光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

蛾だと思っていた蝶

2007-06-30 18:57:39 | 虫、その他
  6月であるが、明日からは7月で、なんかいよいよ暑い夏がやって来ると思うと、すこしウキウキする。今年の夏はたぶん暑いであろう。多少暑い夏の方が好ましい。冷夏より、暑めの夏であって欲しい。
  6月の最後、今日の天気は、小雨の降る時もあるが、ほぼ曇りであった。この小雨では、降雨にはならず、気象台の発表だと曇りとなるはず。まー雨でも、曇りでも、どっちでもいいけど。でも、残念ながら、曇り空から太陽が顔を出す事はなかった。本のすこしでいいから、ちょっとだけでも青空を見たかった。青空のようなものも見えた気もするが、はっきりはしない。これでは、やはり、青空はなかったという事になる。
  きのうも小雨がぱらついた。小雨であってよかった。そうでなければ、のんびり花などを見てることも出来ない。これだけ気温が高いと、ある花は一日で花弁を散らす。これと、雨と風も加わって、きのうあったものが今日はなくなっている。そうゆうものなのである。次を待つ。ちょっと見かけない虫がいた。それは今日はいない。
  それで、これまでずっと”蛾”だと思っていたものが、”蝶”であることを、シジミチョウのより詳しい名前を「昆虫エクスプローラ」さんのページを参考にしていて、探していて、知った。これまで、というと曖昧であるが、この蛾だと思っていた蝶はずいぶんと昔から知っているから、その時間の単位は大きく、期間も長い。それは、蛾ではなく、セセリチョウ科のチョウであった。確か、ここの書き込みでも、最近出したし、もっと昔もあるかも知れない。



  この体長が、1cmより大きいが、2cmよりは小さいだろう、飛ぶ昆虫はおなじみで、まーどこにでもいるし、昔もいたし、今もいる。よく見るもので蛾だとずっと思っていた。なかなか、この虫の名前は何というか、そうゆうテストもなかった。これが、セセリチョウ科のなんというチョウか、ここはやはり難しい。チャバネセセリか、あるいはイチモンジセセリかという気もするが、なにしろ、この画像はいくらでも変化させる事が出来るし。



  今日は、ぱっとしない、そうゆう時に、すっと花に何かが止まったりする。ありがたい瞬間。これもセセリチョウ科のチョウで、もしかしたら、キマダラセセリかな、とも思う。

  蝶が苦手でという人は割りといる。そりゃそうだ。虫がだめで、というのも納得する。蛾は特にいけない。そうかも知れない。去年は、チャドクガが大発生、これも推測に過ぎないが、ツバキはかなり葉っぱを喰われた。
  でも、蛾にも、はっとさせるものがある。その代表が、ヤママユガ科のヨナクニサンで、これは一度見るとなかなか忘れられない。私は、TVで一度、本物の映像を見た。で、もし、実物を見た時にどう思うか考えるが、これが、なかなか歯切れいい答えが出てきそうにない。まー、蛾に対する思いはその程度である。

