光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

梅雨のような曇り空と、寒暖の差の激しさ

2009-05-31 18:51:58 | 散策
  空を見ていると、まったくの梅雨のような空があって、それで気温もさほど上がっていないようで、今はというと少し「冷え冷え」として、まったく今頃に、電気ヒータを使っている。そうゆうようなことを書いていたら、新しいPCの方で、規格というか、仕様は今に近く問題はないはずだが、なんと
  画面がフリーズ。ニッチもさっちもゆかず、リセットボタンを押す羽目に。このPCも最新に近いながら、どうしたことか、古いものと比べると、なんともいわない、フリーズがときに出るから、そこで話しが、おつむにかすかに残る何かもついでに飛んでいってしまう。まったく、第三の出来事の予想は付かないものである。困ったPCで、PCはこんなものですよ、と教えてもくれている。それがわかれば、文句も言わないが、どうしてこうなるのか、この辺りがわからない。

  何を思っていたか。自分の体調のことかも知れない。少しのどの痛みというものがあって、それが出始めたのが週の半ば。でも、特に心労もないし、重労働もなく、これはまったく、でストレスはほどほどで、重圧はあるが、それにももう慣れておかしくはなく、では何かというと、これは「年齢だ」とか思う。のどの痛み程度で済んでいる。それならいいはずだが、それ以上になるのは困りもので、大体それが他人に迷惑をかけるものであると、これはなおさら困る。自分も困るが。
  今でこそ、新型というだけで、インフルエンザで大騒ぎしている。でも、従来型のインフルエンザでもずいぶんと苦しんだ思い出もあるから、それこそ冬に、インフルエンザというのは、大いに気を付けないといけなく、それがはっきりするなら、自宅で待機も当然だなとかも、思ったりもした。それで、病気をもらうというのは、ありがたくないはずである。すでに免疫があって、あるいはないのかも知れないが、毎度予防接種、ワクチンを投与してもかかる人はかかるし、程度の問題もあるが、決して、軽度の症状で済むということは約束されていない。
  昔の、従来型のインフルエンザの怖さは、今も変わらないと思う。新型というものは、これは素人にはわからず、またニュースを聴いてもわからずというもので、今はどうなっているのか、これも一過性で消えていってしまうものなのか。

  のどの痛みとか、それに咳とかは、昔はもっと激しかった。若いとき、ばかみたいに咳で苦しんだことがある。これが出始めると止まらないのである。喘息とも違う。ただの咳のようで、回りにうつる可能性はほとんどなかった。それでも、咳というとずいぶんと苦しんだ、思い出もあって、最後は風邪もだろう、直ってその後も咳が出た。こんな話しは、嘘のようで、あり得ないようだが、今頃思い出した。で、今はというと、特に熱もないし、それに少しのどの違和感があって、今の気温でというと、だんだんと寒さを感じる。もっともじっとしている。最近は、寒いとなると、すぐに暖房も使えば、また厚着にもなる。そうゆうことからは、ずいぶんとゆるい健康管理のあり方をやっている。
  ストレスねー、一体に何のことだろうか。それがあれば、それに対抗すべくあるものが体から出てきて、というのが人の体であって、そうでもなければ四季のある、冬は、マイナスの気温、になり夏は、へたをすると体温よりも気温が高くなる可能性もある、そうゆう時代に生きていくのも大変なことになるが。
  やっぱり歳かなー。鍛え方というところだと、これはない。ストレスに耐える方法というのもよくわからない。すぐにヘナッとしてしまう。暑さ寒さは、これは例えであって、都合の悪いことはいくらでも出てくるのが、今の時代。これまではよかったというものがある日、突然いけない、にも変わる時代である。こんなことがストレスにつながる。もっとも、やはりストレスとは何ぞやという疑問は変わらない。

  のどの痛みと、それと頭痛とそれ以外にいろいろ。ごく日常の中の出来事で、ストレスも、重圧も、寒暖も、高い安いも、面白い、面白くないというものも、いくつか考えられること挙げてみたが、それにしても過ごしにくい時代という、違うか、時代は大袈裟でまた一般的でもないから、時間になおして、で、これを乗り切るというのは、さほど考えないということのみかなー。だめだこりゃ。
 



