光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

思い込みというもの

2007-07-30 19:16:44 | 虫、その他
  オニヤンマだろうと思って出した写真は、どうも違うようで、申しわけないと言うことです。
  
  知っているトンボというと、大体両の手で数えられる。まず、ヤンマがあって、それからオニヤンマ、尻尾にちょっと扇子みたいなのが付くのもある。あとは、シオカラにムギワラで、それと昔、電気トンボと言っていたものがある。これは、しかし全然見ない。今頃飛ぶのは、アカネ、赤とんぼ。ショウジョウトンボというのは、写真でみた事がある。それ以外だと、ハグロトンボ、翅が黒い糸トンボで、これはなぜか、きのう、このオニヤンマに会う前に見た。ふわふわ飛んでいるようで、方向はちゃんとしている。これ以外は、すぐに思い浮かばない。
  きのう、外から帰って来て、玄関の先に何かトンボ見たいのがいる、そう気が付いたのが、まず不思議。曇りで、それほど明るくないし、場所も場所で気が付かなければ踏んづけていた可能性もある。非常にはっきりしていることは、3年ぐらい前に、ちょうど目の前に道で、それこそ間違いなくオニヤンマだったと思うが、それが農耕用の特殊車両に轢かれていて、ペシャンコになっていた事。どうも、赤トンボこそよく見るけど、ヤンマクラスのトンボは、なかなか見ることはない。
  それで、これは、オニヤンマだと思った。ただ、手で捕まえられたので、弱っていて、もう飛ぶ力もないようだし、それなら、少し写真でも撮ってと思った。だが、まだ生きているトンボをシロウトが撮るのは難しい。どうしたらいいのかわからない。曇りだし、部屋の中は暗いし、窓からの光も弱い。しばらくスケッチブックなどに乗せてみたり、動き出すので、手に止まらせたり。しかし途中で、産卵しているのに気付いて、これは困った。それで、こんなに静かにしているのか。まー、それにしても、どうしてこんなところに来て、玄関の事、止まったのか。
  どうも、早く外に返した方がいいように思う。それにしても、オニヤンマが、草に産卵するかな、など考える。でも、わかるわけがない。
  外に出して、アジサイに止まらせる。それからも産卵を続ける。その後、自然の状態?での記念にと、しばらくさらにその様子を撮った。翅を振るわせるようなことをした。これはスケッチ帖の上でもあった。それで、姿が消えてかえってほっとした。

  このことは、ちょっと細かいところの写真だけを出して、それで終わりにしようと思った。産卵の状態にあるトンボであったので、後からわかったとはいうものの、それなら、早く草むらなどに戻すべきだと言う感じがその後強く残ったからである。それが、これで終わりにしようと思って、でももしかしてというものもあって、ネットでオニヤンマを調べると、どうも見る感じが違う。さらに、腹長と言うらしいが、その大きさも小さいし、さらに特徴的な黄色の縞のその色も違う。
  言い訳を書いています。それで、もう少し全体の様子がわかりそうなものを出すことにしました。オニヤンマではない、と言うことは確かな気がする。




  真上からの様子。腹長は、見る角度で違ってそれほど短くもないが、黄色の縞の色、形が、明らかにオニヤンマとは違う。



  横からのもの。やはり黄色の縞の形の違いが明らか。



  斜め、ちょっとだけだった。



  斜め後ろから。

  珍しいものがやってくると、どう対処していいのやら、難しいものである。 

オニヤンマ?、産卵付き

2007-07-30 08:58:37 | 虫、その他
  昨日、玄関の前にいた、手で捕まえた、オニヤンマ?の写真です。





  手に止まらせて、暗いので、電球を付けました。





 ちょっと引いてみました。




  さらに引いて首根っこの辺りも。暗くてうまくいきません。




  少し、傾けたりもしました。




  まー、流れとして、全体。掌は、見ないで下さいね。





  種明かしの写真。彼女は、産卵しようとして、
  結局どこで生めばいいかその場所がわからず、この辺りにおりた?。
  そこを捕まえられたというわけです。




  早く外に返してあげた方がいい。
  いつものアジサイにどうにかつかまった。
  まだ、産卵中。
  しばらくして、翅を弱弱しく震わせて、
  そのうちどこかへ行ってしまいました。


  オニヤンマかどうか、自信がなくなってきました。

久しぶりのカメムシ君だが?

