光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

実に、ダラダラした一年だったなー

2009-11-30 19:00:13 | 植物・花(秋)
  ダラダラとした時間を過ごしたという感じが強く、今は一週間があっという間に過ぎる
ようで、毎日でも三度の食事はとっているからありがたい話しである。そのうちにどうなる
か、わからないそうゆう不安というのがある。ここ10年の変化がもっとも激しく、この先の
一年いちねんというものもあるところ、ある意味では激しい感じもある。どう考えても、
若くない。もう年老いたいう感じが強い。
  精神年齢というのがあるか、というとないと思う。精神に年齢はない。脳にはあるかも
知れない。この脳年齢はどうか、というとあまり昔と変わらない。子供の、学生の、
それより先に大して変化なくここまで、ダラダラ来てしまった。おとなと呼ばれる年齢で、
恥ずかしい気もする。内心だけど。多少は気の弱さはなくなったと思うが実際は変わらな
い。気の小さい、性格的にしつこい、それに加えて何があるか、言い方の問題だが、
大人ではなく、結局子供っぽいまま。変わらない。

  人はある年齢に達すると、もしかして、子供のときの、考えとか環境とか、育てられ
方というものが復活するようで、昔はよかった、などいう。私の母も、私の態度は一体何だ、
それが親に対する口のききかたかというようなことを最近よく言う。昔はなかった。
それで多少は「いいほう」だと思っていたのかも知れないが、とんでもなかった。化けの皮が
はがれて、それも久しいがこうゆうことを書くのが目的でもないので、でもいい子供ではない
ことはたしかで、今は何とか親孝行ではないが出来ることはする、という考え方。これ
しか自分をあるところで救う方法はない。人というのはいつどこで、どう変わるかわから
ない。でも最後の方で、もとに戻るというのはありそうだ。だから、それが親に対する
口のききかたかという言葉も出る。その反対のことを私は私で思ったりもする。これ以上は
出来ないなー、という思いである。

  もう新しい年がきたと考えておかしくない感じがする。2010年の0月だと考えてもいい。
誰がゼロを発見したか、この数字というか、言葉というか、記号、概念その他、このゼロに
勝てるものはなさそうで、どうがんばっても人は最後は消えてなくなる。これが大体
ゼロというものと似ていて、真実かも。何もかもなくなってしまう。どこから現われたか、
その予想はつくが最後はみなもとに戻る。何もない状態、ゼロ。どうがんばっても、
最後は0で、これは面白い。同時に、0というものがあるので、これで割り算ができないと
いうことにもなって世の中、特に学者の皆さんは苦労したというか、気が滅入ったらしい。
逆にいうと、無限大という概念も出てくるからで、それも何もかも無にしてしまうことに
通じる。有限、有界でないと現実というのはあり得ない。
 
  でも宇宙の始まりというのも、もっともゼロに近い数字で、どう考えてもそのような
ことを想像できないが、その時期を過ぎるとものは安定して存在する時間を迎えるときが
出来たという。それよりも、例えば、これから先のこと、その反対の、過去のこと、こうゆう
ものは、無限に続いてきたと考えるのが気分的にはもっとも安心できると思う。始まりも
なく、終りもない。そうあると嬉しい。悩みも少し減る。
  ただ、こうゆうことはあり得る。太陽系の安定性。もっというと、太陽が安定した
活動をして、エネルギを供給してくれる時間というのは、限られる、ということ。これに
は、間違いがないと思える。もっともその時間というのもまだまだ先まで心配に及ばない。
それよりも、人類の歴史も相当長いようで、しかし結構人類そのものが人類を滅ぼすと
いう悪夢が、本当になりそうな気もしないわけではない。

  残り一ヶ月というか、もう2010年の0月になってしまった、と思うことにすると、
なんだかいいような悪いような、ニ、三のことが思い浮かんだが、それにしても悲観的な
考え方が主なようで、なかなか「0」でもいいというところに達しない。せいぜい、明日から
自分の医療費でも計算しておくことにしよう。






