光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

もたつく春、星空、花の色

2010-03-31 19:13:14 | 植物・花(春)
  今は暖かい、という感じがあって、でも電気ヒータをつけていて、それも結構強力な状態に
ある。これで、750Wという電気量を消費しているかと思うと、頭も痛くなる。春はいよいよ
中盤、明日は4月、でもお天気は、さらに気温が上がって春らしくなる。そうゆうことだ。なんだ
か、正月から早春といい、初春だの、それから、なんだっけ、適度な春の暖かさは、冬のそれと
変わらず、春の修飾語ももう出てこない。春はどこにあるのかわからないまま、4月が来る。頭の
中で、4月だが、実際は2月くらいの感じ。一体、本当に春はどこにいったか、程ほどの春が冬に
感じられ、それで春だといわれても寒い。この感じ、寒がり症、ということか。

  でも、植物のあるものは、春を感じて、もう咲こうとする。桜、桜は何を感じて咲くのだろ
うか、梅の花の咲く時期は、この冬の寒さに比較して、早すぎると思う。2月の終りに、あの寒さ
で梅の花は咲いた。おかしい。もっと昔だと咲かないだろう。昔は3月の終りに梅が咲き、彼岸
桜も咲いて、それからしばらくして、花見の桜は咲いたと思う。ソメイヨシノ。この花、
温暖化に顕著に反応している。恐らく、その反対のものがあってしかるべきだが、大体菜の花と
かもあまりに見ないし、恐らくこの感じだと、そうゆう黄色い花々に畑が包まれるという恒例
の春の催しはないだろう。
  菜の花、ないことはない、でも非常に少なく感じる。春のもたつきでいうと、例えばようや
く、黄色い花である、レンギョウの花は咲いている。でも、その濃い黄色の鮮やかさというの
はないようで、感じなく、時機を逸したという、植物の残念さがあり、また同じく黄色い花を
咲かせる、サンシュユの花も、大して勢いはない。このままズルズルと遅い、もたつく春は続き
そうで、圧倒的な、長い冬からのようやくの開放感というもの、それを黄色い花や、その外の花々
で感じることは出来なさそうな感じが強い。

  きのう、ずっと晴れているようで、それもある時間が過ぎて、窓から向こうをのぞくと、金星
が見えた。宵の時間の金星で、宵の明星でもある。この金星は、もっと早くから見えているはず
で、ちょうど地球から見て、太陽の向こう側から、左側にはみ出して来た、ということで宵の、
夕方の、西の空に見える。その反対が、明けの明星。この先太陽の左側に見えている、金星は公転を
続けて、段々と地球に接近し、地球と太陽の間に入るように、その位置を変えてゆく。もっとも
金星が太陽から離れるという位置がある。これは金星が円軌道を描くと仮定して、金星の離心率は
小さく円で近似出来る。ちょうど、その軌道の接線方向が、地球の方向を向くときで、これは、
ちょうど、太陽と、金星と、地球が直角三角形を作る、そうゆう位置関係でもある。円に内接する
三角形でその一辺が円の中心を通る場合、その円弧側の角の角度はいつも、90度であるが、
それに似て非なるもので、まったくこの例になるかと思った。間違えそうなった。まったく、
小学校で習うそうゆうことが、ここで役に立つ。

  今は、金星の動きは、ちょうど円運動を真横から見ていると考えてよいはずで、その太陽
からの見かけの位置は、ちょうど正弦関数の振幅に当たるわけで、これまた面白くもおかしく
もないが、ちょうど太陽の真後ろにある、そうゆう金星の一日の移動角度が大きく、それゆえちょう
ど、春分を迎えた太陽と同じように、その位置をもっとも激しく変える。あっという間に、太陽
は春分点を離れてゆくように、金星も太陽から離れてゆくように見えて、それゆえ、もう結構
遅いという宵の時間、西の空に地平近くに、金星は見えていた。
  これからどんどん、金星は太陽から離れて、やがてまだ明るいという夕空に一番星として
見えてくる。暖かくなる季節であるから、これを探すのは苦ではなく、目の健康にもこの星
を探すのはいいようだ。
  この金星をきのう、建物の中から撮っていて、一眼だとその明かりで、うまく合焦した。
こうゆうことが出来るのは、例えばそれが木星であったりも、するだろう。でも、どうかな。
水星は恐らくどこにあるか、その存在さえわからない。火星も今は見えているが、恐らく暗く
て、カメさんは存在を認めないのではないか。ここに来て、少し暖かみのある空気の中で、星空
を眺めるのは楽しいようにも思えてきて、もっと踏み出せば、それこそもっとも簡単な、星空
の撮影方法である、三脚と一眼で、ホイというのもやってみたくなるが、
  それには最近、よくいわれる高感度でもノイズの出ない撮像素子を積んだ、ミニカメという
のも使ってみたいとか思うのは人情だろう。あー、夢のような話しだ。外は今日は、今は雨。暖
かさは少しあって南の風が強く、雨が降っている。