仮・太陽が恋しい

2007-06-30 07:27:47 | 散策
  朝の天気、小雨か曇り。風は弱く、穏やかだが、さすがにジトジト。室温23℃。
  タイトルを考えるのは、難しい、ですね、いやー、まったく。
  夜中、朝方、時折雨の音。まー、夜だし、雨でもいいが、さすがに、晴れ間が見たい気になる。朝が来て、15分間の内にいやな夢を見てあわてて起きた。まだ半分眠っている。北の窓を開ける。ここから、アジサイを見ると、ようやく元気が出てきたと思う。それに、不思議と冷気が流れてくる。
  これが気持ちいいが、しかし、この雰囲気はすこし妙で、なにかを奪われている気にもなる。アジサイは、冬は、雪の中に埋まっていても、また凍ってしまっても、雪が解ければ、暖かくなれば、よみがえる。夏は夏で、カンカン照りでも、特に水を必要としない。実に、結構な性質の植物だが、これは、人はまねが出来ない。何かが奪われる感じがするのは、アジサイのせいではなく、このジトジト感と、それと動きのない空気の分子のせいだ。心地よい冷気が、エネルギを奪ってゆく。ここは窓を閉める。
  タイトルを考えるのは難しい。買って一度は読んだと思われる『新書』をもう一度読む。これは、一篇が短い文章で簡潔に書かれていて、読むのにはそれほど苦労しない。だから、一度は読んだようで、ときどき難読文字に振り仮名がふってあるし、ちゃんと一回はその文字をそこに書いている。1990年代の早い時期の、本の紹介、批評、評論、感想文、分析、色々なものが、色々な書き手の方が書いたようになっていて、実際の書き手はもちろん一人だ。
  頭の中でなぜか色々な考えが浮かぶ、その考えが浮かびつつ、短いが、理論的な文を読むと、なぜか記憶に残らず、これはこれでいいかとも思う。なにしろ、本の本体がない。読んだ事も読む事もない文の批評を読んでいる。すると、自然となぜかしら、自分の頭の中で、それとは関係のないことが思い浮かぶ。こりゃだめだ。
  タイトルを考えるのは難しい。それと、なぜか、今日くらいは、きらきら輝くお日様を拝みたい気がする。このジメジメ感、ムシムシ感を追っ払ってくれるのは、太陽のある青空だけだ。

ナンテン(南天)の花で一休み

2007-06-29 18:53:58 | 植物・花(夏)
  午前中は、台風並みの雨風。いっときひどく、これはどうしたものかなど考える。総雨量はさほどでもないが。なにしろ今年は、雪も少なかったし、雨だって少ない。今ちょっと、慌てている感じだ。風が出てきた。横殴りの雨、しかしそれが止む時間が来る。窓を開けると、涼しい風が入ってきて、くしゃみをしないといけない。活発な雨雲がどこに局在しているか、同じところを雨雲が通ってゆく。この不思議。
  局地的にひどい雨で被害が出ているというニュースを聴いている。また、梅雨前線は、ゆっくり南下しているはずだが、理由はよくわからないが、かなりな高温に見舞われたところもあるようで、またこの雨で、日照りの続いているところ、それより、その地域の水がめであるダム湖に、雨が流れ込んでいると思っていると、そうでもないと言う。さらに、取水制限を強めるというから、何がなんやらわからなくなる。この雨雲が、うまく雨を降らしてくれるよう、祈らないではいられない。
  この辺りでは、今のところお昼ころまでが雨のピークで、午後は、これはピンポイント的な書き方だが、雨は小康。時に止んで、また気温も26℃くらいまでしか上がらず、風があるとさほど暑くも感じない。大きな前線の雲がカーブして、それが東の空に移動しているのがわかる。
  ナンテンの花があちこちで咲いていて、これが目立つ。あちこちにあるし、また今年は、なぜかその白い花が多いようだ。その小さな花が、やがてはじけるように開く。普通に見ていると、白い小さな回転楕円体のようなものがそのまま大きくなって、秋に赤い実を付けると考える。私がそうだった。この花が、パカッと開いて、オシベが、実際は違うようだ、見えるのをはっきり見たのは去年のことで、それゆえ、余計に目に入るのであろう。



  花が開き始めたころで、それで雨も降っていた。一週間くらい前のもの。花が開いて、オシベが出ているというのは、この写真を見ている限りおかしい。白いまあるいものは、ガクになって、黄色いものが、花弁のようである。ぜんぜん、わかっていないですね。



  こちらのは、ここにあるもので、日当たりが悪くまだ、花が咲くまでには至っていない。例年雪の下に埋まる。今年は、たぶんその期間は短かった。それゆえか、やけに緑が目にしみるようである。

