光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

来年の手帳の手入れ

2008-11-30 18:33:41 | 散策
  いつもなら、今の時間もう2009年の雑誌などが手元にあって、それを見るようなこともないようなあるようなで、今年はない。なぜこのようなことになるかというと、本屋さに一ヶ月に一回の割で行っているが、行けないときもあるが、ただ、一ヶ月が、28日であるので、いつも同じ日ということにならず、この方がいいような気がするが、先回の本屋さん行きでは、2009年の手帳こそ購入したものの、それ以外は、買ったものは星関係の雑誌だけで、これは2008年のもの。だから、もう2009年なのかと目をむくこともなく、なんだかもう残り少ない今年も、このままだらだら終わりそうで、そうだといいが、うまくゆくかどうか、これはわからない。

  それで、もう2009年も近いので、2008年の手帳を見つつ、今回は大きさ同じだが、細かい月単位のところが一まとめになっているものを購入して、これが一番使いやすい。わかっていながら、去年はあまりの手帳の多さにこれでいいか、と思ったら、そのタイプと違った。だから、今回は、一応は月単位の一覧を、これまた一覧できる手帳を見て、もう「さ来年」のこともわかってしまうようで、これもちょっとおっかないような気がする。

  手帳に線を引く。これはシャーペンを用いる。シャーペンなんて言葉使うことは何十年もなかったが、これで、なかの芯は2Bであるが、これが4Bでもいいと思う、最初の一月、二月のページに線を引いた。なんだか、もう来年の準備も少しだけ出来たような気もする。この手帳がないと、「あいうえお」がわからない。
  まずは、ここに、朝の気温を書いて、それから、薬の確認欄やら、その他あまりに恥ずかしいから具体的には書けないが、4、5本を線を引くのは間違いない。これを見つつ、あるいはそこにチマチマ文字を書きつつ、たまにそれを見返すときが来る。
  それは、5年日記というものも、購入したからで、これはもう少しで、丸2年になる。たしか、2006年の11月かに購入したが、その目的はどうであれ、これを続けるのはかなり面倒である。それだけならまだいいが、多少の厚さと大きさがあると、同じような機能を持ちながら、大きさが引っかかる。一々、これを持ち歩けない。悲しいかな、こうゆうものにも、明確な違いがあって、よってこれを途中で止めるわけにもゆかない。5年日記である以上、5年書かないと申し訳ないような気もしてくる。で、
  いつもそれを埋められるか、不可能ではないが、やれない。それなら後から記入するしかなく、嘘も書けないのでこのとき、手帳が役立つ。まだ2年に達してなく、5年日記のいいところというのも少ししかわからない。
  もう少しというか、かなり昔から、「何年日記」というのはあった。10年というのが、遠い昔にあった。でも、それを購入する気はなかった。

  パラパラっとページをめくる。これは、来年の手帳である。それで、10月か11月の辺りに、手帳を購入すること、という言葉を書いた。これくらい書かないと、いくら手帳のことをここに書いていても、イザとなるとすっかり買うことを忘れる。そうすると、書いていることも、かなり適当ということが推測されるが、その通りで、自分でもあとから見直して、おかしいと思うことはある。  
  これ以外にコピ用紙にも、日々の出来事を適当に書いている。これは、もう昔のものはどこにあるのか、探すのも面倒で、ただ字を忘れないように書いているようなものだが、これを見直すことで、手帳の信憑性を高めることも出来ると思うが、記憶というのはぴたっと一致するときは少ない。

  きょうの日曜に、先に5年日記の空きを記憶で埋めて、それから、手帳の日々の出来事で抜けているものを加えた。まーなんでもいいようだが、記憶の怪しさは、あるものはこうゆう作業でその精度を上げることも出来るような気がする。手帳はなかなかすぐれもので、少し昔を懐かしむのにもいいようである。

