光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

フキとツクシ、特に変化なし

2007-01-31 19:13:35 | 植物・花(冬)
  雨か曇りという天気で、雪の降る気配はない。南西の風が強く、いくら暖冬とはいえ、窓を開けると冷たい雨と風が待ち受けている。風は予想以上に人のエネルギを奪う。ほんの少し空気の入れ替えをしようとするが、その風の冷たいこと。思わず、ぴしゃりと窓を閉めた。
  天気予報のことは、ひとまず置いておく。なぜか、そのうち、雨が止んで、風だけ吹いている状態になる。さらに、雲の切れ間から太陽が顔をだす。こうゆう状態がずっと続いているので、予報に晴れマークがなかっても、やっぱり晴れてきたと思ってしまう。ここが、まだまだ修行の足らないところだ。自然は、そうあまくはない。
  すでに、フキノトウが出ているが、まだまだ小さい。探すところを間違えると、何にもない。一瞥で、はっきりフキノトウです、とわかるのはまだないといえる。フキは、多分冬に枯死するはずだが?、何度も書いてるように、フキの本体がわかるので、その茎の根元を見れば、大概フキノトウは出ている。こうゆうのは、フキノトウとは言えないのではないか。そうゆう気がする。去年の書き込みを見てると、これは、はっきりというか、単体でフキノトウが出てるので、文句のつけようがない。しかし、今のところ、この考えでゆくと、これこそフキノトウです、というのはない。それでは、ちょっと困ってしまう。本来なら、雪について、アーダ、コーダ、書いてるはずなのだが、この辺りが、やりにくいなー、というところである。



  これも、左側に、フキの枯葉があって、これ一つぽっかり出てきたものではない。雨が降って、少し緑が濃くなった。でも、やはり、まだまだ、水分が足りないようで、しばらくすれば、潤いがなくなって、見ていて気の毒でもある。



  ツクシだろうと思うけど、これを見ても、春らしさが伝わらない。仕方なしに出て来た、そうゆう感じだ。雪の下に、しばらくの間閉じ込められる。ずいぶんとむごい事のように思えるが、この辺りの植物はそうして世代交代をしてきた。それが、今のところない。これを見てもやはり、妙な感じ、違和感はぬぐえない。

南極観測船は、富士だった

2007-01-31 07:31:50 | 散策


  朝の天気、雨風。かなり強い。室温9℃。
  南極なんてまったく関係ないわいと思っているが、なぜか最近この言葉を聴くことが多い。北極よりも、南極なのである。北極は、これは海だから、あまり興味を引かないのかも知れない。
  南極にもいろいろあって、南極点というものがあるだろう。どうして決めたらいいか、はっきりは分からないが、星の動きを観察して、真上が星の回転円の中心なら、そこが、南極点と言うことになる、だろう。そこに立ってみると、真上に南極星は多分あると思うが、まずは見えない。北半球に戻って、北極に立つと、北極星といわれる星が真上に見えるが、この星も地球の自転軸よりわずかにずれていて、円運動をする。より暗い星は、いくらでもありそうで、しかし、これが真の北極星である、そうゆうことは聞いたことはない。すると、やはり、南極星もないのかも知れない。
  南極に戻ると、そして、南極点に立つと、いったいどんな光景が広がっているのか、やはり星は東から西へ動いているのだろうか。たぶん、逆に見えるだろう。それにしても、知ってる星座の少ないこと。あまりに、空気が澄んでいて、星が見えすぎて、何が何やら分からない。そうゆう感じであろう。
  ずいぶんと昔、南極観測船富士を見た。橙色に塗られた船体が新鮮だった。それだけのことである。
  きのう、久しぶりに、黒く輝くコソコソ音をたてて動く昆虫を見た。アー、やっぱり出た。それにしても、元気がない。暖かすぎるのもいけないのかも知れない。

