光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

雨滴集

2007-03-31 19:02:16 | 植物・花(春)
  侃々諤々は、遠慮がない。喧々囂々は、やかましい。私が最初に思いついたのは、ケンケンガクガクであった。どうにか、似たような言葉が出た。
  午後の2時ころ、まだ天気はどうなるのかわからない。特に、考えもなかった。少し遅れて、外に出て歩いて、いかにスピーカから出る甲高い、ある言葉の連呼から遠ざかることが出来るか、それだけを考えた。危なく、真後ろから、轟音が響きそうになって、私は進路を左にとった。よかった、ここに道があって。
  かろうじて帰って来て、しばらくぼんやり。それから、少したって、雨が降り出した。普通の雨かと思ったが、どうもそうではなさそうで、そのうちひどい雨風になって来た。それが、ほどほどのひどい雨風だと落ち着いてもいられる。しかし、なぜか、雨風は激しくなって、ときに乱気流のごとく荒れる風が吹く。建物が、ガタガタ揺れるのがわかって、あまりいい気持ちではない。地震もおさまって、またもう揺れには多少なりとも慣れたが、今度は実際に揺れてなくても、自分が揺れてる感じになる。ほとんど人がこの妙な揺れを感じるのではないか。
  さらに、あまり歓迎されないものが光と轟音を発する。窓をたたく雨、風も激しいので、ラジオの音がわからなくなるくらいで、それなら、空を見てみるかそうゆう気にもなってしまう。時折、ゴーゴーと来る。その頻度は少ないが、結構なもので、これでは、ラジオは付けていても大丈夫だろうが、PCの場合は、至近距離の場合、アースから逆に過電流が流れてきて、それこそひどい目に合ってしまいそうだ。パソコンを切ってしばらく様子を見る。しかし、コンセント挿したまま。
  午後3時ころからひどく、途中、5時ころ一旦おさまるかにみえた。でも、その後も雨風と雷は、強弱はあっても、まだ降り続き、今も近くで落雷がある。こんなことをやってる時かどうか、判断がつかない。

  雨なので、漠然と雨が降ってそれが止んでしばらくしたときの植物の様子を探した。



  ここのチューリップの葉っぱ。このチューリップにすでに蕾が出来ている。



  冷たい雨だと、クロッカスも花弁を閉じてしまう。



  遅咲きだったが、傷み始めた、白と紅との中間くらいの色を持つ梅。

  相変わらず、雨は激しく、すでに真っ暗で、ときどき窓ガラスが白く輝き、しばらくして、轟音が響く。

降ってもたたいても

2007-03-31 07:28:58 | 散策
  朝の天気、曇りか雨。瓦に結露。しかし、雨も降っている。月が見えていたから、雨は朝になって降りだした?。室温8.5℃。少し寒い。
  落ち着いてというと、まずじっとしている事を考えるが、何かに座っている、腰をかけているのは、楽なようで、苦痛でもある。このごろ、どこかに行ってそのまま立っている、という事はなく、すぐさま椅子を探す。そこに座ってしまう。三人掛けで真ん中だけ開いている場合も、手を振って中に入ってゆく。でも、しばらくすると、なんとなく立ち上がる。お腹が圧迫されているのだ。それで、
  すいません、と手を振って椅子から離れ、窓から外を眺めたりする。自分の家にいるときは、特に手を振ったりはしないが、それとは別に、手をぐるぐる回す。体がカチカチになっている。だから、椅子から頻繁に立ち上がり、まず背伸びをして、体を伸ばす。それから、両手をぐるっぐるっと回す。大いに回して、その手に力がはいったままなので、脱力する。どうしても、お腹が出て、猫背で情けないものがある。外を歩いていると、自分の姿が何かに反射して、それを見ることが出来る。それは、99パーセント自分に間違いなく、その姿を見て、最近はもうなんとも思わなくなった。体型がそのまま出ている。これではなー、もはやどうにもならない。
  それで、肝心なのは、よく出るなーこの言葉、血の巡りと体の代謝である。十分に、全身に血液が循環しないといけない。老廃物がそれで、体外に排泄されないといけない。栄養が、適度に補給もされないといけない。適度に!。それでも、おつむからは、何も出てこない。さらに、スカスカしている。もはや、打つ手はないのか、落ち着いて考えないといけない。以下、繰り返し。