2007-07-29 19:12:04 | 虫、その他
  朝方、温度計を見て25.5℃だった。なんとなくいやな予感がした。これから、また気温が上がるのか。それで、日も当たると26℃になった。それからどうだったか、これを先に書いておいて方がいい。26℃が最高だったのである。まだ、一日は終わらないが、今は少し下がって25.5℃。涼しいと言っていい温度である。
  ある時間から、ちょっとダラダラしたモードになる、そうゆうTVを見ていた。どうも、タモリさんの時間はまだのようで、そのうちお昼になった。これは、勝手に決めている。その前から、体がだるい、頭重感があって、熱中症は怖いですよなんて書いてる本人が、バテタとなるとこれは悲しい。お昼というとこれは、食事でもあって、その辺にあるいつもと同じものをさっさと食べた。ちょうど、タモリさんの番組で、少し盛り上がった。しかし、かなりな睡魔が襲ってきて、これに逆らうのは止めた。おとなしく、毛布を引っぱり出してはおって目をつむった。
  適度な時間無意識で、意識が戻った。ここは軽めの運動で状態を元に戻さないといけない。いつもの事だけど。傘だけ一本持って、そとをプラプラ歩く。曇り空。適度な風。汗ばむどころか、適度に歩いていて、ちょうどいいくらいである。一日しか咲かない、そうゆう厳密な花もあるが、それに近い、フヨウに近いものが、新たにいつも歩いている道のそばに咲いているのを見る。でも少し遠くにある。花が大きくて、見た感じはその葉の緑の色は薄めで、これは、草に近い。横に広がっている。よく考えたら、去年も咲いていた。これは、フヨウだ。さらに、もう一つ、より遠くに色違いのものがある。
  さっさと歩く。カメムシがいるはずの植物に近づく。やはりいる。貧血気味のヒマワリは、花は多いが、うなだれている。その後ろに、元気なヒマワリが、東向きに咲いている。途中省略。きのう書いたように、これこそヒマワリというものを栽培されているご家庭のその前に行って、もう一度それが、夢でなく現実であることを確かめた。ツバメが、かなりの数で、ある電線に止まっている。どう見ても、雛鳥である。体は小さいし、毛の状態も、よくは見えないが、ぼさぼさである。今年は、こんな天気では餌も少ないだろう。
  そうして、今日もちょっと切ない気分で歩いて来た。もう終わり、辺りのアジサイの花を見る。カマキリが一匹だけいた。バッタも、マメコガネも、テントウムシもいない。セミの鳴き声も、弱弱しい。
  玄関の先に、なにかトンボのようなものが、静かに止まっている。トンボが、玄関の前に止まるかい?、まったく。


  
  清楚な白い小さな花をつける、その植物に”小型”のカメムシがいた。まずは、肉眼で見て、さらに面倒だが眼鏡もはずす。こりゃ、カメムシだ。だが、一匹の虫は動いた。クルクル回って、残っていたのは、こちらの虫だが、これは、パッと見てカメムシである、とは言えないようである。弱ったな、胴の後ろ側の模様に特徴があるが、これが何か、どうもわからない。



  お腹の方からのものがあった。真正面からというのは、難しい。今日も、見るだけは見て、その姿はやはりカメムシの格好をしていた。しかし、写真、これはきのう撮った、を見るとなんかちょっと違う気もする。小さいというのがいけない。花の方がきれいで、しかし、それは頭が切れていたりする。