滔滔と流れる河をながめる

2007-06-29 07:25:21 | 散策
  朝の天気、雨。ときどき強い。風は弱く、しかし雨は斜めから降ってくる。室温24℃。
  きのうの夜から、窓は開けたままで、でも雨の降る気配はなかった。眠っていてときどき眠りが浅くなるころ、さーさーという音が聞こえて、これは雨だなと寝ぼけながら思う。ドアが、風で閉まった。6時すこし前、強い雨が窓をたたいて、これはいけない、あわてて、窓ガラスを閉める。南風のようである。
  今週は、日曜日だけ晴れで、後は今日まで雨か曇り、これだとさすがに、ちょっと雨よ、止んでくれ、とお願いしたくなる。
  起きて、TVで、ニュースを意識しないで聴いているが、”大雨の恐れ”と出ると、実際にすでに降っているので、ここは、しっかりと様子を見る。アメダスも衛星画像も先ほど見た。ここは、まだそれほどの雨の降り方ではないようである。
  ここの平野には、大きな川が3本流れていて、たぶんどれも一級河川だと思う。周りは山で、手前は海で、川に挟まれたところは、まー逃げ場がないと言える。川中島である。その割に、普段はそんな事、意識せずに生活している。真ん中の河の河川敷に空港がある。たまにであるが、最近はないが、ときどき、ずいぶんと方向の違うところをジェット機が飛んでいる事があって、大いにこの辺りの上空で旋回し、滑走路を目指す。たぶん、たぶんである、河を一本間違えて降りてきたのではないか、昔はそう思ったものだ、あくまでも昔の話しである。
  この、真ん中にある神通川を渡る事はたびたびあるが、梅雨の時期、あるいは大雨の降った直後にこの河を渡ると、これがかなりの迫力がある。普段は木々が生え、鳥が棲み、また裸の白い広い土地がそこにあるが、ここをゴーゴーと、そんな音が聞こえそうなくらいの感じで大水が流れていて、すこしびびる。滔滔という言葉は、まず読めなくて困るが、この意味が水が盛んに流れること、とあり、さわやかな感じさえするが、ところがどっこい一級河川のその大雨の後の水流は、とても滔滔とではない。やはり、ゴーゴーか、ガーガーでまさに地面を削っている。
  これからが、雨はひどくなりそう。また、ちょっと強い雨が降り出した。室温は26℃に上昇、ムシムシと大雨。長い一日になりそうである。

ミニ・カマキリ(蟷螂)である。

2007-06-28 18:52:25 | 虫、その他
  今日は、北風がふいていたが、それも弱く、日中の気温は、ラジオでは、30℃を超えたと、DJさんが話していた。これは気象台の値であろう。少し、人によってはかなり、ジメジメしていると感じるわけで、私も、ほどほどのジメジメ感を味わった。それでも、雲が中程度に空を覆っていて、日傘は、差したほうがいいが、ささなくても大丈夫な気もした。
  これが、直射光が当たってとなると、ちょっと悲鳴を上げそうになる。早いところ外歩きは止めて、冷房の効いた、ちょっと涼しいところに移動したくなる。スーパの中に逃げ込むのが一番だが、これも、そうゆうところがあればの話し。本屋さんでもいい、無論ないといけない。
  あまり代わり映えのしない状況だが、マメコガネ、シジミチョウ、それ以外に、蛾だと思っていたチョウが、目に入る。カメムシも仲良くやっている。それにしても、それ以外のチョウやら、虫やら、トンボやらは、なかなか見つからない。モンシロチョウなども、飛んでいていいはずだがいない。アゲハも、チラッとしか見ない。ここの草も刈ったので、いるはずのカマキリも、なかなか見る事が出来なくて、待ちどうしかった。が、一度見かけると、その次もある。まずは、



  なんか、一番面白そうなところからいくのは、常道を逸してる気がするが、そんな事を言っているときではなかった。道路を歩いていて、周りの植物をちらりと見ていて、ふとその道路際の金属製の柵か、囲いに、この小さいカマキリがいた。するする、と動く。そして、立ち上がった。この先に、バラだったかの枝があって、たぶんそこに飛び移ろうとしてるようだが、どうも、ちょっと高すぎる。これが、うまく写る可能性は半々くらいだったが、どうにか見る事が出来る。



  これは、上のカマキリを見た後で、今度はアジサイの花にいた。探せば、大体いるはずだが、その花の数も多い。緑色で、胴がやけに曲がっている。ギリギリ合焦していたのがあった。顔の形もちょっと妙だし、目玉が上を向いている?。



  同じく、アジサイの花の上にいた。色は、最初のものに似ているが、顔付きは三角で、これが一番見慣れているものである。
  体長は、最初のが一番小さいが、それでも、胴で2cmくらいあったかな。はっきりしたことは、なかなかわからないものだ。  