  ここにある、木に咲く白い小さい花が一番輝くときがあった。この花、今は半分以上、もう一つの木の方はほとんど散ってしまった。




  上の、下の部分の拡大です。




  イチョウの葉。すっかり、夏のオトナの葉に。




  青梅。もう青梅もスーパに出ていてもいいなど、少し前に書いて、これは間違いであることもわかった。今から、梅酒ということのようで。すると梅干しは、さらにもう少し後。




  外側の、花弁に黄色い筋が。これで、この花は、ハナショウブということで落ち着くかなー。




  5月もおしまいの、ハナショウブ。

麦わら色、再び麦畑

2009-05-31 16:24:50 | 植物・花(春)
  雨は、午前の早めに上がって、その後は、パラパラ来るときも
  あるが、ほとんど降っていない。
  で、晴れ間はというとこれは見えない、ずっと曇り。
  午後も今頃になると、西の空は少し明るく、しかしそのまま。
  その明るいところが接近する様子は、今はない。

  外は雨はないが、北風が吹き始めてゆえ少し涼しい。
  速歩には、長く歩くにはいいみたいだが、こうゆう天気は
  少し鬱陶しいもので、なんだか矛盾もするが、さっさと帰って来たほうが
  いいようなで、ある。

  犬も、寒いのかも知れない。


  麦畑のきのう。もう麦畑も一部は刈り取りが始まっていた。
  でも、まだというところが多い。
  つまり麦は、残っていた。で、
  もうこれで最後だということのようで
  つまりは麦畑。




  一番、最後に近い時間そういえば大写しもなかったか、と思い
  慌てて、接近した。一段と色が茶色くなり、中身は大丈夫か
  とも思ってしまう。



  先回と何が違うか、というと、麦の穂も詰まってきて、頭を垂れる感じが
  見受けられることかも。




  緑が少々左上にあって、これが少しおかしい。




  麦の穂の、先っぽ、棘の部分の繊細さ。




  少し目先を上げると、向こうが見えて来て、カクレンボの世界がある。




  畑はいかがですか、と畑が言っているようで、赤いものが散見され
  これは何かのタネだが、なんだか不明。




  あるところに境界線があるようで、そうゆう印象性を感じるもの。

  きょうは雨で、刈り取りは、晴れがいいようだし、
  これが大豆だと、かなりにカラッカラになるまで、刈り取りはない。

大粒の雨、5月は長い

2009-05-31 06:50:14 | 散策




  朝のお天気は、雨。これ、結構いい降りっぷりで、雨らしい雨で、たぶんこの時間雨に合うと、ずぶ濡れに近い状態になる。ある時刻に、雨の音で目が覚めたが、ちょうど新聞を配達しておられると、想像された。この雨は、少しかかなりか、やりにくい。風はほとんどなく、雨は垂直に落下。アメダスの6時の気温、15.9℃、気圧は1003.3hPa、湿度98%。5時の降雨量は7.5mm、この値は大きいというか、どしゃ降り。室温は、20℃。

  本物の雨がやって来た。それで、ほぼ垂直に落下している。生き物みな、水分を必要とするので、目で見える範囲でいうと家庭菜園の植えられた苗は青息、であってこの雨が待たれた。一安心。もっとも、草とかいわれるもの、野の雑草も同じ状態で、で、この雑草も交代がある。枯れてゆくものがあって、また出てくるものも。タンポポもことしになって、2、3度花を開き、タネを飛ばせて、また花が咲く感じで、これをよく見ると、タネから出たタンポポではなく、花を作り、タネを飛ばせて、また花がというものがある。そうゆうものばかりかも知れない。繁茂する原因だろう。それにしても生命力は強い。