再び登場

2007-03-30 19:08:38 | 植物・花(春)
  少し冷たい空気、それと雨。頭を冷やすには一番いい。それと、静かなこと、これも大切。春は、どうしても、妙な方向へ転がって行きやすい。イライラとか、ムカムカとか、そうゆうのはあってもいいが、それを理由に自分のやってる事は正当化できない。
  冷たい雨が降っていて、ときどきそれが強くなる。鳥の動きも鈍く、この辺りにいるハトも、冷たい雨にどうしたものか悩んでいる。そのハトが、口に木の枝をくわえていて、それもいつものことで特に何か感じる事はない。木がずいぶんと少なくなって、たぶん昔から、先祖代々棲みついているハトも、この変化に、特にここのところは激しい、嘆いているだろう。
  少ししんみりしていたら、何か遠くから拡声器からでる無機質な、あるいは形どおりの音波がやって来る。何かを、すでに叫んでいる。絶叫に近い。今、一体何時だと思っているのだろう。モズが、この鳥くらい羽音をたてずに飛ぶ鳥を知らない、飛ぶその振動さえわかるというのに、増幅に増幅を重ねた、耳をつんざく音波が、近づく。思わず、耳を覆う。まったくなー、何考えているのでしょうか。朝っぱらから、これがいつまで続くのか。また、少し冷えたおつむが熱くなる、雪が降って欲しい、去年は、3月31日に雪が降った。憂鬱。

  再び登場するものは多い。何度も登場するものもある。でも、そうゆうものは、さほど悪くもない。さらに、どちらかと言うと、それこそ、その人にとって肝心なものである、決して同じ事を書いたり同じ絵を描いたり、同じ写真を撮ったり、同じ本を買ったり、同じところを旅するのは、悪くなく、その人にとってなにかより本質に近いものがそこにあると言う。それが、本質になるという。そうゆう事を読んだ記憶があって、これは困ったときには、自分の励ましになるなと感じた。確かに、今は困っている。スランプで、ニヤッ、何をやってるのか自分でもわからない気がする。余計な事を書きすぎたかも知れない。



  ボケ(木瓜)の花。花は開き始めると、結構早く変化する。ただ、これが、ホントにボケか、ときどきそうゆう恐怖に襲われる。



  レンギョウはあまり大きいのを見かけないが、これは私の背の高さより大きく、下からのぞく角度で見ることが出来る。小さい花だが、ちゃんと花の器官を持っている。こうゆうのはたぶん初めて見る気がする。  

カンタン!チューリップ

2007-03-30 07:34:54 | 散策
  朝の天気、雨風。北からの雨と風、換気扇のフィルタがガタガタ鳴る。窓をたたく雨音もうるさく、落ち着かない。室温12.5℃。
  一部のチューリップが満開になっていて、またその開花の状態の変化が激しい。一日前に、ちょっと開いていたものが、今日見ると満開になっている。と言うことは、きのう満開のものは、今日は散り始め。少々、感嘆する。ほめてもあげたいけど、なんか悲しい気もする。
  チューリップ畑というのをこしらえている方がおられる。そこのチューリップは、まだ葉っぱだけ。なぜまだ花が咲いてないか、考えてみるが、これは日当たりの問題。満開な所は、真南の方向、目の前に障害はなく、満遍なく日が当たっていそう。まだ、葉っぱだけな所は、東側は開けているが、西側は建物やら、より大きな木があって、日の当たらない時間もかなりありそう。
  チューリップで有名な街があるが、連休に開花を合わせようと色々四苦八苦しているようだ。が、暖かさと、ちょっとした低温ショックで、恐らく3月の初めの雪で、開花は早くなったのではないか、ご家庭で育てているチューリップは、日当たりのいいところで満開に限りなく近い。そして、花があっさりと散っていくのを見ることになりそう。
  ここにも、チューリップはある。グーッと大きくなっているが、まだ葉っぱだけの状態である。面白くない。で、ぐるーと180度回転しつつ眺めてみると、なんと蕾が出てきている。何とも、ここのチューリップの花も咲く準備をしている。一つ見つかると、やはりもう一本にも、それらしきものが葉っぱの中にある。
  それで、もう辺りでは満開のスイセンだが、ここのスイセンは、なぜかまだ花が咲かない。日当たりが悪いのはわかっているが、少しずつ大きく色も濃くなっているが、まだ咲かない。はたしてどうなるか。チューリップとスイセン、どっちが早く咲くか、そうゆう問題ではないか。それにしても、もうすぐ4月、やりきれない気分。

