光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

まん丸の柿の実の大きさ、色付き、実の密集度、空と仲のいい風景

2015-09-30 13:51:11 | 植物・花(秋)
  今日は、柿が主役の画像。


  気温はやはり低め、いえの中の温度もあまりない。夜中に目が覚めて、しかも調子はよくなかったので

  気持ち的には、普通かも。高揚感はない。


  きのうの午後もそうだったが、ときどき山、立山連峰が見えて、でも雲がかかっているところも多い。

  見るのは空で、なおかつ雲のほうが多いが、アレッと思ったのは、山肌が白いように見えること。

  目で見た感じだと、もしかしてあり得ないが、雪かな。本当にそう思えるくらい白い。でもやはり

  それは雪ではなく、木の生えていない山の土の色のようである。ここにいつ白い雪が降るか。


  今日はきのうよりは、山がよく見えている。いまも双眼鏡で見たが、雪はなかった。立山の頂上まで見えている。

  今ごろ、3000m級の山の気温はいかほどか。15℃は低いだろう。10℃は間違いなく低い。だんだんとわからなくなるが、

  最近紅葉の便りも聞かない。他が忙しいらしく、日本アルプスの紅葉がどうなっているか、これはまだ話題には

  ならない。


  きのうの夜、月が出ることはわかっていて、それでも一応、月があっても、星は見えるかも知れないと、

  分解して、少しきれいになったと思うポラリエを窓にセットした。それくらいに、夕方の天気もよかったのだが

  やはり夜は雲があちこちに湧き出るようにあって、いつもと同じだなと思う。それでも、ある程度時間がたてば

  晴れるだろうという、感じはあった。その通りになったが、まだまだ月は明るかった。


  クシャミに鼻づまりで、当然目も覚める。鼻うがいもやらないといけない。何が原因かな。窓はわずかに開いて

  いたが。一昨日はよく眠っていたのだけど。

  月がもう西の空に移動するころ、午前1時半だったと思うが、冬の大三角は見えた。もちろん、オリオン座も。

  シリウスと、プロキオンはちょうど、地平から昇ってきたところ。

  このときの空の状態は、たしか十五夜のときよりもよかったと思う。透明度の問題で、ある程度の月の明るさが

  あっても、雲とか他に光を反射するものがなければ、月夜でも、程ほどに星は見えるものである。


  朝がちょっと遅かった。金星は、午前5時40分でもわかった。もういまは、太陽が稜線から出るのは、午前6時に

  近い。明るい空に見える、金星は肉眼の対象だが、見えると嬉しいものだ。



  いまも、バックアップのつもりで、下書きで、投稿ボタンを押すと、文字を書いているこの画面が消えて

  しまった。今回は、記事一覧を触らないで、もう一度「新規投稿の画面」を出すと、自動バックアップで、

  文字は出たが、・・・。

  一体にどうなっているのだろうか。こんなこと、いままであっただろうか。きのうは、画面が消えたあと

  記事一覧の一番上にあるのかと思いそれを開いた。それは朝書いたものだった。で、これを元に戻して

  新規投稿の画面を出したが、自動バックアップは当然か、働かなかった。


  注意して書かないとだめだな。

  先に画像にいったほうがいいか。


  で、柿の画像である。これはまん丸の柿で、すぐ近くのお宅にあるもので、大体秋の今ごろ道々見ていて、

  よさそうだなと思うころに、外からだが撮らせてもらっている。そこにおられる方も私を知っているし

  別に問題はないものである。もっとも、普通道々歩いていて、風景としてそこにあるものを撮って、何かいわれる

  ことはほぼないが。


  枚数多かったので、整理するに時間はかかった。実の形、色、成りかたの密集具合、空の色との相性など

  を考えていた。かなりの枚数になるが、二枚、まだ赤くない、薄青い柿の画像も。




  その一。これは一枚目、印象的には悪くはない。




  その二。柿ではない、そうゆう風にも見える。




  その三。




  その四。空の青さだが、これも少し調節した。ある場所に密集して、実は成っている。




  その五。逆行で、柿そのものが暗い、あるいはわずかに色がわかる、これもなかなかいい。




  その六。





  その七。ここからはもう一回見直して、追加するものを出している。




  その八。




  その九。電線などが入る可能性があって、また実際に電線が多く写っているものもある。
  なるべくそれは避けた。これは、ここの場所では最後で、赤い色が気になって、選んだ。



