光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

いつ太陽が出たのか、その瞬間を見極めるのはむつかしい。冬は固いかな。

2015-12-19 14:02:37 | 散策
  朝の気温はごくごく普通のもので、恐らく放射冷却のあった太平洋側のほうが、晴れたということだが、

  朝は、凍ったという感じになっていると思う。


  なかなか、雪が降らないというのが太平洋側で生まれている人間の思うことで、私もそうだったのだが

  それに関係なく、子供のとき雪だるまを作ることがなく、なんだか寂しい感じがした。

  大阪の堺に、これもものすごくむかしの話で、いまの大阪とはまったく感じるものは違うのだが、7年間

  いた。大阪は狭いようで、その時代に都市部と田舎との隔たりは大きかったようである。


  だから、大阪にいて、阪和線に乗ってそれから地下鉄に乗り換えて、心斎橋とかに行くときは、かなり

  楽しい気分だった。ワクワクである。通天閣、ここにはいったかな。

  これとは別にラジオ、NHK-FMで、ゴンチチさんが関西のご出身であって番組を持たれて長い時間がたつが、録音を

  して今日も、いまもその録音を聞いているという事実があるが。こうゆうことを書いたりするのも、子供の

  ときの記憶はなかなか色褪せなく、頭に残っていることもあるが、番組でのおしゃべりは、当時を思い出す刺激

  にはなっている。その当時のことをときどき思うことに関係は、かなりある。


  それゆえ、子守唄がわりに、この番組を夜聞くというのは止めている。他のクラシック番組を流しているが、

  これもNHK-FMの、「キラクラ」であって、司会は多くの方がご存知だろう。おしゃべりとクラシック音楽である。

  もう少し詳しく書くと、これがはっきりと聞こえるとまずいときがある。音が大きいと眠れない、それゆえもっとも

  小さい音で聞く。0ではなくて、1で聞いている。ほぼ聞こえないが、目が開くと夜中とか朝が近いと、「1」でも

  かなりはっきりと聞こえる。これもまずいので、最後には0にするが、朝5時半を過ぎると、再び、ゴンチチ

  さんの音楽に変える。キラクラと、ゴンチチさんが、録音可能なラジオで鳴っていて、残念ながら

  「FMとやま」さんを聞くことはない。またNHK-FMは、この二つの番組以外、ほぼ聞くことはないので、TVは

  見ないし。ずいぶんと損をしていると私は考えている。頭が固いからかな。


  朝はゴンチチさんのおしゃべりで、固まっている頭をほぐすとかいうことはないが、ある言葉に笑いが出れば

  なんとなくだが起きようという気にはなる。お二人は、生活時間は、昼と夜に分かれているようだが

  これも重要なことかも知れず、いい番組だと思う。キラクラのほうも、もう少し続けて欲しいような気がするが

  パーソナリティーのお一人が女性の方となると、厳しいものがあるかな。

  この中で、ふかわさんは、いろいろなことをされているが、これだけの頭の柔らかさはなかなか出て来ない

  ものでそれまで見ていたTV、では見えなかったなにかがある。

  もっとも誰にも好き嫌いはあって、そんなことは個人的なものである。


  雪、このことを思っていた。カチカチの雪である。これを壊すのは、さすがにポリカとかの強化プラスチック

  でも?、無理なような気がするが、いまはこういったものでも、ある程度の強度はあるのだろう。

  柔らかい雪は、プラのシャベルで十分で私もこれを使う。もっともまだ今年、雪が積もることはないので

  ただ置いてあるだけである。金属ものは、持ち手は木製だから、金属は丈夫だけど、また木もそんな簡単には

  破壊はされないが、留め方に問題があるというのは考えやすく、新しいといっても時代がたっているが、去年、

  いや一昨年くらいから、接続部分に緩みが出ている。


  しかし相手は鉄と、それとつないでも大丈夫な木である。だがもっとも重要なのは、まずは人の手であって

  これが弱くなると、いくら高級な道具をそろえていても、どうにもならなくなる。

  人間の手。この問題だけでないけれど、でも人の手も、あれー壊れたかと思うときは私にも何回かあった。

  足でもあるが、腕でもあるのが腱鞘炎だが、これは痛い。なかなか治らない。関節の病気。

  肘、膝、足首、腰。切りがないものだが、当然弱ってくるのは、こうゆうところだと思う。


  また末端にまで血がゆかない。これも大いにありうる。もっとも大切な手と足の先。ここに血が

  ゆかないと、人が人であり続けるために、苦労しないといけない。

  去年、左足の指が赤く腫れて、妙なことになったが、これは暖かくなって、何かがポロリと取れて

  治った気がしたが、今年はまた同じ症状が出ている。


  もっとも大切なところが、あちこちにある。毛細血管も、ボロボロになるところだが、ここが働いて、人は

  人であることが出来る気はするが、これは障害を持つ人と話は別である。


  先の先まで、血が通う。

  これは、政治家を名乗る人が考えないといけないことの基本で、あるいはお役所に勤める人の

  もっとも重要な仕事でもあると思うが、こうゆうことを最後に書いているというのは、どうもそれは

  どうかな、という疑問があるからで、でもわからないだろうな。

  「難民」も使えない言葉になって、いまは弱者でどうにか通っているが、さすがにこれだけ寒いと

  伝わらないだろうな。

  それにしても、この作文書くのも難儀になってきたが、どうにかここまで。


  先ほど気が付いたが、カメラを固定する、たとえば三脚なり雲台があるが、カメラとこの雲台をきつく

  閉めすぎたのか、はずれなくなっているようで。手がちょっとおかしい。冬であって、固いこと。


  朝のお日様。




  その一。日が出る、太陽が顔を出す。全身に血がめぐる感じだが、これも途中で終わって
  しまう。




  その二。




  その三。




  その四。





  その五。ここまで来ると今度は明るすぎて、これは目にはよくはない。




  その六。朝だから暖かみはなかった。





  その七。早朝、上に並べた画像より前だと、ただ明るい空があるだけだが。




  その八。先に雲を照らす、これをようやく覚えた。




  その九。この空から、日が出たときの明るさとまぶしさは想像出来ないものだ。


  ギリギリのところで今日も。


  もっとも、きょうはハガキも書けない状態で、いったい何をしていたか。



きのうよりわずかに明るい朝、降るものは雨。

2015-12-19 07:07:29 | 散策
  きのうの午後4時ごろから、コタツでじっとしていたら、眠ることはなかったが、

  動こうという気もなくなって、5時まで完全休憩だが、これもいままでにはないことだな。

  昼間の眠気はこのごろはないが。

  でも夕方だらっとしていると、そのあとが大変。


  午後も雨だったか、あるいは雨は止んでいたか、雪にはもうならず、弱い冬型。


  ずっと時間を飛ばして、ちょうど午後の9時ころ、ふと窓から外を見ると、なんと月が出ている。

  南西の空の低い位置、西南西の位置がより正確で、お椀は下を向いていた。蓋だとするとちょうどいいけど。


  他の窓からも星が見えたので、少なくても一度夜に晴れているのは間違いないと思うが、

  まさかこのまま晴れることはない。そんなことがあったら、明日の朝は凍っている。

  それはなかったようで、今朝はもちろん寒いけど、雨か曇り。


  わずかに明るい。雲の多い晴れになるかな。


  一昨日、17日に出た晴れ間。












 
  冬型に晴れ間ありだが、もちろん雪も降るので、なんでもありである。

  寒いのはやはり嫌だ。