  剪定の跡。木もただ切られると黙ってはいない?。




  赤いサザンカ。垣に使われるサザンカはこれが多い。なんどもどこでも今は
  このサザンカを見る。毎度これを書いている。




  この赤いサザンカの色が、暗い感じの多い今の季節に希望を与えて
  くれる感じがする。




  赤い色というと、もう一つヤマハゼがあるようで、この葉っぱの色も
  印象的で、どこにでもあると思える。




  そのヤマハゼの横に、黄色い色の葉を付ける木がある。当然少し前は緑。




  これも同じだろうか。塀の上から覗き込むような感じである。木の密集する
  ところ。外からのみ観賞できる。




  ようやく、園芸店の前にある、パンジー、三色スミレのあるところに来た。
  植物は自然が一番とか言いつつ、それでもやっぱりこれを見ると足が
  自動的にそちらに向かう。




  この花を生産される人がおられて、それを見て美しいと思う人がいて
  それはその人のもとへと移動する。




  明日は0月であり、2009年の11月の最後の花は、スイセン。何と四つも咲いている。
  この秋の一番最初のスイセンと同じ個体のはずで、最初は二つしか花は
  なかった。しおれる感じもあったが、ここまで立派になった。

霧が流れた、朝

2009-11-30 16:12:24 | 散策
  大体いいお天気で、天気予報よりずっとよかった。
  少し寒かったが、これもいよいよ冬が来る感じもして
  悪くはない。本物の冬である。

  そう思って、朝もまだ雲に隠れて出てこない太陽があったが
  もっと驚いたのは、霧。霧が出ないこともないが、
  滅多にない。その霧も日が出るころにはもう
  さっと消えるのが普通。だが、
  その霧、次から次へと流れてきたようで
  気が付くと、さらに濃くなっている。

  こうゆう霧もなかなか珍しい。
  霧そのものはなかなか写し出せないものだが
  感覚だけ。




  普通の日の出のようで、少し煙っているかも知れない。




  普通の朝にしては妙な色合いが出る。




  それで、気が付くと霧が濃くなっている。セピア色になったが、
  50mくらい先の木までは写るが、その先はもう何も見えない。




  西の空を見る。こちらの方がわかりやすいかも。 
  霧というのは、発生は他の場所で、それがゆっくりと流れるようである。
  原因は、放射冷却で、それで川霧が出たという。 




  すぐ上の画像の方が見やすいが、虹のようなしかし白いだけの
  円弧が見える。それ以外は、近くのものだけ。




  再び東の空。濃い霧のまま。




  明けない夜はないように、しばらくして霧も晴れた。


寒スズメ

2009-11-30 06:41:52 | 散策


  寒スズメ。スズメが集団で、ピーチクパーチクやっている。多いとこれが騒音のよう
にも、聞こえる。で、何かの拍子にどっと飛び立つとそれこそ心臓に悪い。しかし、最近は
スズメはかわいく思える。



  朝のお天気は、推測で晴れ。雲の多い晴れで、まだ薄暗くよくはわからない。寒気だと雨。緩むと、曇りか晴れ。風はなく、雨の音もしない。雨は早く上がったようだ。穏やか、寒いが。アメダスの6時の気温、6.6℃、気圧は、1020.2hPa、湿度は、97%。室温は、11℃。

  きのうは、晴れたり曇ったり、ついでに朝も雨だが、夜も雨という、ややこしい天気になったようで、これでは洗濯物も乾かない。こうして、濡れた洗濯物が部屋の中でぶら下がるというのも、景色としては悪くはない。乾燥というが、どちらかというと湿気の多い冬だから、乾燥はさせても結局は、またもとに戻る。それを乾かすのが、体温で、また雪かきなどやると、他に早足でも汗が出て、湿度は体にまつわり付く。

  雨である。何だか外を見てもつまらない。カエデの葉が落ちて、ヤツデの葉も落ちるようで、それが暗闇に光ったりもする。これを見るとどうしても、なぜかどきどきとする。
  朝に、ゴミを捨てる。ゴミ捨ての行事も、実際はそう簡単でなく、このような物も捨てていいのか、というようなものも入る。これの規格に厳しい人は頭を悩ませる。そのはずで、これでゴミを捨てても、さほどすっきりした感じが残らない、頭の中に、というのは、あまりに規格を規則を守りすぎてということで、もやもやが残るからだ。これを捨てるいい方法は何だろうか。