  雨はまた、カキツバタや、遅れて出るというハナショウブにもよく似合う、と思う。カキツバタは水辺辺りに多いとかいわれる。その水辺の公園というのが、ないというか、遠いのでカキツバタかどうか怪しいというものを見る。それにしても、いつも迷う。5月は長いなー。
  5月の頭に、これはハナショウブとか書いていて、後から、花の参考サイトというところを拝見していると、時期的には一番、遅そうで、それで、アヤメに直した。アヤメが一番、近い。それ以外は、カキツバタ。昔はきっと水辺があった。そうゆうところに残っている。一体に、5月の頭頃は、なにを思っていたのか、もうとっくの昔に忘れているが、まだ考えてみると、5月だった。花にしろ、太陽の出る位置、沈む位置も変わったものだ。でも5月。5月の事件の数も、これは特に異常にたくさんというわけでもないが、多くて、TVでは毎度賑やかに紹介される。
  5月は長い。それで、TVを見るというか、聴くというとき、アナウンサや司会の方、キャスタの方の話しはいいが、ある「誰かの声」を声優の方が、朗読される。そのように聞こえるが、これが、その方が上手過ぎてか、聴く気になれない。

  5月は、長い。休みも長かったが、もう6月のPR誌は2誌だが到着した。それで、少しぺらぺらと見ると、時間的なものは、早くても2ヶ月前のものであって、これもある意味新鮮である。そんなことは本当に忘れているから。これもだからいいもので、TVで消えていくものもあれば、紙でよみがえるものもあり、一旦濾過されていてこちらの方がやっぱり後に残るかも。

  雨降りで、今日は午後から、曇りになる予報。

迷う道とか、歩きにくい道

2009-05-30 18:54:06 | 散策
  都会から離れると、道は少なくなるようで、でもその地域の中に入ると、この先は、どうなるのか、心配になる道は、多いという印象。道は、行き来し、また戻りつつもあるようで、いずれは元に戻れるような気もしているが、もとに戻れない道となると、これは山道かも知れない。そうゆうところだとこれは、迷いに迷って、最後は大切なものを失うことにもなりかねない。
  
  山道というと、これは低山しか知らない。高尾山、東京都の高尾山だけど、これも、道はいろいろあって、もしかしたら迷う可能性がある。高尾・陣馬山はその当時も十分な、道標もあった。問題は、陣馬山から、八王子に向かって降りるときで、この道は適度に勾配があった。こちらの方が、問題はあって、バス停に着けば安心感があった。またあるときは、都会の渋滞並みの、あるいは、人ごみの中にいる感じもあることがあって、そうゆう場合は、どうだったか。逆に、どこかの道を、沢筋に向かって降りたかも知れない。人も山道での話しだが、多すぎると、これはなんとなく「やばい」とか、思うこともあったが、今はそうゆう人波という中にまぎれることもない。
  もしかしたら、お祭りとかで、細い道を、人が塞いでしまう可能性がる。こうゆうときは、申し訳なさそうな顔をして、するり通り抜ける。これが一番で、またやり過ごすというのもありそうで、でも時間がかかる。抜け道、獣道、その他迂回路というのも、あるときはあるが、そこしか道はない、というときもある。いくつかの、道を歩いて、またあるときは時間がたつと、その道幅が増えたりもして、それでは減ったものはなんだろうか、とも思う。こうゆうものは、きっと記録されていない。道は大体地図では、線で表わせられる。大きさはというか幅はない、というものである。もちろん、現実は違う。

  道を歩くのは、山歩きはかなりの緊張もするし、小動物で、気を付けないといけないものも多く、これは今時だと、都会や田舎でも同じかも知れないが、で、道を歩くことは、大体楽しいもので観察がある。そこににじり寄りたくなる場合もある。なるべく、避けた方がいい場合も、これももちろんある。道には、当たり前のようで歴史があり、また消された道は、多い、と思う。いくつかの道はなくなり、それで新しい道は出来るが、いずれまた道は、なくなり、また新たに作られると思う。
  街のローカル性というか、個性というか、道にもいろいろで、都会と、地方と、地方でも街と、田舎と、田舎でも、田舎と鄙で、もろもろに違いがあり、どこの道がいいか、なかなかいえない。安全な道が一番で、でだんだんと遠くまで歩きたくもなるものだけれど、さてくたびれた。水と飴くらいは、飴ちゃんとかもいう、持っている。でも帰りは、公共交通網があればいいなという場合も、多い。そうゆうことを比較すると、都市部に分がある。でも、公共交通網の発達したところというとかなり限られてしまうのも事実。これは、もう解決されない問題か。

