多分、今日のこれから先は、日付が変わるまでは、もう雪は降らないだろうと思う。
そうでないと、ちょっとタイトルと違ってくるので都合が悪い。
今アメダスを見ていると、気温は上がっている。雪は降らないと思う。
明日は雨予報で、これも面白くはないが。
2月の雪、の最後というのは自分の目で見た雪の最後ということになるがそうゆうも
のだとすれば、きっとその日にちは、2月26日であって、この日は文字で雪が降ったとは
書いたが、その後結構冷たいけど、また寒かったが、ゴソゴソと外に出て、溶けないよ
うな状態の雪の様子を見た。目とカメさんで。この日は雪は朝だけ、その後は晴れた、
と思う。
そうゆう日があったので、今日はもう2月もおしまいなので、2月の最後の雪という
ことになる。なおかつ、その画像のことももう忘れていた。そういえばあった。あった
はずで探して出て来た。
********** ********** ********** **********
********** ********** **********
2月の26日、2011年の2月の最後の雪、瓦に少し、地面と葉っぱに少し。
もうはっきりとしているが雪はいらない。来年の分も降った感じがある。
来年というとそれこそ笑われそうだが。
雪が降ったその朝、もう晴れている。それでこの明るさ、この輝きど
こかで見たと思われるはずだが、それが一つ前の黒と金色の山々の日
と同じなのである。
この雪は朝方降ったようで、何時だったか、まだ暗かったが瓦に白いも
のを見つけて、アレアレとか思ったものだ。もちろん冷えた。
アジサイの枯れた花の残りに日が当たる。装飾花というのはまだ残る。
そうゆう朝、日が輝いているから、またまだ雪も溶けていないだろう、
とも思えて、ここでちょっと気合を入れるとか思ったのだろうか。寒か
ったのは事実で、枚数は少ない。
雪の状態は、フワフワではなく、粉雪のようで、また氷のようでもあっ
て、さらにはちょっと大きさもあったので、小さいアラレのようにも見
えた。
だから雛アラレのようだとかも思ったわけ。
しっかりとした雪というか、アラレが一番例えるに適当か。あるいはよ
りわかりやすいというと、粒々のドライアイスか、というところ。
ドライアイスは二酸化炭素の固体だが、これ最近見ない。
切り落とされた、剪定された枝葉というのはそのままある場所に置いて
ある。そこにも薄っすら雪。
まぶしいというより寒いという感じが強かった。この日の出の美しさ、
は同時に寒々しいものでもある。
アオキの上の雪、溶けていない。
小さいシュロの葉の上にも。
シュロの葉の雪、その二。この雪を見ても、雛アラレを思い出す。思い
出すというと、そうゆうものを食べたとか見たとかなりそうだが、あっ
たかな。雛祭りもすぐなので雛アラレはこのようなものだとか、思った
のかも。
最近は、歯の状態が芳しくなく、好きなお餅も食べない、アラレの、あ
るいは煎餅のようなお菓子も、怖くて食べられない。歯が取れそうなの
で。
無節操なのかどうか。
寒かったが、また雨とかも降っていたが、思い出すように同じことを何度も
書いているが、思い付かないことを書くことも出来ず、思い付くことを書くしか
ない。雨が降っている。予定で、今日は母の件で、お医者さんにゆかないといけ
ない、と思う。時間的なものは結構自由だ。でも基本的には朝、医院の朝の始ま
りの時間にゆくことに決めている。それを後回しすると、なんだか予定というの
も少ないが、ガタガタになりそうで、これは半ば自分で決まったというものでも
あると思っている。いろいろといっても2、3だが用事が重なると、これは結構忙
しい。自動的なものは、それこそ洗濯なら、洗濯機に任せられる。でも、そうゆ
うことの出来ないものも結構多い。灯油ヒータに油が自動的に入るかというと、
そうゆうわけにゆかなくて、またお茶一つ沸かすに、自動的なものはここのいえ
にはない。ご飯も炊飯器でというのが普通だが、それを使わない。昔からご飯は
普通の鍋で炊くので、それを踏襲している。慌てて自動の炊飯器をと思うことも
あるが、ご飯は自分の目で見ないといけない。いけないというか、ご飯を炊くとき
は、コンロのそばにいないといけない。