  さて、その今日玄関の前にいたのはトンボで、しかもオニヤンマであった。そっと翅を垂直にたたむように捕らえる事が出来た。なんで、こんなことになるのだろうか。  

地図の距離と、実際の距離

2007-07-29 07:19:58 | 散策
  朝の天気、曇り。風は弱く、穏やか。ムッと来る。室温25.5℃、暑くなって来た。
  まだ、本物の夏がやって来ないうちから、へばり気味である。風があるか、雲があるか、それで気温は30℃。これなら、何とか歩く事が出来そうだが。晴れで、風が弱くて、となると、これは少し、少しではだめで多いに注意しなければいけない。もうこの辺りの道については特に調べる事もないが、たまに地図を見る。どうも、実際に歩いている、そこから来る感覚と、地図で見て得られるものは違う。方向からして違う。一番違うのは、距離感で、地図だとたったの500mしかないのが、歩くとその倍くらいに思える。これは、齢を重ねるとその違和感はより大きくなると言えそう。
  情けない話しである。高々、500mくらいが、長く感じるなんて。その一辺が500mくらいの正方形をぐるりと歩いて、返って来るわけだけど、それだと2kmは歩いている計算になるが、これまた実際は違うようである。
  最近はもう付けないが、歩数計を何ヶ月かつけて歩いていて、大体30分と少し歩いて、3000から3500のカウントが得られる事がわかる。歩幅の問題があるが、60cmとしても???、2km歩いている勘定になるが、どうもそう簡単に歩数を距離に結びつけることは出来ない。ただただ、歩いているわけではないから。それに、地図をより正確に見ると、どうも長くみても1.5kmあるかないかである。
  なんか話しがごちゃついて来た。自分でも、何を書いているのかわからなくなって来た。早い話しが、まだ本格的な夏の暑さでもないのに、500mくらい歩くと、息も絶え絶えになる、そうゆう事がはっきりして来た、と言うことである。
  一日一万歩歩きなさいと、ある人はいう。どうもそれは、出来ません。
  最近は、まったく午後のおやつ時にも、お腹がすかなくなって、ほぼ飴玉、関西では、飴ちゃん、と、一口チョコレートの幻想が浮ぶ事はなくなった。
  食欲はある。で、お腹の出っ張りはというと、これは変化なしか、微増かと言う事になる。
  お医者さんの問診みたいになってきた。
  26℃になって、太陽が出て来た、暑くて、あちこちが痒い。

高いところに咲く、ムクゲ

2007-07-27 19:09:05 | 植物・花(夏)
  暑い一日である。ここの温度計は30℃を指している。今日は、熱中症に気をつけなければならなかった。何しろ、もう真夏だというのに、夜は、毛布をかけていないといけない。それで暑くない。朝の気温は、高くて25℃。それが、なぜか今頃になって、気温が上がる。やりきれない感じ。
  きのう、カマキリの話しを書いていて、どうして”カマキリの斧”と言う言葉が辞書にないのか、私がちょっと細かいものを見るときは、『大辞林第三版』を使う、少し焦った。それから、一日たってカマキリは蟷螂とも書くから、いつも漢字を横に並べている、その、”とうろう”を調べると、ちゃんと、蟷螂の斧が、とうろうの項にあった。もっとも、カマキリの鎌が蟷螂の斧に変わっても、その話しがどうかなるわけではない。カマキリの鎌でかえってよかった。
  コロコロ断片話。小型のセミが、道路に背を向けているのを見る。これは、きのうか一昨日か。すでに、物質と化していて、これはもしかしたら、ニイニイゼミかも知れないと思った。アブラゼミにしては、小さすぎるし、色はもう少し薄い茶色だ。クマゼミを小さくしたのが、ニイニイゼミであるような感触を持っていたので、これはちょっとネットで確かめようと思った。まずは、ニイニイゼミを見る。すんなりそれである、とも、思えない。クマゼミを探す。これも、子供の時に捕まえたものとちょっと違う感じがした。しかし、ニイニイゼミと、クマゼミは似ているかというと、答えは、いいえで、私が昔見たと思っていたニイニイゼミはなんだろうか。でも、舗装された道路で標本になっていたセミは、やはりニイニイゼミのようだ。
  この暑さにまだ体が慣れていないから、今日は最短コースで辺りを一回りしてきた。まずは、スーパにゆく。新鮮な野菜が必要である。それから、体を慣らすことも必要で、帰りは、少し長めに歩いた。熱中症というのは、どのようなものか、それこそ正確にはわからないが、暑いときに、ちょっと無理をして体に熱を溜め込むとこれは大変なことになる。
  何度か、そうゆう状況で、まずは意識がはっきりしなくなるような、また体に力がはいらなくなる、そうゆう風な状態になった。その当時は、紫外線の事を気にしていて、放熱の事は考えてなかった。暑いのに長袖ってな格好でいた。今思うとそれが、熱中症のような気がする。どうにか、目的とするところについて、休む事ができた。最近のお店は、冷房の設定を28℃くらいにしてるらしい。これは、いざというときは、やばい気がする。それなら、風のあるビルの陰で、体を冷やすのが一番のように思う。