  都会の魅力というのも、もう時代がずいぶんと変わってもいるから、昔と、一昔とか、ふた昔前では感じもずいぶんと違うのではないか。それでも、ときどき、こちらの「書き込み」でも、あーあそこはいったことがある、あそこはこんなになってしまったのか、へー昔よりは、よくなっている、というところはある。そうゆうところは、普通にゆうと、ローカルでは紹介されないところでもあって、たまにTVでも、高尾山の場合などは出るが、まったく都会でも、ローカル性を保っている。
  昔も今も、変わらないものもあるだろう。都会に憧れ、都会巡りをする人はきっと多い。私の場合は、どちらかというと、そうゆうことをしないで、どっちだというと、都会のローカルなところ、また少し離れた、私鉄で田舎巡りというのを少しだけやって、時間も終りになってしまった。
  都市部の田舎というのは、不思議なもので、その田舎の感覚は、もっと田舎といわれるところより、田舎している。これなどは、鶴瓶さんのTVを見ていると、時々だけど、よくわかる。田舎は、もう十分に都会化している。

  道でいうと、もっともおもろいのは、やはり都会の中の都会か、あるいは都会の中のローカルな街で、そうゆうところは実は紹介されない方が、これはいいような気もする。だから、昔いったというところが、まずは田舎では紹介されないが、それでも書き込みに登場すると、これがなかなかいい。その回りの道というか、道の様子というのが出ない、少ないというのがこれが残念であるが。
  道にいろいろで、道歩きは楽しいが、それでも知らないとこが圧倒的に多く、果たしで、何かの機会に新しい道に出会えるか、どうか。これは夢の中でも出てくれば面白いようで、迷うだろう。



 
  限られた、ところに、またこの花が出てくる。3年目くらいで、風船のようでいつも名前は忘れる。




  サボテンばかり、集めておられるのか、そうゆうものを眺めるときもあるが、大きな花が咲いていて、思わず借景。サボテンは花火のようでもある。




  白ひげ。白いといえるか、ここのヒゲナデシコ。




  昔も見ている、この黄色い花。




  ここにも出てきてくれる、青いナデシコ似の花。




  どっきりする色。知っているようで、知らない道の顔。

日没間近の、太陽

2009-05-30 16:10:58 | 散策
  今、少し前から、珍しく雨。昼の雨も、このところない。

  シャクヤクとか、咲いていると、そういえば
  ひどい雨が降って、それでもなんとか雨宿りをして
  濡れずに、さほどだけど、帰って来たことも、思い出したりするが
  きょうも傘だけは持ったが、その時間は雨はなし。

  なんだか、ミミズの涙程度の雨が降っている。もう少し
  カエルの涙くらいは、降って欲しいものだ。
  なんなら、牛でも馬でも、いいような気がする。
  でも一番いいのは、やっぱり雲の雨で、1時間に2、3mmというのがいいようで
  これで、3時間くらい降れば空気の汚れもなくなるし、
  水不足で、枯れるかも知れない、家庭菜園のトマトも
  息を吹き返す。

  それで、きのうは夕方も、空はまぶしく
  その後、これも偶然、日没間近の時間に太陽も
  見ることが出来た。
  もう時間がない、というものに近い。




  西の空、この太陽は、まぶし過ぎた。アチアチという感じである。




  日没間近、その一。結構、押し迫るものがある。




  この辺りは、空の雲の美しさもあると思う。
  いかにも印象的な、夕日に輝く雲、空の透明間。




  その三。




  望遠側で。




  少し寂しいものもありそう。




  夕日。透明な空。輝く雲。一点の鳥。
  日没までは、時間は短い。

月を探す

2009-05-30 06:43:50 | 散策




  朝のお天気は曇り。ほどほどの明るさと暖かさ。もっとも過ごしやすいと思える時期。大体寒くない。そのはずだが、あれなんだか少しスースーする。どうしたこと、こうゆうときもある。あまり気にしない。それしかない。風はほとんどないか、無風。静穏。アメダスの6時の気温、18.1℃、気圧は1006.6hPa、湿度は、89%。ちなみに、風速は2m。室温は、21℃もあり、布団をかけるとどこかへ飛んでゆく。