  同じような花で、また植物であって、色の濃いものも出てくる。それと、新芽、これは
見ていて、少しだけウキウキもする。いくつかの、木々の様子、草花の様子。





  二色か、それ以上というか、その二色が縞々で出る、というツバキは
  いったいに一本の木かという疑問がそのままであって、それをはっきり
  させようと思う、気持ちもある。




  この日の当たる、木、というのが、二色ツバキの木なのだけど、やっぱ
  りなんだかはっきりとしないかなー。




  鈍い、そうゆう空の色というのもあった。で、辺りの様子を撮っていると
  例えばこれはいつも出る、ある門であるが、何とその向こうに太陽の暈、
  ハロが写っていて、これはいいかも知れない。




  同じく、田んぼの様子を見ていて、空には、暈、ハロがあった。これは
  冬でもあって、春らしい色具合である。




  赤いアネモネ、は本当に赤く写る。



 
  一つぽつんとある。




  バラの新芽。この葉の色も、目を引く。




  もう一枚。赤いバラの咲く、赤い葉。




  一度出た、チューリップ。うまく咲いていた。




  これも一本。これだけ、春が来ている。その横に小さい蕾もあるが。
  これを見ていると一遍に春が来たという印象を受ける。



梅は終わって、ユキヤナギは続く。

2010-03-31 16:20:01 | 植物・花(春)
  朝は、0℃辺りの寒さで、その後風が出て来て、
  午前中、一気に気温が上がったようである。
  空気の入れ替えがあったようだ。
  こうなると、やはり少しだけ、暖かさも感じられる。
  おつむの程度というか、能天気さも増すような感じも
  する。そうゆうときがあっていいが、いつもそうだと
  これは困る。

  何ごともほどほど。

  梅の花は、もうほとんど終わり。終わっていると思う。
  それに似た、バラ科の木々に似た花は付いているが。
  ユキヤナギは、ゆっくりと花を開いていて、
  まだまだこの先もその白い細かい花の様子を
  見ることが出来るようで、いったいに
  満開というのがあるのか、心配にもなる。





  地面も水も、花も凍ったという朝。その朝に、梅の花に日は当たって
  もう凍り付く寒さはそこにはなかった。梅かどうか、怪しい花であるが。




  もう少し早いと、この花も薄く凍っていたかもと思ったりも出来る。




  奥の枝の花の様子。




  朝日が当たるところと、そうでないところがある、ユキヤナギ。




  花と蕾の、詳細な様子。




  いかにも美しい。




  向こう側にある花は白い雪のように、ホンワリと輝いて、まるで
  小さな白いライトである。




  トリミング、している。同じところが、重なって出てしまった。
  一番美しいというところ、というのは同じ場所になってしまうようだ。



晴れ、寒さ、宵の明星

2010-03-31 06:47:47 | 散策
  金星が見えていた。西の空、宵の時間。宵の明星でもある。




  その一。真ん中の明るい点、といってもさほどは明るくはない。




  その二。暗くて見えないかも。




  その三、中間程度。
  すべて手持ちで、順番に、ISO1600、400、800である。
  外灯の明るさが目立ち、金星もこれではちょっと覇気がない。
  太陽の向こう側にあって、でも晴れていると、もう遅くても
  すぐにわかってしまう。




  朝のお天気は、晴れ、大体きのうから晴れ続き。夜も月が輝いていて、月明かりで、
屋根の色がわかる、瓦の様子がわかるくらいで、寒かった。朝の冷え込みはきのうより、
少し緩く、でも氷点前後で、気温は推移している。風は弱め。

  アメダスの6時の気温、0.6℃。気圧は1027.9hPa、湿度は88%。南南西の風が1mとあり、
工場の煙突から出る煙も行方知れずという感じ。少し暖かさがあるからか、鳥の鳴き声も
ある。室温は大体、6.5℃。冷え冷えする。

  歩いていて、公園にゆくとそこには花壇があって、そうでないところにも、花がある。
花をよく見ると、そこに虫もいて、でも小さな花を見るのは、まずは拡大鏡がいる。それゆえ、
カメさんをその代わりに使ったりする。公園に花があり、まずは歓迎すべきところで、いつも
はがらんとしている。特に、この春は寒いから、木々の芽吹きもあまりなく、余計寒々
しい。
  でも、今はそうゆう感じなく、春休みであった。小さい子どもさんは、そこで遊ぶ。
それから、少し背丈の大きい、子供たちもやっぱり公園で遊び、それより年長の人は、もう
公園にはいないか。というと、子守のおばあさんがいる。
  そうゆうわけで、ひっそりと、あるいはそこは諦めて、花撮りをやる。どうか、子供が
「何しているの」と寄ってこないように祈る。でもその心配はなく、無事何ごともなく、ときは
過ぎる。桜の蕾が膨らんでいる。