  背の高いムクゲが多い事を書いていて、またその花を時々撮るが、高いからか、風で揺れるし、どうも私がそこに近づくと、花が閉じている事が多く、ほったらかしにしていた感じがして、少しあわてた。



  花は、早いものは、7月の半ばから咲いていたような。これも、ちょっと雨が降りそうな、そんなときに撮ったものだ。



  同じ木に咲いたもの。
  この辺りで見るムクゲは、純白か、中央が真紅で花弁の先にゆくにしたがって白になるもの。それと、この花のように、花弁が桃色のものの、三種があるようである。純白は一度登場した。その後も撮っている。中央が真紅、周辺が白と言うのが一番見事な気がするが、それがなぜか高すぎたり、遠すぎたりで、うまくゆかない。

アサガオの咲いている場所

2007-07-27 07:26:21 | 散策
  朝の天気、曇り。ちょうどいい感じ、風は弱く穏やか。室温25℃、まーまー下がる。
  巨大な入道雲のようなものが西の空にあって、あわてて開けていた窓を閉めた。きのうの夕方の事。いかにも、電気を持っているといった感じもした。帯電している感じが窺われた。雷がなってよかった。風も冷たくなった。しかし、雨は降らない。わからないものである。南から、東から、街の中央に入ると、晴れていたというメールがラジオで紹介されて、つまりは、その人は土砂降りのずぶ濡れ状態にあった。車の中だが、なるほど。そうゆうことか、ちゃんと理屈にあっているようだ。
  さらに、少し過去に戻ると、むっとする状況の中を歩いていて、これはフヨウであると決めてしまった植物を見るが、やはり花はまだ咲かない。蕾も、ちょっと見当たらない。その脇にある、別の小さな植物は赤い花を付けていて、しかし、どうも葉っぱの様子が、フヨウではないようで、問題は宙に浮いたままだ。
  貧血気味の、黄色味が足りないヒマワリは、強い光を受けて、たくさんを花をつけているが、うなだれている。やっぱりちょっとおかしい。が、なんと言う事でしょうか。その後ろに、いつこんなものがというような、濃い黄色、ヤマブキ色、本物のヒマワリ色の、ヒマワリが、ガオッと吠えるように、一輪こっちを睨んでいる。知らなかった。気が付かなかった。でも、やっぱり大きくなっていたのだろう。でも、ちょっと奥まったところにあって・・・。
  それで、さらに少し歩くと、ようやく、普通のアサガオが見えてくる。こうやって、順に記憶をたどると、出て来ないものが出てくる場合がある。そのアサガオは、道の、進行方向は北、左側のお宅の、道路きわきわのところにあった。いつもはなぜか、右側を歩いているが、暑いから、日の当たらないほうを歩いたら、大きくその花は開いていた。やっぱり、本物の、昔ながらのアサガオはいい。
  もう一つ、これは、少し道から入ったあるお宅の玄関、それも東向き、のところに、張られたひもにクルクル巻きつきながら、半分は想像、アサガオは咲いていた。
  アサガオ、それも、昔ながらのアサガオは、やはり東向きに咲いている。つまり、朝に日が真正面に当たる方向である。だが、お昼過ぎになってすでに日影ではあるが、アサガオは咲いていた。どうして、あのようにクルクルっとうまくしぼんでゆくのか知らないが、やはり、アサガオは、ちょっと日影のところで、ひっそり咲いているのがいい。夏休みの絵日記もはかどるというものだ。