尻切れトンボ

2007-06-28 07:36:49 | 散策
  朝の天気、霧、か、曇り。風は弱く、穏やか。室温22℃。
  夜も早朝も、見通しが悪かったが、それは霧のせい。ひさしぶりに、濃い霧に包まれている。視界は、100mあるかどうか。ただ、少しずつ、その霧も晴れてきている。しきりと、”霧笛”が聞こえる。ここからは近くはないが港があり、たぶんそこから聞こえるのであろう。岩瀬と呼ばれる辺りの、運河や港の情景を昔見たが、小さな、しかしちゃんとエンジンで動く船の魅力はまた格別である。
  何を考えていたか、そうそう。段々とより忘れるものが多く、またあたらしい何かを吸収するのが難しくなってきたということ。今さらでもないが、これに対してなんか手段はないか、考えるがそれも思いつかない。手元にあるものでは、国語の辞書だと、漢字の書き順が載っている。まー、一とか二とかはまだ書けるし、これはひらがなの方が難しい。でも、その国語の辞書に載っている漢字の書き順は2000くらいあって、これをノートに書き写す事を少しずつでもやれば、ちょっとは、脳のトレーニングになるのではないか、と考える。
  今頃、漢字の書き順で、点数を付けられる事はない。好きな、順序で書けるが、やはり、その順序も知っていておいたほうが都合がいい事が今頃分かる。他には、要は簡単なところから始めると言う事だろう。
  地図を眺める。これは、ちょっと難しそうな、あるいはとんでもなく難しい、新書版の、『量子論』を眺めるより、はるかにやさしいし、また、現実味を帯びていて、それでは、昔の呼び名ではどうか、そうゆう事も知りたくなる。国の名前も、今と昔では、高々10年か20年で、ころころ、あるいはどんどん変わる。1980年代に発行された地図帳は、今はあまり意味を持たないが、1980年代は、こうだった、という歴史の勉強にもなる。一日、見開き一頁の地図のあらゆる文字を読んでみるというのも、なんか面白そうだ。
  幾何学というのも、これまた面白いもので、しかし、適当なテキストがないのは残念である。小学校のころの雑誌か何かの付録に、1から100までの整数を足すといくらになるか、というのを少年だったガウスが10秒くらいで、その計算をして後は、なにもしないで遊んでいたみたいな、話しが載っていたが、こうゆう読み物こそ、今の私に必要なもののように思われる。要は、簡単である事。すぐにとっかかれる事、何度も見ても飽きない事。これを満たす何かを日々やりとおす。
  すると結果、この書き込みでもさほど苦労せずに、もうすこし、安らかな気分で書けることになるはずだが、これは、まず上に書いた事を始める事である。さて、これが実際のところどうなるか、これは、この先、結果が出るというもので、なんかおっかないなー。

はげる・アジサイ

2007-06-27 18:51:26 | 植物・花(夏)
  梅雨空が続いているが、気温は最高が25℃くらいで、これだとさほどの不快を
感じずに過ごせる。アメダスを見ていると、ちょうどギリギリのところに、30℃に
なるかならないかの、分水嶺があるようだ。
  それでも、外を歩くと、弱い北風はあるが、からだが暑くなってくる。また蒸
し暑さもある。ちょうどいい汗をかくことになるが、なんかこれから、ガッと気温
が上がったら、めまいを起こしそうで、すこし怖い。どうせなら、もうすこし気温
も上がって欲しいなぞ、ぜいたくな悩みも出てくる。
  よそのアジサイを見ていたら、すこし背が低くなっていることに気が付く。そ
れまでが、割と雨が少なく、すこし雨が降ったら、全体的にアジサイは、背が縮ん
だ。それまで、ブロック塀の上に顔を出していた花が、その下に隠れる。今も、昔
は、高々一週間くらい前だが、塀から上に見えていたものが、下に沈んで、その
ままでいる。まー横に膨らんだという表現も出来るかも知れない。
  それで、ここには、ヤマアジサイとガクアジサイの中間みたいなアジサイがあ
って、これをずいぶん見ていたつもりが、今ふと、正気で対面すると、細かい花が
もう散ってしまっているようだ。”はげた”わけではないが、これは、あまり喜ば
しい事ではない。ガクアジサイなどは、その細かい花は、まだまだ咲いているもの
だが、予想に反して、あるいは、軽率にも、ここのアジサイの様子をよく見ていな
かった。普通のアジサイもあって、大体は白い。これは、まだまだ、その花は元気
なようである。
  で、そのヤマアジサイのようで、またガクアジサイのようでもあるアジサイは、
その細かい花が散ってしまうと、それで終わりのようで、実は、違う。それから
も、外側に咲いている数個の大き目の花が、あるいはその花のガク?が、赤く
染まりさらにひっくり返って、これはこれで、結構面白いというか、味のあるものに
思える。このアジサイはそう簡単に”さよなら”はしないで、そのときどきの姿が、
それなりに面白く、なんか教えられるものもありそうだ。