  手帳の手入れをして、それで、まだまだ今年が残っていることが実感された。時間がたつのは早いが、これはどうしようもない出来事のようである。


  きのう近くのお寺の中を歩いて、そこのイチョウの様子などを見てきた。どこか、有名な寺院に行っていると、そうゆ風に少し無理やりにもってゆく。




  まずは入り口で、黄色くなったケヤキと、そらから赤いカエデの様子。この葉っぱの、落ち葉である、多いこと。




  鐘撞き台の横に、大きなイチョウの木がある。多分、ことしも大晦日の日に、ここの鐘の音が鳴り響くと思う。




  きれいに掃除された後に、またイチョウの葉は散る。




  この木がイチョウかというと、これが違うのである。でも、この木の根元の様子は、苔も生えていてなかなかいい感じがする。有名寺院のそれに負けず劣らずという気にもなる。ありがたい存在。

再び、大しぐれ

2008-11-30 16:20:46 | 散策
  寒い一日、雨が小雨になって、今は止んでいる。
  3時のアメダスの気温は、5.8℃。6℃前後で推移していて、
  小雨の外を早歩きしたが、からだが暖まることも、汗をかくことも
  なかった。
 
  暗くて、雨で、低温。まったくもう少し何とか
  ならないものか。 
  気温が低いと、外とうちの中の気温の差も大きいから、
  しばらくすると結構頭も痛くなる。
  それでも、やはり散歩をする方は、おられて、
  ワンちゃんと一緒であった。イヌの方に傘はなかった。
  そういえば、雪が降って駆け回るのが、イヌだった。
  何度も同じことを書いているようだ。





  怪しい天気がやってくるのを告げているかのような、
  まだそんなに暗くもない、夕方。夕方でもないか。




  西の空も近くはまだ青空。でもその向こうには、分厚い暗い
  灰色の雲のカーテンがそこまで来ている。




  しぐれを決定付けるような、空になってきた。




  この時間はしかし、肩透かしをくらった。この後に、本物の
  しぐれ空になったようである。

豪快な降りっぷり

2008-11-30 06:51:01 | 散策
  朝のお天気、雨。それにしてもよく降る雨、雨は夜中にひどくこれで目が覚めた。雷もなった。その後は静かになったようだが、またもう朝に近い時間、雨が降りだした。これでは、ホントに梅雨。アメダスの6時の気温6.1℃、気圧は1018.8hPa、積雪は0cm。室温10℃。恒常的で、しかし暖かくはない。

  雨ばかりで、面白くない。簡単に書くとそうなるが、雨のあとの、それから太陽が出てくれば、すべてのもの、そう書きたくなるが、押しなべてキラキラ光るから、美しい。うまいこと出来ているが、上から大粒の雨、あるいは水の塊と言うべきかが落ちてきて、びしょ濡れにもなるから、前だけでなく、後も真上も見ていないといけない。これが雪でも同じで、もう東北より北の日本海側では、かなりの雪が、平地でも降ったのだろう。北陸も縦に長いところであって、福井から新潟までの距離の長いこと。
  こんなところを昔の人はテクテクと歩いたというから、道半ばで倒れて、という方も多かったのだろう。その辺に、お地蔵さんが多いのもそのためか、と思うが、このお地蔵さんは比較的新らしく、ちゃんと雨避け、雪避けの囲いの中に入っている。石も雨に打たれ、雪の重みに変形して、皆丸くなり流れてゆく。それにしては、特に幽霊が出る気配はない。皆どこかへ行ってしまったのか。

  雨の降る前の、きのうのお昼過ぎ、早足で雪の積もる山の様子を見にいった。ここからでも見えるが、少し歩けばもう少し迫力あるその姿を見ることが出来る。県境の山、白馬岳はこれは変わらず真っ白。手前の山である、毛勝三山になると、雪も少しまだら。剱岳は雲に薄くかくれてしかし雪の量は少し減っている。同じように、立山辺りも麓の雪の量は以前より少なく思える。薬師岳は完全に雲にかくれていたが、その手前に見えている、スキー場の白いおびも、縞模様のようで、麓の雪は溶けているようだ。
   まだ本物の冬型にはなっていない。しかし、天気はどう変わるかわからない。すでに白鳥も飛来しているし、冬がそこまで来ているのはたしかである。