カマキリが蜘蛛の巣で、どうしていたか

2007-07-26 19:03:25 | 虫、その他
  きのうのめまいのようなものも、胃のむかつきも、直った。先に胃のほうが何ともなくなった。めまいは、午後(きのう)もあったし、これは一晩たって直ったと言うことかな、暑さと雨の音で途中で目が開いて、結構夜が長く感じられた。
  今日は気温が上がって、かつ雨の後の湿気がひどく、これが気持ち悪い。スーパに冷房が入っていて、これで少し落ち着いた。
  でも、話しは、カマキリが蜘蛛の巣にいた、と言うことである。蜘蛛の巣はあちこちにあるが、そこにカマキリがいて、これが目に入ると言うことは、まー暇人だからであろう。普通、小さなカマキリは、蜘蛛の巣に関連した話しになると、すでに息絶えて、断片だけが残っているといった場合が多い。だが、カマキリは、植物の蜜などは吸わず、どうも小動物を食べて大きくなるようで、すでに、何なのかわからなくなった虫のようなものを加えている、子カマキリも見た。今日は中カマキリが、虫を、どうも少し前に出したヒョウキンなバッタみたい、を、その鎌でがっちり抑えて、今まさに食べ始めようするところに出合った。
  話しを戻して、蜘蛛の巣にいるカマキリを見たとき、これは、その蜘蛛の巣に捕まえられて、あわてているものだと思ったが、実際は違った。ゆっくり見ると、特に、足が動かないとかはなく、
  さらにカマキリは、蜘蛛の糸を食べていたのである。
  蜘蛛の糸は、カイコガの出す絹(その成分は、フィブロイン)と同じく、これは、たんぱく質と考えていいみたいである。よって、カマキリが、蜘蛛の糸を食べるというのは、至極まっとうな事で、その巣の片隅にいる小さな蜘蛛は、少し震えているように思えた。
  それを眺めていて、悪い事をしたものである、カマキリは、正体不明のものがこっちを睨んでいることに気が付いた。



  なんだ、これは、ってな感じ。流し目である。今まで、おいしい、これはどうかわからないが、ご馳走を食べていたのに、妙なものがいる。蜘蛛の巣にからまっているようで、しかし動けるのであるが、



  どうも、うまくは動けないようで、ダンスをしてるかのようだ。こちらは、液晶を通してその姿を見るが、こんな事をやってるとはねー。よっぽど、ムッときたか。



  しばらくの間、蜘蛛の巣の中で体をくねくねさせていて、こっちもまー適当にその様子を撮っていたが、合焦していない、疲れたのか、こっちも疲れるが、動きが止まった。この表情は、何を考えている。それで、



  カマキリの鎌の一撃が飛んできた。この一撃ではないが、もう一回このような事があって、どうなったかというと、カマキリは、カメラの上にいた。
  どうも悪い事をしたようだ。カマキリと蜘蛛の対決も見たかったが、しかしさすがにそこまで考えが及ばなかった。
  その後、カマキリを逃がすと、なぜか、ネコのしぐさのように、首の後ろの方を鎌で引っかいていました。うそみたいな話しである。