  まだまだ実の青いものがある。



  その十。




  その十一。これらの柿は、ここのいえにある柿と明らかに違いがわかる。
  

  今日はあまり、関係ないことは書いていなくて、それよりもバックアップのほうにまだ心配があって

  それをやりつつ書いていたのだが、やはりきのうと同じく、これまで見慣れていた、編集画面に戻る、etcの

  画面ではなく、一番最初に見る画面が、途中で出た。この最低1年間で、バックアップに頼ることは、こちらの

  ミス、ボタンの押し間違いではあった。でもきのうのように、やはり間違いなく、と考えざるを得ないが

  投稿ボタンを押しても、一番最初に見る画面が出た。これが正常なのか、それはしかしおかしいだろう。

  やり方を間違えると、書いたものは完全に消えてしまう。

  
  今度は、下書きで残っていた。しかも、書いたところは反映されていなかった。これを保存していますで

  回復。わからん。


まぶしい太陽が出た。ケイトウの花、まだ残っているイネの色

2015-09-30 07:08:40 | 植物・花(秋)
  朝は、もう少し冷え込むかと思ったが、窓は閉めていて、でも一箇所わずかに

  開いていた。これに気が付かなかった。

  まぶしい朝日。


  いろいろ尾を引くものがあるが、それは忘れて。

  文章をもう一回書く気力はなかなか出ない。身体も痛いし。でもその痛い身体で

  ポラリエさんを、簡易赤道儀のことだが、バラバラにして、少し掃除もして、また元に

  戻した。すごい力がいる。丈夫な手袋も。渾身の力で締め付けている。

  きのうはもちろん、夜は月夜で月はまぶしすぎたが、2度、シャッタを押した。


  どうしてそうゆうことになったのか。

  涼しくもなかったが、眠っていて、夜中12時ごろだと思うが、クシャミが出た。鼻水も。

  これは本物で、鼻が完全に詰まってしまう。鼻うがいしかない。これをやっても

  すぐに鼻が元通りにはならないが、やらないよりはましだ。これを精密に描写するとかなり汚い。


  これが一回ですまなかった。1時間とちょっとして、つまり午前1時過ぎだったが、ようやく眠ったと思ったら

  またクシャミが出た。これまた仕方なく、鼻うがいをやって、でも水を吸い込む勢いはあまりなかった。

  このあと、鼻呼吸を続けているが、かなり意識してやらないと苦しくなる。息苦しい時間。


  こんなときにまで、過呼吸現象が起きるとは考えたくないが、なんとも身体の全体の調子は狂った。

  それでも、眠ったのだから、まずはよかったということにしておかないと。(午前5時40分、目覚ましは鳴った)。

  でも、なかなかこのクシャミ・鼻水からの立ち直りもむつかしい。

  
  きのうの画像だけのブログ、何が何やらわからないと思うが、そのうちに同じようなことを書くときが

  来ると思う。


  で、きのうのベニシジミ、ボケ画像が最初で、それに気が付いて、マクロに変えて、写ったもの。

  このケイトウの花の中で。











  それから、この反対にある田んぼだが、まだイネが残っている。






  いい景色。
  

  でも、イネを作っている人によると、どうも8月の後半からの雨がかなり影響あったらしく、

  あまりよさそうなことはいってなかったな。それゆえ稲刈りも遅れた。

  TVなどではわからない、生産者の声。



青空の柿、ケイトウにいたベニシジミ。

2015-09-29 14:00:49 | 虫、その他
  ブログ書いた。

  文章書いた。草稿状態で、送ったら、なぜか編集画面が出た。何も残っていなかった。

  最近こうゆうことはないように出来ているはずだが、さすがにまだ愕然ともしない。

  何でかわからない。1時間以上かけているが、どこにいった、書いたブログ。


  投稿ボタンを押したはずだが。


  で、画像だけに。


  柿。




  その一。




  その二。




  その三。




  その四。




  その五。



  ベニシジミ。




  その六。