  セイタカアワダチソウの背の低いものが、花を白くして、もうこの花もおしまいである。早咲きのサザンカは、もう何度も花を咲かせているようだが、ツバキかもとも思わせる、でもやはりサザンカの花が、これが常緑の緑の葉とともに、穏やかな色彩をはなっている。

木星と金星が、縦に並ぶ。

2008-11-29 18:26:27 | 散策
  あっさりと夜になる。日が暮れるのが早く、灯りを付けなくても大丈夫なようで、そうでもない。この先、一番日暮れの早い時期が来る。時計の針は、4時を示しているが、もう太陽は木々の影の向こうにある。

  今日の天気の変化は目まぐるしく、これも今週の雨の天気を考えると、おかしくはない。しぐれて、雪が降ってもよく、南風で暖かく、小春日和でもよかった。お昼過ぎ、晴れていてしかし西の空は天気の急変を告げるようで、すぐにも雨が降ってもおかしくはなかった。それにしても、よく降る雨、きのうに限るとそうゆうことも言える。それで、
  いつものように、うまくいけば一週間分くらいの、画像が溜まればいいなと思いつつ、その可能性はあまりなかった。もう秋も終わりなのである。秋のバラが、今頃咲いているが、南風で揺れていた。少し北に進むと、その先は山しか見えない。そうゆうところがあるが、ここはまずは人とばったり会うことがない。広い道があって、そこは車しか通らないし、また昼だと、人影もない。
  同じようなことを考える人がいるらしく、歩道もあるその道をゆっくり南風で後押しをされる感じで、歩く方がいる。なんだか救われるものもある。そのころ、ポツっと雨の一粒が落ちて、すぐに帰路についた。傘は持っていたし大雨の予感はない。この先は雨だが、それまでの時間が問題。でも、一粒の雨に当たったのは本当かどうか、鳥の落し物だったら悲劇だが、鳥の姿も見えない。雨にということにする。

  天気のこともそうはかまっていられない。久しぶりに、土曜のラジオをゆっくり聴ける幸せのようなものを味あう。もう洗濯物も入れた、大丈夫、雨の少しくらいは、っと思うが、晴れてきたりする。早とちりかも。

  もうぐっと時間がたって、真っ暗といっていい時間、まだ雨は降っていなかった。南の風が相変わらず強いが、雲も出たり消えたりの空で星のことは考えもしなかった。薄暗い状態から、かなり暗い状態になって、足元を確認した。カエデの葉っぱも散りに散って、枝だけが残る。それに反して、常緑のモチノキは、緑だが、この実ももう少し増えて赤くなれば、鳥の餌になるが、これと紅葉とは関係はないと思う?。早く赤くなれば、その木の実はそれ以上は出来ない。
  そのモチノキの向こうに、明るい星を二つ見つけて、それもほぼ垂直に並んで光っているので、金星の動きが、今になってぐっと活発になっている。そのように見える位置に回転して来たのである。その内、金星のほうが木星よりも南に、見た目は左になるのは時間の問題になった。
  少し前だと、木星は位置は高めで、金星より左側にあった。この数日で、金星は木星に追いつこうとしている。木星だって、太陽の周りをまわっているが遠いところにあるから、動きはゆっくり。その内、太陽に追いつかれる。しばらくすると、木星も見にくくなり、こんどは太陽が出て来る前の東の空にその姿を見ることになる。

  それにしても、こんなに明るい惑星、明るい星が動いているのを今実感できる不思議さは、ここまで来てようやく本物になった。惑星は動いているし、地球より内側を公転する星、それと地球より外側を公転する星を見ることが出来るのである。

  朝の早い時間、土星はしし座にあって、明るさからいうと、木星と金星には及ばない。ただ、土星には、望遠鏡で見ることの出来る環があって、この辺りはまた星空の不思議の一つでもあるから、他に火星をいれてこれらの惑星は大いに人を惑わせてくれるだろう。

