光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

雨マーク、雪マーク

2006-11-30 18:52:47 | 植物・花(秋)
  雨の天気が続いている。晴れたのは、同時に冷却もしたが、先週の土曜日くらいだ。が、まだ、雪が降る感触はない。雨のおかげで夜の気温はそんなに下がらない。もう少し、気温のベースが下がらないと、雨が雪にはならない。対馬海流が暖流のせいもあるだろう。でも、その寒気が近づいていて、いよいよ最高気温が、一桁のときが来る。
  初冬の天気、それは今もあまり変わりがないが、時々温かな空気がやって来る。常に、一定の温度の空気の流れなどなく、当たり前の話だが、ぽっかりと、まばゆい”青空”が広がることがある。「冬型の天気って、もともと、高気圧に覆われる状態にあるわけだが、雪が降るのも事実で、気象用語に文句を言ってもしょうがない。」 温かい空気に加えて太陽が顔を出す。これこそ天の恵みで、これを利用しない話はない。むろん長くは、続かない。30分くらいであろうか。また、煙幕のような黒い雲が、西の、南西の方角からやって来る。やがて、こうゆう状態の回数が減ってゆく。
  今日こそ、年賀ハガキを買うことを忘れないよう、きのうまず机の前に赤ペンで”年賀状”と書いた紙をはった。さらに、他にも一箇所似たよう紙を置いた。そんなことより、少し荒れた天気が心配であったが、ぽっかり青空が、向こうからやって来てくれた。少し温かい空気と、太陽の暖かさを味わう。まず、郵便局にいって年賀ハガキを購入した。それから、スーパにいって蜜柑をカゴに入れた。

  ちょっと暗い感じの画像も、暖房の効いた部屋で見るのは、悪くはない。



  こんな重そうな石どうして運んだのだろう。


  
  普通のアジサイだが、この時季、花弁は裏返っていてそれがまたきれい。  

蜜柑の味

2006-11-30 07:33:05 | 散策
  朝の天気、小雨。真っ暗であるが、窓から手を出してみると、さほど空気は冷たくない。前触れかも知れぬ。室温11.5℃。
  雨がひどいと、樋の水が流れ落ちるパイプが詰まっているので、あふれて一部は、プラの波板をたたく。かなりやかましい。何とかしなければ、と思うが、不思議なことに、これに反応するのは私しかいない。さらに、あふれた水の一部は地面にたたきつけられて、その地点は泥がなく、その下にある砂利がむき出しになっている。だんだん、地面が削られてゆくわけだが、これに反応するのも私しかおらず、眺めているしかない。
  部屋の中の洪水というと、まず何か水の入った容器をひっくり返すことが頭に浮かぶ。すでに、2回電気ヒータを足に引っ掛けてスチーム用の水をこぼし、その結果、結構大きな地図が出来た。いったい1リットルの水を板の間にひっくり返すと、どのくらいの湖が出来るのか、大掃除のときにでもやってみたい気がする。
  部屋の中だと、少しのミズポタを発見すると、あたりは緊張する。これに、過敏に反応する。このことは、ある程度予測できることで、その対処法というのが用意されていてもいいはずだが、なぜかそんなことは起こりません、という感じが普段はする。このギャップに、私は悩まされる。雑巾は小さいし、他に水を吸い取るための布もない。
  朝になった。夢のことは幸い忘れている。ふと、蜜柑を食べてみようという気になる。半年は口にしていない。それが、なぜかやたらとおいしい。久しぶりだからなのかも知れない。まだ味はわかる、そうゆう事でした。先は長い。

疲れる仕事

2006-11-28 19:11:39 | 散策
  冬の朝は、特に台所は、ダイドコ、キチン、キッチンとも言う、暗くて、寒い。で、それに対処するわけだが、どっちが優先されるか、それは、暖房かもしれない。しばらくすれば、少しずつ明るくなるし、しかし、気温はいくら時間がたっても、2℃が3℃になるくらいだ。
  冬の朝は、明るい方がいい。そう思うときがある。それが今日だった。天井のライトはつくが、棚の下のライトがつかなくなって、かなりたつ。蛍光管を変えてもだめで、装置自身が壊れてるのである。
  昔むかしの、天井にフックを取り付けてぶら下げる方式の、蛍光灯があった。誠に不思議な話で、私は、自分の居場所の天井にこれをぶら下げている。幸い、もう一台残っていて、これを使うしかないと思った。思ったかぎりは、やらないといけない。
  段取りどうりやれば、大した事はなさそうであるが、まずは、ごみを払うところから始まる。掃除機を持ってくる。ラジオペンチに、ドライバも必要だ。もともとが、合板の物入れ(キャビネット、いま出てきた言葉)の底にねじで留めてある。それではということで、フックを合板に重力に逆らう方向にねじ込む。ねじ込まれてゆくはずだがだめで、ドライバの登場。錐である。ぐりぐりすると、あとは、まるで中身は空気のごとくゆるゆるで、右ねじは上昇する。
  ぶら下げて、コードをつなげてスイッチを入れる。点灯した。この作業に1時間以上かかった。半分は、掃除と片付けと、突き出たねじの先の保護と、もしかしてずり落ちたらどうしようという心配に費やされた。体が、ガタガタになった。やわなのである。先ほど、食器を洗っていて、ゆるく紐を引っ張って、一本だけつけた状態にして、ほんの少しほっとした。