境界線の向こうを歩いてみると

2009-11-29 18:46:35 | 植物・花(秋)




  あっさりと、ジメジメはなく、もう暗くなると同時に雨になった。雨が降っていると
感じる音があって、なるほどと思う。もう少し遅くてもいいが、でも降るならさっさと
という気持ちもある。日曜だから、何となくほっとする状態でもあるが、大体似ている
いつもがあるが、それでも日曜の午前辺りが一番気が抜けていて危ないと思ったりもする。
なんだか「のど」が少し痛いようだ。そうゆうのはなんどもあった。それでも風邪状態に
進行しない。今回もそうゆうことになる。

  ウイルスの完全スキャンというのをやるときはやる。で、今日がその時間に思えた。
それをやっている間は、TVを見ていた。ずっと、「きむたく」さんが出ずっぱりだと思える
番組で、なるほどなど聞き入っていた。他の皆さんもみな、その声を聞く。耳を傾ける。
話す人がタレントで、俳優で、トレンディなのだが、みな聞き入っている。そうゆう中に
自分もいた。途中からお腹が減った。これはいいことのようである。で
  肝心のPCのウイルススキャンというのは、途中で止まっていた。これが、PCでの世界で
ある。PCの世界かも知れない。

  それがあってか、あまりいい気分でもない。でも、こうゆうこともある。なるべく
早く歩いた方がいい。お腹の出具合はへっこまないが、それよりも外の空気を吸えるとき
は吸う。それが一番である。いつもより少し早く外に出た。何か忘れたが、それも忘れた。
道があるから歩くような気分で、最初から少し早足で、少し大股である。これはいい
ことかどうか。自然に成り行きかも知れない。
  いつもなら多少はどうする、というウジウジ感がある。さてどこへ棒を倒すか。
しかし今日はそれも考えず、いつもと少し違うそうゆう道を「うすうす」頭のどこかでしかし
考えてそれに従って歩いた。
  普通は丸く歩く。でも一本の道を行き来で往復することもある。で、境界線という
ものを自分の中で設定しているのも事実で、いつもそれを無意識にッ守っている。時間が
かかりすぎる、ということもあるが、そこに行って何かあることもない。そこであるのは、
こちらでもある、とか思うのが普通。これに似ているのが、トレーニングマシンかも知れ
ない。どこ歩いても、走っても同じ。

  今日は少しだけ元気だったようだ。のどが痛いと思いながら、段々と日が陰るそうゆう
道を少しだけ変えて北の方へと向かった。なぜか西に向かい、それから北へと方向を変えた。
実際の方角からいうと、それは北の方角に対してちょうど45度ずれている。もっとも時間の
かかる歩き方。で、でも最後は、いつも歩いていると言っていいような、そうゆう道に出た。
それで、である、
  時間がかかったというのが、これはいつもの毎度の撮りなれているところでの、油売り
だったりもする。
  田んぼが宅地に変わるということは多い。それでもって、もともとあるところが、平地
となって空き地のままにもなる。簡単な宅地の造成は、もとが田んぼというところのようで、
それ以外にそこが平地のまま、保存されてというのは考えられない。こんなところにこれ
だけ新しく宅地が造成され、新しい家が建つ。そうゆう風景を見て、開通の予定もない、
行き止まりの道で、子供の遊ぶ声が聞こえた。もっとも、いつものよく知っている、
そうゆうところでも今日は子供の遊ぶ声がしている。ということは、なかなか好日だったと
いうことかも知れない。



  何でもやってみるか、ということもあるけれど、形だけで、最初はアベリア。
  アベリアの花も小さいが、まだ咲いていてこの輝きはしかし少し不安定な気
  がする。




  この辺りは、いつものといっていいところ。このフワフワした花というか
  穂を見ると「セイタカ」を思い出すが、単子葉のイネ科の雑草の何か。




  明るい風景が続く。これが黄昏を返って意識させる。たそかれ。辞書に
  あるとおり。




  賑やか、というか、ここの菊だけこれだけ輝いている。これもたそかれ
  という感じが強い。




  そんなに遅くない時間で、日の入りまでの時間はもう短い。




  明るいスイセン。スイセンの葉っぱが透けて見えるくらいの、明るさ。




  この黄色の花は、ダリアか、アスターか。忘れそうで二つの花の名が出て
  来た。




  ここのうちにある、アジサイの今。といっても、これもきのうと同じ、
  ときのもので、でもアジサイもまだ緑で花も枯れているが、その横に
  カエデの葉っぱがあって、小さいカエデの命というものを考えさせられる。