  暖かいときと、少し涼しいと思えるとき、いろいろで結局、風邪引いた、となりやすい。気が緩むときが必ずあって、あほなことをときにやるが、それで、風邪引く。そうゆうときが多かったが、今の状況だと過去にも何度もある「のど」の痛みで推移してる。朝になると、のどに何かが詰まっている感じがある。
  これで終わってくれるといいが、頭の痛いときも結構あって、それから咳も出るが、風邪の咳とは違うようだが、それにしてもいいことはないのは事実。食欲などはまったくの正常。

  きのうは夕日が、ちょうど地上辺りまで沈んでゆくのが見えた。これだと、夏至のときはどうなるか、もうあまり地面に対する移動はないような気もするが、若干予想がはずれる。日が沈むと、この次は、月が見えるはず。
  月と、「ツキ」は関係がないが。その月がどこにいったかわからない。こうゆうときは、あっさりと調べるというのは、もう答えがそこにあるというのは、面白くない。そこまで余裕がないということではない。この前に月を見たのは、朝だった。で、新月があって、それからそろそろ夕刻、太陽が沈んだ後に、細い月が見えてもいいと思うが、ない。雲があって、これもあるといい眺めだが、肝心の月はどこにある。屋根の上か。

  それでしばらくすると、もうかなり太陽から離れた、月が見えて来て、ホッとする。月はまだ細く、まわりに雲があるが、美しく輝いている。この先は、梅雨も近い。長雨の季節である。なかなか月も見えないので、大袈裟に月探しをやってみた。

  どんよりしたお天気。今日は曇りで、何度目かの正直で適度に、ほどほどの量の雨が降ってくれるような、そうゆう天気予報だが、やっぱり天気はその時間にならないと、わからないかな。雨は夜降って欲しい、など思うときもある。なるほど、で、起きている時間だけ、わずかだけど晴れると、なおのこといい。
  のどの痛みとは関係なく、また鼻水も出てくる。関係あるのかも知れない。

夏のようなお天気だけど、暖房

2009-05-29 18:53:24 | 散策
  今頃、また太陽は燃え盛っているようで、西日が強い。暑いくらいで、昔だと、杉の木があった。これでうまく西日は遮られ、またあるところからは、光が入ってきて、ちょうどいいような、そうゆう時期もあったが、もうなくなってしまった、そうゆう杉を思ってもしょうがない。寒いときだと、大体日が沈むのが早すぎて、これも今頃繰り返しても、意味はないか。

  ちょうど真ん中辺りだ、みなそう思っているかも知れない。地球の真ん中だろう。辺りは平面というか、どう見ても曲がっているところはない。昔の人はどう思ったのだろうか。あるところは雪があって、あるところはなかった。山には雪があって、それで海に近いと、湧き水があって、これは大体透明で、それで飲用にたえた。温泉というのも、あるようで、湧き水とどう違うか、というと、大体ショッパイ。このくらいのことしか、わからない。昔は井戸はあって、しかし私が目で見たときは、もうそのものはただの形だけ、それで水道があった。
  温泉というと、これは鉱泉で、冬はこれにつかると暖かさが残った。鉱泉のイオンが、どうも体を温めるというのは本当だが、しょっぱい水で頭を洗うとどうだったか、多分水道水もあった。これで、最後は塩分を除いた。