アブラゼミを食べるヒヨドリ

2007-07-26 07:22:08 | 散策
  朝の天気、曇り。風は弱く、穏やか。室温25℃、むっとしている。
  きのうの夜から、かなりの雨が降っている。アメダスで確認すると、この辺りだけ、激しい色が出ている。それが続いたようで、夜中もその雨の音で目が覚める。
  夏休みも、もう一週間過ぎてしまった。でも、初日算数のドリルを10ページやったけど、あれからなんにもやっていない。絵日記だって、書いてない。お天気はどうするか、これはネットで探そう。少年男子は、女子でもいいが、そう思う。
  カサコソというと、ある虫を思い出す。しかし、その音というか、雰囲気は、もっと規模が大きいようである。2日連続してそのカサコソという音を聞いて、少し怖くなる。そっと窓に忍び寄ると、屋根瓦の一番端っこに、少しやせた小鳥が、いた。口に、アブラゼミをくわえていて、何とかこれを飲み干そうとしている。
  一瞬なんという鳥か、出て来なかった。それは、ヒヨドリの雛、そう考えるのが一番妥当なようだ。ヒヨドリは、ここに棲むものもいるなと薄々感じていた。でも、小鳥の雛の姿を見ることは稀である。
  鳥は、木の実などを食べるのが普通だけど、そう思っているけど、ツバメなどは小さな虫を食べるし、また、少し前、小型のセミ、しかも飛んでいるのを捕まえようとして、逃げられたツバメの姿も見た。ムクドリは、成鳥などでもよくセミを捕まえる。ヒヨドリも、セミを捕まえてもおかしくはない。
  場所である。人家の屋根に止まる、野生の鳥はなかなかいない。特にここの屋根。雛だからか、またお腹が減っていたのだろう。まずは、どこでもいいから、止まったのだ。アブラゼミは、鳴いているが、その姿をこうゆう形で初めて見ることになる。ヒヨドリは、すぐに移動した。アブラゼミをのっ込むのはちょっと大変だが、はてうまくお腹に入ったか。
  野鳥の生きる場所はどんどん狭く限られてくるし、食べ物もないようで、これはある動物の少し先を暗示している、とも言える。

小町な式部の花

2007-07-23 19:13:47 | 植物・花(夏)
  朝、午前は、適度な温度で、これはこれでありがたいのだが、どうしたわけか睡眠不足でもないのに、眠気が襲ってくる。何度か、結構な回数、同じことを書いている。眠くなりますよという薬を飲んでいる事もあるが、どうもそれだけが原因でもなさそうで、弱ったものである。
  眠くなるっていう表現を使うが、これもあまり正確ではない。まず、目がしょぼついてくる。これは、例えば、外の景色を見ていてそうなるかというと、答えは、いいえ、なのである。遠いものを見ているのに難儀はしない。近いものでも、ただぼんやり前を向いて目を開けていることも出来る。問題は、文字などを見る時で、これをやるとてきめんに目がしょぼつく。まぶたを開けているのが困難になる。目が痙攣を起こすかのよう。つまり、何もせずに、ただ、ぼーっとしているには、特に困る事はない。でも、意識も少しぼんやりがあるかも。
  心拍が下がる。これがその症状の始まる合図のようだ。さらに、気温がほどほどの時、過ごしやすい時にこうゆうことになる。人が、一番活動しやすい時期に、そうゆう環境でぼんやりしていろと言われるのはさすがにいやである。何とか、ならないか、でも、頭から水をかぶるのは修行だしねー、さすがにそこまでやろうという気にはならない、気温23℃で水かぶったら、そりゃおかしいって言われる。
  おかしな話しだが、気温が上がると、例えば、まー間違いなく気温が30℃という日が来るはずだが、そうゆう時はこうはならないのである。何とも厄介というか皮肉というか、そうゆうときにこそ眠くなって欲しいと思うのだが、そうはならず、熱い暑いと言いつつ、結局は何も出来ないで終わってしまう。何かがおかしい。変温動物かとも思う。鼻から水を吸ってのどから出す、これを鼻うがいって言ってるけど、この時鼻にツーンと来る刺激があると、少しいい。よくプールなどで、空気を吸うところなのに、誤って水を吸って、ひどくむせ返る時がある。過去に何度も経験した。あれも、かなり苦しいもので、たぶんそうゆう状況になると、この悩みは、完全に解決すると思われる。
  その他、人の悩みは尽きない。これはきれいな花だと思っていても、そよそよ風が吹いて、花はよく揺れる。花は気持ちよさそうである。これをじっと待つと、風にリズムがあって、それは正確ではないが、不規則ながら、風がぴたりと止む瞬間、あるいは、時間がある。このリズムをつかむには場数が必要で、かつまた、ある種の鈍感さも必要とする。ただただ、待っていなければならないからだ。
  こうして、人は、一年を生き、そして歳の数は増える一方である。
  ムラサキシキブは、小さな紫色の、明るい紫の色をした小さな実を付ける。どうも、最初に見かけたのは、奥武蔵の低い山の、細いしかしはっきりとした径であった気がする。違うかも知れない。この植物が花を開くなど想像もしなかった。できなかったのであるが、それらしきを見かけた。