白雲

2007-03-28 19:14:43 | 植物・花(春)
  外を見ると、晴れではあるが、雲も多い。わかりやすい雲があれば、少し安心するが、西の空は、白く煙ってるようで、今どき雪雲はあり得ないし、なんだろうと思う。
  雨の量は少なく、季節の降水量としては相変わらず少ないはずだが、地震のことがはっきりと記憶にあるので、ほどほどですんだことに安堵する。この雨で多少地面は湿気を帯びたが、晴れで水蒸気がまた空中に戻ったということだろうか。ただ、それがなんとなくではあるが、負の電荷を帯びてるのではないか、そうゆう気もした。白く煙っていた西の空だが、そのうち入道雲まではいかないが、それに似た感じの雲が上空を覆い始める。初夏の空を見てるようだ。
  もともと、電子は地上にあるもののようで、それが自然界の法則によって上空に舞い上がる。その理屈にあまり興味はなくて、正確にゆうとよく理解できない、それが原因で雷が発生するという事が、私には重要に思われる。どうも、白い雲のようなものが、煙幕のように地上から上空までを覆い、それがしばらくしてモクモクとしたはっきりした雲に変化すると、なんとなくではあるが、ゴロゴロと来るのではないか、そうゆう気がする。地震というとその次は、雷で、そんなものはやって来てくれなくてもいい。誰しも、そう思う。ただ、やはり電子は空中にたまるようで、いずれは、どうゆう形かはわからないが、地表に戻ってこないといけない。なるべくなら、わからないようにもどって来て欲しい。また、地震も、これまた、なくなる事は考えられず、ほどほどにエネルギが開放されればと、願う。
  余震は、ここは、能登沖地震の震源からかなり離れているが、感じることが出来る。ただ、その割合は少しずつ少なくなって来ている。

  白い雲を見て、雷がなる気配はなかった、それから、ハクモクレンも、はっきりした形で花弁が膨らんでいる。一番綺麗なころのようだ。



  モクレンというより、コブシと言った方がいいような、それが紫色の花を広げそうで、それをファイルにおさめることが出来た。3、4枚とって合焦してるのはこれ一枚。



  花びらにくびれがある所、がコブシと思わさせる。



  少し前に、ガーデンダリアではないかと書いた花だが、アネモネでした。 

マルペケリョク散漫

2007-03-28 07:32:59 | 散策
  朝の天気、曇り。すでに、青空あり。きのうからの降水量は少ない。室温12℃。
  久しぶりというか、去年以来というか、ウグイスの鳴き声を聞く。そのまま、眠っていたいが、起きる時間。鳥の鳴き声は、なんとでも聞こえるような気がする。ウグイスは、毎年その鳴き声を聞いている。それで、今年はその声をまだ聞いてなくて、これには訳があると思う、無理やり他の鳥の鳴き声を聞いて、ウグイスか、など考えた。しかし、今朝の鳴き声は間違いなくウグイス。
  それはいいが、これもどってことない話しだが、朝からくしゃみが出る。私の場合、夜中一回目に目が覚めたとき、それが出る場合が多い。朝の、くしゃみ、鼻水は珍しい。寒いのか暖かいのかぼんやりした頭で考える。鼻水が垂れそうで、垂れない。誰も見てないし、どってことない。雨が降って鼻水かー。
  集中力。うーん、朝から、うなる。春はこれだからいやだ。鼻水はいつ止まったか、顔を洗い、鼻うがいをしながら考える。集中力か、そんなものないなー。でも、集中してないと、なんか何も出来ないなー、3月は**とよくゆうけど、そんな事はない。時間はゆがんでなくて、まっすぐに流れている。でもねー、なんか一日ばたついて終わって、結局朝になってきのうを振り返るのだが、書くことがない。これは、紙に書いている日記みたいなものに、真っ白なコピ用紙に字を、ふにゃふにゃな文字を書くとき、強く意識される。まったく、1日前のこと、半日前のことが出てこない。
  それから、何かを思い出そうとして、それが出てこないとき、あっさりとメモなり手帳を見てしまう、そうゆうことも多くなった。毎日見ている、限られたTVがあるがそれに誰が出演したか思い出そうとする時間があるが、これは寝付けないときなどにやるといい、これも、出てこないときが増えた。それで、あっさりもういい、そう思って紙の日記を見てしまう。それで、もひとつ、やはり何かが、なくなったりするときがある。おつむの記憶ではなく、物がなくなるときだ。それが始まると、少し危ない。どうでもいいことに結構な時間を使っている。
  注意力は、散漫。散漫の漢字を辞書で調べる。その前後に、結構面白い言葉があって、それを見る。それを書こうと思ったが、さすがにそれは出来ません。つまらない話で、申し訳ありませんです。