  晴れで、夜がやって来る。この時間がやけに遅い。春分も過ぎ、昼が長いのか。そうすると、
もう起きるという時間やけに明るいことも理解できる。赤い空、橙色の空がある。今日は気温は
上がるが、風も吹くだろう。太陽は少しの雲で、その光の強さを減衰させる。

小さな動物のゆくえ

2010-03-30 19:00:21 | 植物・花(春)
  凍った世界だから、というわけでもないだろうが、このところ、例えばよくいる鳥、を見な
い。見かける頻度が落ちた。姿を無意識に探すがいない。オナガとかヒヨドリ、それに雉。あと
は何だろうか、ときに寒スズメがいて、さらにツグミもいるかも知れない。ムクドリはどうか
というと、なかなか定住しないようで、今は都会の団地に引っ越していて、でもときどきその
姿を見かける。見ないと書くと、よくすぐ後に現われたりもするが、偶然で、書いていると
いうことのおかしさもある。キジバトは、まーいる方だろう。よく二羽でいる。一人ぽつん
といるのもいる。その姿を見る頻度が落ちて、
  でも、ときどき小さいが、小鳥である、あまり見かけない、でも鳥好きの方のブログには
出る、というものは見かける。
  猛禽という鳥がいる。ミサゴか?、他にも小型で、ハヤブサに似て違う鳥がいる。そうゆう
ものを見かけるときがある。トビと違うのは、少し小型であって、でもその運動能力、飛行速度
の速さ、いずれをとっても、トビより優秀なようで、その鳥が空を飛ぶと何かいいことがあり
そうな、気にもなる。そうゆうものがいる、いそうだ。自然にあって、それがいるかいない
か、大きな問題かも知れない。

  鳥の姿を見かけないというのは、一つは繁殖の季節であるというのもあるかも知れない。ここ
にいる、キジバトもいっとき、なんども木の枝を運ぶそうゆう行動をしている。実際に、幾つか巣、
二つか三つ、そうゆうものはありそうで、キジバトの鳴き声は聞こえる。警戒している鳴き声
かも知れない。
  モズはここでは珍しくはなく、盛んに鳴いていたが、その声を聞かなくなった。そういえば、
ジョウビタキの姿も見ない。あの赤いというか、オレンジ色のよく目立つ色をした、小さなしかし
目立つ小鳥の姿も見ない。見ないといえば決定的なのは、セキレイで、セグロセキレイかハクセキ
レイか、でいないといっていい。他に、シジュウカラももういないかも知れない。鳥は一番身近で
あるけれど、ここのキジバトは例外として、あるいは公園のハトとか、その他人に慣れている、
そうゆう鳥をのぞいて、まずは肉眼では観察は出来て、でもその趣味で撮りたい鳥もいるのだけ
れど、失敗する。相手の観察力というか、予知能力というか、これは怪しいということを理解
する、そうゆう能力は人の何倍か何十倍かありそうで、滅多にその瞬間が画像として残らない。
こうゆうことをいいたいのではないけれど、そうゆうもののようである。特に不満はない。
逆にあまりに人に慣れている、そうゆう鳥こそ、大丈夫かと聞きたくもなる。

  ネコの話し、これは止めておこう。思い込みが強いものがあって、おかしくもなってしま
う。で、その次に出てくるというのは虫である。イヌはときどき吠えられて、嬉しいくらいだ。何匹
か、あるいは何人かのイヌは、そこに大体いる。それで人の姿を見て、吠えるイヌというのは少
ない。それで安心感もある。でも、イヌはイヌと出会うと、これは吠える。当たり前かも知れ
ず、でも人に吠えるそうゆうイヌがいる、というのは嬉しい感じがある。彼か彼女は、このけしから
ない動物をどう思っていると考えるのは楽しい。
  虫ねー、虫ッけら、とかいわれるが、この生き物、昔から大好きなわけでなく、そこそこ子供の
ときは、他の子供と同じで虫取りというのをやった。短く書くと、うまい人がいて、でもへたのまま
であった。それゆえ、虫に興味はなかった、というか子供の時代を終えて、なくなった。先に出て
来たのが、植物の花で、これも花好きではなかったが、どうしようもなく、花を相手にしない
といけなくもなるときが来る。それに似て、次は虫だ。虫屋でもなく、まったくの素人である。
飼ったこともない。それが今は、虫は貴重であるとかいう。それがひどくなったのはもちろん
ブログのせいで、そうでなくてももしかしたら、その美しさに少しずつ、花と同様引かれた
かも知れない。それこそ
  デジカメさんがなかったら、ここまではこなかったと思う。今も虫撮りに適したそうし
た、新しいミニカメはないか、などときに思うことがある。春といえば、大体虫であって、最初は
やっぱりチョウだ。それが出て来ない。