  風が吹いていて、なかなかその風も止まない。待ってるのにくたびれた。ただ、立って撮る事ができたのでこの点は楽である。これを、中腰でやるのは大変だろう。



  一日たって、風は少し弱くなった。同じところに行く。通り道である。この時は、標準のレンズを持っていて、かなり近くに寄る事ができるが、また寄らないと絵にならないが、その中腰で撮るスタイルになって、風は弱いが、今度は自分の体を維持する、動かないようにするのに、苦労した。
  ちょっと、両方とも欲張って、あそこもここも出しすぎたかも知れない。花とは関係ないが、だんだん、高級な機械に目移りする。しかし、概してそうゆうものは重い。持つだけで震えそう。どうも、それは、夢想するだけにしておいた方がよいように思えて来た。

山手線を一周するために

2007-07-23 07:27:57 | 散策
  朝の天気、曇り。瓦が濡れている。小雨が降ったのかも。風はなく、穏やか。室温23.5℃。暗い朝である。
  ちょっとした虫ブームらしい。この書き方はおかしいかも。虫のカードやらを集めるのがブームになっているらしい。この収集ゲームに、年齢制限はあるのだろうか。かなりな大人の方も、おじいさんもおばあさんも、やっているのだろうか。
  どうも、虫そのものを集めるのとは違うようで、虫屋さんは一安心か。そういえば、虫をファイルにして集めるということを私もやっていることに気が付く。でも、”ヤママユガ”を”ヤマガユ”などと平気で書くところを見ると、いかに私が虫について何も知らないか、自分でも愕然とする。カイゴガの出す繭のことも忘れているのだ。虫については、夏のお友達ということで、わからないこともないが、
  さらに、最近は、まだブームというところまでいっていないが、テッチャンが増えつつあるという。おやおや。鉄道ブーム、レイルブームが本物になるかどうか、しばらくは冷静に動向を観察する必要がある。大体が、子供の時には、デンチャの運転手になりたいと思う。またプラモデルを作るのも大好きで、小学生か、中学1年生まではかなり楽しめる。が、そのうち、母親が、いい加減にもうそんな子供の遊びは止めなさい、と言う。普通、ここで、デンチャとプラモから縁が切れる。これはあまり気にならないが、てつこさんという言い方も出た。でも、テッチャンはテッチャンであると思う。
  時が流れて、でも、その血には鉄道好きというものが入っていると、ついにやる事がなくなると、人は、思考する。山手線を一周してみよう。当時、歩いて、山手線を一周する事がはやっていた。しかし、私の場合は無論、緑の電車に乗って線路を一周することを頭に描いていた。
  その日が来て、最寄の駅まで歩いた。まー、近くの山まで行く時も、そうやればいいのだが、その先さらに歩くことを考えると、より近い地下鉄の駅にゆくことになる。それで、まずは切符を買うが、これについては余り深く考えなかった。どう書くか難しい。考えてなかったなー、どう買うのがいいか。で、電車は来る。がらんとしているのは、土曜か日曜の午後だからだ。どうも、パジャマと大して違わない、ラフなスタイルで電車に乗っているというのも、落ち着かないものだ。周りを眺めてみる。特に変化はない。 
  山手線一周は結構時間がかかるが、駅駅にそれぞれ思い出があってなかなか楽しい。でも、最後に難問が待っていた。つまり、ある駅から電車に乗って、一回りして戻って同じ駅に降りる事ができるかどうか、ということである。一体どうしたか、これは、また次回。