  この程度の風で、また何かシステムの故障で、電車は止まる。ディーゼルだってもちろん止まってしまう。道路だと信号が止まる、とこれは大変だが、さすがにあまり聞かない。

  こうゆうことを思うと、さすがに多少は寒くても、歩くことになる。まったくの冬の格好であって、でも、大体外を歩く人は、きょうは土曜だし、晴れか曇りで雨ではない、だから人はいる、冬の格好である。
  ワンちゃんだって、寒くて起き上がっていた。寒すぎるか、あるいは元気なのか。その近くに、桜かもという木があるが道もあるので近づくと、どうも違った。木の肌の様子から、これは梅に近いと思った。桜は、やっぱりまだ咲かない。それに、この近くではない。桜はまだまだだが、ことしは思うにツバキは、いいようである。ここにも、いくつかツバキがある。咲かない年も多い。滅多に咲かないツバキが咲いたりもする。それは、ここだけではなく、

  よそ様のお宅でもそのようで、目に付くのは今はツバキなので、それを適度にぱちぱち撮ると、いい感じ、ツバキのライブラリが出来上がる。ツバキは、ある年は、ツバキで、ある年はサザンカに変わる。そうゆう風にも思えるときがあるが、またツバキとサザンカがくっ付いて植わっていると、そうゆう錯覚にも陥る。錯覚ではないような、そうゆう思いもある。
  ツバキはことしは当たり年。それで、寒いがツバキは寒さにはまー強い方だろう。冬の花のイメージも強い。
  
  今頃の花というと、アネモネがある。アネモネの花が、咲いているところをときどき見かける。またここにはある、という場所も知ってる。そうゆうことである。これだけなら特に口に出す必要もないが、今頃、色違いのものが出てきて、ツバキと違うのは、アネモネはきょうは、花を閉じるものもあった。それくらいに、やっぱり寒いのである。日も出ている時間があった。その場所はそうは離れていない。とすると、気温が足らないのだろう。
  
  そのアネモネの花、閉じている花もなかなかいいようだ。花はどちらかといえば、お日様で開く感じがある。でも、アネモネさんは、閉じている。
  歩くのも疲れてくる。




  ツバキではないのではないか。これは一度出た。それで、その後に、花ごと落ちているのを見て、やはりツバキかと思う。




  赤いツバキもいろいろな花模様があるが、このきれいな幾何学的な構造をとるものはなかなかない?。名前というのがあるのだろうけれど。
  これと同じような、サザンカがあると思う。




  ピッタシ、見ごろの、もも色ツバキ。

  で、アネモネというと、




  蕾は、開いたが花弁までは無理だった。すでに開いたものも、その横にあって、これも完全に閉じている。




  かなり白に近い、アネモネ。これが開いているファイルもあるが。
  閉じている、アネモネの寒そうな、それでいて清楚なところ。




  濃い赤紫か、濃い桃色。このアネモネも、開いていた。しかし、きょうはすっかり縮こまっている。小さな花の右側には、蚊がいるようだ。