忘れたころにゆらゆら。

2007-03-26 19:10:12 | 植物・花(春)
  朝の天気、雨。天気予報では、晴れ。しかし、実際は雨。室温10℃、これは手帳を見た。朝の雨も早く上がると思ったが、なかなかそうはいかない。
  雨か、それほどひどくないが、ねちっこい。それに、やけに寒い、なんかスースーしてる感じがする。窓を確かめる。窓はちゃんと閉まっている。風を通すための小窓から、冷たい空気が入って来ている。網戸は移動していない。きのうの激しい揺れの後は、網戸が動いていた。それから、忘れたころにわかったが、窓も開いていた。鼻が妙なのは、花粉症のせいだろう。でも、やはり精神衛生上、地震の事は、なるべくなら早く忘れた方がいい。そんなことに拘泥している場合ではない。
  雨がなかなか上がらない。それで、もう一晩たって確かに物忘れもあるし、忘れっぽくもなってるし、このまま何もなかったようにいけばなーと思うが、どうもそうはいかない。余震が、やはりというかやって来る。ネットで、この後の余震はどうなるか見ているが、ある人はあまり心配はないという考えで、それからしばらくして、地元の専門家の人の話が出る。90年代に起こった地震のことも考えると、余震に注意という趣旨。違うようで、似ている。余震が起きないとは、どちらの方も言っていない。その規模が問題。
  輪島市と今回の能登沖地震の震源とされるという位置から、70kmくらいは離れているようである。大体であるが、それで結構余震はある。朝もあった。その余震は、何かに腰掛けていたり、座っていたりするとかなりよくわかる。ただ、立っていたり、外を歩いていたりするとわからないくらいのようだ。これが、もう来ないだろうと思うが、やはり来るのである。こちらで、この程度の揺れだと、やはり震源に近いところの方は、かなりの揺れを感じているのではないか。
  こうゆう余震を感じるのも、記憶にあまりない。この感じだと、しばらくは余震は続く、そうゆう感じがする。これを書いている時もやはり揺れる。これは、私の住んでいる建物がよく揺れるという事もあるかも知れない。

  フキの、フキの芽をたくさん食べた、という印象が、この冬、早春は強い。さすがに、もうその芽は摘み取られて、ここに残っているものは少ない。フキがどのような変化をするか、私は、他のところで見ていた。フキノトウは、お腹におさまるものもあるが、大概はやはりフキとして生長するはずで、これまた愛嬌のある大きな葉を広げる。その葉っぱではなく、茎がおいしい、それが途方もなく好きだという方もおられて、これは、わからない話ではない。



  毎度ってな感じだが、この後どうなるか、よくわからない。これは、もう食用には適さないだろう。



  雨が上がっても、まだ日はさしていない。こうゆう感じのものを見かけるのも、珍しい。見つけて思わずにこりとする。  

突然やって来る地震の怖さ

2007-03-25 18:54:26 | 散策
  能登半島沖に震源を持つ地震が起こって約9時間たつ。時計をはっきり見ていたわけではないが、9時半をまわっていた。それにしても、これほどよく揺れたのは、このところ地震を体験していないだけに、記憶にない気がする。
  台風などでも、それなりの被害が出ることがる。実際、この辺りも、3年前かの台風でかなりの被害が出た。高山本線は、相変わらず県境辺りで、途切れたままである。ただ、一応台風がやって来る事は、予報されていて、来るなという心の準備は出来る。それに、予報と実際がかなり違って、それが大丈夫だったということが多い。そうゆう意味では、3年前の台風による被害は、かなり深刻だった。
  地震で、この建物は、かなり揺れた。私は、木造の2階にいたので、よけいにその揺れを感じたことになる。これは、おかしいと思って、それから揺れがひどいので、机を持ったのか、あるいはそれを押さえたのか、はっきりしないが、何かにつかまらないといけなかった。どうにかおさまってくれて、ほっとしたが、一階にいるとそうでもなかったらしい。物が落ちた、あるいは倒れた、そうゆう事は下ではなかったようだ。私のいる2階で、本やら、雑誌やら、これこそ不安定そのものである、を平積みにしておいたのが、どたどたと下に落ちていた。横揺れは、東西の方向だと思う。しばらくして、他の、積んである本が傾いているのを見るが、それが東西に滑って扉で止まっていた。
  この地震で、かなりの被害が出ているし、さらに震源に近いところにおられる方は、より厳しい状態にある。お見舞いを申し上げるという一言、これしかない。いま少し前、また揺れを感じた。

  きのうのお昼は、強風だった。雨が降ってきそうで、それが少しずつひどくなってゆく。スイセンの花、いつもならもっと早く咲いている気がする、がようやく咲きだした。ここの、スイセンはまだ咲いていない。