それが実はかなりの苦痛なのも充分に最近わかってきた。というのも、ご飯
を炊くのはそうは回数はない。その日に残ったご飯をさらえて、最後のものは冷蔵
庫にしまう。ある時間鍋は水に浸す。時間はきっちり決まっていて、朝の時間にご
飯をしまえば、午前9時ころ、その鍋を洗って、少し時間のたった、お米を一合枡で
三回、すくい鍋に移す。何度かお米の一粒、二粒はこぼれる。このお米の一合枡は
昔からあるものを使う。ここに、お酒の一合を入れることはもちろんない。こうゆ
うことをしているので、それゆえさほど融通も利かず、雨でも風が吹いても、お医
者さんにはゆかないといけない、とか思うのだろう。で、書いたように、いきは怖
かったが、帰りは結構よいよいで笑ってしまった。まったくトオリャンセの世界な
のである。でも、これで濡れたものを乾かすに、もちろん時間がかかった。
きのう東京マラソンをTV中継していたが、それを最初だけといってももう半ば
だったが、しばらく見て、でもマラソンを見るのはこれは昔からあまり好きではな
いので、途中からコタツに寝転んで、というのもTVを見るのはその恰好が一番なの
で、横に置いておいたPR誌というのを取り出して、腕の一部をコタツの布団から出
して、ちょっと細かいでもちょうどいい大きさの文字を見ていた。PR誌だといった
って、普通の売っている本と同じように、ちゃんとした書き手の方が書いているので、
まずはそうは簡単に通読など出来ない。これが出来れば、それなりにもうすこしま
ともな文章が書けるはずだが、それはさておき、去年の12月、1月、2月と三か月分、
二つのPR誌を眺めて、読めるところを探し、いくらか文字を追うと、腕が痛くなっ
てくる。PR誌は空気のように軽いが、持つと疲れるし、コタツの外の空気は冷たい。
そのうち、腰も痛くなって、真上を向いていることがかなり苦痛に感じられた。そ
れゆえ、そこで仕方なくPR誌を閉じた。横を向いて、またTVを見た。
途中で、将棋の中継に切り替えたが、これまたややこしい展開になっていて神経
もピリピリし始めたので、そこでコタツから抜け出した。
3月が来る。
そうでないと、ちょっとタイトルと違ってくるので都合が悪い。
今アメダスを見ていると、気温は上がっている。雪は降らないと思う。
明日は雨予報で、これも面白くはないが。
2月の雪、の最後というのは自分の目で見た雪の最後ということになるがそうゆうも
のだとすれば、きっとその日にちは、2月26日であって、この日は文字で雪が降ったとは
書いたが、その後結構冷たいけど、また寒かったが、ゴソゴソと外に出て、溶けないよ
うな状態の雪の様子を見た。目とカメさんで。この日は雪は朝だけ、その後は晴れた、
と思う。
そうゆう日があったので、今日はもう2月もおしまいなので、2月の最後の雪という
ことになる。なおかつ、その画像のことももう忘れていた。そういえばあった。あった
はずで探して出て来た。
********** ********** ********** **********
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2月の26日、2011年の2月の最後の雪、瓦に少し、地面と葉っぱに少し。
もうはっきりとしているが雪はいらない。来年の分も降った感じがある。
来年というとそれこそ笑われそうだが。
雪が降ったその朝、もう晴れている。それでこの明るさ、この輝きど
こかで見たと思われるはずだが、それが一つ前の黒と金色の山々の日
と同じなのである。
この雪は朝方降ったようで、何時だったか、まだ暗かったが瓦に白いも
のを見つけて、アレアレとか思ったものだ。もちろん冷えた。
アジサイの枯れた花の残りに日が当たる。装飾花というのはまだ残る。
そうゆう朝、日が輝いているから、またまだ雪も溶けていないだろう、
とも思えて、ここでちょっと気合を入れるとか思ったのだろうか。寒か
ったのは事実で、枚数は少ない。
雪の状態は、フワフワではなく、粉雪のようで、また氷のようでもあっ
て、さらにはちょっと大きさもあったので、小さいアラレのようにも見
えた。
だから雛アラレのようだとかも思ったわけ。
しっかりとした雪というか、アラレが一番例えるに適当か。あるいはよ