  きれいに輝く星を見て、思ったことを書いてみた。




  赤い、ドウダンツツジ。これに日が当たると、カエデに匹敵する美しさがある。もっとも、ここまで赤いと、すべてが美しく思える。




  霧の晴れたあとの葉っぱ。水滴も大きい。




  雑草が、太陽光を受けて輝く。やがて枯れる。




  霧のせいか、露の量も多く、輝きが一段と増した。

朝霧と今朝の太陽

2008-11-29 16:06:45 | 散策
  霧が出るのは珍しい、と思う。
  靄とか、霞とかはありそうだが、似たようで異なるのが
  霧。
  この霧は肉眼では非常によくわかるが、
  映像だとどうしたらその感じが出るか、
  しばしファインダを見て考える。これでは
  霧の感じがしない。
  なかなかむつかしいものがある。
  
  朝方は少し冷えて、窓ガラスも曇る。  
  この窓ガラスを通しての太陽の映像、
  これも面白そうで、ただ、ガラスの汚れがそこにあるだけである。




  もう明るい。このくらいの明るさがないと、霧の感じもわからない。
  東側。




  西の空を見ると、これはほとんど何も見えない。
  乳白色に少し赤味が混じる。




  日が、稜線から出てしばらくたった。




  結露した窓ガラスからの太陽。窓ガラスに合焦している。




  こもれびの太陽。




  なぜかブレブレのものもある。  

深い霧の朝

2008-11-29 06:41:08 | 散策
  朝のお天気、霧。この霧を取り去ると、多分快晴。深い霧が立ち込めている。風は、ほとんどない。アメダスの6時の気温、5.5℃、気圧は1016.2hPa、積雪0cm。室温、10℃。少し寒い。

  夜中、丑三つ時は、星空で、これはきのうか一昨日もあった。だから、一月に2、3度はある、それでも素晴らしい星空。真南辺りに、オリオン座がどっかと控えている。この星座は真ん中の三ツ星が天の赤道辺りにあって、例えば、地球の赤道地帯ではこの星はちょうど真上に、南中時は、見えることになり、位置的にはかなり高く、ここでも首をかなり曲げないといけない。これがつらい。その点、おおいぬ座は、ほどほどで見やすい。では、子いぬ座はというと、プロキオンが、オリオンの星星より高く、これも見るのに疲れる。
  いい星空で、朝が来るかと思うと、そうではなく、

  もう朝に近い時間、西の方角に見える隣の町の灯りが、まったく見えずこれは恐らく霧ではないか、と思われた。近くの2つの外灯のみ見えている。霧か、なかなかいいものだが、これでは高速も8号線も、さほどスピードは出せない。

  星も見えない、真っ暗な朝がある。朝の起きるののつらいこと。このままもう少し布団の中に入っていたい。しかし、目覚ましはなる。これがうるさいので起きた。西の空だけでなく、東の空も真っ暗と言ってよく、さらに霧だとはっきり思った。

  食事後、外に出る。どこもかしこも濡れているようで、しかし雨はない。東の空は少し明るい。赤くなり始める。西の空は、霧以外に、厚ぼったい低い雲もあるように見える。東の空の霧が晴れて、アルプスの稜線も見え始めたが、また濃い霧が流れて来て、今はその姿を消した。まー霧はそのうち晴れるだろうが、やけに静かな朝である。  

小雨散歩

2008-11-28 18:28:19 | 散策
  大雨だと、建物の中にいる。なかなか濡れるのを覚悟で、雷注意報も出ているのに、その雨の中に出てゆく勇気はない。幸いかどうか、気が付いたら小雨。
  小雨のようで、西の空を見る。黒い雲は消えている。明るい雲もある。雨の周期は30分くらいかも知れない。ここは観天望気を優先する。このときに雨は降っていなかったが、出かけるまでの数分に雨になった。忘れ物をしてはいけない。妙な格好でも外は歩けないし、運が悪いとどしゃ降りになる。雨をはじくものを着ていると時間がたつ。