  

  この花が一番日当りがよく、先に大きくなり、またここにも最初に載ることに
なる。これはまだ小さな花がきれいであるが、実際はもうその花は枯れ落ちてい
る。オシベがすでに落ち始めているのがわかる。写っている小さな花弁も今はなく
なっている。



  このアジサイの全体を出すために、大き目の画像を使用した。一番右下が、上
の写真の一つのアジサイの花である。もっとも、臨時に?、ジェット機の写真などを
出したので、それなら、ここも大きな画像を使おうと考えたわけである。横が3000
ドット、縦が2000ドットで、600万画素の画像となるが、これは、横が、950ドット、
縦が700ドットくらい。トリミングをしていて、一辺をオリジナルの三分の二くらいに
縮小している。雨の日の、ちょっと暗いときのもの。


  予想どうり、ガタガタの配置、レイアウトになりました。文字と写真が左側の
  地の青いところにくっ付いて、読みにくいですが、勘弁してください。
  これ以上さわると、どうなるかわかりません。やはり、大きな写真は、10回に
  一回だけしか、使えないようで。  

Boeing 777 接近中

2007-06-27 10:02:34 | 飛行機
  羽田からの、RJNTに接近中の、Boeing 777である。

 

  東側を飛行中。曇りで、ちょっとくらいが、
  気体の周りの”モヤッ”としたものはない。

 
  
  西側を通過中。このときは、晴れ。
  機体の周りが熱いのか?晴れのときは、ちょっと周囲が不鮮明になる。

  飛行機の写真というのに興味がある人が、どれくらいいるのかなー。
  あとは、大きめにしないと、迫力がない。
  私の選んでいるフォーマットだと、大きい写真を載せると、
  文字とか写真が、左のブルーの地のところにくっ付いて、
  特に文字が見にくくなる。
  でも、たまにはいいかも知れない。やはり、大きくないと面白くないもの
  はある。

