気温が上がって、風も穏やかだった。でも、ある花は揺れ続けて、どうにも止まらなかった。ある状態になると、それは揺れたりするときだが、さらにほかの要因も加わるが、揺れ続けると、人の気分はおかしくなってくるものだが、ポカポカとして、しかし、背の高い、茎の細いものの花は揺れ続けた。でも、やはり止まるときがある。でも、それに気づいたときは、もう揺れている。
必ず、こちらとあちらの揺れが止まる、そうゆう瞬間があるものだという確信を持っていたが、今回はそれがなかった。こっちの反応のが鈍くなった、そう言った方がいい。そうかも知れない。
小春日和という言葉は今日のために使っても特に異論はないが、そうゆう感じはしなかったのはなぜか。確かに小春日和だという天気はあるが、その記憶があるが、それに一致しなかったようだ。でも、歩いている限り、そよ風が吹くし、気温もほどほどに上がって、したがってその風で冷たく感じることもない。
きのう、一昨日が寒かったから、ある程度、体が寒さに慣れたこともある。
揺れている花は、嫌われ者のセイタカアワダチソウだが、いよいよ、その糸のような、紐のような、髭のような、花が白くなって、これは見ごろだと思った。こうゆう機会を逃すと、その翌日になるとその細いまだ大きくないセイタカアワダチソウも、切り倒されてしまう。すでに、そのものが横にある。セイタカアワダチソウが、クリスマスツリーに似るはずで、そのものをもう一度今年もファイルにしておきたいという気持ちが強い。なんだかこだわりが出てきた。
もう一つ、もういい加減に飽きられた、フジバカマだが、これもよく考えると似たような花を付けている。その花弁は、やはり白い糸、紐、髭であって、これがやがて変色してゆく。もうかなり変色はした。大根でいうと、漬物にするのにもう少し干しておこう、といった程度である。この変化というものもなかなかいいもので、よって、フジバカマは、秋の最後の最後まで目が離せないのである。
ちょっと話しは変わるが、ラジオで、協会の方が、気象台がイチョウの落葉を確認した、観察した、という話しをされた。葉っぱが、80パーセント落ちると、そうゆうらしい。ちょっと記憶が怪しいが、開花でも、葉っぱが開いたでもなく、葉っぱが落ちた、つまり落葉という事だろう、その落葉を観察したという。でも、協会の方は、まだまだイチョウの葉っぱは木に付いているものが多い、と言うことをいいたそうであった。私は、すでにすっかり落葉したものを、また、ちょうど真黄色の葉を全体に付けているものを、両方を今日見ていて、確かに、どっちとも言えないとも思った。
朝の感じだと、山々の峰峰は、神々しく雪を頂いている状態のものは見えると思った。しかし、実際は、雲がさっさとかっかってしまい、期待はずれ。
その朝の感じ、を瓦で再び表わすと?、
まずは、赤く紅葉した低木があって、それを少しぼかしてみると、瓦は金色に輝いてしまった。それではと、
朝の浅い角度から入った太陽光に照らされる、赤い低木に合焦してみた。
やっぱり、赤い葉っぱがはっきりして、瓦も金で、というのがよさそうであるが、それは欲張りか。
必ず、こちらとあちらの揺れが止まる、そうゆう瞬間があるものだという確信を持っていたが、今回はそれがなかった。こっちの反応のが鈍くなった、そう言った方がいい。そうかも知れない。
小春日和という言葉は今日のために使っても特に異論はないが、そうゆう感じはしなかったのはなぜか。確かに小春日和だという天気はあるが、その記憶があるが、それに一致しなかったようだ。でも、歩いている限り、そよ風が吹くし、気温もほどほどに上がって、したがってその風で冷たく感じることもない。
きのう、一昨日が寒かったから、ある程度、体が寒さに慣れたこともある。
揺れている花は、嫌われ者のセイタカアワダチソウだが、いよいよ、その糸のような、紐のような、髭のような、花が白くなって、これは見ごろだと思った。こうゆう機会を逃すと、その翌日になるとその細いまだ大きくないセイタカアワダチソウも、切り倒されてしまう。すでに、そのものが横にある。セイタカアワダチソウが、クリスマスツリーに似るはずで、そのものをもう一度今年もファイルにしておきたいという気持ちが強い。なんだかこだわりが出てきた。
もう一つ、もういい加減に飽きられた、フジバカマだが、これもよく考えると似たような花を付けている。その花弁は、やはり白い糸、紐、髭であって、これがやがて変色してゆく。もうかなり変色はした。大根でいうと、漬物にするのにもう少し干しておこう、といった程度である。この変化というものもなかなかいいもので、よって、フジバカマは、秋の最後の最後まで目が離せないのである。
ちょっと話しは変わるが、ラジオで、協会の方が、気象台がイチョウの落葉を確認した、観察した、という話しをされた。葉っぱが、80パーセント落ちると、そうゆうらしい。ちょっと記憶が怪しいが、開花でも、葉っぱが開いたでもなく、葉っぱが落ちた、つまり落葉という事だろう、その落葉を観察したという。でも、協会の方は、まだまだイチョウの葉っぱは木に付いているものが多い、と言うことをいいたそうであった。私は、すでにすっかり落葉したものを、また、ちょうど真黄色の葉を全体に付けているものを、両方を今日見ていて、確かに、どっちとも言えないとも思った。
朝の感じだと、山々の峰峰は、神々しく雪を頂いている状態のものは見えると思った。しかし、実際は、雲がさっさとかっかってしまい、期待はずれ。
その朝の感じ、を瓦で再び表わすと?、
まずは、赤く紅葉した低木があって、それを少しぼかしてみると、瓦は金色に輝いてしまった。それではと、
朝の浅い角度から入った太陽光に照らされる、赤い低木に合焦してみた。
やっぱり、赤い葉っぱがはっきりして、瓦も金で、というのがよさそうであるが、それは欲張りか。