  もう寒くはないが、暖かいものが必要なことはある。たぶんもう少しだけ、あると思う。で、よくいざというとき、もう一つとかあったら、そう思うときは多い。乾電池くらい、もう一パックくらいあっていいという感じで、これはかなり必要である。ないと、コンロが使えない。コンロの場合だと、電池をだまして使うというのが一日くらいは出来る、と思う。でも、翌日はあわてないといけない。そうゆうものは、きっと多い。もうPCはいらない。いらないものもいくつかある。
  で、寒くはないけれど、コタツは、そういえばもう一つくらい予備にあってもいいな、とこの冬に初めて思った。それくらいコタツは、長持ちしている。コードは一回変えた。このコードこそ危なく、熱を持つし、当時よく熱だけで気が付いたと思う。それから、また時間がたった。寒いときは、コタツが主で、ほかに電気ヒータを使っている。このヒータも、そういえばきょねんの冬に、スイッチがオフの状態でも、通電して熱くなるという状態にもなって、これは危なく、廃棄処分にした。代わりのものは、だいぶ前に購入したものがあった。こうなると、今はもう寒くはないが、コタツの一つも、代わりのものがあってもいいように思う。

  売れるものを置くというのが、企業にとっていいらしく、まったく在庫のない状態で、作れば売れるし、売れるから作るという状況で、羨ましがられるところというのも、あるそうだ。それで、今は何でもエコ減税で、そうゆうものは売れるし、受注も順調で、ということのようである。それなら、エコでもないけれど、減税したらいいのではないか、とも思ったりもする。頭に税の冠をかぶるものは、大体そんなには売れない。これをはずすと売れる。
  まーあまり関係のない話しだが、大体、今頃コタツも売っていない。ことしの冬、だから2009年になって、電気毛布、敷布を探したら、結局一枚だけ、展示品があって、でもあってよかった。
  今何が、欲しいかというと、厚めのセータのようなもの。これに似たものは皆穴があく。厚いというのも、うそになってくる。何ということ。ズボンの下に、寒がりはあるものをはく。これも、せいぜいぼろぼろに近い。これ以上はあまりに恥ずかしくて書けないが、
  暑いときに、その暑さを助長させるがごときものが欲しいなと思うときは多いのである。マスクでもないけれど!。それにこれも大体当てはまるような感じがあるが、やっぱりこれはいいな、というものは、先に売れるような気もする。ときに遅れて、これでもいいかと思って、在庫を確認すると売り切れなのである。皆さん、見る目を持っている。こうして、指をなめているときがある。

  売れ筋を統計で見ている方がいる。しかし、人がいつに何を欲しいと思うのは、残念ながら今の統計では、出てこない、もっと不確定な要素を持っていると思う。もっとも、いくらがんばったところで、何かが変わる可能性はないだろうが。

  あー、それにしても、きょうは寒いとか思いつつ、またのどの痛みもあって、さえない一日でもあった。さっさと眠るのが一番のようだが、今日の夜は暑くて寝苦しい?。





  緑濃くなる、水田。もっとも遠近法の、結果で、大体皆手前のようなもの。




  早春は真っ白で、大きな花を咲かせた、ハクモクレン。これも、こうなると何の木だか。知っているところだからわかるが。




  葉っぱを見ると、春菊みたい。でも違いそう。虫がたくさん来る。




  ナンテンの、花が咲く前の状態のものもあった。葉っぱの出方は、左右対称のようで、先っぽにも葉っぱ。




  ピラカンサの、花。




  ピラカンサの実。小さな実であるが、大きく見ることもできて、これを見るとまずは一番に豆菓子を思い出した。でも、ピラカンサの実は、わからないが、苦いのではないか。 

梅雨明けのような青空

2009-05-29 16:23:05 | 散策
  朝は小雨。その後は曇りで、すぐにたしか太陽は
  顔を出した。それで、空気がきれい。この空気は
  どこからやって来たのか、遠い太平洋辺りから
  流れ込んで来たのかも知れない。これはまったくの想像。

  それでも、低気圧は回転していて、空気そのものも
  かなり動いているから、きのうは太平洋、きょうは
  日本海ということも、ないことはないだろう。
  明日の空は、誰にもわからない。

  最初は、雲が白く、これが綿のようで、絹かというと
  よくはわからない。正体は、かき氷だったりする。
  他に何があるかなー。




  ときどき、こうゆう空はあるけど、雲もなかなか見栄えがあった。




  しばらくして、真っ青な空が現われた。それに、雲は真っ白である。
  梅雨明けを、早くも思い出させる。




  ほぼ快晴。太陽光を遮るものは少ない。こうゆうとき、に、この
  カメさんは、特有の色を出してくれる。十字に、まあるい小さな点が
  出来て、その中にも出来て・・・。
  それと、少し離れて丸が、六角になり、絞りの形だろうか。
  説明はなかなかむつかしい。でも、これが面白い。