  その七。




  その八。




  その九。




  その十。




  その十一。


  それにしても、どこにいったのだろうか。

  まだ残念とか言う気持ちも、わかない。

  不思議だ。



  9月30日。

  思い出しながら。

  まずはタイトルが違っている。柿そのものは、連続して出すと飽きるものだから、筆柿と思われるものを選んだ。

  この画像を見て、最後には、シルエットの柿が印象的でもあると思う。

  これは柿の画像としては、考えていたものと違ったが、空の青さと柿の影絵、シルエットがいいのではないか。

  そう思って、柿そのものは、もともとこの日はなしでいこうと思った。

  ベニシジミの画像があったので、こっちを主にという考えは最初から。


  あとは気温に付いて、これも書いている。エルニーニョ現象がまだ観測されているが、気温はさほど

  この週は上がらない。一体いつに、最低気温が10℃になるか、そうゆうことについて書いていて

  冬はそこにまで来ている、ということも思った。だんだんと慣れていくはずだが、異常気象が当たり前に

  なっているいまの時代である。でも、そのときは身にしみる、あるいは耐え切れない。


  一桁の温度、5℃以下という状況でも、面白いかもとも書いたと思う。あるいは2℃。


  今日はここまで。ただ、投稿日時は、書いたときそのままで。



失敗続きの朝。

2015-09-29 07:11:39 | 散策
  午前5時半ごろ、布団から出た。

  ちょうどいい時刻だと思う。お日様が出るまでは時間があるが。
 
  その前に、トイレにいっていて、このとき西の空に少し赤い、月。竹の向うの月。

  東の空にはまだ雲が多い。


  6時になる前に、下に降りた。新聞を取って、北日本新聞だが、少し読んだがこの感想を書くのはやめよう。


  手を石鹸で洗う。気を付けているが、爪に、さらに爪の奥のほうにまで、溶けた石鹸が入る。

  よく洗って、爪と指の間に石鹸はないことを確認した。タオルで拭く。つるつる成分なくなって

  摩擦がある。で爪を見ると、白い。あー石鹸が残っていた。タオルにも付いた。

  死ぬことはない。忘れることにした。


  メガネもたまに洗う。食器用の洗剤で。きのうはさんざん蚊に咬まれたが、なぜか小さい虫が左足のそばで

  空中停止している。もちろん少し動く。何かな、洗剤液がレンズのくぼんだところに入っているが

  気がついたら、床に音をたててこぼれた。恐らく、こうゆうことをやったのは、生まれて初めてだろう。


  でも、死なないと思う。で先にきれいにレンズを洗い、それから流しの淵をよく拭いて、次にその辺に

  転がっているティッシュペーパーで、まずは床を拭いた。安物のマットも拭いた。

  もう一回水を含んだ、これは比較的新しいティッシュペーパーで、床とマットを拭いた。

  なんとなく不安で、キッチンペーパー、結果として2枚引いた。(キッチンタオル、よく見るとみな「タオル」でした)。


  それでもう6時半になっていて、それから顔を洗った。ボケたと思った。

  わかってはいるが、でもまだそう簡単には死なないだろう。

  ここに書いて忘れることにした。でも覚えているだろう、しばらくは。


  きのうの朝。




  この薄く黒い色が出たのは珍しい。










  しばらくして出た霧。




  これはさすがにものを燃やしたときの煙ではないと思う。



  朝の画像を送ってなかった。それを送ろうとして、蚊がいた。手でつかんだら、うまく捕まえる

  ことが出来た。


  西の空はもう晴れていて、いまはまことにまぶしいお日様。


コスモスの花は、きのうの続き。柿の実の画像の出来がやっぱりいまひとつ。

2015-09-28 13:43:53 | 植物・花(秋)
  気温が上がる予報だが、いまのところ、ひどく暑いという感じはない。

  今ごろも熱中症はある。今日は気温は上がるようだが、風もかなりあって、これは結果論だが、もう外をカメさん

  持ちで歩いてきた。ただ普通に歩くと、10分のコースである。歩いたとは言える距離でもない。