  天気のよかった日の翌日、地元紙に夕焼けの山々の写真が出ていた。剱岳や立山あたりは、少し前に出したし、



  毛勝三山の左側に、黒部渓谷をはさんだその奥である、白馬岳辺りが見える。遠いので、写真でははっきりしないが、雪の白さでは、この辺りが一番印象深い。



  こちらは薬師岳で、じつにやわらかな表情がうかがえる。

深い眠りの次

2006-11-28 07:33:12 | 散策
  朝の天気、雨風。雲の動きを見ると北風のようだ。室温15℃。
  深い気圧の谷にいる。温度計はある。湿度計はないが、湿度は大体でいい。問題は、気圧だ。気圧計というのは、いかようなものか、ネットで調べたことがあるが、やはり、実用に耐えるものは結構高額で、気圧はラジオで聞くものであることを再認識した。ラジオ第一放送で天気図をかくことが出来る放送ってやっているのかな。第二ってまだある?。短波は装置の規格で入らない。
  眠れないのはつらいが、眠っていても、面白くないことはある。何かで目が開いて、時計を見る。III時か、それからものの1分もしないうちにまた目が開いて時計を見ると、長針はV時をさしていたりする。少し驚くとともに損した気分にもなる。それから夢を見る。夢にもいろいろあるが、電車に乗って迷子になるというのは、最悪である。線路図はあいまいだし、おもちゃのような乗り物が出てきて、そこに入らないといけない。だんだん、目的地から遠ざかる。財布はなくなるし、切符だってどこにいったもんだか。最後にトイレを探していて、非常ベルがなる。
  夢か、半分くらいわかっていてもいいはずだが、時計の目覚まし音を止める。さっきから30分しかたってない。ホンと、大損した気分である。

外が暖かかった

2006-11-26 18:58:21 | 植物・花(秋)
  うろ覚えだが、昨日の朝の、気象台のアメダスの最低気温は、3℃。確かに、霜が降りていたと思う。露ではなく霜である。これでは、いくら太陽がずっと出ていても、熱は逃げてゆく。
  それで、今日である。イヤーな夢を見ていた。夢だからどってことないが、何か体に変化があったような気がして、目が覚めた。ここは、朝の復習である。まーもっとひどいときもあったし、結局、自分の体は自分のもので、交換できないし、だめならだめなのである。こうして、多少開き直れるということは、その後は、どってことなかったと言うことだろう。胃がむかつこうが、奥歯がはずれようが、ひざの裏が痒くなろうが、そんなことは、どうでもいい。
  いつものように、一応どうでもいいと言いながら、私は、真冬の格好をして外に出た。さっきまで、コタツでTVを見ていた。コントローラを動かして、”高”にもしたりした。だから、寒くて、ちじこまって(ちじこまってを変換すると、いまのニュースがわかる)歩かないといけないと思うのも当然である。だが、温泉マークのごとく、自分の体がフニャフニャするのがわかった。あれれれ、これは、どうしたことか。暑いとは言わないが、温かい。
  ゆっくり歩くしかないな、そうしないと汗がひどく出そうだ。雨が降りそうで降らない。湿度はそんなにない。途中、会社の社長さんにあう。この方は、実際社長さんで、そのまま社長さんと呼んでいる。今日は温かいねーなど言うと、汗かいとるなんとか、という答えが返ってきた。世の中に社長さんは多い。
  帰ってきて、パタパタごみを払っていたら、となりの隣の、そのとなりの方が、”葱と白菜”があるから取りにこられという。ありがたく、頂戴にうかがう。葱はね、根に泥をかけておいて、雪が降ってもすぐに取り出せるよう、近くにおいとかれ。はいはい。これは、となりの・・・の方と母とのやりとりだが、それを運んだのは私、と言うことである。