ツバキの実、異変

2007-01-29 19:10:16 | 植物・花(冬)
  おかしなことが始まると、これが止まらない。今日も、雨か雪の予報だった。天気は、まったくのピンものだから、なんとも言えないが、予想をはるかに上回るいい天気。朝の気温が適度に低くて、水分子もどうしていいか分からなかったみたい。だから、液体か、固体か、あるいは気体でいるか、決めかねていたようである。特異という言葉が魅力的だ。特異点、いろいろなところで出てくるが、今日の朝方の天気が特異かどうかは、判断しようがない。
  非特異な、日常の生活の異変は、客観的なデータになって現れてくる。何でも放り込むだけの、箱の中をみると、電力の今月の使用明細が入っている。去年の値も出ていて、使用電力は150kWくらい少ない。でも、べつにうれしいわけではない。安くなってるわけでもないし、油の値段は高騰の後ちょびっと下がっただけ。支払額にすれば、ほとんど変化はないだろう。これで、いつもの冬に戻れば、それまでのちょっとした割安感も、吹き飛んでゆく。これからは、どうしても数字に敏感になる季節でもある。いくらCMをしても、上がるものは嫌われる。CMとは、そうゆうもので、独立している。ゆえ、なんら実感のないものである。かなり、カッカ来ている。そうゆうときもある。
  ころりと話を変えないといけない。いいお天気だが、能天気な私に何か思い浮かぶものは、その辺りの植物の変化である。お星様の世界も興味深いが、そこには手が届かない。近くに、目の前に、残念ながら、虫に食い尽くされて、葉っぱも蕾のままのツバキがある。もう少し日が当たれば、暖かくなれば、またよみがえるだろう。たぶん、特に生命に異常はないと思う。へたに、青々すると、また虫の餌になってしまう。こん辺りは微妙である。このままで、いいような気もする。自然界の掟、強烈な調節作用である。
  日常といっていいそのツバキの様子を見にゆく。目の前にある。その実が、褐色に変色して、さらに、割れていた。



  いつのまにか、こんなことに。若干、引いてしまう方もおられるだろう。



  ここまでくると、いったいこれは、なんじゃと言うことになる。見たことのない、ツバキの特異点である。間違っていたら、笑いものだが。

5時20分に目覚ましを合わせて、と優雅に言う

2007-01-29 07:28:17 | 散策


  朝の天気、晴れか快晴。春霞という感じ。風もない。室温7℃。
  夜遅くになって、目覚まし時計を持ってくる人がいる。何ごとか。X時YY分に、目覚ましが鳴るようにしてくれ、というわけである。へー、そんなに早起きしてどうするのか。それより、目覚ましの設定が出来ないとはどうゆうこと。そうゆうことが通じない時代になった。
  こんなことも出来ないのか、そう思ってまず頭のボタンを押してみるが、これは、プププ、ポーと時報を伝えてくれる、これが鳴らない。ごたついた。自分のをX時YY分に合わせて渡す。今から説明書か。簡単なのは、電池をはずして、最初からやり直すことだが、いろいろ説明書を見てやってみる。やっぱりだめか、人のことも言えない。電池を入れなおしたら、5分後には、正常になった。
  ずいぶんと昔から、ガスコンロは電池で発火させているが、このことをまず忘れる。一応チャイムはついているし、これもちゃんと鳴る。さらに、これが鳴らなくなることがあるが、これも電池がないからで、さらにそんなこと知らないのであたふたする。チャイムなんか、要らない。叫ぶか、どんどんたたいてくれればいい。さらに、最近は、お風呂の沸かし方も忘れてしまって、スイッチを入れたが、水のままだとわざわざ言いにくる。風呂のスイッチを押してないので、沸くわけがない。
  世の中、わけのわからないことで満ち溢れている。今は何とか、わかるものは分かるが、そのうち私も、やっぱり、何にも分からなくなるのだろう。

この雨で、フキノトウも成長する

2007-01-27 18:56:38 | 植物・花(冬)
  きのうの夜から、すでに雨で、フェーン現象の冬版かという感じ。深夜から早朝、かなりの横殴りの雨で、ガラス窓をたたく雨の音で目が開いたりした。
  雪の量が極端に少ないということは、降雨量が少ないということでもあって、乾燥している気もする。地面を見てる限り、乾いているか否か、詳しくはわからない。が、あっさりとフキノトウが見つかって少しうれしかったが、その後の変化がない。この原因のひとつに雨不足、水分不足があるのではないかとも思う。ここにある梅も、小さい蕾はあるものの、そのままの状態が続いている。
  梅の蕾が果たしていつごろから出来るか、観察したことはないが、落葉広葉樹の葉っぱの芽は、すでに晩秋に見ることが出来る。枯れ葉が散ると同時に、すでに、次の世代の葉っぱのもとは出来ている。何度も書いているが、まだまだサザンカの蕾が出来ていて、こちらは膨らんでいる。私が、ツバキだと思ってるものはどうかというと、これは、やはり蕾はさほど変化はない。忘れていた言葉、バーナリゼーション、低温処理を、ようやく思い出したが、これが、関係してるかどうか。
  雨は、お昼前後に小康状態になる。これでは、たいした雨量にはならない。どうせ降るなら、もう少し降ってほしい。気温は下がった。ただ、お日様が雲の間から顔を出すと、結構暖かく感じる。なるほど、暖冬である。
  フキノトウをやはり気にして、ときどき見ている。書いたとおり、まだこれこそフキノトウというものはない。それ以外に、何かないか探す。ツクシの細くて小さいのが少しある。スイセンの花もまだまだ。
  名前はわからないが、そう見劣りしないものがあった。