  ピンと、水平に花が咲いている。これは、風で吹き上がったときに撮ったのかどうか、その辺りははっきりしない。



  スイセンは、下を向いていることが多い。花がかなり重いわけだが、こうゆうちょっと妙なのも、少しかがんでみて、初めてわかる。



  ここでも、風が強く、少し難儀した。少し、風で浮き上がって、見やすくなったと言っていいかも知れない。

ひねもす春雨

2007-03-25 07:07:03 | 散策
  朝の天気、雨。風は穏やか。どっぷり雨雲の中にいる。室温14℃、水蒸気の温室効果。
  雨である。きのうの夜からか、本格的に降り出した。明日が遠足だった、なんていう人はあまりいないだろうが、この雨はうれしい。ようやく、少し落ち着けるのではないか。なぜか3月も25日だ。いったい何をしていたのかわからない。こうして、1年の半分の、そのまた半分が過ぎていく。そうゆうものである。
  大学の卒業式は3月の15日だった。確か、そうだ。それに出たような記憶はあるが、どんな格好で出たのかはっきりしない。スーツなんていう人もいたし、古風な羽織袴という人もいた気がするが、大概は普段よりは少しましな格好で出ていたのだろう。そんなものに出ない、という時代でもない。ちゃんと入学式もあった。1年早く学校に入った人によると、入学式はなかったそうだ。それから、まー卒業式といえば、どこかのえらいさんの挨拶というのが当たり前ようであるが、しかし当時の当たり前は、そんなものはなかった。一体私は、何を寝ぼけたことを書いているのかね。 
  これも、この気温のせいである。雨のせいでもある。眠いが、これも春だからで、そういえばこのところ定番音楽というのがずいぶん流れている。しかも、それが、その当時の録音だから、ついつい昔はドウノーということになるのだろうが、当時、今定番とされる歌が確かにあった気もするが、それを聴いている人は少なかった。あー、どんどん昔はよかったになってゆく。
  電気ヒータは、400Wでも熱く、ついに切った。16℃ある。雨はまだ降っていて、このままずっと、そうねー明日の朝ぐらいまで降り続けるのがいい。アカシアの雨にうたれて・・・という歌もあったが誰が歌っていたのでしょうか。

青い花、白い花でほっ一息、

2007-03-23 19:03:17 | 植物・花(春)
  朝が来た。これは、朝書いた。父の様子はどうか、はっきりしない。自分でなかなか自由に動くことの出来ない人を動かすのは大変である。私は、立ち上がらせるために、上の方向に引っ張る。本人はどうもそれがわからないようで、反対のあるいは右か左か、そちらへ体を動かそうとする。どうにか、立ち上がることが出来た。どこかに自然とつかまることが出来れば、私の力はいらない。しかし、実際のところ、そのことがわからず、むやみやたらと動かないように、私が力を入れている。疲れるわけだ。
  介護施設の人が来てくれた。父は、座っていたが、ズボンをはいていない。筋肉しかない、私のように、出っ張っているところなんぞ何もない、若い男性がズボンをはかせてくれる。私は、少し父を持ち上げる。それから、もう立てる事はわかっているので、そのことを、スラッとした、たくましい介護士さんに伝える。と、そうですか、一言いうと、マジックで父はすっと二足歩行に移行した。あー、なんとも、その技と力の差にがっくり来る。まーそうでないと、この仕事も出来ないであろう。
  これは、すべてを描写してるわけでもないし、特に私が感じる、”あるところだけ”を書いている。それで、結局何が言いたいのかというと、介護の仕事をしている人にずいぶんと助けてもらっていること、それと、大した事もやってないのにやたら疲れた事。今日は、かなり気温が上がって、それはありがたいが、きのうの疲労が今日出て、そうゆう意味では若い?、ボウーとした感じで時間が進んだこと。へなへな。

  写真は結構たまっているはずだが、似たものが多い。たまっているから大丈夫と思うと、そのままずるずる何もなしで時計が進む。なにか、引っぱり出さないといけない。それで、もしかしたら、ガーデンダリアといわれるものかも知れないもの。お店の広告を見ている。一度、すでに、登場した。



  少し、砂か泥が、花びらに付いている。トーンカーブを触ると妙な絵が出るが、ほどほどでやめた。少し暗めに。



  同じ花の色違い。これも、もっと青くすることも出来るようだが、そういえば、雨が降っていた。
  この花は、”花”だけだが、もうない。持ち主の方が持って帰ったのだろう。どうするのかなー、今日見ると白い方は、蕾が膨らんでるようでもある。