  ここのいえの柿は、祖母の話でも、父の話でも違いはなく、接木だが、ミズシマ(水島だろうか)という品種で

  甘柿である。もちろん、柿の実であるからタンニンは入っていて、でも渋みは青い柿のときからもうないか

  どうか、それはわからない。渋みを感じさせない柿だが、タンニンの作用は身体にはあると思う。何度か渋柿を

  食べていて、あの口の中の嫌な感触は忘れられない。柿になぜタンニンがというのは別に不思議なことでも

  ないようで、植物一般にこれに似た化合物は必ずと言っていいほど、生体成分として入っている。これも

  古いときの記憶だが、このタンニンも、呼び名は何種類かある。一般的になんというか、これは有機化学の

  問題である。


  で、なぜこんなことを書いているか、というと柿の実の画像を見ていて、木の高さもあるが、柿の柿の実らしさを

  感じさせるに、やはり迫力なく、これはいかんという考えがあったからで、なおかつお天気もよく、風もあって

  それならサッサと他所さんのものを借景した方がいい、ということでである。でも、ここの柿の実はうまいと

  思う。ほとんど食べないが、過去何度か食べていて、まずいものはない。あまり甘すぎることもない。

  散歩のそれ以降の楽しみはあまり考えなかった。


  しかし時間的には、柿のひとつ撮るのも、けっこう時間と気とを使う。柿の実にも時間があって、よれよれは

  これは見ていて面白くはない。ここがいい、この時期がいいというものはある。

  晴れていて風があるので、人の姿も多いが、今ごろまだ稲刈りをしている。これは驚きでもあるが、

  農作物を作る人の高齢化の問題もある。いつまでも若くはない。となると、恐らく組合の中で、お助けマンが

  登場するのだろう。もちろん、時期を変えて植えていることも考えられるので、今ごろもあっておかしくは

  ない、そうゆう結論的なものが出る。うるちともち米の違いもあるか。晩生のイネはあまり名を聞かない。

  でもむかしに戻ると、稲刈りは11月が普通、標準的であったと思う。信越本線がまだあったころ、長野を越えて

  新潟県に入ると、これも少し山の中だが、11月に稲刈りはあった。妙高、高田、あとはどこかな。ここも豪雪

  地帯。


  コスモスの花も、ちょうどいい高さのものを撮って来たが、風があるので、けっこう揺れた。

  柿の木も一本だけでない。またまだ残っているイネの様子、最後には幸運にもベニシジミに会うことが

  出来た。このとき、私はカメラをマクロにしていないことに気が付いて愕然としたが、チョウは必ず戻って

  くると信じていると、そのチョウはやはり戻ってきた。でも、ケイトウに止まるベニシジミの位置はかなり

  低い。ベニシジミは、それにしてもなぜこんなに減ってしまったのだろうか。このところの冬は雪多く

  気温も低い。これが一番の原因だと思うが、暖かい冬は来そうにない。ベニシジミは一番簡単に

  撮れるチョウでもある。戻ってこないか、大群が。


  で、最初は、コスモス、これもたくさん撮っていて、でももう一回くらい出すと終わってしまうかな。

  花そのものはまだこれから。あと、ここの柿の実、一枚だけまだ咲く、ヒガンバナ。





  その一。一番綺麗な、という角度で。奥行きはあるので、ボケ画像も楽しめる。




  その二。周りの色は濃いので、まだ夏の感じはある。




  その三。このひょろひょろと伸びた花は滅多に見られない。




  その四。




  その五。雑草と一緒に。





  その六。まだ咲くヒガンバナ。これは近くで、お寺のものではない。





  その七。ここのいえの柿、ミズシマ。一日一日の変化があって、今日はもっと赤いものが多いが
  落ちる実も増える。少し小さい。




  その八。




  その九。




  その十。高さは7、8mはあるかな。今日撮ってきたものは、もちろん毎年秋に撮っているものだが、
  目と鼻の先にあって、これは大きく撮れる。でもたぶん渋柿だと思う。こちらにおられる方は存じているが