朝の雨滴

2009-11-29 16:07:37 | 散策
  大体曇り。暖かくはないが、寒くもないような
  感じがしたが、もうかなり薄暗い。それゆえ、
  寒々しい感じもしてきた。

  朝は晴れ。日の出は、稜線から日が出る時間だが、
  午前7時ころ。どんどんと遅くなる。
  もっとも日の入りも、かなり早く4時半だと相当暗い。

  朝は晴れ、その前の時間、ある程度の雨が降って
  水滴が、キラリ、あるいはギラりと輝いたりする。
  しかし光の量は足らなく、暗めである。





  最初に、ずっと晴れというときの朝。このときは、露が降りる。
  一部は、かなり大きな水滴となるようで、これも葉の上に載る。




  今朝の様子。雨が止んだころから少しだけ時間がたったようだ。
  ときどき、ポツと葉っぱから雨粒が落ちたりする。




  枯れたカエデの、細い枝に水滴が、雨滴があって、これは美しい。
  明るさが足らないが、露光を長くするとぶれるので、この暗さ。
  少しソフトで明るくしている。他も同じ。




  だんだんと時間がたつと、体も冷えそうである。



 
  雪が、この枝に積もるのはいつか。




  ヘクソカズラにも。この実に水滴が残る。

  肉眼で見ているのが、一番きれいだが、しかし、やっぱり撮らないとな・・・。


  

二個目のツツジの花、咲く

2009-11-29 06:50:22 | 散策


  ツツジの二個目の花が咲いた。咲かないで、蕾のままで終わるか、と思ったが、
  ちゃんと咲いてくれた。1週間くらいは持つかも知れない。




  朝の天気は、今は晴れ。ややこしいお天気だった。きのうは晴れてくれて、もうかった感じもあったが、宵も遅い時間、また雨。もう雨か、早すぎる。それで、今は、晴れ。東の空は雲一つないようで、赤いオレンジ色かも、朝焼けがある。こんな晩秋ありか。アメダスの6時の気温、6.9℃。気圧は、1024.5hPa、湿度は、92%。室温は、12℃。

  掃除は、大切だと思う。こうゆうことを書くと、小学校くらいでは優等生となり、なぜ今頃こんなことを思うかというと、自分もそうゆうことを書いていたから。というのは、実ははっきりしない。今は、掃除は大切ということを体で認識している。
  大してきれいにならないことは、もうわかっている。こうゆうことも、本当は黙っているほうがいい。でも一言書いておきたい。
  日頃大して汚れていないところは、大体毎日掃除をする。これは、もう習慣。で、日頃汚れるのは、居間だとか、台所だとか、洗濯機の置いてあるところ。風呂、洗面、洗濯という、水もの関係の集まるところ。ここは、まーいつも汚い。久しぶりに掃除しても、すぐに汚れる。というか、いろいろなものが落ちる。いろいろも書かないほうがいい。

  階段もやらない。そうするとゴミが目に付く。それに比べると、外の道は概してきれいである。うちの階段ゴミが集まりやすい。ここも、久しぶりに掃除器をあてた。こうゆうことを、30分くらいやったようだ。きれいになったと思わないといけない。心理効果。そのせいか、今日は少し腰が痛い。か弱いのである。

  それで、これも長く開けていない、掃除器の中。ゴミパックを見る。取り替えた時期がマジックで書いてある。すると、それには8月という文字が発見された。もちろん2009年である。3ヶ月か。何だかゴミパックもスカスカだが、中にゴミなど入っていないような感じだが、新品のゴミパックに取り替えた。日付を書いて。
  試運転をする。すると、吸い取る力が、増したように思える。これが大切なようだ。掃除器にゴミが入る、溜まる。そのパックをなるべく短い期間で新しいものに取り替える。まー大してきれいにならないのも事実だが、このゴミパックというか、掃除器に特有のものも、結構な値段がする。
  こうして、多分もうしばらくの間、快適な掃除が約束されるはずだが。