  何しろ、いつもは雪に覆われているところ。こんなのがあるのか?。花のところだけを見ると、フキノトウの少し成長したものに似てなくはない。

やっぱり『本』かな。

2007-01-27 07:37:24 | 散策
  朝の天気、雨。雷もゴロゴロ。室温8℃。灰色の空。
  カメラの画像ファイルをDVDにコピしつつ、これってもう見ることがないかも、と思う。それより、これまで、うまく書き込めていたDVD、まだ空きがある、が、なんとかエラで書き込めなくなる。もう一度試して、やはりだめ。それで、ウィンドウズでちゃんと再生できるか確かめる。もとの画像はセーフ。よかった。へたすると、これまで書き込んでいたデータがすべて見えなくなる。
  予想どうり、なにが何処にあるかわからなくなる。かためて、円盤上のいれもに入ってる。昔のものは、ちゃんと見ることが出来るか、心配になって、いれものを反対にして、一番下のものを出す。それで、グ・グ・ガタガタ読み込みが始まって、一応は大丈夫のようだ。それでも、こうゆうものは、ディスクに書き込んだ時点で、消え去ってゆくように思える。
  PC保護ソフトの導入で、てんてこ舞い。辞書を見ると、天手古舞。うまくゆけば、その後もまーまだが、一度おかしくなると、どうしようもない。機械に振り回されている。PCに使われている。PCが主人で、私はいったいなんだ。コンピュータは、人が作ったもの。それに、振り回される、この矛盾。同じことを何度か書いたな。
  そこで、やはり『本』が登場する。特別な装置は要らないし、いやなら、ぽいと、置いておけばいい。逃げもしないし、襲っても来ないし、変化もない。辞書を見ると、なんでか知らんが、ちょっと賢くなった気がする。なぜか、久しぶりに、ドイツ語の授業に出る夢をみた。むろん、下調べはしてなくて、出席数もギリギリというところ。こうゆう夢で苦しむ方が、PCにこき使われるより、ましかも知れぬ。

心の中で生きつづける

2007-01-25 18:54:24 | 散策
  今頃、年賀はがきがどうのこうの言うのもおかしいが、ふと来なくなるのがあると、どうしたのか気にかかる。昔は、3年くらい書いて、便りがない場合は、止めた。はて、年賀状というものは、返事を期待して書くものか。そうゆわれると、確かに、来たからそれでは、お付き合いで、返事を書かないといけない、そうゆう理由はない、必要性もない。そうか、その辺りを忘れていた。でも、3年書いて返事がなかったら、やっぱり止めよう。
  悲しい知らせというのが来る。そうゆう年齢になってしまった。でも、だいたいが、長い間合ってなくて、ただ、はがきだけでやり取りしていた。だから、そのはがきを見ていても、思い出すのは、学生のころか、まーその前後のものだ。最近は、ちゃんと自分のページを持ったり、あるいは必要上公開されたりするので、内緒でこっそり見たりする。顔に関しては、昔の面影なんてまったくない。ただ、ちょこっと書かれた自筆の文字を見ると、アー、あいつだ、なんて思う。中には、これはまーいい男だから出来るのだろうが、写真を印刷する人もいる。はげてるのに。しかし、これは、いいことだ。なんか、ホンマに年寄りくさいこと書いてる。これも、どうも天気がすっきりしなくて、ほかにも、ややこしい事がごろごろしてからやねん。
  何を考えていたかというと、人というものは、心の中にいるもので、正体があるかないかは、さほど問題ではないのでは、という事。悲しいことの対処法。

  好きなだけ写真の撮れる時代だが、その分これは、というのはなくなって、どうも困った。これで、1週間はもつだろうと思っていても、そうはいかない。だいたい、何をいつ撮ったか、それさえはっきりしなくなる。ぐずぐず。



  ずいぶん、いろいろなところが尖ってる雑草である。まだ、咲いてるのか、もう咲いているのか、そこんところがわからない。でも、地元の新聞を見ていると、この近くだが、どうもここより寒そうなところで、春近しの便りが載る、これも、不思議。  