  雨もいいものだが、降りすぎるとねー。どうしたらいいか。カエルの鳴き声もしなくなった。妙なところでカエルが登場した。雨の中を早歩きする。最近はこうゆう作業が増えた。なんだか独白したところでどうにもならないが。植物のひとつも見ている余裕はある。ここのお宅の石畳はきれいだ。というか、何で石が敷いてあるのか、妙な感じもする。でも、コンクリートより味がある。雨ですべるのはコンクリートだが、かなり昔からギザギザが付けてある。これもなくなるかというと、そうでもない。平均して、ギザギザのまま減ってゆく。石畳だと、ゆっくりと歩けば、すべることはなさそうだ。

  道の周りに、右か左か、用水というか、排水路というか、小さな水の通り道がある。昔だとこれが不思議と小川だった。その後に、用水路になり、あるいはその上の蓋の出来るものに変わった。この道の脇の排水路の変遷というのはすごい歴史を持っている。何度か工事がされていて、その形が変わり、材質が変わり、大きさが変わって、年季が入ったから変わった。今は、
  大きな枠のようなものが埋め込まれる。その上を歩くのは、滑る可能性はまずはない。歩くとわかる。でもこの枠は埋め込まれると、もうそのままで、それ以外に、上だけが金属製の枠になっていて、これはいざと言うときはその蓋をはずして、水をくみ出すことも出来るし、またゴミ掃除のための穴のようでもある。で、この金属のような枠というか、網のようなものは他の小さな排水路にも数あるが、この上を歩くと雨のときは必ずといっていいほど滑る。ギザギザが出来ているが、滑るのであって気を付けたほうがいい。これは自分に言っていること。だから、金属の上は避けて歩くこと。なんだか、それだけのことにずいぶんと時間がかかった。

  小雨の中の散歩で、用事もあった。でも、まずは道で転ばない、滑らないことは大切である。さて、目的のお店に着いて、ただお金だけを払う。ウーン、大きな金額が消えてゆく。しかし、これをやらないともっと大変なことになってしまう。便利なようで、24時間営業のお店の緊張感がある。

  お昼過ぎにも、出かける。ちょうど小雨になった。何とか小雨のまま過ぎたようだ。で、お寺の前に来たら、目の前の黄色いイチョウの葉が、石畳にかなり落ちていた。雨の石畳で、その上にイチョウの葉。当然濡れている。濡れたイチョウの葉は、粉々になって舞い上がることはない。しかしすべりそうで、ここはゆっくり歩いた。濡れた石畳にイチョウというと、これは絨毯だなと思う。晴れて、風で舞う葉はない。だからしっとりとして、絨毯そのもの。見ていてもキレイであった。
  そのイチョウの葉は、半分以下になったような気がする。でも、しっとりと濡れたイチョウの葉もきれいだった。忘れていた。ちゃんと、雪囲いも出来ていた。昔はこのお寺の鐘撞き台にいつもフサフサした毛も持つ犬がいたが、・・・。

  雨の中、軽めの鞄をも持っていて、これがなぜか肩から下がってくる。撫で肩なのである。いつもはそれでも落ちてこない。きょうの荷物は重かったからか?。



  何書いているのやら、わからなくなってしまった。今日は金曜日。





  自分の画像の原野から、どこにそれがあるのかわからない感じで、暗い紅葉というのを探してみた。暗いものもいいような感じである。




  実際のところ、外は明るいが、まだカエデの葉もたくさんあって、それでこんな真っ暗なものが出来る。特に露光を短くはしていない。




  ところどころ、ポッと明るくなる。赤やら緑やら。




  カエデにご苦労さんと言いたい。これから、普通は雪が降る。それで、ときに枝の上にごっそり粘着性の雪が積もる。気温も下がると、枝やら幹そのものも凍る。この雪が落ちると危ないので、竹ざおでたたく。雪と同時に枝も折れてくる。そうゆう長い歴史を持ったカエデ。
  そういえば、冬が来て雪が積もれば、白い花も咲く。これも、見所かも知れない。 