  少し前にモンシロチョウについて書いて、どうも生き延びるのはむつかしそうな状況であっ
た。そのチョウは、今日またその場所に行ったが、残念ながら、最早動かない、ただのものと
してあって、でもそのものは、この寒さゆえ翅は美しさを残したままであった。自然界の厳しい
試練というのは、これを乗り越えるにはそれこそ、滅多にない確率でその現象は起きるのだろう。



  いつもの、散歩というか、目的が反対になりつつあるが、ついでにカメさんで、いくらか
の新しいものもあるようで、これは春も停滞しつつ、でもさらに春らしさがあるということを
示している。




  順番で行くと、一回出たが、このスイセン、大きく写ることが出来て
  その中を見ると、複雑な三次元の構造を作るようで、海の波のようでも
  ある。




  横からだと、この秘密はわからないようだ。




  梅ではなく、アンズとかの果物がなりそうな、そうゆう木々の花。これ
  はまったく春らしいが、でもちょうど人工の建物が入ってくる角度。




  しかも逆光で、よく見えないで写していて、花の辺りから焦点は、はず
  れているかなー。




  蕾の、セイヨウサクラソウ。プリムラ・ジュリアン。




  もう一つ。プリムラ・ジュリアンの繊細さ。




  ニョキニョキと出て来た、ある花。これがどうなるか、それらしきものを
  去年に見た記憶があるが。




  赤いものは、凍傷の影響が大きいようだ。




  ナンテンのようで、そういえば葉っぱはそのギザギザ感はヒイラギの
  その葉っぱとよく似ている。うまいこと出来たもので、目を引いた。



氷点下、氷、凍り付く花

2010-03-30 16:22:23 | 植物・花(春)
  寒かったなー。なかなか、暖かくはならない。
  ずっと晴れているようで、それでも朝は、マイナスの1.9℃まで
  下がったから、これが0℃になり、それからプラスの気温
  になるには、時間がかかったようだ。
  空気は昼までも冷たい。太陽の光も、雲のせいか
  若干頼りなく、暖かさというのも、中途半端で終わった。
  午後3時まで、の最高気温は、7.4℃とある。
  風はないが、空気の冷たさを感じる一日。

  朝は、氷が張っていた。
  それからしおれる花もあるようで、
  ヒメオドリコソウなどは、寒さに強く、またその葉っぱは
  霜が降りやすいのだろう。結構大きな霜に成長し、
  氷のようでもある。




  シャクヤクの新芽はどこでも見られるが、ここは日が当たって、
  降りていたと思う霜も消えている。




  凍っていて、なおかつしおれているようでもある、アオキの花。




  水たまりになった、重機の雪かきの跡。そこに水は溜まって、冷えると
  氷が張る。で、このように、不規則で、そうでもないかも知れない
  形が出来上がる。




  結晶構造みたいのが出来ている、と想像させる氷の姿形。




  雑草の霜。




  なかなか光り、名暗が強すぎて、美しさが出てこない、伝わらないのが
  歯痒いというか、腕がない。




  ヒメオドリコソウの、細かい凹凸のある葉っぱは霜が降りやすく、
  またそのものが成長しやすい。これはいつも思うことである。




  霜というより、氷の結晶といった方がいいような感じ。霜柱も
  同じように出来るのだろう。そういえば、それを探すのを忘れた。




  ヒゲナデシコの、葉っぱには細かい霜が出来ていた。



快晴、氷点下、ツクシ

2010-03-30 06:50:09 | 植物・花(冬)


  春の、道端の色。緑に青に白。  
  ツクシは誰のこ、ツクシの子。
  オオイヌノフグリの小ささに、同情する明るさ。
  もう少しいい名前はなかったか。
  


  朝のお天気は、快晴。風もほとんどなく、工場の煙突の煙も行き先を見失う、緩さ。
まー寒いこと、よく冷えました。お月様も出ていました。だからよく冷えて、それで、氷点
下。ほとんど霜が降りていて、一部溶けない雪が残っている。

  アメダスの6時の気温、マイナスで、1.9℃、つまり-1.9℃。気圧は1031.7hPa、
湿度は87%。頭が少し重いわけ。南西の風が2mとある。でもほとんど風はない状態。室温は
5℃くらい。