  ハハーという感じの植物を見かけた。こうゆうのが見つかると、嬉しくなる。


終わりが悪かった

2006-11-24 19:08:50 | 散策
  灯油ヒータをかなりつけているので、もしかしたら灯油がもうなくなる時か、とふと思う。
  外に出る。雨の心配はないが、昨日より北風が強く、ほぼ真冬の格好をしていても、早足で歩いても、真正面から風を浴びているので、体は温かくはならない。鉢に植えられたパンジーの花も、それくらいしかわからない、寒そうにしている。ずいぶんと沢山の車を見送って、信号のある交差点を渡った。
  ここのツバキはやけにきれいだ。珍しいと思って見ていた蜜柑の実、ここでもりっぱに育っていた、も刈り取られていた。長い間、沢山の実をつけている柿の木があるが、なぜかそれを長い棒の先にハサミをつけたもので、収穫しているのを見かけた。アスファルトかコンクリかの境から生えてきた、白いラッパ状の花を咲かせる植物は、またもう一つのラッパを開こうとしている。ある犬は、寝転んでいて、もう一箇所でみた犬は、お腹にベルトをしていた。これには、やけにしんみりしてしまった。
  ヒータのカートリッジを持つと、ほぼ空であることが瞬時にわかった。今日は、灯油が裏漏りせず、うまくキャップをはめることが出来た。その後も、まーまーの感じがして、なんだかまたお腹が出っ張った気がした。これは、事実だ。
  夕刻、新聞を見ている、さらさらっと見てるだけである。耳からは、TVのアナウンサの声が聴こえる。そしてしばらくして、ガチャッという、どう考えても陶器の食器の割れる音だ、音が後ろから聞こえた。

  朝、虹を見た事を書いたし、これしかない。きれいに円弧が描かれている。ただ、カメラのレンズの限界で一枚には、納まらない。



  向かって、左側。



  同じく、右側。この他に、ここには写ってないが、副虹も見えている。  

困惑音

2006-11-24 07:33:19 | 散策
  朝の天気、北風の雨、だったが、雨は今も降っているが、太陽がまぶしい。室温11.5℃。
  虹が出るな、と思ったら、本当に出た。ほぼ、完全な円弧の切れ目のない虹である。虹の大きさというのは、決まってるようなことを、何かで読んだが、・・・。
  灯油ヒータの妙な音について書いたが、それ以外によく聞く音は、救急車のサイレンの音。一日、何度も聞くことがあって、それが頭に残ることがある。私が付き添いで乗ったときは、音など聞こえなかった。中に入っていても、ほとんど聞こえない。
  TVで、目覚まし時計の音に似た、パ行で表現できるメロディが流れると、思わず近くの電波時計を見る。ここでなければ、上のものか。先ほども、ほとんど見ていないTVで妙な音がして、ドキッとした。ヒータを炊いていたからである。こうゆうのが多すぎていけない。
  病院で、時々だが、にぎやかな音がする。いちおう、携帯電話を使ってもいいことになっている。その音が、派手で、かつ性能がいいスピーカを使ってるから、大いに振動する。
  車の音は、エンジン音は、これは、歩行者にとっては重要で、妙にゆっくり走ってこられて、横に車が来るまで気が付かないことがある。ギョ、ちょっとよろければ、ぶつかってるところだ。
  音には、人の心を乱し、惑わす、たぶらかす音もある。コワク音。この字が出ない。パッドを出してもすぐに消えてしまう。コワクの漢字を電子ノートに書いておかないと。 コワクは、蠱惑。

むしのかいかたの本を病院で見る

2006-11-21 19:13:01 | 散策
  天気がよくなかったが、朝方はなぜか剱岳、立山あたりの稜線がはっきり見えて、ひとまず安心した。日が昇って来たのはそれからずいぶんと後である。
  病院のまわりにも、結構イチョウの木があって、舗装された道に、枯葉が落ち始めている。女性の運転手さんは、タクシードライバになりたての方で、今年の雪の事を心配しておられた。また、乗せてもらうことがありますよ、といつもの言葉をいって、やけに暖かい、病院の中に入った。
  時々、マスクをしている人がおられる。もうそうゆう季節になった。大きな病院だと、空間があって、移動は自由だ。時々、窓から外を見るが、もう山々は見えない。変わりばえのしないところだといつも思うが、なぜか、病気の案内のパンフレットの置き場の下に、”むしのかいかた”の本があった。正確なタイトルではない。ただ、ひらがなではある。思わずこの本を手に取る。幼児向けの本で、これがまた、素晴らしく、ほとんどの虫が網羅されている。さらに、飼い方、育て方も書かれている。蝶にトンボに、甲虫に、それこそ、なんでもござれである。こうゆう本こそ宝物だと思った。まわりに誰もいなければ、そっと持ち帰ったかも知れない。
  本をそこに戻す。なぜ、こんな本がここにあるのか、わからない。発行年をみる。うろ覚えだが、1990年だったはず。580円か。テントウムシの幼虫の写真もあった。もしかしたら、同じようなものを見たような気もする。病院ゆきの最大の収穫であった。いずれ出会える時があるかも知れない。それから、また名前が呼ばれるまでじっと待つ。