ヤツデ、でした。

2008-11-28 16:19:42 | 植物・花(冬)
  かなりひどい雨。
  びしょびしょになる雨。
  シトシトではなく、ビチョビチョです。

  よく降る雨だなー。でも、このくらい降ってくれないと、困るな、
  とか、書いておくと明日くらいは、
  ちょっといいお天気になってくれるのではないか。

  なんだかわからない植物は、
  「ヤツデ」でした。そういえば、葉っぱは手のようだし、
  その葉っぱの先は何枚かに分かれている。
  線香花火みたいだと書いたことも何度もある。
  それで、今日は参考にさせてもらっているページで、
  調べてみた。センコウハナビという観葉植物も
  あることもわかった。
  このくらいの手間を惜しんではいけないなー。




  ウーンちょっと暗いかな。不思議と雨に濡れている。




  葉の先が何枚に分かれているか、これではちょっとわからないようだ。




  これは、接写用のレンズを使用。




  モヤモヤですね。

雨だが暖かい朝

2008-11-28 06:57:58 | 散策
  朝のお天気、雨。かなりの量の雨が降っている。風はあまり感じない。雨もあって、それで少し視界がモヤモヤしている。靄のせいかも知れない。アメダスの6時の気温8.6℃、気圧は1002.3hPa、積雪は0cm。室温12℃。

  気圧が下がると、頭が痛くなるというが、頭が少し痛い。雨のせいかも。腰もなんだか痛い。暖かい朝なので、なんだか妙。時間当たり、2.5mmというのが最大の降雨量。それにしては結構大きな音が響いていた。
  TVのお天気情報を見ると、雨雲はずっと日本海側を反時計回りにまわるようで、このまま雨の一日になりそう。松山のイチョウの紅葉が、赤く見える。もうこの雨で、きのうも散り始めていた、まだ黄色かったお寺のイチョウの葉もかなり落ちたかな。

  11月も28日、一日が24時間あるから、ある人にとっては長く感じられる。私もなかなか時間がたたなくて気が滅入るときがある。まー一番なのは病院の待合室だが、次が自分の番とわかると、そこでぴたり名前を呼ばれるのが、止まる。もう前の患者さんは、出て行っていないはずだ。止まった。時計の針は動いているが。他の科の患者さんの呼び込みはある。
  何かを待つのは、大変だな。ついついネットで通販のお買い物というものもやるが、これもそのものが来た後を考えると、ちょっとおっくうになってしまう。また、ゴミみたいなものがたくさん出る。置く場所がない。だから、TVもそろそろ買い替えでなく、しかたなく地デジ対応とかのものの購入を考えたりもする。このTV、生産減量が伝えられた途端、値が上がったようだ。

  壊れるものの代表というか、修理に出すというか、ゴミが入るとどうしようもないものに、デジのカメさんがある。フィルムカメラだと、露経験がないが、まいど1年に1回くらいは、早いものだと購入のすぐあと、修理のあとすぐに、ゴミが入る。こんなものあってもいいが、そうゆう太っ腹な考えでいれたらいいが、あると気になる。送る。なかなか帰って来ない。もう返送しました、というメールも来るが、伝票の番号が書いてないから、どこにそのものがあるか追跡も出来ない。

  待っていないといけないというのは実に情けないものがる。どうなっているのだろうか。我慢が足りないのか。気が小さいのか。  

秋の虫、あるいは虫の音

2008-11-27 18:39:07 | 散策
  最近は、朝も暗くてよほどのことがないと、その辺りの田んぼやらでたたずむことはない。いかにも寒く、今日などはワンちゃんもちゃんと防寒着を着ていた。ときどき、本当にときどき合うワンちゃんで、自分としては犬に着物は要らないとか思う。夏なら、それこそ地面、路面は暑く、暑すぎて犬にはよくない。でも、冬だと、駆け回っているという歌もあるくらい。だから、特に衣服も要らないと思う。思うが、だんだん自分も寒がりになってくると、そのワンちゃんもお腹を冷やさないように、着るものがいるようにも思える。
  そのワンちゃんは「お幾つ」ですかと飼い主の方に聞くと、11歳だか13歳だかで、かなりの高齢でもあるようで、しばしゴミを捨てるところまで、一緒に歩いた。