  久しぶりのマイナス、氷点下。そういえばいくつかある、バケツの水が凍っているか
見ていない。凍っているかも知れない。霜はいつもの通り。特に変化はない。マイナスという
値は、なかなか出ないもので、それゆえ結構この値が出ると、めでたい気もする。そうでなく、
プラスの1℃から4℃辺りで、うろうろされると、一日寒い思いをする。朝に冷えて、つまり
晴れてその後気温が上がる、というパターンの方が、これは多分過ごしやすいだろう。あー、
しかし寒い。

  朝の少し前、は夜で、すでに月が出ていた。もう西の空にあって、沈もうとしていて、
煌煌と輝く月はあった。これは、きのうも見た。すぐに雪雲かに隠されたが、その後は
また出たのであろう。月明かりはでも、窓の曇りによくはわからなかった。朝に近いと
いう時間起きてしまって、これがもういい時間だとそのとき、眠気がないと目が開いて
これは面白くはない。もう何をやっても眠れないときがあるが、今日は起きる寸前という
時間は眠っていたようで、目覚ましの音を聞いた。それよりも、5℃という、温度計を見て、
さらにもう明るい快晴の空を見て、もっともそれを予想出来ないのはおかしいが、まずは
明るさと美しさに敬意を表した。

  それにしても、美しい朝であるが、また雪も残り、霜の降りる朝であるが、美というもの
は、そもそもその反対か、あるいはそれ以外の範疇にある属性のものも同時に存在させるもの
で、それゆえそれが今日は、この寒さであった。ゾクゾクする寒さ。

アネモネの色、クロッカスの色

2010-03-29 19:08:13 | 植物・花(春)
  とても寒いので、外に出なくても温度というものを体感できる。窓を開けただけで、かなり
冷たい風が入ってくるし、そこが風の通り道なら、これこそ、瞬間で凍ってしまいそうな感じが
ある。まさしく、寒気というもので、それこそマイナスの20℃の世界というのがある。恐らく、
そうゆうマイナスの20℃という、世界の入り口に立った、あるいはそうゆう冷凍庫の、蓋を開けたことは
あるが、中に完全にスポッと入った、ということはない。なくてよかったし、もしもそう
ゆう冷凍庫の中に入って、それこそ入り口が閉まって、それが開かないとかなったら、それこそ
かなり焦っただろう。そうゆう状況になくてよかった。開放感でいうと、今の地球というの
も、

  宇宙から見ると、ある高さだと、結構大きく見える。スペース・シャトルとかいう、人工衛星、
国際宇宙ステーションというものの場合だと、地球は大きな球体だというのがよくわかる。
それで、さらに遠いところというと、これに静止衛星というのがあって、地球の自転速度と同じ
速度で、大気中ではないか、宇宙空間に浮いているというものがあって、これだと地球は結構
小さく見えるであろう。何しろ、気象衛星などは、お天気の状態がわかってしまうという
ところにいる。この高度とはいかほどか。これはなんだかよくはわからなくなったが、適度な
正しい方程式をたてる、と、ケプラーの法則から、その未知の高度がわかってしまうという特徴が
あり、いってみるとこうゆうものは、まーさほどむつかしくはない。受験というものを控えて
いて、もうそれも終わったようだが、そうゆうことにくわしい人などは、さらさらとこの問題
は、解けてしまう。

  さらに、もう少し遠いところ、というと、地球の衛星であり、またただ一つとされる衛星でも
ある月、そこからの地球の眺めというのがあるが、これは、JAXAの月探査衛星、「かぐや」で、
ずいぶんと中継されてもいて、その月から見た、地球はまた地球を比較的低い高度で回る、
人工衛星から見た、地球と異なって、ずいぶんと小さく、また白いものでもあって、青い色もあり
真っ黒な宇宙空間の中で、段々と寂しいと感じいるものあった。もっと遠いところからこの地球
を見ると、それこそ野球のボールのように小さくなり、最後は米粒みたいに見えて、もう小さす
ぎる。こうゆう限られたたった一つの、緑のある水のある惑星で、ゴタゴタが起きていると
いうのは、そうゆうところから見るときっと何と悲しいことだ、という風にきっと思うだろ
う。でも、まー夢のようなことを書いているようでもあって、でも、最初に宇宙空間を飛んだ
という人の言葉も有名だが、その映像というか、多分画像を見て、地球の小ささに少し驚き、
また有限であることもわかって、ノイローゼにもなったという方もおられるようだ。もっとも
である。
  同じ、閉じた、閉所で生きているというのは変わらず、高々、小さな低温実験室で、息がつま
り、また宇宙から地球を見て、その小ささに、有限さに驚くのもまったく、正常であって、これ
は危ないところ、というのは正しい認識であろう。あー、この寒さも極限まで進行すると、どう
なるか。考えるのは止めた。