田園へと、続く散歩道

2009-11-28 18:38:15 | 散策
  晴れて、月も出ているが、風がずいぶん冷たく感じられる。雨、と曇りのときは風は
なかった。今は、さっき気が付いたが、結構風が強くその風はやけに身にしみる。この気温
の変化、と風との関係がもっとも危険なものかも知れず、気の緩みが必ずあるから、
そこがウイルスの狙いどこでもあるんだろう。風邪はもっともなじみの症状だが、もっとも
何がどうなったというのを説明するのがむつかしい状態といえる。体が弱っているときに
なる。人の体にリズムがあってこのサイクルから逃れるのはむつかしい。危ないと感じる、
雨の後の晴れ間と、冷たい風。

  いつものように、少し遅れてカメさん持ちで、その辺を歩く。どっちが目的か、
歩くことが大切でこれにも力を配分して、それからカメさんも有効利用する。ということ、
はなかなか出来そうにない。なんだか先行きが怪しいというか、何かはっきりした目的も
なく歩いていると、撮るものだけでも撮っておきたい気分にもなる。そのこと自体、
さほど問題もないと思うけど、やけにそれにこだわるようで、そういえばそうである。
結構ボタンをむやみやたら押しているようだ。
  田んぼもある。風景もある。それから園芸店もある。園芸店の三色スミレ、パンジーは
やはりきれいだ。だれがいつ見てもきれいだと思う。そう出来上がっている。でもずいぶん
小さい。で、野草も雑草もあるが、老眼で近眼で、となると目もどこを向いて何を見るか、
わからなくなる。今は選んで撮るようなことはなかなかない。そうゆうものは、どこかの
写真教室とか、それからお散歩カメ・ハイクなどではあって、そうゆう自由は許されず、課題が
出る。そう思える。そうゆうものがない。と、勝って気ままな感じがある。

  パンジー一つでも、そこに面積があり、花も多いと、ボタンを押す回数は増える。
一番持ちやすい、でポケットにも入る、ミニカメ。ちょっと高級というか、そうゆう
ミニカメも持ち歩くが、小さいといえる常用のものは、これは結構ボタンを押す間の時間が
短い。単純に連続して撮ると、これが一番早い。高級で、しかし、ミニカメで、なかなか
次が押せない、というのがある。
  そうゆう話しではなかった、で、ほどほどにもう帰ろうと思うころ、何とメモリが
なくなった。最後のほうで、そうゆうときもあるが、今は容量は結構大きめのものを使うし、
といってもないものはない。惜しい、という紅葉、1日違いでこうもイチョウの色、葉の色が
変わるかというものがあった。でも、もう残り数分ただ歩いて帰って来て、時間的にはちょうど
よかった。


  田園と言っていいそうゆう大きな田んぼ、が続くところがある。すべて田園で囲まれ
てというと違うかも知れない。歩くとしかし田んぼには必ず出る。というか、田んぼの
中の道を歩く。きょう歩いた道ではないが、田園へと続く道もある。この風景をいくつか。





  カエデ。ちょっと見た感じが違う。ここのいえのものではない。でも、
  このカエデ、ときどきいい色があって何回か出ている。




  その葉がいい、というものはなかなか。全体で一つ。




  イチョウの木で、この木は結構目の前にある。小さい。こうゆう小さい
  イチョウというものも見ない。




  10mとかの高さになるまでどのくらいの時間がかかるか、いつも同じこと
  を思う。赤いカエデとの位置関係もこれからわかる。




  日が当たって、秋らしい様子。




  大きな空間。田園。いつも出るところ。珍しさはない。
  この日はお天気がよかった。そうすると、この景色も映える。




  ゆがみはレンズのせい。このくらいの角度で、地球が丸いということは
  多分わからない。
  遠くの景色が消えてしまう。




  すがすがしさ、がある。秋の今頃、こうゆう明るさは珍しい。




  スイセンの咲くところへとゆく。これは、きのうのスイセンの花へと
  向かう道でもあって、時間的には逆転した。
  で、このスイセンはきのうのスイセンとは別で、もう少し先にあった。
  こうゆうスイセンは多くなりそうで、今日もスイセンのいくつかを
  見かけた。

