光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

冬の木々の素顔あれこれ。ほか、胡椒も少々。

2015-12-14 14:03:41 | 植物・花(冬)
  今日はもう覚悟をしていたが、本当にギリギリのところで、いまがあるので、画像だけは用意していて

  後は時間があれば、余裕ということだが、なにか書きたい気がする。


  ここのいえの木々の、あるいはそばの木々の素顔。幹があれば、枝があって、葉があって。

  木々のどこかに、何かを見つけたいと思うのはよくあることだが。




  その一。これはモチノキ。さっぱりしている。硬そうである。でもこの木にも寿命はある。
  冬、雪が積もれば、枝も折れる。




  その二。その一に、幹の表面に何かが、人の顔が多いが、そうゆうものがあるなと、このその二の
  枝の様子を見ていて、思った。




  その三。モチノキというのも、まったく知らなかったが、これは別、違う。この木はかなり大きいが、
  それゆえ枝葉を伸ばす。この木が、不思議とあちこちから、出てくる。




  その四。道に面している。何十回と、道にはみ出た部分は切られている。この木の幹の表面を見ると
  苦悩のようなものも感じられる。




  その五。常緑ではない、枝だけ残っている、若い木があるが、この下に実がある。たぶんエゴノキで
  このエゴノキも、ここのいえにもたくさんあるが、他でも見かけることは多い。





  その六。同じ木があるところを、位置を変えて撮った。冬らしい、あるいは冬らしくないとも形容
  できるが、若い木々の特徴かな。新鮮で、来春を待っている。




  その七。大きな葉を付ける。似ているのに、ホオノキがあるが。これはかなり背は高い。
  幹は細めで、でももう少し近いとその表面に、人間なりの動物の顔が浮かんできそうだ。

  どうもその目的は撮っているときはなく、中途半端である。




  その八。スギは好きですか、と聞きたくなるような、ここのいえのスギの木。この感じだと
  花粉はたっぷり出来そうだが、難儀なものである。





  その九。少し視点を変えて、これはまだ残っている、ケヤキの小さい木の葉。順光。
  このくらいになると立派だな。




  その十。透過光で。

   
  植物とは、話は出来ないが、話かける人はいる。植物が何か言いたそうだ、そう思って耳を傾ける人も

  いる。やったことあるかな。タンポポとか撮っていると、お礼をいいたくなるが、きっと植物は人のため、

  あるいは虫のために生きている。だから別にお礼はいらない。そう言うかな。


  むかしタネを蒔いた。たしかビジョナデシコ。これはなかなか咲きそうになかった。芽が大体出るのが大変で。

  似ている花もあるが。でも最後にはいくらかは咲いた。あまり感激はなかったか。心の中では、なぜ咲かないと

  文句をいっていて、ようやく咲くと、その先はなかった。ずっと咲くかなと思ったが、3、4年はあって。それで

  終わった。



  今日は、姪が来てくれた。天気がいいので来るかも知れない、と思う。ちょうど髯を剃っていて

  それを掃除しようとして、窓から外を見ると、車の先に、いたので、上のほうから声をかけた。

  いま鍵を開ける。

  ネコを見ていたらしい。


  電話で、1週間に一度話をする。でも電話は便利なようで、直接に会うのとは違いが大きい。

  この前に、彼女が東京に出かけたときがあって、そのときも携帯にこちらから電話をかけたが、日々の情報は

  どうしていると聞いた。東京には行っているが、知らないところも多いだろうと聞いてみるとと、さらっと

  「スマホを買った」と。

  そのときだが、それじゃ今度こっちに来るときがあるだろうから、持ってきて見せてというと、うんわかった

  という。


  私は、今日はそれ以外に、いろいろ話をしたが、このスマホについても、もちろん彼女は持ってきてくれて

  見せてくれた。

  まだ慣れていないようだが、でも大切に丁寧にという感じで、こんなのという画面を見せてくれる。

  でも渡してくれたときに、受け取り方が悪かったのか、もう画面は動いた。

  スマホは、10分くらいで、それ以外の話の時間が多かったが、たしかになんだか面白そう。

  ただ小さいので、私には必要はないし、使うことはないだろうと思う。

  もちろん、料金も聞いてだけど。




暖冬そのものに、異変ありという感じ。

2015-12-14 07:10:56 | 植物・花(冬)
  ここには私の都合のいいことしか書いてなくて、それもわずかに変えている場合があるが、

  いろいろなことが起こると、書いていることにも異変の兆候がある。私自身にもそれはわかる。


  きのうの夜、やっぱりひどかった一日を振りかえっていたが、去年の12月の欄、今年の手帳だが、

  雪の文字がもう何度かあって、その記憶が再びよみがえった。

  そうだ、4日くらいから、早くも大雪という状態だった。風邪気味とも書いてある。

  4日が雪なら、その前から寒かったはずだ。で、ハガキなどは11月にもう書き始めている。

  ハガキのことはずっと記憶にあるが。


  今年の12月はと思う。残り2週間とちょっと。雪はチラッとあっただけで、まだ実感はないが

  やはり暖かい。

  きのうは特に、午後から気温が上がっているのだが、これになかなか気が付かなかった。

  灯油ヒータをつけたり消したりしているが、LOWで、15℃とかになっている。

  背中にカイロを貼り付けているが、暖かさのありがたみもよくはわからない。


  コタツのスイッチを入れたのも遅かったが、食事を作っていて、1時間以上はつけたまま。

  これがだめで、熱すぎると分かったとき、すぐにスイッチを切った。

  さらにそれでもまだ暖かく、コタツをはずして、なお布団の中に風を送って。

  その後は、慣れないことをやり続けて、足がジンジンして、足だけ燃えている。

  でも眠った。眠って、またボケたなと思う。

  焦っているのはわかっているが、結局何が優先されるべきか、決断、何回思っているか。




  ツバキが咲いていた。










  これは名のわからない白い菊のような花のいまで、花が菊でこんなタネが出来るのを見たことは、

  あったかなー。(追記:葉を見ると、これは別の花だな、こりゃあかん)。


  ようやく明るくなってきた。