りわかりやすいというと、粒々のドライアイスか、というところ。
ドライアイスは二酸化炭素の固体だが、これ最近見ない。
切り落とされた、剪定された枝葉というのはそのままある場所に置いて
ある。そこにも薄っすら雪。
まぶしいというより寒いという感じが強かった。この日の出の美しさ、
は同時に寒々しいものでもある。
アオキの上の雪、溶けていない。
小さいシュロの葉の上にも。
シュロの葉の雪、その二。この雪を見ても、雛アラレを思い出す。思い
出すというと、そうゆうものを食べたとか見たとかなりそうだが、あっ
たかな。雛祭りもすぐなので雛アラレはこのようなものだとか、思った
のかも。
最近は、歯の状態が芳しくなく、好きなお餅も食べない、アラレの、あ
るいは煎餅のようなお菓子も、怖くて食べられない。歯が取れそうなの
で。
無節操なのかどうか。
寒かったが、また雨とかも降っていたが、思い出すように同じことを何度も
書いているが、思い付かないことを書くことも出来ず、思い付くことを書くしか
ない。雨が降っている。予定で、今日は母の件で、お医者さんにゆかないといけ
ない、と思う。時間的なものは結構自由だ。でも基本的には朝、医院の朝の始ま
りの時間にゆくことに決めている。それを後回しすると、なんだか予定というの
も少ないが、ガタガタになりそうで、これは半ば自分で決まったというものでも
あると思っている。いろいろといっても2、3だが用事が重なると、これは結構忙
しい。自動的なものは、それこそ洗濯なら、洗濯機に任せられる。でも、そうゆ
うことの出来ないものも結構多い。灯油ヒータに油が自動的に入るかというと、
そうゆうわけにゆかなくて、またお茶一つ沸かすに、自動的なものはここのいえ
にはない。ご飯も炊飯器でというのが普通だが、それを使わない。昔からご飯は
普通の鍋で炊くので、それを踏襲している。慌てて自動の炊飯器をと思うことも
あるが、ご飯は自分の目で見ないといけない。いけないというか、ご飯を炊くとき
は、コンロのそばにいないといけない。
それが実はかなりの苦痛なのも充分に最近わかってきた。というのも、ご飯
を炊くのはそうは回数はない。その日に残ったご飯をさらえて、最後のものは冷蔵
庫にしまう。ある時間鍋は水に浸す。時間はきっちり決まっていて、朝の時間にご
飯をしまえば、午前9時ころ、その鍋を洗って、少し時間のたった、お米を一合枡で
三回、すくい鍋に移す。何度かお米の一粒、二粒はこぼれる。このお米の一合枡は
昔からあるものを使う。ここに、お酒の一合を入れることはもちろんない。こうゆ
うことをしているので、それゆえさほど融通も利かず、雨でも風が吹いても、お医
者さんにはゆかないといけない、とか思うのだろう。で、書いたように、いきは怖
かったが、帰りは結構よいよいで笑ってしまった。まったくトオリャンセの世界な
のである。でも、これで濡れたものを乾かすに、もちろん時間がかかった。
きのう東京マラソンをTV中継していたが、それを最初だけといってももう半ば
だったが、しばらく見て、でもマラソンを見るのはこれは昔からあまり好きではな
いので、途中からコタツに寝転んで、というのもTVを見るのはその恰好が一番なの
で、横に置いておいたPR誌というのを取り出して、腕の一部をコタツの布団から出
して、ちょっと細かいでもちょうどいい大きさの文字を見ていた。PR誌だといった
って、普通の売っている本と同じように、ちゃんとした書き手の方が書いているので、
まずはそうは簡単に通読など出来ない。これが出来れば、それなりにもうすこしま
ともな文章が書けるはずだが、それはさておき、去年の12月、1月、2月と三か月分、
二つのPR誌を眺めて、読めるところを探し、いくらか文字を追うと、腕が痛くなっ
てくる。PR誌は空気のように軽いが、持つと疲れるし、コタツの外の空気は冷たい。
そのうち、腰も痛くなって、真上を向いていることがかなり苦痛に感じられた。そ
れゆえ、そこで仕方なくPR誌を閉じた。横を向いて、またTVを見た。
途中で、将棋の中継に切り替えたが、これまたややこしい展開になっていて神経
もピリピリし始めたので、そこでコタツから抜け出した。
3月が来る。