八重の白サザンカなど

2009-11-28 16:13:45 | 植物・花(秋)
  雨は午前で、終わった。正確に書くと
  11時ごろだと、降っていそうで降っていない
  という状態である。その後、少し日が射してきた。
  
  完全に晴れだと思えるのは、午後も2時とかいう時間のようで
  今も晴れと言っていい。何だか得をした気分。
  気温の最高というのを見てみると、午後3時までで、 
  13.1℃、これもそう悪くはない。

  八重の白サザンカは、前に一度出たもの。
  少し花も多めになって、でも時間とともに 
  くたびれてゆくものもある。

  一度、この花はアジサイに似ているが違うようで、
  その名前もわかったような気がしたものがあった。
  それが枯れてはいるが、枯れたよさもあるようである。





  ユキヤナギ。パッと見てすぐに名が思い浮かばなかった。
  小さな花、左上に一個。




  八重の白サザンカ。勢いがある。




  拡大モードで。




  蕾、ほどよく咲くもの、だんだんと変色するもの。




  雑草の緑。水滴もある。




  背が高い。アジサイのような花をつける。これの名が、出てこない。
  ヤブデマリでないし。 
  追加:慌てて調べて、ノリウツギだと思う。たぶん、ノリウツギと
  その花。





  若干、スカスカして、空気の流れがよすぎるようでもある。


今頃の、青い虫

2009-11-28 06:50:59 | 散策


  青い虫。時間がたってしまった。5、6日前にいた。鮮やか。



  朝のお天気は、雨。いつごろからか、雨に変わった。まだそう寒くはない。雨のせいか、辺りはまだ暗く、きのう見ていると日の出、山の上から日が出る時間は7時ころ。だからまだ暗い。雨のせいか、室温は高め。穏やかだが、雨の降り方は強い。アメダスの6時の気温、10.5℃、気圧は1022.2hPa、湿度は91%。室温は、15℃。

  暖かい天気が、続いていた。今日もまだ部屋の中は、暖かさが残るが、ときどき早く目が覚めて、しばらくウトウトと時計を見ることを繰り返したりする。それで、しばらくすると、もう起きる時間というのに眠ったりする。で、目覚ましがなる。これではいけない、という感じ。だが、なるようにしかならないもので。
  目覚ましが鳴ってからが、大変で、やることが緩慢。だんだんと目が覚めて、これでは危ない、など思ったりもする。電気ヒータがついているのによそ見をしたりする。一つのことに集中して、しかし薄っすら辺りを眺めていないといけない。これなどは、人の感覚より、人以外の動物のほうが優れている。
  
   雨か、たまに雨はいいが、やっぱり今日は土曜だから晴れて欲しかった。このところ、連休やらあったが、土、日は天気が悪い。それでも、大きなスーパの駐車場は満杯で、止めるところを探すのから、が気の長い仕事になるという。駐車場も大型のスーパも車で、人で満杯になり、満員になることがある。何だか、
  聞いていて、いい感じはしない。あまりに人の少ないお店というのも、いい感じがしない。なんでも、ほどほどというのがありそうで、見習わないといけない。

  今日は午前中が雨という。確率は高い。午後からは減る。お昼前に雨が弱くなってくれれば、それでよく、今は雨の音も少し弱くなった。このままもう少しは降ってもいいが、後は曇りになってくれないか。

日向のネコ

2009-11-27 18:49:48 | 散策
  暖かで、でも昼過ぎから、雲の多いお天気になったようで、それでも今見ると、
月もそれこそ煌々と輝いているから、まだ雨降りのお天気ではない。いいお天気というの
もこれだけ続くと、なんだか少し前の冬のような、それでいてじらすようにときに晴れた
天気を忘れるが、北陸辺りでは、後者、つまり時雨で、ときに雨がざっと降る、それが
雪に変わってもおかしくはない。そう思っているのがもっともなことで、晴れ間も三日
続くと、なんだか心配になってくるからおかしなものだ。
  今回の雨も、まだ雨のあの字も降っていないが、そうひどくはないという。寒気も
中程度。それで12月が始まるが、師走はいいとして、なんとなく鬱陶しいというのが12月
で、好きな時間ではない。もし、どんどんとその数が増えていったらどうだろうか。
13月、14月同じかも知れない。高々、ちょっとお正月がある、そうゆうだけでガタガタ
しないといけない。
  それに比べると、これも行ったこともない外国だが、よその国では「クリスマス」
というものがあって、その雰囲気を楽しめるようである。みなクリスマスだから、楽しい
気分になれるのだろう。そう想像するしかない。何とかの通りがLEDのイルミネーション
で彩られる。まるで、TVで見たことそのままを書いている。
  よその国もやれば、ここの街でも夜のライトアップというのはあるようで、さらに
募金というものもあるようなで、当然だが早い話しお金がかかる。儲かるのは電力会社。
わかりきったこと。夢も何もない。でも、たしかにライトアップも必要かも知れない。
それをばっさりと止めるというのも、考えものかも知れない。