  中央少し下に細く見える筋は、蜘蛛の糸。周りに白い雲がレンズ状に
  見える。




  右下の、少しクチャとしたものは、実はアゲハチョウ。




  後の方まで、そっくり返ると、反対側の木が少し視野に入る。

  このお遊びは、なにかが飛び込んで来たりして、面白いが
  たまにやるのがいいところ。

小雨、ときどき、のどの痛み

2009-05-29 06:50:18 | 散策



  朝のお天気は、小雨。この雨も、ほとんど記録には残らないと思えるくらいの雨。でも雨で、路面は濡れているし、また木々の葉とかに当たる音も聞こえる。今に近い時間になるにつれて、雨も止みそうで、このままだと天気予報どおり、曇りになってしまう。わずかに雨が降った。降らないよりはいい。風はほとんどないか、少し。雨雲がポツンと浮かんでいる。アメダスの6時の気温、17.5℃、気圧は1007.6hPa、湿度は93%。室温は、20.2℃、20℃よりは高い。

  TVで天気情報を見る。たしか、風速が関与していたと思うが、低気圧があるがこれの風速がもう少し強くなると、台風と呼ばれる。どっちでもいいが、感じというか、ただの低気圧と台風とは違う感覚がある。強い低気圧の映像、大雨で水没するというのをTVで見る。いつ見てもいい感じはしない。

  雨の降りそうにない今で、アジサイが雨を恋しく待ち焦がれている。アジサイがあると、なかなか楽しいが、さらにカマキリの卵、正確には卵の集団というものも、そのそばにあって、今もまだある。ただ、この卵の塊から、カマキリの幼虫が出てくるというのを見ることはない。そりゃーたまにしか見ていないし、もう中は空っぽかも知れない。でも一度、カマキリの幼虫も見てみたいものだが、この機会は、運を天にまかせるしかないか。
  カマキリの卵の塊は、もうカラカラに乾いているように見える。こうなると、幼虫も出てこれないのではないか。そうも思ったりもする。カマキリの幼虫も、何か他の虫に、あるいは鳥にも食べられてしまいそう。成虫と同じ格好になっても、辺りに蜘蛛の巣も多い。これに引っかかると、どうなるか。

  今頃、明るい色をしたものというと、ナンテンの花芽というのがありそうで、きのうはこれを見ていた。花芽というのが正しいか、よくはわからないが、米よりは二回りくらい大きく、これがパカッと割れると、なかにオシベ、メシベがあって、蓋だったものがたしか花弁になるような気もしたが、そういえばナンテンの花というのも、忘れそうになる。こうゆうことが多い。ナンテンは、
  今はそのまあるい、ラグビーボールのものすごく小さいもののような、花芽よりは、葉っぱの美しさのほうに目がゆく。対称的だったか、あるいは交互だったか、葉っぱが出てくるが、まことに美しい感じがする。この一つに、虫に食べられていないという条件がある。ナンテンの花、ナンテンの葉、これからの植物。

  空は、曇りから、こんどは薄っすら青空も見えてきた。もしかしたら、もう雨は降らない。明るい空があって、寒くはなく、頭は起きているのか眠っているのか、どっちかわからない。

ヒメジョオンの時間

2009-05-28 18:39:28 | 植物・花(春)
  麦畑も、刈り取りの時期、麦秋を迎えて、それで、この麦はどうなるのか、といくつか候補を挙げてみたが、ここでの話しではないが、近い街、というか、市であるが、その地域の麦はやはり、何がやはりか不明だが、これがビールに変わるという。その地域で生産される、麦は、いくつかの段階を経て地ビールになるようで、なるほどねーなど思うが、
  ビールも高くて手が出ない。生産者の方と、この辺りは感覚が違う。安いビールはない。税でどれだけかさばるか。で、第三とか第四とか、発泡だのというものを飲むこと、も今はない。どーも暑いといっても、ビールという、あるいは、発泡酒というところまでは気温は上がらない。もし上がっても、何となく、麦茶で済ませるような気分にもなる。