  柿が甘柿か渋柿かは、聞いたことはない。これからも聞かないだろうな。



  今日がたしか満月。月の軌道は、複雑怪奇だけど、楕円軌道に近いのは間違いなく、地球に近い位置で

  満月になれば、これは大きく見える。もちろん、反対がある。もっとも離れたとき、あるいは接近したときが

  一体いつになるか。

  地球の周りを回る月の軌道については、たしか国立天文台のホームページのどこかに

  書かれている。これは見たが、印刷して、さらにいくらか『力学』の知識がないと理解できない

  ようだ。私も、これに関してはもちろん、説明は出来ない。



夜は月が明るすぎた。明けの明星と木星はわかる。朝は冷え込んで、放射霧

2015-09-28 06:57:03 | 散策
  朝は、普通に晴れていて午前6時ごろ、お日様は出た。


  いまはもう6時35分を過ぎて、39分になろうとしているが、どれくらい前からかわからないが、霧のようなものが

  出ている。ものを燃やすときも同じような状態になるが、臭いは感じないし、これはやはり霧。

  放射冷却もあって、湿度も高いので、こんなことになるのだろうか。なかなか面白い変化である。


  きのう月が出たのは早かった。それまでにほぼ快晴になったが、北風が吹いているので

  予想通り、雲が次から次へと湧き出した。月がどうゆう感じか、東の空を見たのは、もう午後7時半を過ぎていたが

  月より、雲の動きが激しく、これはまるで雲の中を月が高速で動いているようでもある。

  日の入りの正確な時刻はわからないが、月はもう午後6時半には東の空に見えた。この時間はまだ明るさが

  ある。


  夜の11時になると、雲は嘘のようになくなった。これも大体予想通りで、でも月は明るすぎた。

  この時間はただ目で見ただけだが、8時台は双眼鏡を使った。一応、むかしの「Nikon」製である。

  7×35だが、これでも満月に近い月は明るすぎて、長い時間見ていることは出来なかった。

  分解能はないので、細かいクレータの様子はわからないが、観望にはちょうどいい双眼鏡である。

  これも30年以上使っている。


  朝は、金星である、明けの明星。月の影響がない時間、もう午前5時15分を過ぎていて、この金星の明るさも

  異様な感じ。でも空が明るくなると、一気にわからなくなる。

  木星も、この時点で、わかった。



  画像はきのうの午前中の雲の様子だが、たまには黒い雲もいいと思って。















  
  天気は晴れだが、気温は上がりそうで、夏に戻るのか。



秋色の青空。カエデ、ノリウツギ、それとこのときは曇り空、背の高いコスモス。

2015-09-27 13:52:58 | 植物・花(秋)
  ホタルガという、蛾がいるが、それを知ったのはかなり前だが、いなくなってしばらく時間がたった。

  今ごろ、またかなり飛んでいるようで、荒れた庭で復活する。原始的な感じもあるが、肝心のホタルは

  大体生育出来なくしているので、これを見ることはない。それこそ、昭和の40年代の初めころ、かなりの数のホタルは

  ここにいた。ちょうど中学生ころかな、牛乳瓶にそのホタルを入れて、ここの昔のいえに持って帰った。

  夜は蚊帳の中で、そのホタルを見たか、その記憶はない。


  柿の実がかなり赤くなって、葉がまずは風が吹くとサラサラと落ちる。ついでに、たまにだが、実そのものも

  落ちる。ムクドリの群れが、電線にいるときが多くなった。でも、柿の実をつついている、鳥はたしかに、ムク

  ドリだが数は少ない。鳥のくちばしでつついたと思われる跡が、実のいくつかに残っている。落ちる実もあり、

  鳥に食べられる実もある。もう少し下になっていたら、味見してみようかなという気になるが、何しろ位置が

  高すぎる。祖母がよく落ちた柿を食べていた。でもやはり綺麗な食べ方は出来なかったようだ。


  ちょうどいま、鳥のモズの鳴き声がした。これも何回か書こうとしたが、忘れて、あー今日も書かなかった、と思って

  明日だ、というときが続いた。鳴いてくれてよかった。朝は曇りがちで、雨が降るかと思ったが、お天気ようやく

  少しよくなっている。

  モズも昔からここにいる。他所にも木が多いところはある。雉もいるが、モズもいて、カラスは大群で現われ、