  空を見上げると、太陽と同じ大きさの月があって、でもその月も最近また見えない。眠って
いるときに出るようだ。と思うと、東の空に見える。
  きのうのあるとき、ネコの姿を見て、これは久しぶりのネコだと思う。それで、そのネコの写真
を少し見ていて、このネコは、たしかに2月18日に見かけた雪の茶トラのネコで、それから翌日にも
出した、雪の上を歩くネコに違いないと思ったけれど、それは正しいかはどうも怪しい。つまり、
雪のネコの写真は小さすぎた。それで、同じ茶トラのネコが、ここのうちにも来ていて、そのとき
に珍しくそれに気が付いて、ちょうどそのネコが何かを食べているという瞬間を撮るということ
が出来て、そのとき思ったのは、
  その2月の雪のネコではなく、それ以外のあるネコで、そのネコは結構人に慣れている、という
感じのもので、そのネコがやって来たのだ、と思った。ところがである。その、ここのうちに
来たとき、というのがまたよく写っていないが、それを今日見ていると、暇だな、きのうの何かを
バリバリと食べているという、ネコの顔付きに、似ているようにも思えてきたので、調子が狂った。
人に慣れている、そうゆうネコが段々と年齢を重ねて、それでまだここのいえに来たときの顔付
きは、柔らかさというかひ弱さもあって、また哀愁というものも漂わせていた。どうして、
こうなったか、と思ったのだが、そのときだけ、それ一回きり。
  で、それできのうの野性味あふれるというか、力強さを見て感じたときはわからないが、写
真というのは客観的にも見れるもので、見ているとイヤイヤ、これはやはり、同じく時間はたった
がここに来たネコだろうという思いがやけに強くなった。目が同じなのだ。目の中というのが
正しいだろうか。こうして、きびしい冬を乗り越えて、でもまたいくらかの時間がたってその顔付
きはなお厳しくなっているようで、昔の、その人に慣れているという面影は最早なかった。ネコと
いうのも大変、生きてゆくのは。そう思った。

  それから、黒いと書いたネコ、このネコちゃんは、ときどき来ている。黒いが、ちょっと灰色に
変わり、さらにブドウ色という感じに毛の色は変わったネコのことである。最近は堂々としている。
こちらが特に脅かしもしない。食べるものも出るからか、お腹が減ったというとき、来ている
ようだ。現金なものだ、とも思う。それでも、

  やはり「黒と白」は、もう来ないし、またどこかで見かけることもない。

  雪が降って、それからまた夕時に日が出た。
  頭に残るものは混乱で、さて何がどうなったか、単順にして出てこない。もたつく。ここは
アネモネの色のいろいろで、ゆくしかない。このアネモネも、たしか先週の土曜日のものか。
多分その通りで。それから、そのときついに草の上に落ちた、モンシロチョウというのもいた
けれど、そのときのもう少しくわしい様子も少し。




  ハードに依存して、あるときは紫がかり、あるときは青が強い。恐らく
  青が強いこの色が目で見るのと近いはず。




  影が出来ないように、撮るのはいろいろ位置を変えて。




  赤。妙な、花弁の開き方。向こうに青いものが小さく見える。




  白アネモネに大きな変化はない。




  紫のクロッカス。



  この色の、濃さというのは、原産地に近い、東アジアかあるいは
  地中海という辺りを思い出させる。




  あっさりと。

  生きていて、死んでいて、でもよみがえるかも知れない、モンシロチ
  ョウ。これは新しくはなく、そのとき動きはあったという様子。




  翅の広がり、またストローの丸まり方などに注目。




  少しストローの状態が変わった。




  前後の翅の状態もこれも少し変化している。風のせいかも知れないが、
  この日は割りと風は穏やかだったはずだが。

  この後はどうなっているか、わからない。


  

カエデの新葉、ユキヤナギの白さ

2010-03-29 16:19:27 | 植物・花(春)
  雪が舞っていて、それでもあまり地面や木々が
  白くなるということはない。そう思っていた。 
  比較的穏やかだった。
  午後も3時を過ぎて、雷もなり、また吹雪模様で、
  雪が薄っすら辺りを覆うことにもなる。

  次の大きな雪雲が西の空に、見える。
  今日の午後3時までの最高気温は、6.6℃とあるが、
  午後3時の気温は、0.4℃。これは寒いし厳しいし、
  雪も少し本格的か。