  いくらかの雑草を刈ると、またその向こうに雑草はあるが、草も生える意味があって、しかしその向こうという、第三の関係となるところまでは考えてはなく、ほどほどに弱ることにもなるが、これは何のことだかよくはわからず、どうなるかは、その時点で考えないといけない。いろいろむつかしい問題はある。草は生えているといけないが、ものを燃やすのは特にお咎めはない。そうゆうところでもある。また、道路でも、土が落ちていく場合もあるが、これもどうってことはない。その他にも、何かがあったようだが、今は思い出せない。ここは、何とかだから、というのは、ときに大きな影響力があって、それに「はむかう」のは意味はない。

  それで、ハルジオンは今は、なぜかここでは春から結構咲いていて、この花は毎年出る。それに変化はない。だが、その花の勢いはというと、さほどでもないなという思いがある。他の空き地とか、だと結構ある。あるいは野の道、田んぼの道も。で、草しか生えない田んぼはというと、ハルジオンはまったくといっていいほど、生えていない。ハルジオン全盛の時代もそろそろ、終わるのか、でも、もともと使われていない田んぼで、ハルジオンは少なかったようだ。
  それで、ここにはハルジオンが、たくさん生えてきて、白いもの、赤みのあるもの、白から赤いものに変わるものと、いろいろ出た。まだ咲いている。でどうだろうか。その横でもないが、それに寄り添うように、少し遅れてまたすくすく背伸びして、生えてきたものがあるが、ようやくこれが何か、疑問にも思えたが、答えはヒメジョオンしかないのではないか。もしこれがはずれると、恥ずかしいが、その姿かたちは、単純な雑草であるけれど、しばらくの間、これは何かと考えていたけれど、その蕾も出て、これはヒメジョオンではないか、とほぼ確信を持つようになる。

  もう5月もおしまいで、来週の月曜日は、6月で春でもなくなってしまうようでもある。そうなると、きょねんも咲いていた、ヒメジョオンも出て来てもおかしくはない。草刈りで、草が生えないというところもあるが、それ以外の理由で、つまり薬の効果がまだ残っているというところもあるが、そこから、ちょうど境界辺りの地面からヒメジョオンは出て来ている。恐らく、まだどんな丈夫なというか薬に強い草のタネを播いても、ここからは芽が出ないと思われる。それはどうしようもないが、もうしばらくしたら、草の一つも生えてくるのではないか、という思いはある。
  ここでは、そろそろハルジオンは、終りで、その次のヒメジョオンが大きくなりつつあり、またその花芽も出てきて、その花を見ることになると思える、ことを書いてみた。草の管理というのは、大変であって、これは一番というのがない。出来ないこともある。それから、もう咲かないハルジオンの時間というのも、そのうちにあるかも知れない。またヒメジョオンについてもそうゆうことが言えるのではないか。どうなるかはわからないが、植物の繁茂する時間というのも、そうは長くはないような、気もする。




  バラは、特に呼んではいないようだが、よく目立つし、ついつい吸い寄せられる。絵に描いたような、バラ。




  緑は生き物のようで、花の明るい桃色は、絵筆で書いたような、時代がそう錯覚させるのかも、知れない。




  赤ひげ。赤いヒゲナデシコ。ボケ具合と、手ぶれ具合もあって、これは花の部分は生き物のようである。




  ジャガイモの花。大根の花とか、いろいろ思い出されるものも。
  ジャガイモはことしは、あちこちで見る。また花も同じように今頃咲いている。




  アジサイの花。花は、あちこちで見ているが、まだ咲いているのはない。この花、赤い色にも二つあって、一つは花の色のようで、もう一つの赤いのは、もしかしたら、アリマキ。そうゆう小動物もいる。




  シモツケの花だと思う。赤い花が咲くようで、昔はコデマリとそっくりだと思ったが、今の感じはそうでもない。ピラカンサの花は一部もう実にもなっている。