  トビが舞う。珍しい鳥は、いない。キジバトの巣もむかしからあった。モズの巣も、わからないように作られ

  ていて、でもうまく孵化したか、それはわからない。もう4、5年前か、幼鳥をここに来ている幼いネコが、追い

  かけたことがある。ネコの遊びの対象になった。捕まえたとしても、食べるとかいうことはないように

  思った。でも、飛べない幼鳥の運命は厳しい。これは生まれてすぐのネコでも同じ。


  重い身体だけど、30分で終わろうとした掃除だが、結局、だんだんと溜まってきている、普段気にしないで置いた

  ままの箱などが気になって、そうゆうものも処分して、さらに敷いてある新聞紙を取るとその下は綿ぼこり

  だらけ。本当に、綿ぼこりはどこまででも入ってゆく。いちいち、掃除機をどけて、ものを捨てて、また掃除機を

  持って、という作業だが。細いところは先に付けるものを変えないといけない。絨毯は、上をなぜるだけでいい。

  絨毯は、大袈裟か、やすっぽい敷物、これの扱いも面倒である。

  掃除は段取りだが、同時にものの移動でもあり、なおかつ掃除機の出番は少なく、キッチンペーパーが活躍する。


  結局、1時間以上かかった。身体はくたびれているが、顔を見るとちょうど血色がよくなって、あれ、悪くはないな、

  と思う。気持ち的にはげっそりだが。そうゆうものかも知れない。しかし、食欲もあまりなく、もう少し考えると

  父のむかしの昼ごはんはたしか朝と同じで、パンと牛乳くらいだった、ということを思い出した。もっと

  むかしだと、コッペパンだけ。それでも、健康だったのだから、普段の私の食事は食べ過ぎになる。


  いくらか、きのうの晴れた時間、外に出て、木の様子、柿の実、他コスモスなど撮った。雲が出ている天気でも

  あって、すべてが青空にはならなかった。コスモスは、これも習慣で枚数多くとって、選ぶのに時間で

  今日は少なめである。ただ、3日か4日前に撮ったものよりは花の数は多い。




  その一。カエデ、紅葉はまだのようだ。少しだけ葉が赤い。





  その二。ノリウツギ、これはお隣さん。




  その三。明るさがある。ノリウツギの花は、今年は普通だったかな。よくわからないのは、
  この花の位置も高いこと。




  その四。羊雲、これが時々直射光を遮る。





  その五。一枚でとなると、これだけで済むコスモス。ここに移動して、雲が太陽を隠した。
  ただあとの方でまた出て来た。




  その六。コスモスにピントのはずで、出ていなくて、でもエノコログサにはぴたり。すれているかも。
  ピント面のマークが。




  その七。曇り空だけど、天高くコスモスの花。




  その八。




  その九。下のほうにも注目してね。




  その十。


  本当に午前中、掃除しているときは、ほぼ曇り、もう少し前は、北風で、雨降るかと思った。

  あれ、天気が変わったと思ったのは、11時も終わりころだろうか。


  TVを消したままにしている。将棋は嫌いではないが、なんとなく熱くなるので、落ち着かない。

  最近は戦法の変化が多く、しかしこのゲームも時代によって闘い方が違うんだなというのがよくわかる。


  このまま晴れるかどうか、そうか今日は晴れても、まん丸の月が出る。これを眺めるだけなら
  
  あまり悩むこともない。月もやはり目で見るのが一番だ。




近くのお寺に、まだたくさんのヒガンバナが咲いていた。

2015-09-27 07:10:27 | 植物・花(秋)
  曇り、室温、22℃。

  
  きのうの午後の初めまでは、晴れていて暑いくらいで、その後も天気はあまり変わらなかった。大きな月も

  見えた。

  でもその後は一気に曇ってしまって、瓦に雨の跡が残る。露ではないと思う。


  近くにはお寺があるが、近いほうのお寺は通り道にあるので、ときどき中を見る。きのうも朝、歩きながら

  中を見ていたが、まだまだ多くのヒガンバナが咲いている。この量は年々増えていっているようだ。

  多年生の植物で、どのくらいの時間生きているかわからないが、よっぽど掘り起こしてどこかへ移さない限り

  増える一方のようである。この花で真っ赤になると、ポスターにもなると思う。でも真っ赤は嫌われるかな。

  ここは竹もあったが、これも増えるだけで3年ほど前なくなった。さっぱりとしたが、面白みはなくなった。