 
  それとは違う、晴れたときもあった、
  先週の土曜日の、花と木々は続く。

  遅れてというか、ようやく出て来た、カエデの新芽。
  まだ赤いが。あとは、対照的にユキヤナギはさらに白くなる。




  ヒサカキ。白い、緑もある方の、花。


 
  同じヒサカキで、赤い色が出るもの。




  カエデの細い枝の、さらに分かれる細い部分にようやく、新葉の
  と思えるものが、広がり始める。




  細く小さく、しかし葉っぱ。それから、合焦のむつかしさ。



 
  スイセンは鮮やか。




  赤ツバキ。くすんだ色になる。




  もも色に見えるツバキの花も、少しくすんでいる。このもも色も
  少しずつ退色しているのは事実だが。




  ユキヤナギ。色の白さ、花の、蕾の多さ。




  日に当たって、溶けない雪の花。



残念、雪はなし、雨、風

2010-03-29 06:45:53 | 散策


  黄色と紫、サンシキスミレ。
  花粉症、みなクシャミして、オヤジ顔。
  それにしても、このスミレはきれいだが、写りは悪い。



  朝のお天気は、小雨、北風。明るさはある。雪雲が辺りにあるかどうか、その感じは
今のところない。最高気温予想、3℃ということ、今の外の温度と同じ。明るさはあって、
寒さは風があるから結構感じる。これは面白くなく、ついでなら、雪のほうがいい。

  アメダスの6時の気温、3.6℃。午前1時だと4.1℃もある。段々と下がるのだろう。
気圧は1021.8hPa、湿度は88%。室温は、大体8℃。溜息。

  静かな夜であって、それで窓から向こうをのぞくと、外灯も結構見えて、ひどい雨風は
ないようだった。朝が来た、まったく今がいつかわからない寒さ。急いで着替えるが、
電気ヒータも暖かくならない。ついでに書いておくと、電気ヒータというのはなかなか壊れ
ないが、それゆえそれが壊れると、結構大変。というのも、品物がないから。この前、
購入したときもそう思った。数が少ないと、今ネットで調べると、純粋に電気ヒータという
のは、ニクロムが赤くなるもの、はないようで、がっかりしている。

  手荒れ。液体の石鹸、ハンドソープというのを使っている。これはインフルエンザの
影響もあって、また姉の勧めもあって購入したもの。中身は段々と変わる。それはいいが、
手荒れがひどい。気にしすぎ、汚れの方をねー、と思う。液状石鹸を使うたびに水をまた
使う。病院にあった、手に刷り込むタイプの殺菌剤は便利。でも油汚れはとれないが。
  水を使うときが増えた。野菜などもさっと水で、お湯で洗う。その他、食器も洗う。
畜肉、魚、固形になるこれらの油は、動脈硬化を想起させる。まー違うところもあるが。
この油はなかなかとれない。気にしないというのが一番。で、アカギレがまた今頃。
きのうは、ついに歯から血が出た。これも磨きすぎか。

  あー、今は真っ暗になり、ミゾレのようなものが降ってきた。これは大荒れの前兆。

雪予想とツバキ、もう一度

2010-03-28 19:00:06 | 植物・花(春)
  朝は曇りか、でも雨は上がっていたと思う。忘れないようにしないといけない。雨はなく、
それでどうしたか。物忘れのことを書いていて、それで忘れそうになるといけない、そうそう
母のための、アリセプトとそれからお腹の調子を整えるという、そうゆう薬とをまずはテーブルの
上に置く。大体間違いなく飲んでくれるようで、でも機嫌というのがあってそれは誰にもあるが、
薬効というか、理屈で説明して、納得できるということはない。元気になる薬というのは当たって
いるようであって、そう説明するしかない。他にお腹の具合というより、どうしてもトイレに
行きたくなるという回数が増えるから、お腹の調子を整えるというものも、同時に置いておく
ことにしている。これはお医者さんから出ているもので、もちろんアリセプトもそうだけど、
まー効果は期待できない。あまり感じないときもあって、で、そうゆう行為、トイレになんども
ゆく、ということ。見ていて察するに気の毒でしょうがないが、本人はそう感じる。同じような日々は続く。
  
  肝心なのは、アリセプトは一日、一錠ということで、それを守るのは私の役目で、処方ににも
そう書いてある。ときどき忘れそうになるのは、本人がいつもそこにいてということもないわけ
だし、これこそ習慣になればいいが、何か他のことが気になると、忘れることがある。忘れそうに
なる。実際、過去に何度かあった。で、錠剤を数えるという方法がある。これについては自分の薬で
は、一つだけやっていて、効果はある。でも、それ以上に範囲を広げると、これの難易度というか、
ストレスは倍増以上になるようで、昔はやったが今はやらない。なるべく、本人がすぐに薬を飲ん
でくれると楽だが、そうは簡単ではない。ときに、このようなものはいらない、と投げ捨てること
も多々、といっていいくらい、あるのである。なんだかわからない薬と、それとトイレと関係が
あることもわかっているときもあって、それ以外に、単純に、拒否反応を示す。でも、まー一日くら
い飲まなくてもと思う。それでいいと思っている。逆に、たくさんだと、これがいいという
結果はないはずで。何を思ってこれを書くか、やがて薬も飲むことが出来なくなる。父の場合が
そうであった。