  明かりがあるだけで、違う。朝に晴れているとそれだけで落ち込む気分の程度も
あるところで止まると、いうものである。もっとも、この時間に帰宅という方にとって、
朝の太陽はまぶしすぎる。その他、まぶしいものは多い。あれがあれば、これが欲しい。
考えたらきりがない。いいところで止めるのがいい。でもそれがズルズル引きずる。
これもある。正確かも知れない。執拗。
  PCの世界でも、執拗にこれを求めるとかいうことがある。ウィンドウズでないといけ
ない。ウィンドウズの7でないといけない。そうゆう考えもあるだろう。長くXPを使う。
それでもう飽きたというのはない。XP自身もずいぶんと変わった。同じことが、次のOS
でも起こるというか、繰り返される。それでも、もうOSは、XPのままでいい、と言って
いることが、7を気にしているということにつながるのも事実で、指くわえて中身ではなく、
値段とか、どうゆう購入形態がいいか、など考えている。それだけ、情報が自分自身で
不足している。その証左。それを埋める作業がしばらく続くが、中身は永久にわからない
ままだろう。

  新しい年に近付きつつあるということで、この時間というのがなんとも嫌な感じが
ある、ということをいいたかった。大体いいことはない。今頃いろいろこれもあれも
やっていない、これもあれもやらないといけない。ということを思い出す。思い出すと
いうと、短く書くと去年の今頃は、父が亡くなってまずは彼の年金の後始末から始まって、
いろいろ金融機関の凍結だ、契約の切り替えだ、というのをやっていた。それから、相続は
そう急がなくていいがしかし、準確定申告というのをやらないといけなく、その他、ごた
ごたしたものが、ずっと続いていて、しかしそのときは嫌だ、面倒だ、と思いつつゆっくり
とやった。それがよかったようだ。しかし、なかなか終わらないのは事実で、それこそ
同じようなことをなんどもやらないといけなかった。そうゆう時期を過ごしていて、
ちょうど今がその時期と重なって、1年たっていて今もこのままでいいのか、忘れている
ことはないか、というのが思い出されて頭を巡る。いくらやっても、終わる気配はない。

  何が終わらないか、生きている限り、やらないといけないことはずっと続くという
ことで、それが食べることであり、また悩み苦しむこともそうであって、なるほどうまく
出来ている。なかなか終わらない。終わらないのが当然か。
  再び、朝が来ると少し頭が重い。去年より今年の方が頭が重いのはなぜか。それを
軽くするため、忘れそうなものはメモに書き、外を歩いてその様子を、有り様を見る。
そうゆうことを繰り返すしかない。あてどなく繰り返す日々という感じ。


  朝の時間に珍しく、歩いたときの続き。




  タンポポの様子。タンポポの冠毛。花はすぐに散るかのようである。




  朝の光は強烈で、水滴も蒸発する。




  朝の光、と青空と、カエデ。すかすかして来て、朝らしい。




  ちょっとカエデが足らない。この不安感というのがあるようで、しかし空は
  青い。




  やっぱりある、この花。ヒメジョオンかも知れない。




  お寺の庭。




  ぽかぽかでうたた寝。
  ネコの姿を見るのは本当に珍しい。静かなところ。日溜り。暖かで
  ポカポカである。眠くてしょうがないようだが、少し薄目。
  眠いという顔。ちょっと睨み付ける顔。また眠いという顔。いろいろ
  あって、すぐに正気になった。隠れた。