  朝方の、剱岳の様子。遠くて近い、反対かな。松の葉っぱが頂上に重なる。これくらいは、気が付くべきだった。


  

雪か氷か

2006-11-21 07:16:41 | 散策
  朝の天気、晴れ。多分、ネコの目天気、アー、またネコのせいにした。風は、弱く、雨も夜は止んでいた。室温14℃、今、山の端から、太陽が顔を出す。
  霙は、ミゾレ、難しい字やなー、は降った。それから、アラレ(霰)も。こんな字なのか。アラレは、ほんの2、3分ぱらぱら来ただけで、まー米粒くらいの大きさのものだ。これが、たとえば、飴玉、ビー球になると、怖い。ピンポン玉だと、考えるのはやめよう。
  それで、やがて、雪の季節になる。雨雲も、雪雲も変わらないようだが、雪雲のほうが、ちょっと黒いかもしれない。
  最初は、まず珍しくて、いよいよ来たかという気分だ。犬は庭を駆け回るというが、見たことはない。その代わり、小さな子供さんが、おばあさんとヨチヨチ歩いているのを見ることはできる。微笑ましい、光景である。大人も、長靴を出して、少し気合を入れる。雪を蹴飛ばしたりするが、空気のようなものだから、つるっと滑ったりする。
  その雪も、やがて、嘆きの対象に変わるが、若い学生さんは違う。特に女性は、秋と同じ格好をしている。雪が降ろうが、下が水浸しであろうが、カチカチに凍っていようが、ソックスと短靴と、それとマフラー、これはやけに長く、大きく、下までたれている、というスタイルで、雪のことなど、眼中にない。
  アラレや、ヒョウは、これは、氷だ。雪は、同じ水の固体であるが、なぜかふわふわしている。結晶だからである、など言っても、何のことだかわからない。
  しかし、なぜ、どうしたら、氷になり、また雪になるか、このあたりは、べつに科学の力を借りなくても、いろいろ議論できそうである。
  最初に考えたことと、ぜんぜん違う内容になった。

暖かな雨

2006-11-20 19:06:10 | 植物・花(秋)
  雨続きである。寒そうな感じがしたので、冬用の格好をして外に出た。出てしばらくして、さほど寒くない事に気付いた。
  その前に、いまだかってない、灯油ヒータの、灯油の残りが少なくなりましたという合図の、電子音を聞いた。これも、童謡のような気がする。もっとも、このヒータを購入したのは、たぶん今年の一月ころ。それまで使っていたヒータが、突然、燃焼力が落ちたりして、これは寿命ということで、いまのヒータを購入したのである。
  そうゆう合図を聞いたことがない、と言うことは、少なくとも、今年の一月頃は、それから、ヒータがいらなくなるまでは、結構まじめに、ポンプでシュポシュポやっていた事になる。そのとおりで、たぶん使おうが使おまいが、私は、一日一回、カートリッジを取り出し、シュポシュポしていたのだ。だが、さすがに、3月も、後半になると、その間隔はのびた。さらに、5月になって、いくらヒータを使っても、灯油が減らないという現象が起こって、私は、残りの灯油を、ポリタンクに戻した。その残りものを、最近また使って、ポリタンはきれいに空になった、さて、何日間もったか。一週間かなー。
  そうゆう事もあるわけだから、冬用の格好をして外に出たが、暖かな雨であった。年代もののパーカを着ていた。これは、何回か洗ったから、もう防水能力はない。濡れると、じつに惨めな姿になる。さらに、雨が強くなってくる。予報だと、天気は回復するはずなのだが。さっさとスーパで買い物を済ませ、さらに遠回りをして帰ってくる。惨めな姿より、最低限の運動の方が大切に思える。それで、久しぶりにかなり汗をかいた。急いで歩いた。だから、歩数計のカウント数も、少ない。おかしな話。

  イチョウの木を見るのも、じつにひさしぶりである。見ようとしなければ、そのまま見ないで過ごしてゆける。少し前の晴れた日、偶然目に入った。電池がなくなりそうな状態で撮っていたが、これも写りに影響する?、そんなことはない、それはやはりない。