間の抜けた話し

2007-06-27 07:32:11 | 散策
  朝の天気、曇り。一様に灰色をした雲で覆われている。風は弱く、穏やか、じっとり感がある。室温22.5℃。
  蚊に喰われた。服の上からである。喰われた事はわかっていたが、朝になって痒みが増した。じめじめした、また風のない、木やら草が生えている、そうゆうところでじっとしていると、これはやはり蚊に喰われる。藪蚊でしょうなどとよく言うが、実際のところはわからない。ここのトイレにもいる。つぶそうとするが、うまく逃げられる。
  吸血性の蚊は、よく二酸化炭素の存在を嗅ぎ分けて、人に接近し、何の痛みも与えず、血を吸うという。そうゆうものか、と長い間思っていたが、しかし、よくかまれるところは、まずは常に露出しているところ、腕やら、足やらで、どうも、あまり二酸化炭素と関係ないのでは、と思えてくる。一番濃度の高いのは、やはり鼻とか顔の周り、これも、周りの二酸化酸素の濃度と比べてそんなに高くもないように思える。すぐに、拡散するはずだが。
  それでも、蚊は血を求めてやって来る。わかりやすいのは、温度で、これは周りの気温より人の体温は普通は高い。赤外線カメラだか?で、人体を撮ると、さらに、この結果をわかりやすく色で表現すると、人とその周りの温度分布がわかるが、周りの空気より、人体は温度が高い事がわかる。まー、何とも言えないが、結局のところやはり人は、蚊に喰われる。
  一般に、この辺りで草をむしったり、木を切ったり、農作業をする人は、まずは厚めのズボンなどを履いている。綿の密に織られた、決して蚊の針は通さない、そうゆうものを着ている。これが基本なのである。多少暑くても、まずは虫に喰われないようにする。さらに日が出ていれば、ほぼ顔以外は、すべて衣服で覆ってそれで、蒸れと戦いつつ、暑さに耐えて作業をする。これを必ずやる。
  サンダル履きで、風通しのいい生地の短パンをはいて、さらに半袖で、団扇片手に植物に水をやる、ということは考えられない。ありとあらゆる、簡便さ、便利さ、爽快さから、対極にある状態で作業はすすめられる。これは、なかなか大変な事で、でも、恐らく昔からそれを守って今も実践されているということのようだ。なかなか、木やら、草に囲まれて住むというのも大変であって、それをやらないと、私のように、蚊に喰われる。また、膚をしっかり光から守らないと、これが長い間たつと、それが大きな差になって表われる。
  これだけは、きっちりやるというのが、プロとアマの差で、またこれを実際やりとおすというのは、なかなか難しい。朝から、ため息がでる。

乾いた風が吹いている

2007-06-25 18:46:22 | 散策


  朝は、梅雨の感じがあって、でもそれほど風は強くなく、このまま雨でもいいかもという気がした。ほどほどである事が、まー何事においても一番のようである。気分も高揚しすぎては、ちょっと、というところ。
  それにしても静かで、ふと外を見るが、天気は回復してきたかのようだ。そりゃ、雨もいつかは止むだろう。相変わらず、キキキキとモズの鳴き声がする。どうも、歩いていても、ここやらそこやらで、モズの姿を見る。
  カッコウの鳴き声は、ずいぶんと遠くから反響しつつ、弱いながら時折聞こえているが、理由はそのとおり、すこし遠いところで鳴いている。お寺の、ケヤキの大木があるところが、中心のようだ。
  午後になって、ほぼ雨の降る心配はなくなった。ぼそぼそと歩いている。イネが、すこし強い西風で、水の抜かれた田んぼをなぜている。茶色がかっていた葉も緑を取り戻している。ここまで来ると、後は成長は早い。真夏、8月のお盆も過ぎれば、もう結実しているものもある。イネの生育期間はずいぶんと短くなった気がする。
  ムラサキツユクサ、ずいぶんと長い間忘れていた名前。これを、他の方の書き込みで見かけた。この植物の事は、ぜんぜん頭になかった。しばらくして、ふと、その花が、人の棲んでいなさそうな建物の、ちょうど道路際のブロック塀から姿を見せていて、もはや、なんのことだかはっきりしない、ムラサキツユクサを見た。これが、すこしよみがえって、いつも歩いているところでも見かけることになるが、どうもうまく咲かない。まだ蕾があるから、なんとかいいものを見てみたい気がする。
  風が、やけに爽やかになる。歩いている時間、日が当たっていて、暑いくらいであった。だが、風があって、特にそれが体にこたえる暑さではなくなった。でも、風が吹けば、あらゆるものが右から左へ、あるいはその反対に揺れる。ちょうど、静止した瞬間を捉えるのは難しい。今は、爽やかそのものの風が吹いて、雲も多く、太陽は顔を見せていない。

  冒頭の写真は、ちょうど天気が回復した、23日の、剱岳である。西側から見ていて、中央とその左に見えるところをトリミングした。珍しく、雲があり、その影も山肌に写っているかのようで、また濃い黒みがかった青以外に明るい青、大げさに書くとちょっと緑もあるような山肌もある。これが、白い薄い雲の影響か、あるいは、今頃の剱岳本来のものか、わからないが、なかなかみる事は出来ないと思う。



  同じ日の、日没後である。こうゆう、朱色あるいは、赤く焼けているような色の空を見ることも、なかなかない。たぶん、空気が澄んでいるからだと思う。これが、毎日続くとちょっと怖い、そうゆう気がする。