  このお寺で、祖母の葬儀をやった。1994年の出来事。


  それから、またコスモスを撮ってみた。目の前にあるので。でも背の高いものだから、これはなかなかうまく

  ゆかない。そうか、その前に柿の実があった。葉がまだ多く、ゴチャゴチャ感が出るが、色はほぼ出た。

  これも高い位置だ。

  今ごろが季節なのだろうが、アカトンボの季節もなくなった。でも、気温が上がるとアカトンボは出る。

  ときどき大型のトンボを見る。これはギンヤンマ、まだいる。チョウで目立つのは、ツマグロヒョウモンで

  モンシロチョウもまだ多い。シジミチョウでは、ヤマトシジミは見るだけなら比較的簡単だ。ツバメシジミも

  いる可能性はある。ベニシジミは見ない。セセリチョウも数も少ない。


  蜂は増えている。スズメバチのような蜂。 


  今日は曇っているので、午前5時半でも真っ暗である。


  ネコは来てもよさそうだなと思う時間だ。きのう夜来ていたか。でも合わなかった、というのはタイミング。

  今朝も来ないか何度か戸を開けたが、ようやく蚊の鳴くような声を出した。隅っこで鳴く。

  出したものはみな食べた。元気そうだ、そうゆうことにしておこう。


  30年前、1985年、31だった。2015年、61歳になった。60年前は1歳だった。この先はもう短い。

  1985年から考えても、多くの人が亡くなった。決定的なのは、戦争を知っている、体験している、という

  人が少なくなっているということ。今ごろの戦争がどうゆうものかを知るのは、南スーダンで活動している

  自衛隊の隊員くらいかも知れない。この隊員の運命が、変わるときが来る。








  きのうとっているので、これよりは実は赤い。







  アジサイの形相もすごい。


 

9月22日、昇るオリオン座とベテルギウス、9月23日、夜明け前のアンドロメダ座。

2015-09-26 13:39:44 | 星空・天体・宇宙
  朝から徐々に天気は回復。気温も上がっている。


  外に出てみると、晴れ間も増えているので、しばらくすると暑いくらい。





  その一。これは昇るオリオン座。日付は、もう一度書くと、9月22日で、時間は午前2時33分である。
  ちょうどオリオン座が南東の空に昇って来たところで、オリオン座らしいところを一枚に。

  失敗するかと思ったが、ちょうど真ん中に入った。



  キヤノンのG1 Xを使っているが、このレンズ、焦点距離は、15.1mmから60.4mmまで。これは、レンズに記され

  ている値そのものを書いている。4倍ズームで、無理のないところではないか。それでも、もっとも望遠側に

  するとかなり前に飛び出る。


  その一の焦点距離は、35.2mm。この焦点距離でどうにか、オリオン座のオリオン座らしいところが入った。

  最初に焦点距離と書いて、「焦点」が、商店になっていた。見落としそう。

  高度的にそれほど高くなく、どうしても地平近くは、人工の照明の影響も強く出るので、明るくなる。

  風景のような、星空の画像。


  ここからいくつか、拡大して、どうゆう風になるか試してみる。




  その二。左側に、三ツ星、オリオン座といえば、M42。大きくは出来ないが、無理していないので
  あまり粗のようなものはわからない。




  その三。今度は右に三ツ星。左側は、強いて言うと「M78」があるところだが、ぽつんとした明るさが
  あるだけ。




  その四。オリオン座のβ星、リゲルは明るい星だが、地味な存在である。ここまで入れた方が
  やはりいい。


  この日も、窓から撮っているという制約がいつもあって、あまり右側まで、カメラを向けることが

  出来なかった。このオリオン座の中心部の画像を二回撮っていて、その一の画像は、最初に撮ったものより

  わずかに大きめである。後の方が安定感があるかどうかはわからないが。


  で後一回というところで、もっとも望遠側である、60.4mm、ふだんはこれが多いが、これでシャッタを押した。

  すると、赤い星、赤色超巨星のベテルギウスが左上に入って、右側は、三ツ星までである。




  その五。時間は午前2時45分。これだけ見ると、すぐにオリオン座だとはわからない感じである。
  このカメラのもっとも望遠側だと、この範囲しか写らない、というのが感じでつかめる、と思う。