  高が薬のことで、と思う。その通りで、それがなくならないように、つまりどこの場所に
置いておくかということ。管理は結構自分でもややこしい問題だと思う。自分の薬もあり、それ
以外のものもある。たまにいらないとかいわれると、これがストレスになる。わからないこと
ではないが、先が見えないなー。ぼやき。

  今日は、朝は曇り、それで雨は降ってなかった。今はもう暗いが雨になっている。外に出て
干してあるものを入れる、とかいうものもあるのだが、それを取り入れると、結構寒さを感じる
もので、部屋の中でもいつもより多めにつまり厚着をしている。これだと明日はほんとうに雪に
なって、それで積もるのではないかとさえ、思える寒さである。雪が舞う、さらに積もるか。
積もらなくても、気温はまた冷蔵庫の中という感じである。寒気、北極の寒気がやって来て、
今度は北極自身が、暖かくなるという勘定になる。そうでないと、冷たいものが移動すれば、
それはなくなって、辺りは暖かくなる。そうゆうことでないと、おかしい。北極の氷は溶ける。
北極は陸地はない。南極との違いで、きっとまたその凍っている北極海というのは狭まるのだ
ろう。
  
  それでもである。きょうは、さてある時刻だ、と思えるころ、外に出て晴れていた。晴れて
いたが雨が降ってきた。あまりではないか。で、諦めないでそのまま歩き、あるところで、先ほ
どのネコに出会う。ネコに出会うのは久しぶりだ。これは幸いかどうか、ネコにとっては不幸だっ
た。わざわざ、その姿を撮りにしのび足で近寄る、生き物は少ない。茶トラか。目立つという
か、わかりやすい色のようだ。もしも白と黒の場合だとどうか、灰色に見えて、それが結構いい色
だが、目に入るか。条件がある。ものの影になるような位置にネコはいた。このネコ、ちょうど2月の
18日に、雪の日に見ていると、思う。
  至近距離、3mくらいまで、ゆっくりと近づいて様子をみた。茶トラのネコのことを思う。で
も、そのネコは、恐らく、2月に初めて見かけた、というものだろう、とも思う。ほかに、3匹
くらいの茶トラ、が思い浮かぶ。みな違う。
  ネコはお腹を減らしていて、普通すぐ逃げるはずだが、そこにいた。これも珍しい。それゆ
え、かなりはっきりとしたものになった。

  いろいろ思い浮かぶことがある。寒さで雪予報。当たるか当たらないか。それから、今日の花々
の様子。小さなハナアブ。ハナアブとかのものは、他でも見かける。そうゆう時間がありながら、
しかしほんとうに雪が降るのか。また寒さに震えるのか。いい加減にこの寒さから開放されたい。
そう思う、一日でもあった。

  一度あることは二度あって、二色ツバキの感じは、これはマクロで撮るとどうだろうか、
ということを考えさせた。マクロは一眼だと、結構厳しいというか、気を使うしやった割りに
失敗が多い。マクロのために買ったと思える、その一眼だけど、機械の精度というのは、それが
あったとして、老朽化した体の方は、ぶれるし揺れて、それならミニカメのマクロは圧倒的に
有利で、しかもブログである。プリントすることもない。でも、ま、たまにはいいか。こうして、一度
あることは二度あって、結構「あほ」なカメ日記は続くのである。


  トリミングのミスで一部、横が、1024ドット以上のものになっているも
  のがあります。申しわけありません。




  大きくなった、フキノトウ。このちょっとなまりのある色、むくんで
  いるような色、にごりのあるような色、それが出るのがこのカメさん
  の特徴。いつもはNikonで、これは違う。




  咲かない、スイセン。というか、花は開きかけて、それ以上は開かない。
  もともとここにあるスイセンのようで、はっきりとしない。




  オオイヌノフグリ。




  ツバキ、再挑戦。マクロでホイ。




  近寄ると、花は位置が高い。それゆえよく下側が見えない。葉っぱの影
  になってしまう。寄っていって、花が画面からはみ出す感じになった。




  空気球、というかシャボン玉のようなものを久しぶりに見る。赤い
  ツバキの花の向こうに、白いものがあるが、この色がねー。




  明暗の赤ツバキ。




  薄い赤みの縞が入る、白いツバキと書きたいが、どうもそうはならない。
  なかなかカメさんの色というのもうまくは出ないもの。

  以上は久しぶりのマクロモードのものでした。