ラジオで南極

2007-01-25 07:25:03 | 散策
  

  朝の天気、曇りか小雨。室温6℃、きのうは5℃だった。
  朝のラジオで、南極の話があった。南極は寒いが、今は夏ということで、明るいということで、なかなかの緊迫感がある。
  そうなんだよね、今は、ここいらは冬だが、南半球に行くと不思議と夏なんだよねー。それでも、やっぱり南極は寒いだろうし、だいたい普通の人がそこまで果たして行けるものか、たどり着けるか、頭の中で考える。確か、南アメリカの先端から行くコースがあったようだが、この辺りは、年がら年中嵐だと聞いていた。
  これは、反射的に思ったことだが、北極が夏って聞いたことないねー。
  朝から少しガタガタする。明るく笑い声を上げる。それで終了。それにしても、1月もアーダ、コーダいいながらもう終わろうとする。なんか計算とか、新システムとか、すべてが新しくなる日が近づいているようだが、ここは、現在より過去に向かって、何かとやらなければいけないことがたくさんあるように思える。実際にある、これを忘れてはいけない。

でかいなぞ文字

2007-01-24 18:47:21 | 星空・天体・宇宙


  きのうの夕方。夕日と飛行機雲が見える。

  しばらく、窓越しに、その風景を眺めている。大きく、長く雲は尾を引く。これが、彗星ならば、とふと思う。これが彗星だったら、それは、大変なことになりそうだ。
  McNaught彗星(C/2006 P1)が、南半球で観察できるようになって、その写真を見ている。これは、なかなか壮大、雄大、加えて、エキセントリックで、想像を超えるものがある。さらに、その写真の説明を見ていると、おなじみというか、知ってるカメラメーカの名前がぞろぞろ出てきて、いやはや、お手上げ状態である。みんな、高級なカメラを使ってるんだなー。奥さんと子供さんと、自分も写っていたりする。こうゆうのは、天体写真では、なかなかない。
  この彗星は、軌道は、今のところ、双曲線を描き、さらに黄道面からずっと離れてゆくので、やはり太陽に戻ってくることはないように思われる。一度きりの大舞台を見せてくれて、静かに生まれ故郷に帰ってゆく。だが、これから先かなりの間、この彗星は、忘れられることはないであろう。

寒修行断片

2007-01-22 19:08:52 | 植物・花(冬)
  端っこから、大きな街の、大きな駅の方を見る。この駅からさらに東の方向に電車が走っている。北陸本線ではない。間違えないように、注意してある駅で降りる。その先に、結構距離があるから、歩いて行かれる方はいないだろう、寒修行で有名なお寺がある。ここで、冷たい滝にうたれるのである。毎年、TVでこの取材風景を見ることが出来る。
  暖冬とはいえ、何しろ冷え冷えしている。水温、気温が出るが、覚えていない。まず、白装束一枚かのようである、滝にうたれる人が映し出されて、少しピリっとする。多分、カメラマンの人も、ものすごく寒いだろうが、その姿は、むろん入ってはいけない。それで、寒修行のある瞬間を終えた人の笑顔が映り、これで今年1年間、無病息災で過ごせますという、高らかな言葉を聴く。うなる。
  画面は、まだまだ、たくさんの人が、滝にうたれるの待っている絵に変わる。これも修行のうちである。さらに、想像するに、ここまでやって来る、朝を迎える、滝にうたれる準備をする。すべて修行である。で、滝にうたれて、無病息災を確信した後も、修行は続く。多分、着替えはするが、暖をとることはないのではないか。
  
  今日は、妙な天気であった。雷注意報が出ている、お昼のTVのニュースでそう聴いた。それで、これは、修行でもなんでもないが、いつものように歩くことにしたが、見事予報どうり、雷鳴が轟いた。それほど強烈でもないが、ここはしばらく様子をみるのが常道である。ちょっと激しい雨風。それがおさまりつつある。
  西空をにらむ。明るくなってきた。大丈夫だろう。傘をさして、雨はもうまっすぐ地面に向かっている、早めに歩く。それで、もう少しで、一周するというところで、ふと白いものが前方に見えた。はっきりしない。さらにしばらくすると、はっきり白装束の人を見る。さらに、突然あるお宅から同じく白装束の人が出てきて、少しびっくりするが、このくらいで驚いていてはやってけない。付け加えると、その白装束の方々は、ビニールの透明な雨合羽を着ていたようである。それ以外は、まったくわからない。
  
  ツバキの様子。どうも、サザンカかツバキか悩むところだが、ツバキということで。



  去年からの葉っぱが、虫に喰われたまま残っている。スジが残るのも不思議だが、それより、ガーゼのような白いまくがなぜ残るのだろうか。これを、人の手でやるのは難しそうだ。



  花の蕾もしっかりと出来ている。ただ、もう少し日が当たるところならなー。でも、もし咲いても、すぐにヒヨドリにつつかれる可能性がある。