  その六。その五の拡大。右に三ツ星。ここにもM78は写ってはいるが。広角側でと、もっとも望遠側での
  印象は少し違う。
  

  15.1mmは、もっとも広角側だが、この焦点距離で撮ることは、そういえばあるかな。初めは固定撮影から

  やっているので、そのときに、もっとも広角側を使っているが。一度、簡易赤道儀を使っての、60秒露光を

  やってみたい気にもなってきた。


  それからこれも賭けみたいなものだが、23日の日、丑三つ時に、はくちょう座の画像を撮っているが、そのあと

  もう午前4時45分になろうとする時間、もしかしてアンドロメダ座の小宇宙(M31)が写らないか。その方向に

  適当にカメラを向けて撮ってみたら、M31は左上にあった。でももう明るくなる時間でもあるので

  もちろん画像はよくはない。これも60秒露光で、条件は同じである。




  その七。西の方向の空。時間は、もう一回書いて、午前4時45分。目で見ていると、明るいという感じは
  ない。M31は左上である。これを拡大しても意味はない。


  一度、アンドロメダ座の小宇宙が、西の空に見えてくるのは、もう冬ではないかと書いたが、時間をあまり

  考えないと、こうゆうぎりぎりの時間で、すでに西の空にM31はある。これからはもっと早く、この方向でも

  見えることになる。これを知るには、星座早見盤を使うのが便利である。


  再び晴れ間が出そうでもあるので、星空の撮影は続けたいと思っている。なかなかこれ以上のものに

  挑戦しようという気力がわいて来ない。


  やるとなると、結局レンズ交換式のカメラを、新しく購入しないといけない、と思う。

  いまのところ、そうゆう経済的な余裕もないし、どこのものがいいかもすぐには思い付かない。

  いま持っているものは、どうも重たすぎる気がする。気軽にやれるのがこのカメラのいいところ。

  壁は高いですね。


  書き方変えたのは、これもあまり意味はなく、また元に戻ります。




ツバメの飛ぶ姿がなくなった。秋分の日の日の出。

2015-09-26 07:06:44 | 散策
  夜は雨の音はなかった。


  布団を引く順番というものがあるが、これをときどき間違える。

  ごろりとなるときがあるが、ちょっと寒くなると、毛布を一枚使って身体を包む。

  この毛布は、初めのほうに引くもので、中から引っ張り出している。で、もういらないとなると

  一番上に、また載せることになるが、さて布団を引くときが来た。


  毛布は一番下ではないので、椅子にまずは置く。で布団を引き、その次がこの毛布。

  布団も薄くなっているので敷布団代わりなのである。でもそのとき、これを引くのを忘れて

  次にシーツ、最後には、もう夏ではないのでさらに毛布を。そこまでやって、あれ、下に引く毛布が

  椅子の上に。やり直しである。


  むかしの話は、あまり書きたくないが、未来はわからないので、どうしても「むかし」になる。

  布団は敷布、シーツと一緒に一まとめで、たしか押入れに放り込んでいた。

  それでうまいこといっていたのだな。

  で、シーツを敷いたたまま、上のほうに押し上げて、毛布を敷く、再びシーツを戻す。

  これでうまいこといった。頭の中に何か残っていないか探しているのだ。

  引くと敷く。混ざっている。

 
  いえの中で、やけに美しい虫の鳴き声がする。外ではない。いた、コオロギ。黒いし、わかりにくいが

  間違いなくコオロギで、でもいまはそうゆうものもつかもうという気にはなれない。

  いえのどこかに、コオロギはいる。でも秘密の抜け穴があるかも知れない。

  何しろ、小さかったが、ヘビまで入ってくる建物である。他もあって不思議はない。

  でもコオロギだと、子供のときは虫かごに入れて観察したはずで、さすがに鳴き声は期待して

  いなかった。いまはやはりいいのは鳴き声だ。

 
  今ごろの空で、もういないと思うものにツバメがある。最後はいつかわからない。

  数も減ったけど。空にその姿はない。ツバメは帰っていった。暖かい地方へと。


  今日も雨が降るかも知れないが、秋から冬、暖かいともいう。エルニーニョ現象で。

  でも雪は降る。多くもなく少なくもなく。

  冬か、でも秋の心配はまだある。今日はトイレで蚊がいたが、これはうまく叩くことができた。

  執拗である。

  
  結局何も出てこなかったようだ。


  落ち着いた景色なので、23日、秋分の日の朝。














  彼岸。まったく無縁の境地で、今日も考えることは、私利私欲のことばかりである。

  これはみな納得してもらえると思う。