  寒いともう秋の虫の音も聞こえない。ときどき、耳鳴りもするが寝入っているとまったく何も感じないが、耳鳴りはあってこれが気になる。でも、虫の鳴き声というと耳鳴りとはまた波長が違ってということのようで、ただ波長だけではなく、いろいろとその波形も異なるのだろう。単純な波を表わすその特性は多くはない。でも、複雑極まりない、波形を持つと、これだから人も人の声を認識できるのだろうが、耳鳴りの音と、秋の虫の音は大いに異なる。その秋鳴く虫もどこかにいったか、あるいは地中に、あるいは植物の根の辺り。あるいは穴を掘ってその中にもぐり込んだり、もともとある他の生き物の穴に同居したりするようだ。

  チョウもまったく見かけない。そう思ったら、今日は一匹だけ季節外れと思うがモンキチョウが飛んでいた。これは少し暖かいからだと思う。他にいる虫の自分でもわかるものは、というと、まずはカマキリだがこれももう全然見ない。甲虫の仲間だと、テントウムシはいるはずだが、これもどこかに行ってしまった。もうそうゆう範疇をなくして、
  最近見た虫はというと、まずはカメムシ。これは結構いる。まだいると思う。他にゴミムシのようなものも見かけた。これはまだまだ緑をしていた、ミョウガの葉にいた。植物は怪しいが、ゴミムシは当たっていると思う。それくらいかな。蛾、蛾がいた。しかしこれも最近はない。虫ではないが、蜘蛛だっていない。いないはずだが、ちゃんといるのを見て、なんだかうそを書いている気もした。この蜘蛛も冬を越すのかどうか、わからない。

  小さいチョウで、シジミチョウもまだいるような気がする。しかし、このチョウが越年するかどうか、わからない。ムシを飼われている方だとこの謎に一定の解を見出すことが出来る。その他だと、小さな蛾というのはまだいた。ときどき、シジミチョウかと思うが、蛾のほうが近そうである。セセリチョウも、暖かい日の、花壇だとまだ出てきそうだが、このチョウも敏感である。
  お馴染みというと怒られそうだが、G虫は元気でもないようだが、今でも出て来る。弱ったものだが、つぶすわけにもいかない。うまいとこ、目の前から消えてくれるのが一番。

  トンボがいた。でも、秋のアカトンボは、結局大群を見ることなくどこかへ行ってしまってもう見ることはないと思う。このアカトンボ、秋のものが少なくなっているというのも、新聞でも読んだ。トンボも生きる場所もないのだろう。また気候の変動もこの理由に当てられるが、餌とか、卵を産む場所のないというのが、もっともらしく思える。そうゆう意味では、都会の人工の公園とか、あるいは水の豊富な河川のある流域を持つところ、そうゆうところの手付かずの場所というのが、水を必要とする昆虫の生き残る場所ではないか。

  
  白い、花火のように花を咲かせる、ボール球のような花。名前というのはあるに決まっているが、出て来ない。線香花火のような白い花。
  この花がいよいよ蜜を出すようで、そうしか考えられないが、ムシの少しもその花にいた。





  よく見ると、というか接写できるものを使うと、この花結構複雑で面白い。目で見ていても、ハエかアブか、あるいはカメムシの仲間がいることはわかった。虫は花にというか、蜜には敏感。黒いのは緑色した小さなカメムシだと思う。




  これは、ハナアブか、ハエか。このムシもレンズには、あるいは人には敏感で、すぐに逃げる。また来ると思うが。




  左側の黒い翅を持つものは、アリかハチか、はっきりしない、違うものかも知れない。尾の先に長い針のようなものがある。




  花そのものが一番肝心だが、そのものをすっきり写したものはなかった。マクロレンズだと、これだけ立体感のあるものの全部を写すのはむつかしい。
  いったい何の花だかわからない、と言われるかも知れないですね。